2006年02月28日

Phrase4.png
あの花が。
想いつつ、独り酒。
posted by ろじ at 19:59| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ひと言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月26日

パウル・クレーの形

「ぼくたちが形あるものを勉強するのは
芸術のためであり、
そこにぼくたちは自分の魂をも、のぞきこむことができる。
哲学と人はいうが、
たしかに哲学には芸術に似通ったものがある。
はじめは哲学がどれほど魂を観察できるかを知って、
ぼくは驚いたものだ。」(1917年の『日記』)

昨日、「パウル・クレー展――線と色彩」(大丸ミュージアム・東京)を見てきた。このたび、スイスのベルン市に、パウル・クレー・センターが開館したことを記念しての展覧会だそうだ。

吉田秀和さんに「クレーの跡」というしゃれた小論がある。そこで、吉田さんは、クレーの絵画、特に線画の各線がどのような順番で引かれたかを、有名な『悲しみ』や『忘れっぽい天使』を引きながら、吉田さん一流の論理で解説している。そして
「要するに、クレーでは、始まりが生じ、そこから、自由な均衡の振動による幻想の解放とが同時に働きながら、すべては有機的に――ある法則をもって――成長し、展開してゆく……」
と説明する。クレーの形の中には、時間的な成長が秘められている。

展覧会会場には、俺の好きな線画は少なかったが、実にいい色合いの絵画や、興味あるデッサンが多数展示されていた。上記の『悲しみ』もあった(『喪に服して』という題名になっていたが)。『兵士』と題された1938年の絵の色使いがとても気に入った。

クレーのタイトルと、クレーの絵の組み合わせが、一種のユーモラスだったりパンチが効いていたり、とても面白い。上の吉田さんの文章は、クレーの「私はかつて文学的モチーフをイラストレートした覚えはない。私は、まず、絵画的に形成し、そのあとで、詩的思想が絵画的思想と、偶然、合致したときには、よろこんだのだ」という言葉を引用している。クレーの形の中には、詩的思想が秘められている。それはクレーにとって、線というものが、自由な精神の担い手と思われていたからだろう。

さらに、会場のあちこちにクレーの日記が引用してあって、クレーの思いと絵の掛け合いが非常に効果的だったと思う。そのうちの心に残った一節が上に引用したものであり、さらにこんな一節もあった。
「ぼくはただ、線だけで描く物質のくさびからときはなたれた。純粋な精神の表象である線を用いて描く。余分な分析的なものは切り捨て、大胆直截に本質的なものに迫る。」(1913年の『日記』)
クレーが表したかった精神は、分析する精神ではなく、世界とつながって(彼一流の仕方で)それを写し取ってゆく精神である。

会場には、パウル・クレー・センターを作っていく過程を記録したビデオも紹介されていた。

その後、新橋で行われていた「東京美術倶楽部創立100周年記念『大いなる遺産 美の伝統展』」に。
http://www.toobi.co.jp/event/100th/index.html
http://www.toobi.co.jp/event/100th/outline.html

そのうちの中心である「国宝を中心とする古美術の名品」は、パンフレットには
美術商が扱って参りました多くの古美術品の中から「源氏物語絵巻」をはじめとして、日本美術史を代表する国宝を17点、日本、朝鮮、中国の古陶磁から選りすぐった重美級の逸品36点、さらに屏風の名品4点を一堂に集めてご披露いたします。我が国の優れた美術の伝統を写真図版ではなく、実物を眼前にして堪能するまたとない機会となるでしょう。
とあるが、残念ながら、書や骨董は見る眼を持たないので、有難みが感じられなかった。

その上の階で行われていた「日本近代絵画の巨匠たち 知られざる名作を集めて」と「近代工芸の創生 新たな美を求めて」展は、日本の伝統の中に咲いた才能の花々の博覧会という感じで、とても見ごたえがあった。
posted by ろじ at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 芸術・音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月24日

東北人の荒川さん

仕事の締め切りが延びて、さあ、わがトリノ、ついに開幕!

荒川さん、良かったなあ。しかし、お母さんの看病するために一年間スケートを休んだ、母親思いのスルツカヤにも勝ってほしかった。2人で金。

そんで、村主さんにも銅――三人娘のなかで、なぜか一人だけファーストネームで呼ばれない村主さんにも。

ときに、華々しいフィギャアスケートの荒川さん、そのコマーシャルスポンサーが、お米販売会社というのはいかがなものか。スポーツドリンクやチョコレートではないのだ。ましてや香水やジュエリーなんかではないのだ。お米なのだ。荒川さんは宮城県出身なので、浮世の義理というものであろうか。お父さんや恩師の方の関係筋なのかもしれない。http://toyo-rice.jp/

「おいよぅ、荒川さんよう。荒川さんドコの娘っ子、とりのへ行ぐべさぁ。うちの会社のコマーシャルに出でぐんねがね?」
「なんのコマーシャルだべ」
「うん、米だぁ」
「ああ、娘に訊いでみんげど、いいんでねぇがな」
そんな会話があったとは思えぬが、宮城の人たちがそういう優しい遣り取りをするこころ温かな純粋な方々であることは、同じ東北出身として、容易に想像がつくのである(いや、テレビで拝見したところ品のおありな素敵なご両親でしたよ)。ひいては、荒川さんも、単なる金メダリスト・スケーターを超えた、周りの人のことを思いやる素敵な人柄の持ち主であること(ビバ、東北人!)が、そのインタビューを聞いていて感じられるのであった。(会話はすべてフィクションです。)

それにしても、そのお米販売会社の売り文句が、まさに「金芽米」。今回はこれ以上ない宣伝効果があったが、社長さんの慧眼は、まさに金メダルでしたね。
posted by ろじ at 00:00| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月23日

百人と一人(改)

子どもが百人、いっしょに道を歩いている。そのうちの一人が、けつまずいて転んだとする。

そんな子どもに、とても興味がわく。

とくに、なぜその子だけ転んだのかというようなことに。

*******************************

百人の大人がいる。その百人と知り合いだという、もう一人の大人がいる。

その大人は、百人と知り合いだというだけで、いばっている。その百人の組織に属しているからというだけで、いばっている。その百人が権力やお金を持っていると、もっといばるようだ。

こういうヤツが、ヘドが出るほど嫌いだ。

*******************************

百人の人間がいる。

言葉も、文化的背景も、考えも、肌の色も違う。お金がある人もない人もいる。小さい人も大きい人もいる。

どの人とも知り合い、その人たちを理解しようとする、そんな人間を尊敬する。そんな人間になりたい。

*******************************

いつ死ぬか分からないので、ここに書き留めておきたいと思った。
posted by ろじ at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ひと言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月22日

この国の批判する精神

今日の朝日新聞(夕刊)に、加藤周一の『夕陽妄語』が載っていた。「人生の三期」と題し、人生の「青年」「中年」「老年」の生き方について論じていた。幼年時代をいわば前奏曲として、その後の三期に何ができるか――。
「(日本の社会構造に由来する)比較的集団の圧力が弱い時期は、個人の生涯に二度あり、二度だけある。それは第一に就職以前の学生時代、第二に就職以後の老年期である。圧力が弱ければそれを破って自由にものを考える可能性も大きい。(中略)もちろん退職後の発言の影響力は小さい。しかしゼロではない。批判精神の活性化はそこから始まる他はないだろう。」
しかし、この国に、論じ批判する風潮は定着してくれるだろうか。この国の「就職以前の」学生たちは毎日あふれるテレビの娯楽番組やマンガや「ケータイ」に忙しく、彼らにとって文章は論理性よりもフォントの形や声の大きさが重要らしい。一方、「就職以後の」老人たちは、この国の朝から晩までの過酷な通勤と労働でくたびれ切っている。公的な社会制度が不十分で、連れ合いがいなくなった後に孤独死してゆく老人もいる。

自由に(ただし建設的に)ものを言うことは一朝一夕にできることではなく、ある程度時間をかけた訓練が必要であろう。しかし、これら二つの間、および学生時代(すなわち大学の教育)を含む期間に、そのような訓練がなされるとは思い難い。ひとつは、(たとえ論理的にであろうと)上に物言えぬ「風土」や「社風」があり、もうひとつには、論理的な議論をほとんど教えない学校教育がある。先日、ある作文教室で、「文章は論じるのではなく起こった事実を書くことだ」と教えているのを目撃した。その先生は、かなり高名な「文章家」であったが、論じる部分を避けて文章を書くのは、思考を止めろというに等しいだろう(自動記述でもしろ、というのだろうか?)。

もちろん、この国に批判する精神が発達してくれることを期待はしているが。そうすれば、より多くのことが変わるだろうと思う。あまりに感情的・感覚的な報道や、人の話を聞かずひたすら喋りまくるテレビの「学者」や「批評家」や、わけのわからない政治家の発言や、国民無視の政治談議や、また願わくば、文化的伝統と化した談合なども。
posted by ろじ at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月21日

オリンピック害(下)

最初に欧州貴族の余興として始まった五輪、いまだに金と権力を握る一部の(弱者の気持ちがわからない?)オリンピック・ファミリーが実権を握るという。冬季オリンピックも、大きくしすぎた弊害が、選手への犠牲(たとえば、突然の出場停止)という形で現れているが、大新聞はそういうことをはっきり書かない。
(参照:スポーツニッポン「安田直樹 冷徹“五輪ファミリー”の犠牲者」)

その点、スポーツ新聞ががんばってる。華美な傾向にある開会式を見てモヤモヤと感じるところを、歯に衣着せず、すっきり言っていて、その点は、胸がすく思いがする。たとえば次の記事:
選手を出しにしての“お祭り騒ぎ”にはうんざり
500人ものボランティアが、スキーのジャンプの助走から着地までを人文字で表した。シンクロをイメージし舞台から足だけ出した踊りや、数十人が空中でハトの形を作るパフォーマンスもあった。トリノ五輪の開会式。こういうのは何かで見たことがある、と思いだしたのが『欽ちゃんの仮装大賞』。まさにあれの超大型版だ。

かと思えば車の街だけに、フェラーリのレーシングカーが登場して爆音を響かせ、ヘルメットの後頭部から火を噴く炎のスケーターも登場した。火花と光の演出で、最後は両国の花火大会風なフィナーレとなった。金をかけて集めた食材を、なんでもほうり込んでごった煮にした感じではあった。

華美になりすぎ、参加できたことを喜び合い、主役になるはずの選手たちは影が薄かった。「ジェット人間が登場した84年ロス五輪あたりから、開会式はショー化した。テレビ向きに金をかけるため、一番いい席で入場料は日本円で1人15万円近く取る。ここまでくると異常だ」と五輪評論家の伊藤公氏はいう。

五輪のショー化といえば、例によってタレントを使ってショーアップする民放に負けじと、現地に行ったNHKの男女キャスターもはしゃいでいる。女性の方は市内の聖火リレーで嬉々として聖火ランナーまでやっていた。タレントではあるまいに、視聴者は公共放送のキャスターにそんなことまで要求していない。

『仮装大賞』の欽ちゃんのように後見役に徹し、選手たちの気持ちをうまく引き出すのが役目なのに、自分たちが主役になったつもりでいるのかもしれない。開会式といい、選手を出しにしての“お祭り騒ぎ”にはうんざりする。
(サンケイスポーツ)
http://www.sanspo.com/top/am200602/am0213.html

posted by ろじ at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月20日

オリンピック害(上)

スポーツは好きで、今回のトリノも気にはなるのだが・・・。
トリノの近くにあるピエモンテ州の田舎町ブラには、「サルシッチャ・ディ・ブラ」とかいう豚のソーセージがめっぽう美味いそうで、新聞で紹介されている。

このブラ、「スローフード」発祥の地だそうだ。スローフード協会の本部がある(何すんだろ?)。「スローフード」ってのは、地域の食材や伝統料理を再発見し、効率一辺倒の生活を見直そうという運動である。すぐ近くのトリノで行われている“商業主義の祭典”とは対極的だ。

運営も、やや問題があるようで、リュージュコースはスピードが出すぎて、昨年のテスト走行をかねた大会では重傷者が出た。その後、コースをデザインし直したそうだが、今大会になってもやはり女子選手にけが人が続出した。選手たちが苦情を言っても、大会運営者は、「男子では問題なく滑れている」と取り合わず、会場からはため息が漏れたという。

数日前のニューヨークタイムズに、滑降コースがスピードが出すぎて女子には危なすぎる、という記事が載っていた。やはりスピードが出すぎてコースを逸脱したり、けがをする女子選手が多いという。「(下半身が重い)女子の体のバランスでは、男子のように簡単にコブを飛び越えることができないので危険だ」という、一流選手のコメントが載っていた。だとすれば、男女では危険度に差があり、男子にけがが起きないからといって、コースに問題がないとはいえないのだ。

大会運営者は、そういうことに真摯に耳を傾けられないのだろうか。
posted by ろじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月19日

おとこ話

(ブログのサーバーが落ちてメンテをしていたようで、しばらくぶりにアップです。)

昨日は、例の75歳の婆さんと、久しぶりに酒を飲んだ。婆さんのお知り合いの60歳のおば様もご一緒である(よっ、婆さんキラー!)

ある料亭のご主人のうわさ話(つまりイイ男かどうか)をしていて、60歳のおば様が
「あの方ねえ、いやぁ……、なんか、冷凍食品みたいな方ねえ」
冷凍食品って……
「つまり、ようするに――寝たいかというと……」と言い出す。

と、75歳のお婆さん
「ね、寝たい!?そそんなこと言うのー!?わたし恥ずかしくて、そんなこと〜ソンナコト〜、口にできないわ〜!」
「え?おねえ様、そういうこと考えない?」
「そソンナコトーー。でもね、もし、わたしならね、あのね、
ゲーリー・クーパー」   (いつのハナシやねん)
ついてけん。
posted by ろじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々のなにげない記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月18日

アリ地獄的マイク○ソフト・アップデート?

コンピューターを使っていたら、OSのアップデートの通達がきた。まあ、いいか、とやってみると、しばらくして不具合。

さかんにクラッシュするので、MSにエラーメッセージを送ると、更なるアップデートをしろとの御指示。またアップデートをしたら、さらにひんぱんにクラッシュするようになった。

MSにエラーメッセージ→アップデート→クラッシュ→MSにエラーメッセージ→アップデート→クラッシュ
の繰り返しで、ついには、あわれ、コンピューターは立ち上がらなくなった。

水曜のことであった。まだ直らず、いまはバックアップで書いている。(しかも、そのあいだに、このシーサーのブログサーバーは落ちていたようで、繋がらなかった。)

やればやるほど深みにはまる、サラ金地獄的アップデート。
新しいのを買え、との陰謀か?
posted by ろじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々のなにげない記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月14日

恋におちるホットチョコレート


パソコンのブラウザがやたら重いと思ったら、立て続けにクラッシュした(途中までやり上げた仕事がぶっ飛んだ)。エラーメッセージを送ったらブラウザの会社から送られてきたHPにしたがって、ブラウザの「アドオン」の幾つかを不能にしたら、あ〜ら不思議、軽くなりました。
お試しあれ。
(メニューの「ツール」→「アドオンのマネージ」で、ランダムな名前で妙に長いDLLファイルを不能にします。)

無理がたたったのか、体ががたがたである。背中が痛くて座っているのも辛い。週末に近くの台湾式マッサージに行ったら、アンちゃんにものすごい力で揉まれた、いや、背中などは肘で脊椎を押していた。仕事のために無理やり仕込まれたのだろう。百円ショップで買い揃えたそうなもので埋め尽くした、雑居ビルの一室だった。

しかも、ガクガク寒気がする。とにかく寒くて、家にいるあいだは暖房をつけている。背中も手も腰も痛くてかなわん。まったくどうなってんだ。


今日は、バレンタインデーですか。馬連多飲デー?
気の利いたことを書く暇がないので、いらした方は、どうぞ、いぜん書いたこのバレンタインデー話をお読みください。(面倒くさいでしょうけど、まあ、クリックしてみてください。)
バックグラウンド・ミュージックは、キース・ジャレットの「The Melody at Night, With You」
いや、ベニー・カーターの甘たるい「My Mind is Still On You
She's sweet, she is gentle and she's kind,
As true a heart as anyone could find,
But I'm a cheat
When our two lips meet,
'Cause my mind is still on you.
・・・
彼女はすべてを持っているというヤツが、いるかもしれん。
この世で会った一番イケてるオンナだと思うかもな。
そうな、たぶん、すべて持ってるんだろな、
彼女を忘れるようにさせてくれるもの以外はな――
posted by ろじ at 19:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 芸術・音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月13日

おもい

Phrase2.png











 ああぁ
posted by ろじ at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ひと言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月12日

学習せんなあ、メディア

いやはや、ねえどうですか、これ?先ごろのホリエモン騒動で、週刊誌を含むメディアはなにか教訓を学ぶかと思いきや、なかなか身についた習慣は抜けないようですねえ。

だってそうでしょう、先週などは、メディアに招かれた識者は「メディアは突っ走らずに、立ち止まって考えることです」と異口同音に言い、アナウンサーなども反省の姿勢を見せて「まったくそのとおりです」などと言っていたものですが。それが、こんどの紀子様ご懐妊の知らせに、おんなじモードで飛びついてるんですから。まったく!

テレビのワイドショー的なのや『週刊ポスト』などの週刊誌はいうにおよばず、『アエラ』までもが(と、こういう言い方が正しいかどうか分りませんがね)、「女女の次が男の確率」とか「皇太子夫妻の生きる道」とか、見ようによってかなり無神経な記事を載せてますねえ。男児を生むだけが生きる道ですかね?どうかと思いますよ、ねえ。こういうデリケートな問題は、そっと見守ってあげることができないものですかねえ。

その『アエラ』、釣り広告などを見てつい買ってしまうんですがね、このところ、「勝ち組 vs. 負け組」「30代の独身女の計画」のような特集が毎週のように続いてますが、そんな“グループ決め付けの旗振り”のような情けない特集は、アエラ副編集長である女性の企画らしいのですが、上のようなどうかと思う企画には、それに加担しないまでも、女性として反対はしないのでしょうかね。

そのうち、なんでも十把ひとからげにする、あのはやり言葉を使って「懐妊力」とか、バカなデリカシーゼロのことを言い出すメディアや作家や学者、出てきますよ、きっと。なんでも「力」つけるとアピールすると思ってるんですから。女性をなんだと思ってるんでしょうか。

いや、そういう私は、女性の味方でもなんでもない、女の地位向上を謳ってもいない、ただの通りすがりなんですがね。
posted by ろじ at 13:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月10日

ヨーロッパの風刺漫画問題

アメリカのラジオ番組NPR(National Public Radio)を聞いていたら、ヨーロッパの風刺漫画問題をやっていました。

この出来事のために、中東はデンマークとの通商交易をボイコットし、それによるデンマーク側の被害は日に2億ドルにも上るというのです。インタビューに応えたある貿易代表は「以前は、デンマークの国旗といえば、『良い人たち』の代名詞のようなものだったが、いまやまったく反対になってしまった」と言っていました。

くだんの新聞社は、こうした経済の影響をまるで考えなかったのでしょうか。もちろん、問題は経済よりも、国際的な安定性や名声など社会的なものが大きいはずですが。

デンマークというのは多民族・多宗教国家としてしっかりしていると思いましたが、聞けば聞くほど、そうでもないらしいです。今回の風刺漫画問題も、当の新聞社は「表現の自由」という崇高なテーマで問題提起していたように語っていたそうですが、次のような記事を読むとどうもそうではないらしいです。これが事実だとすると、残念ながら、イスラム教に対してならば風刺してもかまわない、というスタンスが感じられてしまいます。当人たちが最初いっていたような、純粋に「表現の自由」対「宗教の自由」という構図の問題ではなく、単に視野の狭い“攻撃的発言”としかとれなくなるでしょう。

こんな風に動機が身勝手であることが、イスラム圏に分かれば、モスリムの反感は高まるでしょうし、世界中で宗教間の対立・衝突は激化するでしょう。愚かなことです。

キリスト風刺漫画は見送り デンマーク紙が3年前
 【コペンハーゲン8日共同】イスラム教預言者ムハンマドの風刺漫画を昨年9月に掲載し、一連の抗議の発端となったデンマーク紙ユランズ・ポステンが、3年前にキリストの風刺漫画の掲載を見送っていたことが8日、分かった。掲載を拒否された漫画家がロイター通信に明らかにした。
 同紙は「読者を不快にさせかねない」と判断し掲載を見送ったという。漫画家は「キリスト教信者に漫画を見せたが、心証を害した様子はなかった」と述べ、同紙がキリスト教信者に過剰に配慮した可能性を示唆した。
(共同通信) - 2月9日0時58分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060209-00000009-kyodo-int


posted by ろじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 国際・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月08日

メディアのライブドア報道・再論:寄らば大樹の陰

数日前に書いたライブドア事件をめぐってのメディアの報道について、いくつか考えてますが、ひと言だけつけ加えます。いわば、「日本、寄らば大樹の陰(かげ)、長いものには巻かれろ」論

ホリエモンの権力が失墜したと見るや、メディアが掌を返したような攻撃をし始めたことがテーマです。

これに関連して、ある人が毎日新聞のコラム「発信箱」を教えてくれました。
このコラムでは、前日までホリエモンをもてはやしながら検挙され「容疑者」となったと見るや怒とうの堀江たたきに走るメディアを、自らの毎日新聞をも含めて自戒の念をこめて書いています。

そのなかで、終戦時の1945年8月16日付の朝刊、1面の一部と2面を真っ白にした高杉孝二郎編集局長の話が出てきます。自らの新聞も前日まで焦土決戦をあおった揚げ句、終戦となた途端「国民も今日から転換するのだなどと、どのツラ下げて言えた義理か」という判断で、その日の紙面に終戦勅語と行政告示しか載せなかったというジャーナリストの真骨頂を語ったものです。

そういうツワモノ・ジャーナリストは、戦前の日本だけでなく、今のアメリカにもいます。権力につかず、ウォーターゲート事件で政府の不正で不当な企みを暴いたボブ・ウッドワード(Bob Woodward)やカール・バーンスタイン(Carl Bernstein)のような、地道だが卓越した批判的精神を持つ記者たちは、今も健在です。

(ちなみに、バーンスタイン氏はメディアの怖さもちゃんと自覚していて、1999年に「メディアは政府よりも強力だ。しかし、私たちはその力を無駄使いしている(The media are more powerful than our government institutions, but we are squandering that power.)」と言っています。)

そういうのに比べると日本は「強い者」「大きい物」に付くのが文化的伝統のように思います。日本のメディアは、“持てるもの”に付きたがるように思うのです。たとえば、
     権力を持てる者
     金を持つ者
     株を持つ者
     会社を持つ者
     人気のテレビ番組を持つプロデューサー
     オリンピックで勝って金メダルを持つ者
     世界記録を持つ者 などなど
(女にもてすぎる者は、どちらかというと嫌われるが、これはまた別の話である。)
これも、権威主義的な日本ゆえなのでしょう。

その一方で、“堕ちた者”、特に、かつて“持っていて”いまや堕ちた者には、きわめて過酷であるように思います。相手が持っているがゆえに「近くに付いて」いるときも、実はそいつのことが嫌いで、地に堕ちるのを待っているのかもしれないですね。

そう考えると、目をそむけたくなるような振る舞いをしているのは、メディアばかりではないように思います。会社でも、大学でも、町内会でも、上に諂(へつら)いおべっかを使う奴は、ゴロゴロいるではないですか。主婦や会社の同僚などでも、“力のあるもの”に付くために、平気で昨日まで言っていたことを覆して自己保身に走るのは掃いて捨てるほどいるでしょう。

寄らば大樹の陰、長いものには巻かれろ、名誉捨ててもコネ保て、友達捨てても金を取れ、ギッタンバッタン舟が行く。

メディアは、その構図の単なる一部だと思うのです。もちろん、メディアはその辺の町内会とは違って非常に影響力があるのですから、だからといって罪が軽くなるとは思えませんが。
posted by ろじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月07日

屈託がない日本の若者

街に出て、陽気に話したりため口を利いている高校生、たのしそうに携帯をいじっている学生などをみると、不思議な気分になることがある。

都会に出ると、駅前で、電車の中で、あるいはカフェの中で、そんな彼らを見ながら、ボウーッと立ち尽くすことがある。
――なんなんだろな。

こうして明るく屈託がない若者たちは、多くが何の苦労もないように見える。そこには、貧困も飢餓も、アメリカで始終目にした人種問題(偏見、抑圧、就職難など)も、戦争も、関係ないように見える。が、日本は、そんな、何の問題もない社会になったのか……。

もちろん、そうしたことが、世界で起こっていないわけではないはず。この日本でさえも、一部では、深刻な貧困や人種問題が起こっているはずだろう。非常に苦労されている方は、確かにいるはずだ。

しかし、美しい品物があふれ、どこに行っても(ある程度の金を出せば)旨いものにありつけ、新しい製品が、始終、作り出される。ほとんどの人が、高性能の電子器具を持ち歩く。世界で起きている深刻な問題も聞こえてこない。いや、そういう情報もどこかに行けば手には入るが、こちらに押し付けてくることは、決してない。これでは、まるでパラダイスのようじゃないか。

問題を感じずに、意識することもなく成長する若者――しかし、問題に気づかないということは、幸福なことなのかのう。
posted by ろじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(1) | 日本・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月06日

生きる時間

昨日の話題のイスラエルの番組を観ていて思い出した。

むかし、アメリカで会ったイスラエルからの女性と、その当時、毎日のようにイスラエルで起こっていたテロについて話していた時だ。イスラエルでは、映画館やカフェなど、人の集まるところで自爆テロが頻繁に行われ、犠牲者が多数出ていた。

「そんなに、毎日、爆弾とかで死ぬかもしれないのに、みんなどんな気分で生きてるのだい?」と訊いてみたのだ。

こたえは明瞭だった。
「いつ死ぬか分らないからこそ、陽気に生きるしかないのよ」
彼女は、そう言って、かるく笑った。
posted by ろじ at 19:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ひと言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月05日

国の中の壁

数日前、必要があってヨーロッパの国際機関に電話をした。

電話に出た女性は事務の方だと思うが、話し方にゆとりと余裕が感じられる。日本の役所にかけるのとは、まるで雰囲気が違うのだ。こちらもなんとなくゆったりモードになり、ある人のメルアドを訊いた後そのつづりを確認するのに「……『i』はイタリアの『i』で、『r』はローマの『r』」と長々と続けたあと、最後はやっと終わったという感じで「……『p』は、パーフェクトの『p』!」とシメのつもりでやったら、大笑いしてくれた。

国際機関といえば、先週末のNHK総合テレビで、『同時3点ドキュメント』と名打って現代の政界情勢の一側面を報道していた(うん、NHK、がんばってるなあ、特に例の視聴者料金問題が出てから、とても真剣な良い番組を作るようになった。雨降って地固まるか)。

世界の3地点に同時にカメラを置いて作った、ドキュメンタリー作品だ。世界は広いようでいて、じつは政治的にも経済的にも繋がっている、離れた場所どうしでも強いつながりで動いているという前提だ。2日連続で、日曜日は移民問題。アフリカ・エチオピアからイスラエルに移民しようとする82人の農民、イスラエル・エルサレムでテロの連鎖から抜け出そうとドイツに移民しようとする一人の若者、そして、一方のドイツ・ベルリンでは仕事がなく他の国に行こうとする“非ドイツ人”たち。これらの人々の11月28日から12月7日までの行動を追ったもの。

いまだに「国家」という見方で政治や哲学を語る人もおられるが、世界が国家としての枠組みを失いつつあるのはゆるがせない事実だ。移民問題・外国人問題がよい例である。先日のフランスでの暴動にもあったように、どの国も移民、さらにその子どもたちの世代(戸籍上はその国の国民であるが)が悩みを抱えている。人種や文化の「壁」があるのだ。

スペインは、最近、違法入国者(移民)の合法化を認めた。同時に、もはや移民が入ってこないように国境沿いに文字通りの「壁」を作ったそうだ。日本では、労働者人口が足らず、国連機関は、外国からの移民を奨励している。移民問題は、もはや避けて通れなくなっている。

「純血主義」ばかりを強調するのも、それで社会や市場を語るのも、かなりリアリティーのない話である。ある種の産業では、外国人労働者(この表現が良い言い方か分からないが)がもはや必須の要素であるという。日本は、純血主義を強調しなくなったが、「外国人労働者」のテーマが市場の話に入ることはまだ少ない。
posted by ろじ at 12:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 国際・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月02日

つまづき

Phrase3.png
posted by ろじ at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | ひと言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月01日

武部幹事長の「公認の証拠」を過去の記事に見る

家にたまたまあった古い新聞の見出しに、「自民、堀江氏擁立固める」とある(2005年8月17日朝日新聞夕刊)。

ライブドアに強制捜査が入り堀江容疑者が捕まると、自民党の武部幹事長は、選挙でホリエモンに協力したことについて、「自民党は公認していない」「私が個人的に応援に入っただけだ」と釈明するのに躍起になっている。

ついこの間の読売新聞の記事では、自民党は政府保証を与えなかったと一生懸命だった。
こうした動きに武部氏は、「選挙応援は個人としてのものだ。謙虚に反省すべきは反省する」としながらも、憤懣(ふんまん)やる方ない様子。竹中氏も、閣議後の記者会見で、「堀江氏がやってきたことに、選挙応援で“政府保証”を与えたとは考えない」と強く反論した。
(1月24日21時54分更新)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060124-00000114-yom-pol
ああいったこういったという事実確認なら、たんに古い記事を調べてそのツジツマを確認していけばそれで決着するはずなのに、なぜメディアでもこんなに議論が長引いているのかわからない。

上の8月17日の記事には
「自民党は17日午前、ライブドアの堀江貴文社長を次の衆議院で公認する方針を固めた。党執行部が目玉候補の一人として立候補を要請し、17日までに堀江氏から自民党公認による前向きな意向が伝えられた」
とある。結局、公認は見送られたようだが、「党執行部が目玉候補の一人として立候補を要請し」たのは事実らしいではないか。もちろん、この記事が事実でなかった可能性もあるが、その後の候補者擁立の展開は、まさにこの流れの延長線上で行われてことは周知の事実だし、新聞がこれを訂正したということも聞かない。

念のため、8月17日前後の新聞記事を調べてみると、衆院選の目玉候補としてこの堀江容疑者に立候補の打診をしたことは、小泉首相もプッシュしていたことは明らかであるようだ。
2005年衆院選:小泉首相「堀江・ライブドア社長は改革派」−−出馬受諾に期待感
 小泉純一郎首相は16日夜、自民党が衆院選の目玉候補としてライブドアの堀江貴文社長に立候補の打診をしていることについて「新しい時代の息吹というのかな。何か雰囲気を感じますね」と述べ、堀江氏が受諾することに期待を示した。さらに、堀江氏は改革派だとの認識を示したうえで「反発もあるけど『時代の変革なのかなあ』という気がしますね。ああいう方が政治に意欲を持ってきたというのは」と語った。記者団に答えた。
毎日新聞 2005年8月17日 東京朝刊
武部幹事長は、公認しようとしたけど「その気はありませんでした」と言うんだろうか。これにかぎらず、日本は、何か言っても「その気はありませんでした」というのが多いような気がする。

「ああいったけど、実はその気はなかったんです」。なるほど・・・、
うっかり立ち聞きしてしまったけど、その気はなかったんです、
と同じ論理か。たしかに痴漢にそういうやつ多いような……。「触ってしまったけど・・・」。もちろん幹事長は痴漢じゃないが。むしろ、「見てしまったけど、その気はなかったんです」「そのお菓子食べてしまったけど、そのつもりはなかったんです」「ロケット発射してしまったけど、そのつもりはないんです。知りませ〜ん」てか。
posted by ろじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。