2003年01月28日

孤独に耐えること

映画『The Pianist』を観て、自分は本当に孤独に弱いのだなと感じた。

人はなぜ孤独に耐えられないのであろうか。あるいは、それができるとしたら、その人の中の何がそれを可能にするのだろう。その人の「中の」と書いたが、独りきりであるのだから、その「何ものか」は、その個人の内部に根ざしていなければならないだろう。

たしかドストエフスキーの小説だったか、シベリアでの過酷な懲役の一部に、桶の水をもう一つの桶に移し、またその水をもとの桶に移し返し、それを永遠に繰り返す、というのがあった。多くの者が、それを繰り返すうち正気を失うという。人間は(無意味な)単調さには、耐えられないのだろう。

孤独であることがつまらないのは、その単調さに耐えられないからだろうか。他人といれば、さまざまな出来事や発見にこと欠かない。旅行(一人旅であれ)が楽しいのも、目新しい出来事に触れることができるためだろう。

そうだとしたら、たとえ完全な孤独でも、自分の中に、あるいは自分の周りに「さまざまな出来事や発見」を見出せれば、孤独はまぎれるのであろう。
自分の過去の思い出の中で、そうした出来事を追体験できる者もいるだろう。豊かな過去の体験を持つものは幸福である。

自分とうまく折り合えること(自己中心という意味ではない)とは、独りきりでいてもそうしたさまざまな出来事や発見で己れを充実させられる人のことであろうか。「自分とうまく折り合えた」人と一緒にいて楽しいのは、そうした充実を他人にも分け与えられるからだろうか。

孤独に耐えられる力を、身につけたいものだ。
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2003年01月27日

The Pianist

映画The Pianist (邦題『戦場のピアニスト』)を観た。徹底的に孤独な男についてなのだが、ある意味でいつも「独りではない」という逆説。自分の置かれている場所を再確認するためにも、こういういい映画は、たびたび観る必要があるな。

監督のポランスキーは、自分のホロコースト体験をこの映画に投影したという。彼は、どういう思いで今まで生きているのだろうか。

それにしても、アメリカ人よ―――。映画の最後に、主人公ピアニストのコンサート風景が入り、すばらしい音楽が流れる。それと同時に、役者の名前などのクレジットが画面に出るのだが、観客の中に「終わった」と勝手に判断して、暗闇の中で立ち上がってコートを着る者や大声で話し出す者がいた。もちろん、まだスクリーンに見入っている者もいるのだが、自分の後ろも回りもまったく気にしない。穿った見方だが、そういう身勝手をしてもらいたくないがために、監督は最後をこんな風にシャレタ終わり方にしたのではないだろうか。アメリカ人には効果がなかったようだが。あんたら、どうやったら静かに最後まで観れるんじゃね。「他人」というものがまったく見えんのかね〜?分からんなあ〜、この文化とメンタリティー。なぜなんだ、アメリカ人????
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2003年01月25日

孤独な魂

久しぶりに入ったカフェで、以前どこかで見たような東南アジア人系の男を見かけた。見れば、雰囲気がどうもおかしいとすぐ分かる。独語を繰り返している。

そうだ、一年ほど前に、やはりこのカフェで見かけたのだ。あの時は、人なつこそうな顔をして話し相手を探すようにし、しかし時々自分に対してぶつぶつ言っている程度だった。それが、明らかにひどくなっている。私は精神医学者ではないので、はっきりしたことは判らないが、独語を繰り返すその状態が正常でないことは、はっきり分かる。

たとえようもなく、悲しくなった。

むかし、カンボジアからアメリカに養子にもらわれて来た男がいた。彼は、あのポルポトの残虐から辛うじて逃げることができた。ポルポト軍の入ってきた村で生き延びられたのは、ただ彼が、村で一番の笛吹きだったからだという。二番目以下は全員殺されたのだ。斧の後ろで頭を割られて。

彼は、村を脱出して越境後、幸いアメリカ人男性の養子になりニューハンプシャーに住むことになった。しかし、言葉もロクに話せない彼を理解しようとするものも田舎にはなく、いつも孤独だったという。その彼は、「いつもわけの分からぬ巨大な怒りでいっぱいで、発狂しそうだった」と言った。

私は、孤独な者の生き方の拙さや拙劣さ、そしてその結果の苦悩を、哂(わら)おうとは思わない。それは、人によって鋭い感受性や、個々人の経験してきた歴史を侮蔑することに等しく、愚劣なことだ。たまたま自分が運よく手に入れた幸運を自分の手柄のように威張るような、度しがたい無邪気さに等しかろう。

人間の生きている長さなど、宇宙の時間に比べれば、ほんの一瞬であろう。哂うほどに短い。しかし、にもかかわらず、かけがえがない。だから、こんな光景は悲しい。
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2003年01月24日

本物のコーヒー

皆さんは、「ちゃんとした本物のコーヒー」をどうやって飲んでいるでしょうか。

と言っても、ここではカフェインがしっかり入ってるコーヒーのことを言っているのですが。

自分で入れても、持っているコーヒーメーカーのせいか、しっかりと濃いコーヒーができず、アメリカ流(つまり水のような)のコーヒーができてしまう(まあ、そうなるようにコーヒーメーカーが作られているのだろうが)。頭をすっきり(!)させねばいけない時に、それでは、カフェインの効果もあまり期待できない。昨日は、業を煮やしてスターバックスのコーヒーを飲んだら、カフェインがもろに効くのが分かって、妙に感動した。

日本のコーヒー屋になれた身には、スターバックスのコーヒーは決して美味いとは思わないのだが、なんせ、カフェインの量では群を抜いているようなので、思わずスターバックスに行ってしまう。

スタバミーハーといわれている。悔しいが…。
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2003年01月23日

イラク攻撃反対の共同宣言

前回のチョムスキーのインタビューと関連するこんな記事が、朝日新聞に載っている。

「トルコなど周辺6カ国がイラク攻撃反対の共同宣言

 イラク問題の平和的解決を目指す周辺6カ国は23日、イスタンブールで外相会議を開き、イラクに国連への協力を求める一方で、イラク攻撃への反対を明言し、米の単独行動を強く牽制(けんせい)する共同宣言を採択した。欧州で戦争回避の声が高まるのに加え、米の同盟国を含むイラク周辺国が攻撃反対で足並みをそろえたことは、ブッシュ政権の対イラク政策にも影響を与えそうだ。
 会議には、イラクと国境を接する6カ国のうちクウェートを除くイラン、トルコ、シリア、ヨルダン、サウジアラビアの5カ国とエジプトが出席した。
 共同宣言は、イラク問題を解決するために戦争に訴えるべきではないと明記。イラクに対しては、国連による大量破壊兵器の査察に引き続き協力し、積極的に情報提出するよう呼びかけた。
(中略)
 会議を主催したトルコは、中東唯一の北大西洋条約機構(NATO)加盟国で、イラク攻撃の際には、空爆の重要な拠点と見込まれる。米の同盟国サウジアラビアも南部からの地上軍の展開のうえで戦略的な重要性を持つ。両国を含め、出席した6カ国はこれまでも個別にイラク攻撃への反対を表明してきた。」
http://www.asahi.com/international/update/0124/008.html
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2003年01月21日

チョムスキー

ラジオの例のNPR局の「Connection」という番組で、ノーム・チョムスキーにインタビューしていた。テーマは、もちろんアメリカ政府の「イラク攻撃・フセイン」観について。

耳に残ったこと。彼の(当然の)問い。アメリカ《だけ》が、イラク攻撃を叫んでいるのは何故なのか?世界中で、アメリカの同盟国といわれる国々(たとえばトルコ)でさえ、人々の90%近くが反対しているのに(イギリスのブレア首相も「攻撃賛成派」だが、彼は自分の政府内でも自分の党内でも、むしろ孤立している)。しかも、世界中でアメリカ《だけ》が、「サダム・フセイン」を問題にしているのは何故なのか?イラクの近隣国のトルコでもクウェートでも、これほどイラクやフセインを問題にはしていないのに。こうした問題を、そしてその理由を真剣に考えなければならない…。

さらに、ずっと気になっていたポイントについても言及していた。イラクと「テロへの戦争」を重ねる議論があるが、イラクを攻撃することによって、アメリカに対するテロの確率はむしろ上がるとする判断が多い。悲劇を避けたいなら、イラクを攻撃することはなんの得策でもない、と。

後半で視聴者からの質問にも答えていたが、しかし、うまいなあ。電話してきた視聴者が妥当だと思われるポイントをあげると、「まさにその通り!」と味方につけるように力説し、逆に、とても賛成しがたい意見が出てくると、賛成できるところとできないところをはっきり区別し理由を挙げて説明する。その言や明瞭にして端的。

しかし、チョムスキーがこれだけ論理的に説明しても、視聴者の中に「アメリカは誰に対しても強いし、悪い奴をやっつけないといけない。We have to kick his butt.(サダムをやっつけなければならない)」と大声で言うものがいたのには、ため息が出た。
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2003年01月19日

発言の封殺

お好みのラジオ局、NPRが、場所によって入りにくい。入らないというより、ある別の局がかぶさってしまうのだ。ダイヤルを同じ場所に合わせていても、場所によっては、この別の局ばかり聞こえる。

このライバル局、よく聞いてみると、キリ○ト教の専門局で、しかも内容がかなり過激である。

その謎が、最近やっと解けた。朝日新聞を読んでいたら、「公共放送NPR局を、宗教放送が妨害」という記事が、なにげなく眼に入った。記事によると、「リベラルな」NPR放送を妨害するために、ある区域で、この右よりのキ○スト教放送が行われているという。ただ、アメリカ全域でそれができないので、場所によって妨害が及ばないところがあるのだ。

ここは「自由な発言ができる国」である。だから、もちろん、どんな右よりの、過激な放送をしてもかまわない。しかし、「リベラル」というだけで、それを妨害するのは、他者の発言を封殺することであり、逆に、自分のよって立つ「自由」を否定することになり、自分の首を絞めることになろう。

愚かなことである。
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2003年01月18日

厳寒

どうも、鬱らしい。最近の雑記は、どうも重い。もっと軽く書かなければ。

非常に寒い。昨夜は、華氏で0度になったらしい。窓も凍る。水道管が凍らないのは、ニューイングランドの家の構造のおかげである。ありがたい。

今朝、外に出たら、小鳥が二羽、凍死して地面に転がっていた。その傍らで、近所の猫がそれを見せびらかすように、ニャーニャー鳴いていた。どうも、猫は、なにを考えているのかわからん。

小鳥は庭の片隅に片付け、心の中で念仏を唱えて弔った。
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2003年01月16日

「血にまみれたダイヤモンド」の話 (後)

その密輸で儲けた金の一部が、アルカイダに回っているのではないか、と報じられている。また、別の話として、アフリカの東海岸にあるタンザニア国は、キリマンジャロ山の麓で、タンザナイトという青紫色の美しい宝石を産出するが、その収益の一部が、やはりアルカイダに回っていることは、かなりの確実さで報じられている。確かにこれらの情報は、完全に証明されたわけではない(少なくとも当事者達は否定する)。しかし、米国政府は「疑わしきは、拘束を」と、他の資金源は差し押さえているのだから、これは、不公平だといわれても仕方がないだろう。

アシュクロフ司法長官は、「この期におよんでは、すべての疑わしい者を捕まえる」と豪語して、何千人ものアラブ系の人たちを拘束し、多くの人の自由が犠牲になるのを当然のように考えた。その司法長官が、米国の宝石メーカーだけが免罪符を与えられている、というようなことを、許すのだろうか。これは、不思議な不思議な謎である。
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「血にまみれたダイヤモンド」の話 (前)

以前、エッセーサイト「酔眼妄語」に書いた「血にまみれたダイヤモンド」の話、といっても読者は遡ることなど面倒だと思うので、下に再録する。

この件については、関係資料を何十ページと集めたのだが、いかんせん「酔眼妄語」に書くための時間がない。関心がある方は、次のサイトなどが参考になると思う。
http://www.americanradioworks.org/features/diamonds/sierraleone1.html
ワシントンポストなどにも、時々関連記事が載る。
こうして、書きたいことが書けぬまま、老いさらばえて死んでしまうかと思うと、悲しい。

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(『七つの謎』の)その四。「テロ」後、米国政府は米国内にあるアフガン系資金を凍結した。もちろん、テロのカネヅルを断つという意味で、それは必要なことなのであろう。疑わしきに、何らかの拘束をするのは、こういった異常事態では、なるほど必要なことなのかもしれない。中東でイスラエルとパレスチナ間の武力衝突が激化した直後も、「ハマス」組織の米国内にある資金を凍結した。ところで、現在、米国のある宝石製造販売メーカーは、米国政府が「テロ組織」と見なしているアルカイダに資金を調達してると、多いに話題になっている。しかし、米国政府が、こうした宝石属製造販売会社に、何かをしたという話は、いまだ聞いていない。

アフリカのシエーラ・リオンの内紛・ゲリラ戦が、ダイヤモンドの権利奪取の戦いであり、そのダイヤのほとんどが米国(ほとんどが「A Diamond is Forever」で有名な、○ゥ・○アーズという巨大メーカー)に輸出されていることは、もはや、知る人ぞ知るの事実である。シエーラ・リオンのゲリラは、民衆を恐怖に陥れるため、大きなナタで人々の手足を切り落とす(あちこちに手足のない子供たちがいるその悲惨な光景だけは、米国でも報道される、ゲリラ側の狂気を示すものとして)。ゲリラは、民衆を使って掘ったダイヤを、ブローカーを介して隣国リベリアに密輸する。リベリア(自国ではダイヤを全く産出しない)は、そのダイヤを売って多額の収益を上げ、その収益でゲリラに武器を買って与えるという。
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2003年01月15日

金鉱で働く女性

テレビで、南アフリカの金鉱で働く唯一の女性の話を観た。彼女は、「爆薬を仕掛ける免許」も持つ。

いうまでもなく、こうした金鉱の労働者は過酷な条件で働かねばならない。月収は平均して$158だという。この土地の物価は分からないが、それは決して多くない額だろう。トイレは坑道の一部のオープンスペースに置かれているだけなので問題なのだ、と彼女は言う。しかし、それは問題としては些細な方であろう。

しかも、こうした労働者は、この土地に蔓延する病気エイズよりも(南アフリカでは5人に1人の成人が、この金鉱では3人に1人がエイズにかかっている)、むしろ金鉱をクビになることを恐れている。

ここで採れた金は、白人が買っていく。そして、ここで働く者たちは、他に生きる可能性や、時には命さえも奪われる。それは、ダイヤモンドが採れるアフリカ西海岸でも(「血にまみれたダイヤモンド」の話は、以前、「
酔眼妄語」に書いた)、タンザナイトが採れるタンザニアでも、つまるところ同じだ。

それが、「南北問題」といわれるものの一部なのだ。

くだんの女性は、「いつか監督係になりたい」と眼を輝かせて言った。しかし、彼女がそれ以前にクビにならなければ、あるいは、命を落とさなければの話である。

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2003年01月13日

女と男の間 (後)

たとえば、こんな場面を想定してほしい。恋人同士のジョンとメアリーがドライブしている。
メアリーが突然話しかける。「ジョン、コーヒーが飲みたくない?」
ジョンは笑顔で(思いやりがあるなぁ、と感心しながら)「いや、今はほしくないよ。ありがとう」と応える。
しばらくして、ジョンはメアリーが妙に沈黙しているのに気づく。俺は今朝何かまずいことをしたろうか、とジョンは考える。
「どうかした?」ジョンが訊く。「別に。なんでもないわ」とメアリーが応える。しかし重苦しい沈黙。
「ねえ、どうかしたの…」とジョンは、たまらず訊ねる。メアリーは小声で「どうせ停まってくれないくせに」と言う。
ジョンは驚く。「停まってくれなんて言ってなかったじゃないか。じゃあ、なぜそう言わないんだ。」するとメアリーは、もう少し私の気持ちに気を配ってくれてもいいじゃない、と反論する…。

パートナーがいる方なら、こんな経験がおありだろう。女の話は遠まわし、男は言われたことしか理解せず「行間」が読めない、という例である。こうした「言葉の使い方」が脳の構造に因るというのだ。

スチュアート・ミラーという作家が書いた『ヨーロッパ人とアメリカ人』という本があって、“アメリカ人”を理解するためのちょっとしたバイブルにもなると思われるくらい面白い。これは、上のような会話の食い違いをアメリカ文化とヨーロッパ文化の差から説明するのだが、残念ながら男女差の視点はすっぽり抜けている。(ところどころ、アメリカ人としての作者の洞察の限界が見えるという点でも、少しイライラさせられる。) 男女差は、もしかすると、文化差より深い溝なのかもしれません。
 
女性が男性を解っているほど、男性は女性を解っていないと思うのだが、そんなわけで、(自己中心的な傾向にある)男性諸君にお勧めです。テレビのリモコンを押し続ける男と言う不可解な生き物を理解するためにも、女性にもお勧めです。女性が、なぜ男性より優れているかも、よーく分ります。
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女と男の間 (前)

アラン・ピーズ&バーバラ・ピーズ共著『話を聞かない男、地図が読めない女』という本を読んでいるが、これがまた大変おもしろい。

テーマは、男と女では(進化上、生物学・生理学上)脳の構造や働きが異なるので、振舞いや会話の仕方が(傾向として)全く異なると言うもの。クラシカルなテーマだが、アメリカでは下手をするとヒステリックな拒絶反応を受けやすいものかもしれない。

似たようなテーマでは『Men Are From Mars Women Are From Venus』というベストセラーがあるが、これよりもアジア文化など異なった文化に対して配慮が行き届いていると思う。つまり『Men Are 〜』はアメリカ人向けだと思う。(それに比べれば、デボラ・タンネン(Deborah Tannen)の方が厳密な印象を受ける。たとえば、『You Just Don't Understand』など。彼女は社会言語学者。)。

『話を聞かない男〜』によると、女は一度にたくさんのことを理解できるが、男は一度に一つずつしか集中できない。車を運転していて通りの標識を読もうとする時、ラジオのボリュームを下げるのは男のほうが多い。男は冷蔵庫の中のバターを見つけることもできない(周辺視野が狭い)のに対し、女は方向感覚が弱く窓のない部屋に入って北を正確に指すのは難しい(空間能力が弱い)。こうした(あくまで)《傾向》が、人間が狩猟をしていたころからの習慣で、脳にプログラムされているというのだ。もちろん、単純化されているが、啓発的な指摘も多い。

女の方が言語が豊かだが、言葉を厳密に定義して使うことには注意は払わないという。一方、男の話は文が短く直截で、言葉を文字通り取り、明らかな解決策を見出すことを最大の目的とする。「こんなドレスを着たら吐き気がして死んでしまうわ」と言うのが女なら、「なにもその程度で死にはしないさ」と情けない返事をするのは、男の方である。
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2003年01月12日

下らないこと

時間が早く過ぎるので、ため息が出る。

食欲がまったくないので、今日は、寒風の中、近くのグラウンドで、ジョッギング、ダッシュなどをした。お陰で、なんとか食欲が出てきて、果物、甘いもの、パスタなどを口にできた。

って、こんな下らないこと読まされても、読者は困りますよね。
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2003年01月09日

「劇」的体験=禅?

先日の日曜に、テレビのPBS局でシェークスピアについて、役者や作家の言葉をひいて特集していた。

あのローレンス・オリビエが、「自分はハムレットをやる時も、リアリズムを強烈に意識する」と明言していたのとか、作家のアーサー・ミラーが、シェークスピアの文章をただコピーしているだけでいろいろ大きな発見があるなどと言っていたのは、とても面白かった。

しかしなにより興味があったのは、ある演出家がシェースクピアの作品を「Theatre of Recognition」と言っていたことだ。「名台詞の宝庫」でもなく、「ドラマの百科事典」でもなく。人間の実にさまざまな振る舞いや発言を示すことで、観客にハッとさせる、気づかせる、くらいの意味だと思うが、確かにそうだ。「劇」とは観客に、新しい(あるいは、それまで忘れていた)「ものの見方」を教えなければけない、と言ったのは、誰だったか。

あっなるほど、と思わなければ、ドキリとしなければ、本当の劇体験ではないのだ。それは舞台設定を見たときから始まる。それは、場末のアングラであろうと、歌舞伎であろうと、前衛的な劇であろうと(例えば「ゴドーを待ちながら」)、オペラ(音と声と振る舞いの組み合わせで)であろうと、同じであろう。普段の日常の生活の方が驚きや発見が多かったら、誰が高い金を出して観に行くだろうか。

「ゲージュツはバクハツだ」と言ったのは岡本太郎だが、「バクハツ」だけでは、感動はしまい。こちらの心が動かなければ、感動はしないのである。「あっ、という体験」は心の動く典型的な例だろう。

「あっなるほど体験」と言えば、禅で言う「悟り」にも近いのだろうが、それを得るためにいつも座禅をするわけにもいくまい。考えてみれば、素晴らしい体験とは自分を覚醒してくれる「Theatre of Recognition」でなければならないのだろうし、そのためにこそ上質の作品(劇や芸術や文学)を体験したいと思うのだろう。
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2003年01月08日

「真実を伝えるジャーナリズム」

日本で発行されている『週間金曜日』という雑誌に、言語学者ノーム・チョムスキー氏のインタビュー・対談が載っている。ご存知のように、チョムスキーはアメリカの政治や国際情勢についての発言が多い。インタビューアーは浅野健一氏というジャーナリストで、彼は、前に共同通信社のジャカルタ支局長だったころ、スハルト政権から国外追放処分を受けたというツワモノである。

そんな組み合わせで、「真実を伝えるジャーナリズム」はどうあるべきかについて、なかなか突っ込んだ議論をしている。以前、日本版プレイボーイ誌でも似たような対談があったが、インタビュアーの○○○氏が、なんか噛合わず、消化不良の感が大いにあった。(この○○○氏については、その浅さを、例の常岡氏が自分のサイトの日記の中で暗に批判していた。)

それにしても、アメリカが陰でいかに悪さをしてきたか、インドネシア・東チモールの件では日本がどれだけ暗躍してきたか、普通のメディアには知らされていないことがいかに多くあるかに、愕然とする。
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2003年01月07日

雪枕

  雪道に踝までつかり、荒い息をしながら(持病もちなので、すぐ疲れてし
まう)、こう考えた。

  智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈
だ。とかくにこの世は住みにくい。

  しかし、頭脳がなく働かせる智がないのも、悲しい。情を掉させる人の
つながりがない社会も、悲しい。そんなことでは、生きにくい、住みにくい。
  住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越して
も住みにくいと悟った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
  しかし、詩を書く才能もなく、画を描く才能もないときは、やはりおのれ
を嘆くばかりで、住みにくかろう。生きにくかろう。

  ただの人が作った人の世で生きにくいからとて、越す国はあるまい。あれ
ば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにく
かろう。
  人でなしの国にも住めず、頭脳がなく、詩を書く才能も画を描く才能もな
いとなれば、ひたすら辛いばかりだ。
 
  と、思い、森閑とした雪道のなかで、ため息をついた。
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2003年01月06日

繰り返す憎悪

ニューズウィーク・インターネット版(先週号)に、「マンガ★オブ★ザ★イヤー2002 この1年の衝撃と感動をマンガと名言・珍言で振り返る」というコーナーがあり、漫画は著作権保護のためか載ってはいないが、(おそらくは漫画につけられたキャプションとしての)一言が、含蓄深い。http://www.nwj.ne.jp/

特に「■和解の糸口すら見つからない民族と領土の根深い憎悪」という欄は、イスラエルvsパレスチナの対立の深さを描き出して、辛く悲しい。

たとえば、「イスラエル人が1人殺された場合、殺されるパレスチナ人は3人だけになった」という台詞がある。マシになったと言うことである。以前は、その比は1対25だった。

たとえば、イスラエル軍がパレスチナ人捕虜の額と腕に番号を入墨していたことに、怒り悲しむ台詞がある。第二次大戦中、ナチに強制収容所のユダヤ人囚人がされたことと同じことをするとは、という意味である。

人間は、どこまで、過去の愚を繰り返すのだろうか。
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2003年01月05日

どうなってしまった日本人?

カルシウムが足りない、ではすまない状況のようです。この前につもりに積もった事情があるのでしょうが。

「焼肉で口論、姉と母切りつける 容疑の男逮捕 埼玉

埼玉県警狭山署は5日、同県狭山市北入曽、無職桜井伸昭容疑者(25)を殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。調べでは、桜井容疑者は同日午後7時ごろ、家族6人で食事中に姉(29)と口論になり、台所にあった文化包丁で姉の首と、止めに入った母親(53)の顔を切りつけた疑い。夕食の焼き肉の焼き方をめぐり、姉と口論になったらしい。2人は軽傷。
 桜井容疑者は「姉がくだらないことを言ったのでカッとなり、殺そうと思った」と話しているという。 」
朝日インターネット http://www.asahi.com/national/update/0106/012.html
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2003年01月04日

分裂と共存

ちょっと思いつきのようなことを。

ここアメリカと言う異文化に暮らし、(アメリカ人になりきれない)自分の中に、昔からある日本的なものと、僅かずつだが日に日に強くなるアメリカ的なものの二つが共存しているのを感じる。それは、「共存」かもしれないし「分裂」かもしれない。アメリカに住む者なら、「日本」と「アメリカ」がいかに“遠い”かを実感するだろう。いずれにしろ、まともに自己を維持しようとすれば、その自分の中の混沌にオトシマエをつけねばならないだろう。

その混沌から行く方向は、少なくとも二つあるような気がする。まず、その分裂状態を自分に納得させる、つまり、それを説明できる語彙を身につける方法。たとえば、アメリカ人と日本人のメンタリティーの違いを説明できるようになること。「○○の場面で」アメリカ人はこうするが、日本人はああする、とわかるようになること。

もう一つは、それら二種類(異種類)のいろいろな経験を、共に語れる語彙や視点を発見すること。それは、上の「分裂」の根っこにあるものを探ることかもしれないし、「表面的な分裂」の共通点を見つけることかもしれない。

そういった意味で、今年は、もう少し「モノワカリ」が良くなりたいものだ。
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2003年01月03日

新年の抱負

皆さん、明けましておめでとうございます。

今年は、久しぶりに、正月にお餅を食べました。こういう純日本的なものを食べていると、昔のことが、辛かったこと楽しかったことも含めて思い出され、なにかジンとするのである。

日本から日本的な美味いものを頂いて、稀に見るグルメの正月になりました。しかも、なぜか豚ばかり沢山食いました。この何日か、食べてばかりで、豊かに「肉付き」はじめた腹の周りが心配です。

ということで、今年の抱負は…
   (1) まず、瘠せる。
   (2)貧相な食事を卒業して、マトモな食事をする。
   (3)妄語を、もっと頻繁に書く。
   (4)自分の貧相な顔に、もっと責任を持つようにする。
   (5)他人にもっと配慮できるようにする。
ということにいたしました。(1)と(2)は矛盾するようですが、つまりは、量より質と言うことですな。

(3)は、書くという大きな問題に関わっています。これまであまり書かなかったのは自分のものぐさが大きな原因ですが、それだけではありません。こんなしょうもないものでも、エッセーを「書く」というのはどういうことだろうか、とよく考えます。「書く」というのは、ある意味で「誰かに向けて(誰かのために)書く」ことですから、その読者を想定しなければならないでしょう。つまり、他人である読者のために書くことも含まれるわけでしょう。しかし、過去にボツになった「酔眼妄語」を読み直してみると、ああこれは「自分」のために書いているのだな、と思う文章が多いような気がします。

もし自分のために書いているとしたら、一度書いて形にしてしまえばそれで目的は達したことになるのではないでしょうか。つまり、人さまに公開する必要はなくなるのではないでしょうか。他人のために、自分の生活を事細かに書くエキシビショニスティックな趣味もなく、エンターテイナーとして書く才能も時間もない、ということなのかもしれません。

これは、ホームページなどを作って文を書いて公開するということの意味に関わる深い問題なのでしょう。というわけで、またまた今年も、あまりアップしなくなるのでしょうか(と、今から言い訳でした)。

長くなりますので、(4)と(5)は、またの機会に。

というわけで、本年も、なにとぞ、宜しくお願いいたします。  
posted by ろじ at 23:30| ひと言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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