2005年06月30日

アメリカのクレジットカード保護対策

夜のテレビ朝日『報道ステーション』で、最近のクレジットカード番号流出に関連して、アメリカのクレジットカード会社の問題を指摘していた。

なんと、アメリカのクレジットカード会社は、流出した番号で偽造カードが作られても取り締まろうとはしないのだ。その理由は、偽造カードが小売店などで使われた場合、小売店にはペナルティーとして罰金が科されるが、その額はアメリカ全国で膨大な額で、これが、クレジットカード会社の年間収入の半分を占めるという。情報保護を進めない、十分な理由があるのだ。

アメリカの保険会社とクレジットカード会社のアクドサは、アメリカに住んだことのある者なら経験があるはずだ。以前、ゴミに出したクレジットカード請求書や銀行残高証明書から個人情報を盗み出す、いわゆる「ID どろぼう」について、こんなことを書いたことがある。
http://dokugo.seesaa.net/article/1812288.html

「ID どろぼう」で1700ドル盗まれても、それは「小額」ということで、訴ったえることはできないのである(今は改善されたという話は聞かない)。こういうクレジットカードの不条理や上に述べたような“フシギ”が法的に一向に改善されないのは、クレジットカード会社が政府に圧力をかけているからである。実際、上に述べたケースで、小売店を保護しようという立法化の動きは、ことごとく潰されている。

アメリカで、クレジットカード個人情報の扱いばかりでなく、情報保護のシステムが進んでるというのは、正しくない。
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2005年06月29日

天皇陛下のサイパン訪問

イギリス人の友人と話していたら、天皇陛下が昨日サイパンで慰霊をされた、という話になった。

彼は、その出来事にかんして、イギリスのBBC放送のホームページに興味ある記事があると教えてくれた。帰宅後に見てみると、ビデオニュースとして、天皇陛下がサイパンを訪れたことに関連させて、日本では放映されない映像や場面が映し出されていた。

いわゆる「バンザイクリフ」「スイサイドクリフ」から身を投じようとして逡巡(しゅんじゅん)する女性の映像、訪問した天皇陛下を迎えるために土地の元兵士が「君が代」を歌う場面、その前で靖国神社から呼ばれた神主たちが儀式をする場面などである。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/asia-pacific/4628947.stm#
右の方の BBC NEWS:VIDEO AND AUDIO「Some of the horrors from Japan's Second World War」 をクリックすると、ビデオが見られる。

日本では、ニュースでさえもすべてが放映されないのは、残念である。こういうのを、自己規制というのか。

イギリス人の友人との話は、そのあと、英国の「帝国主義」、王室などに移った。英国の女王は、良い意味でも悪い意味でも、人々の頭の中では英国の「帝国主義」と連想されていること。女王が亡くなれば、人々の「帝国」の意識も影響を受けざるをえないだろうということ。息子のチャールズには、そういう時代を代表するようなプレゼンスはなく、メディアのいいネタでしかないこと。日本と英国の(過去の)「帝国主義」“植民地主義”の違いなどなど。
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2005年06月28日

石原東京都知事のフシギ

日本に帰国して、まずフシギだったのが、石原慎太郎氏がなんで東京都知事になっているんだろうということだった。

なさること、おっしゃること、どれも、どうも“大人”の言動とは思えない。しかも二期目だというから、東京都民は何を考えてんだろう、と思う。

そのなさる“気になる言動”、最近のことで記憶にあるだけでもこんなふうだ。

石原知事が沖ノ鳥島を視察中、いかにもウキウキしながら「中国の原潜が現れないかな」と言った。(5月20日のテレビ朝日『報道ステーション』)
視察の記事は「石原知事が沖ノ鳥島視察 自ら潜水、海中調査も」 - 共同通信(2005年5月20日)http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/shakai/20050520/20050520a4910.html?C=S
http://nsearch.yahoo.co.jp/bin/search?p=%C0%D0%B8%B6%A1%A1%C5%D4%C3%CE%BB%F6%A1%A1%B2%AD%A5%CE%C4%BB%C5%E7&st=n

石原東京都知事が妄言「韓国併合は朝鮮人が選らんだ」 (東亜日報 2003年10月29日)
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2003103094298

テロを容認するような発言をしたり(外務省の田中均審議官の自宅に、発火物が仕掛けられ事件で、「田中というやつ、爆弾を仕掛けられて当ったり前」と言った)(2003年9月11日)。
記事は見当たらないが、神戸新聞に社説「石原発言/謝罪して撤回すべきだ」(2003年9月13日)
http://www.kobe-np.co.jp/shasetsu/030913ja21330.html
沖縄タイムスにも、社説「石原発言 『テロ容認』は許されない」(2003年9月13日)
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20030913.html#no_1

都民は、彼の何を「為政者」として良いと思ったのだろう。それは、日本では、政治家は子どもっぽくても許される、ということなのだろうか。
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2005年06月27日

『ER』慕情 ―― 日本人の『ER』観?

出張先で、アメリカのドラマ『ER』(第10シーズン)を観た。現実の重さや真剣さを描いていて、やはりすばらしい、と思った。

昨年度までは、NHKの地上波で土曜日の深夜に放映していたが、人気がなかったのであろうか、今年からは中止になってしまった。なぜなんだろうなあ、こんな良いドラマが?日本人には馴染まないんだろうか・・・・・・?

お茶の間の日本人は、人間のキレイな面・オモシロおかしい面しかテレビドラマに期待してなんだろうか?それを肯定したくなることが、実は『ER』にかんして起きていたらしい。

第6シーズンのエピソードに、カーター医師と若い女研修医ルーシー・ナイトが精神病患者に襲われて重傷を負い、ルーシーはERスタッフの懸命な処置の甲斐もなく亡くなるシーンがある。昨年度、地上波では、その放送分だけが放映されなかった

予告編では放送されたが、一週間後の放送当日は、冒頭に、真っ暗な画面に何行か「ルーシーが亡くなった」というあらすじを流し、その次の回の話を放送した。背景として、その当時は精神分裂病が「統合失調症」などという病名に呼びかえられた時期で、「統合失調症」の患者に対する偏見を助長しないようにと、家族や関係者に配慮したということらしい。

NHKに抗議電話が殺到し(抗議する日本人がいたことにはホッとする)、その経緯は新聞にも載った。

あいかわらず、「木を見て森を見ず」的な日本人の対応だが、NHKは、そうやって部分的に手を加えるをなんとも思わないのかねえ。そういうの(ストーリーの重要な展開部分を削除すること)「検閲」って言うんじゃないのか?NHKはもっと他に「配慮」すべきことがあるんじゃないのか?

そういう「重い現実」をどう処理していいかわからず、手に負えなくなったので、地上波での放送は打ち切りになったのかも知れない。
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2005年06月25日

追記

6月23日の日記を付け加え、6月18日の日記に、日本のテレビ番組では当たり前になっている「舐め上げ視線」というカメラアングルについて追加しました。
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2005年06月24日

バカ親税

先月から何回か旅行しましたが、もっとも記憶につよく残ったものはなんだと思います?それは、旅先での子どもをつれた若い親の態度です。そりゃ、もう、スサマジイです。

沖縄のホテルでは、ロビーを子どもが二人、大声でわめいて駆けまわっていた。ロビーの人々は眉をひそめているが、母親と父親は近くで笑ってみている。このバカ親は、夕食の食堂でも子どものしたい放題にさせていた。

別の母親は、朝飯のときに、子供を土足でソファーイスの上にのせて、食事をあたえていた。

沖縄のあるビーチで、あるカップルは、オムツをつけた赤ん坊を簡易食堂のテーブルにのせ、オシメを換えていた。茶色の物体(お茶かなんかと思いたい!!)がテーブルに流れると、使いおわった紙オムツでふき、そのシブキが近くの男性の帽子に。あやまりの言葉もなかった。

飛行機の中で。双子らしい女の子が、さわぎ放題。となりの母親(だろうな?)若い女性は、だまって窓の外を眺めている。母親をよく見ると、きわめてはでな洋装に、爪にはきらびやかなネイルアートが。もう、一生、なにも触らないことに決めたのか?

もう、日本は、どうなってんでしょうか。むかし、アメリカのシェーカーズ村という観光地でツアーに参加したときのこと。ツアーの係りひとの解説中にある子供が騒いでいると、係りのひとは、その母親に「それではみなの迷惑になる、申し訳ないがツアーから離れてもらうしかない」というようなことを言って、子供を連れ出してもらったことがある。

日本ではこんなことどころか、子どもは野放しですよね。そこで、ツラツラと考えて、ある秘策を考えました。

これは、バッチリ、日本経済の建て直しにも役立ちます。「迷惑防止条例」てなものも、あるじゃあありませんか。

公共の場でうるさくて人の迷惑になるような子どもをつれた親から、税金を取るのです。たとえば、美術館で、自分の子どもはうるさくてひと様の迷惑になるな、と思ったら、入場料にその分を加えて払う。もちろん、(自信があるなら)払わずに入ってもいいですが、もし、途中で子どもが騒いでそれを制止できなかったら、係員が
申し訳ございませんが、お子様は明らかに他の方の迷惑になってらっしゃいます。ホラ、あちらのご婦人方を御覧なさいませ。皆さま、眉をウズマキのようにひそめて迷惑がってらっしゃいます。もしそのまま、何の対処もできないようでしたら、「迷惑防止条例」にもとづきます別料金をお支払いくださいませ。自治体のほうに納めさせていただきます。
とかなんとか言って、お金をいただく。自分の子どもの傾向も把握できないということで、さらにペナルティーを含めた額もいただく。

その名も「バカ親税」。困った子どもの数から考えて、自治体のたいへんな収入源になること請け合いです。ケチな日本人が多い(いや、公共の場ではホントに!)ので、たとえ収入源にならなくとも、「子どものしつけには、金はかかりまへんわ」とかいって、日本全国で公共の場のためのシツケが始まること、まちがいありません。

子どもが他人の迷惑になっているにもかかわらず、「うちの子はなにも悪いことしてないで。だれが払うものですか」などと払うのを拒否する場合、その親にはさらにペナルティーがかかります。題して「親バカ税」。

・・・・
でも、こんな大経済政策が、この日本の国会ですぐに成立するとは思えません。(だって、「酒飲んだ」「飲まない」なんて議論を毎日してんですから。)

そこで、無力なわれわれに、かろうじてできることは何か?言葉で注意して逆ギレされ、怪我でもしたりすれば、もう踏んだりけったりです。

そこで、その対抗手段は「見つめる」ことです。なにも言わず、かの非暴力主義者ガンジーも貫いたあの無言の抵抗手段を応用するのです。そういうバカ親を「じぃーーーーーー」と見つめるのです。フランスの実存哲学者、サルトルが「視線」の重要さを説いたのも、故ないことではなかったです。

ガンバレ!同士よ、立ち上がれ!バカ親たちに負けるな!!
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2005年06月23日

膠原病にたいする偏見と『60ミニッツ』

暑さのせいか湿気のせいかわからないが、体がひどく重くダルい。しかも、手の調子も悪く、ワンテンポ遅れて動く感じである。すこぶるストレスがたまる。

どうも、リューマチ類に関する社会の無理解もひどいものである。「痛風ですか、美味しいものばかり食べてるからですよ、ハハハ」などと、知った風なかなり無神経なことをいう人もいる。可笑しくもないし、冗談にもならない。痛風とリューマチは、まったく違う。無知を偏見に入れれば、日本社会では、こういう膠原病や内疾患にたいする偏見は甚だしいようだ。

とはいえ、今だ、ジム通いはしている・・・。

ジムでチャールズに会った。なんと、あの手紙は、効き目があったそうだ。あれ以来、アパートの隣人は静かになったんだそうである。確かに、気味が悪い手紙ではあったからなあ。
(2005年05月30日付け「チャールズの置き手紙」参照 http://dokugo.seesaa.net/article/4022317.html

四方山(よもやま)話をしていると、日本のニュースメディアの話になった。そこで、オレが「アメリカの『60ミニッツ』が懐かしいよ。あんなすばらしい報道番組は他にないね」というと、チャールズも、その番組の良さを褒め称えて「『60ミニッツ』に相当するものは、まずどこにもないね」と答えた。

この『無用独語』でも、『60ミニッツ』のすばらしさには幾度か触れてきた。報道対象の切り取り方、相手への突っ込み方など、これぞジャーナリズムというものだとおもう。日本でそれに見合うものは、『報道ステーション』で時にやる特集モノだろうか。
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2005年06月22日

まずやってみれば?

「英語がもっと話せたらいいのに」「ああ、フランス語が習いたい」のようなことを言うひとが、よくいる。

こういう発言、ちょっと不思議である。わたしは、言葉を習うのが好きなので、今も5、6ヶ国語の外国語を同時に勉強している。すべてNHKのラジオ講座という、金もかからないアンチョコな方法だ。これまで学んだ英語、フランス語、ドイツ語もすべてラジオ講座が出発点だった(家が貧乏だったのでそれしかなかったのだが)。

もともとオツムが悪いうえに記憶力も低下しているので、わたしの外国語はいっこうにモノにならないが、他の言語を学びたい、そして、ついでに他の国の人々のものの見方を知りたい、という好奇心は十分に満足させている。そしてなにより、「・・・たらいのに」とグチる精神的不衛生を免れている。

もし外国語を学びたければ、学べばいい。時間なんてどうにでもなるし、ラジオ講座なんて毎日せいぜい20分の学習だ。朝は(というのも、たいていの講座は朝に放送されるのだ)どうしても家事はあるし、いろいろ忙しいというならば、録音すればいい。その気にさえなれば、いくらでも学べるのだ。

バイオリンを弾きたければ、まずバイオリンを手に入れることだ(わたしの場合は、まったくモノになりませんでしたが)。テニスをしたければ、まずテニスコートにいってみることだ。あれこれ不平を言ったり悩んだりする前に、まず行動してみることだ。これは、わたしの説ではなくて、アランというフランス哲学者が、『幸福論』というベストセラーで「幸福になる方法」として勧めたことだった。とてもいい処世訓だと思う。

その伝で、わたしは、彫刻家でもないのに木彫がやりたくて、すでに木材と彫刻等を準備している。まとまった時間が取れない上に、病気で手に握力がないので、いつになるかはわからないが、作りたいもののイメージはすでにあって、きっといつかやってやろう、と思っている。ただ、最近は、石の美しさに魅せられて、興味が「木」の彫刻ではなく「石」に移ってきた。だから、もしかしたら木彫はやらず、もう「木彫」という貴重な体験はしないかもしれない。やりたいときにすぐやらないと、こういう問題がある。

たしかに、バイオリンを買うのは大変かもしれない。都会でテニスコートを予約するのは、かなり困難かもしれない。しかし、それに比べれば、語学はもっともっと簡単だ。まず行動することだと思う。テキストを買い、ラジオを準備してみればいい。4月からの講座にはもう間に合わないというなら、販売されている過去のCDを買えばいい。せいぜい、たったコーヒー5杯くらいの値段だ。やってみて自分に合わないと思えば、止めれば良い。語学なんてその時の自分の関心で左右されるものだ(もし、イタリアドラマが韓流なみに流行れば、すぐイタリア語になびくかもよ)。また将来やってはいけないルールなんてないのだ。語学は、一番手軽にできる道楽である。やらない手はないゼ。

そして、なにより、行動を起こしたことは財産になるでしょ。
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2005年06月21日

イスラム教徒女性の「性(セックス)」(下)

(著者のインタビューからの続き)

「愛というものが可能になるのは、唯一、女性が自分たちは合法的にレイプされるためにいるのではないということに気づき、男たちが女性というものは奴隷でも下等な生き物でもないことを理解するようになってこそなのです。」

「(ヨーロッパ育ちの裕福な男性医師で、主人公の女性と関係を持つことになる)ドリスは、社会の伝統的枠組みの外にはぐくまれたこの愛の真価を、どう理解したらいいか判らなかったのです。彼は性的には自由であっても、社会的には自由ではなかったのです。」

「アラブ社会の病理は、人々が愛し方を知らないということです。かれらは、苛立ちから、テレビで安っぽいメロドラマなんかを見ています。愛を夢み、歌を聞き、センチメンタルな気分になったりはしますが、気遣いや優しさということを知りません。美しい愛の詩なんかは理解するのでしょうが、そういう心を示す度胸はないのです。」

まさに、どこかの国の人たちに当てはまりそうな言葉だと思った。

この記事をわたしは電車の中で読んでいたが、そのとき、座席の両脇には、20代と30代らしい男性が、ともに「ヤング○○」とタイトルの付いたマンガ雑誌を、一心に読んでいた。

それぞれ違う雑誌のようだったが、中に描かれているのは、半で押したように、胸だけは大きい少女のすっ裸かか下着姿、その体をもてあそぶ男たち、いやがる少女をレイプするシーン、そして、ありえないほどに筋肉の発達した男たち(の体)・・・。

日本では、この男性たちは、決して例外ではない。中学生から政治家まで、かれらは、こんな文化にどっぷり浸かって育っていく。(あげくに、公の場で平気で女性蔑視発言をする政治家を生んできた。)この『アーモンド』の著者が日本の男たちを見たら、なんというであろうか。かれらは、「性的には自由であっても、社会的には自由ではないのです」と言うだろうか。

こんな文化で育つこんな男たちを相手にする女性(妻や恋人たち)は、いったい幸せなのだろうか。
それとも、苛立ちをおおい隠して、テレビで「安っぽいメロドラマ」を観ることで、自分を慰めているのだろうか。
posted by ろじ at 21:30 | TrackBack(0) | 日本・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月20日

イスラム教徒女性の「性(セックス)」(上)

アメリカのニューヨークタイムズ紙に、モスリム(イスラム教徒)女性の「性(セックス)」に関する大変興味ある書評が載っている。(「あるモスリム女性 ―― ある性の物語(A Muslim Woman, a Story of Sex)」インターネット版は、
http://www.nytimes.com/2005/06/20/books/20almo.html?adxnnl=1&8hpib=&adxnnlx=1119275283-NcgtCxx+Wg/9zcg6Ma/qOw

北アフリカのイスラム文化圏に生きる女性が、モスリム女性の性をテーマに『アーモンド』という本を書いた。本の表紙には、女性の体が臍だけを除いてアーモンド色の布で覆われている写真が載っている。「アーモンド」とは、北アフリカの女性の肌の色を刺すのかもしれない。また、「アーモンド」とは英語で「ペニス」を表す俗語で、それが意図されたとするとかなり衝撃的だが、この本はフランス語で書かれたから同じような隠された意味を持つかどうかはわからない。

モスリム女性という立場での半自伝的な物語ゆえ、この本は匿名で書かれた。しかし、そのテーマゆえか、すでにフランスでは5万部が売れたそうである。

この本は、モスリム女性の性の「自由」と「不自由」をテーマにしている。「性の不自由」とは、おもに、結婚したモスリム女性が(レイプなどの)夫の性の暴力にさらされることを指す。「性の自由」とは、もちろん、「結婚」という形に囚(とら)われない性愛の形態(ときに、いわゆる「愛の遍歴」)を、まず指すのだろう。

しかし、性の問題とは、(とくに女性にとっては)自分で意識し感じられる「体」の問題でもあるだろう。だから、「性の自由」は、おのれの体の自由、つまり因習や社会的抑圧からの解放をも含んでいるだろう。その意味は、イスラム社会 ―― そこでは、とりわけ性に関して女性は自分の意見を言えない ―― に生きる女性にとっては、とくに重い、というのが、この本のもう一つの重要なテーマである。

書評に引用された、インタビューでの著者の言葉が印象的だ。

「アラブ社会は、壊疽(えそ)や文盲、貧困や独裁や原理主義で疲弊してしまった病気の老人のようです。」

「男女の関係では、イスラム社会では結婚と出産のために一緒になるものの、女性の体のことを知る男がほとんどいないため、たいていの女性はセックスを重荷と感じています。」
(つづく)
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2005年06月19日

沖縄

しばらく前に行った沖縄を断片的に、体はいささかガタガタだったが。

那覇の町には、真ん中にSの字型にくねるようにモノレールが走ってて、これに乗れば主要なところには行けそうで、とても便利だ。モノレールから、小さな近代的なビルに囲まれて、伝統的な平屋の美しい瓦屋根が見える。とても興味を引かれたので、座席から体をひねりながらパシパシ写真を撮っていたら、面の前に立っていた女子中学生たちが苦笑していた。

乗ったタクシーの運ちゃんは、むかし東京に住んでいたと言う。杉並にいたと言う。その後に泊まったホテルの従業員も東京にいたことがあり、住んでいたのは、やはり杉並だという。なんかあるのか?それとも、巨大な沖縄人コミュニティーがある?

昼飯はさあ沖縄のものでも食おう、と意気込んでいたのに、仕事が忙しくて、結局、「ダイエー」の最上階で卵でできたお好み焼きのようなものしか喰えなかった。沖縄のお好み焼きなのか?

仕事がやっと終わったのが5時。もう那覇の名物、首里城見物には間に合わないなと諦めつつ、ともかく行ってみることにする。行く道で、孫を連れたお婆さんに「首里城へはどう行きますか」と訊いたら、説明した後「わかるかなぁー」と言い、こちらが早足で歩き始めても、ずっと付いて来た。沖縄の人はとても親切だ。

天気はいいし、見るものすべてが面白く、楽しい。行く道で、池に石橋のかかったとても美しい寺のような建物(円鑑池(えんかんち)と弁財天堂)があり、縁側で、高校生らしい男女が仲睦まじく話をしていた。ちょっといい風景だ。

6時過ぎに首里城に着いたのに、なぜか門の中に入れてくれた。地中海を思わせる(って行ったことないが)白壁に囲まれた宮殿は中国文化の色合い。なるほど、ここは日本ではない。

ゆっくり観ていたら、場内看守の人に「もう門が閉まる時間です、どうぞ出口に向かってください」、と言われる。展望台に行く時間はありますか、と早足で歩きながら訊くと、「その歩き方なら、行ってきても良いですよ」と優しく言ってくれる。沖縄の人は、やはりもの柔らかだ。

首里城の宮殿の中には入れないので、城壁の間をさまよった後、レストセンターというところで休み、そこの歴史センターでビデオを観る。遅いので、客は自分だけである。「政治の都としての首里」「宗教の都としての首里」「首里から伸びる街道」など、興味深くて、つい全部見てしまった。ちょっとした首里専門家になったな、と鼻高々の気分でいると、掃除のおばさんがひょいと顔を出した。なんと、わたしがいる間、ずっと待っていてくれたのだ。

レストセンターの前で、ガードのおじさんに道を尋ねたら、「おひとりですか?ひとりで観光して寂しくはないですか」と訊かれた。「いえ、すべて美しいものばかりで、とても楽しいですよ」と応える。
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2005年06月18日

日本企業・メディアのオメデタイ差別感覚

ちょっと前になるが、化粧品会社「マンダム」が、チンパンジーが黒人のまねをしているCMを流して、差別だとの指摘を受けてテレビ放映と雑誌広告を中止したことがあった。(下に引用)
マンダムのチンパンジーCM、「黒人差別」指摘で中止
化粧品製造販売「マンダム」が、チンパンジーが黒人のまねをしているCMについて、「差別にあたる」との人権団体の指摘を受け、テレビ放映と雑誌広告を中止していたことがわかった。同社は「国際感覚が欠如しているという認識に至った」としている。
 問題になったのは、男性用洗顔製品のCMで、数人の黒人が顔の汗をふく横で、縮れたドレッドヘアで金と赤、緑の衣装を着たチンパンジーがまねをし、顔をふく内容。テレビCMは3月から放映していた。
 これに対し、人権擁護団体「コミュニティー」は、黒人を「類人猿と同等とみなしている」と指摘。また、チンパンジーの衣装についても、「ジャマイカの信仰者の宗教的象徴の姿で、僧侶や神主の格好をさせるのと同じこと。無神経で下品」と訴えた。
 マンダムには同じような抗議のメール6通と手紙1通が来ており、広告会社と検討した結果、テレビ放映と雑誌掲載の中止を決めた。
 マンダム広報IR室の牧博英課長は、「仲間とわいわいやっているところに、チンパンジーも入れたらいい雰囲気になると考えた。差別の意図はなかったが、国際的に見てタブーにあたると判断した」と説明する。(2005年06月14日)
http://www.asahi.com/national/update/0614/TKY200506130682.html

実は、これを観たときは、自分の目を疑った。

アメリカでは、黒人とサル・チンパンジー類の間の連想を引き起こすような表現をするだけでも大変なタブーである。以前、大学バスケットボール選手権で、優れた活躍をしていた学生(黒人)を、アナウンサーが(人間離れした)その運動能力を譬えるために「Monkey」と表現したが、その直後から大問題になった。

そんなCMを2ヶ月以上も放映し続けていたなんて、考えたくもないことである。しかし、正直、驚きはしない。この国の「差別意識」「危機にある人への配慮意識」なんてそんなものだからだ。

上記のように異国人・ハンディを持つ人を差別するような表現は、バラエティーショーなどには散見される。それ以外でも、これマジかい?と思うようなことが、この国では平気で行われている。

たとえば、簡単なのは、テレビでやるいわゆる「舐め上げ視線」というカメラアングル。女性の足元から腰の上の方へとずっと上がっていく、あの写し方だ。少なくともアメリカでは、これはタブーである。理由は、もちろんエロチックな絵作りだからだ。しかし、日本では、これが時にはなんとニュース番組でもやる。

それと、テレビの「Mステーション」だったか(間違ったらご免なさい)、番組の間中、司会者の背後に、何人もの外国の女性、特に金髪女性を座らせている番組がある。彼女たちは、時々何か言うものの、基本的にはセックスアピールの「お飾り」である。アメリカなら、これ、まずその筋、その関係のグループから吊るし上げを喰うこと間違いない。こんな時代錯誤的なセッティングしなければ視聴者を得られないと考える、番組制作者の「女性に対する意識」というか見識を疑う。(番組に出る女性たちが何を考えているのかも知りたいが。)

それと、この国に来て直後に見た、もう一つの忘れられないシーン。ある日、地下鉄の中の広告がすべて同じ、しかも真っ赤な品の悪いデザインであることに気づいた。まったく同じものが、すき間なく並べられているのである。みると、「バイオテロ」と書いてある。すわっ、大事件のニュースか、と思ったが、目を凝らすと、ゲームのCMであった。

全車両に同じ広告をすき間なく並べるだけでも下品であるが、それを置いても、それは、テロを経験し、未だに巷でバイオテロの可能性を論じるアメリカなら、考えられもしないことだろう。それ以外の外国でも、危機意識・パニック感覚をもてあそぶようなそんな広告を許すとは思えぬし、許したとしても、メディアで大問題になるはずだ。その後、注意していたが、日本でそれが問題視された話は聞かなかった。

コマーシャルなら何やっても良いと考えてんだろうな。
「まあ、そう目くじら立てないでも」なんて言うんだろうな。まったくオメデタイ国である。
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2005年06月15日

えげつない日本の銀行

コンビニのATMを使って金をおろした。「ご利用明細」を見ると、
当行所定のご利用手数料(含消費税)をご利用口座からお支払いいただく場合があります。
と書いてある。

これ、前から気になっていた。そこで、銀行に電話をかけ訊いてみると、105円かそこらの手数料がかかっているとおっしゃる。昨年、日本に来て口座を作ったときに一年間は無料だったサービスが終わったためらしい。

それは別にいい。しかし、では、なぜかかった手数料を明記できないのか?「利用手数料を・・・お支払いいただく場合があります」というアイマイな言い方はなんなんだ?実際に払ってるではないか?払った瞬間にその額が明示されないのを「不明朗会計」という。いちいち明記するのは手間がかかるし、通帳に記入すれば全てわかりますよ、というのは言い逃れだ。アメリカでは、ほとんどどこでもやっているサービスである。

わたしが利用しているのは東京三菱だが、この銀行には(も?)他の手続きで手数料がよくかかる。一般に、日本の銀行はATMのサービス時間も短いし(昔は、週末は使えなかった!)、高い手数料がかかりすぎる。

日本の銀行が殿様商売をしていることは、昔から周知の事実だ。
それが先日のキャッシュカード盗難事件でも露わになった。被害者のカード所有者に何の落ち度がなくても、銀行は盗まれたお金の被害を補償するのを拒んだのだ。このような遅れた利用者保護は、先進国のあいだでは日本が群を抜いている。しかも、すべての銀行横一線でほぼ同じポリシーを行っている。

これにはあちこちから非難の声が上がって、さすがに、銀行はルールの改変を行う予定らしいが、どうせまた横並びなのだろう。

日本の銀行は、一見サービスが丁寧なようでいて、えげつないイヤラシサが見え隠れする。
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2005年06月14日

帰還

出張旅行から帰ってきた。肉体的にはかなりしんどいものだったが、地方の人々の温かさに触れることができた。

それまでノー天気に知らないでいたその土地の悲しく重い歴史も、少しだけだが学ぶこともできたと思う。知らないことは、本当に恐ろしいことだと思う。

出発の朝、前夜の遅くまでの仕事で睡眠時間が2時間半と極端に短かったこともあって、体調がかなり悪かった。前夜から、左足の指が腫れていることに気づいてはいたのだが。

朝は十分早く起き準備万端で家を出たものの、空港まで行く途中で体がどうにも動かなくなり、階段も登れなくなった。手の指には力が入らなくなり、空港のエスカレーターでは足が一歩も前に出なくなった。下から見上げたエスカレーターの、なんと長く見えたことよ。

出発ぎりぎりで、空港のカウンターに着いたときには、声さえかすれて出なかった。あと少しの時間があったが、カウンターの女性に「もうダメです!」と怒鳴られたときは、さすがに萎えた。こんな体の状態では走ることもできず、けっきょく諦める。こんなこともあろうかと一番早い便を予約していたので、問題は無かったが、昔の自分と比べて考えると、情けないことこの上なかった。
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2005年06月01日

アメリカの肥満と炭酸飲料

しばらく前のニュースだが、アメリカの公立学校から炭酸飲料やジャンクフードを締め出そうという動きが出ている。「子供たちの肥満」はそれが原因だ、というのがその理由である。

確かに、大人も子供も含めて、あちらの肥満は大問題である。しかし、スーパーや食堂には炭酸飲料が溢れ、赤ん坊に哺乳瓶代わりにコーラのボトルを預けるような母親さえもいるので、原因は学校だけの問題ではない。

さらに、「人生すべての食生活は子供時代に始まる」と、マクドナルドなどのファーストフード会社は、子供をターゲットにしたコマーシャルやオマケ景品作戦を展開する。

しかも、もっと重大なのは、公立学校は州から予算を削られていくので(911テロ後は警備にお金を回すため、さらに)、教育費を捻出するため、炭酸飲料の自動販売機を構内に置いたり、屋上に炭酸飲料会社の広告を置くことで収入を得ようとしている。

つまり、アメリカのもっと広い社会全体での問題なのである。コネティカット州は、比較的高収入の家族が多い州である。下の記事の公立学校も、そういうアッパーミドルクラスを含むのだろうか。「家で健康な食生活について子どもに教育しても、学校でそれに反する製品を売られてはどうにもならない」と言えるのは、そういう家庭ならではだろう。実際には、家庭でも炭酸飲料しか飲ませない家が多いのである。

「木を見て森を見ず」か、あるいは「千里の道も一歩から」か?

米公立学校から炭酸飲料締め出す 肥満防止に州下院可決
 公立学校から炭酸飲料を締め出す法案が18日、米コネティカット州下院で可決された。太りすぎの未成年が900万人いると言われている米国では、学校での炭酸飲料やジャンクフードなどの販売に歯止めをかけようという動きが出ているが、州の公立学校全体で販売を認めない法律が成立する見通しとなったのは、初めてという。

 法案は、学校で販売できる飲み物として、水、牛乳を含む乳製品、果汁100%のジュース、人工甘味料を加えていない飲み物を挙げている。炭酸飲料は締め出されることになる。ただし、高校では授業時間後のスポーツドリンクとダイエット・ソーダ類の販売は認めた。

 法案を後押ししてきた「コネティカットの飢えをなくす会」のルーシー・ノラン代表は「子どもの肥満の問題はこれ以上、手をこまぬいていられないところに来ている。家で健康な食生活について子どもに教育しても、学校でそれに反する製品を売られてはどうにもならない」と話す。

 一方、飲料業界の団体、米飲料協会(ABA)の広報担当は「各学校区の判断にゆだねられるべきで、州が法律で売っていいものを決めるのはおかしい」と話した。

 法案は上院に回されるが、修正前にすでに上院を一度通過しているため、そのまま可決されて州知事の承認を待つことになりそうだ。(2005年05月20日10時06分)
http://www.asahi.com/health/news/TKY200505200102.html
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