2004年06月27日

論理を超えた政治

もうすぐ参議院選挙となった。
今回の選挙は、コイズミ君が勝手に決めてしまった「自衛隊の“多国籍軍”(というらしい)への参加」問題、
強行採決した「問題だらけの年金法案」(たとえば、出生率はなぜ法案成立後に発表されたのか)問題、などがからみ大事な選挙である。

夜、NHKテレビで党首同士の討論を放送していた。
いや、以前から日本の政治はワカラヌと思っていたが、それはセージ家の言葉のせいであることを痛感した。

野党は、まだ良い。これは、攻撃側であるからというだけではなくて、この何年かでずいぶん良くなったと思う。
若い人が政党を担当し始めたことも、関係あるのであろう。

しかし、与党の自民党と公明党の「論理」、いや、“論理”めいたものは、かなり凄まじい。
たとえて言えば、ある問題が白か黒か論じなくてはならぬという時、野党が「あなたがた与党が言ってるのは黄色ですよ、まるで問題が違う」と言えば、与党は、「いや黄色は白に近いんだから正しいんですよ」という。

また、たとえば、自民党が「Aなんであるから、そこからBとCがいえるんですな、なぜ野党はそれを認めないんですかな」(A、ゆえにBとC)と一見尤もそうに言うとき、Aという前提が大いに疑わしかったりする。いや、間違っていたりする。
そこを、野党が指摘しても、「BとCは、国民にとって、とても大事な結果なんですから」などという。

イライラの原因は、与党側にちゃんとつめて反論させないNHKの司会者にもあるのだが。(保守的NHKと言われるゆえん?)

こりゃ、論理を超えてるね。
いや、ぬら〜りくら〜りと、暖簾に腕押し、糠に釘。
これで「本当に論理的」に納得させられる国民は、いないと思うぜ。
え、どうなんだね、そこんとこ、自民党の青木幹事長?!
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2004年06月14日

フランス旅行記その7・異国の「母国」

パリの食堂は、けっこう早く閉まる。
夜遅くまで美術館に行ったり映画を見たりした後など、食事をしようとしても、バー以外、なかなか開いている所は見当たらない。

そんな時、頼りになるのは、やはり異国の「母国」か。

回転寿司に入った。

中に入ると、ちょっと異様な光景。
「回転」しているいわゆる「ベルトコンベアー」は、円形でも楕円形でもない。
L字型の店内に沿って、クネクネと入り口近くの右手前から、左奥の方に侵入している。
しかも、一部は、店内に迫り出した厨房らしきものの裏に入って行くのだ。

まず、飲み物を勧められて、ワインを注文。
一番安くても6ユーロ(約800円)くらいするハウスワインをとる。
安物でも、さすが、ここはフランス。いや、ウマイ!

さあ、食うか!!

回転してくる品は皿にのり、皿は3.5ユーロ、4ユーロ、5ユーロ、6ユーロと値段によって色分けされている。

まず来たのは、小さな巻物。かっぱ巻きかね?
皿は一番安い3.5ユーロ。ふむふむ。

次に、4ユーロの皿が来た。
得体の知れない白身の魚である。パス。

焼き鳥が皿に載って来る。
ま、ここはフランスですから。
どうやら、焼き物は、ベルトコンベアーが厨房らしきものの裏に入った時に載せられるようだ。

次に、5ユーロの皿が見えてくる。
な、なんと、フルーツ盛り合わせ。
ま・・・、まあ、ここはフランスですから・・・。しょうがないでしょ!

また、5ユーロの皿。
森○ミルクキャンディーの箱。
・・・・・・・・

次に向こうに見えたのが、白と黒のこれまた得体の知れぬ物体。
2メートル先まで近づく・・・・。まだ良く分からない。
プラスチックのカバーがかかっている。
1メートルまで来る。
???
50センチまで接近・・・・・。

白と黒の羊羹

・・・・・・・・
しかも、一番高い6ユーロの皿。

シュールです、パリの「母国」。
一度、お試しを。
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2004年06月13日

フランス旅行記その6・ルーブル美術館

夜、ルーブル美術館に行った。この日は、夜、8時半まで開いているのだ。

ルーブルの建物は、三つの独立した建物が中庭を囲んでくっついていると思えばよい。
それぞれは「ウィング(翼)」とよばれ、展示館になっておる。
その「中庭」真ん中にあるのが、例のガラスのピラミッド。

こういえば単純なようだが、それぞれの「翼」内部はやたら入り組んでいる。
階段が突然現れたと思えば、予想している次の階段が見当たらない、という具合。

ルーブルでまず見たかったのは、「サモトラケのニケ」。あの翼を広げた首のない女像だ。
しかし、地図を見てもすぐにはわからない。

「○○はアッチ」

という掲示サインに従って行っても、そこが行き止まりだったり。
しかたなく、その辺でブラついている係員に聞く。

「そこの階段を登ってマッスグ。」

しかし、階段を登ると、そこは・・・、また階段だった。

「アビニョンのピエタ」はどこだ、と係員に訊くと、

「そこの回廊を突っ切って、マッスグ」

という。しかし、その回廊を突っ切ると、小部屋が分かれているだけで、「マッスグ」なぞ行けないのだ。

自分のフランス語がイケなかったのでは、と思い、英語ができそうな係員に英語で訊いても、

「そこの小部屋を突っ切って、マッスグ。」

はたしてまっすぐ行ったところは、すでにその大部屋の外だったりする。

をい!えーかげんにせぃ!!

フランス十二世紀の宗教彫刻を見に行きたくて(ちなみに、ルーブルには「ライオンのいる洞窟のダニエル」という12世紀初頭に作られたという彫刻がある。修道院の柱頭だったこの彫刻は、旧約聖書に登場する預言者の一人ダニエルを表しているのだが、ライオンに挟まれてしゃがみこみ頬杖を突いたその顔は無垢で屈託なく、妙な「悟り」の境地にいる風である。オススメである)、係員に訊くと、

「そこの階段を降りて、マッスグ。」

しかし、階段を降りると、そこは二又に分かれている。

ふ、深い、フカすぎるぞ、ルーブル!
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2004年06月12日

パリで一番美しい景色・・・(フランス旅行記その3)

日本の夏(日)初体験に、体調壊してました。では再開です(6月24日)

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というわけで、エッフェル塔に登ってしまうのである。そのあたりを(今回だけ)詳細する。

エッフェル塔は、夕飯を食ったトロカデロ広場から見ると、セーヌ河の向こうにのほほんと聳え立って、
あそこまで行くんかい、ああ遠いのお、と思っていたが、社会経済省とかいう建物の角を曲って
シャイヨー宮の裏に廻り坂を下りると、すぐである。

ドブのような河が道路の向こうにあると思ったら、それが初めて見るセーヌ河であった。
これが、ボードレールやランボーが詩に歌ったあの河かい、なんともはや、
と落胆していたら、そこに小奇麗な公園があって、その木立の向こうにエッフェル塔がコツ然と立っていた。

セーヌ河を渡るには、イエナ橋という、エッフェル塔の真正面の橋を渡るのだが、
そこにTシャツやだの土産物屋だのがならんでいる。ガラクタが多くどうもフランスらしい趣味とは言いがたい。
橋を渡った、船乗り場に降りる階段近くにある回転木馬は、いつかのフランス映画で見たような気がする。

真正面から見ると、あんまり感動するような美しさとは言いがたい。むしろグロテスクな感じ。
どうするか、お上りさんみたいに登るかのう、しかしミーハーな・・・
その時、ロラン・バルトというフランスの哲学者が言ったことを思い出した。
「パリで、一番美しい景色が見れるのはどこだろうか?それは、エッフェル塔の上である。
なぜなら、一番醜いエッフェル塔を見る必要がないから。」
たしかに、言いえて妙ではある。

塔の足元のチケット売り場には、人が列を成している。
ええい登るかと並ぶことにする。
思ったより、人は少ないようだ。もしかしたら、平日に登ってしまうのは正解かもしれない。
チケット売り場の上にはネオンサインがあって、フランス語の他に、次々に
ドイツ語、英語、日本語、中国語で、エッフェル塔へようこそ、入場料はいくらいくらと掲示される。

エッフェル塔の展望台は三つあってエレベーターを、第一展望台、第二展望台で乗り換えて登るのだが、
チケットの値段は目的地によって、つまり、展望台の高さによって異なるのである。
もちろん、最上階まで買えば、途中の展望台でブラブラしてもよい。
最上階の第三展望台までのチケットを11ユーロで購入。

さて出発。
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エッフェル塔から見るのは (フランス記その4)

さて出発。
わしは、一気に最上階まで行き、帰りに第二、第一と寄って来ることにしたのだが、そうして良かった。
最初に第一展望台で降りた者は、また上行きのエレベータに載るためにものすごい行列に並ばねばならないのだ。
そのために、そのエレベーターのある側の第一展望台の半分は、人で溢れかえっているのだ。

これからエッフェル塔に行こうという方は、ご用心を。

最上階展望台につくと、さらに細い階段で上に登り、吹きさらしの回廊に出る。
高いところにあるので、さすがに風が強い。
見下ろすと、午後の淡い日ざしの中にパリの大都会が広がっている。フーム、ちと感動。

写真を撮る者がおる。
20代最初の誕生日をこの塔の上ですることに決めていたのか、風の吹く中、
「21」というキャンドルに火をつけて友達と記念写真を撮る娘がおる。
何を考えているのか、このパリ最高峰からケータイで電話している者がおる。

ブラブラしていると、日没の時間が近づいてきた。
パリの西の街の向こうに、美しい陽が沈む。
展望台の西側の欄干は、人々で溢れかえっている。
そのみごとな夕陽を、シャッターに収めようとしているのであろう。

・・・と、よく見ると、人々が寄り集まっているのは、西側よりやや南側である。
見下ろせば、その下には、学校の校庭らしきものが見え、そこではサッカーの熱戦が・・・。

さすがパリジャンとフランス人、サッカーの王国の民である。
エッフェル塔の上でも、サッカーに夢中とは・・・。
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よけいなお世話です、マダム (フランス記その5)

エッフェル塔の最上階の展望台(それはまさしく「台」である)をブラブラしながら、何周かしておった。

そなえ付けの望遠鏡があった。
ま、何が見えるでもないだろが、どれどれ・・・と覗くふりをしてみた。

と、「あのぅ〜、それ、見えないんじゃあありませんか」
という声がした。

振り向いてみると、フランス人のらしきオバサンがこちらを見て、あわれそうな顔をしている。
「それ、コインを入れないと見えなんですのよ〜、ムッシュー」

んなことわかってるワイ。

「ええ、知ってますよ、マダム。ただ、覗くフリしてみたかったのですよ」

マダムは、しょうもない言い訳けをする右も左もわからぬ東洋人だなぁ、という悲しみに似た表情を浮かべた。
「それは、お客用のものですからね。フランスではね、コインを入れると、見えるようになるんですよ、ムッシュー」

な〜にが、ムッシュー、だぁ!
おれをどこの誰と思ってやがる、日本人だぞぅ。日本に行きゃあ、北は札幌タワーから南は沖縄駅前ビルまで、塔という塔、ビルというビルには、コイン式の望遠鏡にあふれてるんじゃあ。な〜にを、知った風に!!この、西洋カブレオバンが!

しかし、オトナであるわしは、この西洋至上主義の典型みたいなばあさんのプライドを傷つけることはせず、
静かにほほえんで答えた。
「ええ、そうですね、マダム。コイン入れてしか見れないセコイ望遠鏡って、フランス人の発明品ですものね」
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2004年06月11日

歩きながらバゲットをかじる(フランス紀行その2)

手はあいかわらず痛い。午前中は、両手が開かず、午後になっても痛くて指を広げられない日もある。
「ほらぁ、ロジエモン〜」などと歓んでいる場合ばかりではない。まず、タイプが打てない。仕方なく、また病院へ。
しかし、検査は今日だけでは終わらず、また月曜に行かなければならなくなった。
***********************************

さて、午後4時ごろホテルにチェックインした後、近所を歩いてみることに。
「旅通り」を西にブラブラ行く。といっても、パリのセーヌ川右岸のこのあたりは、道はまっすぐではない。

しばらく行くと、瀟洒な店があり、店の前に緑色のでかいアヒルのようなものが立っている。
フォアグラ屋であった。飾りの趣味は良いとはいえないが、小さなショーウィンドウには、手作り風のフォアグラの瓶が並んでいる。

その先に、小さなパン屋がある。今回は、毎朝、パン屋で焼きたてのバゲットを買って朝食にするのが楽しみである。
さらにしばらく行くと、ホテルで教えてもらったインターネットカフェがあった。
看板は掛かっているものの、ややもすると見過ごしそうな小さくて汚い飯屋という感じで、
ここが本当にインターネットができるのかと覗いて見ると、確かに中の薄暗がりの中に、何人かがコンピューターらしきものを睨んでいた。
時間を聞いたら、夜の一時までやっていると言った。

その向かいの角に別のパン屋があり、人が並んでいる。
先ほどから人達がバゲットを抱え、つまみ食いしながらすれ違っていくのが気になっていたのだ。
パリジャンは、道を歩きながらバゲットをかじるらしい。
そこでクロワッサンと、シュークレットという固めの小さなシュークリーム型のパンを買って、歩きながら喰う。

「旅通り」からポンプ通りを右に曲がり、さらにジョージ・マンデル大通りを曲がる。
この大通りは、マロニエの並木道になっている。マロニエ祭りの時は、華やかであろう。
そのまま初夏のマロニエの木陰を真っ直ぐ行くと、トロカデロ広場に突き当たり、そこにシャイヨー宮がある。
シャイヨー宮は1937年のパリ万博の時に作られたものだから、この中世の街にあってはあまり旧くもない。
その右側は、海洋博物館と人類博物館になっている。

そして、その向こうにエッフェル塔が見える。生まれて初めて見るエッフェル塔は、初夏の西日の中にケダルそうに立っていた。
その辺りで軽い夕食をし、食後は特に何もないので、エッフェル塔に登ってみよう。
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2004年06月10日

ケルンで大爆発

ドイツ西部のケルン市は、その天にそそり立つ美しい大聖堂で有名である。
一週間前ほど、わたしは、そのケルンの街を、とくに、トルコ人街を歩き回り、
昼飯には「トルコピザ」と呼ばれる、厚手のピザのようなのに野菜類を巻いたのを食ったばかりである。安いがなかなか美味い。

トルコ人はドイツでは、しばらく前から移民労働力として入国が増え、
ガストアルバイター(Gastabeiter)、すなわち「外国人労働者」と呼ばれた。
不幸にして、ごみ集めなどドイツ人がやらない仕事をおもにすることから、その社会的なクラスも、下層に位置づけられるようになったのだろう。
当然、住む地区あるいは働く地域も、一般のドイツ人と別になる。

さて、そのケルンの商店街で大爆発があった。
現場はトルコ移民が多いミュルハイム地区らしい。
ケルンでも有名な商店街のすぐ隣である。まさに、わたしが一日中歩き回り、安ワインを買ったところである。
直接爆破にあった商店が2軒あったという。
http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2004/06/10/20040610ddm001030143000c.html
http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2004/06/10/20040610dde007030049000c.html
http://www.asahi.com/international/update/0610/003.html
http://www.asahi.com/international/update/0610/008.html

悲しいことである。
しかも、あと4日ほど前にケルンにいたら、わたしもそれに巻き込まれていたかもしれない。
運とは、いや、人生とは不思議なものである。
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2004年06月09日

自己保身に走るやつ

イラクで、ジャーナリストの方が命を落とした。その勇気ある決意と勇敢な行為に敬意を表し、心からご冥福をお祈りします。

その出来事はわたしが旅行中に起こったので、帰国後、新聞などを調べて知ったのである。
調べながら、かつて「自己責任」と念仏のように唱えていた人達やメディアは、どう言っているのだろうと興味があった。

あれほど強烈に「どんな目にあっても自業自得、死んだって何も言えない」と叫んで一大キャンペーンを展開していたのだ。
今回は、持説にぴったりの事が起きて、さぞかし鼻高々、いや、人が亡くなったのだから喜びはしないものの、
高遠さんたちを(わたしから見れば不当に)非難したその舌の勢いは、さらに増すだろうと思っていた。

しかし、○○新聞も、政治家○○氏と××氏も、一様に「自己責任」論を封印しているように思える。

なんなんだ、この静けさは???
何とか言えよーーぅ。おーーい。

それで思い出したことがある。
アメリカにいた頃、よく手に平を返したように自己保身に走る輩がいた。
アメリカの町に住む日本人は、その絶対数が少ないこともあって、いわば「村社会」を形成している。
その小さな世界では、どの日本人と上手くやっていくかが、大事な問題らしいのだ。

たとえば、ここにわたしと親しくしているXさんがいる。Xさんは、Aさんとも親しいとする。
しかし、何かの拍子に(それは約束を破ったり、陰口の噂を聞いたりと、諸々の実に下らないことであることが多かったが)、わたしとAさんが仲たがいするとする。
その時、Xさんのとる行動が劇的である。
わたしが多数派に属していれば問題はないが、たとえば、AさんにBさんほか多数の「味方」がついたりすると、
それまでわたしと親しくし、あたかも絶対の親友であったかのようなことを言っていたXさんは、突然Aさん方につくのである。

わたしは決して女性蔑視ははしないが、そうした「状況」を見ての突然の心変わりは、不幸にして、女性の知人・友人に多かったようだ。
居場所を得るのに必死だったのであろう。
そうした「少数」の間で生きていくのには。

もちろん、アメリカ人や他の国の人達と友人になれれば、何の問題もないのである。

帰国し、まさかそんなことはないと思っていた。
しかし、こんなに日本人で溢れていても、日本もかなり村社会なのかも知れない。
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2004年06月08日

初めてのパリ (フランス旅行記その1)

今回の旅の最初の逗留地は、パリであった。

フランクフルト経由で入った初めてのフランス。
学生の頃傾倒し、心を躍らせて初めてフランス語で読んだ、詩人ボードレール、ヴァレリー、ランボー、哲学者アランの国である。
画家ピカソ、セザンヌ、ゴッホ、モジリアーニ、その他大勢の画家、彫刻家ロダンとジャコメッティの国。
ルオーとマンティーニャの国。
サルトルとロマン・ロラン、コメディ・フランセーズとモリエール、そしてモンパルナスの国。
中世美術とシャルトル大聖堂の国。

それは、また美味いワインとチーズの国でもあったろうが、そうしたもの(本物)をこれまで口にしたことはなかった。
輸入物のワインは防腐剤が入れられ、本当の味とは異なる。
そうした意味でも、わたしにとって「フランス」は、文学と芸術の国として近かった。

腰を落ち着けた先は、リュ・ドゥ・ラ・トゥール(Rue de la Tour)、訳せば「旅通り」のホテル。
いかにもふさわしい名前ではないか。

ホテルは古い造りで、物陰の小さなフロントの横には、これまたちっぽけなエレベーターがある。
そのエレベーターは扉を手で開け、たった三人がかろうじて乗れるか乗れないか、という時代物である。
スーツケースを入れてしまうと、二人が入るれか怪しい広さだ。

どんな旧式のホテルでも、ヨーロッパのホテルはそんなものであろう。
便利で、清潔で、快適で、能率が良い近代ホテルは、
アメリカ資本が、アメリカ人たちがどこでも自国の快適さを忘れずに暮らせるよう、あちこちに金太郎アメ的に作ったシロモノであるという。

旅とは、不便にあらためて向き合い、日常の中で忘れていた(貴重な)事々を思い出す機会でもある。

「2階」(日本で言う3階にあたる)の部屋に入ると、その古さのホテルにしてはなかなかの広さで、
窓を開けると、小さなベランダの向こう、すぐ下に、「旅通り」の白い露路が見える。
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