2006年04月29日

海外修業

アメリカでしばらく苦労なさっていらした若者と、酒を飲む機会があった。

「日本で就職活動していると、年配の方と話す機会があって、いろいろ言われます。まさに、上から叱られ諭されって感じなんですが……。いろいろおっしゃいますが、どうもねえ」と若者。
「結局、海外でのこちらのした苦労など、分かってないということですか?」と、おれ。

「そう、向こうで下積みからやっていたシンドさなんて、決してわかってもらえないと思いますよ。日本の特に偉いおじさんなんか、とくに社会や世界を判ったようなこと、おっしゃるんですけどね――」
「自分の洗濯もできないくせに……ねえ。奥さんが用意したネクタイとワイシャツ着てね。たしかに、そういう『人の道』とか説くやつ、向こうに連れて行って、短期の旅行でなく、一年でも二年でも独力で生きてみたら、って言いたくなるよなあ」

日本には、“人生訓おじさん”がウンザリするほどいる。年功序列の延長線、男尊女卑と、さして違わないメンタリティー。

隣では、盃を片手に若い女が男に日本の会社での苦労話を訴えながら甘えている。男は、わけ知り顔に人生いかに生きるのが大変かを諭していた。人生訓おじさん予備軍が、こんなところにもか……。
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2006年04月27日

文尾

あいも変わらず、ニュースでまで
文の語尾を上げて読んで――
「日本語の破壊」へ向けてプロジェクトXか、NHKよ!
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2006年04月25日

「日勤教育で苦痛」JR西の運転士ら提訴へ

日勤教育を受けたJR西の運転士たちが、JR西日本を提訴した。この愚劣なシステムの全貌を知らしめるためにも、裁判の場で明らかにして欲しいと思う。
参考: 無用独語 脱線事故の背景(JR西日本の体質)
「日勤教育で苦痛」提訴へ JR西の運転士ら264人JR西日本労働組合(西労)は25日、所属する運転士ら264人が懲罰的な「日勤教育」で精神的苦痛を受けたとして、JR西日本に対し1人100万円、計2億6400万円の損害賠償を求め、27日に大阪地裁に提訴することを明らかにした。(共同通信)
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=HKK&PG=STORY&NGID=soci&NWID=2006042501003956
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060425-00000236-kyodo-soci
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2006年04月24日

小泉政治の5年間

小泉政権が26日で5年となるという。

考えるに、つくづく悪政だと思う。いや、よさげに見えるオブラートにくるまれた“悪政”。「構造改革」の謳い文句は良かったが……。

改正を約束した議員年金問題は、結局、実質上、温存されたままになった。道路公団民営化も、ついにはすべての道路が最初の予定通り造られることになった。それにまつわる天下り問題はいっこうに解決しない。地方のインフラを利益誘導に使う選挙や政治の仕組みは、まだまだ続いている。

金融問題は、体質が本質的に依然と変わらぬように見え、おかげで国民の間には、重大な格差が進行した。失業率は5%前後の高水準で、「ニート」に代表されるアルバイト(非正社員)を労働力に組み込むシステムを野放しにしてきたため、潜在的で実質的な失業率はもっと高いだろう。しかも、政府は、その「そこにある格差」を認めようとさえしない。生活保護受給世帯は、初めて100万世帯になろうとしている。弱者や障害者に対する公的な支援策も、カットされるばかりだ。

国外問題に目を向ければ、アジアとの関係はいっこうに良くならず、悪くなるばかり。みずからの靖国参拝が続くため対外緊張を引き起こしても、外交に関しては「自分のことはすべては自国が決めること」と、外交問題という「関係の上に成り立つ政治」がまるで分っていないようなことを平然とおっしゃって、またアジアの神経を逆なでする。このことに関しては、お得意のワンフレーズでしか受け答えせず、「説明責任」を完全に無視している。そのくせ、対アメリカに対しては、かなりブッシュ大統領の意向を尊重してきた。

昨日の千葉補選では自民党が負けたが、この国民が小泉政権を見限ったとは思えない。先の選挙で、せつな的な楽しみを好み深い考え方をしない国民が、「劇場型選挙」とよばれる自民党政治を選んだと言われた。この国民の思考回路はそう簡単に変わってはいないだろう。そうだとすると、まだまだ「劇場型選挙」を好むと思う。明日また国政選挙があれば、オバちゃんたちはまた「純ちゃ〜ん」としりを追いかけるだろう。

楽しげに見えるオブラートにくるまれた「悪政」。もちろん、見抜くのは民の力だが。
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2006年04月23日

野茂選手とオリックスの交渉破綻の原因

野茂選手の代理人、ダン野村氏が、野茂と日本の球団オリックスとの交渉のいきさつについて書いている。
ダン野村コラム 第8回 オリックスとの交渉について
http://ballplayers.jp/column/cat6/

実は、ダン野村氏については、これまでの大リーグとの交渉の方法などをめぐって、ミックス・フィーリング、いやはっきり言って否定的な印象が強かった。しかし、氏の日本野球についての、歯に衣着せぬ(そして妥当と思われる)コミッショナー批判などを読んで、印象が変わってきた。

今回も、オリックス球団の交渉ぶりの杜撰(ずさん)さを指摘する視点は、しっかりしているように見える。

コミッショナーからの要求も拒否して野茂選手を「任意引退」のままに留め、その保有権を保持し続けるオリックス・バファローズ球団の体質、そのGM補佐である小林氏の態度、球団社長の小泉氏の姿勢とふるまい、もし、ここに書かれたことが本当なら、まさにゆゆしき事である。

野茂選手が二度と日本でプレーしたくなくなったのも、よく理解できる。そしてそういう日本球団の体質こそ、多くの素晴らしい選手・野球人を海外に流出させてしまう原因だろうと思う。
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2006年04月20日

未踏の分野

床屋で主人に頭を刈られながら、発明の話になった。そして、おきまりのように日本人はあまり独創性がないということになり、さらに、世に出た発明品・改良品の多さに話がおよんだ。

「こんなにいろいろ便利なものができて、もう、あと欲しいものはないんじゃないですか」と、おれ。「あとは、空飛ぶ自転車とか、どこでもドアとか――」
すると主人が
「毛生え薬ですかね。売れますよー」
と、ニヤリとした。

なんでも、最近、あの人気毛生え薬「ローゲイン」の後にアメリカでできた薬が日本に入ってきたという。しかし、日本の厚労省は、そのままではなかなか認可しない。結局、薄めて売ることになったのだそうだ。

「競争がある分野は、政府への圧力がすごいんじゃないですか?」と、匂わせてみると、主人は、
「そうですねー。たとえば、かつらのアデ○ンスなんか、いい毛生え薬が売れたら嫌ですからね。そりゃ、いろいろあるんでしょ」と、さすがに、その業界に詳しそうに言った。
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2006年04月14日

夕刻の桜狩り

 先日、高尾山に山桜を見に行った。もう日も暮れ始めた頃で、人気はほとんどなかった。

 その数日前に、四谷から飯田橋あたり線路沿いの夜桜を見に行った。桜は満開であったが、その花の下で行われていることには驚いた。手ごろな場所をという場所を、酒宴の座が占めていた。コンロやガスバーナーを持ち込んで宴会をしているだけならまだしも、その騒ぎようは尋常ではない。

 近くに大学があるためか学生の騒ぎ振りが目に余るのだが、サラリーマン風の大人たちも、それに負けず大変なはしゃぎようだ。ホームレスが酒宴で余った酒を瓶からじかに飲んでいたりして、‶戦場″の感があるが、年に一度の「花の宴」とはいえ、社会人たちはさらに醜悪に見えた――。

 高尾山の麓についた頃には、ちょうどほとんど最終に近いケーブルカーが出たところであった。あと数時間で陽も沈むのに、高尾山の山頂目指して歩くわけにもいかない。代わりに、すぐ近くにある稲荷山とかいう小さな山をブラブラと登る。

 名前は「山」だが、高尾に比べれば、これはちょっと高めのコブでしかない。しかし、登ってみると、いまのおれの体調にはかなり歯ごたえがあった。恥ずかしながら、足元がフラフラする。やや汗ばんできて、休んで腰を伸ばすと、頭の上に山桜が咲いていた。茶色の葉っぱを交えて、素朴な佇(ただず)まいである。
桜狩り奇特や日々に五里六里
吉野の西行庵に行く途中、山脇の崖沿いを下りて行く小径(こみち)の入り口に、芭蕉のこの句が立っている。芭蕉は西行を敬愛し、西行の行程をたどることで自分を見つめ直そうとしたという。その途中で、道ばたの桜をこのように詠んだのだろう。

 「まったく、桜見物とか称して、殊勝なことに、よくもまあ毎日毎日、こうして五里も六里も飽きもせず歩きまわることよ」と、桜に憑かれた自分、そして同じく桜を愛した西行に憑かれた自分を省みて苦笑し、自分の人生を自嘲しているのだろうか。45歳の作という。

 稲荷山は、単なるコブだから、山頂もどこだかよくは分らない。しかし、「山」のてっぺんとおぼしき辺りからは、まわりに咲く山桜が清楚に咲いているのが見える。向かい側の山肌にも、山桜が茶色く広がっている。

 ここでもおれは独りだが、風雅な一人歩きはエネルギーをくれる。
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2006年04月12日

日本の新聞の不思議なこと

ずっと昔から、日本の新聞を読んでいても分らないことが多いと感じていた。

アメリカに暮らしていた何年かは、もちろん、あちらの新聞を読んでいた。アメリカ新聞メディアの、ある出来事が誰によって、どうして、どのように起こったのかを説明しようとする姿勢(いつも上手くいくわけではないし、そうしない地方紙なども多いが)に慣れてしまうと、帰国してから読む日本の新聞のスタンスが不思議なものに見えてくることがある。

今回、将棋の名人戦が、主催契約を来年度以降、毎日新聞のから朝日新聞に移すことにしたという。しかし、記事を読んでも、そもそもなぜ毎日新聞をの契約を更新しないことにしたのか、毎日新聞のどこに問題があるのかは、はっきりと書いてなく、まったく分らないのだ。
名人戦「契約更新せず」 将棋連盟が毎日新聞社に通知(4月12日)
http://www.asahi.com/shougi/news/TKY200604120367.html

事実を全部伝えないのは、同じ業界のことだからではない。こんな報道はしょっちゅうである。最近のスケート連盟のスキャンダルしかり、富山県の射水市民病院での末期患者の人工呼吸器が取り外し事件しかり(なぜ後になって「取り外しをお願いした」と言い出す遺族がどんどん出てきたのか)。事実を全部伝えないこうした報道姿勢が、週刊誌にネタを提供する“温床”になっているようだ。

新聞以外のメディアと一緒でなければ事実が分らないなんて、まったくイライラするし、“誇張癖”のある週刊誌に頼らなくてはいけないとは、そもそも不健全だと思いませんか。
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2006年04月10日

プロ

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グジュグジュ言わない
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2006年04月09日

メキシコ社会の格差問題

週末の武道の稽古で同じクラスの外国人、HECTOR君は、メキシコ人だ。HECTORは「エクトル」と読むそうで、愛称は ECO(エコ)と、環境にやさしそうな名前である。

稽古後の帰り道、エクトル君と一緒になった。

エクトル君は、歩きながら周りの高級マンションを見上げた。
「これは良い家ですね」
「うん。でもここみたいに良いところばかりではないですよ。もっともっと小さくて貧しい人もいます」
「そうですね、東京は、金持ちとそうでない人の差が激しいです」

「メキシコはどうですか」と訊くと、こんな話をしてくれた。
近年、地方の多くの農民たちがやって行けなくなった。仕事を見つけたくて都会に出てくる。地方から出てきたものの、都会ではまだ仕事がない、そんな時にはまともな所には住めず、スラムのようなところに暮らしている。だから、メキシコシティーのような都会では、金持ちと貧しい者の差が歴然としている。

「そんな時、アメリカに行ってオレンジを摘んででもお金を稼ごう、と思うのは自然ですね。それでも、かなりのお金になるのですから。都会にいるより、ずっとマシですから」
「いまアメリカで大騒ぎになっている移民法は、どう思いますか」
「現実を考えると、かなり強引ですよね。すでに何百万人もいるのですから。ブッシュさんは、メキシコ政府が自分の国に仕事を作るべきだ、って言ってますが」
「これまで、まるきり移民に頼っていたのにね」

エクトル君は、何を考えているのか、静かな顔つきだ。
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2006年04月08日

スリの「ハッピーワールド」

先日の朝の出勤時のことである。日暮里駅かどこかで、スリ集団が捕まった。その時、容疑者たちが催涙スプレーを撒(ま)いて、駅のホームは騒ぎになった。
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060406k0000e040041000c.html
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20060407k0000m040161000c.html

そのニュースを、朝の報道番組が伝えていた。スリグループは韓国から来たプロだそうだ。催涙スプレーどころか、刃渡り20センチ以上の刺身包丁を所持する武装集団であるという。

そのニュースで気になったのは、グループの言ったというコメントだ。先進国の中でも日本に来るのは、それなりの訳があるという。日本人は、金をたくさん持っている上に、「無警戒で、弱く、軽い」と言うのだ。

「弱く、軽い」というのがどういう意味なのかは説明していなかったが、よく分るような気がする。女の子は派手な身なり。バッグなども無警戒に振り回す。男も、まわりに注意を払うことがほとんどない。そして、一様に携帯電話に夢中だ。

「危険」という観念がないようにみえる。だから、楽天的というより無垢な感じさえする(話などをしていると、それが妙に鼻に付いて苛立ったりするのだが)。外国で日本人が犯罪のターゲットになるのも、うなずける。

ニュースもメディアも、安全を脅かすような社会的な事件がおきなければ危険を決して問題にしない。社会がある以上、人間の作り出す危険というものがあるという前提がない(この国の耐震構造を取り締まる法律などは、その好例かもしれない。国は「性善説に基づいている」などと言ったものだ)。この国にひさしぶりに来た時には、この国は事件など決してない「ハッピーワールド」かと思ったものだ。

スリにとっても「ハッピーワールド」なのかもしれない。
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2006年04月05日

スポーツマンシップ

昨日の甲子園での高校野球の決勝。横浜が21対0で清峰を破った。

横浜は9回の攻撃ですでに21点を得ていたが、1塁に出たランナーはすぐに2塁そして3塁に盗塁を続けた。

高校野球大会はスポーツマンシップがやたら強調されるが、ほぼ勝負がついた試合でこういうアグッレッシブさが「スポーツマンシップ」や「フェアプレー」に適うのかは、疑問が残るだろうな。「スポーツマンシップ」は、あの松井が5打席連続敬遠された時にも議論されたが、この場合はそのときと違って勝負がかかってはいない。(まあ、野球産業化した高校野球に「スポーツマンシップ」を求めるのは、もはやアナクロかもしれんが。)

横浜の監督は、「それでも負けるかもしれない」と言うだろうか。ちなみに、大リーグでは、これだけの点差でそういうプレーをすると相手チームにかなり根にもたれることになる(たいていは、次の試合で打席に立てばボールをぶつけられるだろう)。

「武士の情け」という意味での「スポーツマンシップ」は、むしろアメリカ大リーグの方に馴染み深いらしい。
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2006年04月04日

自己満足?

 先日、卒業した大学を訪れた。そこで、掲示板に「ボランティア募集」の張り紙を見た。それで思い出した。学生の頃、ボランティアのようなことをしていた。ひとに自分がそういうことをしていることを伝えると、「そりゃジコマン(自己満足)のためなんだよな」と、(たいていは酒の場で)説教する先輩や先生がいた。

 しかしよく考えてみると、短期的であれ長期的であれ、自分の満足のために何かをしない人がいるのだろうか。会社で一生懸命働いていい役職に就いたり退職金を多くもらおうとしたりするのも、大学の先生が論文をたくさん書こうと努力するのも、良い服を着たり化粧をしたりして(別に誰かの気を惹くというのではないが)まわりに好印象を与えて自分の身の置く環境を良くしようとするのも、誰かに何かをあげて好意を得たり喜ぶ顔が見たいのも――そのゴールが目の前のものであれ、先のことであれ、とどのつまりは自分のためである。

 それを「自己満足」と呼ぶのが悪ければ、広い意味で「自己愛」だろう(人間が根本的に持つ「自己愛的傾向」については、中島義道著『悪について』が詳しい)。それが悪いといっているのではない。程度の差はあれ、誰でもそれはあるだろう。「自己愛」のワナに絡め取られているのは、他に自己実現の手段がすぐに見つからずボランティアをしてしまう、貧乏な学生だけではない。

 それを、上のような説教ができると思っているのはなぜなのだろう。それを考えながら説教する当の本人の論理的根拠を一枚一枚剥がしていくと、とどのつまりその根拠は、説教をたれている者が年上だったりある職についていたりすることに尽きるのである。

 こういう権威的な論理を振り回す輩が、嫌いである。
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2006年04月02日

映画『マンダレイ』

あの問題作『ドッグヴィル』を作ったラース・フォン・トリアー監督の続編『マンダレイ』を観た。
http://www.manderlay.jp/

この新作は、じつにストレートに人種問題(黒人奴隷問題)を扱っている(アメリカ人なら、「近寄りがたいほどストレートすぎる」というだろう)。アメリカの小さな村の閉鎖性とそれと密接に結びついた人間性を描いた前作に比べて、今回の作品は、映画のボキャブラリーがはるかに単刀直入で、そのメッセージも明快あるいは衝撃的だと思う。

若い白人女性グレースは、とつぜん訪れた村マンダレイに70年以上前になくなったはずの奴隷制度を目撃し、使命感からかかわっていく決心をする。「平等で美しい民主主義」を掲げるグレースの方法は、ナイーブ(英語の意味で)で理想主義的で、目の前で起こっている現実を拾えないという点で表面的だ。かんたんに言うと、お嬢さまの非現実的夢想に近い。彼女には、<できること・言えること>と<できないこと・言えないこと>の微妙な差異が見えていない。差別や伝統的制度の日常は、そういった微妙なことの集積なのに(その鈍感さは、外国での少なからぬアメリカ人の振る舞いを思わせる)。

村に新しく導入された多数決にもとづく「民主主義」は、時に滑稽(こっけい)な決定や残虐な結果をもたらしてしまう。そして、映画の最後には、グレースの表面的なものの理解をあざ笑うような重い現実が突きつけられる――。

それぞれの場面のつながりが強い説得性を持ち、奴隷制に置かれてきた者の“論理”とグレースの説く民主主義の“あやうさ”の対立があぶりだされているようで、そしてまた、それぞれのエピソードに様々な人間的悲劇が孕(はら)まれていて、実におもしろかった。グレースの真剣な試みが上滑りするという点では、一種のコメディであるが、同時に、人種問題が持ってしまった避けられない重さを突きつけた悲劇でもあると思う。

脚本も担当したトリアー監督は、プログラムに掲載されたインタビューの中で、国民と国家は民主主義へと成長していかねばならない、と言う。しかし、「民主主義とは最もきちんと教育された個人を要求する社会なのだ」とも。つまり、そうでない国民が民主主義を行使すると、どんな愚策も決定してしまうかもしれないということなのだ。そこには、イラク戦争に突入させたアメリカ政府や国民への非難も、たしかに読みとれるかもしれないが、その含意はもっと深いかもしれない。

トリアー監督は
「人はまたこう言うこともできるだろう。自分の映画の中では、僕は一般的に本当の人間よりも少しばかり愚かな人間を作り出していると。とにかく、彼らは自分が非常に賢いと考えているにもかかわらず、愚かな人間なのだ。彼らが黒人であろうと白人であろうと、彼らは全員愚かであり……それに歯向かう法律がきっとあるはずだ」
とも言っている。確かに、それはコメディーだ。しかし、民主主義に参加している人びとが少しずつ愚かであるがために民主主義がうまくいかない時、それは、純粋にその人たちだけの問題だろうか。人びとの質によっては機能しなくなる“メカニスム”、人びとを向上させない“社会的装置”(アメリカの「民主主義」は昨日今日出来上がったわけではなく長い歴史があるが、今回のイラク戦争で人民が熟してないことが露呈された、という非難がある)は、それ自身、良い政治システムといえるだろうか……。

デンマークという国についても、トリアー監督は、同じインタビューで興味ある発言をしている。
「デンマークでは、我々には一度も人種の問題がないと言われている。僕が子供の頃、デンマークには一人も黒人がいなかった。(中略)その後、人種差別がその醜い様相を現してきた。その意味では、『マンダレイ』はデンマークのことでもある、おそらくね」。
最近の事件にも関係するが、デンマーク人は、人種問題について思ったより不器用なのかもしれない。

最後に自己批判。以前、映画『ドッグヴィル』を観た直後に、このブログに印象を書いたが、情けないほど(!)表面的で上っ面な感想でした。
http://dokugo.seesaa.net/article/1812540.html
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2006年04月01日

ダイヤモンドと虐殺

ナイジェリアに亡命中だったリベリアのテーラー前大統領が29日夜、シエーラ・リオン(シエラレオネ)に送還された。このテーラー氏は大統領をしていた時に、シエーラ・リオンの内戦で虐殺にかかわったとされており、同国の国際戦犯法廷に起訴されている。被告として裁判にかけられるのだ。
http://www.asahi.com/international/update/0330/011.html

シエーラ・リオンの内戦は、とくに残虐で有名で、シエーラ・リオンのゲリラは、民衆を恐怖に陥れるために、大きなナタで人々の手足を切り落としたりしたのだ。

その内戦には、この地の特産であるダイヤモンドの権利が絡んでいるはずで、そのことをかつて書いたことがある。それには、日本でも有名なダイヤモンド会社や多国籍企業も絡んでいる。
(参照:「血にまみれたダイヤモンド」の話
http://dokugo.seesaa.net/article/1812300.html
http://dokugo.seesaa.net/article/1812301.html

これは日本ではまったく報道されないが秘密の事実でもなんでもなく、アメリカでは、ちゃんとメディアで報道されているのだ。
(リベリア内戦とダイヤモンドの関係について日本語で述べているものとしては、Googleで検索すると、次のが比較的詳しく述べているサイトのようである。その政治的立場はどうあれ。
「テイラーの大統領辞任と米仏多国籍資本の抗争」
http://www.jrcl.net/web/frame03825g.html
国際アムネスティーでも前大統領の送還が訴えられていた。
http://web.amnesty.org/library/Index/ENGAFR510072005
リベリア前大統領の身柄、ナイジェリアが引き渡しへ
 ナイジェリア政府は25日、同国に03年から亡命しているリベリアのテーラー前大統領を、リベリア政府に引き渡すとする声明を発表した。反政府勢力を率いて89年に蜂起し、97年に大統領になったテーラー氏は、隣国シエラレオネ内戦で同国の反政府勢力を支援。その見返りに、違法採掘されたダイヤモンドを受け取っていたなどとして、内戦中の残虐行為を裁くシエラレオネの国際戦犯法廷に17の罪状で起訴されていた。

 テーラー氏はリベリアの内戦が激化した03年に退任し、亡命した。この間、ダイヤモンドの売買を通じて、国際テロ組織アルカイダとの関係を深めたとされ、米国が戦犯法廷への身柄引き渡しをナイジェリア政府に求めていた。身柄の拘束方法や移送の時期は不明だが、リベリア政府は同氏をすぐに国際戦犯法廷に引き渡すとみられる。(3月26日)
http://www.asahi.com/international/update/0326/005.html
ただ、つい先日30日、リベリアのテーラー元大統領を収監しているシエーラ・リオン特別法廷は、国際刑事裁判所およびオランダ政府に対し、フリータウンで元大統領の裁判を実施するのは安全面で問題があるとし、ハーグに場所を移しての裁判を許可するよう要請した。
http://www.unic.or.jp/mainichi/mainichi.html
posted by ろじ at 23:24| 東京 ☀| 国際・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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