2003年12月29日

美味礼賛

マリモ氏には弟さんがいて、札幌に住んでいる。そこで、札幌名物の旨い食い物を教えてもらい、食いに出かける。

昨日は、やはり彼の勧めで、「むつみ」とかいう駅の近くにあるラーメン屋に行った。白味噌ラーメンというのが自慢らしいのだが、なるほど非常に旨い。北海道はうまいラーメン屋が多いようだ。

さて、今日の代物は、「スープカレー」というんだそうだ。ススキノにあるというのだが、なかなか見つからない。その辺で聞けばいいじゃねか、とオレは角の小さな食堂に入って
「○○という店はこの辺にありませんかぁ?スープカレーの店なんですがぁ」
と尋ねた。その場にいた客たちが一斉にオレをみて、なにやら意味ありげに笑った。
食堂の店員は、奥の者にも聞いていたが分からぬと見え、「すみません」とだけ言った。無表情であった。出てみると、そこは、「カレー屋」であった。その辺の競争相手の場所を尋ねたのでる。(さらにあとで、弟さんに聞くと、もっか札幌では、長年場を張ってきたカレー屋と振興のスープカレー屋はライバル同士にあるのだそうだ。)

マリモ氏は何度か弟さんに電話していたが、ついには弟さんが来てくれることになった。

弟さんが来て、一緒に入ったところは実に小さな店で、これでは、通りから分かるはずはない。中に入ると、意外にも、女性客が多い。弟さんが言うには、カレーと言うより具がたくさん入ったスープに近いので、女性にも人気があるという。たしかに、それはスープというに近い。イカ墨スープカレーというのを食べたが、中の野菜や鶏肉ともよく煮込まれていて旨かった。
その後、空港に行く予定だったが、弟さんが車で送ってくれるというので、車を置いてある駅近くまで、一緒にタクシーに乗った。

また雨である。この何日かは札幌は雨模様だったのだが、弟さんによると、この時期の雨は珍しく異常気象というに等しいと言う。「このままでは、札幌雪祭りが心配ですねぇ」と弟さんが言うと、運転手は「いやいや、ここは札幌ですから、ちゃんと収支はつけますよ」と応えた。(その後、たしかに、札幌は記録的な大雪に見舞われ、運ちゃんの言ったことは実証されることになる。)

さて、札幌から飛行機で、一路、東へ。そこで、オレは、山にこもることになるのである。
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2003年12月28日

小樽喫茶(下)

ツルツル滑る道路のてこずりながら、やっと探しあてる。古びれた倉庫を造り直したという、その「○ねこ○」という喫茶店は、確かに、味のある店であった。なかは、薄暗がりの中に簡素だが趣味のいい調度がおかれ、さらに落ち着いている。二階に上がる階段が右手にある。

上にあがると、巨大なテーブル、というより板を、真ん中の柱を挟んで二つ置いただけの簡単なつくりだ。その周りに座イスが置かれ、その後ろを小さな照明たちが照らしている。それだけでは薄茶色の暗室のようなものだが、南の二つの小さな窓から、光が差し込んでいる。

オレも、いっぺんで気に入ってしまった。

手作りとか言うジンジャーエールが、逸品であった。

その後、ガラス工場とかに連れて行ってもらう。行く道々、海産物を売る店先に、生きた蟹を売っている。実に旨そうなので食いたそうな顔をしていると、マリモ氏は、そんなものを食ってはいかん、という。ボッタクリだそうだ。確かに、足一本で千円というのは、高い。

小樽のガラス工場というのは、これで二度目だが、マスプロ化している上に一つ一つがかなり値段が高い。あまり興味もないので、その裏入り口のところにある、売店で何とか芋というジャガイモの揚げたのを食い、「北海道限定だ」というのに載せられて、十勝赤ワインキャラメルというのとハスカップやキャラメルというのを買い込んだ。

夜は、札幌に戻り、「サッポロビール園」とかいう、もとサッポロビールの工場だったとかいうのを肉を食わせるファミレスに改造したレストランに行った。場所があいまいなのでタクシーに乗ったら、運転手が、「外からいらっしゃいましたか?土地の者はあそこには誰も行きませんからね」と言った。

はたして、レストランは、まあ旨いものを食わせるが、客の入りは8時を回る頃になってやっと七分くらいであった。ビールで儲けているから、かまわんのだろう。店の真ん中に、ドイツだかオランダだかからきたという自動オルガンがあり、音楽にあわせて、真ん中の人形が動くのである。ラム肉のタタキとかが美味かった。
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小樽喫茶(上)

本日より、北海道は札幌に出てきている。羽田からあっという間であった。日本はとても小さく感じられる。アメリカを一度体験してしまったせいだろうか。

小樽へ行った。海岸沿いを走る侘しげな線路に沿って、一時間。もっとも、侘しげなのは冬のせいかもしれない。海の色も含めて、すべてが灰色なのだ。小樽までの道すがら、いかにも冬は人口が少なそうな町が並んでいる。

小樽へ着くと、プラットホームで、駅員が拡声器で何か叫んでいる。あとで分かったことだが、石原裕次郎のゆかりの土地だとかで、裕次郎の「等身大の写真と、一緒に写真はどうですかー」と言っていたらしい。真冬に小樽くんだりまできて、裕次郎とツーショットをする物好きはいないと見え、誰も反応していなかった。

同行したマリモ氏が、いい喫茶店があるからと連れて行ってくれる。マリモ氏は、かつて学生の時、札幌に住んでいた。その頃、この喫茶店がたいへん気に入り、この店に来るためによく小樽まで来て、本などを読みふけったんだそうだ。

そのくせ、マリモ氏は喫茶店の場所を正確に覚えていなかったのである。ああここだここだ、この洒落た建物の裏だぜ、というところには決してなかったのである。自分の若い頃を過剰に美化するアオイあやまちを、このマリモ氏も犯していたのである。いたしかたのないことである。
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2003年12月25日

整然と並ぶ人たち

日本に来てから、だいぶ体調が良くなってきた。
街を歩いていて、それを強く感じる。

少し前までは、駅の長い階段をのぼるのさえ、体力的につらかった。
しかし、このごろは、それが苦でなくなり、時には二段とびでも上れるようになった。そんなに大昔でない頃でさえ、駅の階段はいつも二段とびで上っていたものなのである。

これも、こちらで始めた食生活のおかげだと思う。食というのは、つくづく大事なものだと思う。アメリカでも努力していたつもりだが、環境の変化と言うのは大きい。
今の環境に向かって、頭を下げ手を合わせたくなる。

それにしても、ここ東京で駅の階段のエレベーターに乗る人々を見るとき、日本人というのは、つくづくマジメな人たちだと思ってしまう。

デパートでも、地下鉄の駅でも、どこのエレベーターであろうと、美的といっていいほど整然と左側一列に並び、右側は急ぐ人達用に開けてあるのだ。地下鉄の駅の驚くほど長いエレベーターで、はじめてそれを見た時、思わず言葉を失ったものである。

エレベーターの左側に整然と一列に並ぶ人たち ―― それは、雑然と発達してきたが、しかし、その時代時代、つねにある種の統一や同じ傾向をもって創り上げられてきた東京に、まさにふさわしいと思うのである。
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2003年12月24日

新参知故

世間はクリスマスイブ。しかし、日本の「クリスマス・イブ」というのは、お祭りの色合いが濃い。

だからと言うわけでもないが、『ラスト・サムライ』という映画を見に行った。

正直言って、まったく期待していなかった。どうせ、これ見よがしの日本人監督が、ハリウッドの力とトム・クルーズのネームバリューを借りて作ったんだろう、ぐらいにしか思っていなかった。何週間か前、噂では高評価のビートたけし監督『座頭市』をみて、ひどく失望していたのだ。

しかし、かなりやられてしまった。これがアメリカ人監督らしいから、したたかおメンを取られたかっこうである。
トム・クルーズは良い役者になったと思う。

日本文化を比較的よく勉強しているようだし(ちゃんとしたスタッフを使ったのだろう)、好き嫌いはともかく、なにより美学がはっきりしている。外国人の作った映画に日本文化を再確認させられるとは、予想もしていなかった。批判する視点も、ちゃんとある。

いっけん、日本独特の物語のようでいて、テーマは普遍的だと思う。

このサムライの話は、アジアの一小国(すなわち日本と言う国)のある時代 (江戸時代と明治時代の境目) にだけおこった、非常に特殊なはなしである。しかし、ある共同体に、アウトサイダーが入り込んで来て、ついにはその共同体の中の一般の者誰よりも中心に近づいてしまい、そのことが、その共同体に特殊な力を持たせることになる、というのは、もしかしたら、日本から遠く離れたどこの国でも起こったことなのかもしれない。
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2003年12月23日

歳瀬鎮酒

心配していたアメリカからの荷物が届いた。しかし、送ったもの全部ではない。
最初のほうに送ったものはすでに着いていて、今日届いたのは、最後のほうに送ったものである。

その中間に送ったものはどうなったのか?海の藻屑とされてしまったか?

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知り合いの通人の方と、ちょっとした忘年会をした。というより、しゃれた場所へ誘われ、ご馳走になったのである。

新宿は荒木町という古い街の「○かも○」という店。近くに「車力門通り」という古風ななまえの通りがあり、街並みも、かつてはそのあたりは「待合い」が多かったことを偲ばせる。

落ち着いた露地に瀟洒な店がある。おやじは数年前に脱サラしてこの店を開いたという。たしかに元サラリーマンを思わせる質実さを感じさせるが、サラリーマンにはない落ち着きも感じられる。それが、店の独特な雰囲気を決めていた。

焼酎の香露というのを注文し飲み始めると、それに合う料理を出してくれる。和風でありながら洋風のセンスで盛り付けがなされている。

店内は、ジャズが低くかかるだけで静かである。向かいのカウンターに、品のよさそうな中年の女性が、ひとり酒を飲んでいる。

こちらは通人と、歳の瀬に歳の瀬とはまったく関係ない話をし、次から次へと出されるおやじの料理に箸を伸ばす。

通人は、あまり話さない。
静かに食い、音もなく飲む。
戸外には音もなく、都内の年の瀬のあわただしさが、嘘のようである。

あらためて、その通人の趣味の良さを思った。
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2003年12月22日

谷中往来

昨日は、天気がいいので、東京はJRの日暮里駅から下町近辺を歩きました。
実にいい雰囲気です。
お寺が立つ並びに、煎餅屋、お茶屋、焼き鳥屋
「ライブドッグ」と、そのまんまの名のペット店。
「これさえ飲めば長生きします」と手書きの紙を
極彩色の飾りの上に張りめぐらした薬屋。
不思議なエスニックのレストランなど
心をくすぐるたくさんの店。

「谷中銀座」が、とても心に残りました。
入り口近くに古い飴屋があり
先々代から作っている飴類を軒下に並べます。
あちらこちらの小さな煎餅屋が
芳ばしい香りを露地に漂わせています。
旨そうなコロッケをガラスの中に並べた総菜屋。
駄菓子屋では
むかし子供の頃田舎で食べたお菓子をそのまま売っています。

通りの中ほど
古びたのれんに「手打ち饂飩」とあり
入ってみれば、小さな店内の右手にカウンター。
その奥の白い湯気の中で、おやじが黙々とうどんを作っていました。

「あったかい天ぷらうどん」を注文すると
さっそく、おやじは黙って目の前でおかきを揚げてくれます。
カウンターに天ぷらの皿を置いて
「さあ冷たくならないうちに塩をかけて食べて下さい。」

そのすぐ後にさし出された古いドンブリ
ほのかに塩っぽい味わいの汁に
太いこしのある白いうどんが浮いています。
口の中に広がるやさしい味。

やがて、一人のおばあさんが入ってきました。
お上は、さあこっちに、と
一人客であるにもかかわらず
大きなテーブルに案内しました。
そして、「いつものね。お酒は一本ね」とお上。
おばあさんが、「ああ、卵は別でね」と言うと
お上さんは、さも心得たように「あいよ、卵は別ね」と奥に取り次ぎました。
おばあさんは、出てきたお銚子を前に、小さな体をさらに小さく丸めて
ちびちびと飲み始めました。

続いて入ってきたお客二人分の注文を、お上が取り次ぐと
おやじは、「そりゃ、一つしか残ってねぇな。もう一つは天ぷらなしでやってくれ」と
大声で言いました。
そしてすぐ、お客のほうに向いて
「ああ、聞こえちまったかな」と
ニヤリとしました。

かなり偏屈なおやじらしいですが
しかし、こちらが初めての客と見ると
「天ぷらをおつゆの中に入れると、おつゆがやさしくなりますよ」と言ってくれました。

胃も心も温かくなって表へ出ると
向かいの陽だまりの店の前に、お辺土さんが鐘を鳴らして立っていました。
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2003年12月21日

イヤになった

この睡顔雑記、これまでなかなか更新しなかった。(そのためもあって、これも、日付よりかなり遅れてアップしている。しかし、すぐ、本来の月日に追いつくはずである。)

基本的に時間がなかったこともある。しかし、この睡顔雑記に何を書いたらいいのか、疑問も生じていたのだ。

この睡顔雑記は、本来、その日に見聞きしたこと、体験したことの覚え書きのつもりであった。が、好奇心が強い性格のせいか「覚え書き」ではとどまらず、そのことを調べて書いてしまうことが多かった。「知識の断片」を「知識」にするために。
ひっきょう、書くことが負担に感ぜられてきたのだ。

それでも、まあ、軽い、いわば“うんちくサイト”として、負担にならない程度に存続させることも可能であるが、その“うんちくサイト”というカテゴリーが、どうもかなり胡散臭い。

この世のウェッブサイトの中には、その手の「トリビアサイト」「うんちくを語るサイト」らしきものがゴマンとある。しかも、たいていの場合、どこかの本で読んだか、どこかのサイトで知ったかというものを、出典も示さずあたかも自分で考え付いたり思いついたりしたかのように、「さて、この○○だが・・・」とか「これは実は・・・」とか書いているようだ。

時事のことを書いても、メディアの名や新聞名さえ挙げないのは、信じられないことである。ある出来事の報告も、出典なしで伝えるのはどういうお考えなのだろうか。「事件」や「報告(多くの場合、これはひとつの解釈にすぎない)」とは、常に客観的真実であると、ナイーブに思っているのだろうか。

それは、ウェッブ倫理として怪しいと思われるが、どうも、かなりまかり通っているらしい。そしてそういう人たちは「かなりの物知り・博学」とみなされているようでもある。

そんな世界、そんな風な人たちと“同じ風土”にいるのが、イヤになったのだ。
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2003年12月20日

手持ちぶさた

アメリカから送った荷物が届きません。
懐が寒いので、わずかの貴重品以外は、みな船便で送ったのです。
特に、本の類は「Mバッグ」という、最も廉価のもので送りました。

本が届かないと、何もすることがないような気がしてしまいます。
ダラ〜〜〜とする。
あぁ〜〜〜〜〜〜〜〜ぁと、口を開けっ放しにして、
いかにも、バカ面を晒(さら)している感じです。
んなことではイカンのですが。

無くなってしまったのでしょうか。
かなり心配です。
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2003年12月19日

松葉ガニ鍋

松葉蟹をいただいて、鍋で食った。茹でてもこんな柔らかい蟹は、初めてである。なんでも、兵庫あたりで獲れた蟹だそうだ。

こんな秀逸なものを食えるとは、忘年会シーズンも悪くないものである。

しかし、一緒に飲んだ酒に、ヘベレケによって、大失態をした。読みたい人は、酔眼妄語を読んでください。

酔眼妄語  http://www.memorize.ne.jp/diary/72/41937/
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『北の国から』

昨日の話に実にタイミングの良く、テレビで『北の国から』をやっていました。

3夜連続の、特別再放送だといいます。会う人毎に、この特別放送のことを口にします。

実を言うと、初めて観ました。あのナヨナヨしたジュン君とやら、いくら役柄とはいえ、どうも好きになれません・・・。

周りの人の聞くと、このドラマはかなりの人気番組で、「あの、ちゃらちゃら〜♪というテーマ曲を耳にするだけで、涙が出てくる」などと言い、実際、ちゃらちゃら〜♪と口ずさんでくれたりするのです。

とすると全国民的番組のようで、それを初めて観たオレは、かなりの非国民的存在になるのかもしれません。

********************

昨日のレオン君との会話で、おもしろいと思ったことの追加。

オーストリアの現在の首相はハワード氏だが、彼は2001年の選挙直前は負けるものと思われていた。しかし、9.11の同時多発テロがあったおかげで、アメリカ追従、対テロ強行策を挙げたハワードが、国民の支持を得たそうです。

あの当時、オーストラリア国民も、アメリカ人たちと同様に、対テロには「強硬姿勢」で対決すべきだ、と感じたのだそうです。

そんなハワード首相の姿勢を表すニュースとして、こんなものもありました。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/nybomb/asia/200211/14-02.html

「ハワード首相は13日、ウサマ・ビンラディン氏の生存がほぼ確実になったことについて、国会答弁で「テロリストの脅迫には屈しない。豪州の対テロ政策は変わらない」と訴え、改めてイスラムテロ勢力への強硬姿勢を示した。」(毎日新聞2002年11月14日)
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2003年12月18日

レオン君 (2)

「歌舞伎町の裏通り」とは、もちろん、「お休みドコロ格安」という摩訶不思議なシステムのあるホテル街のこと。
童顔のレオン君の口から発せられるにはちょっと驚くセリフでしたが、日本文化を探求する一学徒として、当然の学門的好奇心であると判断した私達は、その闇の中へと消えていったのでした・・・・。

十数分後、駅へと歩く途中、突然、レオン君は、「ああしたホテルの部屋には、ブランコとかがあるのですよねぇ〜」と、ナカナカ通らしいことをいいました。
もちろん、私はそんなことはまるっきり知りませんから、あるともないとも言えません。そこで、なぜ、レオン君がそんなことを知っているのかと、訊いてみました

レオン君は、日本のテレビドラマの『北の国から』で見たといいます。日本のテレビ番組のDVDを集めていて、特に『北の国から』の大ファンだと言いました。
ちょっと引く私。

「あ、でも、実は、もっとすごーく気に入ってるのがあります」と、レオン君。
「あら、そりゃまた、なんでしょ?」と、私。

「バカにされるかもしれません」と、警戒するレオン君。
「いやいや、まさか。そんなことはありませんよ」と、おとなの私。

「えぇ?ほんとですかぁ?、じゃあ言いましょうかね〜」と、躊躇するレオン君。
「さあ、言ってくださいよ」と、コラコラじらすんじゃねぇよと苛立つ私。

「じゃあ、え〜と・・・・、『ちびまる子』なんです。」
一瞬こおりつく私。

「とくに、はなわ君が好きですぅ〜」と、うれしそうにレオン君。
言葉を失い、かなり引く私・・・。

駅についてレオン君を見送るとき、上品そうなレオン君とはなわ君が重なり、遠い異国でDVDを見ながら『ちびまる子』の歌をうたっている、学僧的法学者の姿が目に浮かぶのでした。

駅の構内の中で手を振りながら、はなわ君、いや、レオン君は、暗闇に消えていきました。
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レオン君 (1)

オーストラリアから来たという若い学者さんと一緒に、夕食を食べました。

彼は大学で日本の法律を研究していて、さすがに、日本語はとても流暢です。
難しい単語も良く知っていて、その辺の日本人のにぃちゃん達より、よほど上手い。
レオン君といいます。

会話が日本語ですむので楽なせいか、どの話も面白かったです。
アメリカで裁判が多く、日本ではそう頻繁に裁判にならないのは、日本はアメリカに比べると裁判をおこすための法的手続きの費用がはるかに高価だからだそうです。
レオン君は、いわゆる「セクハラ」の研究をしていて、日本にこの言葉が社会現象として広まったのは、被害にあった女性の弁護をした弁護士が、裁判の一環として使ったことによるのだそうです。これは、アメリカでは、学者が本を書いて広めたのとは対照的だと言ってました。

さて、新宿でいい気分で中華料理を頂いて駅まで帰る途中でした。
レオン君が、「ぜひ、歌舞伎町の裏通りを歩いてみたい」、と言いました。
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2003年12月17日

雑記 再開

たいへん長らくご無沙汰いたしました。体調を崩し、また、個人的な理由で書き込みを休止しておりました。

まったく何の活動もないのに、このページに来て下さる奇特な方もいらして、驚いております。定期的に訪れてくだすった方々、誠にありがとうございました。

本日より、他のページも含めまして、少しずつ再開して行きたいと思います。あい変わらずつまらぬサイトですが、なにとぞよろしくお願いいたします。

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というわけで、いま日本にいるのですが、久しぶりの祖国は、感激のウズ・・・と思いきや、あまり感動がありません。

しかし、何年かこの国を離れ、外国でぶらぶらしていた身には、発見・再発見というか、思わぬ驚きの出来事もあるわけで、そんなことはネタになるかもしれませぬ。

たとえば・・・、

区役所に住民登録に行った時、正面玄関を入って、無意識に並んでしまったカウンターは「外国人登録 (Alien Registration)」でした。いや、中国人やフィリピン人らしき方がたくさん立っていらして、「あまりに自然な雰囲気」だったものですから・・・。

あいかわらず「100円ショップ」なるものに感動してます。引越ししてここでそろわぬ物はないくらい、なーんでもあります。
陶器なんぞ、ここで仕入れて、アメリカで3倍で売ったら、けっこう儲かるのではないでしょうか?

なぜか、街を歩いていても、自分の雰囲気が他の日本人と違います。ってなことを何人かの友人に言ったら、そら、おまえみたいなオジサンは、普通、そんな破れたジーンズ履いてへんで、と言われました。

電車を待ちながらプラットホームにいたら、可愛げな女の子が近づいてきて、「ア〜、ハウ、ドゥユ〜ゴゥトゥ、ハラジュ・・・」とか聞いてきました。
どうやら、英語で原宿はどうやって行くかとかと聞かれたらしいのですが、髪も染めず、日本人そのまんまのカッコだったのに、なぜでしょうか?
しかも、すぐ英語で応えてしまった自分が、悲しい。

てなわけで、前途多難です。
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