2005年03月30日

判定に不満の北朝鮮観客、暴徒化

これで次の北朝鮮のホームゲーム(たぶん日本戦)は、観客なしか、中立国での試合になるだろう。

http://www.nikkansports.com/ns/soccer/f-sc-tp0-050330-0026.html

W杯アジア最終予選の北朝鮮−イラン戦が行われた平壌の金日成競技場で30日、判定に不満な北朝鮮の観客が暴徒化し、警察が出動した。一時数千人が集まり、出動した警察官ともみ合う場面もあったが1時間余りでほぼ沈静化した。イランチームと審判団、外国報道陣は競技場内の部屋に一時避難した。
 きっかけは後半40分過ぎのプレー。ペナルティーエリア内で北朝鮮の選手が倒されたかのようなプレーがありPK獲得かと思われたが、主審は流した。この判定に選手が激高、キム・ヨンジュンが激しい抗議のため退場処分に。スタンドから瓶や缶、取り外した座席などがピッチに投げ込まれ、試合は約10分間中断した。
 北朝鮮が敗れた後も観客は抗議の声を上げ続けた。物が投げ込まれ4人の審判はピッチ中央から引き揚げることができず、約30分後、警察官に囲まれて移動。競技場正面玄関のホールでは、イラン選手がインタビューを受けているところに群衆がなだれ込んだ。イラン監督の記者会見にも興奮した十数人が乱入。(日刊スポーツ)
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2005年03月27日

今シーズンのイチローは確実に進化した

 大リーグ野球、マリナーズのイチローの調子がとてもいいらしい。

 オープン戦(あちらでは「エキシビション・ゲーム」という。フロリダにキャンプするチームを集めてリーグを作って、「グレープフルーツ・リーグ」とか呼んだりするが)での連続ヒット記録を更新中だ。

 イチローをテレビで観ただけなので、絶対的な断言はできないが(本当は、一打席の全ての投球に対してどう対応しているか観ないと打者の性質はわからないものだ)、安打を力まず打っている感じがする。昨シーズン身に付けた新しいバッティングフォームは、無理のない体の動きを生み出し、バットコントロールが非常にしやすいようだ。左肩口にねかせた位置からスムーズにバットを出し、広角に、強いゴロや低い弾道の打球を打つのに適していると思う。いざとなれば右腕だけになっても、バットの軌道が変わりにくいフォーム。しかも、好球がくれば左腕を押し切って長打を出すのもやりやすい。まさに、打つための理想的なバッティングだと思う。

 これなら、5年連続の200本安打はもちろんのこと、昨シーズンに続いて安打数新記録、そして、夢の4割も夢ではないようにさえ見える。けががないことが条件だし、イチローの後を打つ打者の活躍が必要だが(でないとイチローが敬遠されてしまう)。
「イチロー球団記録だ15戦連続安打」
記録ラッシュの幕開けだ。マリナーズ・イチロー外野手(31)がロイヤルズ戦で三塁打を放ちケン・グリフィー(現レッズ)の持つ、オープン戦15試合連続安打の球団記録に16年ぶりに並んだ。(日刊スポーツ)
http://www.nikkansports.com/ns/baseball/mlb/p-bb-tp2-050327-0012.html
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2005年03月26日

まとめていろいろ(『ハウルの動く城』、Yahooニュース、朗読のことなど)

ここ何日か起こったことを、まとめて。

26日(土)
 宮崎駿監督映画『ハウルの動く城』を観る。
 かなり分かりやすいファンタジーではなかろうか。つまり、西洋の人々にも分かりやすいシンデレラストーリー(?)っぽい話というところか。もちろん、戦争など宮崎駿独特の味付けがされてるし、なにより、魔術の世界と現実を行き来するストーリーは意味深で、日本の昔話の深みを連想させる。

 でも、宮崎駿監督の映画を観るといつも思うんですが、カワユいキャラクターを入れなくては売れないのは、やはり日本だからでしょうね。原作『ハウルの動く城』には、あんなカワユい登場人物はいないんですよ。とくに、映画の「火の悪魔カルシファー」のかわいいこと・・・。
 ここにもキティーちゃん文化の影が?


25日(金)
 ライブドア対ニッポン放送(→フジテレビ)の対決に、ソフトバンクが参入してきた(ソフトバンクの総本山ではないけど)。

 このニュースをYahoo系列のニュースで見るたびに、なんかネガティブな論調が多いなあ、と思っていた。また一方で、ひと月ほど前、フジテレビに所属するスキーヤーが六本木で不祥事(バーで性的オイタをした?)を起こしたときは、あれほど口さがないYahoo系列はほとんど非難ねいたニュースを載せず、また他の口汚いダブロイド紙のニュースさえも引かなかったと記憶している。

 つまり、Yahoo系列はライブドアと対立しているので、そのライブドアの敵フジテレビは見方ということなのかね。
     Yahoo vs ライブドア vs フジテレビ 
Yahooは、フジテレビについたということ?


23日(水)
 昔、日本に住んでいたとき、好きだった番組があった。テレビではない。貧乏だったのでラジオ。音楽ではなく、『朗読の時間』。NHKのFMで11時半ごろやっていた。

 漱石や現代のエッセーなどを、さまざまな古典を、名俳優や名アナウンサーが朗読してくれるのだ。こうした朗読の達人に読まれると、かつての名文は、魂を植えつけられ、息を吹き返したように、こちらの心に響いてきたものだ。

 それ以来、朗読してこそ良い文章の価値はわかる、朗読に耐えられなければ良い文章ではない、と信じるようになった。だから、文章を書く上で大事なことは、音声にしたときのそのリズムである、と今でも強く思っている。

 そんな、わたしの文章の原点ともなったラジオ番組『朗読の時間』で、実際に、あの時代に朗読をなさっていた方に、たまたまお会いした。朗読をなさるというので、『朗読の時間』に感動していたことを申し上げたら、なんと、番組で朗読を何回かなさったという。しかも、舞台で朗誦する、あの木下順二の名作『子午線の祀り』にも出られたという。
 
 なんという幸運。朗読の時のさまざまなご苦労などを、時間の経つのも忘れて、伺ったのである。
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2005年03月22日

わたしは、なぜある種のフェミニズムが嫌か

週末は、体の調子が悪くて何もできなかった。洟が出て。花粉症なのか、風邪なのか、蓄膿症なのかは判らない。でも、今日、濃黄色の鼻水がどばっと2度出たら、急に鼻づまりが治った。
徹夜がよくなかったことは確かである。過去二日分の日記をアップしました。

***************************
以前、あるフェミニストが私のことを「男○主義者だ」といったことを書いた。男性はこういうものだと決め付けるこういう態度は、残念ながら、フェミニストには少なくないように思う。

こういう十把一絡げの論理は、彼女たちのしようとすること(フェミニズムの提唱)にとって、かなりマズイのではないかと思う。たとえ、上の主張をもっと控えめに「男性の70%か75%はそうだ」と言っても、同じことだ。

フェミニズムは、「近代の仕組み」に反逆しようとする論理だと思う。「近代の仕組み」とはなにか。

彼女たちの言い分によれば、フェミニズムは、まず女性の欲望についての議論だ。女性の欲望は、近代において、独占されきたばかりではない。それは、多くは男の作った社会制度や構造やシステムによって抑圧され、搾取され、隠蔽されてきた。それを暴き、ひいては女性の欲望を解放し、女性の手のひらの上に取り戻すことを目指したものだという。

またそれは、社会をいう集団の中で、近代的な(たとえば家族という)規律や規範を守り、(母や妻という)ロールプレイ(役割)をしなくてはならないという近代的なルールから、女性たちを解放しようとする論理なのだという。なるほど。

そういわれると、確かに、これは、大事な理論だと思う。男たちは、生物学上進化論上、おのれに筋力が集中していることをいいことに、また、歴史上たまたま、権力や財力が集中していることをいいことに、直接に、また上のようなシステムを使って間接に、もう一つの性である女性をいろんな意味で虐げてきた。

だから、フェミニズムが「欲望を解放したい」という衝動と「集団よりも個人を優先させたい」という欲求を原動力にしていることは、十分すぎるほど理解できる。だとするなら、その理論は、「多くのバリエーションを許す論理」を内に含んだものでなくてはならないと思うのである。個人は、まさにさまざまに異なり、その欲望は、さらに十人十色であるはずだからである。上のような衝動と欲求にもとづく理論は、したがって、画一性・均一性・等質性などからもっとも遠いものでなければならないだろう。そうやってこそ、フェミニズムは、ゲイなどの(やはり近代社会に虐げられた)グループと手を結べるのだと思う。

フェミニズムは、「あなたは、男だから、カクカクシカジカである」というレッテル張りなんかをしてはならないと思う。
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2005年03月20日

ERシーズン8、終わる

テレビのNHKで土曜の深夜やっていた『ER(緊急救命室)』(シーズン8)がおわった。

ひとに、この番組のことを訊くと、「ああ、あれねえ。なんだか、現実ばなれしててねえぇ」という答えがよく帰ってくる。どういうことかというと、あんなこと絶対身のまわりで起こらないし、ちょっとピンとこないというのだ。うーん、わかんないかなぁ。

たしかに、おれたちは、「緊急救命室」で働いているわけではないし、アメリカのシカゴという過酷な都市に住んでいるわけでも、白人・黒人・アジア系・ヒスパニック系がうごめきおのれを強烈に主張しあう“人種的のルツボ”に生きているわけでもない。

だが、こうした一見異質なもののを通してこそ明らかに見えやすくなる、迫力ある人間の真理や人生の摂理のようなものも、あると思うんだぜ。アメリカでは、その「迫力あるストーリー」が、10年以上、人々の心を打ち続けているんだ。いや、そもそも、自分の生きてる空間とは違うみたいだから、「見てもしょうがない」とか「興味ない」とかうのは、悲しすぎないか?

先週の回(昨日ではない)は、おれの一番好きなエピソードであった。マーク・グリーン先生(アンソニー・エドワーズ)が、脳腫瘍(末期)の治療を拒否した末に亡くなるのだが、治療を受けてボヤッとした意識で生きるよりも、やりたいことをするのを選ぶ。そのやりたいこととは、自分の娘を“まっとう”にすることだった。

テレビ番組ながらも、このティーンエージャーを見ると、おれは胸クソが悪くなる(つまり、ドラマにしてやられてる)のだが、こんなガキをこの世に残していったら、死んでも死に切れんと思うよ。残された時間にあせりながら、手に残った使い古したカードを、ああでもないこうでもないと苦労して娘に示しては断られるマーク・グリーンの一生懸命さは、かなり身近なもんだと思うんだが。
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2005年03月19日

寒さの梅見物

病気と忙しさで、2週間遅れでアップしてます。しかも、実際より一週間遅れの(なにがなんだか分かんなくなってきた)「梅見物記」です。

行ったところは、東京は府中の「府中市郷土の森博物館」というところ。

ある日のこと京王線乗っていて、「ちょうど梅が見ごろです!」という広告を見て、しかも「3月12日まで」というフレーズにプッシュされて行ったわけです。嘘つき!
梅はまだ六分だし、サミいのなんのって。花を見たんでなくて、鼻水見に行ったようなもんです。

まあ、それでも梅らしいものもチラホラ見れました。ご覧になりたい方は、下をクリックしてください。拡大されます。
05-03-府中・郷土の森2.jpg
うつくしきひとを見かけぬ春浅き  日野草城
この「ひと」は梅のことと言いたい。まったく、何しに来たんだか・・・。

園内の建物などは、おもしろい。たとえば、江戸時代後期文政12年(1829年)に創建された、旧三岡家のシブい長屋門がある。総塗り込め蔵造り。置屋根形式は都内現存中の長屋門で唯一。その内側には、ワラ細工体験コーナーがあった。そこから1、2分歩くと、「まいまいず井戸」というのがあって、渦を巻くように降りて行くその底に井戸がある(写真)。05-03-府中・郷土の森3.jpg
国府の街に作られたものを復元したんだそうな。

園の真ん中には、幾つか洋風の建物。明治時代の府中で最初の郵便取扱所(旧矢島住宅)があって、ちゃんと壁に丸い郵便窓口が開いている。大正期に建てられた洋風の町役場が復元されて(昭和63年に壊されたものを、この博物館を作ったときに復元したらしい)、屋根にはその時代のシンボルのファサード風窓が、飾りにおいてある。

フ〜ン、しかし、梅が咲いてないのが残念じゃねえか、と帰ろうとすると、茶室があるので覗いてみると、やっとまともな梅に出会えた。05-03-府中・郷土の森1.jpg

堪能して外へ出ると、お雛様を展示してある館の前で、大道芸人が、道端に独りポツンといる車椅子の子の前で、芸を見せていた。05-03-府中・郷土の森4.jpg

寒梅も泣かす道師のなさけかな ろじ




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2005年03月18日

花粉症なのか?

昨夜は、仕事先で徹夜だった。
朝9時に、出勤する人たちの流れに逆らうように、帰宅した。

16時間以上もコンピューターを見つめていたので、さすがに眼は充血し、クタクタであった。しかし、電車のシートに身をうずめても、眼がギラギラ冴えて、眠ることもできなかった。

帰宅の途についた頃から、左手と左ひざが痛い。体中がギクシャクする。持病が出たのか? 電車を降りたぐらいからフラフラしてきて、歩くこともしんどくなった。20メートル歩いて休憩という調子で、ひざの痛みをこらえながら、やっと家にたどり着く。鼻水が止まらない。寒気もする。これでは仕事は休むしかあるまい。ウィスキーを引っ掛けると、そのまま寝てしまった。


起きたのは4時過ぎであった。朝飯も昼飯も食っていないが、食欲がわかない。左手が不自由である。死んだように横になり続けた。

何も食わないのはいけないと、寒気を押し殺すように厚着をして、近くの食堂へ。食欲はなかったが、何かは喰わねばならぬ。麻婆豆腐なら、と思ったが、やはりイケなかった。気分が悪くて、何も受け付けない。

熱も、かなりあるようだ。
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2005年03月13日

かっこ悪いオヤジ

わたしの手は、リューマチに似た奇病のために、握力が半分ぐらいしかない。医者も病院を二つ、医者も三人(一人はこの道でかなり有名な方)に診ていただいたが、検査に「異常値」が出ないため、特別な治療もできないでいる。

仕方なく、山のように痛み止めをもらうのだが、痛み止めを飲むと頭がボウッとするので、ある時期から辞めてしまった。そのうち慣れたのか、痛みもあまり感じなくなった。

しかし握力はあいかわらずないので、あちこちで箸を落としたり、コインを落としたり、ぶざまな真似をしている。キーボードも正確に打てないことがある。

握力がなくなってから、心に決めたことがある。ジム通いをして、なくなった握力を補う筋力をつけるのだ。とうわけで、例によって例のごとく、定期的にジム通いをしている。筋肉もついて、カッコいいオヤジになるんである。

毎回、腕、胸、ついでに脚と、あらかじめ決めたメニューをこなしていく。先週から、新しいトレーニングを付け加えた。上腕二頭筋を鍛える機械を逆に使って、腕を伸ばすのだ。手首を鍛えるためだが、手首をじかに使うので、これはかなり痛い。

でも、グイグイやる。歯を食いしばりながら、なみだ目になりながら(なさけねえ!)、20回ずつ。いかにも辛そうなので、周りが心配げに見る。カッコいいオヤジになろうとしているのに、まったく情けない・・・。
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2005年03月11日

日本道路公団、8億円疑惑

アメリカに行ったことがある人は知っていると思うが、むこうのハイウェーは、ほとんどが料金がタダである。しかも、朝夕の大都会地域を除けば、ほとんど渋滞はない。時速90キロ以上でびゅんびゅん飛ばす。

わたしのいたアメリカ東海岸のボストン周辺には、有料のハイウェーが一本あったが、それも料金は、かつては最低50セント(約55円)で、距離に応じてたしか5ドル(約525円)くらいまでであった。その50セントから1ドルに上がったときは、人々は大騒ぎした。

日本の高速道路料金は、異常に高いと思う。しかも、いつも混んでいる。
なのに、高額料金を取られて、なぜ日本人は怒らないのだろう、と昔から思っていた。

道路公団は、「料金が高額なのはそこで取った金を他の道路の建設費に回すからだ、本当は火の車なのだ」と、いっていたと思う。しかし、道路がどれだけできても、もう日本中どこにも高速道路は要らないだろうと思われるくらいできても、料金は高いままだったし、時に値上がりさえしたという。

一方で、道路公団職員は、高給取りだといわれていた。

今日のテレビ朝日『報道ステーション』では、その道路公団が、道路利用料金や税金を不当に遣っていたのではないか、という疑惑を報道していた。

題して、「道路公団に新たな疑惑全国“保養所”で消えた8億円の差額を追え――『交換契約書』のカラクリとは?」。作家の猪瀬直樹氏が追及をしている。

ポイントは、せいぜい6億円しかしない保養所(しかも、いい加減な手抜き工事やチープな材料使用があちこちに見られるお粗末なもの)を、民間から14億円で買ったというのである。道路公団民営化にあたって、猪瀬直樹氏が不透明さを追求し始めた。

道路公団理事長は、テレビ朝日の、14億円は高すぎないかという質問に、無言で逃げるばかりであった。
日本中にある、粗末だけども「高額費用の保養所」の存在。
道路公団職員が他と比べて高給取りであることも、指摘されていた。

国民は、もっと怒っていいのじゃないかね。
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2005年03月10日

Mothers Day 母の日

ラジオ講座ネタ。

フランス語講座を聴いていたら、いまの形の「母の日」はナポレオンが始めたのだと説明していた。もともと、ローマ時代の風習を、かれが復活させたのだそうだ。

本当かな?アメリカなんかでは、母の日は、20世紀初頭の1907年に、アメリカはウェストバージニア州で教師をしていたアンナ・ジャービス女史が始めたといわれるけど。彼女は、母親の3回忌にあたる5月8日に、「母の日」を作って国中で祝うことを友人に提案したという。その時、参加者全員に、彼女の母親が好きだった赤いカーネーションを手渡したのが、始まりだそうだ。(http://ja.wikipedia.org/wiki/母の日

まあ、全てがアメリカとは限らないし、たとえそうだとしても、いまの商業化した形はアメリカが初めてだったのかも。

ナポレオン、なかなかやるね。人種差別論者のわりには。(2月9日の日記 参照)

ついでに、ラジオネタをもう一つ。
中国語で、コンタクトレンズは「隠形眼鏡」って言うんだそうだ。携帯電話は「手机」。
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2005年03月09日

グローバル時代の「ハゲタカ」外資?

ライブドアとフジテレビの“戦い”について、特に、外資の参入について、いろいろ批判・非難めいたことを言うのを、ずっと不思議な思いで見ていた。

マーケットに既に出ていた株を合法的に買って、それはいかん…、時間外だから…、メディアの買収は慎重であるべきだ…云々(うんぬん)というのは、もうほとんどが「いまさら」という感じだ。

「金があれば何しても良いのか」と政治家(たとえば、森元首相)が言うに及んでは、もう開いた口がふさがらない。日本の政治家は、「金の政治」をしていないのかい?

もっと奇異に感じるのは、外資を「ハゲタカ」と呼んで批判する人たち。日本の国を「ハゲタカから守らねばイケません」という政治家(たとえば、亀井さんらしい)は、いくら選挙キャンペーンにしたって、社会を何も見てない、といわれるんじゃない?街へ出てみなさいな。カフェ(たとえば、スタバ)から、ホテル業(たとえばダイエー)にいたるまで、外資の入ってるところばかりじゃないかね。

「いまやグローバル時代」というその同じ人物が、舌の根も乾かぬうちに、経済のグローバル化の一環である外資の参入に反対するのは、不思議である。(日本人野球選手が大リーグ移籍するのに反対するのも、同じ風に見える。)

なんか、みょうに“あまりに日本的な”経済思考じゃないかい?
そんなんで、日本の経済は、世界スタンダードに取り残されていかないかい?

そんな憤りを感じていたら、今夜のテレビ朝日の『報道ステーション』で、ちゃんと「ハゲタカ特集」をしてくれました。なんでも、福岡では、ダイエーからホテルと野球ドームを買収した外資は、現地にショッピングセンターなどを作り街を活性化したため、地域から歓迎されてるんだそうな。

M&A時代(買収時代)のさなか、日本は遅れていて、アメリカが100だとすると、日本は30くらいのレベルなのだそうだ。
しかも、日本の経済の立ち遅れについても教えてくれた。日本の株は、世界のレベルからすると、五分の一程度の価値しかないそうだ。
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2005年03月08日

First Time Drinker (初めての経験)

日本のビールは旨いので、つい飲みすぎて失態をする。なんとかしなくては、と思っていた。

先日、グループで飲んでいて、ある人が、最初からビールの代わりに日本酒を一合、注文するのを見た。これなら、呑んでも後からビールを注がれることがないので、マイペースで呑めるわけだ。

しかも、コップからこぼれた酒を、コップに戻して呑む。
いいねえ、じつにオツだねえ。
そんなボーナスもつく。

そこで、その真似をすることにした。
日本酒は嫌いではない。アメリカに行く前は飲めなかったが、日本に来てからは不思議と日本酒も飲めるようになった。もちろん、アメリカにいた間は、日本酒を飲む機会なぞなかったから、これは、アメリカ滞在中、安酒としてワインばかり飲んだせいではないかと思う。

で、昨夜は、最初から日本酒を注文したのだが、これが、かえってイケなかった。
「地酒」といわれるものを、注文したのだが、どれも舌になめらか、うまくて旨くて、次から次へと、イッキに3合も飲んでしまった。
もちろん、コップからこぼれた酒も戻して、グイグイ呑んだ。

あんなのは、初めてであった・・・。
おわった頃には、ヘベレケ。

しかし、しっかりとした足取りで電車には乗った(らしい)。
電車の中では、アヤシカランことも言っていた(らしい)。
飲み相手には、ちゃんとさよならを言った(らしい)。

最終の電車をなんとか乗り継ぎ、ヨタヨタ歩いて帰還した(らしい)。
起きたら自分の家にいた。

おおぉぉ、なんという帰巣本能であることか!
なんという感動だろう、自分にこんな才能が隠れていたなんて!
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2005年03月07日

ブログデザイン変更

ブログデザイン変更を、ご覧のように変更しました。

以前のエアメール調は、「異国へ送る平成ジパング観察報告」という感じでしたが、今度のこのちょっと暗いメモ風は、「流れ着いた孤島での手記」という風情でしょうか。
いまの状態にマッチしてますか…。

すべてのウェブビューアーなどで(とくにネットエスケープで)確認してはいませんので、もし表示等に問題がありましたら、お知らせいただければありがたいです。
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2005年03月06日

Feminist

あるところで学者さんたちと話をしていたら、ある女性が、わたしに向かって、アナタは男中心主義でしょう、と言った。もっとはっきり言うと「アナタは、男○中心主義であるに違いない」と言ったのだ。

断っておくが、この「男○中心主義」というのは(○のところはご想像の通りです)、エロでもなんでもなく、フランスの哲学者ラカンさんなどが唱えた、ありがたい理論なのである。ごく簡単にいうと、(性関係も含めた)男女関係における、男性のきわめて古典的な役割イメージを指摘している。

しかし、そう言われてもなあ・・・。自分では違うと思うんで、けっこうなフェミニストだと思うだがなあ。オンナはよく知らんが、それなりに想像力駆使して、努力してますねん。名づけて ―― 地べたを這うフェミニスト

仮に、ラカンさんの理論が100%論理的に精緻にできているとしても、そういう理論を使って「あなたはカクカクシカジカです」という見立ては、お医者さんなどが「アナタは胃潰瘍です」とか「うーん、どうやら先天性○○です」というのとは異なる。それは、その理論が実証的テストされて来なかったということの他に、まず判断の材料となるわたしについての「観察」が十分になされてない、ということだ。

簡単にいうと、「あんた、俺のこと、どれだけ知ってんねん!」ということだ。
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2005年03月05日

マーサ・ステュワート Comes Back!!

アメリカで「カリスマ主婦」として人気のマーサ・ステュワートについて、かつて、こんなことを書いた。

マーサ・ステュワートのうわさのテレビ番組を観たが、
料理あり、家庭インテリア情報あり、庭の花の植え方ありの、
家庭に生きるためのガイド完全版のような番組であった。
しかし、番組中彼女のやっていたことは、かなりなものである。

フライパンに、すごい量のバターを入れるのだが ――
アメリカだから、まあそれは大目に見よう ――、その
すぐ直後に調理するものを入れている。(おい、いいのか?
バターがまだ溶けてないんですが…)

長ねぎを細かく切るのだが、やはり、左手の指の位置が
危ないことこの上ない。ついには、なんと包丁で叩いて
みじん切り。切り(叩き)終らないうちに次のショット…。
(おやおや、アシスタントの人、大変ですねえ…)

どうも、本当に家事をやってるとは思えない・・・。
(詳しくは、
http://dokugo.seesaa.net/pages/user/search/?keyword=%83%7D%81%5B%83T&blog_id=68682

そのマーサ・ステュワート氏、株の取引に絡む虚偽供述などの罪で禁固5カ月の実刑判決を受け刑務所に入っていた。彼女が昨日、刑期を終えて米ウェストバージニア州の刑務所から出所したそうだ。

「米「カリスマ主婦」、刑期終え出所 テレビ復帰へ」
http://www.asahi.com/international/update/0305/004.html

アメリカでは、大きな罪を犯しても、謝罪や贖罪がすむと、再び社会に受け入れられることが多い。その延長線上で、「わたしは、あの時は、若かった」というのがある。アメリカにいたとき、こういう風に、多くが若いときの過ちの言い訳をするのが、どうしても納得いかなかかったものだ。

禁固たった5カ月というのが納得いかなかったが、これでお役ご免。たぶん、彼女の場合も、なんら問題がないだろう。

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2005年03月02日

やさしさ

あるところに、黒いアヒルがいました。
アヒルは、まっ黒でした。どこから見てみても、いつ見ても、まっ黒のアヒルでした。
でも、ふしぎなことに、本人はまっ白の、純白色のアヒルだと信じていました。

鏡を見ても、うつるアヒルはまっ黒ですのに、自分はまっ白だと信じていました。
ほかのアヒルと話したりしていて、どうも自分がまっ白のアヒルではないらしいと感じることはありましたが、こころの中で、うちけしました。
「だって、あたしは、まっ白のアヒルなんだから!」

自分がじつはまっ黒ではないか、と不安になると、親友の老人アヒルのところに行きました。
老人アヒルは、いつでも、アヒルがたずねるたびに、
「ああ、ああ、そのとおり、おまえは、まっ白のアヒルさ!」
といってくれたのです。
老人アヒルには、それが、親友としての、とうぜんのやさしさと思えたのです。
不安がこうじるたびに、アヒルは、老人アヒルのところへ行って、確信をしてもらって、安心して帰ってきました。

ある日、アヒル国の、何年かにいちどの、人口調査のときが来ました。
アヒル国中のアヒルを、黒いアヒル、白いアヒル、まだらのアヒルと分けるのです。
もちろん、アヒルは、自分の調書に「まっ白」と書き込みました。
でも、それで、はなしが通るわけはありません。
調査官アヒルたちは、いきりたって、
「わしたちをぶじょくすると、たいへんなことになるぞ!」
と、アヒルを怒鳴りつけました。
「だって、あたしは、まっ白のあひるなのよ」
そう、アヒルは叫びましたが、だれも聞いてくれません。

どこに行っても「あたしは、まっ白のあひるなのよ」というので、とうとうだれもアヒルのことを相手にしなくなりました。みな、友だちたちも、アヒルのことを、ウソ白アヒルと陰口をたたきました。
ついに、アヒルは、この国にい難くなって、ある日、ひとり、しずかに国を出て行きました。

アヒルがいないことにい気づいた、アヒルの親や親類、かつての友だちも、みんな、大騒ぎになりました。
アヒルのゆくえは知れず、どこかで死んだようだ、といううわさも入ってきました。
アヒルが去った原因を知ると、まっ黒なのにまっ白といい続けた、老人アヒルが問題とされました。
「あいつが本当のことを言っていれば、いまごろこんなふうにはならなかったのに」
と、みな、老人アヒルをせめ、非難しました。
「アヒルが出て行かせてしまうなんて、なんて残酷なやつなんだ」
非難がこうじてくると、いじわるしたり、根もない悪口をいうものが出てきました。
老人アヒルの家に落書きしたりするものも出てきました。
石を投げつけたりするものも出てきました。

老人アヒルは、アヒルの国にいられなくなりました。
ある冬の朝、ひとり、家を出ました。
となりの国の、むかしの知り合いをたずねようと思ったのです。
しかし、その冬は、かなり寒く、思うようにすすません。
とてもつらい旅になりました。
老人アヒルは、夜、ひとり、あなぐらの中で寒さにふるえながら、
「やさしさのためだったんだ」
と、つぶやきました。
「やさしくしてあげたかった、だけなんだ」

ひと月後の、さらに寒い夜、老人アヒルは、ふぶきの中、がけの下でふるえていました。
羽はぬけおち、体のあちこちに、きずがありました。
もう、これ以上、生きのびていけないことは、明らかでした。
「なんで、こんな目に、あったんだ」と老人アヒルは、つぶやきました。
大粒の雪が、たおれた老人アヒルの上におちてきました。
「やさしさなんて、くそのやくにも立たないじゃないか」
そうはき捨てるようにいうと、老人アヒルは、目を閉じ、動かなくなりました。
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2005年03月01日

中国語、学学

いま習っている中国語がおもしろい。

語学といえば、いつものようにラジオ講座だが、榎本英雄先生の今学期講座は、なかなか楽しい。10月からの6ヶ月単位を一学期とするのだが、12月までは授業の最後に有名な漢詩を中国語で読んでくださって、なかなかの感動ものだった。

先学期も(つまり約一年前も)ラジオ講座・中国語を受けたのだが、かなりヒドイものだった(自分には)。キーになる文章は繰り返して読んでくれない、文法の解説はさあっと触るだけ、「(ポイントを使った)応用会話」はただ会話を一回か二回読むだけ(しかも自然なスピードで)。おそらく、先生自身がすごく才能に恵まれていて、中国語を初めて習う人の苦しみがまったく分かんないんじゃないかと思ったほどだ。

はじめはどうしようもなかった自分の発音も、最近は、なんとか形になってきたようで、中国語らしく聞こえるようになってきたと言われた。

こうして文の構造を一つ一つ習ってみると、中国語の文構造は、かなり論理的にできているのだなと思う。

  我  要        学習 電脳  (略字体がないので普通の漢字で)
 (私は つもりである 学ぶ コンピューターを)

  他  可能       不 知道     
 (彼は かもしれない 知らない)  (「不」を動詞の前につけると否定)

など、かなり英語の文型に近い。

また、「打算」と書いて、「〜するつもりである」と言う意味になるなど、ふーんということが多くておもしろい(たとえば、「我打算去敦煌」は「私は敦煌に行くつもりである」となる)。動詞を二つ重ねると、「ちょっと〜する」と言う意味になったりする。だから、「看看」は、「ちょっと見てみる」だ。中国語、ちょっと学んでみる?学学?
パンダの名前って、ここから来たのか?

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