2003年06月30日

オオバカ番組

PBS局(公共放送)で11時からBBCニュースがあるので、早めにTVをつけた。隣の局で、大層な美女が四人、画面に現れた。

四人に向かい、ヤギ髭のヘナヘナ男が何か言う。ヌード撮影するがいいか、と訊いている(な、なんだこの男は?)。二人がすぐ承諾したが、残る二人は迷っている。ヤギ髭が威厳ぶって説得する。

ヤギ髭は迷う二人を控え室に残し、ヌード撮影へ。場所は、なんと仏教寺院の中、お釈迦様の仏像の真ん前。色々に塗りたくられた女の無表情なモノのような肢体が、青白い照明に浮かび上がった。

控え室の二人に再度訊くと、二人とも拒否した。一人は、子供の頃から親から教えられたキリスト教に反するから、と言う。もう一人は、泣きながら、祖母が自分の体は「聖殿」だと言ったと、やはり宗教の教えを持ち出した。

ヤギ髭は偉そうにため息をつき、「オーケー。でも、君たちにはがっかりしたよ」と吐き捨てた。(なんなんだ、この髭野郎は?)

場面変わってNYのオフィスで、各人がキテレツな格好をしたファッション界の「大御所」達に面接を受けている。黒人モデル、ナオミ・キャンベルもいる。話が分った。四人は、試練を乗り越えて唯一人選ばれる「カバーガール」になろうとしているのだ。今はやりの「Reality TV」というやつだ。

全くオオバカマヌケテレビである。

まず、仏教寺院でしかも本尊の前でヌード撮影とは何ごとだ。どんな宗教の寺院でもやると言うのなら、アナーキーな行為として話は分る(かなり悪趣味だが)。しかし、そんな政治的主張をする番組ではなさそうだし、キリスト教会やイスラムのモスクを避けたのは、どうせ視聴者からの批判を恐れたのだろう。仏教は舐められたのだ。だが、仏教は世界四大宗教である。無知蒙昧のマヌケ番組である。

第二は、個人の宗教的信念の尊厳を踏みにじったこと。

NYでの面接の最中、大御所たちが、各人のファッションセンスに蘊蓄をいう。そしてヌード写真の感想。撮影を拒否した二人には、情け容赦ない非難。ファッション業界で肌が見せられないでどうするよ、宗教なんてものを否定できないなんて…。

かつて、ファッション界には独善や無神経がけっこういる、と偏見を持っていたが、その偏見はこの人達については外れていないようだ。個人の宗教的尊厳を頭から否定する権利など、ましてや、彼女達をそんな陳腐な台詞で傷つける権利など誰にもない。オオバカ野郎どもである。
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2003年06月29日

夏風音律 (改稿)

朝、ソフトボールをしに行く。ここの何日かでは珍しいほどスッキリと晴れ上がり、湿度も下がって、久々にすがすがしい試合日和であった。

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アタマの栄養素の何かが欠けている、とずっと感じていたのだが、いろいろ考えてみて、ああ音楽が足りなかったのだ、と気がつく。
「こころに音楽を、くちびるに歌を」、というのは誰の言葉であったか。

車にカセットテープを幾つか抱えて乗り込み、ドライブしながらカセットをかける。まずは、プッチーニの『ラ・ボエーム』である。

このオペラは、最初に聞いて感動のあまり、手の置くところ足の踏むところを知らず、その後、何百回と聞き返している。

感動は、今でも変わらない。話は単純だが、実に透き通って豊かなメロディーと声に溢れている。
最初の幕の、主人公のお針子ミミと詩人ロドルフォとの出会いのアリア(「冷たい手を」「私の名前はミミ」「おお、うるわしい乙女よ」)は美しく、最終幕にミミが死に絶えるときの二重唱(「みな出かけてしまったの?…どうしたんだ?」)は、もちろん深く重くこころに残るほど感動的である。

しかし、一番好きなのは、第三幕の初めで、雪の静かに降る夕べ、オルレアン街道にあるダンフェール門の外で、ミミとロドルフォ、ムゼッタと画家のマルチェッロの二組のカップルが、二つのアリアを同時進行させる場面だ(「さようなら、あなたの愛の呼ぶ声に」「楽しい朝の目覚めも、さようなら」)。悲しみと喜び、愛といらだち、嫉妬、希望と絶望感、渇望とあきらめ、過去と末来への思い、別離の決意と執着、明と闇・・・、こういったもろもろの感情と心の動きが、4つの声を交錯させながら描かれていく。美しいメロディーに包まれて、声による感情のオーケストレーションに高まっていく。
その美しさと静かさは、涙さえさそう。

あらすじと、主なアリアは、こちら。実際にアリアが聞けます(会社では要注意)。
http://opeope.qp.tc/sub.asp?MNo=12

このオペラを書いたとき、プッチーニはまだ比較的若かった。だから、後期の「トゥーランドット」のような成熟さはない。
だが、若くて純粋で生き生きした愛情のエネルギーが溢れている。

プッチーニの純粋な思いが、車外の爽やかな夏の風の中に、無限に広がっていくように感じられた。
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2003年06月28日

Israel

ここのところ連日の夏日である。あまりに暑いのでカフェに逃げ込み、冷たいものを飲みながら、ボウッとしていた。

急に涼しくなったので、思わず、くさめをした。
と、目の前に座ってコンピューターで書き物をしていた娘が、誰かがくしゃみをした時にアメリカでよく言う「神のご加護を」と言った。
ありがとう、と応える(くさめの後、「神のご加護を」と言われると、そう応えることになっている)。コンピューターのカバーにヘブライ語で何とか書いてある。それはなんですか、と訊くと、「皆に平和を、という意味です」と言った。

ユダヤ人には見えない顔つき。瞼の上にピアスをし、舌の真ん中にもピアスの玉らしきものがある。(ヒエェ〜、なんか、パンクみたいですが・・・)。

「ヘブライ語なのですか」と訊くと、そうだと答えた。イスラエル出身で、こちらで働いていると言う。何とはなしに、話は中東のことになった。

やはり、メディアでは事実は分らないのだな、と思わせられる内容であった。中東は、あいかわらずの泥沼状態。しかし、「今回の『3ヶ月の停戦合意』は、歴史上、これまでになかったことです」と、少しだけ嬉しそうに言った。

いろいろ勉強になった。向こうも、こちらが中東事情やイスラエルの新聞やアメリカの報道の偏向などについて、ある程度知っているのが、嬉しいようであった。

イスラエルの税金は、なんと60%なのだそうだ。
「イスラエル人は、平和を得る前には戦わなくてはならない、と信じています」とも言った。
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2003年06月27日

今日の misunderstanding

日本のサイトを見ていたら、雑誌の話が載っていた。

「へ〜え〜、最近は、日本の女性は、国際政治に興味持つようになったんだ」と、なんと国連関係の名前が表紙に載っている女性雑誌をみつめた。

ANAN、 と書いてあった。


↓↓↓↓ にしても、ずいぶんアオイこと、書いてますねえ。 m( 。 。;m
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2003年06月26日

ER (日本の方、ネタばれ、平にご容赦)

こちらの人気テレビドラマに『ER』というのがある。ERとは、Emergency Room (救急治療室)の略で、シカゴの病院のER室に働く医師たちを中心に、ストーリーは展開する。最初に放映されて以来、大変な人気である。

その第9シーズン目が、先月、終わった。
これは次のシーズンの第一作が見逃せない、と思わせる結末であった。

さて、昨日、地元のラジオを聴いていたら、この『ER』のことを話していた。
曰く「最後は、とんでもない展開で、話についていけない。」
「そもそも、登場人物のキャラに一貫性がなく、あいまい。良いやつだったり、悪いやつだったりするのはどうしたわけか?」
「どの登場人物も暗い。」
そんな内容のことを、もっと粗野な言い方で表現して、いや、吼えていた。

実は、最近の『ER』について、こんな風にアメリカ人が言うのをよく読む。
わかっていねえなぁ!と思う。いいかい、この番組は、単純な「善と悪」「正しさと不正」「白と黒」の二分律を、もう超えているのだよ。というか、そんな単純な図式じゃあ人間は分からない、というのが通奏低音なのだ。

たしかに、最初はそんな二分律の感じだったし、それが人々の(単純な)感動を誘った。今にも死にそうな女や赤ん坊、身を粉にして働く医者、最後の最後に救われる命・・・。手術台の上のリアリズムに、メロドラマチックな展開と患者への「愛」、また医者同士の「愛と憎悪」を混ぜ合わせ、ひときわ迫力ある「現実社会」を見せてくれた。

しかし、シーズンを重ねるにつれて、登場人物は、もっともっと複雑に、傷つき易く、重い過去に付き纏われるため何かを単純に喜べないような人間に描かれていく。

たとえば、もと主任だったケリーは、病院経営の実利的な(そして自分に有利な)判断を優先するため孤立化していき、その刺々しいふるまいを、あたかも補うかのように、自分の内部に「同性愛的資質」を発見していく。

われわれは、生きていればどうしようもない問題、苦悩、葛藤に出会う。それは、大抵の場合、われわれの手に余る。その点で、われわれは脆く弱い。個人を作り導いていくのは、その脆さ、あるいは、その脆さを何とかしようとする努力だと思う。よくアメリカ人が好んで口にする「自尊心」や「自負心」や「自尊心」ではなく(それはあくまで二次的なものに過ぎない)。

その揺れ動く軌跡は「複雑」に、真剣な表情は「暗く」見えざるをえないのだ。
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2003年06月25日

リス物語

 家の前に、巨大な松の木がある。そこに、リスが住んでいる。巨木とリスの組み合わせがいい。

 オスとメスが二匹いて、連れ合いらしい。オスは、明らかに、メスに頭が上がらないらしく、このリスの世界は女性上位のようだ。オスをチャッピー、メスをチョッピーと名づけた。わがホームページのトップに、写真を載せたリスたちである。

 毎朝、窓辺に来て、部屋を黒い眼でのぞくので、ヒマワリの種などをやる。二匹で鬼ごっこしたりして、幸せに暮らしましたとさ・・・。

 と言いたいところだが、最近、第三のリスが現れた。どこかからの流れ者のようで、突然現れたのである。さすらい者らしく、もの怖じせず、人間のこちらをあまり恐れない。好奇心がひじょうに強いらしく、木から渡ってこれる窓辺に立って、ガラス窓を通して、そのクリクリした眼でこっちの部屋の中をマジマジと眺めていたりする。その眼とこちらの眼が会うこともある。大きな水晶のような眼だ。

 こいつを、イジローと名づけた。なんとなくそんな名前がよくにあう。

 イジロー、チャッピーとチョッピーのカップルとうまくやっていけるだろうか。

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 ニューヨークの現代美術館で、オレの大好きな画家、マックス・ベックマンの展覧会をやってます(現代美術館は、いま、クイーンズに移動しています)。う〜〜、行きたいねえ。

 詳しくは
http://www.nytimes.com/2003/06/27/arts/design/27KIMM.html
もし見れない場合は、
http://www.nytimes.com/
から、入ってください。

 ボストンはハーバード大学の美術館(フロッグ美術館)に、少数ですが良いものがおいてあります
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2003年06月24日

この国の公立教育

家の近くに公立のH高校がある。夕方、散歩がてらそのグラウンドに行くと、野球の試合をやっていた。青チームとレッドワインチームの戦いだが、青チームは背番号なしのシャツを着ている。観戦していた人に、どちらがH高校かと訊くと、青の方だと言った。

この公立高校は、市の政策から取り残されたように古びている。実は、それはこのH高校だけに限ったことではない。この国の公立高校は、実に悲惨な状態。教育の質は悪いことで有名だ。

文章の書き方さえ知らない。文法的に正しい英語が書けないのだ。there と their、It's と Itsの区別もつけられない大学生の文章を見たことが何度もある。(最後の区別は、大人でも解らないことがあるようだ。ウェッブで始終見かける。)
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こんな統計がある。

アメリカには、小学生レベル以上の読み書きができない人(機能的文盲者という)が、4400万人もいる。

保守派は、教育の質が悪いことを、たいていは、教育員組合のせいにする。

アメリカの教育に割かれる財源は、財源リストの下のほうの労働安全衛生局と食肉検査の間。

教師の平均年収、4万1351ドル。

学校の外で勉強しようとしても、図書館は財政難のため、どんどん閉鎖されている(今年になってますますそれが加速したことは、いぜんの雑記にも書いた)。

公立学校は、生き延びるために、大企業の後援を受ける。そのためには、その会社のものを校内で使用・消費することが義務付けられる(たとえば、ペプシの自動販売機を置く)。

そのために、多くの公立学校で、経営学のコースは、ジェネラル・モータースがテキストとコースの概要を提供する。

ザップミー・コーポレーションは、学校にコンピューターを寄付する代わりに、自社のサイト(その会社の広告だらけである)にアクセスするように義務づけている。

まったくもって、この国の公立学校は企業漬けの状態である。

以上の統計は、マイケル・ムーア著『Stupid White Men』(邦題『アホでマヌケなアメリカ白人』)に書かれていたことである。実に刺激的な本である。今週は、この本に何度か言及するつもりだ。

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今日の表現
leave it at that = 事をそのくらいにしておく、その辺で切り上げる
    Let's leave it at that. (議論などで)そのへんで(そいうことに)しておこう。
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2003年06月23日

妄語

最近、妄語のヒット数が増えた。こまめに書いてるせいでもあるが、かつてのイラク戦争のことを書いた「静かなアメリカ人」が、静かな人気を呼んでいるらしい(←持ち上げすぎ)。

(酔眼)妄語は、こちらから。http://members.tripod.co.jp/mougo/

このエッセーには、お褒めのメールのいただいた。メールや掲示板に書き込みをいただけるのは、どんなことでも、心から嬉しいものである。今までいただいた方、ありがとうございました。

これからもがんばりますので、宜しくお願いします。近日中に、これまで雑記に書いて来たイラク戦争関係をまとめたいと思います。

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あの渋い脇役俳優、名古屋章さんが亡くなった。享年72歳。彼の落ち着いた、しかし、暖かな存在感のある演技が好きだった。ご冥福をお祈りいたします。

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今日の表現
bite the bullet = いやなこと・状況でも何とかやってみる
   (もじって)Life is too short to spend every day chewing on bullets.
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2003年06月22日

M○Donald's

友人たちと、日曜の朝のいつものお決まりの遊びの後、近くのマ○ドナルドに行った。

自分が注文する段になって、カウンターの女店員に「○○と××の違いは、なんですか?」と訊くと、
「はあ????」と訊き返された。
何度やってもラチがあかない。
どうやら、南方からいらした移民の方らしいのだ。
陽光の燦々と照る、暖かい南方から来て、こんな氷雨の降る日に、
どこの馬の骨とも分らないヘンな顔つきのアジア人のおっさんに、
たかがファーストフードショップで、
マニュアルで教えられた単語と文章以外の、妙な質問をされて、
たいそう悲しい思いをさせてしまった。すまん事です。シラナカッタのです。

とはいえ、その場をしのげるだけだが、いちおう現金をわし掴みにした
一人の消費者として、
ここは引き下がるわけにはいくまい。
というか、引っ込みがつかなくなったのである。「ああ、どうでもいいです」、などと言って彼女を傷つけるのもためらわれるし。
そしたら、今夜、家に帰って、夫のホセ(仮名)に泣きついて、
逆上したホセが「そのアジア人の野郎、ゆるせねえ、今度みかけたら、タダじゃあおかねえ」などと言い出したら、
これまで良好だった、日-メキシコ関係が危機におちいるかもしれぬ。
そんな「国際紛争」、いまの小泉さんの手に負えるわけがない。

ともあれ、オレはランチを食いたいのだ。
と、その傍らの女の子に同じ質問をするという、溺れる者は藁をもつかむの行動に出た。
ところが、
彼女は中国人らしく、こちらも意味が通じない。さすがアジア人だけあって、もっと申し訳なさそうにしてるが。

いくら人手が足りないと言ったって、
コミュニケーションにやや問題がありそうな人をカウンターに立たせるのも、どうかと思うぞ、マッ○。
他に人がいないわけでもあるまい。ど田舎ならまだしも、そこは、大都会の真ん中だぞ。
どうせ、最低賃金以下で働かせているんだろ、労働ビザがない、などとかこつけて・・・。(←完全に言いがかり)
都会でもそんな前近代的な経営をしていると、
ファーストフードの競争が激しくなれば、人々が豊かな地域ではなおさら、
誰もマッ○なんぞに、行かなくなるぞ。
覚えていろよ、マッ○のCEO!

しかし、言葉が通じないと、最初に自らの英語を疑ってしまう自分が悲しい。
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2003年06月21日

Medicare

ときは、新世紀の三年、夏も初めの満月の夜(バンバン)
場所は、世界の先進国、亜米利加(バンバン)
病む者たちの辛くおもーい悲しみを(バンバン)
涙ながらに語った、大物語(ババンバン)

アメリカの、薬事情について書いてます。「酔眼妄語」をご覧いただければ有り難いです。
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2003年06月20日

Hamburger

お手製のハンバーグを作った。使うものは、当然、ひき肉だ。
本当は肉団子が好きなのだが、そんな手のかかるものを作るほど、料理の腕はない。
ご飯を炊きながら、取り掛かる。

まともな料理をする時は、多めに何日か分を作ることが多い。

で、ひき肉は「徳用パック」というの買ってきた。
アメリカの「徳用」を舐めてはいけない。巨大である。しかも、パックを開けてみると、見てくれ以上の量である。
大きなボウルの上まで、溢れんばかりである。
「何日か分だから、まあ、ええさ。」

ひき肉に、玉葱と椎茸を刻んで入れ、幾種類かのハーブ、塩コショウをして、赤ワインまで入れた。
手で揉んで混ぜ合わせるが、巨大なパックなので、たいへんな量である。
汗だくになって、揉む揉む揉む揉む揉む揉む揉む揉む揉む揉むもむもむもむもむもむもむもむ・・・むーもういい、
というとろこで、適当なかたまりをとって手で丸め、平たくしてハンバーグにする。

格闘すること、2時間。やっとできた。

しかし、食卓に並んだのは、ご飯とデカイ皿の真ん中に盛られたハンバーグ二個だけ。2時間やってこれだけでは、疲労感いっぱいで食欲なし。
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2003年06月19日

Matrix

前回はハリウッドの倫理観をいう話をしたので、今日もそれと似たような話を。

この映画、フランス人のジャン・ボードリアールという哲学者が書いた『シミュラークルとシミュレーション』という本を基にしているんだそうだ。しかし、この映画ができた後、誰かがボードリアールに、この映画をどう思うか訊いたところ、「自著との繋がりは全くない、困惑している」と答えたそうだ。

原作とその映画化が大いに異なることはあるし、それはいいのだが、この映画、原作以上にユダヤ=キリスト教の匂いがプンプンする。

たとえば、主人公の名前は「ネオ Neo」というが、その文字を並べ替えると「ワン One」つまり「一つのもの」、キリスト教では「選ばれし者」「救世主」という含み。敵の名前は「トーマス・アンダーソン」で、トーマスは聖書の中でキリストの復活を疑っている。「ザイオン」という土地の名前は、もちろん、聖書に出てくる地名でエルサレムにある丘。天国という意味もある。映画では「ザイオン」「救世主」「復活」「トリニティ(三位一体)」などの、ユダヤ教やキリスト教を連想させる言葉が使われ、つまり、誰でも解ける判りやす〜い謎解きが隠されている。

前作の『Matrix』は、世界中で人気を博したという噂だが、こんなユダヤ、キリスト教の匂いが濃すぎるもの、焼き直しのようなもの、「世界中」といっても行けるところには限界があるだろう、と思っていた。

そしたら、「マトリックス、エジプトで上映禁止」という記事を見つけた。
http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/f-et-tp0-030611-0017.html
http://www.kyoto-np.co.jp/news/flash/2003jun/11/CN2003061101000122G2Z10.html
前者によると、エジプトの映画検閲に関する委員会は今月の10日までに、最近出た米映画「マトリックス リローデッド」の上映禁止を決めたという。理由は、過度に暴力的である点や宗教上の問題。同委員会の委員長は「委員会は特定のシーンに反対しているのではなく、映画全体が問題なのだ」と述べた。

マトリックス第1作はエジプトで上映されたそうだが、その直後、一部のイスラム系新聞が、この映画はシオニズム(ユダヤ人の民族運動)に傾いている、と批判し上映禁止を求めるキャンペーンを展開した。

まあ、「儲かればいい」主義のハリウッドが、そんな他の民族のことまで考えるわけもないが。
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「シュミレーション」(↓↓↓下の註)

写真を撮ると、写真の元になるものと写真の二つができる。いわば、「元のもの」とその「コピー」(似姿、像)。しかし、現代の消費社会社会では、「元のもの」を差し置いて「コピー」ばかりが先立って蔓延している、とボードリアールは言う。

この場合、これらの言葉は広い意味で使われていて、たとえば、ある国とその地図も「元のもの」と「コピー」の関係だ。(ボードリヤールは『シミュラークルとシミュレーション』の冒頭で、小説家ホルヘ・ルイス・ボルヘスの描いた帝国の地図を引きながら、シミュラークルが本物に先行すること、すなわち、「地図こそ領土に先行する‥‥地図そのものが領土を生み出す」と述べている。)

そういうコピーばかりが流行る社会、つまり、なにかの「コピー」ばかりがシステム化した現代社会を、ボードリアールは、「シュミレーション」というわれわれの行為を指す概念で解説しようとしたのだ。
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2003年06月17日

Hollywood Almighty

ある間違い電話のせいで、私はダミ声のいやな「ばあさん」を囲っているだか、彼女に囲われているだかという噂が立っているそうである。詮無いことだが、それも、まあ、いいだろう。

それはともあれ、ある電話番号について書いてみたい。最近、『Bruce Almighty』というジム・ケリーが主演の映画が公開されているが、そのなかで、神様がケリー扮する男の携帯に電話をかける場面がある。なかなか繋がらず、神様は何度も電話をかける。その度に、スクリーンには、「神様の電話番号」が映し出される。

実はこの電話番号、ドラマや映画などで普通使われる、「555-XXXX」ではなく、もっと一般的な3桁の番号で始まっている。昔から「555」が使われるのは、そうした番号は誰も使用しておらず、完全に虚構の番号であるから、いたずらにかけても誰も迷惑を被ることはない、という理由による。携帯電話の広告の写真に、「555-XXXX」などと写っているのはそのためだ。

しかし、この映画の場合、「神様の番号」は「555」で始まらず実際に在りうる番号である。これまた自然のことながら、面白半分にその番号にかけるばか者がいて、その「いたずら」の犠牲者になるものが出てきた。

マサチューセッツのボストン地域の場合、それはある歯医者であり、その映画公開以降、毎日のように受付の電話が鳴りっ放しだそうである。

映画はアメリカ中で公開中であるから、被害者は事業者や一般家庭を含めて、膨大な数に登るはずだ。こんな無責任きわまることを、ハリウッドはなぜしたのだろうか?そのプロデューサーによると、「555」で始まる番号は現実味に欠けるし、映画で使われた「29X」番は、映画での話が起こっている町(ニューヨーク州バッファロー市)では使われていないことが確認されたから、だそうである。

まともなアタマの持ち主なら、こんなことは理由もならないことはすぐ分かる。結局、突きつめると、ハリウッドの無配慮、無責任さに帰着するのではないかと思う。ハリウッドは無神経な独善だ、といわれても仕方あるまい。その不遜な態度、名づけて、Hollywood Almighty。

より詳しくは、「酔眼妄語」の方に書きました。そちらを読んでいただければ、嬉しいです。
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2003年06月16日

Cell Phone

前にも書いたように、車の運転中の携帯電話(特に長話)は、危険この上ないと断言する。
仮に事故を起さなくても、周りのものは大変な迷惑をこうむっているのである。

マサチューセッツ州が、ついに、運転中の携帯電話を禁止する法案を、通そうとしている。ニュージャージー州とニューヨーク州では、すでに禁止されている。

しかし、その法案に反対する議員が出てきた。
おそらく携帯電話業界から、たんまり金を貰っているのだろう。テレビのニュースでは、声を張り上げて反対していた。

曰く、「事故を起すのは、携帯電話ではない。会話である!」

はぁ? 詭弁もここまで来ると、あいた口が・・・である。
「私の発言で人々のこころを傷つけたが、それを行なったのは、私ではない。私の口から出た言葉である。」
「今日、たまたま酔って車を運転していて人を引いてしまったが、それは私の血管中に入ったアルコールの仕業である。」
そういうのと、ほとんど同じであろう。

一人で運転していたら、これほど会話に没頭するであろうか。仮に、誰かが同乗していて会話をしていたとしても、運転する者と同乗者の双方が道路を見ていない確率は、一人で携帯電話をしていて道路から眼を離す確率よりも、はるかに低い。

そんな理性的な発想以前に、アメリカ人は、こういう詭弁を臆面もなく言う傾向があるのだ。
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2003年06月13日

Pierre

アメリカの作家、ハーマン・メルヴィルの問題作『Pierre; or, The Ambiguities』に基づいて作られた、フランス映画『Pola X』を観た。

この小説は、そのテーマ(反道徳性、倫理相対性)ゆえに、発表後、散々な非難を浴び、そのためメルヴィルが精神的にマイってしまう原因ともなった作品だ。確かにテーマはそうなのだが、その文章を読むと、メルヴィルというのは、実に簡潔でしまった、心にびんびん響く文を書くのだなと思わせられる。

映画は、近未来を舞台にカルト風に仕立てられていた。なんとかディパルデュというのが主人公なのだが、これはあのジェラルド・ディパルデュの息子かね。

それにしても、フランス人というのは、(平均的)アメリカ人とまったく違った雰囲気がするな。というより、アメリカ人のような態度・雰囲気の国民は、そういないのではないか。

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今日の表現
go for the (a) record = (新)記録に挑戦する、最高記録をねらう
  You're going to have another drink?
  Yeah, I am going for the record!
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2003年06月12日

Gregory Peck

ラジオで、アメリカ人ハンサム俳優のグレゴリー・ペックが亡くなった、と報じていた。確か、1916年生まれだから、享年87歳である。誕生日は、4月5日、カリフォルニア州、ラ・ホヤの生まれだ。

数々のヒッチコック作品に出演し、「白鯨(モビー・ディック)」でも主演した。どちらかというと、良心派、正義の味方、高潔な紳士などを演じることが多かった。あまり癖もなく、好感が持てる役者であった。

多くの美人俳優とも共演し、そのリストは、ソフィア・ローレン、イングリッド・バーグマン、オードリー・ヘップバーン・・・と続く。

オードリー・ヘップバーンとの共演はいいが、イングリッド・バーグマンとは、許せん・・・。

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今日のニューヨークタイムズ紙に、あの伝説のヤンキース選手、ヨギ・ベラ氏の粋なエッセーが載っている。

題して、「デビルズの誇り」。先日、ナショナル・アイスホッケー・リーグで優勝し、スタンレーカップを勝ち取ったニュージャージー・デビルズを称える文章だ。

ニュージャージー・デビルズは、20年ほど前は、弱くて小さな「お荷物」チーム(rinky-dink team)であった。それが、ここ何年かで、スタンレーカップを三度獲得するチームになっている。ヨギ・ベラは、デビルズがニュージャージーに移ってきた、その20年以上前からのファンだそうである。

こんな強いチームになっても、そのホームアリーナは安っぽく、優勝しても、ニュージャージーにはNYの5番街のような優勝パレードを行なえるような華々しい通りはない。「デビルズは、どこでパレードをするんだ」とからかわれることが多いそうである。

ヨギ・ベラは、言う。「ニューワーク(外れの小さな町)から始めて、ファンがたくさん住んでいるブルームフィールド通りを歩くといい。NYのブロードウェーではないが、心から感謝してくれるファンがいるのだから。・・・The Devils are pretty darn good and that's not too bad.」

ちなみに、何度も優勝したヤンキースの「スキッパー」と呼ばれたヨギ・ベラ、一度も優勝パレードをしたことはないそうである。

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今日の表現
beat the rap = 罰を逃れる、無罪になる
   I hope Martha beats the rap because I don't like the idea of a
   prosecutor twisting the law to make an example out of a celebrity. (NY Times)
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2003年06月11日

Current Middle East

イラクでは、アメリカ軍は、いまだに“大量破壊兵器”を見つけることができないでいる。それがあることが、このイラク戦争のためのアメリカ政府の「必要充分な理由」であったはずだ。

新聞ニューヨークタイムズの投書欄には、

「サダムは、武器製造能力はあるが、すぐに使える武器は持ってなかったらしい。それでは、この戦争を、どう正当化するのか?」 とか

「こうして、そのしっかりした根拠がないのに戦争に入るとは、アメリカの信用を傷つけるばかりでなく、このブッシュ政権の無謀さと残虐的な傾向を示すものだ」

というような意見を載せる国民が出てきた(昨日版)。しかし、これらは、この戦争の》はるか以前《に、他の国民が考え心配していたことである。いまさら、なにを・・・、という感じだ。

同じ日の紙面で、ポール・クルグマン氏はそのOp-Ed に「誰の責任か」というコラムを載せ 、「問題は、アメリカがこの戦争に突入した責任を、誰も取らないということだ」と書いた。しかし、ブッシュ政権の強引な論理を、「テロがあったから」という情緒的な理由だけで支持したのは、アメリカ国民ではないか。その政策を、批判せず黙認するという形で支持したのは、自分達アメリカメディアではないか。

この国民は、過去のことを反省するのが、つくづくへたらしい。

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ブッシュ政権は、いまだに、バカの一つ覚えのように、外交政策の要に「テロ撲滅」を揚げている。

以前、ブッシュ政権が声高に掲げる「テロ撲滅」のスローガンは、イスラエルのシャロン政権に、パレスチナを攻撃する口実を与えるだろう、と書いた。
http://members.tripod.co.jp/mougo/column4.html#ME

残念ながら、それが起こってしまった。シャロンは、和平工作が軌道に乗り始めたかと思われたのに、ミサイルでハマス幹部の殺人を図った。その理由は、「テロリストの撲滅」「正当な対テロ戦」である。
http://www.asahi.com/international/update/0611/012.html

ブッシュは、自分の政策の浅さに今頃気づいたろうか。あるいは、まだ気づかないのだろうか。

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今日の表現
What the heck is that? = なんやねん、そりゃあ。
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2003年06月10日

Driving

傾向としての話しなんだが、この辺りの人たち(つまり、ほとんどがアメリカで免許を取ったアメリカ人)の運転マナーが気に入らない。

口汚く書いてしまうのを、お許し願いたい・・・・・。特にハイウェーは、あまりに無法地帯化し、最近は、かつては笑い飛ばして見向きもしなかった瞑想や環境音楽のテープが、いざと言うときのために車内に座っている。

1.ウィンカーを上げず曲がる人
2.ウィンカーを上げず突然車線を変更する人
3.ハイウェーの追い越し車線をチンタラと65マイル(ハイウェーの規則そのものは上限65マイルだが、人々は実質最低65マイルで走る)で走る人
4.後ろが使えているのを無視して、平然とハイウェーのど真ん中をトロトロ走る人
5.トロトロぶりに、怒りを抑えて追い越しがてら覗いてみると、夢中で携帯で話中
6.追い越し車線が開いているのに、後ろにぴったりとつけてくる人

これらの、1から5までが同じ人だったり、2と6が同じ人だったりすると、怒りは倍増する。
「なにやってやがるんだ、このバカ&%$#・・・ピーーーー(以下自粛)」

そして、一番困るのは、
7.ほとんどが車間距離を充分とらないこと

時速70マイル以上で走っているのに、車間距離が5メートルから10メートルくらいで走るものが多い。(怖くないのか?)だから、交通量が多いときは、すぐバンパー・トゥ・バンパーの事故を起こしてしまう。金曜の夕方や行楽時は、そんな事故が多くて、渋滞はさらに悪化する。
「ちったあ、考えんかい、このアホンダ%@&#・・・ピーーー(以下自粛)」
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2003年06月09日

Martha Stewart

マーサ・ステュワートのうわさのテレビ番組を観たが、料理あり、家庭インテリア情報あり、庭の花の植え方ありの、家庭に生きるためのガイド完全版のような番組であった。しかし、番組中彼女のやっていたことは、かなりなものである。

フライパンに、すごい量のバターを入れるのだが ―― アメリカだから、まあそれは大目に見よう ――、そのすぐ直後に調理するものを入れている。(おい、いいのか?バターがまだ溶けてないんですが…)

長ねぎを細かく切るのだが、やはり、左手の指の位置が危ないことこの上ない。ついには、なんと包丁で叩いてみじん切り。切り(叩き)終らないうちに次のショット…。(おやおや、アシスタントの人、大変ですねえ…)

どうも、本当に家事をやってるとは思えない・・・。

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以前、こんな風に書いたことがある。

自分には、彼女のすることが、ひたすら嘘臭く見える。が、しかし、彼女の「ホームメークの帝国」の功績はあると思う。それは、いわば、ホームメークを完全にフォーマット化し、つまり、誰でも、示された材料を使い言われた手順に従って真似すれば、ある程度似たようなものが作れるようにした(あるいは、そう思わせるのに成功した)ことではなかろうか。料理番組とはそもそもそういうものだが、その方法を他の家事にまで押し広げたところにあると言えようか。

アメリカ人のツボに嵌ったのだろう、おかげで「マーサ」は、今や億万長者である。

最近、彼女は、株のインサイダー取引に絡んで訴えられた。そのせいか、テレビ局で彼女の特番を組むことが多い。昨日のテレビCBS局の『60Minutes』中で、彼女は言った。「皆、私に、なんでも作って、空気や水まで作ってぇ、なんて言いますのよ。…こうして家事が、自分でできるようになると、自身(self-confidence)も出て自分を高めることができますしね。…私は、労働倫理(至上主義)など信じませんわ。私自身が、労働倫理なんです(I don't believe in Work Ethic. I AM Work Ethic.)。」

けっ、イヤなおばさんだ!
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2003年06月07日

BBQ

今日は、ボストンの郊外はレキシントンというところにお住まいのO様に、バーベキュー(BBQ)にお招きいただいた。

この時期の戸外でのバーベキューは、アメリカの文化とさえ言えるような、人気のある一つの年中行事である。

しかし、今日は、あいにくと天気予報が外れて、雨である。しかも、行きは大変な交通渋滞(しかし、アメリカ人は、なぜこれほど週末に外出するのが好きなのだろう。まあ、自分もそうなのだが…)。それをなんとかしのいで、木立に囲まれた、落ちついた御殿のようなお宅に到着してみると、今日は屋内でするとのこと。

前菜の後、美味この上ないお肉や蟹に舌鼓を打ったが、同時になんと、高級なワインをたくさんいただいた。「何本」と言わず、「たくさん」というのは、盃に注がれたワインは美味すぎて、出るものは拒まず、いや、拒むことができず、次から次へといただくうちに、自分の自覚や理性なるものが、はなはだ怪しくなってきたからである。

自分は、一つのグラスだけでなく、同時に何種類かを飲み比べ、ヘベレケになり、木に登った(らしい)。

次から次へと出して頂いた、美味かつ、もう何年も口にしたことのない肴をあっと言う間に平らげ、さらにもの欲しそうな顔をしたテータラクだった(らしい)。

その場の品のある方たちの、たとえば「魯山人」や「北(青森・北海道)の気質」などの高尚な会話について行けず、また、ひたすらワインをあおった(らしい)。

まったくもって、罰当たりなことである。(O様、申し訳ございませんでした。平に謝ります。)

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その夜、帰宅後、ベットに入ると、眼を閉じたその脳裏の中に、その夕のBBQでの会話が飛び交った。その数々の言葉は、横たえた脳裏から、暗がりの空間に軽やかに広がり、にじ色の蛍のように、心地よく交差した。

こうした心地よさは、稀である。それは、単に会話をすれば良いというものではないし、単におしゃべりな人と話をした後には起こらない。むしろ、聞き上手で、話題を提供するのがうまく、相手の心を思いやりながら話のできる方たちと会話をした後などに、起こる。

そのお宅を囲っていた周りの木々のように、でしゃばらずしっかりとし、その夕の雨のように、優しくしっとりとした、心のこもった会であったのだ。
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2003年06月06日

サミー・ソーサの疑惑

今週の火曜日、大リーグ、シカゴカブスのサミー・ソーサ選手が、試合中にコルク入りのバットを使用していたことが発覚しました。

そのことについて、「酔眼妄語」にコラムを書きました。宜しければ、のぞいてみて下さい。「酔眼妄語」へは、下の「Home」からトップページへ行き、「酔眼妄語」をクリックしてください。
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2003年06月05日

Scandal Days After

数日前に書いた、ニューヨークタイムズ紙のスキャンダル、問題の二人(ハウエル・レインズ編集主幹とジェラルド・ボイド編集局長)が辞任しました。

http://www.asahi.com/international/update/0606/001.html

ジェラルド・ボイド編集局長はブレアの直属の上司で、おなじアフリカ系米国人ということもあってか、ブレアが慕っていました。
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2003年06月04日

For Relaxation

以下のは、あるところからのパクリですが、出典を忘れてしまいました。すみません。どこでもすぐできて、ストレスがたまった時などに良いです。

(1) ひたいのツボ、本神(ほんしん)と臨泣(りんきゅう)を押す。

 「本神」は、髪の生え際線上で眉尻から3分の1ほど内側。だいたい、眉の内側の端っこの上です。「臨泣」は、生え際から1センチ内側、正面を向いた時の瞳の上方。押してみると効果があるように感じる場所なので、すぐ分かるはずです。

 ストレスがたまっていることが自覚されたり、イライラする時に有効です。ボールペンの尻を使って押すと力を入れやすいです。各20回ずつ。頭痛やめまいにも効果があります。不思議とよく効きます。

(2) 薬指の爪甲根部(爪の生え際)を、もう一方の指でつまんで刺激する。

 薬指は副交感神経の支配の指なので、そこの爪甲根部を刺激する事で、副交感神経を優位にします。すると、緊張で優位だった“戦闘用”の交感神経がリラックスモードになり、緊張が解れる、という訳です。

 他の指は交感神経支配が優位ですが、薬指だけは副交感神経支配が優位なのだそうです。だからよくイライラする方にも効きます。

 ちなみに、手の親指全体を刺激すると、頭が重い、すっきりしない時などに効果があるといいます。手足の親指には、「反射区」といって、頭に刺激が伝わるポイントがあります。
 ですから、すっきりしないなど、やる気が起きない時に爪を立てるようにして、親指の腹をグイッと押すとかなり痛いですが、気分は晴れるそうです。ボールペンのキャップも効果的。親指の指先を、摘まむようにして押します。さらに、そのまま付け根をグルグルと回します。神経が過敏になっているときにも、有効だそうです。足の指でやっても、同じ効果が得られるといいます。

こんなの、「雑記」の雰囲気に合わないって? いえいえ、このサイトの基本ラインは、癒し系ですから・・・。
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2003年06月03日

Promise

アメリカの公共テレビ、PBS局に『P.O.V.』という番組がある。

P.O.V. とは、Point Of View (視点)の略語で、番組は、どちらかというと社会で無視されがちな「視点」を取り上げる。マイノリティー問題や、社会で無視されがちな階層を扱うことが多い。半年ほど前に、ブッシュ大統領のお膝元、Texas州で働くメキシコ人の実態を扱うこの番組を見て以来、気に入っている。

さて、今日はその「P.O.V.」でドキュメンタリー映画『約束 Promise』をやっていた。これは、たしか去年一部で上映され大きな感動を引き起こした映画だ。イスラエルに住むユダヤ人の子どもが、パレスチナのアラブ人の子どもたちと出会い、話し理解し合うまでとその後を描いている。ボストンユダヤ人映画祭の一環。

まず、お互い嫌い憎むユダヤ人とアラブ人の子どもたちが実写される。親達から受け継ぎ、あるいは自ら体験して得た「ユダヤ人観」と「アラブ人観」の距離は、あまりに遠い。

しかし、映画が進むと、柔軟な考え方のユダヤ人の双子が、お互い会ってみてはどうか、と提案する。その直後、イスラエルのその子達と一番頑なだったアラブ人の子が、直接電話で話すことになり、それがアラブ人の子の考えを変える。

初めて話す「相手側」の子達。予想しなかった体験…。そして、その二年後、子どもたちに再びインタビューする頃には…。両方の視点を、比較的バイアスなく伝えているのではないかと思う。双方の重い歴史の幾面かを垣間見ることもできる。

真剣に両民族・宗教の平和を願う人がいるのだな、と思わせるドキュメンタリーだ。詳しくは、こちらで、http://www.wgbh.org/schedules/program-info?program_id=27932&episode_id=493904
今週の水曜と土曜(深夜?)に再放送します。ニューイングランド地方の方は、お薦めです。

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新聞 USA Today に載っていた、ある統計。

「ガソリンのコストが幾らぐらいになったら、燃費の良い車に買い変えるか」というアンケート。もちろん、これには、多くのアメリカ人がSUV等の極めて燃費の低い車に乗りたがるという背景がある。

「$2.50以上」が38%。「$2」が29%。「$1.50から1.99」が22%。「$1.50以下」は、なんとたった8%である。ちなみに現在は$1.60前後。いかに多くの人が、コストパフォーマンスを無視する傾向にあるか…。アメリカには、もっと良心的な人もいると、思いたいが。
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2003年06月02日

Silly Nationalism

今日の新聞に、
マサチューセッツの共和党議員が、重要な法案を通そうとしている、
と載っていた。

彼は、ブラッドリー・ジョーンズといい、Republican House Leader である。
その法案とは、「イラク、イラン、リビア、キューバ、北朝鮮、スーダン、シリアのいわゆる『テロリスト国家』の国籍を持っている者は、州立大学に入学することができない」という、恐ろしいものだ。

これでは、例えば、
その国家の指導者の息子と、その国家の悪政を非難し、遁れてアメリカに来た者
の違いがないではないか。どちらであろうと、入学を拒否されるということになる。

視野の狭さ、ここに極まれり。しかも、House Leader である。
単脳政治家とは、こういう者をいうのだろう。
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2003年06月01日

Scandal

ニューズウィーク誌で、ニューヨークタイムズの最近の記事捏造・剽窃事件を扱った「NYタイムズ捏造の構図」という記事を読んだ。

事件とは、実習生上がりの「やり手」で「明日のスター記者」と目されたジェーソン・ブレア氏(27)が、現場に行ったふりをし、会ってもいない人物の発言を引用し、他メディアの記事を盗用しながら、数々の記事を書いたことが発覚したのだ。

タイムズ誌は、事件発覚後、その記者ブレアによる「でっち上げ記事」の数々を内部検証したが、「NYタイムズ捏造の構図」は、その前後のタイムズ社内の様子とブレア氏の行動を分析したものだ。

タイムズ誌は、5月11日に、一面トップで、身内の恥をさらす記事「辞職した本紙記者が残した偽りの軌跡」を掲げた。しかし、これは、それまでの社内の雰囲気を知っている記者たちから見ると、タイムズ社内に潜む問題に光を当てず、実に不充分なものであったようだ。

記者や編集者はリーダーシップの欠如が同紙を醜聞の渦中に追い込んだと厳しく批判し、編集主幹ハウエル・レインズを槍玉に挙げた。これには訳がある。

レインズが編集主幹の座に就いた時、編集部内には緊張が走ったという。彼はワシントン支局長や社説欄の編集者を務め、独裁的で横暴で無神経という評判だったらしい。しかも、スター記者を育てることと、嫌いな人間は排除することで知られていた。実際、レインズは部下の不満をあまり聞かず、タイムズ発行人のサルツバーガーに取り入ろうとしていた。サルツバーガーも、レインズを高く買っていたという。

レインズは、かなりのやり手として名を馳せた。2001年9月第1週に編集主幹に就任したレインズは、その直後に起こった同時多発テロの報道で陣頭指揮をとった。タイムズの報道は他を圧倒し、7部門でピュリッツァー賞を獲得した。ニュー・リパブリック誌の文芸担当編集者レオン・ワイセルティアは、「テロ報道でのレインズの働きは壮烈だった。共感と客観性がほどよく調和され、最高の出来だった」と、言う。

しかし、そんな「壮烈さ」が記者たちを追い詰めた。当時の編集スタッフは、ニュースがなければ作り出せという雰囲気さえあった、と言う。明日の若手スター記者を求める編集主幹のレインズと野心家ブレアの出会いが、破滅の始まりだった、とニューズウィーク誌は書いている。
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