2006年10月30日

若者の暴動

 世間は「あけましておめでとう」の時期をとうに過ぎていますが、この過去日記も久しぶりの更新です。いずれこの日記の「将来分」にもアップして行きたいと思いますが、かなりの強行スケジュールをこなしていました。
 また2ヶ月以上の「滞り」ですが、これにこりず、読み続けていただけたらと思います。
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 テレビで、若者の暴動がどうのという報道が多い。パリの北の郊外にある「低所得者層用のアパート(といっていいのか不安)」地区での人々の活動なんかも放映されている。こうした地区は移民が多いそうだ。

 なんだろうと思っていたら、1年前に若者の暴動の最中に二人のティーンエイジャーが亡くなった、その日が近づいているというのだ。

 むろんフランス語なので、正確な内容は分らない。が、こうした地区で地域を「良くする」ために活動する黒人グループを紹介したりもしている。その「記念日」の10月27日が近づくにつれて、テレビのニュースでも、いまだに若者にたいして強硬な政策を行う政府に反対するデモ、27日にあったメモリアル・デモ、27日前後にあちこちであった「焼き討ち事件」、さらに「記念日」を「友好的な形で」忘れないためのサッカー試合などが、報道されているみたいだ。

 詳しい背景を知りたいと思っていたら、昨日、ヘラルド・トリビューン紙にタイムリーな記事が出た。切抜きしようと思っていたが、オレのことである。その新聞をどっかにやったまま、分らなくなってしまった。困っていたら、インターネットで見つけた。

「New violence after anniversary of French riots」
http://www.iht.com/articles/2006/10/29/news/france.php
上に述べた27日をめぐる出来事のスライドショーは
http://www.iht.com/slideshows/2006/10/27/europe/web.1027france.php 

 この国では、失業率が10%近い。2005年6月に就任したド・ビルバン首相は、雇用問題を最重要課題と位置づけて、新型雇用契約の導入・税制優遇措置・公的補助などの対策を打ち出したが、そのおかげで、失業率にはやや改善がみられた。しかし、それでも、いまだに9%前後もある。

 移民が就職するのはさらに難しい。履歴書に書かれた名前が外国人の響きを持っているだけで、面接も受けられないという。激しい差別が底流にあるのだ。それは、パリの街を歩いても、感じられないことではない。一見きれいな顔の下に隠された、重々しい苦悩――。「パリは華やかだ」などとノーテンキなことをいうのは、外から来た旅行者だけではなかろうか。

 暴動が起きたクリシー・スウ・ボワ(Clichy-sous-Bois)市は、オーベールに行く時に電車が停まる駅が近くにあり、ちょっと見たところこぎれいな町並みである。しかし、少し離れると様相は一変するらしい。このような地域には、アラブ、アフリカ系などの多くの移民が住み、就職難に対する不満がある。加えて、これらに地域には、公共交通機関もほとんどなく、十分な学校も、警察組織も欠けている。満足な公的機関がなく、「公的援助の真空地帯」といわれるらしい。“取り残された”雰囲気の中で不満をどこにぶつけていいか分らない若者――そんなことも背景なのだろう(たぶんほんの一部)。
posted by ろじ at 00:00| パリ ☁| フランス・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月29日

ゴッホ終焉の地オーベール・シュール・オワーズ

 ゴッホがその晩年をすごし、生涯を終えた土地、オーベール・シュール・オワーズに日帰り旅行をしてきた。

 高校の時以来、弟テオらに充てた書簡を集めた『ゴッホの手紙』を愛読してきた。それは、自分の青く、安っぽい青春の苦さや苦しさを癒してくれるだけでなく、それ以上に、この世界には何かもっと純粋で、大きな大事なことがあると教えてくれるものだった。ゴッホの「純粋さ」は、いまでも人々をひきつける。その「信仰心以上の純粋さ」ゆえに、ゴッホ自身、不器用でぎこちない人生を歩み、苦しんだのだが……。

 この本は、苦しみを“慈(いつく)しんでいる”うちは、まだ本物ではない、と教えてくれた。どんな小説よりも感動的だった。必死になって毎日を生き、(弟のテオ以外)読者も想定せずに書き続けたゴッホの“告白”に、いわば、ガツンとやられたのである――。

 彼の絵が好きな自分にとって、ゴッホにまつわる土地を訪れるのは、長年の夢だった。その終焉の地が、パリから電車でわずか1時間のところにあるとは、なさけないことに最近まで知らなかったのだ。

L'Oise0610 003_s.jpg 秋晴れのなか、あまりきれいとはいえない2本の郊外電車を乗り継いで行った。電車は、郊外ののどかな中流住宅地や、ややすさんだ町並みを、交互に抜けてゆく。やがて、右手に河が見えはじめる。オワーズ河だ。「オーベール・シュール・オワーズ」というのは、オワーズ河に面するオーベール村という意味である。その直後、昼ごろ、電車は音もなくAuvers-Sur-Oise駅へ滑り込む。

 ひなびた田舎である。精神をわずらったゴッホは、ここを身を落ち着けられる場所と考えた。はるか以前、弟のテオにこう書いた。
パリは、いま秋で美しいことだろう。(パリでは)去年、毎週日曜日に、ぼくらは、できるかぎりたくさんの友達や教会を訪ね歩いたものだ。朝早く出かけそして夜遅く帰ってきた。秋の夕方、とちの木に囲まれるノートルダムは実に美しいと思う。しかし、パリには秋や教会寺院よりももっと美しいものがある。
それは貧しい人たちだ。
 そんなゴッホがこんな寂れた静かな田舎を望んだのもうなずける。ここで、彼の絵にも残っている、あの愛情深いガッシェ医師に会ったのである。理解者を得て、また、風景の穏やかさと素晴らしい夏に夢中になって、憑かれたように、ゴッホは一日1枚半のペースで油絵を描いていった――。

 無人の駅に降り立つ。これは、かつてヴラマンクが描いた小さな駅である。改札もないゲートを出ると、道をはさんで向こうに小さなレストランが見える。ここは、かつて、コローやドービニーが出入りしたところである。それだけではない。この一帯には、セザンヌ、ピサロ、ルノワール、ヴィニョン、ギョーマン、ゴーヌット等、多くの画家が集まった。ゴッホの描いたような「数々の星々」。

AuversTown0610 003_s.jpg 右手の丘の上には、古びた教会が見える。これが、ゴッホが描いたあの教会にちがいない。この地にこうして立っていることが、信じられない。教会に行くのを我慢して、観光インフォメーション・センターを探さなければならない。フランスは、観光地といえどもどこも長い昼休みを取るので、その前に行かないと、大事な時間を無駄にしてしまうことになる。これは、先日、オンフルールに行ったときの教訓だ。

 「観光インフォメーション・オフィス」とフランス語で書かれた立て札を頼りに、ひたすら歩く。途中、ゴッホが下宿していた「ラヴー亭」のところを右に曲がる。すぐ右手に小さな博物館のようなものがあるので、そこで訊いたら、観光オフィスは道の向かいだという。

 観光オフィスは、古びてこじんまりした建物の1階であった。2階は、ドービニーは博物館である。もらった地図を頼りに、歩き始める。時間は昼時だが、まず目の前の「博物館」に戻り、「ゴッホの部屋」を見学。入り口は、「ラヴー亭」の裏側にある。つまり、このゴッホ記念館ともいえる建物は、「ラヴー亭」の2階、「ゴッホの部屋」の真下にあるのだ。

 建物に入り、みやげ物のようなところで待たされる。「ゴッホの部屋」を訪れる観光客は多い。この日も、多くのフランス人が来ていた。館の代表のような女性が、このゴッホ記念館の由来と現状を説明してくれる。まずフランス語で、そして英語で。この記念館を維持するだけでもかなりの費用がかかり、スイスの富豪が金を出してくれたおかげでやっていけるという。「土地開発の波もきてますし、われわれの目的のためにはこの土地一帯を買わなければなりません。将来どうなるかはわからず、経済状況が維持されることを願うだけです」という。

GoghsRoom0610 003_s.jpg ゴッホの部屋は、階段を最上階まで上って、緑色の扉の向こうにあった。かつて映像で見たことがあるが、やはり胸をつくものだった。わずかに光がさす屋根裏部屋。ゴッホはここで最後の65日間をすごし、自殺未遂の後、自力でこの部屋に帰ってきて苦しんだ末、亡くなった。いつまでも残してほしい部屋だが、維持が難しいため、壁のシミまでが複製である。

 その奥で、ゴッホの生涯についての説明を映画上映していた。ゴッホの絵のかたわらに、『弟テオへの手紙』からの引用がフランス語、英語、そして日本語で書いてある。日本人の観光客が多いのだろう。それぞれの絵を、ゴッホがどんな想い、情熱、苦しみ、人生への期待、希望で描いていったかが分るようになっている。あれほど苦しんだ男の生涯を、こんな風に見世物として見ることに、たしかに違和感を感じる。しかし、同時に、せめて彼の「誰にも共有されなかった純粋な想い」をこうやって共有してもらおうとする努力は嬉しくもある。
絵というのは、それ自身で一つの世界なのです。(母親への手紙)
 帰り際、チケット売り場のわきを通ると、猫がカウンターに幸せそうに寝そべって、日向ぼっこをしていた。ほほえましいその姿が、ゴッホの終焉の地を鎮ってくれる“平和”のように思いたくなった。

 記念館を出て、駅方向へ歩く。ラヴー亭の向かい側に町役場があるが、その傍らにゴッホの描いた「町役場」の絵が立っている。ゴッホは、これをモデルに描いたというわけだ。さらに、道の反対側に「ヴァン・ゴッホ公園」なるものがあり、そこには、ゴッホの同郷ザッキンの大きな彫刻が立っている。イーゼルを背負った、何かにとり憑かれたようなゴッホ。とても良い作品であると思った。その後ろには、幼稚園らしきものがある。「ヴァン・ゴッホ幼稚園」とでもいうのだろうか、子どもたちが羨ましい。

AuversEglise0610.jpg 駅の前、先ほどのレストランの隣にもゴッホの絵が立っている。ゴッホが描いた「ドービニーの庭」である。そこを曲がって坂を上ると、「ドービニー通り」があり、そこをさらに右に行くと、「教会」の前に出る。11世紀から12世紀に建てられた、落ち着いたローマ・ゴシック型の教会だ。

L'Eglise0610 004_s.jpg ――やっとここに来た。ゴッホが描いたままの姿がそこにある。朗らかな陽の下、教会の前の縁石に、多くの観光客が満足そうに座っている。中に入ると、ステンドグラスを通した虹色の光が壁を染めていた。

GoghsTomb0610 004_s.jpg 教会からさらに坂を上っていくと、畑が広がる。たぶん、ここは麦畑なのだろう。ゴッホの描いた「麦畑」が見たいと思ってきたが、麦の季節は終わっているようだ。裸の地面が果てしなく続いている。その奥に、共同墓地がある。その一角にゴッホと弟テオの墓があるのだ。墓は、この世の騒ぎを無視するように、二人並んで静かに座っていた。墓石をおおう緑のツタらしきものの真ん中に、彼らの情熱の証であるかのように、赤い花が咲いていた。

ChampBle0610 003_s.jpg 共同墓地から西に歩くと、ゴッホの有名な「カラスの舞う麦畑」の絵が立っている。そこの道の十字路で彼はその絵を描いたのだ。麦の穂はないが、くねった畦道があの絵がここで描かれたことを証言しているように思えた。その十字路のかたわら、ゴッホが見つめたと思われる方角を眺めながら、しばらく座っていた。

 帰ろうとすると、あの教会で鐘がなった。犬を連れた女性が、黙って歩いてくる。通り過ぎた犬が、ちらとこちらをふり向くと、澄んだ目が悲しそうだった。その向こうに麦畑が広がり、さらにその向こうに、ゴッホの墓がある共同墓地が見えた。カラスが10羽ほど、黒々と共同墓地の上を舞っていた。



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2006年10月28日

パリの身障者

 パリの街を歩くようになって、すぐに気付いたことがある。車椅子の人を、まったく見かけないのだ。

 たしかに、街はほとんどがデコボコした石畳。舗装された歩道はあるが、そこから横断歩道をわたるにもスロープなどほとんどないのである。これでは、車椅子など動き回れるはずもない。時に電動の車椅子の方を見かけるが、横断歩道を渡るときはかなり苦労されているようすだ。

 さらに難物は、地下鉄。この街の地下鉄へのアクセスは、東京を経験した身からすると、最低だと思う。エスカレーターのないのが普通。エレベーターは大きな駅でたまに目にするくらい。エスカレーターがあっても、最終的にメトロに乗る時は、ホームからかなりの段差やギャップがあるので、車椅子ではほとんど無理だろうと思う。

 パリのメトロは番号がついていて、大きな番号ほど、新しくできたことを示す。12番線などは、新しい駅が多く、エスカレーターが十分ついていることが多い(エレベーターは?)。しかし、あるメトロから別のメトロへは、歩いて行かなければならず、その距離は新しいメトロほど遠く、接続も迷路のようである(もちろん、エスカレーターはないのが普通)。乗り換えは、身障者でなくとも、たいへんな思いをする。

 ときに、足がお悪いらしい人たちがステッキで歩いているのを目にするだけだ。しかし、車椅子を必要とされる方たちは、絶対どこかにいるはずだ。どうなってるんだろう。
 
 と、そんな疑問を長いあいだ持っていたので、フランス語会話の授業で、先生に訊いてみた。答えは
 「彼らは、街には出てこない。パリは動き回るのが不自由で、実際的でないから。移動は車でするだけ」
というのが、その答えだった。

 まあ、納得の答えだったわけだが、これほど世界中で「アクセスビリティー」とか「ユニバーサル・デザイン(どんな条件の人でも使える構造・し様)」と叫ばれているのに、パリ市当局が何もしようとしないのは、不思議ではある。

 パリは、身障者には残酷な街だ。そして、ホームレスの状況などを見るにつけ、“援助が必要な者”に過酷な街だと思う。
posted by ろじ at 00:00| パリ 🌁| フランス・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月27日

パリの印象(ある方への手紙より)

 …… パリは、はっきり言って住みづらいですよ。人々が、自分勝手でわがまますぎて、他人の迷惑を考えません。そのうち「独語」に書きたいですが、たとえば運転マナーなど、周りのことをまったく考えず自分本位すぎるため、あまりに危険であきれるほどです。

 「華の都パリ」なんて持ち上げる人もいますが、たしかに、パリは エレガントelegant かもしれませんが、それは「華やかさ」という意味においてのように思います。まだここに長く住んではいないので、直感だけで申し上げることになるのですが、エレガンスeleganceのもう一つの側面の「優雅さ」(grace)というのは、ないように思います。ちなみに、フランス語では「grace」は、「厚意」や「しとやかさ」「感謝」など、他者への心やふるまいのあり方をさすことがあるそうです。

 あえて断言すれば、いまのパリには「優雅さ」(grace)というのは、あまりないように思います。「華やか」は、個々人で勝手につくりあげる(たとえば金をかけて着飾って)ことができますが、graceという言葉の意味する「優雅さ」は、他者の評価や視点をかいして初めて成り立つのですから、自分さえよければそれでいいというのではないからです。その意味で、他人や相手に配慮することができないと身につくものではないと思います。

 華やかさ(「華やか」なかぎりでの elegance )は、その時の流行を追えばなんとか装うことができますが、graceは、(他人に配慮することを含めた)訓練と、そのある程度の歴史を必要とするからです(特に最近の移民や人口流動の多いパリでは、仕方のないことかもしれませんが)。

 パリジャンは、眼を見張るほど「華やか」 であっても、私には 「優雅」には見えません。パリには、「華やかさ」はあっても、ゆとりと他人へのふところの深さを持ち味とする graceは、ないように思います。
 まあ、そのことが分かっただけでも、良いのかもしれませんが。
posted by ろじ at 00:00| パリ ☔| フランス・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月25日

「セ・ラ・ヴィ」

 フレンチ・テレコムにインターネットとケーブルTVのパッケージを申し込んだが、なかなか手続きが完了しない。申し込んでからもう2週間が過ぎている。一昨日、ケーブルTVを接続する装置が小包で送られてきた。しかし、インターネットのモデムは、いまだに届かない。フランスのこういうサービスは遅いと聞いていたが、やはりチンタラしている。

 下の管理人さんに、うち宛に小包が届いているか訊くのがいいと思うが、そうなるといよいよ、旦那さんが亡くなった場合お悔やみを申し上げなくてはならない。

 買い物をして帰宅時、意を決して訊いてみることに。管理人室に誰もいないので、ブザーを押すと、暗い面持ちの奥さんが出てきた。小包が届いているか訊いたが、何も来ていないという。そのあと、
 「ところで、このあいだ旦那さんが亡くなったと……」
と言うと、奥さんの眼がさらに暗く沈み、そして軽くうなずいた。

 「本当に、本当に残念でした。お悔やみ申し上げます」
奥さんは、悲しそうな眼をしながらも、ほおに笑みを浮かせて、
 「セ・ラ・ヴィ(それが人生よ)。コム・サ(こんなふうにね)」
と言った。言った後で、泣き出しそうな悲しい顔つきになった。
その眼を見つめながら、なんと言っていいかわからず、黙ってカウンターに置かれた彼女の左手に触れた。奥さんは、
 「メルシ(ありがとう)」
と言い、さらに悲しそうな眼でオレを見つめた。

「セ・ラ・ヴィ」というは、「それが人生さ」などと失敗を気楽に受け流すときに使うとばかり思っていたが、こんな言い方もあるのだな。オレは、この「セ・ラ・ヴィ」を、一生忘れないだろう。

 (後日談:翌日の早朝、奥さんが小包を届けに来た。ドアを開けると、小包を「ヴォアラ(はいよ)」と、手渡した。モデムにしちゃあやけに小さいな、と訝(いぶか)しがるオレに、
   「戻ってきたよ、フンッ」
と捨て台詞をはき、くるりと向きをかえてスタスタ歩いていった。一週間ほど前にある人に送った小包が、あて先不明で戻ってきたのだ。
やはり嫌なバアさんである。)
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2006年10月23日

どう訊いていいのやら……

 エレベーターの中に、この建物の何とか氏が亡くなったという公示が張ってある。

 書き方からして、どうやらガーディアン(管理人)のご主人ようである。実は、ご主人は、ガーディアンとして入り口わきの管理人室に座っておられたのだが、入居してお会いした時にすでにちゃんと話すことができず、過去になにか大病をされたことを思わせていた。

 しかし、管理人がその「何とか氏」であることを確認しようにも、彼の苗字は知らず、夜ふけなどに誰もいなくなった管理人室を覗いても、それらしいものは書いてない。時々見かける奥さんに「ご主人が亡くなりましたか」と訊くのは、なんか変だし、たいへん失礼でもあろう。

 こちらが言葉ができないのに、ネチネチしつこく「いったい、なにが言いたいのかね?」なんて訊いてくる、決して感じのよくないばあさんであるが、やはり、ここはスジは通した方がいいだろうなあ。
posted by ろじ at 00:00| パリ ☀| フランス・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月21日

フランス人の他人への配慮について思う

 フランスに来てはじめて、元アメリカ副大統領アル・ゴアが主演のドキュメンタリー(?)映画『Une Verite Qui Derange(英語の原題は “An Inconvenient Truth”)』を観た。

 地球温暖化問題を、アル・ゴア一流のトークとさまざまな映像で、ときに大統領選での敗北への苦々しい思いをスパイスのように効かせながら、分りやすく説明する。この退屈なテーマを、2時間近くも飽きさせず、上手くまとめたと思う。使われている映像が、とても効果的だと思った。
 英語の原題は、訳せば「不都合な真実」。フランス語は、「じゃまな真実」。「いまや、これこそ誰も否定できない真実」という含みなのだが、「不都合」であり「じゃまな」のは、誰にとってか? それは、地球温暖化問題の否定しようとする政治家・学者たちに向けられたものだ、と最初の方で暗示される。アル・ゴアの意気込みが感じられる映画だった。
 
 フランスで映画館に行ったのは初めてなのだが、まあ、観客のフランス人、よく話す。予告編が始まってもペチャクチャが止まない。すぐ隣の奥に座っていたグループの端の女性なぞ、もう体を横の知り合いに向けて大声で話している。映画が始まってもこのまま話を止めないんじゃないか、とさえ不安になった。さすがに本編が始まると静かになったが、アメリカよりひどいと思う。

 映画の終わりは、クレジットの前に、スクリーン上に「この問題に関心がある人は○○しよう」「△△して下さい」という呼びかけが次々に流れる、ちょっとニクイ構成だった。しかし、前の方ですでに立ち上がったまま連れと話し始める輩がいて、明らかに後ろの人たちの邪魔になっている。

 「環境問題」の根本とは、自分の隣人や将来の他人のことに配慮しよう、ということだろう。その「環境問題」の映画を観に来て、他人のことに思いがいたらない(特に映画の後で)というのは、どういうことなのだろう。それほど、こいつらは自己チュウということなのか?

 近くにいた例のグループが、映画の終了以前に出て行こうとした。件のおしゃべり女性は、何も言わずわれわれの前をまたいで行こうとする。しかも、ゆっくり頭も下げずに行くので、視界が完全にブロックされた。中腰になってひざの前にスペースを作ったが、あまりの無神経さに、続いてやってきた男性に下手くそなフランス語で「待ちなさいな」と怒鳴りつけた。
 男性は「ありがとう」とだけ、英語で答えた。
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2006年10月20日

映画『父と暮らせば』

 日本映画特別上映会とやらがあり、『父と暮らせば』を観てきました。ずっと気になってはいた映画ではあったので。

 これは、舞台をそのまま写した感じの映画なのですが、この映画監督は、コマーシャルを多く撮っていらした方なのでしょうか。パンの使い方が、どうも「舞台」にしては不自然な感じがします。宮沢りえさんは、まあ、昔見た頃より上手くなられたようです。しかし、あの父親役は、はまり方がイマイチではないでしょうか。
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2006年10月17日

フランス国民の新大統領像

 今日のインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙に、「フランスにおけるセックスと権力への道」と題する記事が載っていた。フランスの歴史上、セックスが政治権力(むしろ政治家というべきか)とどう密な関係を持っていたかを説明している。

 フランソワ・ミッテランの葬式には愛人のアン・パンジョとその間にできた娘が列席したとか、シラクは女性が抗しがたい魅力をそなえていて、奥さんがあまりの嫉妬に耐えかねて離婚しようとしたとか、アメリカだったらスキャンダルで政治家が失脚しそうな出来事でもフランスではOKなのは、ジャーナリズムが個人情報を暴くのを良しとしないだけではなく一般大衆のものの考え方の違いによるのだとか……。

 この一般大衆のものの考え方に関して、1月にフィガロ紙によって行われた、「新大統領についての国民アンケート」の結果がひいてある。それによると、大統領候補の浮気が投票しない理由になると答えたのは、たったの17%であった(社会党候補のローヤル(女性)が大統領になれば、そういう見方は変わるかもしれない、とも指摘している)。

 ついでに、大多数が、「次の大統領は、50代、外国語をいくつか話し、正直で他人の話を聞く人が望ましい」と答えたという。「正直」と浮気を許容することが並存するあたりが、フランス人の「正直」観なのだろうか。しかし、

   外国語をいくつか話し、他人の話を聞く人

だと?!フランス人のあんたたちが、ねえ……。英語も満足に話さず、自己チュウそのまんまのフランス人がそういうとは、まったく驚くよなあ。自分ができないことを大統領に求めるものかな……。
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2006年10月11日

文化を越えた新聞小説

 時間があれば、日本人会に行って、朝日新聞を読みたいと思っていた。連載小説が気になっているのだ。それで夕方、時間を見つけて行った。小一時間だけだったが、幾編かを読むことができた。

現在、朝日新聞に連載されているのは、朝刊が『メタボラ』、夕刊が吉田修一氏の『悪人』である。最初は、『メタボラ』の方を、有名な気鋭の女流作家の連載が始まったということで、期待して読み始めた。しかし、話の展開の不自然さ、社会分析の説教くささ、人物描写のあまりの単純さなどに不満を感じ始めた。

 一方、直後に始まった『悪人』の方は、作家の細部を描く筆力、とくに心理の細部を解きほぐす描写力は読みごたえがあった。毎回(特殊な状況におかれた)登場人物の心理を読み解くコトバを探し出していくような丁寧さに、好感を持っている。「あらかじめ決まっている悪人」を月並みな視点で描くのではなく、この事件の「悪人」とは本当には誰なのか、どんな人間が悪人になるのか、いや、どんな状況のとき人は「悪」を行ってしまうのかを説くストーリーを、この作家は探し出しているように見える。

 『メタボラ』の方は、もうあまり付き合う気もなくなってきたが、『悪人』は、オレが海を越え、文化の違う国に来ても、気になる小説になってきたのである。それは、『悪人』の追求するところが、文化を越えた人間に普遍的なテーマだからかもしれない。
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2006年10月10日

あきらめ?

 親切であることを止めよう、という気になっている。あるいは、この国の女性は、あまりにスポイルされているのかもしれない。

 今日、電車に乗ろうとホームにいた。ベンチがあいたので座ろうとした。その座ろうとした席に、離れたところから、高齢の女性が駆け寄ってきて荷物を放り投げた。そして、驚くこちらの顔も見ずに、平然として座った。

 見れば、なかなかシャレた色合いのジャケットできめこんだマダムである。なかば憤然としながらも、この分別盛りのはずの女性がどう反応するか知りたい気持ちもあった。女性は、隣にあいているもう一つの席を連れらしい男性にしめしている。男性は、バツが悪そうにこっちをチラチラ見ている。

 なにかの意思表示をしたかったので、男性に向けて、「あきらめ」を示すようにクビを軽く振って見せた。そのあいだ中、女性はこちらを一度も見ようとはしなかった。

 どうも、この国の男性は女性にやさしいせいか、女性は(少なくともパリジェンヌは)スポイルされているようだ。
 メトロの中で席を譲っても、礼をいう人は女性では少ないようだ。年配の女性でもそうである。
 階段で荷物を持ってやっても、心から礼をいう女性に会ったことはまだない。
 道を聞いてもぞんざいな答え方をするのは、たいてい中年の女性である。

 どうも、かれらと「文明的」なやりとりをしたり、かれらに親切にするのは、こっちの気持ちをそこねて、その日の気分を害するだけかもしれない。

 かれらに親切にするのは止めたほうが良いのでは、と思い始めている。
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2006年10月09日

しゃく然としないこの気持ち

 こちらパリに移ってからも、クラブに属して合気道を続けている。が、毎回稽古をするたびに、なにかシャクゼンとしないものを感じてしまう。

 偉ソウナなことをいえる立場ではないが、どうも、多くのワザが違っているように見える。スタイルが違う、というのではなく、そもそもツボが決まってない感じがするのだ。たとえば、長い間してきたのと「似たようなワザ」だが、ナニか違うのである。
 オイオイそれでエエンかいな、というようなことを平気でするのである。途中で違う方向に投げてしまう。あるいは、みょうに長い間つかんでいて、あげくに、自分まで一緒に倒れてしまう(ワザは相手を投げるもんやろ、自分で倒れて、その後、別の敵に対してどうする?そんなアホな、と最初は目を疑った)。(自分のしてきた流派では)本来あいての後ろに回ってするワザを、前でかけたりする――。
 先生が悪いわけではなさそうである。事実、先生はちゃんとやっているようだ。しかし、違う風にやる生徒を注意するでもない。

 しかし、もっとストレスなのは、すること一つひとつに生徒たちがみょうな自信を持っていて、あげくに、(いわば)入ってきたばかりのこちらを“指導”しようとすることである。

 今日、あるハカマと稽古していた。ワザは、「正面打ち」といって、まずワザを「ウケる側」が片手を上からまっすぐ振り下ろすのである。投げる方は、その手を捕って投げるのだ。ところが、そのハカマは、突然、手のひらを開いたままこっちのノド元を突いてきたのだ。とりあえず黙ってワザをかけていたら、そのうち、今度はゲンコで突いてきた。

 さすがに、これには閉口である。このワザは、上から下に振り下ろされた腕の運動を利用して相手を投げるのである。ゲンコで突かれたら、違うワザをかけざるをえない、と少なくともそう習ってきたのだ。

 しかたなく、
「いまやってるのは、『正面打ち』ですよ」
と言ってみた。すると、なんと、おどろいたことに
「ああ、ショウメンツキだよ」
と応えた。
「ショウメンツキ?『正面打ち』は『正面突き』じゃないですよ」
「『ショウメンウチ』は『ショウメンツキ』。おんなじ言葉だよ」

 なんと?!おまえ、オレを誰だと思ってる? 日本人に、日本語教える気か、オメーは?!
 フランス人なあ、確かにこういう自信過剰なところがあるよなあ。「自分の信じていることはいつも正しい」そう思うヤツが多いのだ……。
これでは、運動でストレスを発散するより、ためてしまうのではなかろうか。

<オマケ>
 しばらく合気道の稽古していると、自分のしていることにあまりに“人工的”なものを感じ、ついには、自分が恥ずかしくなってしまう。それで、稽古をする相手と眼を合わせられないでいた。そしたら、先生が、稽古の相手をしながら、「相手の眼を見ろ」といった。
 この感覚、彼らに、どうしたら分ってもらえるだろうか。悩み中である。
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2006年10月08日

言語帝国主義者たち

 言葉が流暢でないと――とくに、フランスのような話すことに価値を置く国で流暢に話せないと、そういう自覚(あるいは謙虚さ?)から、まあ、人前で無口になったりするわけである。望むところじゃないんだけどね。

 しかし、無口=「何も考えてないか単なるバカもの」と判断し、物静かさ=「能無し」とみなしてしまう人たち、(言ってみれば)“純粋な朴とつさ”を「単なる愚鈍」と同一視してしまう人たちは、外国語を話すということの経験がないのではなかろうか。新しい言葉を学ぶ必要や欲求をもつ人たちがいる、ということに全く思いがいたらないのではなかろうか。

 それは、自分の国の言語しか存在しないと信じている、この世はすべて自国語の言葉でとり行われていると思っている、という意味で、「言語帝国主義」と呼んでいいと思う。むかし、アメリカでそういう考え方の輩に、ウンザリするほど出くわした。アメリカの「帝国主義」は軍事だけではないのだ。

ここでも、毎日そんな輩に出会う――。いやいや、上手く行かないゆえのヒガミだよ。判断する前に、もう少し、がまんしてみてはどうかな。
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2006年10月07日

オンフルール

 パリから2時間半ほどのオンフルールへ遠足しました。

Honfleur0610 023_s.jpg 港が、とにかく瀟洒できれいです。フランスの画家があこがれた南仏の明るさというのは、このようなものなのでしょうか。ここはブルターニュで、南仏ではありませんが。実際、むかしから、多くの画家が住み着てきたのです。
 錯覚を起こすくらい、光のまばゆさに感動しました。

Honfleur0610 013_s.jpg 街も、観光地なのですが、たいへん落ち着いています。しかし、色は原色に近い鮮やか。しかも、最古の木造教会などが、街のど真ん中に鎮座ましましています。まいりました。
 観光案内センター、「昼休み」しっかり2時間取ってましたが(さすがフランス)。

Honfleur0610 036_s.jpg シーフード、さすが北部屈指の漁港です。フィッシュ・スープ(スープ・ドゥ・ポワッソン)、ウマいです。あなどってました。完全にまいりました。
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2006年10月06日

食器洗い機

 文明の利器のはずなのに……。また厄介なものを発見したのである。
 
 うちにはありがたいことに食器洗い機がある。シンクの下に洗剤類の残りも入れてあって、そこに食器洗い機用とおぼしき洗剤があったので、こりゃラッキーじゃんかと、3週間ほど使っていた。
 
 ある日、食器洗い機の正面パネルにオレンジのランプが点いた。解説書(もちろんフランス語)を、辞書を引き引き解読してみた。「ある場所に塩をいれろ」とある。そう、カルシウムが付着するので、特別な「塩」を、洗剤のほかに注入しなければいけないのである。
 
 あわててスーパーに買いに行った。食器洗い機の洗剤売り場を歩き回るが、やたら種類が多い。
 あるセクションに、箱に入った粉の固まりのようなものがあり「なんとかSel」と書いてある。それが「塩」だろうか、と振ってみた。サクサクサク……。どこかで聞いたような音である――。
 
 ハタと気付いた。家にあるあの「洗剤」と同じ音である。いや、「洗剤」ではない。あれは、たんなる「塩」ではなかったのか……。
軽いショックのまま、家にあるものを確認しなくては、といったん家へ帰る。やはり「塩」であった。なんと、オレは、2週間も「塩」で食器を洗っていたのである。

 翌日、出なおし。洗剤売り場をさらに歩き回ると、「リンケージ(すすぎ・水洗い)」用洗剤(?)がある。なんだよ、リンケージ(すすぎ)って?食器洗い機ってのは、自動ですすいでくれるんじゃねえのか?まったくもって不可思議な国である。

 ワケが判らなくなりかけたが、とりあえず洗剤と塩とリンケージが必要なようである。しかも、さらなる調査の結果、それら3つが一緒になっているのもあるのである。ああ、フランス、おまえはなんと複雑なヤツなんだ!!

 失敗して投資が無駄になるとこわいので、3つが一緒になっているものを購入。とりあえず、今のところ、食器洗い機で洗ったものは汚れが落ちているようである。洗い後もコップなどには白い粉様のものが付着し、オレンジのランプは点いたままだが……。
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2006年10月05日

パリのエレベーター(改訂版)

 パリに来て、驚くのはエレベーターである。およそ先進国のシロモノとは思えないのだ。ここのエレベーターほど、不能率の代名詞のようなものはない。

 まず小さい。大きな美術館や会議場は別にして、ほとんどが少人数しか乗れない大きさである。ものによっては、二人乗るとそれで一杯になってしまう。スーツケースなどをのせた日には、一人しか乗れないのである。
 これでは、乗れない場合の待ち時間が長くて、時間のロスが大きい。これは、古い建物に、構造上あとからエレベーターを付け加えたからではなかろうか。事実、古い建物などは、エレベーターがないところが多いのである。

 しかも、一階まで下りても、さらに地下に行くためには階段を降りたり、別のエレベーターに乗ったりしなければならないこともある。これも、建物にあとからエレベーターを付け加えたせいで、まっすぐ地下まで穴を掘れなかったのではなかろうか、と思うのである。

 もっとも不可思議なのは、ほとんどのエレベーターが、操作の点で不能率にできていることだ。
 先日、うちのアパートでのことだ。1階で住人もう一人とエレベーターに乗り込んだ。彼女が「8階」を押した。その直後、うちは6階にあるのでオレは「6階」を押した。「6階」で降りようと思っていたら、エレベーターは、6階で止まらずに、最初に押された「8階」まで行ってしまったのである。
 
 別の日のことだ。エレベーターが上の階にあり、誰かが乗り込んだらしく、「押せ」というボタンのランプがついている(エレベーターが作動していることを示す)。オレもが1階に下りて行きたいので、ボタンを押して待った。しかし、エレベーターは、6階を素通りし、下の階へ直行してしまった!!

 つまり、信じられないことだが、一人が使うと、他人が使えないのである。早くボタンを押した者勝ちなのである。したがって、いそいでいる時は、エレベーターまで急いでかけて行って、すかさずボタンを押すのだった――。なんのための文明の利器なのか……?

 どうして、フランス人は、あるいは、待つことの嫌いなパリ人は、エレベーターの「プログラミング」ということをして、もっと能率よくしないのであろうか。「最初にアクションを起こした者が勝ち」「一人がよければそれでいい」という発想であろうか。
 なるほど、それは、いかにも、他人のことには決して頓着しない(自分中心主義の)フランス人たちを象徴しているようだ。
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2006年10月04日

初のルーブル詣出

 住居のセッティング関係で、パリに引っ越してきてから何も「パリ観光」らしきものをしていないことに気づく。

 こちらに来てすぐルーブル美術館の会員になったが、今日、水曜日は夜遅くまで開いていることを理由に、夕方から、ルーブル美術館に行くことに決定。
そこから遠くないところにある、カリテレマシオンという日本語インターネットカフェにも立ち寄ることに決める。

 久しぶりのルーブルは、やはりみごとであった。今日は、17世紀の彫刻家プジェPugetの作品を中心に見た。バロック時代のただ中にあって、これほどバロックを越えたリアリズムと、それをさらに越える感情の表現をかなえた芸術家を知らなかった。(「ライオンに襲われるクロトンのミロ像」の、ダイナミックな感情表現。ロダンにも比較できると思う。)Louvre@Night0610 014s.jpgその才能にもかかわらず、プジェはフランス国王ルイ14世からは不遇な扱いを受けたという。天才、世にはびこらず、か。

外に出ると、ルーブルのピラミッドが夕闇に映えていた。

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2006年10月03日

さすが農業国

 夕方、意を決して、やや離れたスーパーに車で買い物に出かける。

 「意を決し」なくてはいけないのは、初めてのところに車で行くのは、パリの場合、かなり神経を使うからである。しかも、その途中に、あの「ロータリー」とよばれる円形交差点が2箇所もあるからである。(9月23日の日記参照)

 疲れているので栄養をつけようと、肉を買い、ついでに野菜も。
 トマトが袋に入ったものを買ったが、どれも新鮮である。日本のように、傷んだものや腐ったものを隠して入れているようなことはない。感心した(むしろ市場のカゴに入ったものはそういうナサケナイ状態のものがあるようだ)。とても香りのよいバジルも一束買う。

 トマトをブツ切りにして、それにバジルを刻んでのせる。軽く塩をふってオリーブオイルをかけて、サラダの一品が出来上がりである。これがまた美味かった。トマトの自然な甘みがとてもよく、いくらでも食べられそうな味である。
 肉は、塩コショウをふって、バジルを千切って軽く載せ、飲み残した赤ワインをかけて焼く。同時に買った冷凍の野菜も軽く焼いて添えた。肉は安物のせいかイマイチだったが、この冷凍の野菜のインゲンがなかなか美味かった。冷凍なのに甘みがある。

 うーむ、さすが農業国。

 話は前後する。買い物をしていて、どの洗剤がいいか悩んでいると、黒人のオバサンが親切に教えてくれた。熱心に、どの洗剤が色落ちしないかということを「私はずっと使ってるがね、一回も色落ちしたことはありませんよ!」などと言う。
 ムール貝を買おうとすると、黒人の若いお姉さんが、「それはもう一枚ビニールを使った方がいいわよ」と、ビニール袋を取ってくれる。

 この国は、マイノリティーが親切であるようだ。そして、それは、かれらの置かれている立場ゆえなのかもしれない。
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2006年10月02日

メトロの風景

 用事でメトロに乗って座席に腰をかけたら、目の前に座った妙齢の女性が食事をしていた。胸の前にどうどうとプラスチックの容器をかかげてサラダを食べている。
 パリのメトロには、ボックス型の座席が多いが、車両の端にはいくつか、日本の地下鉄のような向かいあいの席がある。女性が座っていたのはその向かいあいの席である。膝の上には、バゲットを置いている。さすが、フレンチの昼食である。電車の中でも、いわゆる“コース”?

 唖然として見ていたら、次の駅を出た頃に、男の子が女性に近よって話しかけた。よくは聞こえないが、「お腹がすいているので、食べるものが欲しい」といっているらしい。
 自分の子なのかと思ったが、身なりも粗末で、なんかおかしい。どうやらいわゆる物貰いの子のようだ。女性は、きぜんと前を向いたまま「ノン」と言って、食べ続ける。

 地下鉄を降りたら、目の前をブロンドの女性がサンドイッチを右手に持って、食べながら出口へ向かって走っていった。さすがパリである。

 改札を出て階段をあがっていたら、通り過ぎたかっぷくの良い、いや、はっきりいってかなり太った黒人の女性が、目の前を足早に歩く男性を追いかけながら、「ムッシュー」と声をかけている。女性は太っているので追いつくのも一生懸命である。男がやっと振り返ると、
「靴のひもが、ほどけてますよ」
と、巨大な体を折り曲げ、相手の足元を指差しながら注意した。
 パリには、こんな人情深い側面もある。
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2006年10月01日

本当のパリの全体像?

 パリ東の20区で合気道のセミナーがあった帰りに、あたりを歩いてみる。日曜で蚤の市らしきものが開かれていたが、それまで知っていた「パリ蚤の市」とはエライ違いである。

 まず、中近東系とおぼしき人たちが多い。移民なのか、言葉はりゅうちょうではなさそうだ。さらに黒人も含めて、自分が要らなくなったものや、どうみても盗品と思われるものを、地べたに並べて売る人たち。さらにテントで作った露天街。お香、古い衣類、電気製品、時計などが並ぶ。そこには、熱気と同時に奇妙な緊張感さえあるようにみえる。

 街にはトルコ人やギリシア人も多いようで、かれらのエスニックの「ファーストフード」店も多いのである。街角で買い食いしたトルコピザは、なかなか美味であった。

 パリは少なくとも3つの社会階層的な地区に分かれるのではなかろうか。(1)西の比較的落ち着いた住宅地(場所によってはかなり高級な住宅地)が並ぶ地区――(2)シャンゼリゼからバスティーユにかけてのあたりの華やかあるいは高級な商業地区――(3)そして東の移民が多い地区。それにおそらくは、この2番目と3番目の間に、カルチエラタンなど、パリに古くからある社会的に“周辺的な”階層が住む地区があるのではなかろうか。(1)と(2)ばかりみても、本当のパリを知ったことにはならない――そんなことを考えながら帰ってきた。

 帰ってみて調べたら、「モントレイユの蚤の市」という、有名な蚤の市であった。
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