2003年03月31日

今回の報道

戦争は、きわめて情報戦の様相を呈してきた。政府は、メディアの報道姿勢にひどく敏感になっている。

しかし、そのメディアは以前よりもトーンが下がったような気がする。「バグダッドにこれまでで最も激しい空爆をしました」と伝えるものの、それを以前のように生中継することはなくなった。以前は、どんな空爆でもほぼ生で報道していたのに。

伝えられる映像も、断片的なものが多くなり、さらに、アメリカ兵がイラク市民たちをどう助けているかというような、政府が喜ぶようなものが頻繁になった。

今回の(従軍記者などによる)報道は、物理的な制約があって仕方がないのだ、と言う声がある。軍部からの情報に頼れば、政府よりの報道になるのは仕方がないのだ、という意見がある。

しかし、そうではないと思う。実際、フリーランスの独立系記者が行っているし、テレビは自局の映像と共に、中立系のアラブケーブル会社「アルジャジーラ」やヨーロッパの各国の映像を流すこともできる(実際、最初の爆撃ではそうした)。

米統合参謀本部議長の発表を、事実がそうであるといったニュアンスで伝えるのではなく、「彼(政府筋)がそう言った」と伝えることもできる。政府筋が発表した数字をそのまま流すのでなく、ひとこと「それを確認する独立した情報は、まだありません」と付け加えることができる。実際、イラクが発表する情報には、よくそのように付け加えるのだから、片手落ちというものであろう。

以上のようなことをいろいろ考えると、テレビは、ABC局がどちらかと言うと公平であるようだ。それ以外は、これはどうか、と思うものが多い気がする。にもかかわらず、ラムズフェルト国防長官以下、政府筋は、メディアがリベラルすぎる、と不平を言っているそうだ。

この戦争がどう映るか、大いに気になるのだろう。

今日のワシントンポストは、イギリスのテレビ局BBCが「イラクやアラブ側からの報道も多く、アラブより過ぎる」と批判するアメリカ人たちのことを伝えている。BBC側は、イギリスやヨーロッパにいる戦争反対の人たちの関心を考慮した当然の構成だ、と反論している。

そりゃそうだ。アメリカのテレビ局だって、多くのアメリカ人大衆のことを考慮するから、前線の兵士のことばかり放映し「従軍テレビ」のようになるのだろうに。同じ穴のムジナ、ということに気づかないのだろうか。自分しか見えんのだな。
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2003年03月28日

あなたはどちら?

同僚と話していたら、いつの間にか、話題が靴の話になった。

さて、女性は男の靴をけっこう見てるんではないか、というおれの意見に何人かの女性が飛びつき、大議論になった。

まず男でチェックするのはもちろん靴と言う者、デートして男が情けない靴履いていたらその場でデートは終わりだという者・・・恐ろしいことである。

いろいろ聞いてみると、女性がまず最初に男のどこを見るかは、二派に分かれるらしい。(男がまず女性のどこを見るかは、きわめて分かりやすい感動もない話である。)

第一は、男の靴を見るというもの、第二は、男の肩と、さらに眼を見るというもの、というように分かれるんだそうだ。私は靴!いや、私は肩!とそれぞれ好みがあるらしい。

傍らで、のんびり屋のボブが、「日本じゃあ〜、女性の裸の背中をよく広告に使うらしいね〜。どうしてだろ〜。振り向いたら見えるからかな〜」などと言っていたが、しっかりと無視されてた。(いい味だしてるなぁ、ボブ)

「肩」というのは何かの暗号か、と言おうと思ったが、しかられるとイヤなので黙っていた。
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2003年03月24日

逆灯台下暗し

アカデミー賞の式で、かのマイケル・ムーア監督が長編ドキュメンタリー賞を受賞したが、その受賞スピーチで、ブッシュ大統領をかなり過激に非難し「ブッシュよ、恥を知れ」と言ったという。

そのスピーチを全部読みたいと、早速いろいろ新聞を調べたが、どの新聞にも載っていない。

ニューヨークタイムズは、部分しか載っていない。

ボストングローブは、スピーチはごくわずかしか載っていず、むしろ、ムーア監督がスピーチ後楽屋裏でどういうひどい扱いを受けたか、と揶揄った司会者のジョークをメインに載せたりして、明らかな作為が感じられる(こういうよくわかんない構成ばっかするから、ボストングローブは嫌いなのじゃよ)。

ワシントン・ポストも、さわりは載せているが、前文は載せていない。むしろ、やはり反戦スピーチだったが、よりマイルドなエイドリアン・ブロディー(『ピアニスト』主演男優)の受賞スピーチを、メインに載せているようだ。

けっこうニュースバリューはあると思うが…。時期が悪いのか…。

イライラしながら、探しまくって、ついに見つけたのは、ここから遠くもないなんとかジャーナルという地方紙の中であった。逆灯台下暗し。
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2003年03月22日

隠遁の思想

昨日の続き。

懐疑的なこころを持つことは、弱いことを意味しない。
繊細なものの見方ができることは、脆弱であることを意味しない。

あたりまえのことだが、ここに長く住めば住むほど、多くのアメリカ人は、こうした見方ができないように思う。
こうした見方ができないと、こころの強さ=単なる頑固さ、自己中心的、そとヅラの強さ
という図式になってしまうのではないかと思う。

毎日、めんと向かうアメリカ人(とアメリカ流礼賛者)の頑固さは、それゆえではなかろうか、と思うのである。

しかも、この国では弱さを見せることは罪悪に近い。彼らはどんな状況でも敢然と困難に立ち向かい胸を張っていなくてはならない。この国で「一人前」とはそういうことで、常に力んで、対決の姿勢が前面に出るのだ。

こうした見方の下では、社会に背を向けることは「敗北者」を意味するのだろう。それ故、この国では「隠遁の思想」というものが決して育たないように思う。(社会の周辺にあるマイノリティーの思想は、多くが中心へどう向かえるかという運動の思想のように思う。)

山中に身を隠す隠遁者、あるいは、市中にありながらも文人墨客となり教養人として社会から距離をとる者は、このアメリカ社会の中にはない。哲学者デビッド・ソーローはウォールデン湖の畔に「隠遁」したが、多くの記録によれば、母親に洗濯や食事の世話をさせたという、はなはだ下らない話のようである。

隠遁とは、社会を程度の差こそあれ否定し、その社会の中で育った自分を相対化することから始まる。唯一、ベトナム戦争帰還兵にその傾向が見られるようだが、裏を返すと、アメリカ人がそうなるためにはベトナム戦争ほどの劇的な事件が必要だと言うことになるのだろう。

「隠遁」が分からぬ国民 ―― 今日もテレビでは、いかに筋肉が必要以上についているか、いかに顔が端整で歯並びが良いかを、あいかわらず競っている。

ため息・・・・

なにをそんなに、リキんどるんじゃあ。ええかげんにせんかい!アメリカ人(←辛いことがあったらしい)
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読者と会う

このコラムサイトの読者の方に、お会いした。
いろいろ感想などをいただけるのは、冥利に尽きるのである。つくづく、ありがたいことである。

趣味は、インターネットです、
とか、自己紹介したりして、
カラオケなんか、やらないし・・・。
しかし、単なるオタクにしか、聞こえなかったろうなあ。

「雑記みたいな書き方、よくあるんですよ。システムから社会を語るようなのは…」
などと、痛いところを突かれてしまって、
そうかよう〜、それしか書けないんだから、しょうがないんですよう〜、
などと開き直っては、決して言えず、
「はあ、す、す、すみません。もっと努力いたします。どうぞご勘弁を・・・。」
と、平謝りでした。これから、がんばりますから、すみませんね、Kさん。

その後の食事どきは、言いたい放題の、楽しいひとときで、
しかし、参加者はおとなばかりだから、
人生の悲哀、カゲ、運命の残酷さなどについても、大いに語り合ったのであった。

特に、このなんでもイケイケの国民と、そんな雰囲気を謳歌する日本人のあいだに、ひっそりと生きるわれらは
辛いこともある。そんな人たちについて行けず、傷ついて落ち込むこともある。

「遠くへ飛ぶためには、後ろへ下がらなくてはいけない」という
古代からの格言を、実行しているだけなのに
尋常じゃない、などとレッテルを貼られてしまうなんて
やっぱり、アメリカ人にはなれないよ、
と嘆息し、夜は更けて行ったのであった。
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2003年03月21日

戦争とアメリカ人

ブッシュ政権は、相変わらず注意深いほどに言葉を選んで今回の戦争の正当性を、国民に、そしてイラクを含む世界に訴えています。

街では、星条旗を揚げる車も増えた。しかし、ほとんどの人はこれまでと変わりなく、市民の活気が落ちたようには見えません。不自然なほど真っ白な歯並びのいい歯を見せて笑い、あるいは辺りかまわず大声で携帯で話し、屈託がなさそうです(そんなことが、すぐ変わるはずもないですが)。

バグダッドは始終攻撃されているのではないので、テレビはいつも空爆の様子を映す訳ではありません。ほとんどが、戦場にいる兵士の様子や、その兵士をアメリカで気遣う家族のことや、元軍事関係者の解説です。その上、前線のアメリカ軍に従軍している記者からの報告が、時に生々しい映像とともに映されると、テレビはほとんど従軍テレビのような観を呈してきます。

前線の兵士は命をかけている(それは本当でしょう)→兵士を気遣う→兵士のやってることは正しい→兵士を支持する→この戦争を支持する→この戦争は正しい戦争だ
というメッセージが送られるように見えます。

イラクからはフセインの暴政が止むことを願う国民の声も聞こえてきたりして、もちろん、この戦争の結果、イラクの人々にどんなプラス、マイナスがもたらされるかを判断するには、もう少し待たなくてはいけないでしょう。

しかし、メディアのあり方に疑いもなくそのまま単純に信じ、政府の言ったことをそのまま信じ…、その結果を安易に「正義」という名前に翻訳してしまう、という姿勢がこの国民にはあるような気がします。でなければ、連邦議会の100%全面的な戦争支持、70%近いブッシュ政権支持は理解できないかもしれません。

おいおい、アメリカ人さん、ちょ、ちょっと待ちーな、ホントなのかい、それで良いんかい、という気がしてしまうのですが。

自分が見たことでもそのまま信ずるのを一度はためらって考え直す、自分の信じていることが他人にも当てはまるかどうか疑ってみる、自分の知ったことにたまには懐疑のこころを持つ、政府の言ったことはそのウラを読んでみる---こういった態度が少しはなければ、為政者に苦しめられてきた長い歴史を持つ人々、たとえばイラクの人達を理解することはそう簡単にできない、と思うのですが…。
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2003年03月20日

始まった

イラク攻撃が始まった。
かつて知り合ったイラクの人たち、中東の人たちを思い、胸がつまり、憂鬱になる。

アメリカの空爆が、テレビでライブで報道される。大統領府などの政府関係施設のある区画と河を挟んで国際ホテルが建っているが、その屋上にカメラを据え、生中継している。

最初は限定的な攻撃だった。早朝と夜になってからという暗がりの中で行なわれる。何百キロもはなれた紅海などから飛んでくるミサイルを探知されないように、攻撃は暗がり時を選ぶそうだ。バグダッドとここの時差は8時間。そろそろ始まるな、と思ってテレビを観ていると、案の定、ピンポイント空爆が始まる。バグダッド側からの対空放火が、花火でも上がるかのように応戦する。

短時間の限定的攻撃は、ターゲットに正確に当てられるミサイルなどの武器の精度のためだろうし、初めからバグダッドをあまりに大規模に空爆して国際社会からの非難を受けるのを避けるためもあろう。

それ以外は、平穏なバグダッドの町を写している。

「攻撃可能時間帯」が過ぎると、テレビは普通の番組に戻るようだ。いまバグダッドが空爆されていたかと思うと、その直後に、下らぬコメディー番組が流れる。空爆の深刻さと、コメディーに出てくる、アメリカどころか向こう三軒両どなりしか興味がない主人公とのあまりのコントラストが、シュールな感じである。

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国防長官ラムズフェルトは、会見で、「これはあらゆる手を尽くした後の、仕方なく行なった戦争であること」「攻撃は(英国などとの)合同・連合部隊によって行なわれていること」を強調している。メディアが勝手に手に入れた情報を流すことは国益にならない、とも釘をさした。

クウェートにはハリウッドが大枚をはたいて作ったメディア情報センターがあり、前線などからの映像を世界に流しているそうだ。これは「イメージの戦争」であること、つまり、世界中にこの戦争が「正しい戦争」であり「公正に行なわれていること」を伝えるのが重要であること、をアメリカ政府は充分に考慮しているのだ。
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2003年03月18日

開戦前夜 (3)

今回のイラク危機については、識者の意見も含めて、毎日新聞が比較的よくまとめていると思います。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/nybomb/iraq/feature.html
米軍前線の様子も、一応読めます。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/nybomb/iraq/attack/web/correspondent/2003/index-a.html

今回の危機でも、以前の湾岸危機、中東危機と同じように、裏で秘密会談が行なわれているはずです。その可能性を、ロシアの新聞、プラウダが報じています。もちろん、どのくらい信憑性があるかどうかは、分かりませんが。この記事によると、アメリカは、サダム後のイラクの石油の《完全な支配権》を交渉の一部に入れているようです。それと、イスラエルの認知についても触れています。まあ、驚きませんが。
http://english.pravda.ru/world/2003/03/15/44472.html

アメリカが石油を欲しがっていることは、フランス紙、ル・モンドの英語版でも軽く触れています。
http://mondediplo.com/2003/03/01polesapart
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開戦前夜 (4)

ブッシュは、フセインが亡命するとしないとに関わらず、油田が欲しいようだ。
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/20030319k0000e030066000c.html
このなかで述べられているのは:

・ブッシュ大統領が17日の最後通告で要求した通りフセイン・イラク大統領が亡命した場合でも、米軍はイラクに進駐する。
・イラク側の焦土作戦による油田破壊などを防止するため、48時間たたなくても、米軍が本格的な攻撃を伴わない予防的な作戦を行うかもしれない。

これは、ブッシュが演説したことの中にはない。つまり、二枚舌であろう。

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ハリウッド人の懸念

http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/p-et-tp0-030319-0012.html

マイノリティーの意見を、いわば大声で「正義」の名の元に押しつぶす悲しい仕組みかメンタリティーが、この国では出来上がっているのかもしれない。
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2003年03月17日

開戦前夜 (2)

当たり前のことだが、バグダッドには、過去のこれまでの外交記録が保存されている。

その中には、かつてアメリカがイラクに武器を売りに行った時の、会合の記録もあるそうである。たとえば、1980年代中ごろ、今のラムズフェルト国防長官は、バグダッドに赴き、アメリカの武器を買うようにと交渉した。現在アメリカは、フランスが陰でイラクに武器を売っていると非難するが、アメリカは立派な武器商人であったようだ。

今回、仮にフセインがイラクを去るとして、その記録を破壊して行くだろうか、ということが、ワシントンの関心事の一つであるそうだ。もちろん、ワシントンはその記録が公の眼に触れて欲しくない。

しかし、フセインに退去の時間をあまり与えなければ、記録破壊の時間が足りないかもしれない。一方、ワシントンが「戦争突入」をできるだけ望むとすれば、あまり時間を与えるのは得策でないと思うだろう。これはジレンマである。

考えられる方法は、退去の時間をほとんど与えず、記録が破壊されない場合、アメリカ人兵士自身がそれを破壊し、それを口外しないように情報操作する…。しかし、それは難しいことではないだろう。アメリカは、湾岸戦争でもっと悪辣な情報操作をしてきた。それについての雑記は、こちら。 

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セント・パトリックデーだというのに、今年はパーティーを開いている家も少なく、町は静かな感じである。今日の夜8時からのテレビ演説で、ブッシュ大統領が、対イラク武力行使に向けた全米向け演説を行い「イラク最後通牒」を突きつけた。

ブッシュはその中で、イラクのフセイン大統領と2人の息子に対して、48時間以内に国外に出るよう要求し、従わない場合には、米軍を主体とする武力で「脅威を除去する」と述べ、イラクへの先制攻撃を示唆した。

その後の情報を集約すると、アメリカ軍部は「72時間」を予想していたらしい。できるだけ早く、イラクに突入したいらしい。

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その後のテレビのニュースでは、画面の右下に、「48時間」からのカウントダウンを掲示している。
アメリカ軍が、すでに国境を越えた、という報道もある。
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開戦前夜 (1)

朝、職場のカフェテリアに行くと、そこの従業員のポーラとなにげない話を交わすのが楽しみである。こうした人たちから、アメリカン人の「本音」が聞けたりする。

ポーラは、その名前が連想させるとおり、眼がクリクリっとした(ちょっと太ってるが)かわいいおばちゃんである。先祖はカナダにいたフランス人だそうだが、自身は生まれてからこの方この州から出たことがないという、この州の典型的なアメリカ人である。

今日、当たり障りのない天気の話をしていたと思ったら、突然、先日のサダム・フセインのテレビ・インタビューを観たかと訊く。一週間ほど前、テレビのCBS局で、TVキャスターのダン・ラザー氏がバグダッドに乗り込んでフセインにインタビューしたのを放映したのである。

覚えていたので、ああ観たよ、と言うと、ポーラは「驚いちゃった、サダムがあんな感じの良い人だとは、思わなかったわ」と、クリクリの眼をさらに丸くして言った。その話し振りなどをテレビで観た感じでは、サダムはとても良い印象を与えたようなのだ。

アメリカ人に限らないのだろうが、ある人物を忌み嫌うのは、往々にして、その人物を見たこともないから、というのが常のようである。かのインタビュー番組は、アメリカ人に妙な効果をもたらしたかもしれない。テレビのCBS局は、そんなこと考えもしなかったであろうか。

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カフェで拾った新聞に、ブッシュが大西洋のポルトガル領アゾレス諸島にあるラジェス米空軍基地で行なった、米・英・スペイン首脳会談についての記事が載っていた。安保理での協議が行き詰まって来たので、3首脳は決議案の取り扱いについて協議するのだ。(のちに、3首脳は協議打ち切りを打ち出した。つまりイラクへの武力行使容認決議案(修正案)を採決にかけない決定をした。)

その記事に載っている写真のブッシュの顔に、誰かが落書きして、悪魔のように描いていた。

その下に、上記の3ヶ国とポルトガル各国の国旗も載っているのだが、それぞれの国旗の上に、「USA 50% Against」「Spain 80% Against」「UK 80% Against」、そしてポルトガル国旗の上には、もう一つ賛成している国としてのブルガリアについて「Bulgaria 90% Against」と書いてあった。
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2003年03月16日

映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』 (再)

日本にいる近い友人が、マイケル・ムーア監督の映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』を観に行ったら、劇場が満員だった、と伝えてくれた。

日本の新聞も、その人気を報じている。最初はほんの一部でしか上映していなかったのが、次第に増えているという。
http://www.asahi.com/national/update/0312/029.html

この映画については、昔書いたので、繰り返しは避けるが、アメリカの銃問題をマイケル・ムーア一流のユーモアとウィットで、かなり深く描いている。(これについての、昔の雑記はこちら。)

アメリカで銃による死傷者は、毎年、一万件をゆうに越える。他の国では30件とか、せいぜい3ケタである。なぜ、この社会には銃の悲劇が多いのか。所有されている銃が多いから、と単純に言うことはできない。お隣のカナダも銃所有者は多いのだから。キーワードは「恐怖心」である。

そんな切り口で始めながら、アメリカ社会・アメリカ人の持つ特殊な傾向について考察してゆく。

考えてみれば、アメリカ人は、食べ物の衛生感覚や他人に対する一般的な思いやりなどについては、きわめて鈍感である。そんな国民が、なぜ、恐怖心については、これほど敏感なのであろうか。

それが解れば、この不可思議な国民をもっと理解できるかもしれない。裏を返せば、われわれはこの国民を、まだまだ理解できてないということなのかもしれない。

ともあれ、銃問題について知るためにも、このアメリカ人・社会についての洞察をえるためにも、お薦めです。日本にいらっしゃる方は、ぜひどうぞ!
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2003年03月15日

右向け右 と 「フレンチ・フライ」続報

アメリカでも、反論が言い難い状況にすぐなる。

あるカントリーミュージックの女性グループ(ディクシー・チックスという)がコンサート中にブッシュ米大統領を批判したため、同グループの曲が、全米各地のカントリー音楽専門ラジオ局から締め出しを食っている。

http://www.asahi.com/culture/enews/RTR200303150012.html

今週初めにロンドンで行われたコンサートで、グループのメンバーが、イラク攻撃を計画しているブッシュ大統領がテキサス州出身であることを「恥ずかしく思う」と発言した、という。その直後、ラジオ各局には、聴取者から「大統領を批判するのは愛国心に欠ける」という苦情電話がかかり、各局は同グループの曲の放送を自粛している。

この国は、日本と同じくらい、あるいはそれ以上に、多数が右向け右になり反論も言い難い状況になり易い国である。コワイ国だ。

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クリスチャン・サイエンス・モニター紙が、社説で英語からフランス語起源の単語を追放するよう呼びかけた。

http://www.asahi.com/international/update/0315/010.html

「フレンチ・フライ」騒動に対するコメントしてだが、それなら徹底して英語に無数にあるフランス語起源の語を駆逐してはどうか、と言うのだ。もちろん皮肉である。なかなか小気味の良い論である。

そもそも、「フレンチ・フライ」はフランス産ではなく(グルメのフランス人は、あんなもの、意地でも国産と認めたがらないだろう)、たしかベルギー人のジョセフ・フレンチという人によって作られたので、そう命名されたはずである。「フレンチ」違い。

せいぜい、坊主憎けりゃ袈裟までか、と笑われるのがオチでは。
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2003年03月14日

花一鉢

映画『プロフェッショナル』は、お気に入りのリュック・ベッソンが監督作で、ニューヨークのアパートに住む殺し屋が、思いがけず女の子を一人引き受ける羽目になる悲哀を、軽妙なタッチで描く。

この「冷血な殺し屋」、見てくれに反し、一鉢の観葉植物を大事にする。その不釣合いが、可笑しくもあり、また、渋くもあるように描かれていて、まぁなかなかいいもんだな、と思いながら観たものである。

…などと、花屋の前で夢想にひたっていたら、気がついたら、花を一鉢、買っていた。
水仙の鉢である。

黄色い小さな花が、いくつか間の抜けたように開いている。
むさい男がこんな花を買うのがよほど不釣合いに見えたのか、従業員の女の子に、「プ、プフゥ〜、す、すいせん、いいですよね〜」と、笑われた。

あとの祭りである。(いいじゃねえかよ…。)

家に持ち帰り、床に置く。むさくるしい男所帯に、花が一鉢。

絵にもならない、情けない図柄、イッチョあがり…。
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2003年03月13日

拒否権

アメリカの政治家ならびに多くの市民がフランスを気に入らないのは、フランスがブッシュ米政権の提案するイラク侵攻に対して拒否権を行使しようとしているからだという。

この大事にフランスの拒否権行使というわがままは許せん、とはっきり言う政治家もいるそうである。日本の政治家にも、フランスが拒否権を行使すること自体を、暗に批判する者もいるようだ。
http://www.asahi.com/politics/update/0312/005.html

しかし、フランスが「拒否権を行使すること」自体を非難するのは、歴史を知らぬものである。そんな権利は、アメリカにはない。歴史をひも解けばすぐ分かることだが、1960年以来、これまで拒否権を最も行使してきたのは、アメリカとイギリスである。

国連安保理事会での拒否権行使の歴史を、10年ごとに見てみると、1976年から1985年までに、アメリカは最も多い34回の行使。ついで、イギリスの11回。1986年から1995年までの10年間では、アメリカが24回で断トツ。ついでイギリスの8回で、この2国でその10年間拒否権行使の9割近くを占めた。1996年から2002年までは、拒否権行使全8回中、6回がアメリカによるものである。最も最近の拒否権発動は、イスラエルが国連施設を破壊し国連従業員を殺戮したことに対する安保理非難決議に、アメリカが反対したものである。

アメリカがフランスの「拒否権の行使自体」を批判する権利は、あまりないように思う。拒否権行使をするためのフランスの論理を突く、というのなら分かるが、しかし、今回のアメリカのイラク侵攻提案それ自身が、そもそも、あまり論理的ではないようだし。
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2003年03月12日

フリーダム・フライ再論

昨日書いた「フリーダム・フライ」について、今日の NY Times に記事が載っている。

全体の調子は、この大事な時期に全くどうしようもない、という感じである。マサチューセッツ州の民主党議員、バーニー・フランク氏は「(連邦)議会は時にお粗末に見えるものだが、それをさらに馬鹿げたものに見せるのは、すすめられた話ではない」と述べたという。

フランス大使館スポークスウーマンは、コメントするにも当たらない、と述べた後で、「正直言いますとね、われわれは、毎日、戦争、平和、人の生き死にに関わるようなきわめてきわめて重大な問題を扱っています。お芋なんかに、かかわってられないんです」と言ったという。

(そもそも、フランス人がこんなものを好んで食うとは思えないが。フレンチ・フライはベルギー産だともいう。)

もちろん、民間のレストランがこうした動きに出るのも、分からぬでもない。昨日述べたノースカロライナ州ボーフォートのカビーズ(Cubbie's)というレストランは、周りを軍事基地に囲まれている。兵士やそれを取巻く人々は、こうした単純に表現された愛国心を、好むかもしれない。

しかし、政治家が同じように単純では、危険すぎるだろう。

実は、こうした「言語学的解決」は、日本の政治家がよく使って来た手でもある。ある政治的状況や課題や政策を、カタカナを用いて表すのがそれだ。かつては海上防衛網について「シーレーン」という(発音上なまった)言葉を使い、何か新たな新政策を出した気でいた。使い方は、きわめてあいまいであった(為政者にとっては、それが狙いだったろうが)。古くは、「敗戦」を「終戦」といい敗北感をあいまいにした、という説もある。

表面的解決を好む日米の政治家に、類似性あるや?問題は、そんな浅薄な政治家がどのくらいいるかであるが。
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2003年03月11日

やれやれ

アメリカの連邦議会の食堂で、「フレンチトースト」と「フレンチフライ」という名前を、それぞれ「フリーダムトースト」、「フリーダムフライ」に改めるという。
http://www.asahi.com/international/update/0312/005.html

イラクへの攻撃を急ぐブッシュ米政権に対し、フランスが大量破壊兵器の査察継続を訴え拒否権行使も辞さないことに対する、不快感・苛立ちの表れのようだ。しばらく前に、ノースカロライナ州ボーフォートのレストランなど、民間でこうした動きはあったのだが、今回は、連邦議会下院のお偉いさん主導の出来事である。

「フランスが頭に来るから、フレンチフライなんか絶対食べるものか!」とならず、「フレンチフライはやっぱり(たくさん)食べたいので、名前だけ変えてやる」というのが、いかにもアメリカ人っぽい情けなさなのだが、食堂利用者の「まったくあほらしいことだ」という声が、唯一の救いである。

怒りに由来する愛国心は表現したいが、自分の好きなものはあきらめたくない、という軟弱な傾向が見え見えの観がするが。それを「愛国者としての誇り」と言いはる向きさえあるのだから、なんじゃそら、という感じである。

せめて「欲しがりません、勝つまでは」ぐらい、潔いこと言うてみぃ!

実は、こうした「小手先の抵抗」は今に始まったことではない。第一次大戦中、敵国のドイツへの反感から、ドイツ伝来のザワークラウト(塩漬け発酵キャベツ)やフランクフルターを、「リバティー・キャベッジ」「ホット・ドック」と言い換えた過去がある。

これらドイツ食のうち、後者は今にも残っているが、「リバティー」と名づけられた方が生き残らなかったのは、皮肉である。
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2003年03月10日

この国の「保険」

土曜、日曜とあったかい陽気になり、鶯も鳴いたような気がして、さあ春だ、と思いきや、今日は、また氷点下の気温である。どうなっているのか。今日、洗車に行ったら、直後に、車体が文字どおり凍ってしまった。

熱は、あいかわらず、上がったり下がったりである。気がつくとボウッとしていることがある。夕飯で、秋刀魚の缶詰を開けた時、ふたで小指をバックリ切ってしまった。
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この国の「保険」は、もはやグロテスクな怪獣になってしまった。必要悪と見るかどうかは人によるだろうが、この国では保険会社が私営であるためか、自己の営利追求のために、「保険」の本来の意味を失いつつあるように思う。

医療保険会社が、支払いを削るために、患者の病気や怪我に対して、正当でない(つまり簡単に言うと、嘘の)査定をすることも、珍しくないらしい。悪徳商法、そのまんまである。何のための「保険」か。おちおち寝てもいられない、感じである。アメリカのこんな側面は、まさに、へどが出る。

昨日のテレビ『60Minutes』で、医者が医療訴訟で負けると法外な賠償金をとられるようになってきたので、有能な若手が「危険な(=事故が起こりやすい)医療科」に来なくなり始めた、と報じていた。

医者のミスのため、あるいは、医者のミスかもしれないケースで、患者側は肉体的損傷や精神的ダメージを償わせるため、法外な金を要求するようになった。裁判の陪審員は、そうした心理的なドラマに弱いので、多額の賠償金を認めるようになる。(陪審員のそうした情緒的な傾向が、わたしがアメリカの陪審員制度を好ましく思わない理由の一つである。)

医者は、そうした時のために保険に入っているが、こうして賠償金が多額になると、その当然の結果、保険のプレミアムも高騰することになる。それは、この国のほかの保険制度と、同じである。(ちなみに、一般の中小企業では、もはや保険費用が払えなくなっているという。)そして、それを払うために、医者たちは、時間を延長して働かねばならない…。これでは、ますますまじめな医者は苦しむだろう。

政府が、医療ミスのケースの賠償金に上限をつける法案を、もうすぐ通すという。
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2003年03月09日

オープンな論戦

ニューヨークタイムズを読んでいたら、前大統領のジミー・カーター氏の投書が載っていた。ブッシュ大統領の推し進めるイラク戦争に反対する、という趣旨で、そうした戦争がなぜ許されないかを説いていた。

アメリカのメディアの素晴らしいところは、こうして大統領だろうと誰だろうと、自由に論戦に参加することであろう。(そして、たぶんヨーロッパの国でも。かつて、サッチャー前首相が投書しているのを読んだことがある。)新聞というメディアに載せられる以上、それは一般の目に自分の意見をさらすという意味で、オープンな論戦をすることであろう。

日本の首相経験者の何人が、いや、政治家経験者の何人が、新聞に投書などをするだろうか。いや、日本には、「オープンな論戦」自体が存在しないのかも知れない。
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2003年03月08日

満ちた腹と空の脳みそ

のどの腫れは、まだひかない。なんかのアレルギーなのだろうか。

料理がへたくそなので、自分のマズイ料理を毎日だましだまし食べていても、ついにはどうしようもなく厭きが来ることがある。幸か不幸か、日本で養われた舌の味覚はまだ退行してないらしいのだ。それが高じると、大抵は日本食が食べたくなるらしい。

今日は、それで、日本食を二度も食べに行った。あるところに、日本食材を売る店があるビルの中に寿司バーのようなものが隣接しているのだが、昼は、そこに駆け込むやいなや、チラシ寿司を注文した。

夕食は、友人たちと、また日本食屋に入り、山かけ定食を食った。日本食に飢えているらしく、友人たちの3倍速で食べてしまった。

食い気は知的会話への欲求をシャットダウンしてしまうらしい。あるいは、自分の中では、食い気と知的頭脳労働は両立しないらしい。この友人たちは、理科系のすぐれた研究者で、知的会話にはもってこいであったのだが、もっぱら聞き役。目の前の美食に、脳は完全に支配されてしまったらしい。

お二人とも、会話の内容もそうだが、そのシャープな話し方が印象的であった。食い気ばっかで、申し訳ない。

食い物に脳が支配されていても、知的会話を逸した罪悪感はちゃんと沸き起こる。腹満ちて、自分の脳のカラッポさにうんざりしたらしい。食後に、友人たちに自分のアタマの悪さをぐちってしまった。
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2003年03月07日

カルゾーンと売り子

いつも行くパン屋は、カルゾーンが美味い。

今日も昼飯に行くと、いつもカルゾーンを食うことを売り子が知っていて、こちらの顔を見た瞬間に、ニコニコ笑顔をふりまきながら「今日は、ちゃ〜んとあるわよ〜、カルゾーン」と言ってくれる。

しかし、このカルゾーン、日によって値段が違い、2.5ドルと3.5ドルの間を揺れ動くのだ。もちろん種類は、野菜カルゾーンの一種類きりである。今日は、3ドルであった。不思議なパン屋である。

カルゾーンは温めてくれるので、その間スープを飲みながら待つ。しかし、なかなか来ない。スープも飲み終わり、手持ち無沙汰に新聞なぞを読んでいると、先ほどの売り子が、「ごめんなさ〜い、また忘れちゃった〜。許してね〜♪ ハイ、これ、お詫びにクッキーね♪」と巨大なクッキー(アメリカのクッキーは巨大である)を置き、なまめかしく手首の内側を見せながら去っていった。

やけに馴れ馴れしいが、ふん、しょうがねえなあ、許してやっかあ、と思ってカルゾーンにナイフを入れると、こげてカチンカチンであった。クッキーは、超甘。アメリカのクッキーには、超甘い、異常に甘い、極めて甘い、の3種類しかないのである。アメリカ人の味覚障害、恐るべし。

食事を終えてパン屋を出る前に、先ほどの売り子にクッキーのお礼を言うと、「ああ、いいのよ、また来てね〜♪」と、流し目をくれた。

でも、これが男なんだから、困るの、ゴホッ…。
Not that there is anything wrong with that.....
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2003年03月06日

吹雪の夜

体調が思わしくなく、今朝は、午前中、寝ていた。

また、吹雪だ。この気象条件で、今朝は、近くの高速道路で車100台以上を巻き込む追突事故があったという。

夕方には、積雪は20センチから30センチぐらいになった。明日の朝、出勤に差し支えるので、夕方、仕方なく除雪する。

外に出ると、25センチぐらいである。同じ建物の住民が出てこないので、結局、一人で除雪した。ドライブウェーは長さ30メートル近く、幅5メートルはある。気温が低すぎる時の雪は、軽いパサパサ雪になる。除雪は、しやすい。しかし、ゆうに1時間はかかった。

終えてシャベルを立てかけ、空を見上げると、乾いた雪ひらが落ちてくる。暮れなずむ空の奥から、吐き出されるように顔に降りかかった。

疲れた重たい四肢を引きずって、しばらく辺りを歩いてみることにする。あたりは雪の舞う音に消されたように森閑とし、夜になりきらない赤茶けた曇り空に、カラスの群が行き来する。

家の前の道路を突き当りまで行くと、そこに「小さいホワイトハウス」と勝手に名づけている豪勢な邸宅があるのだが、その前の舗道を、どうやらそこの住人らしい中年の女性が一人、一生懸命に除雪していた。この国は、自分の家の前を除雪しないと、そこで滑って怪我した者に裁判に訴えられることもあり得るという物騒な国である。で、雪が降ると、ひとはすかさず除雪を始めるのだが、そんな豪奢な家では使用人を使うのかと思っていた。そんな大きな家の周りの舗道はかなり長いだろうに、大変なことであろう。

音のない通りを行き来しながら、子供の頃の雪合戦を、思い出した。雪玉をつくろうとしたが、雪質が軽すぎて、玉にならない。

体は充分に吹雪を吸い込んでしまい、自宅に帰り着くと、不覚にもそのまま倒れこんでしまった。しかし、なぜか気持ちは、少し充実していた。
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2003年03月05日

見果てぬ夢

どうやら風邪ではないようなのだが、体のだるさはいっこうに抜けない。微熱もある。

夕食にラーメンもどきを作りながらテレビをつけると、PBS局で、「ラマンチャの男」をやっていた。ドン・キホーテを主人公にしたこの芝居、日本では、松本幸四郎がたしか千回以上の舞台を重ねて話題になったが、もともとはブロードウェーもののはずである。映画にもなったが、映画が先だったか。

ブロードウェーは、あまり好きではないが、『ラマンチャの男』は、歌われる曲なども好きである。というより、そのドン・キホーテの話が好きで、昔はよく読んだ。

話はご存知のように、ドン・キホーテの想像の世界にそのほとんどを負っている。所詮は幻想の、現実ではない、彼の「敵」。しかし、その「敵」に対するドン・キホーテの情熱・努力、そして、彼の空想の世界の愛。そのどれもが美しく感じられて、胸を締めつけられたものである。

そんな話の、何に、わたしは感動したのだろうか?映画と芝居では「見果てぬ夢」と謳う。「見果てぬ夢」を追う姿に感動したのだろうか。追う対象が現実のものでなくとも、情熱の純粋さに感動したのだろうか。それとも、情熱が純粋であれば、空想の対象も充分な現実味を帯びる、という情熱の潜在的な「力」のようなものに感動したのだろうか。それとも、わたし自身の「見果てぬ夢」がどこかにあったのだろうか。もう忘れてしまったのか・・・。

気がつくと、不覚にも、目元がぬれていた・・・。
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2003年03月01日

アメリカ人の自慢 (上)

アメリカ人の自慢には、時々鼻持ちがならないものがある。

先日も、ラジオNPR局で、キリスト教の新しい解釈に基づき新たな社会理論について本を書いたという、ある女性に対するインタビューをやっていたのだが、その口調たるや朗々と自信満々。しかも、視聴者の電話質問に対する答えが振るっていた。

視聴者が「神とか聖書の解釈とかを持ち出すと、ある意味で、何でも裏付けられそうで、危険ではありませんか」と、もっともな質問をした。

すると、くだんの著者女史「いえ、私は聖書のカエショクガクゥ(解釈学というところ、発音がちゃんとできない)に基づいて考察しています。それは古代ギリシア語にもあたらなくてはいけない難しい作業なのですが、私は13時間かけて古代ギリシア語を詳しく読み解きましたから、大丈夫なのです!!」

13時間???な、な、なめてとるんかい!!
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アメリカ人の自慢 (下)

さて、ここまでは前置きである。今日、ラジオを聴いていたら、この市にこのたび着任した警視総監だか誰かにインタビューをしていた(この都市は、政治家から警察に至るまで汚職が酷く、最近やっと人事が刷新されたのである。)

着任に至るまでの経歴を訊かれると、自分の学歴から何やらを滔々と自慢。

過去の警視としての経験を訊かれると、どこで何をしたかを朗々と自慢。

着任と同時に雇ったアシスタント的存在の人物が実際何をするのかと訊かれると、その人物がどれだけ優れた人間かの自慢。(結局、手助けを「いろいろする」という答え。)

極めつけは、少々ウンザリしてきたインタビューアーが、以前いた○○市で犯罪率を50%減らしましたね、どのようにしたのですか、と訊いた時。

「それにはモハメド・アリがハーバード大学で謳った世界で一番短い詩で応えたいと思います。アリは、なんちゃらかんちゃらで(アリがどれだけ偉大かの説明)、ハーバードに招かれた時ただ二言いいました。MeWeと。私の仕事は私のためではありません。我々のためです。そのために私は、全力を尽くすのです…。」

こういう誇大に脚色され、演出された発言は、アメリカ人にはお手のものなのだが、それも、自分のしたことを大仰に見せるためなのであろう。しかし、もったいぶって滑稽でさえある。

ったらくだらん引用せんで、事実だけ正確に答えろ、っつーに!!
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