2005年01月31日

思い込みの平和

またイラク・ネタで、恐縮だが。

昨日来、CNNはイラクの選挙を特集している。いまやインターネット時代ということで、CNNも時々視聴者からの意見をメールで受け付ける。で、お題は、
     「イラクは、アメリカ人の犠牲を捧げるに値するか?(Is Iraq worth American sacrifice?)」
はぁ?という感じですねぇ。頼まれてシブシブ行ったみたいなこと言ってますよ。

こういうアメリカの(あるいは政府よりを標榜しているCNNの)天真爛漫な思い込みは、まったく理解に苦しむ。まあ、これに応えて「アメリカ人は、イラクと人類の平和のために戦ってんだぜぇ」というアメリカ人が多いのが、実は問題なのだが。

夜、テレビ朝日の「報道ステーション」で、イラクのあの町、ファルージャの状況を伝えていた。この町は選挙どころではない、という。アメリカ兵に連れて行かれた現地人が、死体で帰ってきているのだ。その4割は民間人(女、子供、老人を含む)だと、現地の人は言う。頭の後ろから銃で撃たれた跡のある死体もある。死体を焼く煙の向こうに、今日も空爆の白煙が上がる。

テレビ朝日の報道が本当だとするなら(こうした映像を、まったくのデタラメで作るのには限界があるのではなかろうか)、アメリカ礼賛をしている○○君、きみは、こうしたことをちゃんと説明ができなくてはいけない。
小泉さん、あなたもですよ。
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2005年01月30日

イラク選挙とCNNの中立性

テレビ(いやインターネット・テレビ)のCNNで、イラクで投票が始まった、と報じている。
本日、日曜の朝から選挙の投票が始まったのだ。

安全に選挙にいけるよう軍隊が安全を確保している、としか伝えることがないものだから、
その他の時間は、アメリカ(軍)がどこでどのように働いているか、ばかり放映している。
ところどころで、2002年3月19-20日の開戦シーン、いや、一方的なバクダッド爆撃シーンのビデオを写して、
アナウンサーが「こうして、いまや民主的な選挙に至ったのです」と、誇らしげにいう。

CNNのアメリカ政府寄りの報道を見るたびに ―― CNNは、右寄りのタイム・ワーナー社に所有され、
完全にブッシュ政権寄りである(アルジャジーラを「中東のCNN」と呼ぶのは、誤解もはなはだしい。
世界的に観れば、アルジャジーラの方が、よほど中立的だと思う) ―― 
CNNの右寄りの報道(それは、別に良いことでも悪いことでもない)を見ると、
よく報道の中立性とは何かと考えてしまう。

朝日とNHKの例の問題は、気になることはなるのだが、それよりも、
一つの(世界的にも確立し一応一目置かれている)報道局が、自らある政権に歩み寄り、
自ら中立性を放棄していることを、どう考えたらいいのだろう?
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2005年01月29日

映画『血と骨』

在日の映画『血と骨』を見た。済州島から大阪に出稼ぎ労働者としてやってきた朝鮮移民の人生。

場所は、新宿のピカデリー4という小さな、場末のような映画館である。入ってみて驚いた。40人ちょっとしか入らないのである。

開演を待っていると、係りの人が「スクリーンは小さいですから」と警告を発してくれる。しかも、スクリーンは右の方に少し寄っています、という。確かに、入ったとき最前列左の席が空いていたが、そのためだったのだ。
常連が多いと見える。

朝鮮移民の過酷な生を描いた最近では珍しい良質の映画。ただし、主人公・金俊平が、なぜ自分に生まれる子供として執拗なまでに男の子を求めるのか、「血は母より、骨は父より」といわれるが自分の“骨”である息子(金正雄)をどのように思っていたのか、その息子はこれほど残酷な父親をなぜ殺そうとしなかったのか(あるいは、その悩みと葛藤)、そういうことは、原作の小説を読まなければ判らないのかもしれない。ましてや、夢いっぱいで大阪にやって来た金俊平の孤独(に生きることを選んだその理由)や、ひとの愛し方を知らないその不器用さなどは。

主人公には「在日」という「出自」を超えるパワーを感じないわけにはいかなかった。民族の「血」なのか個人の「資質」なのかという問いは、単純なものではない。外国に住んでいると、文化の差をどう思うかなどという問いをよく受けるが、文化の差よりも個人の差の大きさに悩んだことがある者なら、文化や“民族”よりも個人の性格や傾向がより強く影響する文脈があるはずだ、と判るはずだ。そう考えれば、「帰属性」と「個性」の対立は一筋縄ではいかないことが判るだろう。「血」があるからといって、そのまま生きるとは限らない。金俊平の激しい生き方は、それを示していると思う。

崔洋一監督は、最近、大きな監督賞を取ったはずだ。だが、そんな力作でも、こんな文字通り場末の映画館でしかかからないのが日本の実情なのだろう。残念なことである。
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2005年01月28日

インターネット・チャンネル

うちにケーブルを通した。
いわゆる地上波は、あまり面白いものがなく、なにより国際ニュースとスポーツニュースが、定時の報道番組以外入らないのが困る。
アメリカの大リーグニュースは、松井が出ないと何もやらんしな・・・。
衛星放送という手もあるが、うちは向きが悪く、電波が入らない。

いや、ケーブルではなく、正確に言うと、インターネットでテレビ放送を観るのだ。
このあたりは、都会でも、普通に言うケーブルサービスがないのである。都会の不思議。
で、決めたのが「4th Media」という、プロバイダーサービスの一環のもの。

画像が時にイマイチだが、インターネット経由の映像なので、まあ我慢できる。
チャンネル操作がトロいが(楽しいチャンネルサーフィンができない!)、インターネット経由なので、まあ我慢しよう。
スポーツチャンネルはあるが、NFLもMLB(大リーグ)も(たぶん)契約金の関係で放映しないが、しかたあるまい。
しかし、勧誘の広告に入っていた、「USAスポーツセンター」というスポーツニュースを、その時刻になってもぜんぜんやらないのは、どうしたことか?!!
だまされたゾ!

数日間観察しても、あいかわらずやらないので、
その番組を放送しているのESPNに電話した。

おねぇちゃんが出てきたと思ったら、男のしっかりした声に代った。
その説明をまとめると、
「アメリカの大リーグ野球機構は、試合やその一部などを衛星やケーブルで放映するのは良いのだが、インターネット経由のものは禁止しているので、したがって、インターネット経由の4th Mediaでは、それが含まれるニュースさえも放送できない」
とこと。

そこで、ちょっと意地悪いと思ったが、
「実は、頂いたプロモーションの案内やウェブの番組表などを拝見して、『USAスポーツセンター』をいつまでもやらないのは解せない、と思っていたのですが、それじゃあ、これは、ESPNさんとゆうより、4th Mediaさんの問題でしょうかね」
と訊いてみた。
すると、男性は、
「いや、そのように広告していたESPNの問題ですし、ちゃんと見れないケースがあることをウェブのHPにも告示すべきです」
とおっしゃる。なかなか誠実に対応してくれる。

どうやらこれは、アメリカ大リーグとの契約上法律に縛られて、将来的に改善を期待するしかなさそうである。
そのように申し上げると、「はい、できるだけ努力していきます」と回答してくれた。

うむ、納得だが、「USAスポーツセンター」に釣られて入会したこっちはどうなるんじゃ?
ほかのスポーツは、欧州サッカーばかりじゃないか。
やっぱり、納得いかん!
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2005年01月26日

ついにやっちまった

アメリカから来て、もうかなり日本的になったと思うが、
自分がまだまだ「アメリカ人」だと思う振る舞い。

その一。見知らぬひとに話しかけること。
あちらでは、共通の関心ごとや何か同じ場を共有していれば、
話しかけ、または、ジョークなどを言うのは、自然なことである。

ときどき、街で、ある女性などが面白そうな本を持っているのを見かけると、
話しかけて本のことを聞き出そうとする衝動に駆られる。
これは、変なおぢさんと思われるからやめろと、回りに釘を刺されている。

その二。ハグ(「抱擁」はちと大げさ、「抱きしめ行為」では何のことやら)をしそうになること。
いや、これは説明も要るまい。
日本ではやらない。それだけである。
かつて、あちらに行く前、アメリカから来日した学生(女性を含む)と
駅前で別れるとき、ハグされて、異常に恥ずかしかったことなんて
とうに忘れているのだ。

むこうでは、単なる知り合い同士でも、
深刻な話をした後に、相手を元気付けるためにするのは普通なのだ。
いいですか、それが普通で、別に変な意味はないんですよ!!

それが、先日、ある人とかなり真面目な話をした後、やってしまった。
セクハラの訴えに、怯える日々。
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2005年01月25日

アメリカからのニュース (2)

スーパーボールチャンピオンシップ・トロフィーは、ロンバルディ・トロフィーと呼ばれるが、そこに留められるのは歴史上最高のコーチ、ロンバルディ(Lombardi)の名である。ベリチェックは、今回の勝利でプレーオフ通算9勝1敗になり歴代最高勝率(9割)を達成し、そのロンバルディと肩を並べたのである。しかし、彼は、インタビューに答えて、ただ「同じ文章の中で彼とともに言及されるだけで光栄だ」と言った。そんな男なのだ。

もう一つのカンファレンスNFCのチャンピオン、フィラデルフィア・イーグルスとの決勝戦、すなわち「スーパーボール」は、2月6日である。

      *************

もう一つの悲しいニュースは、アメリカテレビ界の「深夜のトークショウ王」と呼ばれた、ジョニー・カーソンが亡くなったことである(79歳)。

カーソンは、1962年秋から92年春まで30年間、NBCテレビの人気トークショー「トゥナイト・ショー」の司会者を務めた。アメリカのテレビでは、深夜11時半台から始まる、ゲストを招いてのトークショウは、娯楽番組の花形と見られているので、彼はまさに「深夜番組のキング」だった。

現在、深夜のトークショウのホストには、NBC「トゥナイト・ショー」のジェイ・レノ、CBSテレビ「レイト・ショー」のデビッド・レターマンがいるが、自分が知る限り、特に品格の点において、この二人はカーソンの足元にも及ばないと思う。

いま深夜トークショウで行われる多くの催しやギャグは、皆、カーソンが始めたもののようだ。有名人ゲストのインタビューの前に、あちこちの名物人間を呼んだり動物のショーを見せたり。今回のカーソンの死に当たって、レターマンが、「われわれは皆、カーソンのふりをしたがっているだけなんだ(we all try to pretend to be like him)」と言ったのは、業界裏の真実も突いているだろう。

アメリカにいた時から、ジェイ・レノのジョークはあまりに品がなくて好きではなかった。周りのひとに嫌だ嫌だといって不審がられたが、それは、レノが他人や他の人種国民を侮辱したりダシにしたりすることが多かったからである(その典型が、ソウルオリンピックの時、韓国人が犬肉を食すのをからかって、韓国人の顰蹙をかった事件)。それが受けることでもわかるように、そうしたジョークはアメリカ的なのだが、カーソンのジョークは、もっとずっとマシだったように思う。

ちなみに、デビッド・レターマンが番組で繰り出す冗談の一部は、時々、カーソンが作っていたという。
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2005年01月24日

アメリカからのニュース (1)

書きたいことが多いときに限って、忙しいので困る。
さて、アメリカから嬉しいニュースと悲しいニュースが飛び込んできた。

          ***************

まず嬉しい知らせは、アメリカン・フットボールで、ボストン近くをホームグラウンドとするニューイングランド・ペイトリオッツが、アメリカン・カンファレンス(AFC)の優勝決定戦で勝ち、AFCのチャンピオンになったことだ。

昨日の日曜日、ピッツバーグ・スティーラーズを41−27で破った。スティーラーズは、新人QBロスリスバーガーを擁し、今シーズン15勝1敗と最高勝率を誇ってきており、しかも敵地ホームグランドで。AFCのチャンピオンの候補に挙げられていたペイトリオッツだが、シーズン中にはスティーラーズに不覚を取っている。その時は、ペイトリオッツは、RBのディロンやWRのかなめギヴゥンスを欠き、いわば飛車角落ちで戦ったので、今度こそとは思っていたものの、やはり気がかりであった。

前回、プレーオフの第一戦では、いまやフットボール界最高のQBといわれるマニングを中心とした「ハイパーオフェンス」のインディアナ・コルツに、20−3で完勝している。

難敵コルツ、スティーラーズを連覇するあたり、昨季スーパーボール王者の貫録であるが、実は、今シーズン、ペイトリオッツは主力選手にけが人が続出であった。ディフェンスの中心でほぼ毎年オールプロに選ばれるCBローを、脚の骨折でシーズン初めから欠き(つい最近出てきたと思ったら、また怪我)、その他のCBもほとんどが怪我で働けず、ディフェンスのセカンダリーが、一時みな怪我で出場できなくなったほどだった。スティーラーズ戦は、ディフェンスのもう一人のかなめ、シーモアがひざの怪我で出場を取り止めている。

それでも、コーチのベリチェックは、いろいろな人材を応急処置的に使って、なんとか勝ち続けてきた。去年までオフェンスのWRだったブラウンを、ディフェンスのCBに使うなどという奇策も見事にやり遂げてしまったのである。まさに、天才的なコーチである。

コーチのベリチェックは、そのアメリカン・フットボール知識に関して、今や右に出るものがいないほどの博識なのである。しかし、アメリカにいた時に近くで見たこともあるが、きわめて謙虚な男である。
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2005年01月23日

心中というテーマは外国にも・・・

親子(母子)心中というのはきわめて日本的な現象だと、よく言われるが、
どうやらそうでもないらしい。

先日、ラジオでドイツ語を勉強していたら、男に捨てられた母子が湖に身を投げて心中する、という歌を取り上げていた。

題を「マリーヒェンは庭で泣いていた(Mariechen sass weinend im Garten)」という。
手回しオルガンを回しながら歌う。
     おまえは可愛らしく まさに夢見るように
        寝ているね
     かわいそうな おまえ
     おまえのお父さんは わたしたちを
        見捨てたんだよ
ちょっと明るい旋律をもつが、かえってそれゆえに、物悲しさが募る。

これは、ドイツのベンケルザング(大道歌)の系譜につながる歌で、19世紀後半の非常に庶民的な歌の一つだったそうだ。ベンケルゼンガー(大道歌手)たちは、町の広場で手回しオルガンを鳴らしながらバラードを歌って、投げ銭を稼いでいた。この歌も、そのように歌われたものであろう(NHKラジオドイツ語講座テキスト)。放送では、レナーテ・ニールセンという演劇女優がオルガン伴奏で歌ったが、なんともいえない切なさがあった。

もちろん、その背後には、悲惨で厳しい社会的現実、残忍な犯罪や重い苦悩があり、大道歌手が歌ったのもそういう事実だったからこそ、人々の心を引いたのであろう。
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2005年01月22日

ライプチッヒの女 (その3)

Bは、アメリカから帰国後、
イギリスへドイツ語を教えに行き、
そこで妻子ある男と恋に陥った。
しばらくの“蜜月”の後、男に捨てられ、
その男の子も流産した。

ボロボロになって帰ってきたのは、つい一年前のことだった。
ドイツに帰る直前、旅行先のアイルランドから絵葉書をくれ、
「これからどうすべきか、どうしていいか、まったく分からない。
ただ、まわりの景色がきれいで、心を癒してくれる」
と書いていた。

彼女は、故郷に帰って一年を過ごすうち、
やっと「自分を取り戻し、生きるのが楽しくなった」と知らせてきた。
その証拠に、新しいひとを見つけ、結婚することになった、
その結婚のお祝いに、ぜひドイツに来てくれないかと。

祝いの宴は、小さなレストランで開かれた。
7月のみずみずしい木々で囲まれたパティオに、
テーブルと椅子が簡素に並べられ、
人々は静かに、しかし、和気藹々と語り合っていた。

テーブルで酒を飲んでいると、その木々の香りがした。
「ねえ、わかる?これ、ライムツリーよ」と、Bが言った。
「ああ、いい匂いだ。」
「知らなかったわ、こんなところにライムツリーがあるなんて。
きっとここは、すばらしい思い出の場所になるのね。」
もちろんさ、と、わたしは心の中で言った。
「これからの、Bの癒しの場所になるんだと思うよ」
そう言うと、Bの眼が、澄んだ湖のように輝いた。
Bのしあわせを心から願った。

暮れ始めた空には月がかかり、
初夏の気持ちのいい乾いた空気が、あたりを包んでいた。
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2005年01月21日

アメリカ大統領2期目スピーチ

昨晩、テレビで、ブッシュ・アメリカ大統領の就任演説を観た。日はすでに変わり、金曜に入っていたが。

通訳なしで英語で聴いたが、きわめてお粗末なスピーチだと思った。Freedom、Liberty(ともに「自由」と訳す)という言葉がひっきりなしに現れ(NHKの報道によると、その回数45回)、言葉の選択もよく考えられたものとは思えなかった。時に歴史に言及されるものの、また直ぐに自由の理念の話にもどり、ほとんど一貫性がないように感じられた。

彼の昔のスピーチ・ライターは辞めてしまったのだろうか。以前、選挙運動をしていた頃はもっと、いや、遥かにマシだったように思う。ブッシュ氏自身で書いたのかと思ってしまう。

イラク・北朝鮮についても具体的な表明はなかった。まあ、これは予想されたことだったが。

金曜の夜のフジテレビのニュースで、妙なことを言っていた。過日、ライス次期国務長官のヒアリングで、彼女が「圧制の拠点」としてイランや北朝鮮を揚げたが、キャスターらしき男性(“キャスター”だから解説もするんである)は「今回のブッシュのスピーチ内の表現『圧制に終止符を』は、そのライスさんの発言と、どこか繋がっているのかもしれない」と言う。

いや、絶対繋がってると思いますよ。はっきり言って、政治的発言をする以上、そういう文脈考えてものを言ってるのは当たり前でしょうが。そりゃ、キャスターのコメントとしては、ちょっとナイーブ(日本語のではなく、英語Naiveの意味)過ぎると思うぜ。ノンビリでいいなあ。
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2005年01月20日

ライプチッヒの女 (その2)

美しい旧市庁舎が建つ、ザクセン広場(Sachsen-platz)
中ほどにある噴水を取り囲むように カフェやレストランが立ち並ぶ。
(その景色は、http://leipzig.lvz-online.de/leipzig/index_start.html
の真ん中にあるカメラマークをクリックすると、360度パノラマで見ることができる。)

夕方になると、旧市庁舎の反対側にあるカフェやバーの前におかれたテーブルは、
夏の長い夕べを楽しむ人々で ごった返すようになる。
路地に立錐の余地なくあふれた人々を、一台のロンドンタクシーが無理にこじ開けて行く。
Bは、あれはライプチッヒで唯一のロンドンタクシーなのだと言った。

その路地のさらに奥に、ちょいと小洒落たレストランが軒を連ねる。
ライプチッヒに到着したその夕、Bはレストランへ連れて行ってくれるといった。
“まさにドイツ”という肉料理を、“まさにドイツ白ワイン”で楽しめるかと期待したが、
連れて行ってくれたのは、イタリア料理レストランだった。

ぼくは、イタリアからやって来たばかりなので、ちょいと閉口したが、
ドイツ人にとってイタリア料理が、最高のご馳走と言われて、断る理由もなかったのである。
初めてのドイツのレストランで食う、イタリア料理。
西に傾いた夏の陽に、イタリア赤ワインが華やかに輝いた。
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2005年01月19日

ライプチッヒの女 (その1)

ラジオで聴き続けているドイツ語講座、
今学期の全体スキットのストーリーのタイトルは
「ライプチッヒの初恋」という。
旧東ドイツのライプチッヒが舞台だ。

話は、ロシアからやって来た美少女が
現地の男の子の力を借りて問題を克服していくうちに・・・
まあ、あとの展開はご想像のとおりだとおもうが、
その話に出てくるいろいろな名所が、
とても懐かしい。

90年代の中ごろ、わたしは、ドイツのライプチッヒを訪れた。
友人のBがいたのだ。

当時は、「壁」が崩壊してしばらく経っていたが、
旧東ドイツの町はやっと都市計画に取り掛かっていて、
ライプチッヒもその例外ではなかった。
旧体制中にないがしろにされ、痛みきった都市ライプチッヒの
歴史的に有名な市街地は、あちこちが「工事中」で、
ライプチッヒの真ん中のザクセン広場のわきにある商店街も
ちょうど取り壊されているところだった。

ライプチヒらしいというか、ドイツらしいと思ったのは、
建物を取り壊し、新しくするのでも
歴史的な表(ファサード)だけは残して、その後ろの建物を建替えるやり方だった

しかし、街を少し離れれば、緑豊かな古い街並み。
そんな街に、アメリカで会ったBは住んでいた。
(続く)
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2005年01月18日

美女とシュールレアリスム

仕事休みの、とあるカフェ。
向かいの壁に、鮮烈な感じの絵が掛けてあるのに眼が行った。

アメリカの抽象画家、マーク・ロスコのような
太い筆で描いたような単純さ、そして強烈な赤と黄色の色彩。
(例:http://storage.kanshin.com/free/img_4/49593/804249685.jpg
ロスコ生涯の前半の暗い絵ではなく、
後半の「マルチフォーム」のような鮮やかな色調が
昼時のカフェを、きりっと引き締めている。

(むかし、ニューヨークのメトロポリタン美術館で、
ロスコその他の現代絵画を眺めていたら、近くにいたお婆さんが
「なんて絵ですか、これは?気味が悪くなるね!」
といわれ、苦笑するしかなかった。
メトロポリタンは、現代絵画と印象派などの近代絵画は別のセクションにあるが、
その下の階にルドンのデッサン展があったので、紛れ込んだのだろう。)

そちらに眼が行ったのは、その絵のせいばかりではないらしい。
その下に、白いセーターを着た少々華やかな美女が座っている。

その組み合わせが、ちょっといい。
うーん、となぜ良いのか考えていて思いいたった。
ロスコの絵がニューヨークで受け入れられたのは、
彼の単純な色調が、きっと、ニューヨークの華やかさと
マッチしたからかもしれない。
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2005年01月16日

金子みすゞ

金子みすゞという詩人の展覧会を見てきた。

詩人の展覧会であるから、その詩が壁に張られているのだ。
いま、大変な人気者らしく、会場はものすごい混雑だった。
「みんなちがって みんないい」というあの有名なセリフを書いた詩人だ。

ほぼ全部が、五七調の、ちょっと中原中也を思わせる言葉。
最初は、どうせ新聞社(朝日新聞)が流行りを作り出そうとしてんだろう、ぐらいに思っていて、
あまり真剣に見る気もなく、壁の詩を眺めていた。

しかし、ちょっとガツンとやられた。
弱いもの、見過ごされたもの、日の当たらないものに対しての想像力豊かな視点。
とても生き生きしたいい感性だと思った。

この世に、たった3冊の詩集のみを残し、自ら命を絶ったという。

彼女の素朴だが美しい詩は、童話・童謡の部類にも入り、
多くの絵本があり、そのいくつかは
ネパール語英語ドイツ語フランス語を含めた多くの外国語に訳されているという。
展覧会の最後に、その絵本の挿絵がいくつか展示されていたが、
みな、すばらしい筆の使い手であると思った。

伝説の言葉使いが、珠玉の絵筆に出会った幸運であると思った。
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2005年01月15日

苦しみの後に、楽しみ、来る!

やっと終わった、
イギリスの資料調査

終わったのは 明け方の
カラスが ごっクロウ(Crow) と啼く時間

***********************

アメリカに住む心優しい友人が、レッドソックスに関する本を送ってくださった。
題して『Faithful』(「裏切らない、誠実な、真心を尽くす」という意味の形容詞だが、「忠実な支持者」という意味もある)。
熱狂的なファンの二人の作家、スティーブン・キング(そう、あの有名なスティーブン・キング氏である)とスティワート・オナンが、一年のほとんど毎試合をフォローし、その熱狂、いや、クレージーぶりを書きとめた本だ。

今年のワールドシリーズまで試合を、一試合とも見逃さず追い続けた著作で、
日本のレッド・ソックス・ネーション(Red Sox Nation)の副大統領として(大統領は空席)
これは、嬉しいことこの上ない。
まあ言ってみれば、パズルの空いたところに破片がピッタリはまる感じの、まさに必要としていた代物である。
それをアメリカのお方は、知っててくださった。感謝である。

うしし・・・、これからが楽しみだわい。
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これぞ、ドラマ

テレビで『ER』を観た。今回の放送は、アメリカで数度観ているので繰り返しになるが、やはり迫力がある。

人間なんて、心うつ体験をしたって、もの凄い事件に出会ったって、
そう簡単に変わるものではない。
そんな簡単に真人間になれるなら、この世は善人であふれている。
そりゃ、みんな知ってる真理だ。

しかし、お手軽なドラマでは、人間がクルクルくるくる
変貌したり、とつぜん愛したり、とつぜん嫌いになったり
かと思うと、スーパーマンか仮面ライダーのように
なんでもできてしまうやつが現れたり ――
そんなのは、50分で必ず解決する探偵ストーリーよりタチが悪い。

性格がイコジの者はイコジのままに、頑固者はガンコのままに、
屈折したやつはそう簡単に真っすぐになんかならず、
淋しがり屋は寂しさの虫を殺すことができないまま、
ノーテンキはノーテンキのままに、チャランポランはそのまま無責任に
世界に怒ってる者は怒りを自分の中に留めておくことができず、
そうやって、いろんな“欠陥”のある人々がゴチャゴチャ一つになって“ドラマ”が生まれるのだと思う。

今回の『ER』、いつものように、けっして目に優しく耳に穏やかな話ではなかったが、
ほっとした。まともな番組もあるもんだと。
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2005年01月11日

「ヒューマンドラマ」

久しぶりで日本のドラマを見た。
『救命室24時』とかいう、
救急医療室を舞台の「ヒューマンドラマ」(というんだそうだ)。

溢れるヒロイズム、涙を誘うもったいぶったセリフ、先輩医師のかっこいいアドバイス、真剣な話なのに俳優の定まらぬ視線、思わせぶりな身のこなし・・・
そんなものばかりに溢れ、軽やか、いや、軽くて、細くて、
人生のどうにもならない難しさよりもスマートさだけを追求したようなオハナシ。
これでは、本当に現場で苦労されている方々が、泣くだろう。

アメリカの『ER』のマネか、とおもわせるところもあったり。
『ER』のマネをしたいなら、
そのスピリッツもまねてくれ。
和製『ER』を作りたいなら、
等身大の人間を出してくれ。
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2005年01月08日

新しい理髪店事情

土曜日に朝日新聞についてくる「BE」という特集に、最近、早さと低料金を掲げるヘアカット専門店が流行りだしている、という記事が載っていた。
http://www.be.asahi.com/20050108/W13/0044.html

「10分1000円、カットのみ」を掲げた「QBハウス」が先駆者らしいのだが、そのお手軽さで人気が出、女性は美容、男性は理容という伝統的な垣根を崩し始めたという。

アメリカに行って気づいたのだが、日本の床屋というのは高いし時間もかかる。「高い、時間がかかる、予約が面倒」といったのが美容室への不満トップ5らしいが、これはかつての床屋の問題でもあった。かっては4000円以上は普通で、一時間は待たされるのが普通、まさに殿様商売。

理容師は男性、美容師は女性を対象に発展してきたのは確かだろうが、厳格な区別をすることにもはやどれだけ意味があるだろうか。全国理容生活衛生同業組合連合会(全理連)や全理連中央講師会(大野悦司幹事長)の立場は、「一般に理容師は頭髪を整えることが得意で、美容師は変化をつけることが得意。両者のカットは似て非なるもの」。現代の若者の髪型でか?

特に、法制上、「理容師法、美容師法によって、理容はヘアカットや顔そりで容姿を整える、美容はパーマや化粧で容姿を美しくすると定義づけられ、法解釈上、美容師は顔そりをすることができず、理容師はパーマだけをかけることはできない」というのだから、まったくワケ判らん。

こういう不可解極まりない理不尽・アナクロにもとづいた頑固な制度は、どんどん崩壊していくべきだと思う。
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2005年01月07日

英国の試み

年末、正月と休みなしで何をやっているか。ある文書を読んでいるのである。

環境問題は西欧諸国でも重要な課題だが、政府や産業界の事業を国民に納得させるのはたやすい仕事ではない。それでもいくつかの国では、(原子力発電から出る)放射性廃棄物や危険な化学物質などについてどうするか、国民・市民や業界が一緒にオープンに決めていこうという試みがなされている。

英国(イギリス、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド)では、それがちょっと感動的な仕方でなされている。市民が、自分たちで問題点を設定し、それに応える専門家を選んで徹底的に質問し、得た答えについて議論し政府に対して提言をするのだ。

かたや日本でどうか?ついこのあいだ、原子力業界は、放射性廃棄物をリサイクルする工場を作るために、それにかかる費用を長い間隠していたことが判明したばかりである。

いや、日本では、議論をして<から後に>工場設立をするのではない。すでにリサイクル施設は青森の六ヶ所村にできている。日本は、こんな市民を置き去りにすることばかりだ。関西空港の第二滑走路や神戸近郊の新空港にしても。

さて、その文書だが、それがインターネットから落とした英語の文書で300ページほどある。全部読まないにしても、ざっと目を通し必要な箇所を読んでメモを取り、さらに文章によってはウェブサイトのリンクが張ってあるのでまたそこに目を通し・・・しているうちに、さらに200ページで500ページにになった。こんな作業は、わたしの能力では2,3週間あっという間にかかってしまう。

おかげで、日本の正月に、毎日コンビニ食を食いながら、イギリスやフランスの資料を読むはめになった。しかし、日本のコンビニ食のレベルは高い。これは世界に誇れるものかもしれない。
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2005年01月06日

トレーニングジムの困った面々

Jよ、前にも言ったかと思うが、体力維持のため、また、持病はストレスが一番いけないらしいのでストレス解消のため、定期的にジムに通っている。

おかげで、この数ヶ月で体重が6キロ減った。肩幅も胸囲も一回り大きくなり、元からガタイの大きかったわたしの体はさらにがっしりして来た。まさにレンガのよう、いや“歩く国会議事堂”。

ジムにはだいたい夜行くのだが、仕事帰りなども多いので混んでいる時間帯は決まっている。混んでいれば、いわゆる周りの人を考えない利用者も多くなる。ある混雑時は、ちょっと困った時間帯である。ジムが閉まる一時間くらい前なのだが、“ジムにたむろすことを目的とする常連”が多く、その中には「おれの筋肉モリモリ、ほら、ぜひ見てちょーだい」タイプが多いようだ。

確かに、アメリカにいたころ通っていたジムにもそういうのはいた。筋肉をいかに付け、いかに盛り上げて見せ、かつイカスにぃちゃんであるかを追及するやつらである。しかし、そういうやつらは、普通、他人に迷惑はかけない。

ところが、ここのジムに来る上のタイプは、五月蝿(うるさ)い。

典型的なのが、いつもグレーのシャツと黒の短パンをはき、頭でっかちでボーズあたま(本人は刈上げてると思ってるらしい)。知り合いに誰彼となく話しかけ、いる時間の7、8割がたは話している。しかも大声で話すので、うっとうしい。

バーベルを持ち上げるのが専門らしくバーベルのおかげで上腕はかなり太いが、自分の嫌いなトレーニングはしないので、わき腹などブヨブヨ、足腰は細い。スポーツマンタイプを追求するにしては、色も白い。ひそかに「白ダコ」と呼んでいる。

この白ダコ、ほとんどが離れた所にあるバーベルのセクションで運動しているのだが、知り合いを見つけるとやって来る。白ダコ、バーベルマンらしくなくチョコチョコ走り回るのだ。大声で筋肉をつけるウンチクなんぞを語るのが、いやでも聞こえてくる。

かと思うと、思い出したように、その辺の器具でウェートをする。このジムでは器具を使った後に自分で器具の汗をぬぐうことになっているが、こういう男に限っておざなりである。

白ダコ、ジムで働くある女の子にご執心らしく、その子がいると長々とその日の話などをしている。大声で話しかけるので、トレーニング器具を使うほかの人たちも困った顔をしている。

白ダコ、油を売るのが好きとは、君は、蝦蟇(がま)か?たしかにそんな感じである。
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2005年01月05日

全国で年賀状の数、減る

いただいたものに対する返礼も含めて、年賀状を書き終わった。

今年は、全国で年賀状の数が減ったというニュースが流れていた。そりゃそうだろう、と予想していたとおりなので、驚きもしない。

E−カードなどという「電子年賀状」も一部では市民権を得始めている。時間も手間もかからずお金もほとんどかからない電子メールに人々が走るのは、自然な流れである。携帯での挨拶が普通になりだした背景もある。

たしかに、お世話になった人々にはやはり本来の「賀状」を送らなければ、と思うが、賀状を送った年配の方の方が電子メールで返礼をしてくるということもあった。さらに外国の友人など、賀状よりも電子年賀状の方が確実なこともある。

電子メールよりも、賀状をいただいた方が嬉しいのは確かだが、手紙というものを書くのが小さいときから大の苦手なので、電子メール化はありがたいのだ。
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2005年01月04日

ホームレスの仲間になる

日本に暮らしてしばらくたったが、あいかわらず、なかなか日本人とは認めてもらえない。

だが、ホームレスに仲間とみなされるとは思わなんだ。

昨日の夕方、コンビニの前で肉まんを食っていたら、横にボサッと立っていたホームレスのおじさんが親しげに話しかけてきた。

そりゃ、たしかに、こんないい正月の三が日に、しかもいまにも小雪舞うような肌寒い夕方に、コンビニの前で肉まんを食っていたらそう思うのも仕方ないかもしれん。

たしかに、わしの着ていた革のコートはかなり古びていて、見たところチトやばいオーラさえ発しておる。このコートは、アメリカにいた時、苦楽を共にした相棒である。
 おろしたての日、ボストンのイタリア人街を闊歩していてチンピラに絡まれた時も、
 メーン州の田舎で雪に立ち往生した時も、
 ボストン郊外の灯りさえないハイウェーで車がエンコして一晩そこで過ごす破目になった時も、
 やはりハイウェーで車がぶっ壊れて(ああ、わしの車はいつもエンコしていた)駆けつけたお回りに罪人扱いされた時も、
いつも一緒の長い付き合いなのだ。君らにはわかるまい・・・

・・・確かに、ホームレスには判らなかったようである。どう見てもホームレスのおっさんは親しげに話しかけてきて、「こんな日は外に住みたくないようねえ」と言った。確かにそれには賛成できたから、「そうだねえ」と答えた。
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2005年01月03日

アメリカ人の感情表現と都内温泉

昨日のダニエルとの会話中に出た話題。

ダニエルはイギリス人なのだが、イギリス人とアメリカ人とはちがう、感情の表現の仕方なんかはむしろ日本人に似ている、という話になった。
「ほら、ひどく腹が立ったとき、アメリカ人は『おれは頭にきた(I'm pissed)』って単刀直入に言うだろ? イギリス人だったら、眉毛ちょっと上げて『あんまり嬉しくないね(I'm not happy)』って言うんだ」と、実際に眉を上げて見せた。
「で、日本人はなにも言わない・・・。」
「ははは、そうだなぁ。」

これは何度も言われ続けていることだが、確かにそうである。アメリカ人は単刀直入である。その点、世界的に見ても彼らは突出していると思う。

国民性の違いは仕方がない。問題は、彼らがそれを良いことだと思っていて、その上に、そのやり方で世界を席巻できると思っていることなのだ・・・。

わたしも、アメリカで生活しているうちに、それにかなり染まっているのではないかと心配なのである。
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豊島区の「庭の湯」という温泉に行った。大晦日、正月3日間と休みなく働いていて、さすがに肉体的に参っている。ここはお手軽な都内の温泉でなんとかせんと、体がパンクする・・・、と思ったわけだ。

ここは豊島園の隣、電車で行けばあっという間である。しかもオプションでマッサージがを受けることができて、これが凝りに凝った背中や肩には、また実にいい。安いものではなくたまにしかできない贅沢であるが、長年スポーツでたまった疲れからくる腰痛や、長時間コンピューター使用の姿勢のせいで亀の甲羅のようになった背中には、必要な投資かもしれない。

・・・と考えたのは、わたしだけではなかったようだ。行ってみると、ほとんど満員。バーデの外にあるジャクジーは芋を洗うような混雑。二階の「リラックスルーム」のイスは、全部埋まっていた。

帰りに入り口を見ると、なんと、整理券が発行されていて人々がベンチに座っていた。

1月1日の日記アップしました。
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2005年01月02日

ゲイの友人と会う

今日は、ゲイの友人、トム(仮名)と会った。

考えてみれば、ゲイやレズの友人が多い(ここでは、「ゲイ」「レズ」を何の偏見もなく使う)。アメリカでもレズを含めて同性愛の友人は6、7人はいた。今回はただお茶を飲んでしゃべるだけであるが、ゲイの友人と会うときは妙に緊張するのである。

まず、着るものに気を使う。ゲイの方は、たいてい着るものに気を配り、かなりがオシャレである。別にデートするわけではないが、こりゃダサいおっさんやで、という目で見られるのも嫌である。第一バランスが悪すぎる。かといって、妙にオシャレしたら変な“シグナル”なんぞを送ってると取られても困る。

結局、黒いタートルネックに灰色のセーターといういたって“暗い感じ”に決めた。と、トムが先日、皆で食事に行ったときに、似たような灰色のセーターを着ていたのを思い出した。あれは、いわゆるセミ・オシャレ着かもしれん。だとしたら、異国の日本にあまりセーター類を持ってこなかった彼は、それを着てくるであろう。下手したら、ペアルックになっちまうぞ。そりゃ、マズイことこのうえないであろう・・・。

案の定、トムはその灰色のセーターを着てきた・・・。うむ、第一難関突破 ――。

話しているときも、やや緊張する。ティムはテーブルに体を預けて乗り出してくる習慣があるので、同じ格好をすると、二人の顔は30センチも距離をおかずに向かい合うことになる。これも、かなり、まずい。トムの方は緊張しなくても、こっちが落ち着かなくなるのである。

結局、ゲイやレズの友人と話すときは、ふんぞり返ることになる。さぞかし傲慢なやつだと思われているであろう・・・。

話は、イギリスの政治、特にトニー・ブレアの外交から、梶井基次郎、そこから日本の「私小説」と夏目漱石に。正月早々、東京のど真ん中で梶井基次郎について口角泡を飛ばして話している二人組み(片方はゲイ)も、そういないだろう。

帰宅し、ありがとうメールを書こうとしたが、ここでもまた、ちょっと躊躇する。「ありがとう。楽しかったよ、また、ぜひ会おうよ」では、完全に次回にデートを期待する“フォローアップ”である。
さて、どう書くか・・・。
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2005年01月01日

日本のテレビ番組

昨日今日と、いくつかのテレビ番組をみた。Jよ、日本では、大晦日から正月の少なくとも3日にかけては休みなので、テレビ産業は腕の見せ所なのだ。

日本の正月番組をゆっくり見るのは久しぶりだが、十年以上前と変わりがないので驚いた。あいもかわらず、同じようなネタ(多くは楽屋落ちか内輪話かスケベ話)で、同じような笑いをとっている。しかも十年以上前にもいた同じ“タレント”たちである。

まあ、それは良いとしても、先日の悲劇がつい海の向こうであれほど多数の人命を奪ったばかりのに、このうかれ様はどうだろう。何百名かの邦人はその居所さえつかめていない。確かに、中越地震の直後は自粛があったようだが、今回はその「地震大災害」の比でないはずだ。

チャンネルサーフィンをしながらたまたま見たいくつかのテレビ番組は、あまりにお粗末だと思った。正月番組はすでに収録されている、と局側は言うかもしれない。しかし、そのいくつかは「生番組」であった。日本は、そういうメディア風土なのだろう。情けないなあ。

今日の夜、地球のはるかかなたのウィーンで恒例の「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート」が行われるのを、NHKが生中継していた。毎年、コンサートの最後には、アンコ−ルとして『ラデツキー行進曲』と『美しき青きドナウ』が演奏される。『ラデツキー・・・』では、観客は一緒に拍手をしながら演奏に参加し、新年の歓びを分かち合うのが常である。

しかし、アンコールが始まると同時に新年の挨拶をした指揮者のロリン・マゼルは、それに続けて、つい先ごろのスマトラ沖大地震による惨事ゆえに今年は『ラデツキー・・・』の演奏をキャンセルし、また、ウィーンフィルもいくばくかの寄付を行うつもりである、と述べた。

人の悲しみ・悲劇に心を寄せる当たり前の行動。スマトラ沖は、日本から見ればすぐそこであろう。

Jよ、俺は、日本のことがとても恥ずかしくなった。
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