2005年05月31日

「官能的」

ジムで、久しぶりに、フランス人のおばさんエリカに会った。彼女にチャールズの紹介であった経緯は、ちょっと面白いのだが、それはまたの機会に。

先日行った国立西洋美術館での「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展」、彼女はそれにかかわっていたので、事前に、行く時間帯についてなどのアドバイスをくれたのだ。アドバイスどおり平日の夜に行き、その結果人ごみを避けることができ、「光と闇の宗教画家」の作品を大いに堪能することができたのだ。
(ラ・トゥール展についての日記は、http://dokugo.seesaa.net/article/3500023.html

そこで、エリカに会った時、大いに楽しんだ礼を言った。それから、ラ・トゥールの絵の話になった。その喩えをしているとき、その幾つかの絵は「官能的(sensuel)」だとフランス語で言ってしまった。

その瞬間、エリカの顔にちょっと悲しげな表情が浮かんだ。エリカは、もしかしたら、敬虔なキリスト教徒かもしれなかったのだ。

フランス語の「sensuel」には、「肉体的な快楽を求める」という意味もある。とても宗教心が強い人には、その一言はまずかった。
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2005年05月30日

チャールズの置き手紙

今日はかなりの雨。こういう雨は、あまり好きではない。
アメリカにいた頃は、そんなことはなかったのに。
        ・・・・・・・
ジムで会うアメリカ人のチャールズ、さて、隣の深夜ステレオ族にどうしたか?

昨日あったので、「けっきょく、どうしたんだい?」と訊いてみた。すると、ちょっとした手紙を相手のドアの下に入れておいたという。

「日本語で?どんな手紙なの?」
「ああ、書いてあげるよ」
と書いてみせてくれた“手紙”、カナリのもんです。

        となりです。
        さいきん、おんがくは うるさい。
        あさの3じからは だめ。


と、子供みたいな字で書いてある。相手は書いた当人がアメリカ人とは知らないだろうから、変質者が書いた嫌がらせと思うかもしれんな。こりゃぁ、新聞の字を切り貼りして作ったりしたら、完全な脅迫文だな。
うん、こんな迫力ある手紙もらった日にゃあ、かなりビビルぜ、チャールズ。

うまくいくことを祈るよ、といった途端、もうひとつ別の問題があるという。

訊くと、銀行のカードをなくしたと言う。週末で銀行には行けないし、どうしたものか、という。
「カード失くした時のための電話番号とか書いたの、持ってないのかい?」
持ってるのは、通帳だけだという。見てみると、

           三和銀行

はぁ?なんじゃこりゃ。まだ存在してたのかえ?UFJになったんじゃなかったのか?
チャールズは、変わったのは知ってるが、いつもこの通帳を持ってるという。電話しみようと提案したが、通行に書いてある番号は全部古いものだった。

しかも、カードをなくしたのはこれが初めてではないという。いつもどうしてたんだよ?なに?いつも近くの支店に行く?困ったやつだな。じゃあ、調べてやるから……、とUFJの案内に電話して番号を書き留める。

いいか、失くしました、っていうんだぞ。「カードが消えました」だぁ?違うったら、手品やってんじゃねえんだ。電話口でそんなこと言ってどーすんだ?!
「モシモシ、はい、カードが消えましたぁー」 ドつかれんぞ。
いやいや、ノンキである、チャールズ。

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2005年05月28日

『朝まで生テレビ』と報道番組

昨夜深夜、テレビで「小泉外交の戦略と国益」と題して、大勢で最近の中国・韓国問題を議論していた。『朝まで生テレビ』である。

確かに重要な問題で、このところこの番組の常連となっている政治学者・姜尚中氏の意見にもたいへん興味があり、最後まで聴いていたかったのだが、途中でやめてしまった。

どうも司会の田原総一朗氏のリード、というより発言が気に障る。氏は、討論参加者の話が自分の意向になじまないか自分に理解できなくなると、「話が複雑すぎる」とか「複雑でなに言ってるか分からない」などと言って途中で遮ってしまうのだ。司会者というのは、相手の意見や話の中に、その場に関連のありそうなことを見つけ、議論の糸を繋いでいくものだろう。

それは単に田原氏の限界を示すだけで、仕方がないといえば言えるのだろうが、もっと嫌なのは、自分が理解できないその相手を、からかいのダシにしたり侮辱したりすることである。本人は冗談のつもりで言ってるのだろうが、そのために、そこにあったかもしれない重要な論点がボトリと落とされてしまう。じつに悪い趣味である。むしろ意識的に揶揄って討論を「ショー化」しているのだ言うかもしれないが、だとしたら、クダラナ過ぎ、愚劣なことだ。

吉本隆明氏などに、田原氏は「見識がない」と批判されるゆえんだろう。

そこで、チャンネルをTBSに回すと、アメリカCBSテレビの報道番組『60ミニッツ』をやっていた。おお、懐かしい!

今回は、アメリカの“大学ビジネス”。卒業したらいくらでも就職があるというような事実に反する誘い文句と、ほとんど足キリもないような入学試験で、多くの若者を入学させる大学が増えている。卒業しても就職はない上に、若者には高額の授業料ゆえの借金のみが残る。先日は別の番組で、今アメリカで問題になっている、修士・博士などの「インターネット学位」が取り上げられていた。インターネットで申し込みお金さえ払えば、こうした高学歴が買えるのである。私もアメリカにいたときは、頻繁にそんなメールが送られてきたものだ。もちろん違法であるが、こうしたやつらは州を越えて営業したり、カリブ諸島などの法の目の及ばないところで営業したりしているのだ。

こんなことが起こるのも、アメリカが(日本とは違った意味でだが)非常な学歴社会だからだ。ときに、よく評論家・学者で、「アメリカは自由の国で、いまでもアメリカンドリームが実現する学歴の要らない社会」などと、見てきたようにいう輩がいるが、ホントに困ったものだと思う。

閑暇休題。『60ミニッツ』、見ていて、やはり報道番組はこうでなくちゃな、と感心する。その報じている内容が全部本当に違いない、といっているのではない。その話の繋ぎ方や掘り下げ方が論理的で、観ている視聴者が抱くだろう疑問に応え、相手が真実を隠したり偽ったりする姿勢をどうやったら暴けるか、ということがよく練られていると思うのだ。これを観ると、日本の多くの報道番組の製作者は相手とグルなんじゃないか、とさえ思えてくる。さまざまな社会的制約の中で作ってるのだろうが。

アンディー・ルーニーも健在だったし。(今回は、街に置かれた“現代彫刻”のどこがいいか判らない、というアンディーらしい歯に衣着せぬ発言だった。)
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2005年05月27日

スポーツ解説者、求む

テレビで、日本代表 対 UAEのサッカーの試合を見ていた。

アナウンサーは、日本選手のどんなプレーもベタボメ。ちょっと目立つプレーをすると、「さすがです」だの「すばらしい」だのの連発である。解説者(?)も似たようなもので、どうも選手を褒めることが仕事らしい。

そんなに見事なプレーなら、なんで点が入らない?そんなすばらしい選手なら、なんで今頃ワールドカップ進出でモタモタしてる?どうみても、そんなすばらしいプレーの連続でもなさそうだし、相手もけっこうしっかりプレーしているように見えるが。

見ているうちにムカムカしてきて、チャンネルを替えた。

まあ、セルジオ越後氏みたいに、けなすだけけなす解説者も不愉快だが、こりゃ不健全そのものだろう。放送しているのが、プロ野球の巨人選手ならどんな凡プレーでもベタボメする日テレと気づいて、妙に納得したが。

そういや、大リーグで、他のプレーが進行中なのに日本選手(「今日の松井」「マツイマツイMatui!」)の話ばかりするNHKの中継、巨人と大リーグの選手の褒めネタで食っている多くのスポーツ紙の姿勢と共通するものがあるのだろうな。

思えば、ワールドカップもオリンピックも、日本のサッカーは、テレビ中継については受難の歴史だったのではないか。やたら褒めまくるか、興奮の絶叫か、「フン、こんなんじゃダメですね」的な解説(侮辱?)しかなかったように思う。

解説というのは、今おこったプレーが、良いとするならどう良いのか、悪いとするならなぜそうなのか、を説いてくれるものだろうと思う。

むかし、アメリカのプロ野球中継で、ホームチームのレッドソックスの選手が、一塁で走者として立っていた時、解説者が、そのリードの仕方が悪いと指摘したことがある。選手は、一塁ベースと二塁ベースとを結ぶ線上に立っていなかった、つまり、最短距離で戻れないことになる。それを解説者が指摘した直後、選手は、ピッチャーからの牽制球にさされてアウトになった。それは、ガルシアパーラという「ミスターレッドソックス」と呼ばれたスター選手だったが、選手が誰であろうと間違いを指摘する、その解説の姿勢に感動したことを覚えている。

アメリカはスポーツの本場らしく、中継放送に入る解説は、野球であろうとバスケ(NBA)であろうとフットボール(NFL)であろうと、感心するものが多かった。NBAやNFLテレビ中継でのプロの画面解説は、スタジアムに行けないファンをうならせるものである。(いや、たしかに、サッカーとテニスだけは、アメリカ万歳のウンザリするものが多かったが。きっと歴史が浅いからだろうな。)その意味では、日本のサッカーでは、湯浅健二氏の解説がとても勉強になる。http://www.yuasakenji-soccer.com/

日本では当たり前になった、イタリアや英国の本場のサッカー中継の解説などを聴きつつ、かつての甘やかされた巨人軍の歴史を思うにつれ、アナウンサー、解説者のレベルが、この国のスポーツのレベルが高くなるのを妨げているように思うのである。

求む、解説する「解説者」。
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2005年05月26日

中国問題その後と、JR西日本問題

昨日の記事で、中国との外交問題で「レッドカードに限りなく近いイエローカード」といったのは、中国側がもっとはっきりした態度に出たことを指していた。

24日、中国外務省の孔泉報道局長は、激しい口調で、呉副首相が帰国したのは、日本の首相、指導者が呉副首相の訪日期間中に中国の感情を害するようなことを言ったからで、小泉首相の靖国参拝をめぐる発言などが原因となったと述べた。
最下部に引用。

そんな風に書いたら、日本政府は、やっとおのれの振る舞いのマズサに気がついたのか「もう何も言わない」ことに決めたようだ。
「これ以上コメントしない」 中国副首相問題で官房長官
 細田官房長官は25日午前の記者会見で、中国政府が呉儀(ウー・イー)副首相の小泉首相との会談中止の理由に靖国参拝問題を挙げたことについて、「これ以上コメントすることは、日中関係にとって生産的ではない」と述べ、今後も中国側の主張に対し、論評はしない考えを示した。
http://www.asahi.com/politics/update/0525/004.html

やっと外交の土俵に、か。

中国:呉副首相の緊急帰国 小泉首相の「靖国参拝継続」が理由−−「公務」撤回(毎日新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2005/05/25/20050525ddm001030001000c.html
中国副首相帰国、「靖国が原因」 緊急公務存在せず
中国外務省の孔泉(コン・チュワン)報道局長は24日の記者会見で、呉儀(ウー・イー)副首相が小泉首相との会談を取りやめて帰国した理由について、「日本の首相、指導者が呉副首相の訪日期間中、連続して中日関係の発展に不利な発言をしたことが、会談に必要な雰囲気と条件をなくした」と述べ、小泉首相の靖国参拝をめぐる発言などが原因となったことを認めた。「緊急の公務のため」としていた当初の説明については事実上撤回した。
http://www.asahi.com/international/update/0524/006.html

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さて、JR西日本が、(国の指導を受けて?)来年の春から、ダイヤ見直しをするらしい。「ゆとりダイヤ」ってヤツらしい。

新快速のダイヤ、所要時間延ばす 京阪神でJR西改定へ
 同社によると、新快速の所要時間について、神戸線大阪―三ノ宮間の朝ラッシュ時は22分から23分に、昼間は19分から20分に延ばす。京都線大阪―京都間は朝ラッシュ時は29分から30分に、昼間は27分から28分にする。
http://www2.asahi.com/special/050425/TKY200505240312.html

しかし、「19分から20分に」って、それでいいのか?事故は、90秒(1分半)を回復しようとして起こったのじゃなかったのかい?

それに、2010年度末までに新型ATS(自動列車停止装置)を設置するらしいけど、来春から2010年まではどうするのかね?
 2010年度末までに総額約100億円をかけて、新型ATS(自動列車停止装置)を前倒しして設置し、京阪神の整備率を95%(現在56%)にアップさせることも明らかにした。いずれも、今月末に国土交通省に提出する安全性向上計画に盛り込む。(毎日新聞)

http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2005/05/25/20050525ddn001040001000c.html
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2005年05月25日

稚拙な日本外交

小泉首相と会談するはずだった中国の呉儀(ウー・イー)副首相が、急遽、会談を中止し帰国してしまった。中国側は、「国内の緊急の公務のため」と言ったらしい。それを、日本の閣僚や政治家は、「常識はずれのマナー」とか「人と人との最低限のつきあい方に反する」とか非難したそうだ。

恥かくから、ヤメときゃいいのに。

こういう大事な国とのやりとりは、ウラの外交ルートでまずちゃんとやらなくてはいけないんじゃないかい。いや、外交ルートなんて表のわれわれに見える方が少ないのだから、「ウラ」も「表」もないのだろう。そういうところでちゃんと筋が通っている(いた)ものを、裏切ったり壊したりして、相手側にいわば「イエローカード」が累積すると、ついには問題が「表」に出てくるんじゃなかろうか。

われわれ一般人に知れるニュース報道なんて、そんな氷山の一角でしかないと思うね。だとすると、そういう「事態の深さ」を省みず、ニュース報道された表面の出来事だけでアアダコウダ言うのは、外交の素人、それが言いすぎなら、外交の初心者扱いされても仕方ないんじゃないかねえ。日本の閣僚や政治家がやってるのは、そういうことだと思う。

そもそも事の成り行きは、小泉さんの、一種の「裏切り」からはじまったように思う。<中国側が日本側に示す(示したい)「イエローカード」>という観点から、振り返ってみよう。こういう相手(特に中国のような)の微妙な動きを読み取るのが外交の一部だと、素人ながらに思うわけだ。

しばらく前、小泉さんが靖国を参拝したとき、中国政府は不快感を表明した。そして、それはずっと昔からある「密約」に反する、と中国側は言ったのだった。その「密約」を、小泉さんは記者会見で、「聞いたこともない」と切り捨てた。聞くところによると、これは、日本の歴代の首相が認めてきた「了解」で、ジャーナリストの間では常識であるらしい。
  → 中国側、裏切られた思いで「イエローカード」(をわし掴み)

小泉さんは、にもかかわらず、自身の靖国参拝を弁護し続けた。
苦虫噛み潰した中国側だが、呉儀副首相の来日の約束は守った。しかし、小泉さんの中国の気持ちを逆なでするような発言は続く。 ↓下の5月17日の日記参照↓↓
  → 中国側、またも胸に込みあがる怒りを感じながら「イエローカード」(のポーズ)

呉儀副首相の来日中、事態はよくならず。かなり気を害して、そこで、呉儀副首相の帰国という策に出た(ように思う)。日本はどう出るか、と思いつつ?そこで出たのは、上のような、日本の閣僚や政治家の非難ごうごう。

中国側からすれば、それまでの成り行き上、デッドボールを軽いデッドボールで返したつもりだったのかもしれない。“さぐり”の変化球のつもりで(にしてもかなりのビーンボール気味ではあるが)。それをお互いの外交ルートで解決せず、「表」でギャアギャア騒ぐたあ、なんて未成熟なことするんや!
  → 中国側、「レッドカード」に限りなくに近い「イエローカード」を掲げる

てな感じだろうか。まったく、日本の閣僚や政治家のことを、裏表の使い分けのできんやつらだと思ってるかもな。
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2005年05月23日

酒蒸し女

10何年か前と変わったことと言えば、街で女性がよく酔っ払っていることがあると思う。

夜の電車になんか乗ると、相当な数の男女が、顔を赤くしているのを見る。

若い男は、酔っ払ったまま、たいてはマンガを読んでいる。どう見ても大人の読みそうなマンガ本とも思えないようなのを、一心不乱に読んでいる。どうやら、酔っ払ったから読んでいるのでもなさそうで、ふだんから熱心な読者であることがうかがえる。ある人が、こういうのを「アダルトチルドレン」と呼ぶのだと教えてくれた。ふーん、そうか。そういう使い方もあるのかね。

週末なんかになると、女性も、かなりの数が「デキアガッテ」いる。酒蒸しのように酒の臭いを発し、熟柿のような息を吐きながら、たいていはケータイを一生懸命にいじくっている。こういう女が隣でさかんにケータイでメールを打っているのは、いささか閉口である。

電車のドアの方が気になりたまたまその女の方に首を振ると、ケータイを覗かれたと思うのであろう、こちらから隠そうとするのだ。バカ女め、だれがオマエのような酔っ払いの打つメールに興味があるか。いやだったら、酒臭い息吐きながら、ペシャペシャ打つのを止めんかい!

アダルトチルドレンと酒蒸し女に挟まれて、寄り掛かられたりした日には、さすがにウンザリである。

週末や給料日なんかの遅い電車に乗ったりすると、悲劇である。飲み食いしたものを車内でモドシている男、シートに長々と横たわって寝ているサラリーマン、女性では、酔ってフラフラするあまり、ヒールでこっちの足を踏んでも謝りもしないヤツがいたりして、まさに、動物園なみ ―― いや、そんなこと言ったら、動物に失礼だ。

人間とは、なんと情けない ―― いや、そんなこと言ったら、外国の方に申し訳ない。
日本人、いや、都会人、ホントにダセ〜よ!カッコつけてるくせに!!
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2005年05月21日

チャールズの悩み

昨日、ジムに行ったら、久しぶりにチャールズに会った。彼は、アメリカはシアトルから来て、日本にもう5年ほど住んでいる。

素直で頭がよく、なかなかナイスガイである。いつもニコニコしている。週4回もジム通いし、しかも、もう長年の常連だ。

ジムでは自転車(ステーショナリー・バイクというはず)のようなのを40分近くこいで、そのあと長々とストレッチ運動をする。けっこうなトレーニングだと思うのだが、そのデカデカと膨らんだお腹は、いっこうに小さくならない。いったいナンなんだ、あの腹は・・・?

・・・とそれはともかく、今日、チャールズはある悩みを打ち明けてきた。実は、夜遅く、いや朝の3時ごろ、隣の住人がステレオでヘビメタのようなのをかけて、参っているという。いつもではないのだが、かなり響くという。
「どうしたらいいだろ?」

なんでも表札から察するに、女性と同居しているのだが、いつも居るわけではないのだそうだ。帰ってくる時は、朝の3時ごろなのだそうだ。週末、女が洗濯を干しているのを見かけることはあるという。

「週末、見つけたら、話しかけてみようか・・・?」とても気弱そうにいう。
「実際うるさいその時に、朝3時だろうがナンだろうが、ドアをノックしたらどうだい?」
「え?そんな時間にノックしたら、変なやつだと思われて、こっちがやられてしまうよ」
かなり怯えてんなあぁ。
「日本で拳銃持ってるやつなんて、そうザラにいないよ」
「でも、ナイフかなんかでやられるかも・・・」

まあ、アメリカじゃあ、そんな時間に人の家に行ったら、確かにアブねえがなあ。
あげくに、「日本人は、もっと静寂を愛するのではないか?」なんていう。
そこから文化論になったが、結局、話しかけるのが一番だぜ、ま、それがイヤならメモでも置いておくんだね、と言っておいた。
どうするか、チャールズ・・・?
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2005年05月20日

戦争と子供

Girl looks up at an Uzbek soldier (Mikhail Metzel; AP 050519).jpg
カラスウ(Kara-Suu)のチェックポイントでウズベキスタン
の兵士を見上げる少女(AP通信、Mikhail Metzel撮影)

むかし、アメリカで、第一次のイラク戦争(湾岸戦争といわれたやつ)に行ってきたという元兵士に会ったことがある。
飛行機でレーダー係をやっていたと言った。
爆弾を落とす位置を測ったりもするのだと。

その彼は、もう20年以上も前に、パナマにも行ったという。
そこでは子供も敵になるのが辛かった、と話した。
子供でも、爆弾や武器を持ってる可能性があるのだという。
「お金をくれとかいって……、アブねえんだ」
そして付け加えた。
「子供をやるのは、辛い。でも、やらないとオレがやられる。」


アメリカが映画『スターウォーズ』の歓喜の中にいるとき、ウズベキスタンでは、多くの人が、ネズミのように殺されているという。

「避難民への銃撃見た」 ウズベク国境、住民ら恐怖語る
ウズベキスタン東部のアンディジャンで起きた騒乱で18日、武力弾圧を逃れた多数の住民が隣国へ避難しようと集まったフェルガナ地方のカラスウに入った。町ではこの日、ウズベクの国境警備兵が現場を放棄し、町はまるで住民の「解放区」のようになっていた。騒乱は国境の町にも波及、税関や警察署が市民の焼き打ちにあっていた。住民は口々に武力弾圧の恐怖を語った。
(中略)
 町には、アンディジャンでの暴動を政府軍が武力鎮圧した13日から翌日にかけ、避難民が殺到した。カラスウの市場で屋台を監督するアブドラさん(51)は、市場からやや離れた国境の川で国境警備兵が避難民に銃を乱射するのを見た。
 避難民が国境の川に次々に飛び込むと、国境警備兵らは一部ウズベク領の対岸から銃撃を加えたという。避難民がウズベク側に泳いで引き返そうとすると、待ち受けていた兵士が挟みうちにして、さらに銃撃した。
 多くの避難民は急流に流されていったという。「まるでネズミのように撃たれていた」とアブドラさんは肩を震わせた。
http://www.asahi.com/international/update/0519/001.html

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2005年05月19日

想像力

昨日の話の続きになるのだが、今の日本人は、つまるところ、頭(想像)の中だけで生きてる結果、いわゆる普通の意味での「想像力」を失っているのが事実だと思う。

それは、いまの日本の
テレビゲームをする若者たちの話すことを聞いても、
酔っ払ったオジサンたちの語る「うんちく」とやらを聞いても、
電車の中で他人お構いなく化粧をする女性たちを見ても、
みな同じパターンばかりのお笑い芸人のジョークを聞いても、
“イマジネーション”を展開しているはずの、しかし、どれも似たり寄ったりのマンガを見ても、
納得のいくことだ。

それを、その人の育った家族環境のせいにしたり(いわゆる「アダルトチルドレン」論)、いまの教育のせいにしたり(「ゆとり教育」論争)するのは極端だ。複合的なものだと思うぜ。

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2005年05月18日

ロシアの映像詩人 ノルシュテイン(下)

なるほど、なるほどと思う。特にオモシロかったのは、ノルシュテイン氏の
あなた方の作品には、生活のディーテールがない、滲み出る生活感がないのです。あなた達は頭の中だけに閉じこもっている
と言う言葉。うーん、そうなんだよなぁ、とガツンとやられた思いだった。

日本のアート・アニメーションを観るたびに、そんなふうに感じてはいたのだが、どう表現していいか判らなかった。いや、それほど、日本のアニメーションを観ているわけではないのだ。考えてみれば、これ、日本の今の小説なんかにも言えると思うんですね。日本に帰って来て以来、何で日本の今の小説はツマラナイのか。これ、謎だったのだ。

そう、きっと生活や人物の心の「ディーテール」がないからなのではないだろうか。かつての漱石なんかを含む日本の名作や、現代の良い長編、あるいはある種のフランス文学、いや、古典として生き延びているものは、そういう「ディーテール」を作者なりの料理法で示してくれるから面白いのではないだろうか。

今の人たちは、電車の中の“ケータイ族”やビデオゲームの“ヴァーチャルな世界の住人”に典型的に見られるように、自分の殻に閉じこもっているのがお好きだ。そういう時代の小説は、必然、同じような「殻に閉じこもる視点」になる。いや、もっとしたたかに、そういう者たちに売ろうとする(そして実際そういう人たちに売れる)小説は、「殻に閉じこもり生活」や「頭(想像)の中で思ってるだけでことが済みそうな出来事」に焦点を絞るのだろう。

その結果、周りの現実世界で起こっている、ヴァーチャルでない本当のリアリティーには目を向けなくなる。生活のディテールに注意を払おうともしなくなるのは、当然の結果なのだろう。

想像だけの産物は、こちらがその想像を共有できなければ ―― もっとはっきり言うと、一緒に酔ってなければ、現実の重みがないからウソっぽく見え、シラケルだけではないだろうか。現実というのは、ほとんど誰にでも訴えかける迫力を持っているのだよ。

ノルシュテイン氏の指摘は、現代の日本文化にその「現実の迫力」が欠けていることを、みごとに突いていると思う。
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2005年05月17日

自己チュー的世界観と自己ボットウ的歴史観、あちらとこちら

ノルシュテイン氏の話をちょっとお休みして、海の向こうと、こちらのなんだか似た話を。

アメリカの有名誌「ニューズウィーク」が、コーラン冒涜報道を撤回したものの、アフガニスタンを中心にしたイスラム各国が反米デモを続けているという話は、知れ渡ってるはず。(知らない方は、こちら。http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050518k0000m030048000c.html
しかし、バカだよな。

それに関連して、朝日新聞が、アメリカの別の新聞の(6日付)政治マンガがパキスタン人の反発を受けているという記事を載せている。(ときに、この記事のタイトル「やまぬ『反米』、マンガも標的」というのは、漫画まで標的にするのはオカシイ、というニュアンスがある感じがする。それこそ、人々の感情を無視してる響きだ。)http://www.asahi.com/international/update/0517/008.html(下のほう)
 パキスタンでは同誌記事とは別に、米ワシントン・タイムズ紙の6日付の政治マンガが強い反発を受けていた。国際テロ組織アルカイダの幹部を拘束した同国のムシャラフ政権を犬になぞらえ、米兵がほめている内容。
 パキスタン外務省は7日、米政府にコーラン冒涜疑惑の調査を求め、ワシントン・タイムズ紙に抗議する声明も出していた。
いかにも、他国の人々が見えない視点があからさま、という感じだ。ワシントン・タイムズ紙(以下、WT紙)というのは、当然のことながら、有名紙のワシントン・ポストでもニューヨーク・タイムズでもない、いわば二流紙。さて、その件の政治マンガをWT紙に探してみたが、ネット上ではなくなっている。

いまは代わりに、ニューズウィーク誌がアフガニスタン人の反発を買ったことを揶揄するマンガを載せている。(ニューズウィーク誌のトップが、窓の外で「コーランを冒涜した」と騒ぐ群衆を見ながら、シマッタと言う顔をしている。その背後には額入りの「考えろ(THINK)」の文字。)テメエのことは棚に上げて、イカガナモノカと思うぞ。http://www.washtimes.com/op-ed/garner.htm  
こんなスタンスですから、いつまで載せてるか分りませんが。

WT紙のマンガがパキスタン人の間に引き起こした反米の風潮は、もちろん、あちらでは大いに問題になっている。<自己中心的世界観>のコスト、高し。
インドの新聞、インディア・タイムス http://timesofindia.indiatimes.com/articleshow/1103713.cms
ウェブ・インディア(WebIndia123.com)の14日の記事には、WT紙が謝ったという記事が載っている。http://news.webindia123.com/news/showdetails.asp?id=82095&cat=World

もちろん、アメリカ国内でも報道された。
まず、WT紙自身。(社説で言い訳めいた自己正当化を書いたようだが、今は載っていないようだ。)http://www.washingtontimes.com/world/20050509-100608-1906r.htm
ヤフーでも。http://news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/afp/20050514/ts_alt_afp/pakistanusmedia_050514165359

後記:BBCのウェブサイトに、同じ事件が報じられているのだが、その中で、漫画を描いたビル・ガーナー氏は言い訳をしている。いわく「犬は人間の最良の友人だから、友情のシンボルとして描いたのだ」と。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/4533247.stm


とくに国や文化を超えて政治的発言をするときは、文化や歴史にちゃんと配慮し、その人たちのことを考えてモノを言いなさい、という典型みたいな事件です。

さて、振り返って、わが国。小泉さん、またやりました。

首相、靖国神社参拝「問題なし」と強調 衆院予算委
小泉首相は・・・、靖国神社参拝について「どのような追悼の仕方がいいかは他の国が干渉すべきでない。(元首相の)東条英機氏のA級戦犯の話が出るが、『罪を憎んで人を憎まず』は中国の孔子の言葉だ。何ら問題があるとは思っていない」との認識を示した。(中略)
 首相は「日本は戦後60年間、戦争に巻き込まれず、戦争もしていない。戦没者全般に敬意と感謝の誠をささげるのがけしからんというのは理由が分からない。軍国主義の美化ととらえるのは心外だ」と述べ、参拝に問題はないと強調した。
http://www.asahi.com/politics/update/0516/003.html

あああ、一国の首相がなあ……。「罪を憎んで人を憎まず」を振り回すと、周り(つまり過去の被害者)から反発買うと思いますよ。それに、「戦争に巻き込まれず、戦争もしていない」というのは、イラク戦争のことを考えると、自分で論争に火をつけてるんじゃないですかね。まあ、論争が起こるのはいいことですが。
posted by ろじ at 23:18 | TrackBack(1) | アメリカ・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月16日

ロシアの映像詩人 ノルシュテイン(上) 

先週の土曜日は、脚がうまく動かず難儀した。それが治った(のか?)と思ったら、今度は、両手がうまく動かず、タイプするのがノロイ。頭の回転はきわめてトロイ方だが、指の動きが遅いので、タイプするのが頭の思考についてこずイライラする。ったくなあ。
***********************************

さて、その先週の土曜日、NHK教育テレビの『ETV特集』というシリーズで、あるアニメーション作家についての実にオモシロイ番組をやっていた。

題して「ロシアの映像詩人 ノルシュテイン 日本をゆく」。アート・アニメーション(芸術的アニメーション)といわれる分野で世界最高峰のアニメーション作家とされる、ロシアのユーリー・ノルシュテイン氏の話だ。ノルシュテイン氏が、「ノルシュテイン賞」という自分の作ったアニメーションの賞を選考するため日本を訪れたのを機に、若い日本人アニメーション作家たちと行った交流を記録したドキュメンタリーである。

初めてノルシュテイン氏のアニメーションを観たのは、宮崎駿の建てたジブリ美術館(東京三鷹市)を訪れた時である。そこの映画館で、たしかニューヨークで賞を獲り彼を一躍有名にした『アオサギとツル』と『霧の中のハリネズミ』を観た。セルロイド版に直筆で描いた絵を一コマ一コマ動かしながら作るその技法は、独特な柔らかさと叙情性をかもし出す。

美術館には、また、ノルシュテイン氏が長年製作し続けている、ロシア人作家ゴーゴリの小説『外套』を原作にしたアニメーションの原画も展示されていた。この『外套』、24年間作り続けて、出来たのはまだ半分だという。気が遠くなるような根気、いや情熱と愛情である

このジイさん、実に含蓄のあることを言う。
「ノルシュテイン賞」に応募してきた若い日本人アニメーターの作品に失望し、その不満を彼らに説くのだ。「今やってるピカソ展を観たのは何人か」と問い、たった一人しか行ってないのを知ると、「そんなことだろう、と思いました」とため息をついた。
「応募アニメーションには、教養がまったく感じられません。ピカソの絵画を見るべきなのは、そこに学ぶべきものがたくさん詰まっているからです。あなた方は、もっともっといろいろな物事を貪欲に勉強しなければなりません。」

「映画『タイタニック』は観ましたか?そう、皆さん観ましたか。ブラボー!でも、そんなことをしていたら、あなた方も一緒に沈んでしまいますよ。」

「あなた方のある作品は、アニメーションのアイウエオだけで描いています。ただ様式だけで描いていたりするのが判ります。そこには、観る者の想像を膨らませるショットがないのです。」

「日本の文化にも素晴らしいものがある。本当の様式について学びたければ、たとえば歌舞伎を見なさい。その時は、デッサンをしながら見なければなりません。」
(以上、筆者の要約による)

つづく…
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2005年05月15日

NEETでなく ONEET

「NEETニート」というのをごぞんじか。

Not in Education, Employment or Training という表現の頭文字をとった、英国から来た言葉。学生して勉強もしてないし、(フルタイムの)仕事にもついてないし、仕事に就くための準備もしていない、という意味だ。

このはやり言葉、最近、「若年無業者」と訳すのをどっかで見た。つまり、若者でそういう人を指すのね。原語にはそんな意味ないんだけど。日本に言葉が輸入され翻訳されると、使い方も変わる典型(?)か。

つうことは、わたしのようなオジサンは、もうNEETになれないということだ。

そこで、新しい言葉を作りました。
年取った(Old)+若年無業者(NEET)=ONEET

「オニート」

世のオジサマ方、ご自分の職業が危機的な状況に瀕したときに、ぜひとも使って見て下さい。お気持ちが、少しだけ軽くなること、請け合いです……って、ならねえか。
posted by ろじ at 10:20 | TrackBack(0) | 日本・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月13日

“正義”を体現しようとする新聞記者たち

ある新聞記者が、JR西日本の記者会見でJR幹部らに暴言をあびせたという。

JR西本社が開いた会見で、記者がJR幹部らに「あんたら、もうええわ、社長を呼んで」と言ったり、感情的な発言をしたりしたという。当の新聞社はこの記者を担当からはずして、謝罪した。

ぜんぜん驚きませんね。時々テレビで流される記者会見で、記者とおぼしき人たちが、かなりキツイ調子で「〜なんじゃ、ないですかね!」とかいってる場面を見るから。これは、日本のジャーナリストの風土だと思っていた。

官僚をやっている知り合いに言わせると、そんなの日常茶飯事だそうである。記者たちは、あたかもこの世の「正義」を体現しているような、激しく、問い詰め、糾弾するような、モノ言いをするんだそうだ。

たとえば、ある会社の不祥事が発覚する。しかも、その不祥事を会社のトップが長年隠蔽していたことも判るとする。記者会見で、記者たちの先鋒は止まることを知らない。
〜などとおっしゃるが、実は、あなたたちは、もともと〜のつもりだったんじゃないですか?!

それって、誘導尋問じゃないですか。「尋問」じゃなければ、立派な誘導だと思うぞ。報道だって警察の取調べだって、誘導されて出てきた答えは信憑性にかけることくらいはご存知のはずでは?

実際、先ごろのUFJや西武グループの不祥事についての記者会見では、記者席の者がそんな発言をしている場面を観た。さらにUFJのケースでは、ある記者が、
『倫理的な視点に立って努力する』とおっしゃいましたね。しかし、あなたたちにそんなこと言われたくないですね
と怒鳴っていた。

おいおい。新聞記者だって聖人君子じゃないのに、そして、自分でもそれを知っているはずなのに。社会のために「記事を書く」という行為は、ひとを変えるのかしらん。しかし、どういう「正義」だか……。

「記者がJR西日本幹部に暴言」 読売新聞が謝罪
 JR宝塚線(福知山線)の脱線事故を取材していた読売新聞大阪本社社会部の記者がJR西日本の記者会見でJR幹部らに暴言をあびせたとして、読売新聞は13日の朝刊に谷高志・大阪本社社会部長名の謝罪記事を掲載した。「読者や関係者に不快感を与えたことに対し、深くお詫(わ)びします」としている。

 記事や同社によると、今月4日から5日未明にかけて事故直後にJR社員らがボウリングなどをしていた問題についてJR西本社が開いた会見で、記者がJR幹部らに「あんたら、もうええわ、社長を呼んで」などと声を荒らげたり、感情的な発言をしたりしたという。

 この時の様子は「記者会見で罵声(ばせい)」などとしてテレビや週刊誌で報じられた。読売新聞はこの記者を会見取材の担当からはずして注意した。
2005年05月13日10時57分
http://www.asahi.com/national/update/0513/OSK200505130011.html

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2005年05月12日

肘(ひじ)枕

 夕陽の路地を歩きながら、こう考えた。

 智(ち)に従えば角(かど)が立つ。情を用いればコキ使われる。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)がられる。理を立てれば五月蝿(うるさ)がられる。だが、やたらと細かいことには厳しく、ひとは秒を競って先を急ぐ。とかくに日本は住みにくい。

 住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。日本のどこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、異国へのあくがれが生れて、夢が芽生える。

 日本の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり、向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った日本が住みにくいからとて、越す国はそう多くはあるまい。あれば人でなしの国へ行くことなるかもしれない。しかし、人でなしの国でも、日本のように細かさに拘(こだわ)るくせに情に訴える国は、そうなかろう。

 越す事のならぬ日本が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束(つか)の間(ま)の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩が生れて、画(え)が出来る。
  
 しかし、詩を書く才能もなく、画を描く才能もないときは、やはりおのれを嘆くばかりで、住みにくかろう。生きにくかろう。ああ、もう疲れた。


後記:ベルグ様、手を加えたら、トラックバックが消えてしまいました。同じことを三度も書き込むなんて、よほど良い国なんでしょうね、南アフリカ。
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2005年05月11日

みっともない!

昨夜は、一晩中、右ひざに痛みが走って、眠ることができなかった。痛くて寝返りもできん。なんてこった。
****************************

さて、いやもう、いつの間にやら日本には、個人主義というか「おのれ勝手主義」が蔓延していて、隔世の感がある。

ほぼ毎日のように、電車の中で、臆面もなくペタペタ化粧している女性、
電車の中、特に、「優先席付近で」携帯をかけまくるコギャル(とは言わんのか、もう)
ブランド物ばっかで身を固めている女性、
駅構内で、避けても、おかまいなくこちらにぶつかって来る女性たちに、
時に見かける自己中心的な女性の像が重なってウンザリしている。

これは、おれにとっての日本女性のイメージを、かなーり悪くしてる。

以前、環境問題に取り組んでいてノーベル賞かなんかもらったアフリカ出身のおば様が、日本に滞在中、日本語の表現「もったいない」を覚えて行って、国連の会議でこの「もったいない」の良さを強調し、あげくに列席者に連呼させたということがあった。日本の美風、質素さを国際的に広めようと、今の日本人でさえ考えないことをしてくれる、有難いおば様であった。

ここは、このおば様に、ぜひとももう一度来日していただいて、情けない日本のおぢさんなどをも含めて、糾弾していただきたい。

で、おば様は国連の会議に出て、神妙な顔つきで言うのである。
「ワタクシハ、極東ノ日本トイウ国ニ行ッテ、ダイジナコトヲ、学ンデ来マシタ。アノ国デハ、驚ロクベキコトニ、れでぃーガ電車ノ中デ化粧ヲシタリ、立派ナ紳士ガ嫌ラシイ写真ヲ、人前デ広ゲタリシテイルノデス。アノヨウニナッテハ、イケマセン。
さあ、皆サン、ワタシト一緒二、ドウゾ!
ミットモナイ!
ミットモナイ!!」
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2005年05月10日

マッサージ

かなり疲れてます。

先週はゴールデンウィークにもかかわらず、休まず金曜まで、毎日深夜まで仕事。(金曜の夕方、やっとラ・トゥール展に行ったことは書いた。)

さすがに心も体もテンパッてストレスでガタが来て、土曜の夕方、手ごろな都内の温泉「庭の湯」に行ってきた。前にも書いたように、ここでマッサージを受けられる。もちろん、それが今回も第一の目的である。

40分間、背中から肩のマッサージをしてもらう。予約で取るマッサージをするのは、専門のマッサージ師。ここのマッサージ師には、体格がおれの倍もありそうな屈強なアンちゃんがいる。

最初にこのアンちゃんにあたったのは、3ヶ月前だったか。おれの背中を、「凝ってますねえぇ」と言いつつ、指先のものすごい怪力で押した。
(うううううっ、痛いよううう。)が、不満を言うべきではないと思い、黙っていた。
言っておくが、アンちゃんは、ゴ○ラのような巨体なのである。
その巨体が、思いっきり押すのだ。巨腕怪力マッサージ

ふむむむむっ〜、お客さん、ここ凝ってますねぇ。」グイッ
(あああっー、いてぇよう・・・)グイッ
しかたなく、「ウッ、ええ、まあ・・・」と言う。
「そうですか、これ痛いですか?」グイッ。
だから、痛いってば!
グイッ
(ううううううっー)

という苦しみにあったのは、過去のこと。しかし、そのアンちゃんに、今回もあたった。
(うううううっ、カンベンしてくれ〜)
やはり、アンちゃんは、情け容赦なかった。
背中を3本の指で押して、
「フン、お客さん、凝ってますねえ。」
そのあとに受けた苦痛は、書くに耐えない(同時に気持ちよくて、ヨダレをたらしたが)。

背中から肩、腕、脚、そしてクビと頭と、例の巨腕怪力マッサージ。
終わると、最後にアンちゃんは、充実したように言った。
お客さん、頭も凝ってますね
よけいなお世話や!
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2005年05月09日

鉄道関係、判らぬことばかり

JRの事故といえば、JR(この場合はJR東日本)では、不可解なことが多い。

昼間なんかに乗ると、山手線は、よく駅で「時間調整のため」1分ほど待たされる。急いでいる時は、ほとんど毎駅ごとに「時間調整」するその頻度にあきれるが(そんなに「調整」が必要な運行とはどういうものか?)、それは急ぐ状況になった自分がいけないのだと、諦めもつく。しかし、不思議な「時間調整」もある。

先々週だったか、不幸にも何度か人身事故が続いたのだが、そのためにダイヤは乱れ、電車は遅れた。事故直後、電車が遅れることは仕方がない。しかし、遅れたときの、車内アナウンスが、不可解至極であった。

「ただいま起きました事故により、この電車、2分ほど遅れておりますため、さらにこの駅で数分停車いたします」。
なぬっ???この「おりますため」は、こう使うのか??論理的にオカシクないか?
JRのアナウンス、こんな超論理的説明は、珍しくないように思う。


オカシイといえば、先日の事故に関連して、こんな不可解な、というより悲しく胸くそが悪くなるニュースも。坊主憎けりゃ・・・という気持ちも分らぬではないが、女性運転士の足をけってどんな解決になるのか。それで、単なる一労働者である女性運転士が大ケガすりゃ、気がすむのか?
日本人のすることは、ときに理解に苦しむ。

運転士や車掌などへの嫌がらせ、事故後70件…JR西
 西日本旅客鉄道労働組合(JR西労組)などによると、4月27日夜、JR東海道線の大阪駅に着いた新快速電車の運転席後方のガラスに「命」と書かれた紙が上下逆さまに張られているのが見つかった。同様の張り紙はこれまで計6回あった。
 今月6日には、大阪駅ホームで電車を見送っていた女性運転士が、男性に足をけられ、ホームから転落しそうになったという。
 このほか、▽東海道線・野洲駅で、男性駅員が「尼崎の事故でたくさん死んでいるのにJRは何をしてるんや」と言われ、顔を殴られた▽福知山線・宝塚駅で、若い車掌が乗務員室から引きずり出された▽大阪駅で、運転士がコーラの缶を投げつけられた――などが相次いでいる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050508-00000202-yom-soci

後記:JR西日本に対する嫌がらせは、ますますエスカレートしているようだ。
アクションを起こすなら、トップに対して、正々堂々となさい。
http://www2.asahi.com/special/050425/OSK200505100052.html
記事の最後に労組の幹部が言うように、「乗客の生命をおびやかすことにつなが」ったら、どうするのか?

昨日の日記に、写真をアップしました。↓↓
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2005年05月08日

柴又帝釈天

下町、柴又帝釈天あたりをブラついた。

帝釈天(題経寺)は、約300年前の寛永年間に開創された(と伝わる)、日蓮宗の寺だ(千葉県中山法華経寺の門末)。05-Taishaku-ten1.jpgというより、映画「男はつらいよ」の寅さんの故郷としての方が、有名かもしれない。確かに、京成電鉄「柴又駅」の前には、寅さんのカッコイイ(良すぎる)銅像が建っている。

帝釈堂拝殿を始めとする建築物の軒下などを飾る、たくさんの木彫群がすばらしい。拝殿の正面両脇には、龍や十二支ばかりでなく、ゾウを模ったした彫り物もある。柴又帝釈天はもともとインドの神様を祀っているためだろう。05-Taishaku-ten2.jpg

有名な大庭園(邃渓(すいけい)園)は閉園で見れなかったが、雰囲気は堪能した。

帝釈天参道の門前町には、「おもちゃ博物館」とかいう、ブリキ玩具などの昔のオモチャを集めた建物(民家?)もあったりして、少年に戻って楽しんだ。その前には、のしスルメも売っていて目の前で伸してくれる。

まあ、久しぶりの東京発見。
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2005年05月07日

諸外国の列車遅れについての見方;日本の「効率さへの強迫観念」

 数日前だが、朝日新聞がとても興味深い記事を載せていた。列車の遅れを諸外国ではどう捉えているか、ということに関するものだ。

 これを見ると、日本が他に類を見ない厳しさ・厳密さで列車を運行しているのが浮き彫りになる。他の国のおおらかさと比較すると、それは「時間への強迫観念」(ニューヨーク・タイムズ)ととられても仕方ないかも知れない。

 参考までに、このニューヨーク・タイムズの記事の中は、その時間の厳密さを「with balletic precision(バレエ的な正確さ)」と喩えている。機械のような厳密さという意味か。朝日新聞の引用部分は、厳密には「時間厳守と効率さへの強迫観念」と表現している。その時間どおり動くダイヤの完璧主義は、「情け容赦ない(relentless)」と形容されている。また、日本の鉄道会社が「遅れについして隠したがる・秘密主義をもっている」という指摘もある
(元の記事は 
http://www.nytimes.com/2005/04/27/international/asia/27japan.html?
下に、部分を引用した。)

 日本が他の国に比べて、たった90秒でも遅れるのを重く見るのが目を引くが、もっと重要なのは、他の国が、原因の追究と自動制御システムの導入を重視している点である。先日も書いたが、それは当然だと思う。

 安全を確保するシステムが、まず考慮されるべきだろう(自動制御や社員教育も含めて)し、その上で、列車のダイヤは組まれるべきだろうと思う。そう考えると、記事の最後の引用「運行の精密さが安全の前提であり、時間の正確さの上に安全が成り立っている」というのは、本末転倒に聞こえてしまう。問題は、会社の体質・風土なのだ。

http://www2.asahi.com/special/050425/TKY200505010176.html
90秒遅れ、欧米では「時間通り」 日本では定刻が常識
 JR脱線事故での「90秒の遅れ」に海外の鉄道関係者が関心を寄せている。欧米では、この程度の遅れは「時間通り」と見られている。感覚の違いには国民性や文化の差もありそうだ。

 事故を起こした快速電車は、オーバーランで伊丹駅出発が約1分30秒遅れ、制限速度時速70キロのカーブに100キロ以上で入ったことが判明している。
 米紙ニューヨーク・タイムズ(4月27日付)は「原因には時間への強迫観念?」との記事を1面に載せ、「世界中どこでも、90秒遅れはおそらく定刻通りとみなされるだろう」と指摘した。
 ニューヨーク市交通局が列車の遅れと認めるのは「最終駅到着が5分遅れた」ときだ。原因不明の遅れがあれば運転士から事情を聴く。「スケジュールを本来のものに戻すためで、処罰が目的ではない。でも、速度制限違反は罰する」と広報担当のディアドレ・パーカーさん。

 「列車の遅れとは3分以上のこと。90秒程度では客から苦情を受けたこともない」
 ベルリンで通勤電車を運行する独エスバーン・ベルリン社の広報担当バルデン・マーティンさんはそう話す。ドイツではどれだけ遅れたのかではなく、遅れの原因を問題にするという。「我々も定時運行を大切にしているが、秒単位は現実的に考えにくい」

 英国の大手鉄道会社バージン・トレインズは「短距離の列車では、ラッシュアワーで4分を超えたら『遅れ』とみなす」という。
 鉄道大国フランスも、90秒を遅れとは考えない。仏国鉄によると、88年の列車衝突事故後に自動制御システムを導入。遅れを取り戻すために上げることのできる速度の許容範囲もシステムが制御している。広報担当者は「許容範囲を超さないと取り戻せない遅れは、放っておくしかない」と話した。

 イタリアで列車の遅れは日常的だ。オーバーランも多く、ホームの外れに止まった列車に乗客が走り寄る光景も珍しくない。鉄道会社トレンイタリアは「5分から15分程度の遅れは乗客も認めていると思う」と言う。
 イタリア最大の労組イタリア労働総同盟のフランコ・ナッソ交通労組書記長は「『遅刻はなるべくしないようにする』くらいの認識でいいのでは」と話す。

 海外との受け止め方の違いについて、鉄道評論家の川島令三さんは「遅れに文句を言う客が日本では多い。海外はあきらめているところが多いが、日本ではきちんと来るのが当たり前という感覚だ」と語る。
 日本では戦前から鉄道の正確性が国民の常識となっており、JR西日本に限らずどの鉄道会社も精密にダイヤを作る。川島さんによると、通勤線区では30秒程度の遅れなら調整できるが、90秒の遅れは「日本では大きい」。
 (ある交通評論家は、)鉄道に限らず正確さを求める日本の国民性の背景には、人口密度の高さがあるとみる。「運行の精密さが安全の前提であり、時間の正確さの上に安全が成り立っている」という。(2005年05月02日09時52分(註=最後の評論家名のみ改変))
→ ニューヨーク・タイムズ記事
posted by ろじ at 23:49 | TrackBack(0) | 日本・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月06日

ラ・トゥール(La Tour)展 あるいは、聖なる絵画の女の面影

上野の国立西洋美術館で、ラ・トゥール展を見てきた。

金曜の夜は遅くまでやっているので、夜出かけてみたが、大正解であった。夜は、美術展には、あまり人がいないことを発見。しかし、それはゴールデンウィークの谷間ゆえかもしれない。

ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥール(Georges de La Tour (1593-1652))は、「悔悛するマグダラのマリア(聖なる火を前にしたマグダラのマリア Magdalen of Night Light)」で有名である。題材は、マグダラのマリア(Mary Magdalene)。聖書の「ルカによる福音書7・罪深い女を赦す」から、「イエスは、『多くの罪を持つものは、罪の少ないものより、愛も大きい。そして多く愛したものは赦される、と言って彼女の罪を赦した。罪あるものこそ深く愛さねばならない』と言った。・・・」
LaTour-Magdalen of Night Light.jpg「聖なる絵」でありながら、女の生々しさと精神性が同時に現れているのが心に残っていた。
この絵には、似たようなのが他に2枚ある。

これは、「罪深く石持て追い回すべき」マグダラのマリアではない。むしろ、美しく、繊細で脆い愛すべきオンナとして描かれている。それは、この女に対するラ・トゥールの愛情なのか、はたまた、もしやイエス・キリストの抱いた感情なのか――それは、ダ・ヴィンチの「モナリザ」に秘められた神秘と同じ種類の謎なのかもしれない。

映画や映像以外の芸術は、対象を時間的な広がりのない点としての時間に描き留めるものである。
つまり、出来事の時間的な流れ、
物語のクライマックスの高揚に至るプロセス、
愛する女の深い想いの情緒の起伏、
苦しむ男女の感情の持続などを、瞬時に描きとらねばならない。
持続する時間を、一瞬につなぎ止めることが、その重要な価値のひとつであろうと思う。
ラ・トゥールは、それに、おおいに成功していると思う。

女性の描写なぞ、聖なる絵でありながら、見ていると、女のさまざまな物腰やフワリとした髪、肌の柔らかさ、声の優しささえも想い出される。これをうまく言葉にできない自分が、もどかしい。

ラ・トゥールは、昼の窓から差す陽光を利用した「昼の情景」、室内に置かれた蝋燭や、あるいはどこからともなく溢れる神秘なる光に照らされた「夜の情景」という二種類の「光と影の絵画」を描いた。多くは、絵の下半分が明るく、上半分は暗く描かれている。それは、教会の壁にかけられたときに明かりが射さない下半分の効果を考えたためだという。

生涯描いた約400点のうち、フランスの30年戦争の戦火に焼かれて(と言われている)40点ほどしか残っていない画家で、そのうちの半分近くがこの展覧会に来ている。作品の少なさと画調の繊細さゆえ、オランダの画家フェルメールに比べられる。

展覧会に飾られた他のは、すべて模作である。ラ・トゥールは人気があったと見えて、模作も多い。多くは、彼の工房が描いたと言われる。ただ、来ていた模作が、これまた、風呂屋の看板並みの稚作で、本人の繊細な絵と比べると差がありすぎるのだ。ラ・トゥール本人も、人材の不足を嘆いたかもしれない。

それにしても、女の髪、柔らかな手、くるぶしあたりの足の描き方が見事であり、エロスさえ感じる。

たとえば、この展覧会に来ている「聖ヨセフの夢 The Dream of St Joseph(聖ヨセフの前に現れる天使)」に見られる、女性の左手のポーズの描き方や眼差しなど、他に見られない繊細さと柔らかさ、叙情性だと思う。LaTour-The Dream of St Joseph.jpg
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2005年05月05日

イチローのプレー と 大リーグファンの質

イチローの調子が、ちょっと悪い。いろいろインタビューを聞くと、自分でも分かっているようだから、きっと修正してくるであろう。心配はしていない。

イチローは最近では、むしろ守備のファインプレーで脚光を浴びることが多いようである。
好返球をしたり
http://www.asahi.com/sports/bb/TKY200505050072.html
ホームラン性の飛球をフェンスによじ登って好捕したりした。
http://www.asahi.com/sports/update/0503/075.html

これは、「ホームランを奪い取った」と騒がれてるが、よじ登ったことがすごいとは思わない(これは、シーズン当初からよく練習していたという)。そのままジャンプしても捕れた高さのボールかもしれない。むしろイチローがすごかったのは、よじ登った後、落ちてくるボールの方向を見て、体を後ろにねじって修正したことだろう。(その連続写真、どっかに載っていたが、いま見当たらない。)

さて、イチローの守備といえば、4月11日の試合で、ライトスタンド際に落ちてくるファウルボールを捕ろうとして、その落ちてきたボールをグローブを持ったファンが捕ってしまったことが思い出される。

よく、大リーグのファンは野球が分かっている、といわれるが。とんでもない。フェンス際の安打やファールボールを、そこで捕るかね?ここで手を出して捕っちまったら、自分の応援しているチームが楽にならんだろ、というところでも、ボール欲しさに平気で手を出すファンが多い。

これはその典型的な例だった。あちこちの新聞記事のトップに挙げられた写真でも、イチローがムッとしているのが分かる。
http://www.daily.co.jp/mlb/2005/04/12/168683.shtml
http://www.nikkansports.com/ns/baseball/mlb/f-bb-tp2-050411-0019.html

その他、野球やってる最中にビーチボールで遊んだり(アメリカ人は、集中力が長く続かない)アメリカのファンも、も困ったやつが多いのである。球場行くと、野球見ないで、練習してる選手の悪口ばかり叫んでいる輩もいるし。かつて、イチローは(おそらく)リップサービスで、大リーグファンの質の高さをほめたが、実はルールも知らないやつも多いのである。

後記:イチローの「好捕」は、やはり、最初考えていたところとは違ったところにボールが落ちてきたようだ。イチローは、MLBのインタビュー記事で、試合後、こう振り返る。「考えていたプレーではありましたが、なかなか機会がね。打球は、もっと飛んでいるはずだった。落下地点がイメージとは違った」。
http://www.major.jp/news/news20050503-6970.html
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2005年05月02日

フリーライダー

  フリーライダーという言葉がある。「ただ乗り」という意味である。乗り物に乗ることだけではなくて、もっと抽象的に、ある状況が他人の貢献や努力でうまく、あるいは、問題なく行っている時に、自分では何の貢献もしないのにその状況を利用・活用することをいう。

  単なるジコチューに近いが、ちと違う。たとえば、みなさんの小学校時代、掃除の掛け声だけは大きくみんなに掃除させるのに、自分では何もせず、そのくせ、先生が来ると「やりました〜」などと言う○○君というのがいなかったろうか。この場合、○○君は、みんなの掃除の成果にタダ乗りしているという意味で「フリーライダー」である。
 
  お金の例も分かりやすい。何人かでコンパに行って、そのうちのA君が、さんざん飲み食いしたのにお金を支払わないとすると、A君はそのコンパの「フリーライダー」であるという。最近では、税金や年金の問題で「フリーライダー」の存在が指摘されている。

  お金だけでなく、会社・オフィスでの仕事や、社会の(税制や安全などの)システムや、家事の担当のなどにも使うことができる。子供の教育や家事をいっさい女房に任せておきながら、子供の教育や家事について、部下の若い者に
  「君は分っておらんだろうがネ、いやいや、子どもの教育というのは大変なものさ」とか
  「いや、家内を手伝って家事をやるのも男の勤めさ」
などと偉そうなことを言うオジサンは、バカモノなだけではなくて、子供の教育や家事についての「フリーライダー」である。いろいろ話を聞いてみると、会社で上のポストについているおっさんに、こういう人が多いようである。

  学者が、自分では社会的なことになんら貢献せず社会問題に背を向けているのに、大学で若者に社会の平和だとか「社会の公正」だとか「正義」の意義を説いているとすれば、それは「フリーライダー」のきらいがある。「社会の公正」や「正義」の維持に貢献してもいないのに、それら有り難いモノの意義を説くのは“おいしいとこ取り”だからである。

  もちろん、程度の差はあれ、人は何らかの形で「フリーライダー」だし、本人がどういう「フリーライダー」行為をしているか気づいてないことも多い。おれも、意図しているわけではないにしても、「フリーライダー」をしているかもしれない。しかし、「フリーライダー」になってしまっていることを<後ろめたく>思っているのと、それを平気で確信犯的にやっているのは違うと思う。

  最近、こういう「フリーライダー」を立て続けに目撃した。腹が立つ前に、心が荒(すさ)む。心が荒むのは、やりきれなく落ち込むことだ。会社などで、フリーライダーをやってる当人がクビになるなら話が早いが、ふつうは、そう単純ではない。フリーライダー本人は得した気でいるのかもしれないが、より大きな問題は、他の者が不満、恨み、やっかみ、いらだちを感じ始め、グループ内・社内の人間関係やダイナミズムが崩れることである。いずれ、グループの活力が衰え、会社や社会の衰退にもつながることが多いようだ。

  個人の勝手な振る舞いが、ひいては会社の健全な活動をうばうことにもなるのである。
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2005年05月01日

身体年齢

 昨日は、新宿御苑を散歩したせいか、今朝起きたら、左手の指が腫れている。自然の中を歩くと、よくあるような気がする。何かのアレルギーなのだろうか?

 さて、あるホテルで、「体成分分析」といって、体の体脂肪率や筋肉量を測ってくれる所があるというので、行くことに。

 自慢ではないが、この一年ジム通いでかなり体は絞り込んできた。毎回、自分だけのために作られたメニューをあたかも宗教の儀式のようにこなし、「チーンアップ」という、バーを両手で掴んで懸垂をする器具では、おれの様にフルストレッチからやるものなど他にはいないくらい過酷なトレーニングも盛り込んでおる。それを見ると、並んでいるワカイモンも気後れしてしまうというありさまだ。(<完全な自慢)

 なんでも、この「体成分分析」では、「身体年齢」というのも出してくれるんだそうな。いや〜、どうしますかね〜、身体年齢25歳とか出てしまったら。ちょっとドキドキするな。

 さて、分析は、体重計のようなものに乗って、くるぶしを金具のようなものにあて両手でハンドルを握るという簡単なもの。結果を印刷してくれるのだ。

 …出てきました。「身体年齢」
       ……

 そこには、中年の実年齢そのまんま が印刷されていた。

 しかも、その場にいた係りのお嬢さん、曰く、
 「上体の体脂肪が多いようです」
 違うんだ……、筋肉質で……胸に筋肉が付いてて……肩幅が広くて……そりゃ、ちょっとはお腹は出てるけど……でも、上腕がでかいせいなんだ……
 
 さらに、お嬢さん、トドメの一発

 「疲れてますね

 ギャフン。ああ、どうせ、人生に疲れてるよ、悪かったな!!
posted by ろじ at 11:16 | TrackBack(0) | 日々のなにげない記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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