2006年08月30日

最近の若者?

 家にある家具を捨てるのはもったいないし、少しでも家計のたしに、ということでネットで売りに出した。本棚の興味を示した方が、ひき取りに来た。

 来た若者、見た瞬間、一見その辺にいるイケイケおにぃさんである。これはやりにくいな、と思ったが、とても慇懃で礼儀正しい。本棚を持って行ったあと、その夕方にメールが来ていて、これも丁寧な御礼の言葉であった。

 返事に「○○さまのような礼儀正しい方に引き取っていただいて、とても気持ちが良かった。いい土産話ができました」というようなことを書いたが、とても気持ちの良い経験で、暑くて疲労困憊の毎日の中、一服の清涼剤であった。
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2006年08月28日

日本のマンガと暴力

 通訳を受け持ったアメリカ人のうち、一人の男性R氏は考古学者なのだが、まさに博覧強記とは彼のようなことを言うのだろうと思った。西洋文明について、古代から現代までの3000年以上に渡る歴史について、ことこまかに把握しているのだ。特に、宗教関係は微に入り差細に行って諳んじている。いまでもなく、ユダヤ・キリスト教文化あるいはインド=ヨーロッパ文明について、宗教は核である。

 R氏本人の言うところによると、まず司祭になることを目指して神学校に入ったが、宗教界のあまりの腐敗にウンザリして、卒業後は宗教活動を続けることを諦め、専門を考古学に換えたのだという。一時は大学でも教えたが、バカバカしくなり、辞めてしまったという。R氏の性格を考えると、内部の“政治”にウンザリしたのだろう。

 温泉街から東京へいっしょに帰るという彼と、電車の中で、話しをしていた。最初、彼は、なぜか、秘書の有能さを話題にした。どの会社や機関にも秘書がいるが、何でも知っていて有能な秘書のヘッド(元締め的存在で、たいていは年寄り)がいるところほど優れた機関だというのだ。そこから、話は日本文化について及んだ。彼は中国文化には詳しい(その後は中国へ渡って発掘調査を手伝うとのことだった)が、日本文化には通じていなかった。

 議論は、日本文化、特に、マンガの世界になぜ暴力が多く描かれているかというR氏の疑問から始まった。それにたいして、オレは、桜吹雪の唐獅子牡丹のヤクザ映画、戦争中の日本軍の(いわれるところの)「残虐行為」から、最近のマンガのヒーローが肉体は超人間的だが内面はみょうにひ弱で繊細なことを話した。R氏は、朝から晩まで働かされる日本の会社の抑圧的な仕組みを見ると、どこかでガス抜きをしなければなるまい、と言い、「しかし、それは、現代では、実際には不可能でしょう」。

 オレが、日本には昔から「ハレとケ」という一年のサイクルの見方があったと言うと、R氏はそれに大いに興味を示して、興奮しながら「それならば、そういうサイクルがなくなった現代は、どこかでその代償を求めねばならないでしょう」と指摘した。そこから、ふたりで、現代のマンガのヒーロー考を推し進めたのだった。

 日本社会という特殊な社会に必要なヒーローとは、という結論に達したので、ふたりで電車に同乗していた関係者に興奮しながら話すと、関係者たちは、この忙しいのにマンガの話か、今はもっと大事な話をしているのだ、と言下に見下したようにいった。

 R氏とオレは、半分がっかりしながら、お互いに眼を合わせた。眼と眼の会話が、こういうことに興味を示せないなんてねぇ、ゆとりがなくて残念だねえ、と語っていた。
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2006年08月27日

芸者さんと飲む

 本日から泊り込みで、通訳の仕事を頼まれる。テーマは日本文化に関するもので、アドリブで言われた江戸時代の「寺子屋」をどう訳していいか困って青くなったり、「うち良し、買う方良し、世間良し――三方良し」という“商い用語”を突然いわれて、冷や汗をかきながら「vender’s benefit, buyer’s benefit, society’s benefit」なんてお茶を濁したりしているうちに、3時間が過ぎて、疲労困憊。気がついたら、目の前に、艶やかな芸者さんが座っていた。

 いや、正確に言うと、そこは温泉だったので、シビレタ頭のまま風呂に入って帰ってくると、「慰労会」という名の宴会が始まっていたのである。そこは群馬にある古くからの温泉街で、芸達者な「芸者さん」でも有名な土地柄。お二人が見事な踊りを披露してくれた。最後に踊った「奴さん」は、男に扮して半しゃがみになる勇ましい元気者のはずであったが、かなり妖艶であった。
 
 その後は、各人にお酌をしてくれる。つややかな萌黄(もえぎ)色の着物を着た芸者さんが前に座る。芸者さんに酌をされるのは、人生で初めて(そしてたぶん最後)である。

 何を話していいかわからない――。
「踊りが上手ですね」
では、失礼にちがいない。相手はプロである。
「よくここにいらっしゃるんですか?」
では、間が抜けすぎている。だいたい、芸者は、酒場みたいに自分で来るものではなく、お座敷に呼ばれるものである。「最近は、お声がかからなくてねえ」なんてうつむき加減に答えられたら、座が湿ってしまうではないか。
「もう長く、芸者さんされているんですか?」
これでは、インタビューか尋問である。長くやっていれば年もくっているはずなので、失礼である。そもそも、いつから芸者にならなくてはならなかったなんて企業秘密に違いないし、「いやぁ、置屋のおじさんにもらわれたのは、10年前の……」なんて作り話聞かされても、どう応えていいか分からない――。
 
 悩んだあげく、仕方がないから、どういう風にして芸者になれたのか、審査かなんかがあったのか、と問うてみた。その返事がまた面白かった。芸者さんになる審査を解説してくれた。審査員である年配の芸者さんの前で、2曲踊らねばいけないのだそうだ。その時は、1曲が自分の好きな曲でなかったので大いに緊張したという。

「今夜の『奴さん』は、大変でしたでしょう」と水を向けると、
「あれは、いつも最後になって疲れているときにやるので、たいへんなんですの」と、謎めいた笑みを浮かべる。こちらは臆してしまって、
「でも、とてもよろしかったですよ」と真面目に言うと、
「アラ、この方、おやさしい。ねぇ、おネエさま、こちらの方、とてもおやさしいのよ」と、三味線のお上さんに声をかける。
こちらは照れてしまって、
「いえ、とても良かったですよ。お綺麗ですし」と、歯が浮くセリフとは思いながら言うと、
「あらまあ、ホホホホホホ」と、扇子で隠した顔を下に向けながら、わざとらしく笑った。あああ、やっぱり外してしまった……。
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2006年08月26日

丸山真男と日本社会

 海外にいる日本人は、よく仲間だけでかたまったりする。そういうのは韓国人や中国人(チャイナタウンを見よ)やヨーロッパ人などにも見られるから、まあOKとしても、その日本人同士の中でさらに強烈な“分類”“住み分け”が起こる(そしてこちらがはじき出される)のに、「はぁ?」と思った経験は数知れなのである。

 それは住んでいる場所による区分だったり、行った大学によるグループ化だったり、はては持っている渡航ビザの種類による“等級づけ”だったり……。まったくなあ、個人として生きていかないと、現地の人に個人として相手にされないよ(現地の人は、たとえば同じ学校には行ってないのだから)、とロジおじさんはアメリカにいた頃、よくため息をついたものである。

 思想家、丸山真男についてのビデオを観る。丸山の言葉で印象に残ったものをいくつか。日本人の(特に海外にいる日本人の)行動の仕方について長年思ってきたことを、うまく指摘していると思った。
  1. オウム事件では、日本でしか通じない“論理”というものを見たと思う。(あの悲劇的事件はオウムという特殊なグループでしか通じない論理によって起きたともいえるが、その「自分にしか通じない論理」というのは、日本社会全体に無関係というわけではない、という意味。)
  2. 日本人は、自分のと違った分野、自分と違ったグループとは、あまり交流しない。
  3. 日本人に特有なのは、いわゆる「他者感覚のなさ」というものである。仲間とばかり話したがる。
  4. 認識というのは(周りでさまざまなことが起き続ける以上)無限に続くものだが、その無限の認識過程を断ち切るところに「決断」が生まれる。私も決断をしなくてはならない(東大の職を辞するにあたって)。

 2番目の「自分と違ったグループとは交流しない」というのは、海外の日本人によく見られる現象だと思う。海外にいるのに、すぐ「出身大学はどちらですか」と、日本の“出自”をたずねる日本人は多い。同じ大学だとホッとするらしい。仕事も同じ業種だと話が盛り上がるが、そうでないとほとんど会話が進まない男性たち。しかたなく、お互いに知っている漫画やテレビ番組の話。そして、そういう共通の話題があるときの盛り上がり。日本人社会の全体に広がる“仲良しクラブ”現象。

 そこにあるのは、「自分と違う者」との接点を求める姿勢よりも、自分と同種・同質の者を探し求める態度だと思う。仲間とばかり話したがるのはそのせいだろう。常々、日本人には、いわゆる「社交性」というものがないんじゃないかと感じているのだが、それは日本人のこういう「他人の壁」メンタリティーで説明できるかもしれない。

 こうしたことを、生涯一貫して理論的に指摘し続けた丸山の原点は、反権威・反「タコツボ化」だった。「タコツボ化」というのは、上に書いたような「仲良しクラブ」的な傾向を言う。ビデオを観て、その生涯を通じて、学生のとき受けた影響が色濃く反映しているのが分かった。
  →さらに詳しくは、「酔眼妄語」へ。
  http://blog.livedoor.jp/mougo/
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2006年08月25日

バカの壁

日本にいる間にできるだけ読書もしようと、ローヤー木村著『リコウの壁とバカの壁』というのを読んでいる。養老孟司氏の『バカの壁』に対する一種の評論である。いや、「バカの壁」というコンセプトを使って養老氏を批判する体をとりつつ、そのコンセプトで日本社会を批判するという痛快な本である。

 なにより、元になっている本とはまったく逆に、分かりやすく書かれているのがいい。養老氏の著書は、主張していることも、その不必要に難解な書き方も、かなり「いかがなものか」的なシロモノと思っていたので、この本に出会ったときは思わず喝采の声を上げた。

 『バカの壁』のような本が、なぜこんなに日本で売れたのかも理解に苦しむ。どこに問題があるかを知りたい方は、この『バカの壁・リコウの壁』が上手く説明しているので、ぜひ読んでほしい。
 
 しかし、もっと不可解なのは、その主張は矛盾・自家撞着・非論理・韜晦があふれているのに、なぜ養老氏が、人生相談や(その人間観はちょっとどうかと思うものが含まれている)、コンクールの審査員や、講演などにこれほどもてはやされるかということだ。日本のメディア界、いや社会は不思議でしかたがない。
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2006年08月24日

サントワばぁさん、再び

 夕方の武道の稽古から帰ってきて、水を一杯飲んだ。ああ夏の稽古は疲れるぜ、もうこんな時間か、なんか喰わなくちゃなんねえなあ、どれ、まずシャワーでも――。

と、その時、電話が鳴った。
「ねぇ、おひさしぶり〜。アタシよ〜、○○子よ〜。いま、いい?」

 サントワばぁさんである(名前の由来については、8月13日の日記参照)。
「どうしてるの〜?アタシに会いたかった〜?」
会いたかったか、って言われても……。
「は、はぁ。いえ……、はいっ、お久しぶりですねぇ。」
「いま、銀座で飲んでるの〜。ねえぇ、これから出てこない〜?」
「えっ、これからですかー……」
もう8時である。
「そうよねえ、銀座じゃねえ。私たちも、たくさんいただいちゃってー、もうそろそろって思ってたところなの〜。」
ああ、そうですか。よかった、と思ったのは甘かった。
「――じゃあさ、私のうちの近くの○○に出てこない?そっから近いじゃないぃ?」
「え、ええ、まあ……」

 というわけで、一時間いただいて、落ち合うことになった。
歌舞伎を観た帰りだそうで、娘さんも同席(同伴)してくれた(娘さんはお母さんに似てかなりのつわものであった)。さんざん飲んでると、サントワばぁさん、むかし、フランス座で照明のバイトをしていたという。一日500円になったという。当時はお嬢だったのに、ストリップの照明やってたんかい。大したばぁさんである。
 しかも、話すうちに、さらに驚く過去を話してくれた。なんと、日本の歴史上、ほんの一瞬だけ存在した女性プロ野球リーグの公式スコアラーをしていたというのだ。まったく、このばぁさん、聴けば聴くほど、驚く経験をしていて、底なしである。

 カラオケができるところに場所を代えて、飲みなおすことに。いよいよ「サントワ・マミー」を歌ってくれるかと思っていたら、なぜか話が戦争のことになった。以前に書いたが、ばぁさんは、戦争をその身で経験している、いや、戦争に巻き込まれた日本をその「銃後」と言う立場から目撃し体験したのである。
 「もうねえ、戦争が終わったら、一生懸命お手紙を出していた兵隊さんが訪ねて来て、たいへんだったわよー」
戦時中、彼女は、「銃後を支える日本の乙女」として、戦地の兵隊を元気付ける手紙を、せっせと書かされていたのである。

 「ある日ね、打ち落とされた飛行機から飛行士がパラシュートで脱出するのを目撃したの。夕陽がとってもきれいな時刻だったわ。その飛行士さん、不幸にもパラシュートが開かなかったのね。わたしね、彼が、夕陽のなかを、ゆっくり真っ直ぐ落ちてくのを見てたわけ。今でも眼に焼きついてる。ところが、翌日の新聞で『飛行士は、皇居の方を向いて合掌しながら落ちて行った』なんて書いてるのよ。そんなことなかったのよ、わたし、ずっと見てたんだから。それ以来、日本の新聞の書くことは信用しなくなったわ」

 「もう戦争はこりごり。でも、聞いて、うちの息子はね、『じゃあ、北朝鮮のミサイルみたいに打ち込んできたら、どうしますか』なんて言いやがんのよ」
「おばぁさんは、自分の家のドア口のところに敵が来ても、もう二度と戦うのは嫌ってことなんですね」
 それほどにサントワばぁさんが戦争に巻き込まれたくないことは、しっかりと伝わってきた。
「そう、もう人殺しはいや」
 誰もなにも語らなかった。カウンターに置かれたウイスキーのグラスの中で、氷がカランとなった。
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2006年08月23日

さすがビックカメラ

 すでに引越しは済み、“国外逃亡”は実現しているのだが(現在9月13日)、書き留めておきたい少々おもしろいことも思ったので、過去の日記を徐々にアップしていくことにする。2日3日分ずつやっていけば、そのうち実際の日付に追いつくだろう。

 最近デジカメを購入したのだが、引越しのムービングセールのためにネットに写真を載せようという段になって、写真をダウンロードするためのUSBケーブルをすでに海外の引越し先に送ってしまったことに気がついた。朝、そのUSBケーブルだけを購入しようと、デジカメを購入した店に電話をかけると、届くまで2、3週間はかかるという。メーカーに問い合わせると、メーカー製品を扱っている秋葉原のメーカー用カスタマー・センターにかけろという。カスタマー・センターでは、最低2,3日はかかるという。そんなところまで待てないのである。

 ダメモトで、ビックカメラに電話をする。訊いてみて損はない。新宿西口店はまったく繋がらないので(意図的な操作かと思えるほど)、東口店に電話してみると簡単に繋がった(この地の利の差!)。そのUSBケーブルは、普通に市販されているケーブルと同じものだという。問題解決。

 それにしても、購入店(カメラのキ○ムラ)の無知は言わずもがな、メーカーやカスタマー・センターはUSBケーブルが汎用型という事実を知らないわけはないのだから、かなり不誠実だというべきだろう。

 午後から、ビックカメラ新宿西口店に買いにいく。賢明な読者ならすでに気がついたろうが、写真をダウンロードするためには、べつにUSBケーブルでなくてもいいのだ。デジカメには写真を記録するメディアが入っているのだから、それを直接コンピューターに繋ぐ装置、たとえばPCカードを使えばよい。

 そこがオレのまったくマヌケなところで、USBケーブルを買ってからそれに気がついた。しかも、同じような機能を持つUSBメディアさえあることに、さらにその後で気がついた――。ふーむ、人生、毎日が勉強である……と感心。

 あまりに感心したので、ビックカメラにこれまでずっと探してきたモノがあるのではないかと探してみた。オレは、病気で手の指がうまく使えないので、キーボードを打つのが辛い。そこで、アメリカを出るとき、エルゴノーミック・キーボードという、両手が自然におけて負担が少ないという特殊なキーボードを購入した。しかし、それには、タッチパッドがついているため、コンピューターに繋ぐには特殊な二またのコードが必要なのである。そのコードは、折にふれて探してきたが長年なかなか見つからず、ネットでもやっとアマゾンに見つけただけだったのだ。

 訊いてみると、なんと、あった。こんなに長年の問題があっけなく解決するとは。しかし、すごいぞ、ビックカメラ!たいしたもんだ、とかなり感心。

 ついでに、デジカメ用のケース、予備のメディア、売りに出すファックスのリボンを購入し、ウキウキして帰宅。しかし、早くムービングセールのための写真をアップしなければ……。
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2006年08月22日

ウナギ屋

すぐ近くのウナギ屋。まあ精をつけなくては、ということで、行ったんですな……。

それがねぇ、アパートの1階を店に改造したようなとこなんでさぁ。だから、とびらが普通のアパートのドアなんでさあ。

まっさかこんなところに客なんぞ入ってるわけはねぇだろう、と思ってのれんをくぐると、すぐカウンターみてえなのがありましてね、女将さんが、「奥へどうぞ」なんて言ってくれます。えぇ、奥があるんすよ、アパート改造したんですから。

まさかこんなところに客なんぞ入ってるわけはねぇだろう……平日の昼間ですしね……、と思って、奥の部屋に入ると……、おい、いるよ、ウジャウジャ、ひとが。なんでウナギ屋にこんなにウジャウジャいるかね、ってくらいいるよ。しかも、みんな、婆さんでさぁ。すぐ近くのテーブルじゃ、金髪のイケイケばぁさんみたいなのが、大きなウナギ、箸でつまんで大きな口開けて、まさに喰わんとしてるんでさぁ。ウナギ屋が、近所の婆さんとおばさんでイッパイ。いや、じいさんも一人、奥の方でキモをすすってましたがね。

とりあえず鰻丼を注文して、手持ちぶさたに待ってると、となりの婆さん4人グループが、話をしてるんでさあ。そりゃ、口があるから話すんですがね。

「ウナギは精がつくわねえ」
「時々、来なくちゃね」
(す、すいませんね、こうしてタマに来ます……)

「そうねえ、若い人には、まだ負けないわ」と、オレの方をちらと見る。
(そう、喧嘩売られましても……)

運ばれてきた鰻丼をそそくさと喰って、帰りましたよ、わたしゃあ。精は付いたかもしれませんが、毒気は抜かれました……。
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2006年08月21日

「耳ざわりの良い」

テレビも無くなったので、しかたなく、食事の時などにはラジオを聴いている。

甲子園の熱戦を見ることはできないが、思わぬ発見をする。NHK・AMラジオの第1放送が、ゴールデンタイムにけっこう若者向けの番組をやっていたり。たとえば、若い人の「短歌合戦」のようなものとか。(しかし、ほんとうに若い人たち、チューニング・インしてるんですかね?)

NHKのFMを聴いていたら、あるポップな曲を紹介する女の子が「とても耳ざわりの良いサウンドです」と言っていた。

「みみざわり(耳障り)」を辞書で調べると、
聞いて不愉快またはうるさく感ずるさま。
「―な音」「―なうわさ話」(大辞林 )

とある。

NHKは「素人に毛の生えたようなアナウンサーまで関知するところではない」と言うのだろうが、ますますヒドクなるなぁ、日本のことば。日本を出る前に、それが分っただけでもいいか?
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2006年08月19日

引越しの後の寂しさ?

引越しの大物の搬出が終わった。食器棚も本箱もなくなり、家の中はガランとしている。

もちろん、一番苦労したのは、書籍や文書類の箱詰めであった。書物に頼る生活をいつまで続けるのか。情けないことである。

こうして何もなくなると、モノがなくなったスガスガシサと同時に、やや寂寥感ともいうべき寂しさがある。これまでの生活の“充実感”が、モノに依存していたということだ。情けないことである。

むかし、アメリカの学生時代、キャンパスで行われた夏季スクールに来た高校生の面倒を見たことがある。大学寮に一緒に寝泊りして、彼らが“オイタ”をしないように見張る役目である。悪ガキどもはさんざん問題を起こしてくれて、そのために大変な目にあったが、彼らを擁護するために骨身を削って走り回ったオレになついてくれた。楽しい思い出も多かった。

夏季スクールの最後の日、悪ガキどもが去った、ガランとした寮内を歩きながら、みょうに重苦しい寂しさに苛(さいな)まれたことを思い出す。

今回の引越しでの「寂寥感」は、それに似ているかもしれない。とすれば、この日本滞在中の「悪ガキども」に相当するものとは、オレ自身の中の何だったのだろうか……。
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2006年08月14日

“過去”という負担

オレは、回想をするためには記憶力がよくなく、美しい思い出を作り出すためには充分な想像力もないので、そういったことがニガテである。そのためか、訪れるところの写真をよく撮る。

今回、引越しをしていて、膨大な写真と観光地で買ったお気に入りの絵葉書が出てきた。こういった、苦心して撮った写真と、観光地で選りすぐった絵葉書(たかが大量生産のものだが)は、どうしても捨てる気にならない。

とくに、写真は、長崎の土塀とか、佐渡の地蔵様とか、ローマの石畳の坂とか、ザルツブルグの道端のバイオリン引きとか、どれもかなり拘(こだわ)って撮ったつもりのものである。オレは、人との記念写真や歓迎会とかの写真はすぐ捨てる癖があるくせに、こういった写真はどうしても廃棄する気になれないのだ。

オレは、立派な相続すべき家名も、大事に護る家も、運営に苦慮する財産も受け継がなかった、つまり、何の“過去”も受け渡されなかったが、こうやって「自分の過去」を造り上げて、それを補おうとしているのかもしれない。

かつて、ある女が、引越しで写真をもてあましているオレを見て、「そんな写真いいかげん捨てればいいのに」と言ったことがある。そのとき、この女は、一生他人のことは、いやオレのことは理解できないだろうと思ったものだ。

しかし、写真のほかに、本や文書が溢れかえっているのは、話が別である。海外に引っ越すというのにそんなものを引き摺り回しているのは、たんに、頭が悪くて手元にそれらがないと気になるためである。
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2006年08月13日

引越し

突然だが、一身上の都合で、日本を離れることにした。

いまは、引越しのさなかである。アメリカから一切合財(特に文書類)を持って来日した時は大所帯の引越しに懲りて、もう引越しなど決してやるものかと思っていたのだが。

夏の引越しというのは殺人的である。日本には押入れというのがあって、オレの持っているような下らないモノを入れておくのにはすこぶる便利だ。が、引越しとなると、そこから次から次へとモノが生まれてくるからタチが悪い。

荷をまとめていると、先日の飲み会で、70才のお婆さんが去って行くオレのためにひとり熱唱してくれた『サン・トワ・マミー』が、頭に浮かんでくる。

  二人の恋は 終わったのね
  許してさえ くれないあなた
  さようならと 顔も見ないで
  去っていった 男の心
  たのしい 夢のような
  あのころを 思い出せば

  サン・トワ・マミー
  悲しくて 目の前が暗くなる
  サン・トワ・マミー

 Je sais tout est fini, j’ai perdu ta confiance,
 Néanmoins je te prie de m'accorder ma chance
 Si devant mon remords, tu restes indifférente
 On ne peut te donner temps, mais soit donc qu'elle d'elle gente,
 Au nom des joies que nous avons vécues
 Au nom de l'amour que nous croyions perdu

 Sans toi m'amie. Le temps est si lourd,
 les ans et les jours, sombres sans espoir,
 Sans toi m'amie
     (作詞・作曲:サルバトーレ・アダモ 日本語詞:岩谷時子)

音楽を知らない方は、こちら
http://www.duarbo.jp/versoj/v-popular/santoamami.htm
   
――というわけで、いろいろお借りしているものもお返しせねばならぬのだが、Mさん、本、ごめんなさい。ちゃんとお送りしますからね……
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2006年08月12日

判断

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油断でもないのだが……。
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