2006年05月30日

大臣賞の洋画家和田義彦氏に盗作疑惑

画家ゴッホやモジリアーニの、今や天をつくような高価な絵も、かつては二束三文でも買ってもらえなかった。ということを思い起こすまでもなく、この世で、絵画の評ほど当てにならぬものはない。

――と、つねづね、芸術批評家の書くものを「なんだかなあ」と思っていたクチとして、思わず溜飲が下がるような事件が起こった。

かつて大臣賞も受けた洋画家和田義彦氏に、盗作疑惑があがった。
芸術選奨の画家が盗作? 文化庁が調査に着手
洋画家で05年度の芸術選奨(美術部門)を受賞した和田義彦氏(66)について、文化庁が発表作品に盗作の疑いがあるとして調尊していることが29日分かった。
 文化庁によると、和田氏の「母子像」(96年)など複数の作品が、イタリアの具象画家アルベルト・スギ氏の絵と構図や色合いなどで似ているという。和田氏の作品は昨年、三重県、東京都、茨城県内で開かれた「ドラマとポエジーの画家 和田義彦展」への出品作が中心。同展は芸術選奨の受賞理由となっていた。
しかしそれにしても、サンスポに載った二人の絵は、朝日新聞なんかよりはるかに似ている。なかなかやるぜ、サンスポ!
http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200605/sha2006052905.html

しかし、分からないのは、とっくの昔に作成された絵画について、なんで今頃、密告が行われたのだろうか。いや、絵画界の重鎮たちや、高名な批評家たちは、アルベルト・スギ氏の絵を知らなかったのだろうか??

和田義彦氏を持ち上げる評は、ネットですぐ見つかる。

松濤美術館で去年行われた展覧会の案内には――
「ドラマとポエジーの画家 和田義彦」
和田義彦は、・・・イタリア政府給費留学生として、ローマでイタリア古典絵画の模写研究を続け、スペインでも西洋古典技法を習得しました。その後も精力的に制作活動を続け、2002年に「想」という作品で、安田火災東郷青児美
術館大賞を受賞するなど、めざましい活躍を見せています。
 カフェなどに集う人々を主題に、高度なデッサン力、重厚な色彩感覚で、不条理・虚と実・エロス・生と死などさまざまな詩情を表現しています。
http://www.city.shibuya.tokyo.jp/news/pdf/20050801/p5.pdf
「和田義彦展」の開幕を告げる茨城県県政ホットニュースも、持ち上げている。
県つくば美術館「和田義彦展」が開幕【文化課】
「ドラマとポエジーの画家・和田義彦展」
和田義彦は、2002年に安田火災東郷青児美術館大賞を受賞し、今年も「両洋の眼展」で河北倫明賞を受賞するなど、近年の美術界において高い評価を得ながら、具象絵画の最前線で旺盛な活動を続けています。
 高度な絵画技術と的確なデッサン力に支えられた作品の数々を、ぜひご堪能ください。
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2006年05月29日

文楽『生写朝顔話』

 こんな時代でも、身を滅ぼすような恋に、ひとは憧れるんだろう。しかし、「美しい」のは、もろくはかない恋そのものか、あるいは、やはり恋に輝く女自身か?

 土曜日に、国立劇場で文楽を見てきた。
文楽・生ハ朝顔話1-large.jpg
出し物は、
義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)
  椎の木の段
  小金吾討死の段
  すしやの段
生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)
  明石浦船別れの段
  宿屋の段
  大井川の段

    生写朝顔話より  →

 『義経千本桜』では、人々のお目当ては義太夫の竹本住太夫だが、トリの前に出たせいか、全体的におさえた詠い。前回の2月公演『天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)』で「北新地河庄の段」をやった時の唸りも、カスレも、汗も見せなかった。
 しかし、おさえた中に、平維盛の苦悩や、いがみの権太の哀しい磊落(らいらく)さが浮かび上がる。さすがだ。人形では、いがみの権太を遣った吉田玉女さんは、軽薄さとそこに隠された決意の深さを、淡々となにげなくやってしまう。あれは、もう、玉女さんの確立したスタイルなのだろう。

 『生写朝顔話』では、現在では、朝顔(実は娘深雪)とその恋する男、阿曽次郎とのすれ違いの物語として語られることが多い。
 朝顔の人形を遣った、吉田蓑助さんの名人芸が楽しめた。深雪は、全身全霊で恋に身を捧げる娘である。阿曽次郎を追って旅に出るが、やっと出会ってときめいても、男はつれない。男は国元に大事な用があって彼女を連れて行くわけにもいかないのだ、なぞという。 深雪は、「あなたに添うことができないのなら、身を投げて死ぬ」とまで言い、ついには男も折れるが――。

 運命のいたずらは、手を休めることがない。すれ違いばかりで男を取り逃がし、その熱い思いはかなわない。深雪は、想い悲しみ泣きぬれて、ついには盲目となり、身を落とし、それでも男を捜し続ける。

 ある夜、阿曽次郎(いまや駒沢次郎左衛門と改名)の泊まる宿で、他人を装う男に所望され、歌をうたう。
「ハイハイ。唄ひまするでござります」と焦がるゝ夫(つま=男)の在るぞとも、知らぬ盲の探り手に、恋ゆゑ心つくし琴、誰かは憂きを斗為吟(といきん)の、糸より細き指先に、さす爪さへも八ツ橋のやつれ果てたる身をかこち、涙に曇る爪しらべ、『『露のひぬ間の朝顔を、照らす日かげのつれなきに、哀れ一むら雨のはらはらと降れかし』……。
その直後、やはり運命のいたずらが、二人を翻弄する。駒沢は宿を去る。もしやと朝顔は戻ってくる。が、駒沢は去った後であった。半狂乱になり大井川まで追ってくる。しかし、駒沢たちは既に川を渡ったあと。川を渡って追いかけたいものの川はにわかの大水で「川留」となっていました。
……笛のくさりを刎ね切って、名のみ流るる大井川、水の泡とぞなりにける。あとは枕に取りすがり、わっとばかり泣く深雪。露の干ぬ間の朝顔も、山田の恵みいや増る、茂れる朝顔物語、末の世までもいちじるし。
ストーリーはこちら。http://www.lares.dti.ne.jp/~bunraku/guidance/top_asa.html

 朝顔が、自分の感情を殺しつつ身の上話をし、その後、つい先ほど声を交わしたのが駒沢であると知って異常なまでに取り乱すという変化を、吉田蓑助さんは連続的に演じている。ちょっとこの取り乱し方は、そぐわないとも思ったが。

 今の日本、効率性やコストパフォーマンスなどばかりを追求して、自己保身にあくせくする女性が多くても、身を滅ぼすような単純な恋は、己を破滅させない限り、観てみたいものなんだろう。日本になければお隣の国から借りてきても。
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2006年05月28日

元エンロン会長らに有罪評決

アメリカで不正会計事件をおこした、元エンロン会長らに有罪評決がおりそうだ。

これは、歴史上類を見ないとされた証券詐欺罪事件であった。2001年に発覚した米エネルギー大手エンロンの巨額不正会計事件に関して、創業者の元会長のケネス・レイ被告にどんな判決が出るか注目されていたのだ。

そのスケールの大きさ、政界への影響力、事件で(無常に)職を奪われた職員たちの多さ、などで注目を浴び、なにより元エンロン会長のその図々しさで国民の怒りを買っていた。

最近は日本でも、例のライブドアのホリエモンに関する事件が、「エンロン事件日本版」などと呼ばれ、ライブドア事件との類似性も注目されていたものだ。

エンロンの判決、よくフォローしていない。が、有罪判決というのを聞いて、アメリカかの市場中心主義にも、良心というものがあったか、とホッとさせられる。
元エンロン会長らに有罪評決 禁固数十年の可能性
01年に経営破綻した米エネルギー大手エンロンの巨額不正会計事件で、米テキサス州ヒューストンの連邦地裁の陪審は25日、実質的な創業者で元会長のケネス・レイ被告(64)と元最高経営責任者(CEO)のジェフリー・スキリング被告(52)に対し、有罪の評決を下した。ともに数十年の禁固刑が言い渡される可能性がある。

 エンロン事件は、その後のワールドコム事件など一連の米企業不祥事の象徴的な事件で、企業統治に対する規制強化の大きなきっかけとなった。

 評決では、レイ被告は証券詐欺、共謀など6件すべての罪で有罪。28の罪に問われたスキリング被告は証券詐欺などの罪で有罪だったが、インサイダー取引関連の一部の罪は無罪だった。評決を受けての判決は、レイ被告に対する銀行詐欺罪についての別の裁判を待って言い渡される予定。両被告とも無罪を主張しており、控訴する見通しだ。

 起訴状などによると、両被告は99年から01年にかけて、損失隠しや利益の水増し報告によって投資家をだまして株価をつりあげる一方、経営実態が悪化を続ける状況下で自らの保有株を売るなどして巨額の利益をあげていた。
http://www.asahi.com/business/update/0526/001.html
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2006年05月26日

メルアド

パソコンの入力システム(MicrosoftIME)を使って「やきゅう」と打ち込むと、「メルアド」と出てしまう。

本当である。別に辞書に記憶してるわけではない。
なんでだ??
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2006年05月25日

エドワード・サイード『OUT OF PLACE』

先日、エドワード・サイードについてのドキュメンタリー映画『OUT OF PLACE』を、御茶ノ水アテネ・フランセで観てきた。

エルサレム、エジプトのカイロ、レバノン、ニューヨークと「常に彷徨い続けた」(と本人は思っていた)人生ゆえに築き上げられたその思想を、各地の映像と家族・友人たちの証言でつづる。

彷徨い続けたがゆえに身についた、ものを見る視点の非固定化・多層性・流動性が、彼の思想の核となり、異文化を語る姿勢を支えたのだと思う。

最後のほうで、レバノンへと移動する車からの映像にかぶせて、彼の著書『OUT OF PLACE』(邦訳『遠い場所の記憶 自伝』)からの引用がされる。
私という自分というものは、いくつかの旋律がより合わさった流動体のようなものだ。それらの旋律のうちどれかが主調音になっているときは、調子がいい。このように自分というものをみなせば、西洋思想にあるように確固たるひとつの自我、個を前提しなくてもよくなる。
そんな意味のことだった。まさに、そのとおり。そんな「おのれ」の形成の仕方があってもよいと思う。
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2006年05月24日

映画『ダ・ヴィンチ・コード』の評判

マグダラのマリアは多くの絵に描かれてきたが、その姿があまりに美しく描かれてきたので、もしかしたらイエスは……なんて思ったものだ。

そんな考えを、以前、この無用独語で、ラ・トゥールの絵について書いたことがある。
http://dokugo.seesaa.net/article/3500023.html
ラ・トゥール(La Tour)展 あるいは、聖なる絵画の女の面影
「聖なる絵」でありながら、女の生々しさと精神性が同時に現れているのが心に残っていた。
この絵には、似たようなのが他に2枚ある。

これは、「罪深く石持て追い回すべき」マグダラのマリアではない。むしろ、美しく、繊細で脆い愛すべきオンナとして描かれている。それは、この女に対するラ・トゥールの愛情なのか、はたまた、もしやイエス・キリストの抱いた感情なのか――それは、ダ・ヴィンチの「モナリザ」に秘められた神秘と同じ種類の謎なのかもしれない……。
さて、それを膨らませたようなのが、このダン・ブラウンの小説『ダ・ヴィンチ・コード』。非常に面白い!よく推理小説では間ぬけな警部なんかが出てきて、話が安易にデキすぎていることが多い。「おいおい、そんなことも気がつかないんか、逃がしちゃうんか。ちょっと作家さん、そりゃあないだろ」てな感じになり、作者の手抜きさ、あんちょこさにがっかりして、それ以上読む気がしなくなってしまう。

やはり、推理小説は、読者の理解を超え、読み進めるにつれ頭に広がる推測を凌駕するスピードでなければオモシロクない。その点、この小説『ダ・ヴィンチ・コード』は、どれも皆それなりにキレ者でモノわかりも良い。おかげで、謎が繰り広げられるスピードが、ワクワクするほど早くなっている。

映画化されたと聞いて胸躍ったが、監督がロン・ハワードと聞き、正直いってがっかりした。どうも、アメリカ的な意味でエンターテイナーすぎで、掘り下げがないのじゃないか――。

と思っていたら、カンヌでは、評価が分かれたらしい。

「ダ・ヴィンチ・コード」鳴りやまない拍手
冷たい反応が目立った前日のプレス試写とは一転。上映後はスタンディングオベーションが起きる盛り上がりぶりだった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060519-00000062-sph-ent
前日のジャーナリストや批評家たち向けの上映会では、さんざんだったらしい。
 トム・ハンクスが演じるロバート・ラングドンが、誰がイエスの子孫とみられるかを明かす重要な場面で、観衆は失笑をこらえきれなかった。タイムズ・オブ・インディア紙の記者は「ハイライト場面で笑いが起きた。大きな笑いでなく忍び笑い。それがすべてを物語っている」と話した。
 英国のラジオ記者は「本当に失望した。会話が下等だ。演技は悪すぎるというほどではないが、映画は原作ほどには良くなかった」と語った。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060517-00000035-jij-ent
「会話が下等」そうなんだよなぁ、この監督のは、会話が気が利いてないどころか、深みがあんまりないのだ。まあご本人のお考えでは、エンターテインメントなら深い会話も要らないということなんだろうが、つまりは、この映画にエンターテインメント以外のものを求める観客はどう思うかですかね。
「ダ・ヴィンチ・コード」評価低調=「小説の世界実現せず」−仏
上映終了時に、会場では通常好評の作品に送られる拍手が一切なく、不満足だったことを示す口笛さえ一部で聞こえた。映画ジャーナリストは「小説の精緻(せいち)な世界を実現していない」などと批判的なコメントを口にした。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060517-00000142-jij-int

「ダ・ヴィンチ」ピンチ!?カンヌ賛否両論
「大味な米国的娯楽作品」(カナダ人男性)など批判的意見もあった。
「エピソードを詰め込んだ長い映画。人物が非現実的」(ガーディアン紙)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060519-00000082-nks-ent
アメリカやアジアでなどでは、そのイエスキリスト(の聖性)の扱いに反発して上映中止の意見も出たそうだが、おれとしては、その質に異論を唱えたいかなあ。
posted by ろじ at 19:43| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化・芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月23日

日食

あれは何年前のことだったろうか。アメリカで、日食を目撃する幸運があった。

それは寒い冬だったが、その日、おれは、何かの都合でかなり落ち込んでいて、家から出る気もしなかった。とりあえず日食を目撃しようと、南向きの小さな窓から見あげると、たしかにお日様は三日月形に欠けていたのだった。しかし、何の感慨もなかった。欠けたものが美しい……。

夕方、外に出ると、とおりの向かいの家に住む小学生のサムが、ひとり、家の前の階段に座っていた。

サムの両親は離婚していて、母親と一緒に住んでいる。母親には愛人がいるらしく、時々、週末や夜に、家の前に見慣れない車が停まっていた。そんな時、サムは、ひとり家を出て、階段に座っていることが多かった。

日食のあった日の夕方、サムは、いつも乗り回しているローラーボードを抱えて、寂しそうに座っていた。彼に近づいてくと、こちらを見上げた。
彼は、何も言わなかった。
おれも何も言わなかった。

やがてサムが口を開いた。
「ねえ、日食、見た?」
「うん」
彼は、悲しみと寂しさに負けまいという目をして言う。
「欠けていた?」
「うん」

「ねえ、日食、きれいだった?」
そう、もう一度言って、サムはひざの中に顔をうずめた。欠けたものも、時には美しいのだろうか。
遠くの家から、家の中に飼われているらしい犬の鳴き声が聞こえていた。
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2006年05月22日

言葉遊びの会話

どうも、日本人の評価というのは、着ているものに大いに左右されるらしい。おれは、週末などは、汚いジャンパーを着ていることが多いので、うさんくさい目で見られることが始終である。でなければ、ガスか水道の点検師と間違われる。

さらに、日本人同士の会話というのは、身分や肩書きなどに左右されて、あまり出会いそのものを楽しむ活気あるものにはならない。アメリカにいても、多くの日本人が、出会った瞬間に「ご出身はどこの大学ですか」とか「どちらにお勤めですか」と訊くのである。帰属確認症(と呼んでいた)の根は、よほど深いらしい。

しかも、日本人は、どこに行っても“新顔”に対して、これでもかというくらい威張り散らす。滑稽なくらいである。もちろん、外国人がそうしないのは、自らがこの国でそうしたことを経験しているからであろうが。

日本にいても、その場その場の出会いを楽しめるのは、どうやら外国人同士らしい。

一昨日、武道の稽古で、昔一緒に稽古したパトリシアに久しぶりに会った。パトリシアは黒人のフランス人で、坊主頭のなかなかユニークな女性である。

「やあ、久しぶりだね」というと
「つい先週、会ったじゃん」と応えた。
「会った」と言っても、通りすがりに挨拶しただけである。
「会ったって……。ああ、『あなたの存在が、この巨大な地球のバランス維持に貢献してるのを確認できてうれしいよ』ってか?」
と、ひどいフランス語で言ったら、やけにウケたらしく、パトリシアは腹を抱えて笑った。

フランス人には、こういう理論的な冗談(その場の言葉遊び?)が受けるらしい。
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2006年05月18日

ゲーム産業

ちょっと古いが、アメリカのテレビCBS局の『60ミニィッツ』でやっていたネタ。

去年のゲーム産業関係の売り上げは、全世界で300億ドルだったという。これは、アメリカの3大人気スポーツのMBL(大リーグ)、NFL(アメリカンフットボール)、NBA(バスケットボール)関係の収益の総計の2倍だそうだ。

それに関係して、こんな記事を目にした。
経済産業省はゲーム産業をどうとらえているのか。国ぐるみのゲームおこしを目指して……
http://www.rbbtoday.com/news/20040727/17729.html

日本では、殺人ゲームのモラルが問題になったのを聞いたことがない(アメリカでは、銃による殺人が実際起こるので、身近な倫理的問題である)。金の側面ばかり見られて、いわゆる野放し状態なのかもしれない。
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2006年05月13日

ある(いつもの?)土曜日

朝、目が覚めたら、左手の指が腫れていた。曲がらない指が痛みを持っている。体調も思わしくない。しかたなく、午前中の予定をすべてキャンセルし、寝ていた。

まったく自分が腹立たしくなった。昼ごろ、起き出して、何か喰わねばと思う。近くのコンビニに行くが、土曜の昼過ぎではほとんどが売れ切れている。しかたなく、急に戻った季節外れの寒さの中を、20分ほど離れたコンビニまで歩く。

タイミング悪く、雨も降り出した。つい近所までと思って出たので、着る物もちゃんと身に付けていない。寒さが骨身にしみ、足の指も痛み出す。自分に対する怒りと、情けなさと、自分のおろかさに、吐きそうになった。コンビニでやっと手に入れたのは、天ぷら弁当のようなものだった。

「お若いのに、痛風ですか」
(このサイトはほとんど誰も見ていないので、はっきり書くが) ある婦人が、そんな自分の言うことの意味をまったく考えない、無神経なことを訊いたことがある。このお方は、時々こちらが驚くようなことを言う。いささか美人なので、何を言っても、ずっと社会の中で甘やかされ続けてきたのだろう。

考えてみれば、程度の差こそあれ、そんな人ばかりに会うようだ。相手の気持ちもそんたくせず、ひたすら自分の不満を聞いてもらおうとするやつとか。船がなぜ海に浮かぶのかも説明できぬくせに、自信満々にひとに人生を説くやつとか。類は友を呼ぶのか、運が悪いのか。

「話し相手がまるで一人もいないのです。いっしょに寝起きする仲間がいることだけでも贅沢な話です。しかし、なんと心は寂しいことでしょう。もし追撃されても、私はほんとうに少しも悔やんだりしないでしょう。この先、あんな連中がうごめく白蟻の塚に戻らなければならないと思うと、ぞっとします。あんな連中のまるでロボットのような考え方、身の処し方が耐えられないのです。この私は庭師に向いている人間なものですから。」

これは、『星の王子さま』で有名な作家、サンテ=テグジュペリが、友人のピエール・ダロンに宛てて書いた手紙の一節だ。「あんな連中」というのは、当時アルジェに陣取っていたドゴール派を指すのだが、それを入れ代えれば、この科白は自分にも当てはまるようだ。

うんざりする。自分の手のひらを壁にぶつけて、ぶち壊したい気分だった。寂寞と日が暮れた。

夜、左手が治ったと思ったら、こんどは、右手が腫れだした。
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2006年05月12日

この国の性意識

この国は、大和の昔から、性的にはオオラカな国であった。伝説に聞く天の岩戸を開けさせたのは、いわゆるセクシャルダンスのおかげであった。江戸時代も、浮世絵のいわゆる「枕絵」は、人気歌舞伎役者の姿絵とならんで、引く手あまたの人気の品であった。

アメリカやヨーロッパでテレビ番組を観てきたから、性やセクシーさを題材や手段にしたものには慣れている。しかし、最近の日本の「性の解放」をみるに、いわゆる“きわどいお話”やテレビに出る女性(やニューハーフ(?))の装いをも含めて、ただ品がないだけと感じるのは自分だけだろうか。

出てくるものも、場当たり的、あるいは、笑いが取れ注目を浴びられれば脈絡がなくてもいい、というようなモノが多い気がする(そういえば、昔から、この国の映画には、唐突なベッドシーンが多かったなあ)。CMや語学講座の頻繁なガイジン登用とならんで、品のない下ネタは、日本のテレビ番組の十八番のようである。

そんなことを思っていたら、朝日新聞の「声」の欄に、7歳の女の子の投書が載っていた。
「おもしろいばんぐみのと中で、コマーシャルになると、はずかしくなることがあります。下ぎすがた女の人が出てきたり、おっぱいとかパンツとかが見えそうな女の人がうつったりします。そんなところを見ると、恥ずかしくなるし、いやな気もちがします。」
テレビ番組は、ほとんどバラエティーショー化し、バラエティーショーは(性的にもおおらかな、または、えげつない)深夜番組化している。友人のアメリカ人、リチャードは、「この国のテレビは、ほとんどバラエティーショーという芸のないタレントが驚いたり、旨い物を食ったりする番組ばかりだ」と笑ったことがある。こうした番組では、性的にもきわどい話が多いようだ。CMの“おおらかさ”の水準が上がるのも自然なことかもしれない。

その麻痺した感覚をオカシイと感じているのは、この国に来るガイジンと純粋な子供だけなのかもしれない。
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2006年05月11日

あちら流の眼ざし

日本にいると、よく外国人と間違われる。

いや、別に、人が寄ってきて「お前はガイジンだろ」と言われるわけではない。突然、英語で話しかけられたり、あるいは、外国人にこちらから英語で話しかけてもそれが当たり前であるかのように受け取られる、そういうことが続くだけである。

自分の行動をよく反省してみると、なんとなくその理由が分かるような気がする。

ある人に指摘されたのだが、スタバなどで、注文する前に店員に微笑みかけるらしい。そのほか、人を見る時の視線の投げ方など、日本人とは異なるらしい。見ないようでいて、しっかりとアイコンタクトを取るらしいのだ。どちらも、アメリカに住んでいたから身についたことである。

日本に暮らす日々も長くなった。こちらの習慣も、少しずつ身に着けつつある。振る舞いは日本人だが、アイコンタクトあちら流――では、「変なオッサン」に思わて、ケーサツに捕まりかねない。

いや、すでに崖っぷちだと思う。アメリカ流の振る舞いをするか、ダサイ日本のオッサンをよく観察して、ニッポン人のオジサンになりきるしか、道はないようだ。
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2006年05月09日

『ダ・ヴィンチ・コード』

寝不足気味である。

理由は、寝る前に読んでいるある本が面白くて、ついつい遅くまで起きてしまうためだ。寝る前に一節かそこらだけ読むことにしているのだが、つい次のページをめくってしまい気がつけば夜更かしをしている。

その本とは、『ダ・ヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン著)。

おれは、ふだんは、ベストセラーというものを決して読まないことにしている(アメリカ国内で約700万部の売り上げを記録したとは聞いてはいた)。小説というものを読むのが下手ということもある。しかも、根っからが流行というのが嫌いなヘソ曲がりだということもあるが、そもそも「大勢が大挙して同じことをする」ということに食指が動かないたちなのだ。

で、友人のMさんが御親切にもかして下さったのに、つい最近までこのブ厚い本を開けてみなかった。いや、開けては見たが、あまりの忙しさで何度か挫折していた。寝る前なら、何ページかは読めるだろうと始めたのだった。

しかし、この本は面白い。世界で42カ国語に翻訳され、2000万部以上の売り上げを記録しただけのことはある。訪れたルーブルの部屋部屋が思い起こされ、さらに興味をかき立てられる。

それにしても、この翻訳をおかし下さったMさん、いつまでもお借りしていて、ほんとうに申し訳ない。この本に関しては、本を読むのが遅くて・・・というのは、言い訳になりませんでした。
大反省してます。で、もうすぐお返しします……。ごめんなさい。
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2006年05月08日

高利貸し国家?

消費者金融アイフルが営業停止になったが、こんな記事が。

違法な取り立てなどで、金融庁から業務停止処分を受けたアイフルと提携している全国82の金融機関のうち81機関が、提携ローンの新規販売や広告・宣伝などを自粛しているという。
「81金融機関、アイフルとの提携ローン自粛」(朝日新聞5月5日付)
http://www.asahi.com/business/update/0505/009.html
消費者金融は、法外に高い利子で金を貸し、いぜんは「サラ金」と呼ばれていたはず。日本の大手銀行(メガバンク)とこういう消費者金融が手を組んでいるのは、不思議で不思議でならなかった。

だって、大手銀行はほとんど利子ゼロで金を集め、その金を消費者金融に貸してもうけ、一方、その消費者金融は「グレーゾーン(灰色)金利」とやらで違法に限りなく近いことをしているのだぜ。どう考えても不健全だし、そういうシステムを許している日本政府は、許されるのだろうか。

不勉強でよくは知らないのだが、こういう例は世界に多いのだろうか。

朝日新聞には、翌日に、こんな記事も載った。
「消費者金融、曲がり角 アイフル処分で逆風強まる」
http://www.asahi.com/business/update/0506/021.html
(それにしても、この記事中、個人向け無担保ローンの平均貸出金利について、あるアナリストが「これまでのビジネスモデルでは通用しない」と指摘するのだが、こんな融資システムが「ビジネスモデル」になってしまったというのは、恐ろしいという他ないように感じる。)
また、この記事中、消費者金融と提携しているメガバンクが、お互いに情報をやり取りしているのではないかと思わせるくだりがある(下参照)。実際、「この会社、どっからこちらの個人情報を手に入れたんだろう」と思うようなダイレクトメールなどが届くのだから、これはすでに確実に進行していることなのだろう。

個人情報について、こんな管理が許されていいのだろうか?
消費者金融は、経営の安定化とメガバンク傘下という信頼性が得られる一方、企業貸し出しの低迷で個人向け取引に力を入れてきた銀行側にも、消費者金融の持つ債務者情報や個人向け無担保ローンのノウハウを手にできるメリットがある。
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2006年05月05日

フレンチシェフへの道

体に疲労が残ってることもあり、暇にまかせて、塚本有紀さん著『パリ食いしんぼう留学記 ル・コルドン・ブルーの日々』を飛ばし読みした。

タイトルどおり、ヨーロッパ最高の料理学校ル・コルドン・ブルーで、フランス料理と菓子づくりを学ぶ奮闘記。小気味良い筆致に、好感をもった。

なんだかフランス料理が作りたくなってしまった。「食べたくなった」ではない。「作りたくなった」である。(できもしないのに。)

一念発起した! で、買い物に出発。

さて、まずだいじなワインは、ロマノ・コンティを……なんて買えるわけないから、Pay D'Ocの安赤ワインでと。

チーズは、A.O.C.のセル・シュル・シェール……なんて手に入らないから、安売りの、えせカマンベールをと。粉にして――。

メインは、黒トリュフ……なんて手に入るわけないから、白マッシュルームでと。ついでにスカリオン(細ねぎ)を。そして、肝心な隠し味、レッドペッパーも(鷹の爪でいいや)。

高級フォアグラ……なんて、いや、体に良くないから、同じ内臓なら、これまた安売りの魚介類、アサリを。

で、フレンチバゲットを――せめてこれだけは、それらしいものが欲しいが、ないんだよなあ。上手いパンが。ダメじゃん、これじゃ。(神戸のビゴさんのところに行くしかないか……。)旨い米がなくては日本食が作れないがごとしじゃ。

さて、まず、にんにくを焦げないように弱火で軽く炒めた後……
鷹の爪を加えます……
その後、アサリを軽く火を通して、フレンチ風に赤ワインを注ぎます……
(もちろん、味見に、ぐびぃぐび〜。フランス流だ、わっはっは)……
小さく切った白マッシュルームとスカリオンを、まぶします……。
カマンベールを、軽く振りかけます。
蓋をして、30秒……どうだ!?
さあ完成――食す!

みごと……
ふしぎなアサリの酒蒸し、いっちょ上がりじゃ。
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2006年05月03日

見た目重視の国

日本の国際結婚率は20組に1組を切り(最近は15組に1組なんて説もある)、東京では、国際結婚はなんと10組に1組の割合だそうである。

そのせいか、最近、テレビを観ていると、やたらハーフが登場する。ものすごい数である。しかも日本語が上手い。明らかに日本生まれと思しき面々である。NHKのテレビ語学講座など、ハーフや日本語を見事に駆使するガイジンのオンパレードだ。

別に、そのことは悪いことではないし、テレビ番組が、かつてはケント・デリカットやデーブ・スペクター(まだいるのか?)だけだったタレント障壁をぶち壊して、「門戸開放」されたことは喜ばしいと思う。

しかし、ブスのハーフやガイジンを登場させるわけではないので、そこは見た目が良い者を集めている。とくに語学講座はその傾向が顕著なようだ。あんまりなので、NHK視聴拒否をしようかと思うほどだ。

自分が不細工だからネタんでると言われるのを覚悟で、しかし、大声を上げて言いたい。ちょっと、この見た目重視の傾向はヒドスギルぜ!ため息が出る。

この傾向は、みごとに国民に浸透しているようだ。先ごろ、自分の子供には「なにより見た目が大事よ」と教えているという奥様にお会いした。将来のある子供に、
    「この世は“物差し”が、たったひとつだ
と、あえて積極的に教えている、率直というか、なんというか、単純というか、はっきり言ってバカというか大トンマというか、そんな親は多いのだろうか。

この国の女たちも、男から見られることを計算して自らを装う(そして剥き出しにする)のに忙しく、そのための“産業”がおおいに幅を利かせている(化粧品のコマーシャルの、なんと多いことか!!)。アメリカにも、「美しくする=肌を剥き出しにする」という、(時に無意識な)悲しいほど露骨な美学があった。

いろんな国の女たちを見てきて、最近は、そんな風に見られることを計算しない女性たち、異性として観られることを日常の中の一種の驚きや恥ずかしさでとらえる女性たちの(過去の優れた彫刻家がその作品の中に凝縮させようとした)美意識、特にその眼を、とても美しく思うようになった。

まあ、とすると、どこかの離れ小島か田舎に行かなければなりませんね。
posted by ろじ at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月02日

The squeaking wheel……(ぎゃーぎゃー大騒ぎ)

深夜、なにげなくテレビを見ていたら、女優の工藤夕貴さんがNHKの料理番組に出ていた。

アメリカで、映画で彼女が演じるのを観たことがある。『SNOW FALLING ON CEDARS(ヒマラヤ杉に降る雪)』(1999)とういう映画で、もともと、映画『シャイン』を作ったスコット・ヒックス監督作品だというので、勇んで見に行ったのだが、工藤夕貴の熱演には感心した。

その工藤さんが、アメリカでの自分の生活について語る場面で、「The squeaking wheel gets the oil」という諺を引用していた(本来は、「〜gets the grease」と言うらしい)。これは、文字通りには「きしむ車輪は、油を注してもらえる」、つまり、「文句を言えば特別なサービスを得られる」という風に解するのだが、工藤さんは、「だから何かをしてもらうにはどんどん言わなくてはならない」と説明していた。アメリカ生活での自分の積極性を解説するために。

大体においてそうだと思うが、しかし、これは、おれが経験したのとはちょっと違うように思う。

最初に耳にしたのは、アメリカにもう20年以上住む知人の大学教授からであった。共通の知り合いで役職に就いている大学教授(女性)が、ことあるごとに大騒ぎする。職場に問題があれば大騒ぎ。自分の仕事が大変だと大騒ぎ。そのたびに、(たぶん、これ以上大騒ぎはゴメンだという気持ちで)回りは彼女の仕事を手助けしてやる。

「煩いから、やってあげないとかえって面倒くさいのよ」と、知人の教授はため息をついたものだ。その時、上の表現を使ったのだ。

つまり、「the squeaking wheel」は、「ぎゃーぎゃー大騒ぎする」というニュアンスがあるらしい。「しょうがねえなあ、そこまでうるさいなら……」というわけだ。その裏には、これは女性に多くあるケースで、女性なら許される、というアメリカには稀な(公的な場での)性差による扱いの一例であるという事情があるように思われた。実際、男性に使ったのをほとんど聞いたことがないし、使っても「めめしい」というニュアンスがあるように思う(アメリカには、あのマッチョ思想がありますからね)。
posted by ろじ at 00:00| 東京 ☀| アメリカ・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月01日

日本のスポ根

天気がいいので近くをブラついていたら、公園で、土地の子とおぼしき若者たちがバスケットボールに興じていた。

その公園にバスケットボールコートがあることは、知ってはいた。が、いつもわきを通ると、着ている物はカッコいいが、気のないプレーばかりしている若者ばかりが目についた。高価そうなタンクトップやトランクスを身に着けて
「だっり〜」とか
「えー、マッジー?」とばかり言っている。
どうも今の日本を象徴しているようで、避けていたのだ。

アメリカのニューヨークなどでよく見たストリート・バスケットボールの迫力とは雲泥の差だ。アメリカのストリート・バスケットボールは、すさまじい。スピード、気迫、テクニック、どれをとってもこれがストリート・バスケットボールかと驚かされるものだ。これも、アメリカの社会・階層の下の方の人びとの“迫力”なのであろう。

「あまり上手くないはず」の若者たちと一緒にプレーしたことがあるが、ボディーチェックでさえ、かなり厳しい。“底辺”がこうなのだから、プロのNBAは推して知るべしである。そのピラミッドのすごさは、実際に、ドキュメンタリー映画『フープ・ドリーム』などで垣間見ることができる。

さて、くだんのバスケットボールを見ると、「遊び」なのにも関わらず、ドリブルのブロックや、混み合いから抜け出て一人3点シュート・ラインまで下がっている者、おとりのパスさえもちゃんとやっている。

ほう、日本人の若者が上手くなっているのは野球だけじゃないな(はっきりって草野球のレベルは、一般的にいって日本の方が高い)。これなら、もう一つのアメリカンスポーツのアメフトの遊びが広がるのも、時間の問題だろう――
と思ったら、彼らが話しているのは、ハングルであった……。

やはり、(残念ながら)日本のスポーツの根性も、社会的なものを反映するのだろうか。
posted by ろじ at 00:00| 東京 ☀| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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