2005年09月30日

やばい

秋風が、夕陽にたたずむ男のうなじに涼しい季節になりましたが、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。

さて、アメリカは大リーグの東地区の優勝争いが、大変なことになっています。ヤンキースと我がレッドソックスとのゲーム差が、たった1ゲーム。残り、3試合。去年ワールドシリーズを制した我がレッドソックス、正念場です。

先日まで、なんと同率で首位を分けていた(つまりゲーム差なし)のですが、3日前、1ゲーム差がついてしまいました。2日前、レッドソックスがダブルヘッダー(1日に2回試合をする)をした時に、第2試合でブルージェイズに追いついて、さあこれからという時に、(どうやら)二線級のピッチャーを出して、試合をぶち壊してしまいました。

このところ、どうも、レッドソックスはあと一勝に対する執着がないように思いますねえ。あそこで勝っていれば、いま現在も同率首位だったのに。選手が疲れているのは分かりますが、ここはがんばってほしい、我がレッドソックス!

明日から、シーズン最後のボストンの本拠地での3連戦が始まりますが(なんと劇的な幕切れ!だれがこんな結果を予想したでしょうか?!)、同率首位であれば、その勢いも違っていたでしょうに……。レッドソックスが優勝するためには、3連勝しかなくなってしまったのです。

レッドソックスが2敗すると、ヤンキースの野郎は優勝。
2勝1敗ならば、両チームが同率で並んで、なんと、決定プレーオフが行われます。ヤンキース球場で、くそ!

実際は、ワイルドカード権やそれを争っているインディアンスの勝率がからんで、もっと複雑になりますが。悪いニュースは、インディアンスの残り3試合の対戦相手はホワイトソックスで、ホワイトソックスはもう優勝を決めているし、プレーオフで勝ち進めばインディアンスが相手になるかもしれないので、手の内を見せず、全力で戦わないということ。いやはや、悪い材料がそろいました…。

とにかく、明日は勝ってくれ、我がレッドソックス!!
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2005年09月29日

「郵政民営化が支持された」のは本当か?

さて、まだ夏の余韻が残っている季節ですが、いかがお過ごしでしょうか。夏と言えば、先ほどの選挙、自民党が圧勝しましたが、得票数は、「圧勝」ほどではなかったんだそうです。

新聞報道(朝日ですが)によれば、自民党・公明党の両方の候補者の得票数を合計すると、ざっと3350万票。一方、民主・社民・共産・他の複数の新党や無所属を合わせると、3450万票を超えるそうですよ。

なんと100万票も与党よりも多いわけですな。もちろん、これが選挙というものなのでしょうが、これは、一因には、小選挙区制で、大政党に有利に働いたということあがるのは確かなようですな。

小泉さん、「これで郵政民営化が支持された」なんて言ってますが、国民は、表面だけの結果ばかり見ずに、自分たちのしたことを確認するべきかと……。
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2005年09月27日

孤独死

「孤独死」とは、「孤独死ぬ」ことであると同時に、「孤独であるがゆえに死ぬ」ということでもあるという。

孤独の死ぬような辛さは、知らないわけではない。

それが、今や社会問題になっているという。土曜日のテレビ、『NHKスペシャル』で「ひとり団地の一室で」という孤独死の話を放映していた。
http://www.nhk.or.jp/special/libraly/05/l0009/l0924.html

その番組解説から、引用する。
千葉県松戸市にある常盤平団地。3年前、その一室で死後3か月経った男性の遺体が見つかった。男性は当時50歳。病気で職を失ったあと家族と別居し、一人で暮らしていた。
 いま、全国各地の団地では、誰にも看取られずに亡くなる、いわゆる"孤独死"が相次いでいる。常盤平団地でもこの3年間で21人が孤独死した。その半数が40代、50代そして60代前半までの比較的若い世代の男性だった。社会や家族とのつながりを失った人たちが、老後を迎える前に、亡くなっているのだ。
 総世帯数5,300戸を抱える常盤平団地は、昭和35年、全国のニュータウンの先駆けとして誕生した。ダイニングキッチンや洋式トイレなど、最新の設備を備えた団地は、当時"夢の住まい"として入居希望者が殺到した。
 しかし団地は変貌してしまった。高齢化が進み、住民は年々減少。単身での入居も認められるようになり、独り身の男性などが、数多く移り住むようになった。

こうして住む者には、病気で働けなくなった者、リストラされた男性、外国人の元労働者などがいるという。

年金がもらえるほど年寄りでもない、こうした中年者は、いわゆる“法のハザマ”で苦しんでいる。今の日本では高齢者ばかりが問題になるが、こういう者たちに手を差し伸べられない社会は、まったくの「福祉後進国」ということになろう。

日本というのは、表面ばかり取り繕うのに、エネルギーを使う国である。
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2005年09月26日

皆中稲荷神社 鉄炮組百人隊

この時期は、秋の祭りが多い。新宿の一地区にユニークな祭りがあるというので、昨日、出向いて観て来た。

KaichuJinja3-1.jpg

撃っているのは火縄銃。「鉄炮(鉄砲)組百人隊行列」といい、無形民俗文化財である。

幕府鉄砲組百人隊の出陣儀礼を復元した行事だが、この面白い祭りの由来を、Yahoo地域情報から引こう。

2年に1度開催される皆中稲荷神社の例大祭。江戸幕府の鉄砲組与力が射撃の研究に思い悩んでいたところ、稲荷様が夢枕に立って霊符を示し、稲荷神社にお参りをして射撃を試みたところ百発百中で、「皆中(みなあたる)の稲荷」と称えられ、皆中稲荷神社を呼ばれるようになったといわれており、当日(註:隔年の9月最終日曜日の例大祭)は、鉄砲組百人隊の出陣式が盛大に行われ、皆中稲荷神社境内で火縄銃の試射、合戦演武が披露されます。
鉄砲組百人隊による火縄銃の試射は、町の何ヶ所かで行われる。
KaichuJinja2.jpg        KaichuJinja1.jpg

皆中稲荷神社という奇妙な名前の由来のため、現在は、よく当たるということで、「ギャンブルの神様」として親しまれている。

そのためなのか、通りの向かい側に巨大なパチンコ屋があり、非常に繁盛しているようである。

今日、ジャパン・タイムズ紙を読んでいたら、この鉄砲組百人隊の記事が載っていた。鉄砲組百人隊は、英語で「100 Musketeers」と書いてあった。Musketeersは、三銃士 (The Three Musketeers)なんかに使われる。そんなイメージを持っていたので、ちょっと違和感があるが(だって、「三銃士」と上の写真じゃねえ)、「銃士」であるのは同じなのかね。
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2005年09月25日

文楽『菅原伝授手習鑑』『女殺油地獄』

Onnagoroshi1.jpg昨日の土曜日、国立劇場小劇場で、文楽を見てきた。出し物は、『菅原伝授手習鑑』の「寺入りの段」と「寺子屋の段」、『女殺油地獄』の「徳庵堤の段」「河内屋内の段」「豊島屋油店の段」および「逮夜の段」という、有名な2大演目である。

最近は、文楽は若い人にも人気で、千秋楽のチケットを取ることなど、夢のまた夢。この最終日前日のチケットも、知り合いのご好意で取っていただいたのである。

筋書きはこちら

今回の公演では、昼の部『芦屋道満大内鑑』「葛の葉子別れの段」に安倍保名役で出演を予定していた人間国宝・文化功労者の吉田玉男が、体調不良のため休演、「葛の葉子別れの段」の中(三味線)の竹澤宗助が病気休演、「信田森二人奴の段」の野澤喜左衛門が病気休演、というちょっと大変な公演になった。お年を召した方が多いためか、この先も不安を感じさせる。


話は、義理のために、ひとの子や自分の子を犠牲にする(『菅原伝授手習鑑』)、あるいは、金欲しさに、優しくしてくれた美しい人妻を殺める(『女殺油地獄』)という、今から考えるとやや受け入れがたい話だ。

しかし、身代わりになった自分の子の首を、それと悟られないように確かめる父親の壮絶な悲しみと苦悩(『菅原伝授手習鑑』)、あるいは、息子を勘当しながらもその身を案じる老親の心配と後悔と慙愧(ざんき)の念(『女殺油地獄』)――そこにあるはずの微かだがしっかりとした心の動き、陰影のある感情のゆれ、深いため息、そしてそれを見る女の微妙な肩のしなり、といったものが、人形の体に表現されていくのを見るのは、まさに奇跡に近いと思う。

その名人芸は、何度見ても感動する。

義太夫の住太夫が唸り、
武部源蔵(吉田玉女)が、荒い息を吐く。
住太夫が泣き、
松王丸(吉田文吾)が、肩を震わせる。
与兵衛(桐竹勘十郎)がにじり寄り、
お吉(吉田蓑助)が慄(おのの)く。

多忙だったが、行ってよかったと思う。

公演がはねた後、居合いの名人と遅くまで酒を飲んだ。2尺6寸の刀をつかうという。
一般的に、やはり二刀流の方が強いというのは、ちょっと驚きだった
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2005年09月23日

「心が貧しい」スポーツ選手・再論

数日前、「『心が貧しい』スポーツ選手」というコラムを書いたら、ある方からコメントをいただきました。いま読み返してみても、舌足らずだった感が否めず、ご質問は当然だったかもしれません。

コメントにしたお返事に重なってしまいますが、それをもう少し詳しくして、ここにもう一度、書きたいと思います。日本の(スポーツ)新聞事情など、ふだんから考えていることも含みますし。

さて問題の記事は、中田選手がイギリスのボルトンでデビューしたが、試合で思うようにプレーできなかったためか、試合後、「報道陣の質問を無視。英国でも従来のスタイルを貫いた。ところが初めて“中田流”に接した英国メディアの反応は最悪。ある記者は『デビュー戦なんだから話をするべき。とても奇妙で心が貧しい選手だ』とピッチ外の態度を批判した」という記事である。

確かに、その時の中田選手の態度には、そう解釈されても仕方ないものがあったのかもしれない。もちろん、試合後、中田選手が黙っていたのが、本当に「無視」だったのかは、これだけの報道ではどこまで信じて良いか分からない。さらに言えば、ある記者が「『とても奇妙で心が貧しい選手だ』とピッチ外の態度を批判した」という断定的な報道が、真実なのかどうかは、実際の(英語での)やり取りを読むか聞くかしなければ分からないだろう。ただ、先日のコラムで書きたかったのは、そういうことがあっても、欧米でなら驚かないな、ということである。

なんか、ぼくの新聞報道にたいする姿勢がかなり不信感を持ったものに聞こえるかもしれないが、特にスポーツ紙の(特に外国での出来事の関しての)報道はあまり信憑性が高いものではないという感じがしているのも事実である。上でいえば、「初めて“中田流”に接した英国メディアの反応は最悪」なんて言い切ってしまうところなんかは、まったくテキトーなこといってやがるぜ、という感じさえする。

まあ、そういう“センセーショナリズム”がスポーツ紙の性格だといえばいえるんだろうが、だからこそ、あんまり頭から信じる気になれないのだ。実際、今回の中田選手のプレーについては、他のスポーツ紙では、良いもの悪いもの、いろいろな評価が出ているようである。

さて、コメントにも書いたが、こうした報道に関することを前提に、それとは別に、もっと大切だと思うことがある。

それは、あるひとの、ある瞬間の態度が「心が貧しい」と判断されても、その《人間自身》が「心が貧しい」ということにはならないのではないかということ。そう考えた方が進歩や将来の展開があるように思うのだ。もしかしたら、確かに、上のように報じられた時の中田選手の態度は「心が貧しい」と批判されるべきものだったのかもしれない。しかし、中田選手も別の場面でならもっと「心が貧しくなく」振舞えたのかもしれないし、実際、テレビを通してだが、大人らしく立派に振舞うナカダ、と思われる姿を見たことがある。

いずれにしても、こうした一時的にマイナスなイメージがあったからといって、彼という人間全体を断定することはないと思うのだ。そのように考える方が、“人間的進歩”や“人間的な幅”みたいなものにかんしてオープンで良いのではなかろうか。

まあ、そこを、「中田流」と、あたかも中田選手の哲学のように言い切ってしまうこのスポーツ紙に問題があるんだろうけど……。そういうレッテル張りが、スポーツ紙がいやな理由の一つなのです。
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2005年09月21日

談合事件と“日本的知識人”

例の橋梁談合事件で、公取委が道路公団に改善要求を出すと言う。

何をいまさら、なんで今ごろ、という感の方が強い。しかも、政治にマイナスになることを避けて、選挙後のこの時期を狙ったとしか思えない。

しかも、その直後に発表されたニュースでは、来月に発足する公団の民営化会社の取締役は、大半が公団や官僚出身者だという。笑えないオチである。

むかし、大学の先輩が、「日本の談合は、参加するみんなを幸福にする日本古来の立派な経済システムだ」などと、うそぶいていたのを思い出す。自分はその裏の奥まで知っている、日本の良さを分かるには自分のような知性がなければ無理なのだ、という態度が見え隠れしていた。

当の先輩は哲学と思想を専攻していたが、ぼくは、そういう考え方、態度が嫌だった。笑い飛ばすには、ちょっと根が深いように思ったのだ。

こういう者の言い草は、談合のために、富が一部に集中し、税金が無駄遣いされ、なによりシステムの不透明さが他の組織にも波及し多くの弊害や開発の停滞を生む、そういうことを冷静に判断した発言ではないのは明からだ。

同じように国の古い経済・政治システムを論じて哲学的思想まで高めた人に、たとえば、経済学者のアマルティア・センがいる。自分の不勉強を棚に上げて言うのだが、彼は、インドの古い経済システムや風習を分析して、いかに政治・経済・国民の活力の停滞を生むかを説いた。その説明は、国際社会を見据えて、しかも、判りやすい。

上の先輩の言のような、不遜で大ざっぱな言い草を、今でも不愉快に感じるのは、そういうことを発言しても知識人なら許される、いや、そういう言い草ができることが「知識人」の証だ、というような風潮があるからだ。

いや、むしろ、そういう大ばか者に“知識人”という場所を許してしまう日本という社会の問題ではないだろうか、という気が少しだけする。
だとしたら、とても悲しいことだと思う。

橋梁談合事件 公取委、道路公団に改善要求へ
 鋼鉄製橋梁(きょうりょう)工事の談合事件で公正取引委員会は21日、日本道路公団の近藤剛総裁に対し、官製談合防止法に基づく改善措置を求めることを決めた。談合の背景には道路公団職員の天下り先の確保があったと断定した。道路公団は改善措置を講じ、職員に損害賠償を求めるかどうか判断を迫られることになる。公取委が改善措置を求めるのは北海道岩見沢市、新潟市に次いで3例目。戦後最大級とされた談合事件を踏まえて公団がどう対応するか注目される。
 公取委は併せて石川島播磨重工業や三菱重工業などメーカー45社前後に対し、談合をやめるように排除勧告する。
(9月21日付朝日新聞インターネット版)

東日本・首都高速道路の取締役、大半が公団や官僚出身者
 10月1日に発足する道路関連4公団の民営化会社6社のうち、東日本高速道路、首都高速道路の2社が21日、創立総会と取締役会を開き、役員人事や定款などを決めた。両社の会長以外の民間出身取締役は、勧角証券(現みずほインベスターズ証券)元会長で東日本常務に就任する日比祥造・日本道路公団現参与だけで、他は現職公団理事や官僚出身者が占めた。
 両社首脳はそれぞれ記者会見を開き、道路建設の意義や経営合理化、法令順守に取り組む姿勢を強調した。東日本会長に就く八木重二郎氏は橋梁(きょうりょう)談合事件で起訴された新日本製鉄の出身。当時の経営責任を問われ、「起訴された事実は遺憾である」と述べるにとどめた。
(9月21日付朝日新聞インターネット版)


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2005年09月20日

まわりの貴重なもの

床屋で、ぼくの頭を刈る主人と話をしていた。

宇宙旅行をビジネスにする国が出てきたという話がでると、主人が、「昔、宇宙なんかに行った人で、もう社会から身を引いて山に篭ってしまう人がいますね」と、ボソリと言った。

ぼくが、むかし月に行ったアメリカのアームストロング船長が、帰還後、豹変したように坊さんのような人生を送ったことを言うと、主人は、「ああ、あの人は、大統領にでもなれたのにねえ。宇宙で何か見ちまったんでしょうか」と、懐かしそうに言った。

アームストロングは、その名声ににもかかわらず、すべての功績を、確か副船長に譲って、社会の表舞台から身を引いたはずだ。彼になにが起こったのだろうか、ということは、たとえば、立花隆氏の本などに詳しいだろう。

話題が、旅行のことに移った。

「――そういえば、旅行をすると、いろんなものが貴重に思えてきますねえ」と、ぼくは言った。
「へえ、わたしゃ、あまり外国なんぞ行ったことがないですが、やはりそうですかねぇ」と主人。
「同じところにいると、周りのモノが、あって当たり前に見えてくるんじないでしょうかねえ。水とか、いまはジャブジャブ使ってますものね。砂漠とか行ったら、そんな気分にはならないんじゃありませんか。」
「ああ、そりゃそうですねえ。」
「いろんなところに行くと、なにが貴重か、深く分かるのかもしれませんよ。」
「その意味じゃ、アームストロング船長なんか、あまりに分かりすぎるようになっちゃったんじゃ、ないでしょうか。人生について。」
「ええ、あそこじゃ、酸素さえも貴重ですものね。」

つまりは、そういうことだったかのかもしれない。
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2005年09月18日

「心が貧しい」スポーツ選手

西洋に暮らしていると、「精神性」や「心の豊かさ」を妙に強調する場面に出くわして面食らうことがある。え?こんなゴリゴリの物質主義や合理主義を押し出してるくせに?と驚くのだ。

特に、スポーツの世界では、「心の豊かさ」「大人な(マチュアーな)態度」、いわゆる「ジェントルマン・シップ」が暗黙に求められ、そういう人は尊敬されるようだ。

欧米では、そういう態度には、ひとに尋ねられば、はっきりと、しかも論理的に、自分の意見を述べること、自分の態度や立場を冷静に見つめること、他人と友好的に振舞えること、他人や社会のことに配慮できることが含まれているようだ。

フランスのサッカー代表ジダンは、そういうスポーツマンの代表的存在と思われているし、一方、どんなに名プレーヤーでも、その振る舞いゆえにあまり尊敬を勝ち得ない選手がいる。

今年、阪神タイガースからアメリカ大リーグのアスレチックスに移籍した藪投手は、飛び抜けた能力はないそうだが、その代わりに、その「オープンで大人らしい振る舞い」で敬愛を集めているという。おそらく、藪投手の態度は、これまで日本人選手にはあまり見られなかったものなのだろう。

さて、サッカー日本代表のMF中田英寿が、今期、イギリスのボルトンに移籍したが、15日、本拠地リーボックスタジアムでのUEFA杯1回戦第1戦、対ロコモティフ・プロブディフ(ブルガリア)戦でデビューを果たした。

試合は、まあまあの役割は果たしたが、とても印象深いとはいえなかったようだ。特に、試合後の態度に、イギリス人記者から不満が出たようだ。その(おそらく)意図しない態度ゆえ、「心の貧しい選手」にされてしまった。

中田決勝アシストも“最悪評価”
(中略)
全盛期のプレーにはほど遠かった。前半4分に右サイドからの左足クロスで決定機を演出したが、見せ場は数えるほど。ロングボールを多用するチーム戦術にフィットせず、好調時に70回を超えるボールタッチは50回を割っていた。

 そのうち半分近くが横か後方へのパス。前半31分には危険なタックルで警告を受けるなど闘志も空回りした。土壇場で存在感を示して何とか面目を保ち、アラーダイス監督は「中田が勝利に貢献したことは大きい。動きはシャープだったし、今後もっとよくなると期待している」と及第点。それでも何か物足りなさが残った。

 「………」。試合後、中田は報道陣の質問を無視。英国でも従来のスタイルを貫いた。ところが初めて“中田流”に接した英国メディアの反応は最悪。ある記者は「デビュー戦なんだから話をするべき。とても奇妙で心が貧しい選手だ」とピッチ外の態度を批判した。それに呼応するかのようにプレーに対する評価も低く、サン紙がチーム最低の5点、デイリースポーツは2番目に低い5点と採点するなど地元紙は厳しい目を向けていた。
(17日付けスポーツニッポン) - 9月6時3分更新
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2005年09月16日

ブルゴーニュ・ワインとコレット(改訂版)

先日書いたモエレ沼公園に行った時のこと。夕食に駆け込んだレストランで飲んだ、良く冷えたブルゴーニュの白ワインが忘れられない。

まだ暑さの残る夕べの公園を歩き回り、汗ばんで、喉が軽く乾いた身には、そのほんのり野性味のある爽やかさがありがたかった。疲れた体に、新たな力を与えてくれるようだ。

ブルゴーニュ・ワインは、そんな野性味のあるフレッシュさが持ち味なんだそうである。モエレ沼公園の夜の「海の噴水」の光の饗宴といい、その夜はついていたことになる。

冷えたワインの入った グラスの外面を
黄金の涙が 流れていく
透きとおる ほおを伝って 
たどり着いた 首もとで
黄金の涙は 思い出の湖をつくる
そんな言葉が、思い浮かんだ。

ブルゴーニュ・ワインといえば、ブルゴーニュ生まれのコレット(1873〜1954)の書いたものが有名だ。フランスでは、子どもにもグラスの水にワインを一適たらして飲ませたりするもんだが、コレットは、なんと3歳の頃からワインをそのまま飲んだ「名人」である。ワインについて多くの文章を書いた。

ブドウの木、ワインは、大いなる神秘そのものである。
ただひとつ、植物の中で、ブドウだけが、
その土地の本当の味わいというものを、わたしたちに知らしめてくれる。
なんという忠実な翻訳!
つかみとった土の秘密を、ブドウは、その房の実を通して、この世に明かしてくれる。

La vigne, le vin sont de grands mystères.
Seule, dans le règne végétal,
la vigne nous rend intelligible ce qu'est la véritable saveur de la terre. 
Quelle fidélité dans la traduction!
Elle ressent, exprime par la grappe les secrets du sol.
   「ワイン("Vins")」『監獄と天国(Prisons et Paradis)』 (1932)所収

最初の詩のようなものは、ぼくのいい加減な即興だが、このコレットのエッセーの後半に出てくる「黄金の涙」という詩句を借り、コレットに敬意を表したつもりで作ったのだった。
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2005年09月14日

香港ディズニーランドでの中国人

香港に新しくオープンしたディズニーランドでの、中国人客の振る舞いが物議をかもしている。

大陸メディア:香港DL、客の「下品な行為」批判
 12日に開園した香港ディズニーランドでは、早くも来場者の不満が噴出。一方で、来場者の3分の1を占めた中国大陸からの観光客による下品かつ非文明的な行為が指摘されている。14日付で大陸のメディアである信息時報が伝えた。
 開幕初日となった12日、炎天下の中、各地から多くの人が来場。ミッキーマウスがデザインされた日傘を購入し、強い日差しを避ける人もいたが、中には、道端や冷房の効いたショップに入り込んで堂々と座り込んだり、上半身裸になって涼む観光客の姿もみられた。
 こうした観光客らは、「園内は涼めるような木陰が少なくて、レストランのように空調がきいている所は人だらけ。ベンチで休みたいけれど、みな太陽が直射して暑くて座れない。こうするしかなかった」などと説明。
 また、「眠れる森の美女」の城の前では、1人の男の子が立っておしっこをし、パンツを脱いだ姿で走り回る姿も。広東(カントン)省・広州(こうしゅう)市出身という母親は、「息子が、突然おしっこに行きたくなったので仕方がなかったのよ」と語った。
 信息時報は、「タバコを吸いたくなったら構わず吸う」「横になりたければ所構わず寝る」「脱ぎたければ脱ぐ」といった行為を「非文明的なもの」と批判。ただし、こうした観光客の中には、中国大陸出身者だけでなく、香港の観光客も含まれていたと指摘している。(サーチナ・中国情報局)
いや、さすが泰然自若とした中国人の振る舞いであるなあ。しかし、「非文明的」という指摘が、かなり強烈ではある。

さて、これが、インターネットの論議を引き起こしているそうだ。しかし、金を払っているのだから何をしてもいい」、というのは、どうかなあ。

香港ディズニー「下品な行為」にネット上で議論沸騰
 中国大陸のメディアが、香港ディズニーランドでの大陸からの来園者による「下品かつ非文明的な行為」を指摘したことが話題を呼んでいる。この情報を掲載した信息時報は、記事掲載後、インターネット上で様々な議論が沸き起こったことを紹介した。
 インターネットユーザーによる意見は主に3タイプある。「金を払っているのだから何をしてもいい」という「下品な行為」支持派。「まずは個人レベルから素養を高めていこう」という批判派。そして、「根本は、ディズニーランド側に問題がある」と主張する原因追究派に属するものだ。
 支持派には、「下品な行為」について、「文句を言われるぐらいならば行かなければいい」「長期にわたる生活習慣によるものだ。素養とは関係ない」などという意見がみられた。
 一方批判派は、「1人1人が、変えていこうという気持ちを持てば、社会全体が進歩していく。中国大陸出身者の素養は、他地域と比べれば確かに低い。まずは、自身を振り返ってみよう。公共の場所では道徳を遵守するべきだ。やりたい放題の社会では、文明的だとはいえない」など。
 原因追究派に属する意見では、「設備や管理に問題がある。改善していくべき」「スタッフが来場客を満足させるようなサービスができないならば、1日の入場者数を制限するなどの措置を取るべき。金儲け主義ではなく、客1人1人を満足させるための最高のサービスを提供するべきだ」などが訴えられている。
 中国大陸からの観光客の「下品な行為」が指摘されたことについて、香港ディズニーランド側は13日、「休憩したい、タバコを吸いたいなど何か要望や困ったことがあったら、側にいるスタッフに気軽に声をかけてほしい」と語っている。
 一方、香港ディズニーランドに多くの観光客を送り込んでいる香港の旅行会社の広之旅国際旅行社は、「ツアー客には何度もポイ捨てなど、非文明的な行為をしないよう伝えた。結局は個人の自覚の問題だ」と説明している。
(サーチナ・中国情報局)
「非文明的」と名指して、文明と非文明の区別をするところは、中国的なのだろうか。「長期にわたる生活習慣によるものだ」と言い切ってしまうのにも驚く。
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2005年09月13日

選挙その他・雑感

なぜ、「小泉自民党」は無党派層に受け入れられたのか――。(中略)
「郵政民営化は関心がない。小泉さんが頑張ろうとしている姿にひかれた」。前回、民主党に投票したという文京区のパート従業員の女性(45)は今回、自民党支持に回った理由をそう語った。(中略)
江戸川区の男性会社員(45)も、(中略)投票したのは前回の民主党ではなく自民党。理由は、「小泉首相に今までの自民党総裁とは違う決断力を感じた。保守的というイメージが変わったから」。(中略)
 江東区内の自営業の男性(30)は「これまで投票したことがなかったが、選挙のことが騒がれて関心を持った。民主党がダメだというのではなく、郵政民営化に賛成だから」。(9月12日読売新聞)

(新宿一区の)主婦は(36)は言った。「民営化、賛成か反対か」と叫ぶ小泉首相が「改革者」に見えた。前回は棄権したが、テレビで盛り上がっていた今回は「絶対行かなきゃ」と思った。与謝野氏は良く知らなかったが、自民党の候補者だから投票した。その夜、民主党幹部の敗戦の弁をテレビで見て、同党が民営化自体には反対ではなかったと初めて知った。(朝日新聞13日朝刊)
こんな人たちも選挙権を持っているのは、やはり、ため息が出る。

民主党の「日本を、あきらめない」というキャッチフレーズは、明らかに保守的なイメージだった。自民党にすでに「改革」を取られたからあろうが、民主党には国民の改革を求める空気が読めなかったのだろうか。「改革」には「本当の改革」で答えるべきだったろう。

民主党の岡田さんが、白い背景の中、白いイスに座って雑音(雑念?)を振り切って立ち上がるあのCM、一途さや戦いを挑むスマートな姿勢よりも、わけの分からなさが残ったと思う。あの「雑音」、実は岡田さんのさまざまな思いなのだそうだが、郵政民営化の賛成から反対までさまざまな意見がある「民主党の内部事情を振り切って岡田さんが立つ」みたいに見えた。小泉さんの「しゃにむに進む」みたいなCMの方が、はるかに改革の波を表わしていた。民主党のCMが「楽屋落ち」のような印象を与えたのは、CMを作った者の読みの甘さだろうな。

テレビの報道番組で、多くの人(若者を含む)がインタビューで「自民はダメだけど、じゃあ他にどこに入れるかとなるとない」とに答えていた。日本には、「批判票」という考え方が希薄なのだろう。そもそも、「批判」ということが成り立ちません。

電車の中でひたすらケータイに夢中になる人々を見て、こういう人たちは、自分の生活が脅かされない限り現状維持を望むのだろう、と思う。日本の(特に)電化製品は、一部の精通した人たちか利用できないようになっている。ケータイは良い例である。年配老人には使いにくいものでも、かまわず売り出され、それが年配老人でない人々が、自分たちを特権視する傾向を強めるのだと思う。これは、誰でも使えるいわゆる「ユニバーサルデザイン」の考えとはまったく逆のものだ。こういう傾向は、(いずれ詳しく書くが)「自分だけの世界」という考え方を助長する。
社会のことを考えるよりも、自己本位を優先する人たちが出来上がる。

フジテレビの選挙速報報道。スタジオにStar Warsをまねして、「Senkyo Wars」とデカデカと書かれたサインを掲げ、宇宙船のようなテーブルを囲んで、コメンテーターたちが座っていた。はて、中学生などの子供向け速報とシャレこんだかと思いきや、コメンテーター達の言うことは、あまり判りやすいとも思えない。たんなる製作者の好みなのだろうか。白い近未来風なテーブルをデカデカと写したショットは、この保守局の悲しい知的レベルを表わしているとしか思えなかった。

世界柔道に派遣したフジテレビの女子アナ、何とかならなかったのか。放送が間が抜けているだけでなく、選手へのインタビューでも、無神経・無知がはなはだしく、まともな質問さえできない。

この女子アナは、かつて、プロ野球の春季キャンプ中、巨人のピッチャー投球練習場のキャッチャーの真後ろ(つまり、ピッチャーから見て真正面)で、キャピキャピ騒いでいて、工藤投手の怒りを買ったという。フジテレビは、いいかげん外見だけで中身が空っぽな女子アナをスポーツ番組に出すのを止めたらどうか。視聴者の知性をナメるのは、いい加減にせよ。

柔道から「朽ち木倒し」のワザを無くしてほしい。あんな脚をすくうだけのワザ。「朽木崩しが得意な柔道家」は、「振り逃げが得意なバッター」みたいで、形容矛盾というか、方向性を間違えてるヨ。
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2005年09月12日

モエレ沼公園紀行

下の9月5日6日に、「モエレ沼公園紀行」をアップしました。

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2005年09月11日

星野氏の去就

阪神の星野仙一SD(オーナー付シニア・ディレクター)が、巨人の監督になるとのうわさ・報道が流れていたが、昨日断ったと報じられた。

こんなことが噂になり、未だに問題になるだけでも悲しい。巨人のナベツネ側がアクションを起こしたことが事の発端だろうが、星野氏は即座に断り、メディアにも、それをはっきりと言うべきだった。

彼に妙な色気があったからこそ、こんなに長引いたのではあるまいか(下の記事参照)。あの「アンチ巨人の魂」と謳われた男としての“悲しい結末”だが、それ以上に、日本のプロ野球にとって、重大な問題だろうと思う。

昨日の土曜日、昼のNHKで、『何が大リーグを復活させたのか〜星野仙一 その舞台裏に迫る』といういささか金のかかった番組を放映していた。それは、星野氏が、アメリカ大リーグと各球場を訪問し、1994年にストで衰退した大リーグを救ったいきさつをたどる旅であった。

そのなかで、星野氏自身、大リーグの成功に重要だったのは「コミッショナーが力を持ち、その力を使って、球団間の力の均衡を図ったことだ。バランスが大事だ」と言っていたではないか。

それが、もし星野氏が巨人に入ったら、人気は一極集中、もしかしたら力も一部だけが持ち、なにより日本のプロ野球が一点集中する象徴となってしまうだろう。

それは、日本のプロ野球の未来にとっていいことであるはずがない。

あの反骨の男、反巨人で売っていた星野氏が、巨人とは・・・・。まったく情けねえ。ガッカリだぜ。

阪神星野SD「タイミングじゃなかった」
 阪神の星野仙一オーナー付シニア・ディレクター(SD=58)が、自らの去就問題に決断を下した。01年オフに阪神監督就任会見を行った時と同じ大阪市内のホテルに、報道陣約150人を集めて緊急会見。「来年別のユニホームを着る可能性? それはない。それはない。続投? 恐らくそういうふうになると思いますよ」と、巨人監督就任の可能性を否定、来年もSDとして阪神残留を明言した。
 この日午前、滞在先の九州から手塚オーナーに電話連絡を入れ、続投受諾を報告。
(中略)
 巨人からの監督要請については「あるわけない」とあらためて否定。その上で「ライバル球団でもあるし、野球人としてありがたい評価を受けている」と感謝を口にした。また「タイミングというものがあるし、今はいいタイミングじゃなかったんじゃないの」と意欲があったことをほのめかした。(11日付日刊スポーツ)

星野氏、阪神SD留任の意向を表明
 来季の去就が注目されているプロ野球阪神の星野仙一シニアディレクター(SD)が10日、大阪市内のホテルで記者会見を開き、来季も阪神SDとして留任する意向を表明した。
(中略)
 星野SDは8日、阪神電鉄本社で行われた定例のオーナー報告会に出席。留任要請をした手塚昌利オーナーに対し「ありがとうございます」と答えたが、受諾については明確な返答をしていなかった。(11日付朝日新聞インターネット版)
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2005年09月10日

日本人は、どんな政治を選ぶことができるのか――自分の体にあった衣

明日は選挙である。日本人は、今回、どんな政治を選べるのか。

自民党が「改革」を標榜しているので、どこが保守でどこが革新の党なのか分かりにくい構図になっているようだ。海外のメディアも、同じような印象を持っているという報道を、一週間ほど前に読んた。

演説を見たり聴いたりすると、これは人を小バカにしてるんではないか、と思われるような話をする候補者もいるのだが、そういう候補者もけっこう人気があるのである。IT産業の社長が立候補したのは別にいいのだが、テレビの報道などを見ると、その演説を聴きに行く人は、彼のサインをもらったり肩に触れたりするのが本意のように映る。

そんなことで、「政治」「政策」を選ぶことになるのだろうか。日本人は、だいじょうぶなのか?

郵政民営化をとなえ、「改革」を声高に叫ぶコイズミさんを支持する人は多いようで、自民優位が報じられている。しかし、この人々は、本当にその中身を見ているんだろうか?「改革」という言葉の裏を、ちゃんと見ているんだろうか?

たとえば、この国は、公共事業にばく大な金をかけている。それは、いっこうに表向きの話題にならないように見える。自民党は、「公共事業のコスト15%削減」を公約に上げている。しかし、冷静になって考えれば、「コスト15%削減」は「費用の15%削減」を意味しないことは分かるだろうし、実は、その“玉虫色”こそ、自民党の意図するところであるのは明らかである。(でなければ、「○億円削減」というだろう。)

この国では、「特別予算」という仕組みがあり、一見、公共事業の予算が削られたように見えても、ちゃんと多額の予算が確保され、公共事業の予算総額は減らない仕組みになっているそうだ。

昨日の報道ステーションで、建設省OBで参議院議員が、インタビューで、「公共事業をすることこそ、日本の未来の世代に正しい国を渡していくことにほかならない」というような意味のことを言っていた。

不必要な道路やダムを作り、山を崩し、海を埋め立てる。信じれらないことだが、「開拓や公共事業が、くにを拓く」という古風でアナクロな思想は、手が付けられていないのだ。

(小泉さん、改革とおっしゃるなら、そういう構造をまず変えてほしいものですよ。)

多くの重大な政策を秤にかけず、スター選びのようなイメージだけで決める情けない選挙結果になっても、つまりは、日本人は自分の体にあった衣しかきれないということになる。

この国民が、開発・開拓に未だに希望を持ち、自分の土地の利益誘導という、あいかわらずケツの穴の小さい思想を抱いているのなら、この国の政治には、未来はないと思う。
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2005年09月09日

世界柔道選手権

夜遅くや明け方早くに、バイクの爆音とともに走り去っていくヤツがいる。

昔から、こういう周囲のことを考えない大バカ野郎は、まったく理解できない。
目立とうとするんだろうが、それで目立てると思う根性がケチ臭い。
「自己主張」を履き違えているというか、世界観が狭いというか、自分が見えないというか・・・。他にすることないんか。
こういうのを「若いから大目に見よう」と赦すやからも、情けない「若さ」観しかもっていないぞ。


さて、もっとちゃんとした「根性」の話を。

カイロでやっている世界柔道選手権が、熱い!

放送が夜遅いので、いつまでも見ているわけには行かないのだが、どの選手にもドラマがあって、ついつい見入ってしまう。

今夜も、100キロ級の泉浩選手の試合に、感動。彼は、父親に猟師になって家を継げと言われたが、「10年ください」と言い残して、東京で柔道に励んだ。

アテネでは、決勝で破れ、負けた直後、しゃがみこんで途方にくれて親指をクルクル回していたのが忘れられない。銀メダルでは、満足できないと決勝に進み、みごと金メダルを取ったのだった。
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2005年09月07日

NFLシーズン来る

今週から始まるアメリカンフットボールNFLの「Power Ranking(実力ランキング)」が、ついに出た。

去年、スーパーボールを勝ち取った、わがペイトリオッツは、ヤフーのPower Rankingでは、インデアナポリス・コルツに次いで2位、ESPNではなんと堂々の1位である。
http://sports.espn.go.com/nfl/powerranking

去年、優勝リングを手にしたものの、今年のペイトリオッツは、一見したところ、たいへんな状態なのである。

まず、コーチ、べりチェックの頭抜けた両腕ともいわれたコーディネーターの2人が去った。ディフェンス・コーディネーターのロメオ・クレネルが、NFLのブラウンズのヘッド・コーチに乞われて去り、オフェンス・コーディネーターのチャールズ・ワイスが、ノートルダム大学のコーチに雇われ去っていった。

それだけでは終わらない。ディフェンスのスーパースター、CBのタイ・ロー選手が、ペイトリオッツと契約を更新せず、ニューヨーク・ジェッツに移った。タイ・ローはケガがあったが、ジェッツではシーズンの中心になるだろうと期待されている。

そして、ラインバッカーの要(かなめ)テッド・ブルースキーがスーパーボール直後に軽い脳梗塞にかかり、今年は年内は働けないことになった。それが明らかになった一週間後、もう一人のラインバッカーの要テッド・ジョンソンが引退を発表。

いわば、飛車角抜きの状態である。それでもPower Rankingの1位とは。

さて、各チームのマークも厳しくなるし、選手層にも不安が残るが、どうするか、名将べりチェック?

追記:
スーパースターWRモスのいるオークランド・レーダースを相手に、30対20で快勝した。いやはや、たいしたチーム、いや、べりチェックはたいしたコーチである。
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2005年09月06日

モエレ沼公園(夜の部)

ここは公園であるから、夜はさほど見るべきものもないと思われるだろうが、そうではない。すばらしい出し物がある。

「海の噴水」というのがある。これはいわば「水の彫刻」である。モエレ沼公園のウェブサイトからの説明を引用しよう。
ノグチは基本計画の制作中「私はずっと噴水の存袖をしているんです」と語り、公園中央部に位置する直径48mの大きな噴水を描きました。
 
海の噴水は、ノグチのイメージしていた噴水に類似したマイアミのベイフロントパークの噴水を参考としてつくられ、「水の彫刻」と呼ぶにふさわしい形態を兼ね備えています。最大噴上高は25mともなり、ダイナミッ クな水の動勢は生命の誕生、そして宇宙を表現し、公園全体に生命の息吹を与えます。

昼間に見るとこんな風だ。
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しかし、夜はもっともっと印象的だ。
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これが、さらに、こんなすばらしい光の饗宴となる。
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BlackSlideMantra3-0508.jpg 下で見せた、札幌大通りのブラック・スライド・マントラは、実はノグチの作品であった。


札幌は、芸術的な町である。
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2005年09月05日

モエレ沼公園(昼の部)

8月には、この7月1日に完成した、札幌郊外の「モエレ沼公園」に行って来た。札幌の芸術の森美術館で「イサム・ノグチ展」をやっているのを、ついでに見ようというハラである。

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この「モエレ沼公園」はイサム・ノグチによって17年前から描かれたマスタープランにづき、公園全体をひとつの彫刻とみなした「景観の彫刻(Landscape Atchitecture)」として、つまりそれ自体が彫刻作品という公園として完成された。

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Moerenuma14-0508.jpg            Moerenuma16-0508.jpg 


この中には、ノグチが彫刻を始めた頃の昔から、ニューヨークなどで作成したかった公園のアイデア(大きな丘、子どもが楽しめる遊具など)が盛り込まれている。彼は、死の直前までこの作品を手がけ、これでもう良いと満足して、後進の手に引き継ぎこの世を去った。この作品は、いわば、ノグチの遺作であり、未来への遺言である。

全体の図は、ここを参照。http://www.dosanko.co.jp/eyeswalk/moere/

Moerenuma8-0508.jpg Moerenuma10-0508.jpg


ここは、もとゴミの埋立地だった。その埋立地を公園に変えるプランを示され、現地に案内されたノグチは、自らのアイデアに非常に興奮し、長靴のままごみの中を歩き回って構想を練ったという。内陸部分約100へクタールの周りを取り囲むモエレ沼の水面を合わせた189へクタールが芸術の公園として甦ったのだった。
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2005年09月04日

エナジー・ヴォイド

イサム・ノグチ庭園美術館には、「エナジー・ヴォイド」という巨大な彫刻があるが、7月に訪れた時には、札幌の芸術の森美術館「開館15周年記念イサム・ノグチ展」に出品されているとのことでなかった。

それは、グラナイト石の削ったものを組み合わせて作ったこんな作品である。
EnergyVoid1.jpg
エナジー・ヴォイド(http://www.noguchi.org/energyvd.htm

黒い四角の輪のようなものが、微妙にねじれ、動きを感じさせる。と同時にどっしりとした落ち着きを感じさせる。真ん中に開いた穴が、虚ろな空間を思わせる。題して「エネルギーの虚、あるいは、空なるエネルギー(Energy Void)」。

ノグチの彫刻作品は、この「虚空(Void)」をテーマにしたものが多い。ノグチはこのテーマを70年代にイタリアではじめた(作品「In Silence Walking」)が、このような作品になったのは日本に来てからだという。

何もない空間を有意味に使うという、彼の彫刻理念がシンプルに、しかし効果的に実現され、そこには、物質の根本としてのエネルギーの循環する流れ、禅に由来する「空」「無」の観念が表わされたという。
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2005年09月03日

イサム・ノグチ庭園美術館・訪問記(下)

さて、見学は人数が多く、2組に分かれて行うことに。

まず、ノグチが住んだ家へ。ガイドさんが一通りノグチの一生を説明してくれる。丸亀の古い武家屋敷を移送し、自分が好む形に変えたという。窓には、品のいい格子がかかっている。中をのぞくと、入ったすぐのところ、落ち着いたうす暗がりの中に、いくつかイサム・ノグチの石と木の作品が置いてある。「地表の風#1」「空間のうねり#2」と呼ぶのだそうだ。ノグチの妥協のない美意識が感じられ、ピンと張り詰められた空気さえただよう。

(館内は撮影禁止なので、別の写真で想像してください。
こんな雰囲気の似た見る者を落ち着かせる作品です。)

奥の間は、床が土間レベルまで掘り下げられ、土間を囲むようにして、腰掛けがめぐらされている。西洋生まれのノグチが座りやすいようにしたものだろう。ノグチが晩年好んで作った照明デザインの「あかり」も置いてある。(イメージ的には、
こんなもの。)

居間の奥に開いた広い縁側の向こうに竹林が見える。裏に回ってみると、落ち着いたたたずまいの苔と竹林が広がっていた。ノグチは、仕事の合間や後に、居間に座ってこの竹林を見つめてホッとし、あるいは作品の構想を練ったことだろう。

住居の脇に急な石段があり、裏山へと続く。そこには、ノグチが設計し「彫刻庭園」と名づけられた、芝の庭と丸い築山がある。山の裾野にあたる芝の庭園には、岩と桜などの木が、絶妙なバランスで配されている。手前に大きな岩の作品。ニューヨークから持ってきたという。そして奥にも、巨大な、宇宙を思わせるメタルを使った作品。

こんもり小さく盛り上がった築山があり、そのふもとに、赤い花が活けててある。築山の頂上には、タマゴ型の天然石がぽとりと置いてある。映像は、どなたかが撮った、この写真を。http://storage.kanshin.com/free/img_9/91754/1659764173.jpg

築山を迂回してあがる小道を登る。石は高さ2mくらいあり、かなり大きい。石のちょうど真ん中、水平にジグザグの切込みがある。実に味のある切り込みで、石の存在を、まるで呼吸をする生き物のようにしている。この切り込みは、牟礼町でのノグチの制作パートナーだった和泉正敏氏が、ノグチの没後、ノグチが石に残しておいた線に沿ってノミを入れ、石を2つに割ってノグチの遺灰を入れた跡である。

石から眼を転ずると、目の前には、穏やかな青空を背景に、左手にはノグチが愛した屋島が、右には石切り場のある五剣山が広がり、その真ん中の遠くに瀬戸内海が見える。あたりから石工の作業の槌音が、響いてくる。ノグチは、この風景をこよなく愛したという。ただ、瀬戸内海の方向の手前に、ゴルフ場であろうか、ネットのある巨大な建造物があるのが、いかにも残念だ。

下に降りると、ガイドさんは、あの花は、ノグチが自分の母親が日本とアメリカのいたるところでお世話になったことに対し、その感謝の意を表わすためだと説明し、ノグチの遺灰のことは口にしなかった。

ノグチは、アメリカに詩人として渡った野口米次郎と、その拙い英語を直していた個人英語教師レオニー・ギルモアとの間に生まれた。ノグチが、私生児として生まれたとき、父・米次郎はすでに二人を捨てて日本に帰っていた。レオニー・ギルモアは、女手ひとつで、しかも当時でも受け入れられなかった混血の子のイサムを育てた。レオニー・ギルモアが、アメリカにいることに耐えかね、2歳のイサムと来日すると、野口米次郎はすでに他の女と結婚し、家庭を持っていた。

レオニー・ギルモアは、イサムの父・米次郎に受け入れられることもなく、外国人もまだ多くなかった異国・日本で、英語の家庭教師をしながら、ひとりイサムを育てたのである。

ノグチがその母親を想い、その安眠を祈って花を置いたのは、本当だったかもしれない。

続いて、一行は、隣にある、石垣で円形に囲まれた「マル」と呼ばれる作業スペースと作業所へ行く。入り口のすぐ外に、中くらいの石にさっと切れ込みを入れただけの作品がある。武芸の達人がサッと刀で入れたような、スキのない切れ込みで、これから入る世界が特殊なものであることを示しているようだ。

「マル」には、作業所の前に広がる白砂の上にノグチの石の作品が置かれ、建物の裏には作業途中と想われる作品が雑然と置かれている。どこで拾ってきたか、道祖神も置かれている。

館内は撮影禁止なので、イサムノグチ庭園美術館内の展示の様子は、庭園美術館の
パンフレット、あるいは、ノグチ自身が撮ったこの写真で想像してください。
Noguchi'sMureYard1.jpg
http://www.noguchi.org/mure.htm
彼が作業するシーンもあります。http://www.noguchi.org/childhoodbig.htm

白砂の上の作品は、作品の大きさや形を考慮し、実に熟考の末に配置されたものであることが分かる。それぞれの作品が個性があって、実に面白い。形だけでなく、肌のきめの細かさ、色合い、粒子と、それぞれの石は、すべて違う。「石は、みな生きています」とノグチは言ったそうだが、それは本当なのだろう。長い間そこにたたずみ、迫力ある作品にただ見とれた。圧倒される。ノグチは、「石は地球の骨です」とも言った。

こんな感じの作品も展示されていた。「
つくばいのバリエーション」。
Helix of the Endlessに似た作品もあった。これは、彫刻の師ブランクーシのEndless Columnに影響を受けたものである。

そのすぐ隣に蔵がある。これは、土地に建っていた蔵を分解して運んできたものだという。この中には、代表作のひとつ「エナジーボイド」という巨大な彫刻があるが、今は札幌の展示会に出品されているとのことで、白い3分の1の模型が、代わりに置かれていた。
こんな感じの作品も。「
昼の太陽」。

帰る際に、門のところに来ると、古い狛犬が置かれてあった。この辺にあったものだという。狛犬に目礼し、外に出ると、ガイドさんがひとり待っていた。残ったのはわたしだけだという。

時間が過ぎるのを、完全に忘れてしまったようだ。

明るい夏の木漏れ陽が地面にふり注ぎ、あたりには、ツクツクホウシの声が響いていた。「彫刻庭園」から降りてくる、川を模した岩場にトカゲが一匹、気だるそうに眠っていた。
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2005年09月02日

イサムノグチ庭園美術館・訪問記(上)

7月、香川県の牟礼町にあるイサムノグチ庭園美術館を訪れた。これは、その簡単な訪問記である。
http://www.isamunoguchi.or.jp/index.htm

今年に入って、彫刻家イサム・ノグチを、妙に意識しだした。

これまで、見たことはなかったわけではない。彼は世界的に有名な芸術家であるから、あちこちの美術館に、作品が一つぐらいはある。10年以上前、デトロイトのシビック・センターにある、
巨大なステンレスの天使の輪っかのような作品を見た時、「フーン」と思っただけだった。しかし、そのまわりで黒人の子どもたちが、そこから飛び散る水を浴びながら大喜びだったのを、今でもはっきり覚えている。

いくつかの作品に、なにか妙な迫力を感じ始めてはいた。つい最近、ノグチの(どちらかといえば不幸な)生い立ちや、その生い立ちゆえ一生彼が持ったさまざまな苦悩を知り、そしてさらに、彼がパリに留学した時、わたしの大好きな彫刻家ブランクーシに弟子入りし、一時期はブランクーシのスタイルを真似ていたが、ついにはそれを脱却するために大変な苦労して自分のスタイル作り上げて行ったことなどを知るにおよんで、イサム・ノグチという人間に、たいへんな興味を覚え始めたのだった。

その作品には、どこかに荒々しい「怒り」、といって悪ければ、「憤り」と自分の中でたけり狂う何かを押さえつけようとする「自省」、自分の中にあるその何かを見出そうとする「洞察」が感じられる。晩年の平穏な作品にも、それは感じられて、わたしは彼の作品を見るたびに気持ちが震える。それは、安田侃さんなどの作品とは明らかに違う。

で、先月、高松に行ったのを機に、彼の庭園美術館を訪れたのである。

高松は、不思議な街である。もともと文学気がつよく、菊池寛がいたところでもありその銅像が建っていたりする。
Kagawa1(KikuchiKan)-0507.jpg街中にも、あちこちになかなかセンスのいい現代的な彫像が建っていたりするのだ。兵庫町というアーケードの中には、“ドンキホーテの馬”のしゃれた彫像がなに気なく置かれている。

さて、イサムノグチ庭園美術館は、牟礼町という高松から電車で20分ほど、バスで30分ほどのところにある。イサムノグチが50代半ばから晩年まで日本での制作拠点として使ったアトリエと住居を、そのまま美術館として開放しているのだ。しかし、始終開館しているのではなく、火・木・土曜日のそれぞれの日に3回だけツアーに参加して見学できるだけである。

牟礼は、まわりが、八栗五剣山(峰が5つの剣のように切り立っている)という花崗(かこう)岩の層からなる山に囲まれており、古くから、「庵治石(あじいし)」という墓石などに使われる灰色の花崗岩の産地で有名である。庵治石は、その豊かな色合いと重量感、キメの細かさ、優美な光沢がかもし出す自然美が古来より高く評価され「花崗岩のダイヤモンド」とさえ呼ばれる。

彫刻家イサム・ノグチは、その石に惚れ、芸術活動の拠点をかまえたのだった。

そのために、町内には多くの石工場がある。美術館へ行く道筋にも、石工場や石材店が立ち並び、墓石のみならず、狸、かえる、その他の動物、中にはこんなものを墓石にするのかというような現代彫刻めいたのも置かれている。美術館の近くには、明らかにアトリエと思わせる場所もあった。

受付の小さな小屋に集合し、学芸員の案内で見学することに。
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