2005年07月31日

『皇帝ペンギン』 と 蕎麦屋ジプシー

土曜日
映画『皇帝ペンギン』を観る。

映画『WATARIDORI』と『ディープ・ブルー』のリュック・ジャケ監督だから、まあ、「わいわい動物天国」のノリにはならんだろう、「かわい〜ペンギン物語♪」にはなるまい、と思っていたが、いやはや、やはりフランス映画である。

「月と太陽の出会うところ」「愛と歓びのダンス」みたいなセリフ満載で、大人の雰囲気が充満している。

ペンギンのそぼくな動きも、ホノボノとするより、なにか別世界の宗教的儀式に用に見えてくる。しかし、あのポスターにあった子どもペンギン、あんまり可愛くてCGかなんかだと思ったけど、本物なんですねえ。


日曜日
亡くなった杉浦日向子氏を弔うため、阿佐ヶ谷に日本蕎麦を喰いに行った。

旨い蕎麦屋があるはずだったが、さんざんそれらしいところを歩いたが、見つからない。

しかし、そこまで行く間の商店街で、旨いパン屋を発見。買う。ドジョウの天ぷらなんぞを発見。もちろん購入。コーヒー豆を煎って売る店を発見。買う。なんと、イギリスの「ボディントン・パブ・エール」という缶ビールを発見。缶に仕掛けがしてあって、缶からあけると柔らかな泡になってビールが注がれるのだ。もちろん3缶購入。ドジョウで一杯やるためのツマミも購入……。

気がつけば、両手は買い物袋で一杯。

ああ疲れた、さあ帰るか、と口に出たところで、今回の本当の目的を思い出した。なんてこったい ――。 

さらに歩いたあげく、その問・の店が別の店に代わり、しかも休業であることを知った。なんじゃね、こりゃ。まあ、いいか。いろいろ買ったし……。

いや、杉浦日向子氏を悼むには、蕎麦を喰わねばならぬ。そこで、気を取り直して、駅前を探して、つまらなそうな「手打ち」に入る。味は、まあ問題ではない。

ザルから蕎麦を手繰りよせ、少しずつつまみツユに軽くひたして喰う。杉浦日向子氏が好んだという食べ方を黙々としながら、彼女の冥福を祈った。

posted by ろじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々のなにげない記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月30日

怒る

怒ると疲れますよ、たしかに。けど、我慢して、あとまでウジウジするよりいいじゃないですか。

「怒る時に怒らなければ、人間のかいがありません。」(太宰治) ほらね?

***********************************

25日と26日の日記をアップしました。
posted by ろじ at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | ひと言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月29日

NASA、シャトル打ち上げ強行の失敗を認める

ディスカバリーの打ち上げを強行したNASAが、「大丈夫だと思ったのは間違っていた」と述べた。

打ち上げ直後は、新聞はその「成功」を喜び「夢の実現」を称える記事で一杯だった。

朝日新聞には、ある安全人間工学専門家の発言として
「原因が分からないと認める率直さ、『(打ち上げ後に)たとえトラブルがあっても対処可能』と判断する自身、は評価したい」
などという引用が載っていて、オイオイ、そら、無責任で勝手すぎやしないかい、と思っていた。

そしたら、2003年事故時と似たようなタイルの剥離(はくり)事故である。これは、下(21日付け日記)に引用した、かつての調査委員会の物理学者が、まさに「ロシアンルーレット」の可能性として指摘したことだった。

今回は日本人が乗ったこともあるんだろうが、どうも、日本の新聞はハシャギ過ぎるのではないかなあ。

NASA「我々は間違っていた」 シャトル計画部長発言
(朝日新聞2005年07月29日)
 米航空宇宙局(NASA)がスペースシャトルの次回以降の打ち上げ凍結を早々と決めたのは、飛行再開に突き進んできた姿勢が行き詰まった結果にも見える。その背景には米国で急速に進む情報開示や、NASAの組織文化の変化などがありそうだ。
 シャトル計画部長のビル・パーソンズ氏は27日夜の会見で「予期せぬ落下物は生じないと考えていた」と話し、「間違ったときは認めなければならない。我々は間違っていた。ここで手を打つ必要がある」と述べた。
 03年2月のコロンビア事故では、外部燃料タンクからはがれ落ちた断熱材でシャトルの翼が損傷し、それがきっかけで帰還中に空中分解した。
 NASAはタンクで剥離(はくり)が起きそうな場所に対策を講じてきた。今回、断熱材の大きな塊が落ちた配管付近は構造が複雑で剥離の可能性が指摘されていた。その対策が不十分だったと認めた。
http://www.asahi.com/science/news/TKY200507290091.html
posted by ろじ at 23:46 | TrackBack(0) | アメリカ・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月28日

この時間は、今日の今しかないことぐらい知ってますよ。

でも、夢を一瞬ぐらいみたって、いいじゃないですか。
posted by ろじ at 23:11 | TrackBack(0) | ひと言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月27日

検査

コンビニ弁当とかカレーパンとか、あいかわらずロクでもないものばかり喰っているのが祟ったのか、調子が良くない。体中が疲れてダリい。手足の関節が、いまにもネジが外れそうな感覚である。

で、病院で検査をしてきた。

検査の結果、医者は状態がちと良くないという。

オレ「え?じゃあ、美男、薄命ってわけですかね」
医者「そうですなぁ、あと50年くらいしか、生きられないかもしれませんな」
オレ「ええええっ?たったそれだけですか?どうしよう……」

っていうのは冗談だが、こういう症状を勉強して、それなりに謙虚に生きていくしかあるまい。

「生れ落ちたは、運の月。独りで生きれば、花も咲く、ケチもつく。ことが起これば、残りは余生。」(ろじ)

「今日できることは、明日でもできる。どうせ死ぬまで生きる身だ。」(杉浦日向子)
posted by ろじ at 23:36 | TrackBack(0) | 日々のなにげない記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月26日

アスベスト(石綿)被害 次々と報道

アスベスト(石綿)が、大変な事態を引き起こしている。一時は問題視されて学校の後者の点検までされたのに、なんでこれほどまで長く放置されてきたのか。

このことで、先週、ある役人と話をした。

オレ「なんでこんなに放置されてきたんだろう。大昔、子どもの頃、問題になった記憶がある。」
役人「国は、規制をしなかったわけじゃないよ」
オレ「新聞の報道によると(7月17日朝日新聞「時々刻々」)、石綿の発がん性は72年に国際労働機関(ILO)と世界保健機関(WHO)の専門家会議で確認されているというぜ。日本が毒性の強い青石綿と茶石綿を禁止したのは、それから23年後の95年というじゃないか。」
「毒性の確認だけでは、国が禁止するには充分じゃないんだよ。」


オレ「しかし、同じ新聞の調査によれば、86年にはILO条約で青石綿が、89年にはWHOが青石綿と茶石綿の使用を禁止したけど、日本がそれらの製造と使用を禁止したのは、95年だ。この5年以上の遅れはなんだい?政治的なプレッシャーが、業界からあったんだろ?」
「確かに、92年に国会で石綿製品の製図などを原則禁止する議員立法をする動きがあった。しかし、業界団体は『石綿で健康被害は起こりえないし、発生していない』という見解で反対した。」
オレ「それみろ。」

「だけど、環境省ではちゃんと規制をしてきたはずだ。」
オレ「確かにそうかもしれない。上の新聞の解説によれば、71年に特定化学物質等障害予防規則が制定された。健康被害を防止するため石綿などの人体に危険な化学物質の取り扱いを規制するためだ。75年には、特定化学物質等障害予防規則が改正され、建設現場での石綿の吹き付け作業を禁止するなど規制が強化された。でもなあ……。」

「なんだ?」
オレ「ちゃんと規制されたのかなあ。」
「75年に今の環境省ができて、その後は大丈夫のはずだけど、その前はどうかといわれれば、分からない。」

オレ「その前だけじゃなくて、その後でも、ちゃんと現場で規制はされたんだろうか?オレの子どもの頃なんて、小学校の校舎の天井や壁はアスベストだって噂で、確かに校舎の解体の時はそんなものを見た記憶がある。規制後も、あちこちの建物で勝手に使われていたんじゃないのかな。それに、いくら『原則規制』っていったって、現場でどれだけ守られていると思う?たとえは悪いけど、シンナーなんてちゃんとしたところでは換気に気を使ってるけど、換気も何もやってないところはゴロゴロあるだろ?」

「シンナーと石綿では、被害の度合いが違うよ。」
オレ「その『恐ろしい』という被害に、昔、気がついていた人が本当にいたのかい?
きっとな、これからゾロゾロ出てくるぜ、野放しの実態が……」


はたして、その予想通りになり、多くの建物で「アスベスト野放し」の報道が次々となされてきた。しかし、こんなこと、嬉しくもない。


参照:朝日新聞「日本と海外の石綿規制の動き」
http://www.asahi.com/special/asbestos/window/050717_1.html
posted by ろじ at 00:00 | TrackBack(0) | 日本・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月25日

地震 と 杉浦日向子さんの死

23日午後4時半ごろに、関東地区で強い地震があった。かなりの揺れで、震度5はあったようだ。

東京・足立区で震度5強 1都3県で27人けが(朝日新聞07月24日03時12分)
http://www.asahi.com/national/update/0723/TKY200507230270.html

地震があると良く見るウェブサイトは、「気象庁 地震情報」であるが、今回は震度その他の情報が出るまで時間がかかった。
http://www.jma.go.jp/JMA_HP/jp/quake/

その代わりではないが、よく見るのは、アメリカの「米国地質調査研究所」(U.S. Geological Survey:略してUSGS)の地震情報サイトだ。
http://earthquake.usgs.gov/recenteqsww/index.html

関東の地震の直後に、日本の関東地区に大きな「四角」が現われ、巨大な地震があったことを告げた。

このサイト、世界中の地震情報を見ることができる。これを見ると、インドネシア・インド洋沖(前回スマトラ大地震があった辺り)と、アメリカの西海岸およびアラスカ辺りに頻繁に地震が起きているのが分かる。アメリカのカリフォルニアとアラスカは、地震のメッカなのである。

****************************

夜、テレビを見ていたら、杉浦日向子さんが亡くなったと報じていた。

ショックであった。彼女は、数々の賞をもらったすぐれたマンガ家であるが、オレにはそれ以上にエッセーの達人であった。

江戸風俗を題材にしたマンガは、多くの人を楽しませると同時に啓蒙し、同様に、江戸を題材にしたエッセーは、軽妙洒脱、最近まれに見る名文家であった。

蕎麦をこよなく愛し、自ら「ソ連(=ソバ連合)」を作って、蕎麦やその他の日本の珍味について、味わい深い文章を書き続けた。実にいい文章であった。

オレも、かってに「タソガ連(=立ち食いソバ餓鬼連合)」というのを作り、立ち食いソバ(まともなソバを喰うほど舌が肥えていないので)を愛でることにしたのは、ひとえに彼女の影響である。

食伝統を知らない“食通作家”や日本語もまともに書けない“小説家”など廃業してもいいヤツラが山ほどいるのに、神様は、なんて残酷なことだろう……。

今週末は、彼女のご冥福を祈って、旨い蕎麦を喰おう。

文筆家の杉浦日向子さん死去 江戸風俗研究・漫画で活躍
 東京・京橋の呉服屋に生まれ、江戸文化に傾倒。時代考証を学ぶかたわら、80年に初めて描いた漫画「通言室乃梅」が「ガロ」誌に載る。彰義隊の悲劇を題材にした「合葬」で84年に日本漫画家協会賞優秀賞、「風流江戸雀」で88年に文芸春秋漫画賞。端正な筆致で、庶民の粋な風俗や生活感あふれる日常描写を得意とした。ほかに北斎父娘を描いた「百日紅」、怪談集「百物語」など。
 93年に「隠居宣言」をして漫画から引退。小説に「ごくらくちんみ」、エッセーに「江戸へようこそ」「呑々草子」などがある。95年から9年あまり、NHK「コメディーお江戸でござる」のレギュラーも務め、江戸文化の名案内役としてお茶の間で人気を集めた。
 1年8カ月前から闘病生活を続けていた。(朝日新聞07月25日16時58分)
http://www.asahi.com/obituaries/update/0725/001.html
posted by ろじ at 00:00 | TrackBack(0) | 文化・芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月24日

映画『Dear フランキー』(下)

うその愛とほんとうの愛

うその上に なりたった 愛でも
しんけんな こころからの うそならば
こころのそこからの ほんとうの うそならば 
ほんとうの愛を あたえられる
かもしれない
愛のなかで いちばん だいじな
おもいやりで つつんで あげられる
かもしれない

うその話で なりたった ほんとうの愛
―― それは
ほんとうの話で なりたった うその愛
よりも、 ふかくて
つよい ものでは ないだろうか
とうとい ものでは ないだろうか
posted by ろじ at 23:52 | TrackBack(0) | 文化・芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月23日

映画『Dear フランキー』(上)

映画『Dear フランキー』を観た。
http://www.wisepolicy.com/dear_frankie/top.html

耳に障害を持つ9歳の少年フランキーは、世界中を船で旅する父親に、せっせと手紙を書き送る。しかし、母親は幼いフランキーと共に夫から逃げ出しており、“船乗りの父親”は母親の創作だった。別の街の郵便局に送られるフランキーからの手紙に、母親はその父親の振りをして返事を書き続ける。ある時、その父親の“乗った船”が港に戻るという噂が流れる。しかし、いまさらフランキーに真実は明かせないと感じた母親に、ある考えが浮かぶ……。

監督は、役者に(ありきたりの)大仰でわざとらしいセリフを言わせず、単純な会話で場面を作っていく。

ここでもうひと押しすれば観ている者を泣かせられるだろうという場面でも、素朴なやりとりがされる。とても抑制されたタッチで描かれた、素朴だが味わい深い一枚の絵画という印象だ。(抑えたタッチは、主人公が難聴であることとは直接の関係はないのかもしれないが。)

その抑制された演出が、うれしかった。昨今の映画の中では輝くような自然さを与えている、と思った。

シンプルなやりとりが、かえって、ストーリーの深さと複雑さを強調していると思った。愛のためなら身を奉げなくても、世界の中心で裂けばなくても、大声で叫ばなくても、一番身近に、愛を信じ、感じるための舞台はあるのだ、と(ほんの一瞬だったけれども)信じさせてくれた。
posted by ろじ at 00:00 | TrackBack(0) | 文化・芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月22日

ミラン・クンデラ『可笑しい愛』

ミラン・クンデラ著『可笑しい愛』を読んだ。

クンデラは、『存在の耐えられない軽さ』(1984年)で有名になったチェコの作家。この本は、彼が、もっと初期に主に愛と愛する人々について書いた短編を集めたもの。まずチェコ語で書き、のちにフランス語に訳した。

人々があることを感じ、何かをなすのは、それなりに必然的なつながりがあるものだ。少なくとも当人には!
「○○だから、××と思ったのは仕方がないじゃないか。で、△△を好きになってしまったんだ!」
のように。愛や恋はその典型例でしょうね。

その人々の感じ方(あれこれの心理)と振る舞い(ばかげたものも含めて)に至る“論理”を語る描写が、じつに説得的ですばらしい。ああ、なるほど、そりゃそうだ、と思ってしまう。

しかも、人々の様子や立ち居振る舞いや出来事についての、ディテールの描写がしっかりしている。細かく描けば良いわけではない。細密画のようなマンガは疲れるだけだ。それと同じで、ディテールも一種の様式化がされてなくては、読んでいてついていく気になれないし、興味ももてない。

それに、愛を語る視点がいい。語っている恋愛にこだわりながら距離を置いている、突き放しているようでありながら目が離せないという筆致である。つまり、オトナである。

才能あふれる作家だなあ、と思った。
posted by ろじ at 00:00 | TrackBack(0) | 読書・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月21日

上野の駅内ショッピングセンター

上の駅に久しぶりに行ったら、2階の通路に、あらたに食堂街だけでなくいろんなお店ができていた。ちょっとしたアメリカ風小型ショッピングモール(ショッピングセンター)なみだ。アメリカでは、こんなミニ商店街がビルの2階にあったりする。

おれの大好きな、くだらないオモチャやチープな飾りなんかを売る店もいくつか並び(それもアメリカ風)、ワクワクしてしまう。思わず、半時間もブラついてしまった。

けっこう立派な本屋もあったりして、かなりの営業努力だな、ありゃ。

こりゃ上野に行くのが楽しくなるわい。
posted by ろじ at 23:55 | TrackBack(0) | 日々のなにげない記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

シャトル 打ち上げ延期

アメリカのスペースシャトル飛行再開機ディスカバリーに異常が見つかり、打ち上げが延期になっている。しかし、NASAはできるだけ早く再度打ち上げたいようだ。

メンツもあるだろうし、これからの打ち上げスケジュールの日程の問題もあるだろう。

しかし、かつて、2003年にスペースシャトルの空中爆発があった時、その直後の調査委員会の報告では、委員の一人の著名な物理学者が「スペースシャトルの打ち上げは、まるで、ロシアンルーレットのようだ」と、その安全管理のシステム上の危険性を指摘したことを忘れるべきではないだろう。

いま、もし、日程の都合だけで再打ち上げを急げば、事故が起こった時には、事故そのものだけでなく、NASAの安全管理能力が問われるだけでなく、メンツも失墜する。急ぐべきではない。

スペースシャトル:「26日打ち上げ可能」 不具合原因の特定進む−−NASAスペースシャトル「ディスカバリー」の不具合を調べている米航空宇宙局(NASA)は20日(日本時間21日)、原因究明にめどが立ち、26日の打ち上げが可能になったと発表した。打ち上げ予定時刻は、26日午前10時39分(同26日午後11時39分)。絶縁不完全など原因を三つまで絞り込んだが、打ち上げ可能な期限(31日)も迫っており、スケジュールを強く意識した判断となった。(21日毎日新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/science/kagaku/archive
/news/2005/07/20050721dde041030047000c.html

シャトル、26日打ち上げへ センサー異常原因絞り込む
米航空宇宙局(NASA)は20日、スペースシャトル飛行再開機ディスカバリーの暫定的な打ち上げ日時を、米東部時間26日午前10時39分(日本時間同日午後11時39分)に設定したと発表した。燃料センサー異常の原因を、電気的な絶縁の不具合など3項目に絞り込んだ。さらに解析を進め、22日の会議で最終的な決断を下す。
(朝日新聞 2005年07月21日11時22分)
http://www.asahi.com/special/space/TKY200507210098.html

スペースシャトル:ディスカバリー打ち上げ、26日以降−−NASA
(19日毎日新聞夕刊)
http://www.mainichi-msn.co.jp/science/kagaku/
archive/news/2005/07/20050719dde001040005000c.html
posted by ろじ at 00:00 | TrackBack(0) | アメリカ・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月19日

英国がテロにあった理由

英国が最近テロにあったのは、アメリカの政策に追従してきたためである、とする見方が専門家によって発表された。

ワシントン・ポスト紙が報じている。チャタム・ハウス(Chatham House)(別名、国際問題王立機関(the Royal Institute of International Affairs))という、国際的にも権威のある調査機関が発表したレポートは、今回のテロは、英国がイラク戦争などに関してアメリカと対等の立場でなく、「アメリカに運転を任せて後部座席に座っていた(as pillion [back-seat] passenger)」ためだと表現した。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/07/17/AR2005071700995.html

その点では、日本も同じく、「アメリカの運転する車の後部座席」に座っていたはずだ。

********************************

世界でのニュースが日本のメディアに載らないことは多い。隣の中国の事件でも、日本では無視されアメリカの新聞メディアで知ることもある。

以下のニュースは、その例である。公害問題に対して住民が暴動を起こし、それが力で制圧されたそうだ。
Riots in Shanghai Suburb as Pollution Protest Heats Up
http://www.nytimes.com/2005/07/19/international/asia/19china.html
posted by ろじ at 23:29 | TrackBack(0) | 国際・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月17日

田園の告別式

JRから私鉄をいくども乗り継いで、葬儀に行った。大変な炎天であった。しかし、行きで乗った急行は、連休に山歩きをしようという老若男女で満員であった。葬儀の場所は、やさい畑が広がり、公民館と幼稚園が同じ建物にあるようなところだった。

告別式では、長男が、故人は「一本気で曲がったことが大嫌い、そのくせ情にはひどくもろい古い型の人間だった」と言った。まさにその通りだと思った。

帰る道、小さな町を通って行くバスは、子どもたちが担ぐ赤いお祭りの神輿(みこし)を追い越していった。その控えめでしめやかだが、すこしは華やかでもある、小さな町のお祭りが、純朴な笑顔の似合う故人にふさわしいと、しみじみ思った。

近くの駅は、改札のない無人駅であった。ホームに行き、そこにいた駅員から切符を買う。

上野まで行きたいのですがというと、「それなら、もうすぐ電車が来ますから、○○で乗り換えてください」と言った。そして、なんと、自分たちも荷物をまとめて出てきた。4時以降は、誰もいない無人駅になるらしい。

ホームに立つと、一面に広がる畑の真ん中に、無限に続くかと思われるような線路が延びて行くのが見える。その上に、どんよりとした雲が降りてきた。誰に対しても優しかった故人の冥福を、こころから祈った。

激しい夕立がふる前の生温かい風が、さっと吹きぬけていった。
posted by ろじ at 22:48| 日々のなにげない記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月15日

“おじさん”の死

昼間、古い知り合いから、突然電話がかかってきた。共通の知り合いが亡くなったという。

子どもの頃知っていた“おじさん”だった。「一昨日、亡くなった。葬式がこの週末にあるが」という。

おれは、あまり葬式に出たことはない。ずっとアメリカに住んでいたこともあって、日本の知り合いの他界を知らされることも少なくなり、数々の不義理を重ねてきた。単なる遠い知り合いの葬式は、自分から進んで行くことはなかった。そういったことも含めて、きわめて無愛想な人間なのである。

「友人」とか「親友」とかいうものに懐疑的であることも、関係あるかもしれない。それまで「友人ヅラ」してたり「わたしは大の親友だ」などと言っていた者が、何かの拍子に、(たいていは自分の身や利益を守るために)手のひらを返したように態度を変えるのを、幾度も目撃したことも無関係ではないかもしれない。

この“おじさん”には、子どもの時、1年か2年のあいだ、いっしょに遊んでもらっただけであった。川に入ってする川釣りを教えてくれた。それだけであった。しかし、どんなに忙しくても、いつも笑顔を絶やさなかった。以来、彼の名前を聞くと、その笑顔しか思い浮かばない。

しかし、おれには、2度か3度笑顔で親切に釣りを教えてくれた、その心底純粋な善意だけで十分だ。いつも記憶の中で、あふれる優しい笑顔を有り難いと感じていた。

もちろん葬式には出席する、と即座に答えていた。この週末、行ってこようと思う。
posted by ろじ at 23:57| 日々のなにげない記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月14日

ロボカップ2005

現在、「ロボカップ2005世界大会」が大阪で開かれている。さまざまにデザインされたロボットによって、サッカー競技をさせる大会だ。
http://www.asahi.com/science/news/OSK200507130021.html
http://www.asahi.com/special/robot/OSK200506270054.html

この「ロボカップ」、1997年に第1回が開かれ、今年で9回目である。2050年には人間とロボットが試合をできるように、という意気込みで始められた。アメリカはピッツバーグ市のカーネギーメロン大学、ロボティックス(ロボット学)のマヌエラ・M・ヴェローソ(Manuela M. Veloso)教授が中心になって始めた。カーネギーメロン大学は、最初の2大会で優勝している。

(ヴェローソ教授のホームページは、こちら http://www-2.cs.cmu.edu/~mmv/ 下の方に、「ロボット・サッカー(ROBOT SOCCER)」、すなわち「ロボカップ」の項がある。)

昔、1999年にストックホルムで行われた第3回大会をビデオで見たことがある。20センチ四方の箱が走り回るだけで、いわゆる「ロボット」という感じはまだしない。が、ゲームはとても面白く、“違法”行為には、ちゃーんと、「イエローカード」が出るのだった。

アメリカのカーネギーメロン大学、コーネル大学と韓国、シンガポール、ドイツからのチームなどが参加して行われた。今年も参加しているベルリン自由大学のロボットは、前面につけた特性の羽によるスーパーキックが得意技であった。

これらのロボット、残念ながら、自分で判断してボールを蹴るのではない。あらかじめプログラムされたとおりしかできない、と1999年の段階ではいわれていたが、今年はどうか。

ロボットといえば、鉄腕アトムが有名だが、現実のロボットはそう進歩していない。アメリカで有名な試みとしては、MIT大学で開発されてる、魚ロボット(マグロやすばしっこいカワカマスがモデル)、二足歩行ロボット(残念ながら、時々こけた)、ものを人間のように認知・認識して行動する(ようにさせることを目的とした)2本腕ロボット・コグ Cog(「認識」を意味するcognitionから由来する)、人間の表情を真似るロボット・イット(IT)と(映画のグレムリンのような)キズミットなどがある。

魚ロボットは、上手くいけば潜水艦ができないような動きができるようになる。コグは、ドラムをたたく姿がまだぎこちなかった。イットは、前に付けられたセンサーで身近に来るものに反応したコミカルな口の動きが笑いをさそった。

あいつら、今ごろ、どこまで進歩しただろうか。
posted by ろじ at 00:00 | TrackBack(0) | 日々のなにげない記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月13日

気を遣わない日本人 ―― 竹ヤリ的発想?

アラブ人は、旅人を歓待するためならどんなことでもするという。乏しい食料を、自分の分が減るとしても、突然の闖入者に分け与え、見ず知らずの者を、自宅に泊める勇気を持つという。それは、彼らが砂漠の遊牧民として生きてきた長い伝統によるものだ、と説明される。砂漠では、そうしてやらなければ相手はきっと死ぬのだ。砂漠で生きる以上、明日は、わが身だからだ。その場の自分だけの利益を考えず、長い目で見れば、それは当然の知恵ということなのだろう。

ところで、アメリカにいた頃は、他人に気を遣(つか)わない(多くの・ほとんどの)アメリカ人に、どうしてもついて行けなかった。ひとに気を遣う以前に、他人が見えない文化なのだ。

日本に来て、別な意味で、ひとは他人に気を遣わないことに気がついた。それはなぜだろうか。もちろん、ここ日本では、ひとは他人の目を意識することはする。噂やゴシップは、巷に氾濫している。ここで言う「気を遣わう」とは、「気を配る」ことを言うのだろう。

いい大人が、時に、自分だけの利益・便宜・得・欲求・快楽を求めるために、異常に近視眼的だったり子どもっぽいことをする。より長い目で見て周りのことを考えて行動すれば、結局はもっと多くの利益が自分自身に帰ってくる状況でも。これは、第二次大戦末期の日本人のメンタリティー(「アメリカが攻めてきたら、この竹ヤリでやっつけてやります!」)をもじって、「竹ヤリ的発想」とでも呼びたくなるものだ。それは主義でもコダワリでもないように思う。

いろいろ見るところ、日本人は、いい大人から子どもまで、男女区別せず、妙な風にエゴセントリックに見える。確立した「エゴ」も持ち合わせてはいないようなのに……。(そんな日本人がアメリカに行くと、過剰なほどに、時にアメリカ人以上に、エゴセントリックになるようだ。水を得た魚のように?)

これを、どう解釈すればいいのだろうか……。一挙に解放されたように見える「自分」だか「自我」だか「エゴ」を、使える場所が与えられて振り回しているのか?子どもが新しいオモチャを振り回すように?まさか……。

そんな日本人にいささかうんざりし、驚き、驚いている自分に苛立っている。
posted by ろじ at 23:39 | TrackBack(0) | 日本・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月12日

日本道路公団のホームページ

日本道路公団元理事が逮捕された。その夜のテレビ朝日『報道ステーション』とTBS『筑紫哲也NEWS23』に、道路公団の近藤総裁が出演していた。

この逮捕に当たって、総裁が火消しに躍起になり、一生懸命に事情説明をするかと思いきや、どの質問にもまともに答えず、「検察当局に協力していきたい」程度の発言ばかりである。せいぜい、「悪いところがもしあれば、そういうウミを出していかなければならない」と言ったのが印象に残った程度である。なんで、こんな方、出演させたんですかね?

『報道ステーション』では、「委員会で猪瀬氏の舌鋒にタジタジとなって以来、委員会に出なくなった副総裁なんてクビにできないのか」という古館キャスターの質問にも、あ〜いま〜いに答えるだけ。
『NEWS23』では、総裁は、談合の核として問題になっている「かづら会」は、「報道で初めて耳にした」と言った。

こんな総裁に何を期待できよう……。

ときに、皆さんは、日本道路公団のホームページをご存知ですか?これなんですが、
http://www.jhnet.go.jp/
これまでの“談合疑惑”にたいしては、「お知らせ」として、わりとすばやい反応を示してきた。「個別の発注案件の受注に関して営業活動の自粛」(6月29日)とか、「横河ブリッジなどへの指名停止措置」(7月1日)とか。

(しかし、よくみると公団内部、自分自身へのオオ甘さが見え隠れする。たとえば、鋼橋上部工事、つまり、例の橋の工事に関する「談合事件を深刻に受け止め」て、「役職員の再就職活動を自粛します」と発表している。http://www.jhnet.go.jp/format/index13.html
なぜ、「自粛」じゃなくて「禁止」って言えないんだ??)

横河ブリッジ他2社が、公取委によって告発された直後には、「総裁からのメッセージ」として、にこやかに微笑む近藤総裁の脇に「不正は絶対しない、許さない」という声明が出されたりした。読んでみると、どうにも歯が浮くような白々しい文句と思えてくる。「談合等不正行為防止策検討委員会」というのも立ち上げたらしいが、これはほとんどが内部関係者だ。

ところが、今日の逮捕に関してはまだ何もいっていない。どんな言い訳、いや、「お知らせ」をするか、道路公団ホームページ・ワッチングをしてみては?

そして、こんな公団に税金を使い放題にされている国民は、もっと怒れよ!
posted by ろじ at 23:59 | TrackBack(0) | 日本・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月11日

外国語講座の先生(改)

外国語の学習には、先生との相性や、その先生の上手い下手が強く作用するようだ。

いま習っているスペイン語や中国語が、まったくもってそんな状態だ。

過去に自分でも幾つかの外国語を教えた経験から言うと、非常に良い語学の先生は、幾つかの知恵を心得ていると思う。まず、生徒が犯しやすい間違いをたくさん知っている。だから、教えながら間違いやすいツボも教えてくれる。第二に、習ったことをそのままにするのではなく、「生徒は直ぐには覚えられない」という前提で、先に進んでからも上手い具合に組み込んで行く。だから、直線状に進むのではなく、スパイラル状に進むのだ。

第三に、文法事項などの論理的な解説もできる。もはや赤子のように柔らかな脳みそを持たない大人にとっては、文法事項などは単に覚えさせられるよりも、理屈を説明してもらった方がよりよく頭に入ることがあるからだ。それから、発音の繰り返しに、かなりこだわってしてくれる。こうしたことは、自分ができたというのではなく、さまざまな失敗から学んだことである。

今やっているNHKラジオ講座の中国語(入門編)は、発音を何度も繰り返し練習してくれる点は、すばらしいと思う。しかし、最初の例文の範囲を超えた、新しい文法事項・新しい言葉がどんどん出てくる。新しい文法事項や表現をさっと説明したかと思うと、すぐ練習問題をさせられる。

この先生の文法の教え方は、ルールがなぜそうなるかよりも、「単にそう言うので覚えるように」という感じである。しかも、先に行ってそれらの表現が出てきても、繰り返し説明することはほとんどゼロだと感じる。毎回出てくる新しい言葉が、10以上になることもある。これでは、脳みその小さいぼくのアタマは、パンク状態である。

一年ほど前の中国語講座・入門編(ある高名な大学の先生が講師であった)は、上の4つのポイントをすべてしそこなっているという点で、もっと酷かったが。ほとんどが、新しく出た文を訳すだけで進んでいった。そして、応用会話を、これまた説明なしでやるのである。ご自分が優秀な先生に、こういう方が多くないだろうか。こういう先生は、ぼくのようなトロイ人間には、アリガタ過ぎて合わない。

スペイン語の方はもっと困った状態である。なにが苛立つかって、20分の講義中、発音練習が、たった一回きりなのだ。しかも、長い文でも、こちらが発音する時間はごく短い。説明で時間がないとはいえないと思う。始終、ゲストとの簡単なフリー会話ばかりしているのだから(重要な表現を使ってる会話もあるのだが)。その日の表現を使ってはいるがやや難しい「応用会話」(の表現のポイント)を説明することは、ほとんどない。時間がないのではない。その後にまたおしゃべりが始まるのだから。

どうも、学習者のことを考えているとは思えないのである。スペインの文化や習慣を盛り込んだ非常に興味あるスキットなので、残念である。

昔、大学で習ったスペイン語の教師は、もっとひどかった。出張ばかりして休講が多く、ろくに授業をしなかった。うわさでは、研究のためという口実で中南米に頻繁に行き、帰りはスーツケースを酒瓶で一杯にしてくるということだった。

それでも、試験の代わりにスペイン語に関することを何でもいいから書けば「A」をくれるのであった。おかげで、ぼくのスペイン語は一向に上達しなかった。

一方、同じころ、大学で習っていたラテン語とギリシア語は、ものすごく苦労して勉強した。今でも思い出すのは、初夏の金曜のケダルイ5時ごろ(なんでそんな時間にやりやがるんだ!)、まるで陽も射さない教室で、
「ああ、今ごろ、他のヤツラは女の子たちとヨロシクやって、週末の最初を楽しんでんだろうなぁ」
などと思いながら、キケロの退屈なテキストを読んでいたことだ。

そんな苦労しても、ぼくのラテン語は、モノにはならなかった。なんだ、どうやったって、結局、ダメなんじゃねーか。


posted by ろじ at 00:00 | TrackBack(0) | 日々のなにげない記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月08日

日本の対テロ意識

ロンドンでテロが起こった。この大変な事件の経緯を見守りたい。

テロに対する日本政府の立場はどうなのか、気になるところだ。

今回のロンドン・テロに照らしてみると、日本は同じような危機にさらされたことがある。サリン事件だ。911事件以後も、このサリン事件は注目されていた。この卑劣な事件を経験した国という意味では、日本はテロに対する先進国であるはずだ。

しかし、今年、スペインのマドリッドで、一年前の列車爆破事件を機に開催された「対テロサミット」は、日本ではまともに報道もされなかったようだ。
http://www.spain-ya.com/Pages/nt050308.htm

このサミットにかける国連や各国の意気込みは高く、それぞれ会議に元首レベルを送った。しかし、日本政府は閣僚級どころか政治家さえ送らず、会議の最後に大使を送ってお茶を濁しただけだったという。一説によると、サミットには日本のジャーナリストも来ていなかったという。

日本のニュース・メディアで報道されたのを見た記憶もない。
posted by ろじ at 09:34 | TrackBack(0) | 日本・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月06日

イラン女性のゴルフ熱

ジムで1時間ほど運動したら、精神的にはかなり良くなった。しかし、いつもこんな風にうまくいくわけではないし、運動してしばらくすると逆に疲れて何もできなくなることもある。賭けに近い。
**********************************

さて、今日の英字新聞「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙」には、イランのモスリム女性の中にゴルフを始める者が出てきたという記事。インターネット版は http://www.iht.com/articles/2005/07/05/news/iran.php

中東の変革・改革の波はついにこんな形で・・・と思いきや、そう考えるのはまだ早そうだ。記事によれば、ルールブックの最初には「慈悲深く、哀れみ深き方、神の名において・・・」と書いてあるそうだ。

朝日新聞の夕刊には、イラン女性のおしゃれな服装が消え行くかもしれないという記事が載っていた。

改革派のハタミ大統領の8年間でファッションの解放が進み華やかなスカーフやマントが街を彩ったが、保守強硬派のアフマディネジャド氏が新大統領に就任する8月以降は、どうなるか分からないというのだ。
posted by ろじ at 23:23 | TrackBack(0) | 国際・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月05日

津波で親族を亡くした女性

もっと早く書くべきだったが、以前に(去年の末)この「独語」でも紹介した、スマトラ沖大地震によるインド洋大津波での写真が、今年の「第48回 世界報道写真コンテスト」で大賞となった。
http://dokugo.seesaa.net/article/1812647.html

地震による津波で親族を亡くし、インド南部のカッダロールの浜辺に身を投げ出してその死を悲しむ女性の姿を上から写した、胸を締めつけるような写真である(アルコ・ダッタ氏(インド、ロイター社))。

写真は、World Press Photoサイトにある(「津波で親族を亡くし嘆き悲しむ女性」(2004年12月28日撮影))。
http://worldpressphoto.com/index.php?option=com_photogallery&task=view&id=211&Itemid=87&bandwidth=low

また、「世界報道写真展2005」が東京都写真美術館で開かれていて、そのホームページのトップにも載せられている。
http://www.syabi.com/schedule/details/worldpressphoto2005.html

まだご覧になっていない方は、ぜひ見てほしい。

posted by ろじ at 00:00 | TrackBack(0) | テレビ・新聞・雑誌ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月04日

病院

医者に行こうと、去年まで行っていた病院に予約を入れてみる。

スケジュールの都合で、木曜に入れようとした。しかし、電話を受けた係りの女性は、予約が可能な曜日は月曜、水曜、木曜だが、7月はすべてすでに埋まっていると言う。

もとはどの先生に診てもらったのかと訊くから、金曜のY先生だと答えると、その先生はもう外来を診ないと言う。代わりの先生に予約を入れるにも、予約はすべて埋まっているのだ。かつてY先生に診てもらっていた者はどうするのか、と訊くと、それは改めて別の先生の予約を初診でとって診てもらわねばならないと言う。「ですが、すべて埋まってるんでしょう?」ため息が出た。

これでは何がなんだか判らない。しかも、また初診料を取られるのか?そもそも、Y先生に診てもらっていた患者はどうなったのか?新しい医者が全員引き継ぐとか、分割するとか、処置がありそうなものだ。少なくとも、何らかのシステマチックな対処が必要だろう。それを、「改めて別の先生に予約を」では、なんのための「担当医制」なのか、判らないではないか。

良い病院もたくさんあるんだろうが、日本の病院には、不可解なシステムをもつところが多い。そもそも、最初に行った近くのS病院のK医師は、レントゲンに現われた手の骨の異常を認めることができなかった。呆れはてて、カルテとそのレントゲン写真を奪うようにもらって、このJ大学病院に来たのだった。

検査には時間がかかったが、S病院のように朝から来院しても異常なほどの待ち時間もなく、まあ好印象は持っていた。しかし、こんなシステムの「穴」みたいなものに遭遇するとは・・・・・・。

ついに、係りの女性は、火曜と金曜なら予約なしで初診をとることができると言った。なんで、早くそれを言わない?・・・・・・しかし、「どのくらい待つか分からず、ゆうに1時間は待たされる」と言う。
まったく、なあ、なんなんだ・・・。
posted by ろじ at 00:00 | TrackBack(0) | 日々のなにげない記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月03日

都議選

体が異常にだるい。リューマチは、湿気がイケないというけれど、やはりこの日本の湿気のせいだろうか。夕方になると、もうだるくて何もする気がしない。夕食後なぞ、イスに座りっきりで体を動かすことも億劫で、そのまま寝てしまうこともある。右手は、あいかわらず痺れていて、あまり役に立たない。

でも、精神がダレてるのは、関係ないか。いや、心も体の一部であるはず。でもなあ、もっとご苦労されていらっしゃる方もいるんだから。甘えてんだろうな。何とかせねばなるまい。

さて、今日は都議選。あいもかわらずジムに行った帰りに、近所の小学校で投票。会場になっている体育館は、やけにガランとしている。都議選は、やはり熱が入らぬのか(夜、ニュースで、投票率が2番目の低さの報道あり。)

夜、知り合いが自宅に来て、酒盛りをやる。ビールやワインがどんどん空いていく。体調のせいで酒はあまり飲めないので、傍から見ているだけだったが。ワイン専門店で勧められて買ったドイツワインは、食前酒には悪くなかったようだ。
posted by ろじ at 00:00 | TrackBack(0) | 日々のなにげない記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月02日

選挙演説

今日のことでございますがね、ええ、ちょっと買い物に行こうとした時のことです。乗り継ぎの駅前で、大きなワゴン車の上で、ある候補者が今回の都議選のための演説をしてました。

よくみりゃあ、その党のテレビで見覚えのある党首ものって、盛んに話してるじゃあありませんか。いや、話しているのはその党首だけで、当の候補者は、その傍らに、白いワイシャツに、白い鉢巻、そして白たすきをかけて、立っているだけなんですな。

買い物のついでですが、思わず立ち止まって、まあ、どんな政策を展開するのかと、聞いてみることにしたわけです。腕組みしながら。

と ―― 、その時でございますよ。

すぐ、ある男性が、私の右わきに立ったんです。他のところも空いてんのに、と思ったのもつかの間、今度は、黒服で耳にイヤホンをつけた、明らかにボヂィーガードだかSP(っていうんですかな)だか が、ピタッと左傍に来ましたね。

最初の男性は、私服ですが、どうもこの党の係りらしいです。SPの方は、左の斜め前に立ち、後ろを伺うように右方向、つまり、私の方に注意を払っておるわけですな。SPの教科書にでも書いてある通りなんでしょうが・・・・・・。

って、なんでそんな扱いされんでしょうな?ただ腕組みして聞いてるだけだったんですよ。ものでも投げつけると思われたんですかな。いや、なんにも持たずに手ぶらでしたよ。確かに、周りにいた人々のように、話の切れ目に盛んに拍手を送ったりはしていなかったんですがね。でも、なんでもかんでも拍手するのは、予め賛成することを決めているようじゃあないですか。

が、よく見てみると、そんな人ばかりのようなんですな。党首さんの話は、これからの政策はどうとか、今度、自民党から出されたサラリーマン増税はどうとか、いう話ではまったくなく、例の福知山線事故の時に、どれだけ自分の党が貢献したか、それに比べて他の党は何もしなかったとか、批判ばかりだったんです。

しかし、そのたんびに、周りを囲んだ聴衆は、さかんに拍手を送る。さいごに、「この○×を、どうぞよろしくお願いします」と言っていうと、またさかんに拍手を送る。みんな、サクラじゃないかと思いましたね。

この国で選挙演説を聞くってことは、あらかじめ賛成する候補者の話を、いや候補者そのものを称えるだけで、政策を「吟味」したり「評価」したりはしないものなんでしょうかねえ。
posted by ろじ at 00:00 | TrackBack(0) | 日本・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。