2006年11月25日

ラファイエット

 デパートのギャラリー・ラファイエットに行った。クリスマス商戦たけなわ、さぞ売るほうも目の色変えて、と思ったら……。 
  

 白人の売り子さん(ほとんどが白人)は、ほとんど、店の真ん中の椅子にフンゾリ返っていた。すぐ周りで何人もの客が物色しているのに、脚を投げ出して眺めているだけの「売り子さま」さえいた。

  
最上階の巨大レストランに行った。セルフサービスだが、テーブルで食べた後はそのまま席を離れることができる。その後かたづけをしていたのは、黒人(アフリカン?)、アジア人等、すべていわゆる有色人種だった。 
  
 さすがに、この国の縮図を見たという印象を否定できなかった。

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2006年11月23日

ボーヌのワイン祭り

  週末は、ワイン祭りを覗いてきた。 
 毎年11月の第3金・土・日・月曜日は、ブルゴーニュ地方のボーヌという町で、フランス最大のワイン祭り「栄光の3日間(LES TROIS GLORIEUSES)」が開かれる。 
 金曜日は、とりたてて行事はないが、前夜祭のようなワイン祭りがあるらしい。土曜日にはクロ・ド・ヴジョという村利き酒騎士団」というシャレた一団の入団式と晩餐会が開かれ日曜日には世界中のワイン商が集まるワインのワインオークション競売会がボーヌの施療院(オスピス・ド・ボーヌ)で開かれる。最終日は閉幕に、ボーヌ南のムルソー(そう、ワインで有名なムルソー)で収穫を祝うための大晩餐会がおこなわれる。 
 基本的な土地の情報は こちら
「栄光の3日間」のもっと突っ込んだ話はこちら
   
 直前に行こうということになって、あわてて現地の観光局などに電話して調べてみたら、「利き酒騎士団の入団式と晩餐会は、招待者のみ。「外からだけでも見ることはできないのか」と訊いてみたら、それはできないと言われた。しかも、クロ・ド・ヴジョ(これも高級ワインの土地として有名)の村は、ボーヌの北30キロくらいのところにあるのだ。 
  
 しかたなく、土曜にボーヌに着いたものの、その日はボーヌの街見学と、ワイン試飲と「屋台」を試す。まず、ボーヌの施療院(オスピス・ド・ボーヌ)に行く。ここは、むかし、簡単にいうと病院だったところ。ボーヌでのワイン醸造の歴史は古く、ガリア・ローマ時代までさかのぼる。910年にクリュニー修道院、1098年にシトー派修道会が相次いでブルゴーニュの地に創設され、修道院運動の中心地となった。それゆえ、ブルゴーニュにはいたるところにロマネスク建築の傑作が残っている。そうした修道院でもワインは作っていたのではないかと思う。が、ボーヌのワインが有名になるのは、もっと後の1443フィリップ善良公の宰相ニコラ・ロランが、貧しい人たちの救済のため、この病院を建ててからのことだ。 
  
 百年戦争がようやく終わったこの時代、ボーヌは貧困と飢餓に苦しみ、市民の4分の3はほとんど収入もなく貧困にあえいでいた。市民の士気を高めるために、宰相と夫人のギゴーヌ・ド・サランが貧しい人々や老人のためのオスピスHospices(英語で言えば「ホスピス」つまり病院)の建設を決めた。その名を「Hôtel-Dieu神の家」という。宰相は自身の死に際し、全財産を投じて、オスピス経営のための経費をあたえ、ブドウ畑や塩田の経営によりオスピス自体が収入を得られるようにするとともに、多くの芸術家たちに仕事を与えて建物の装飾を行った。 
  
HospicesDeBeaune1_s.jpg 

 その運営費をまかなうためにワイン販売を始め、それがいまでも名ワインとしてフランス中に知られているというわけだ。このオスピスが使われたのは、1971年までだが、中庭を囲むカラフルなモザイク模様の瓦屋根は、いまも美しく輝いていた。 
大病室の祭壇画「最後の審判」は8年の年月をかけて制作されたこの細密画、ゴシック様式絵画の主要な作品のひとつなんだそうな。 
  
 中は、古い病院のようだが、病室から薬局、台所にいたるまで、すべてが整然と能率よくまとめられ、経営にたずさわった人々の能力の高さを物語っていた。 
  
Degustation1.jpg さて、オスピスを出ると、さっそく試飲である。屋台といっても、なかなかのもの。トゥルーズ産ソーセージと玉ねぎの白ワイン煮を挟んだホットサンドは悪くない。ある教会でやっていた試飲会に出ていた出見世には、フォアグラや牡蠣、チーズ、エスカルゴもある。 
  
 その教会で土地の白ワインを飲んでいたら、そのかたわらに、牡蠣を皿にいっぱい載せたおじさんがやって来て、いかにも「これを一年間、ずーっと待ってたんだよ」とばかりの喜びを体中からほとばしらせながら食べ始めた。親切な人らしく、「ホラ」と、こちらを見て、牡蠣の盛った皿をあたかも勧めるように指差すのだが、自分で食べたいらしく、なんと言って分らないような顔をする。申し訳ないので、「どうぞ、さあさあ(アレ・ズィー)」と言ったら、また嬉しそうな顔をして食べ続けた。 
  
 ためしに何か食べようと思ったが、フォアグラはすでに売れ切れ。惜しいことをした。しかし、代わりに買った、チーズにバゲットが添えられたものが、これまた白ワインに良く合った。 
  
 オスピス・ド・ボーヌは、今でもすばらしいぶどう畑を所有しているので、そのワインはたいへんに質が高い。そのために、この日曜に行われるオークションは、世界中の人が集まるほど注目され、そこでの取引価格は、その年のワインの出来の目安にもなっている。このオークションは140年の歴史を誇っている。「オスピス・ド・ボーヌ」は、ブルゴーニュを代表するワインの「ブランド」になっているのだ。 
  
 日曜日の競売会に出されるそのワインは、一般の者も試飲が可能なのである。オスピス・ド・ボーヌの裏にあるカーブ(ワイン蔵)にて飲める、その人数限定チケットが朝から発売される、と耳にした。そこで、日曜の朝8時に行ってみると、熱心なワイン好きが集まってきていて、ヤンヤヤンヤと待っている。そのうち日本人のグループもやってきた。入り口で入場料を支払うと、入場券代わりにグラスが渡され、あとは蔵の中のワインを自由に試飲できるのだ。樽のわきには、製造者の名前が書いてある。 
  
 入ったのは先頭に近くだったが、日本人グループはペースが速い。にぎやかなグループなようなので、できるだけ距離をとろうとしたが、すぐ追いつかれ喧騒に囲まれてしまった。おじさんが「おお、これがムルソーだ!おーいい、こっちへ来てごらん。・・・こりゃ、苦い、ダメだね。ムルソーはこんなものじゃないよ」などと、若い者にウンチクを垂れている。 
  
HospicesBeauneCave2.jpg カーブのワインは、けっして美味いものではない。ワインは、オークションで樽ごとネゴシアンなどのワイン業者に売られるのである。このネゴシアンが樽のワインを寝かせて熟成させ(Elevageという)、ボトリングを行い販売する。つまり、オスピスで飲めるワインは、熟成前のかなり苦味のあるものである。そんな味でもネゴシアンたちは「一級」のものを判断して買っていくのだ。 
  
 ワインをピペットで注いでくれたある業者が、騒がしい日本人を横目で見つつ「彼らは日本人か」と訊くので、「そうですよ」と答えたら、「あなたも彼らのグループか」と言う。「けっしてそうじゃありませんよ」と答えた。昨日の土曜は、日本人のかわりに、ドイツ人が多く来たのだという。 
  
 グラスに入れてもらったワインの香りをかぎ、口に含め、まあ香りをかぎ……と、判ろうと一生懸命に繰り返していたら、珍しい日本人と思われたのか、テレビクルーらしき人たちがオレのことをかなり長いあいだ録画をしていた。さて、どっちの「日本人」がその日の夕方のニュースを彩ったのだろうか。 
  
 その後、ワインを販売もするカーブに行き、試飲をする。簡単なつまみが出てきて、それまで考えたこともなく驚くようなワインとの組み合わせに、ワインの世界は「深くてヤバイ」と痛感。最後から2番目に97年の「ジブリー・シャンベルタン」が出てきてブッタマゲタと思ったら、最後に1937年物の「Savigny-Les-Beaune」が出てきて信じられず、どこにいるのかわからなくなった。これは、レストランで飲んだらおそらく一杯30ユーロはするんではなかろうか。デザートワインで、一緒に出されたチョコレートの組み合わせは、この世のものとは思えないほどであった。見事なワインで心も体もかなりデキアガッテしまった。 
  

BeauneParade1.jpgその後街を歩いていたら、パレードがあったり(とても素朴で気に入った)、樽造りコンテストがあったりしているうちに、オークションが始まった。ものすごい人で、中には入れない。が、ガラス越しに見えた中には、並べられたテーブルの上にたくさんの電話が据えられ、世界中からこのオークションに参加していることがうかがえた。

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2006年11月22日

ブッシュのベトナム訪問(改)

 インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙に、ブッシュのベトナム訪問を皮肉ぎみに語ったおもしろい記事があった。ここにインターネットから採録したいと思うが、ヘラルド・トリビューン紙がニューヨーク・タイムズ紙に買われてからというもの、時間がたった記事はインターネットで読めなくなってしまった。 
  
 ニューヨーク・タイムズ紙も経営に苦労してるのはわかるけど、全て金の世の中みたいでやだねえ。 
  
 ここフランスからアメリカを見ると、さらに距離感をおいて見ることができるような気がする。ヨーロッパの視点というものを、ここに住んでいるだけで感じ始めた?

 

後記:ああ、ありました、新聞。実は、ベトナム戦争とイラク戦争がどのくらい同じものかを論じている、つぎのこの部分を引用したかったのです。 
ベトナム戦争の教訓:あきらめるな、とブッシュ氏 

(略)ベトナム(戦争)が非常に異なったものだったという議論は、ベトナム歴史家のスタンレー・カルノー氏によっても支持されている。

「もちろん、相違点も類似点もある」とカルノー氏は述べた。「どちらの戦争にも、われわれは嘘で突入していきました」。「しかし」と、氏はつけ加えて言った。「容易に分るまとめ方をすれば、ベトナム戦争はゲリラ戦として始まり、そして普通の戦争へとエスカレートして行きました。戦争の末期には、大きなグループ同士で戦っていたのです。一方、イラク戦争は、従来型の普通の戦争として始まり、しだいにゲリラ戦へと悪化して行きました。まるで逆の方向へと進んでいったのです。そうした場合は、もっともっと対処が難しいものなのです」。

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2006年11月17日

豚肉と梨のボージョレー煮

 昨日、ボージョレ・ヌーボー解禁。街の酒屋では「ボージョレ・ヌーボー」という文字がデカデカと張り出され、レストランでも「ボージョレ・ヌーボーが来ましたよー」てな誘い文句が扉にかかげられるようになった。 
  
 さて、ボージョレ・ヌーボーに敬意を表して、豚肉と梨とワインで料理をした。いえ、どこにも必然性ないんですがね。 
  
 まず、ニンニクをしいて厚手の豚肉に軽く焼き目をつけ、取りよけておく。 
 本来は紫タマネギだが、ないので代わりにローズ・オニオンをさっと炒めて、その上に豚肉を置き、梨を薄切りにしたものを重ねる。 
 ワイン(もちろん、ボージョレ・ヌーボー!)とアップルビネガーとハチミツ(少々)をかけて中火から弱火で蒸す。水気がなくなったら、出来上がり! 
  
 今回は、ボージョレ・ヌーボーのフルーティーさが生きました。 
 これ、けっこういけますよ。お試しあれ。
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2006年11月16日

やっとネット接続

数日前、やっとネット接続した。mail to なんと2ヶ月以上がかかったことになる。日本だったら考えられない遅さである。いや、ふつうは3ヶ月かかりますよ、ラッキーでしたねー、などと知り合いに言われて、喜んでいいんだかなんだか。ふらふら 
  
 しかも、ああ、そのあいだに起こった手続き上の煩ささ、いや、向こうの会社の能率の悪さや無責任さについては、書くのも疲れる。パンチ
 しかし遅いなあ。ときどき落ちるし……。こっちは、電話回線と併用なので、ADSLでもこんなものだそうだ。眠い(睡眠)
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2006年11月15日

フランス電力事情

 昨日の電気の話の続き。
 だいたいこの国は、電圧が高すぎるのである。220から230ボルトもある。(「から」とあいまいなことを書くのは、どこを調べてもはっきりしたことが書いてないからである。たとえば「以前は240だったが、ほとんどが220になりつつある」なんて書いてある。電圧表示も、ものによっては「220」だったり「230」だったりする。)専門家でないから正確でないかもしれないが、新しい電球でも簡単に切れてしまうのは、電圧が高すぎるからではないかと思っている。

 この国は、電気供給をほとんど原子力発電でまかなっている。作った電力はあまるほどあるらしく、となりのドイツなどに売ったりしている(ドイツはドイツで、環境重視の「脱原発政策」がうまくいかず、電力に困っているらしい)。フランス政府は、原子力発電のおかげで排出二酸化炭素が軽減でき、その結果、「気候温暖化対策になっている」などと公言しているそうだ。

 しかし、フランス人の性格を考えると、<ほしいものは、どんなことがあっても手っ取り早く自己供給>という自己保存思想、簡単にいうと、自分中心主義がまずあって、「二酸化炭素の削減」はおまけのようなものではないか、と思う。

 環境といえばゴミの話もあるが、パリの“すさまじいゴミ事情”の話は、またいずれ。
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2006年11月14日

電球が切れる……

 ろうかにあるロウソクの炎型の電球(ここには、そんなものがあるのだ、ビバ・アールデコ)の一個が切れた。で、買ってきたものと付け替えた。

 が、点かない。買ってきた二個セットのもう一個も入れてみたが点かない。すわ、電気の接続自体の問題か?こりゃ、修理工を呼ぶのか、高くつくぜ……、と思ったが、念のため、ろうかですでに点いているものを付けてみたら、ちゃんと点くではないか!

 つまり、なんと、買ってきた新品が2つともダメだったのである。しかし、こんなことは、フランスでは驚くべきことではないらしいのだ!!

 先日も、寝室のランプスタンドの電球が点かなくなったので新品の電球と換えたら、一瞬、点いてすぐ消えた。「ああ、ランプスタンドが壊れちまったなあ、交換に行かんといかんなあ、フランス語で交渉するのは、いや、フランス人のやつらと交渉するのは気が重いなあ」などと思って、1週間ほど放っておいた。

 週末になり、「やれやれ今日こそ行かねばなるまい」と思いたち、返品のためランプスタンドを分解し、最初に入っていた箱に詰めなおそうとしたときのことであった。思いなおして手元にあった電球をつけてみた。なんと、ちゃんと点くではないか。つまり、「新品」のはずの電球がイカレテいたのだ。

 電球は、ほとんど月に一個は切れるし、買ったものはマトモじゃないし……。
 こんな品質管理のできない国が、軍隊や爆弾を持っているとは思いたくないぜ。
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2006年11月13日

孤独にたいするキャンペーン

 近くのRER(Réseau Express Régional「高速近郊鉄道網」とでも訳すのか、郊外に繋がっている一種のメトロである)の駅には、ときに面白い広告が張り出される。

 今日行ったら、「孤独を断ち切ろう(Rompre la Solitide)」のスローガンの下に、草地に横たわった男の写真や、疲れ切った顔つきの女性が悲しげに壁に寄りかかる巨大な写真が載っている。わきに「SMIC、そして独り」「80歳、そして独り」などというせりふが書かれている。

 SMICというのは「法的最低賃金」の意味だから(下の注を参照)、働いても働いても最低賃金しかもらえない社会階層でしかも独りっきりという侘びしさ、そして、もう一つは、80歳になっても家族のいない悲哀を表わしているのだろう。

 さらに、その下には、「Partager notre raison d’etre 」 とあり、カソリック の団体が行っているキャンペーンである旨が書いてある。「raison d’etre」というのは、日本では、一昔前に(学生運動のころか)哲学用語として流行った言葉。「存在理由」と訳すが、若者がことあるごとにしかめ面で難しげに「レーゾン・デートル、レーゾン・デートル」と言っていたという。フランスでは哲学用語でもあるが、もちろん日常用語で、「生きがい」などという意味だ。だから、この場合「みんなで生きがいを分かち合おう」くらいの意味か。

 社会で取り残されたひとびとに手を差し伸べる、連帯感を強調するキャンペーンなのだろう。――しかし、街にあふれるホームレス。子どもや若い女性もいる物ごい。自己チュウでまわりの他人を省みないパリジャンたち……。まずするべき、自覚しなければならないもっと基本的なことがあるような気がする。なにか違うと思う。

注:Salaire minimum interprofessionel de croissanceの略で、業種間一律スライド制の「法定最低賃金」の意。2006年6月30日現在で、時給8,27ユーロ、週35時間労働で月1254,28ユーロである。

 さらにいろいろgoogleしてみて判ったが、これは、毎年7月1日の実効賃金を基準に政令で定められている。フランスの賃金制度の特徴は、2つあり、@賃金決定において、労使交渉に基づく産業別労働協約のおよぼす影響が大きいが、その一方で、SMICの水準が高く、カバーする労働者の割合が大きい。A階層別の集団平等的な賃金制度から、成果主義に基づく個別的な賃金決定へ移行しつつある――という特徴がある。しかし、よく言われるように、簡単には「クビ」にされないことなどが、労働者のモチベーションを下げているのではなかろうか。

 ほんとに働かねえからねえ!
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2006年11月11日

終戦記念日

 夜、本を読んでいたら、お向かいさんがパーティーでにぎやかである。耳をすませると、一ヶ所だけではないようだ。

 今日もけっこう寒いのだが、向かい側のアパートでは、窓を開け放ち、ベランダでワイン片手に談笑している。

 カレンダーを見たら、1918年の終戦記念日とある。そんなことを、いまだに祝うのだろうか。アメリカの「ベテランズ・デー」みたいな退役軍人のための祝日だろうか。しかし、そんなものでパーティーをするのか。

追記: 後で調べたら、この日は「Armistice(休戦記念日)」あるいは「Armistice 1918」と呼ぶのだそうだ。第1次世界大戦の休戦記念の日だという。1918年11月11日に、パリ郊外のコンピエーニュにて休戦協定された。凱旋門あたりでパレードがあったらしい。
 ということは、アメリカもこの日が記念日だということだろうか。「Remembrance Day」ってこの日だったか。ちなみに、第二次大戦の終戦(戦勝)記念日は「Armistice 1945」と呼ぶそうだ(5月8日)。
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2006年11月06日

小市民的ぜいたく

 夕方、旨いパン屋をすぐ近所に発見。買ったばかりのバゲットをかじったら、サクサクッと音がした。噛んでも、粘りがある。おいしさだけでなく、嬉しさで、思わず飛び上がる。

 夕刻、近くを散歩していて、店の外までおばさんたちの行列ができていたパン屋があったので、入ってみたのだった。行列ができるには理由があったのだ。夕方の焼きたての時間なのだろう。やはり、食に厳しいパリジャン、特におばさんたちがならんでいるのはいいサインである。バゲットはせいぜい1ユーロ。また一つ、ステキな店を発見した。

 パリは、人は大柄(おおへい)なヤツが多くてそのかぎりでは居心地が悪いけど、物食い物だけは質がいいのは、悔しいけど認めざるをえない。

 もちろん、パン屋でも店による。日本でも高級店として有名なあるチェーン店パン屋は、何度か入ってみたが、まったくダメである。実は、今日みつけたパン屋から歩いて1分ほどのところにそのパン屋の一店舗があるのだが、やはりダメで、お客もほとんど来ないようなのである。パリジャンの眼は厳しいのだ。

 金がかからない(かけられないのだけど)こういう“ぜいたく”は、楽しくてたまらない。ビバ・パリである。
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