2004年12月31日

大晦日

まだ年賀状を書いている。この国では、新年の挨拶としてはがきを送るのが伝統なのだ。その「年賀状」は新年を慶ぶ挨拶状という意味だ。

はがきは印刷したものだが、それでも何か、ひと言かふたこと書きたい。近況でも、お世話になった方にはそのお礼でも。しかし、手の調子が悪いのでペンを持った手がぎこちなく、きれいに書こうとしてもなかなかうまくいかない。時間がべらぼうにかかる。

そんなこともあって、年賀状は極力少数にしているのだが、それでもこんなに遅れてしまった。(仕事で追われたのが本当の原因だが。)

夕刻、そばを茹でて食った。美味いのでパッケージを見たら、「戸隠・石臼挽きの生そば」とある。本当かどうか分からんが、あまりに美味いので、別にあったそば粉を湯掻いて、残ったつゆをかけて食うことにした。

黒豆もある。深夜、一人、湯掻いたそば粉を捏ねる。こんなことが妙に楽しい。いや、この一年何とか無事でおれたことを思い、昨日の写真にあるような不幸な人たち、今年の中越地震で不幸にあった人たちのことを思うと、こんなことさえできて、ありがたいと思う。

年の最後の夜に、除夜の鐘らしきものが響いていた。
posted by ろじ at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々のなにげない記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月30日

異国のJへ

昨日の朝日新聞朝刊に、胸がつぶれるような写真が載っていた。

26日におきたスマトラ沖大地震によるインド洋大津波で、インドでも多数の死者が出た(報道では、1万1千500人)。28日、そのインド南部のカッダロールの浜辺に「身を投げ出して親類の死を悲しむ女性」の姿を、上から写した写真である。

ピンクのサリーを着た女が、前かがみに両手を広げて砂浜に顔を押し付け、口は嘆きと苦しみに押し開けられたように開いている。

砂に押し付けた両手の掌は、天に向けて広げられている。

そのおのれの影が、くろぐろと、開いた口からでてきた嗚咽(おえつ)のように浜辺に広がっている。

あまりの光景に、しばらく目が離せなかった。

多くの子達が親を失った。多くの人たちが子を、伴侶を、友人を亡くした。今回の悲劇は、あまりにも痛ましい。

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夜、仕事の帰り、コンビニに寄ったら、いつもと違って弁当類が売れずに残っていた。そうか、みな年末で東京を出たのか、と気がついた。日本では、年末にはおのれの故郷(古里ではないよ)に帰る人が多いのだ。

しかし、こんなときに限って、すぐ買えるちゃんとした食事ではなくて、カップラーメンを買うとは情けない。(最近、この日本の偉大なる食の発明、カップラーメンが妙に懐かしい。それについては、いづれ書こう。)まあ、小さな寿司も買ったが。

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読者の方々へ
日記再開です。いつまで続けられるかわかりませんが、過去に書きたかったことも含めて少しづづアップしていく予定です。
時々、前の方にもどって読んで頂けるとありがたいです。
posted by ろじ at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 国際・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月09日

いろいろ

まったく書き込みが進んでいなくて、訪れてくださる方には、申し訳ない限りである。

書きたいことも多くサイトのリニューアルも考えているのだが、帰ってくるのが深夜近くでクタビレてしまっている。申し訳ない。近々、過去の日記をアップする予定なので、請う再来です。
posted by ろじ at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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