2007年06月30日

コート・ロティと鈴木清順

Wine-Guigal 1.jpgワイン教室上級編。「上級編」といっても、こっちは、ワインの基本的な分析さえもおぼつかないレベルなので、アップアップである。 


で、今日は、「コート・ロティ編」。なんでも、先生はこれに惚れてソムリエになったそうで、かなり思い入れが強いんだそうだ。それほど「ポゥーとするほど、なんとも言えず素晴らしい」ものなのだそうだが、(おそらく初めて)テイスティングして、その感動が少しだけ分ったような気がした。

 

コート・ロティは、Ampuisを中心とするローヌ河左岸で造られるワインである。ローヌ河というのは、かなり急な傾斜の谷間を流れる。その斜面の高度150メートルくらいから300メートルほどの所で獲れるワインだそうだ。このあたりは夏は日射が激しい。とくに南に面した斜面は、強い日差しが当たる。その激しい日差ゆえに「ロティ rotie(焼かれた)」という名がついたのだそうだ。しかも、ただ暑いばかりでなく、山間にあるので、山の北風が流れてきて熱がコントロールされ、その微妙な気温が維持される。

 

上に述べたように、谷あいの限られた地域にしかできないので、ブドウもたくさんできない。だから、このワインは希少だ。さらに、ここはローヌ河の最北にあるためブルゴーニュに近くてブルゴーニュ産ワインに似ていることもあり、ブルゴーニュ産ほど高価でないワインを探していたアメリカ人が買い占めた(1999年がピークだったそうだ)。その結果、非常に人気が出て、手に入れるのが本当に難しくなった。先生によると、売る方も「まったくこっちの足元を見て、他の(ケース)と抱き合わせでないと売らない」のだそうだ。


テイスティングしてみて、そのスゴサが、少しは分ったような気がする。よく、ブルゴーニュ産ワインは“女王様”、ボルドー産は“王様”と言われるが、コート・ロティは、男性的と女性的の双方をあわせ持ったような複雑さがみごとに調和していると思った。何本か試したが、総じて、タンニンが抑えられていて、品やシルキー(絹目のような細やかさ)さ、フローラルさやしなやかさがあり、同時に、たくましさ、野生さも(ワインによっては土っぽさも)ある。それらがどれも、静かな深みの中に落ち着いている感じがする。

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2007年06月29日

やっぱ気にいらん

Ile-de-Cite&Moon1.jpg

(また、アップが後手後手ですな。書きたいことはあるのに、アクシデント続きで……。やれやれ。)

 実はこの一週間(25日の月曜から)は、差別的と思われる扱いを受けて、ムシャクシャする一週間であった。むろん、思い込みである可能性もある(むしろそう願いたい)が、気分をかなり害したのは事実なのである。

 
月曜のこと、ある語学校にフランス語を習いに行こうかと思い、そこのいわゆる「指導カウンセラー」らしき男と話したのだが、その話し方やある種の語句が、あまりにこちらをバカにしたものだった。実は、その男とは、その前の週の金曜に一度、話をしていた。その時、こちらが受講することを願ってか、「Reduction(値引き)する」と言ったのだった。月曜に会った時、会話が終わって出てきたらそのことを思い出した。そこで、また行って、「先週の金曜に話した時には、あなたは『値引きする』と言ったと思うが」と訊くと、男は「それは、おまえの幻想(かってな思い込み)だろ(C’est ton fantasme)」と言下に言って、ドアをピシャリと閉めた。

 
かりに先週の金曜の会話が誤解だったとしても(そうでない確信があるが)、「fantasme」というセリフは、かなり失礼だろう。ドアを閉められてから、すぐ不快になった。考えてみれば、「ton(おまえの)」という表現を使うことからも判るように、男の話し方全体が、こちらを子ども扱いしているように聞こえる(男は、こちらと同じくらいか、やや年上)。「このヤロー」と思ったが、いまから怒鳴りこんでも始まるまい。 

 
 しかも、こんな時に限って、そのあとも、いろいろとたて続けに不快な扱いをされ(たとえば、閉まる間際のスーパーに入ったら、入れてもらえなかった、ほかに白人が何人か買い物をしていたのに)、踏んだり蹴ったりの気分の何日かだった。

 ここはフランスだ(いうまでもなく、植民地を抱えていたフランス)。過去には、こんな気分や事態ではすまない目に遭った人々が、星の数ほどいたに違いない。アカラサマな差別は、いまでもスペインのサッカー場でも起きている……。そして、そのずっと前から女性たちが不当な扱いを受けていた。
 そもそも、世界全体を見れば、白人の方が少数なのに、“人種差別”をすることの愚かさ。しかし、(かつて加藤周一が書いたように)問題は、少数民族が歴史を動かしてきたことである――。


 
 帰ってのち、頭を冷やすことを期待して数日しばらく考えた後、やはり、その学校の人事課に「男の態度に抗議する」というメールを送ったが、気分は晴れなかった。
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2007年06月27日

このブログの価値

 このシーサーブログ、頻繁に障害を起こす。昨日の日記では、写真がまともにアップできなかったし、今もすぐに書き込みが繁栄されない(昨日のも含めて、書いてから4時間たってもアップされていない)。最近はイライラすることこの上ない。まあタダは仕方がない、ということなんかとも思うが、「ヘルプ」デスクにメールを送っても、返ってくる答えは、「障害は確認されません」「うまく行くはずです」というものばかり。で、またイライラ。

 時に、このブログにコメントは付けられないんですか、というメールをいただく。
読んでいただけるのは誠にありがたいことであるが、実を言うと、しばらく前からコメントは許可しなくなっている。以前に、コメント欄に性を商品にした広告、自分のブログの宣伝のためだけの足跡とかをやたら付けられた。それを削除するのがウットオシイだけでなく、そのあまりに愚かでムナシイ行為に、それを見ているだけで気が滅入った。精神衛生のために、コメントをできないようにしてしまったというわけ。

 それから話はかなり飛ぶが、というのはそれで思い出したのだが、以前、ここのブログ(「無用独語」「酔眼妄語」)をよく読むという人から、野球関係の情報をいただいた(コメントだったか、直メールだったか)ことがある。わたしの近い人はよくご存知だと思うが、わたしは「狂い」がつく大の大リーグ野球好き(日本のプロ野球は、巨大球団支配の不明朗さにウンザリして、しばらく前からあいそをつかせてしまった)。その大リーグ関係で、『マネー・ボール』という面白い本が出たから読め、というご指摘をいただいたのである。

 
このマイケル・ルイス(Michael Lewis)氏の著した 『マネー・ボール』(原題『Moneyball: The Art of Winning an Unfair Game』)は、大リーグ球団の近年の「新しい経営方針」を事実や統計に基づいて、実に面白く説いている素晴らしい本である。簡単にまとめると、強いチームを作るためには、(NYヤンキースのように)高い金を払ってスーパースターを買ってくる必要はなく、かわりに打者の「出塁率」などに目をむけ、つまり統計(正確には「セイバーメトリクス」という野球統計学)を駆使して“安いが役に立つ選手”を集めてくれば、それなりに強いチームを作れるという哲学を説いたものだ。

 
実際、オークランド・アスレチックスというチームは、そのようなチームマネジメントの上に球団運営されている。当時、アスレチックスの給料総額(5959万ドル)は、下から5番目、「金満チーム」と陰口を叩かれたニューヨーク・ヤンキース(18032万ドル)の三分の一以下だったが、プレーオフに進出できるチームであった。その中心的存在が、アスレチックスGMのビリー・ビーン氏で、その彼のことがこの本には頻繁に出てくる。

 
実は、この本は、アメリカにいた頃に原書で手に入れて、気に入ってすでに自分でも「酔眼妄語」に書いたり(大リーグ・小さな球団の巨大な実験」)、その著者のアメリカのラジオNPRでのインタビューのことを書いたりしていたのだった。 http://blog.livedoor.jp/mougo/archives/2003-08.html
自分でもかなり力を入れていたので、しばらくたって「愛読者」という人に、しかも翻訳本の『マネー・ボール』を読めといわれた時は、ちょっとムッとして、その時まではかなり《読者のために書く》ことを意識していたが、もっと《自分のために書く》ようにしていいんじゃないか、と思い始めたのであった。

 考えてみれば、読者にとって、他人のブログなんて(特に、わたしのブログごときは)その程度の地位しか占めないのであろう。だからこそ、
自分のブログの宣伝のためにわざわざ他人のブログに足跡を残したりする者がいるのだろう。それが分っておらず、かってに熱くなっていたのだ。
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2007年06月26日

音楽祭り

夏至の音楽祭り7.jpg

 お約束の「音楽祭り」の日記のアップが、かなり遅れてしまった。いろいろ用事があった上に、一日4時間分くらいしか“電池”がないので、夜にはクタクタでブログどころではなかったのです。どうかご容赦を。

 さて、6月21日の「夜が一番短い」夏至の夜に、フランス中で「音楽祭り(Fete de la Musique)」が行われた。いや、「フランス中で」と書いたが、1982年にフランスで始まったこのお祭り、そのウェブサイトを見ると、今やアルバニアからジンバブエまで非常に多くの国が参加しているらしい。


 パリだけでも、催されたコンサートやダンスは数え切れない。7時過ぎに、まず、ノートルダム寺院でのクラッシック・コンサートに。寺院前の広場に着いてみると、すでになにやらものすごい数の若者がくり出していて、しかもいくつものグループに分れて銘々が音楽やらダンスやら。地べたに座ってただ飲んでいる者たちも。寺院内のクラッシック・コンサートなぞなにするものぞ、という活気である。おそらく、何百年も前にも、お祭りには、この広場では、若者たちが同じようなエネルギーで当時の流行りの音楽を奏でていたのだろう。

 ノートルダム寺院の中では、備え付けのオルガンで現代音楽調のもののコンサート。みな、神妙そうに聞いていて、外とのコントラストが面白かった。

夏至の音楽祭り2.jpg 
そこを出て、シテ島から左岸へ渡り、そこをブラつくことに。あちこちのバー、レストラン、道端でコンサートが開かれている。サン・ジャック通りをちょっと入った角のカフェの周りが、ものすごい群集である。行ってみると、女性の見事な声でジャズが流れている。人の垣根の間からみると、黒人の若い女性が驚くほど通る声で歌っている。

 
なかなかのジャズが終わってヤンヤの喝采の後は、なんとオペラの夏至の音楽祭り3.jpg『カルメン』であった。情緒とコケットリーいっぱいに、カルメンのアリアを歌う。観客も、歌詞を一緒に口ずさむ(フランス語なのだ。うらやましい!)。本当に楽しそうだ。アリアの小節の最後のところを、美しい声量で目いっぱい延ばすと、観客は、興奮と賞賛と陶酔の声を上げた。ほんの何曲かだったが、じつに心に残る時間だった。

夏至の音楽祭り4.jpg 
そこから、セーヌ川を岸辺へ降りて歩く。みな、この美しい夕べにいられること自体を楽しんでいるように見える。ダンスをしてる者がいる、その周りを囲んでダンスに見とれている者もいる、岸辺の石畳に車座になってワインを飲んでいる者、岸辺に腰かけただ川面を見つめる二人連れ、どれも絵画の一部のように美しく、この夕べにふさわしいように見える。見上げると、橋の上には酔いどれたちがたむろしている。しばらく行くと、岸辺につないだ船にグラス片手に座り、そこから壁に映画を映して楽しむグループを見た。最高の「映画祭」だ。

夏至の音楽祭り5.jpg 
左岸から右岸へ渡る橋は、どこも鈴なりの人である。ルーブル宮に行くために、「芸術の橋(Pont des Arts)」を渡る。そこも、歌い踊る人たちでいっぱいである。あまりに楽しげなので、しばらくそのさまを見ていたら、ルーブルでのお目当てのコンサートは終わっていた。人々の楽しい夕べを見られたのだから、それもまた良し。

夏至の音楽祭り6.jpg 
深夜の12時、ルーブル宮前からメトロに乗ろうとしたら、パレ・ロワイヤル前でラテンダンスをやっていた。楽しげな若者たち。着飾った女の子が、いま到着したばかりという風情で駆け寄ってくる。この「音楽祭り」は、朝まで繰り広げられるのだ。
 美しい夜は、始まったばかりなのだ。
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2007年06月21日

パリの「その手の者」

 今日は、「音楽祭り(Fete de la Musique)」という、パリ中でさまざまな音楽が楽しめる日。明日には写真もアップできると思う。

 さて、昨日、買い物に行こうと歩いていたら、ヨボヨボ(しかもガリガリ)のお婆さんが、ニコリとしながら近寄ってきて、
「すみませんが、今日は水曜ですか? 水曜ですよね。」
と訊いてきた。

 
あまりの唐突さと意表をつく質問に、一瞬たじろいだ後、新手の詐欺かと怪しんだが、一応答えることはできるだろうと思い、考えた後、
「えーと、そうですねえ……そ、そうですよ、水曜です」
と応えた。そう言うと、お婆さんは満足したように去っていった。
 
しかし、アレはなんだったのだろう。ボケ老人のようにも見えなかったが。

 そういえば、以前、パリの街でこんなことがあった。
 道を急いで歩いていたら、はるか先から歩いてきたアラブ系(?)の男が、目の前で何かを拾った風をして、大きな金色の指輪を差し出した。そして
「これは、あなたのかい?」。
 もちろん自分のではないから、
「違う」
と応えると、
「オレのでもない。とにかく、ここにあったんだから。今日は、あなたのラッキーデーだ」
と言って、その指輪をわたしに渡そうとする。そして、握手さえしようとする。
 一度は断ったが、「いや、ホラ」と熱心に渡そうとするので、腰を引いたまま受け取り、気味が悪いが握手もしてしまった。受け取ってから、歩きながら(急いでいたので)、指に摘まんだ指輪を、さて、どうしたものかと見つめた……。 

 と、後ろから男の声がした。振り返ると、男は右手の親指と人差し指をこすりながら、
「なにかタバコ代をくれ」
という。やはり、そんなことだったのか……。すぐさま、持っていた指輪を差し出して、
「これは、やはりわたしのではないので、もらえない」。
 男がどうしても断ろうとするので、近くの家の軒下に置いて立ち去ろうとした――。 

 突然、男が大きな声で
「それは、こっちに返せ!」
と怒鳴った。
 フン、やっぱりな、と思ったが、こんな男と係わり合いになるのはイヤだったので、指輪を渡して、背を向け、出来るだけすばやくそこから歩き出す。財布でも出したら、それをヒッタクルつもりだったのだろうか……。
 

 しばらく歩いて、後ろを振り返った。同じ男が、さらに後方からやって来た作業員らしき男の直前で、“しゃがみこんで”何かを拾うマネをするのが見えた――。
 フランス人も引っかかるのか……。
 街では多くのことに警戒する方だが、あの時は、行く先のことを考えていてウッカリしていた。いや、それほどヤツの振る舞いが自然だった。
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2007年06月15日

日本社会の不可思議さ

 これを読むだけで、日本の政治組織の不思議さ、無責任・厚顔無恥体質、自分に甘く問題処理に対するオソマツさ不誠実さ、決定システムの理不尽さ、そしてメディアの甘さオソマツさ、つまるところ日本社会の不可思議さが、よく分る。
年金検証、霧中の船出 委員会、原因追及「どうすれば」
http://www.asahi.com/life/update/0615/TKY200706140357.html
 社会にすむ日本人はなぜ怒って、その怒りを政治にぶつけないのだろうか?2004年の年金関連不祥事(年金記録のぞき見、裏金作り、収賄事件、保険料の流用)に、この国民が怒ったとは思えない。

 
ほんとうに、ほんとうに情けない。
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2007年06月13日

コムスン・NOVA問題

 このブログの日記エントリーが、900を越えたんだそうだ。こんな駄文をアメリカ時代から何年も書き続けているが、そんな数になっているとは、ちょっと驚いた。1000稿になったら、何かお祝いでもやるか。その時までこれを読んでくれる読者がいるかどうか、分らないが。そこまで生き延びたお祝いとして。
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 日本のメディアによれば、
「コムスン」処分を受けたのに続いて、NOVAが営業停止を食らった。

 しかし、この2社とも、ずっとずっと以前から、大変な問題があることは知る人ぞ知るの事態だったのに、なぜ今、国は突然「処分」するのだろうか。年金問題でうけた非難がすぐ行われる参議員選挙に影響しないように、政府がいわゆる“ガス抜き”を図って(謀って)いる、と考えるのは簡単だが、それだけだろうか。しかも、グッドウィルグループ関係の「問題」が、いま、ぞろぞろと出てくるのはなぜなのだろう?

 
しかも、こんな出来事が、今ごろ(!)報じられている。

NOVA社長、国会議員連れ市長面会 解約トラブル巡り
http://www.asahi.com/national/update/0611/TKY200706110268.html 

 もっと不可解というか、腹が立つのは、メディア(特にフォローしているのは、朝日新聞)がこぞって同じように、これらの問題を報じていることである。政府が情報操作していない(?)としても、こういう不自然な出来事を「悪がついに裁かれた」みたいに報じるのは、政府側とグルになっていると思われても仕方ないんじゃないか。イラク戦争当時ブッシュを批判できなかったアメリカのメディアよりも、タチが悪い。 

 前に書いたように朝日は国際事件報道も情けないかぎりだが、こんな具合では、「権力の監視機能」「批判権力」なんて看板は掲げないほうが良いと思う。
 (追加:数日前に書いた「カナール・アンシェネ紙」は、第一紙面に「毎週水曜発行・風刺新聞」と、はっきりと表示してある。何度も言うようにこれは良い新聞だが、まず風刺新聞でない普通の新聞をフォローしてもらいたいものである。)
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2007年06月11日

フランス人の「自由」

中世美術館で1.jpg あるフランス人女性(弁護士)と話していて、「自由」の話しになった。アメリカ人の自由は経済的活動(金もうけ)に安易に繋がる自由だと思う、などと話した後で、フランス人にとって自由とはなんだろうか、と質問すると、

「フランス人にとっては、『自由』とは、なにか(ふるまい)をする自由ではなく、まず『考える自由』を意味する」
と答えた。

 
「それは、人間の基本的な能力として、限界がないものだ」とも言った。
「限界なく考えられる自由」――それは、フランスの哲学者デカルトも、その有名な哲学的探求『方法的懐疑』で前提にしたものだったろう。デカルトは、絶対的に正しい真理を見つけるため、すべてを疑ってみた。その結果、どうしても疑えない「真理」に到達する。どれだけ疑っても、疑う“私”は存在する――「われ思う、ゆえにわれあり」。「疑う」ことは「考える(思う)」ことである。この懐疑のためには、どこまでも限界なく疑える能力を前提にする……。

 
そんな話をしたら、彼女はニヤリとして、「われ疑う、ゆえにわれあり」と言った。デカルトの「懐疑」は、フランス人のメンタリティーから自然に出たものだったということになる。
 彼女に、「フランス人の考える自由は、それを表現する自由と繋がっているだろうか」と訊くと、「そのとおり。それも自由だ」と応えた。

 
おそらく、フランス人にとっては、「考える自由」は「話す自由」と、密接に繋がっているのだろう。それは、フランス人のおしゃべり(放っておくと際限なく話す)の傾向を、説明するだろうと思う。もちろん、何でもかんでも話せば(書けば)良いわけではないのは、ある程度の知識人なら判っているはずだし、そこに、「スタイル」(表現の洗練をもたらすもの)ということも問題になってくる。しかし、基本的に、フランス人にとって、「話す自由」は、「考える自由」という基本的な人間の条件に裏打ちされているのではないだろうか。

 
かつて、あるフランス人と英語で議論していた時のことだ。そのフランス人の議論を論理的に論破したことが明らかになった時、なんと、そのフランス人は泣き出した。何人か(フランス人を含む)に訊くと、議論に負けるとフランス人はよく泣くのだそうだ。本当かどうか分らんが、「話す自由」が基本的条件の「自由」に繋がっていると考えると、それも理解できるような気がする。

 
「パリっ子が、車の運転などでボウジャク無人ぶりを発揮するのも、その自由の現われだろうか」と、彼女に訊くと、
「パリジャンが大柄(arrogant)なのは、自由とは、また別の話よ」
そう言って大声で笑った。
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2007年06月08日

「新しいフランスを」――Diam'sの歌

メトロで1_e.jpg  6日付のインターナショナル・ヘラルド・トリビューン(ヘラトリ)に、サイプラス(ギリシア)系フランス人のラッパー Diam’s  の記事が載っていて、これがまた大変おもしろかった。



Rapper with attitude updates 'Frenchness'
http://www.iht.com/articles/2007/06/05/news/diams.php

 彼女のヒットソングは『私のフランス、私のもの(
Ma France à moi )』という。
「私のフランスは混じり合っている。そう、虹色のように。……
このフランスは、(ここにいる)みんなをモデルに作られていないので、気にいらない」
と歌う。レゲエ、北アフリカのズーク(zouk:カリブ小アンティル諸島のダンス音楽)やライ(アルジェリア起源の音楽)などを組み合わせたリズムだ。

私のフランスは、バゲットやベレー帽のフランスでなく、ケバブやフード(ずきん)もあるフランスなの――。 

 Diam’s  
は、フランスのパリ郊外で、移民として育った。フランスは、自由と平等を謳う――しかし、それは、移民には完全には保証されてはいない。彼女は、移民として、フランス人であることと、マイノリティーとして「自分流にフランス人であること」を折り合わせようとする。彼女のラップには、マイノリティーとしての怒り・憤慨、いらだち、そして、フランス人としてのプライドともろさが混在する。そのラップは、去年、MTVヨーロッパ音楽賞を受賞した。

 
Diam’s  の歌は、主流に属さない、特に有色人種の、第2世代の若者、第3世代の子どもたちにアピールしているという。上のヒットソングは、フランスでは、特にパリ郊外の若者たちに国家のように歌われている。この郊外は、2年前、若者たちの暴動があった所である。Diam’s  の流行は、新たな「国民アイデンティティー」の考え方を謳う歌が、特に移民地区で売れていることに特徴があるのだそうだ。

 
歴史家のジャスティン・ヴェッセ(Justin Vaisse)は、Diam’s  の歌は、90年代のように自分の国家を否定するのではなく、批判しながら内側に残るという考え方の表現であるという。ヴェッセによれば、その歌詞の中にある、(世界に誇るべき)フランスの社会システムに対する誇りと、同時に新たな「フランス」の概念を強く求める欲求との混在――これが、これらの若者に強く訴える要因であり、この「フランス式アイデンティティー模索」は、近年の国家アイデンティティーの範となるものであるという。
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2007年06月07日

親しみなのか、侮辱なのか?

Promnade4_s.jpg

 やはり敏感になってるのか、と思う。

 エレベーターに乗ろうとしたら、女性がすでに乗っていて降りようとしている。ドアを開けてやろうとした(パリのエレベーターはたいてい2重扉で、外側のは自分で開けるのだ)が、内側のがまだ完全に開けきっていないらしく、扉がすぐには開かない。中にいたオンナは、イライラしながら
   「ほら、開くのを待たなくちゃダメよ」
と言った。 

 フランス語を知っている方ならわかるはずだが、フランス語の呼びかけには、丁寧の「あなた(
vous)」と、親しみを込めて言う「きみ・おまえ・あんた(tu)」がある。「vous」は、格式ばった場面やお互い馴染みのない大人同士が使うのが常だ。「tu」は、子どもに対してや、学生や若い人同士などが初対面でも気軽に使う。恋仲同士は、もちろん、「tu」。それぞれに応じてフランス語は使う動詞の活用が違うので、命令文(主語を言わない)でも、その文を聞けば「vous」か「tu」か分る。

 
このオンナは、上のセリフを「tu」の命令文で言ったのだった。オンナの歳は、30前くらい。わたしがイイおっさんであることを考えれば、若者同士の言葉を使ったとは考えにくく、また、お互い知りもしないので、親しみを表す「tu」でもないのは明らかだ。

 
ややムッとして、歩く道々、このオンナの反応についていろいろ考えてみた。アジア人であるわたしが、若く見えるということもあるだろう。しかし、ここでの経験では、多くの場合「vous」で話しかけられるので、わたしが若く見えると言うわけでもなさそうだ。「vous」で話す時は、そこに「敬意を込めた距離感」が感じられる。やはり、このオンナには、その逆の「敬意のない距離感」があったのだろうと思う。
   「彼女は、わたしを目下の者と見たのだ」
という意識がぬぐえない。

 
これは、アジア人(とくに男性が)が白人と接する時に、しばしば直面する“あつかい”だと思う。親しみなのか、侮辱的扱いなのか、という判断に、話すたびに悩みながら。
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2007年06月05日

「マーシャル・プラン」失敗の例 と日本の新聞へのグチ(追記2箇所あり)

  テレビのアルテ(ARTE)というチャンネルは、実に興味がある番組を放送するので、パリジャンにも高い評価を受けているようだ。夜、そのアルテで、アメリカの「マーシャル・プラン」が、戦後のギリシアにどういう理由で導入され、どう失敗して行ったかについての映画を放映していた。

 
 これが、「マーシャル・プラン」が“うまく行かなかった1ケース”として、実に面白かった。簡単にいくつかの要点を:

  • アメリカの「マーシャル・プラン」の基本理念は、「ある程度の富がなければ、民主主義は根付かない」というもの。
  • アメリカは、この「マーシャル・プラン」を、ギリシアにソ連から共産主義が入ってくるのを妨げるために使いたかった。当時のトルーマン大統領の『トルーマン・ドクトリン』は、「いかなる手段を使っても、共産主義化は阻止する」というものだった。
  • アメリカの「マーシャル・プラン」は、富(の再生産)をもたらしたが、同時に、生活のアメリカ化をもたらすものだった。アメリカは、「アメリカの夢=物質的生活」をもたらすものとしてこの経済政策を広めるため、映画やパンフレットでギリシア中に啓蒙を行った(例:ピアノでなく、蓄音機を。伝統的コンロでなく、アメリカ流オーブンセットを)。
  • ギリシア人、おのれの文化にプライドがあるギリシア人は、経済的には「マーシャル・プラン」を受け入れたかったが、精神的にはそれを拒否した。そして、その結果として、「マーシャル・プラン」は政治的に受け入れられなかった。
  これは、アメリカ化を経済的にはノドから手が出るほど望んでいても(当時のギリシアは、きわめて貧困だった)、その経済的理由を越えてそれを拒んだ例である。人間は、ときに、経済的理由だけではなく、感情(誇り・怒り・哀しみ)で政策を決める。ギリシアの選択は、そのみごとな例だろう

追記: 放送された記録映画によれば、アメリカの大統領トルーマンは、ソ連からギリシア共産主義が入ってくるのを警告するため、「テロリスム」という言葉を使ったのだった。自国の介入を正当化するため誰かを「テロリスト」に仕立てあげる―― あの国は、昔も今も変わっていないようだ。

 
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 日本の新聞サイトを見てるとタメ息がでる。下のような国際面のニュースのわきに、緩くてオメデタイ広告の数々
Yahooのニュースサイトなど、なんと言っていいか……。日本は平和であるなあ。“クオリティーペーパー”「朝日新聞」の例:
ETAが停戦破棄を宣言 バスク和平交渉決裂かhttp://www.asahi.com/international/update/0605/TKY200706050345.html米国でラオス政権転覆の陰謀 傭兵集め武器輸送計画http://www.asahi.com/international/update/0605/TKY200706050336.htmlタイ、クーデター以来の政党活動禁止を解除http://www.asahi.com/international/update/0605/TKY200706050415.html
  しかし、それにしても、「朝日新聞」のこの日のフランスに関するニュースが、次の二つである。たしかに、最初のは(一ヶ月前に)「リベラシオン」紙で取り上げられて話題になったが、G8サミットでのドイツとのやりとりとか、サルコジのセシリア(前)夫人が専属プレス担当官を雇うことを決め、“ファーストレディー”職を受け入れることを決めたとか、いろいろあるだろうに。ホント情けねえ。

 
  朝日のウェブサイトは、最近、トップに、見たくもないのに「コミミ口コミ」とかいうハヤリネタを出してくるし、日刊スポーツのゴシップ記事をリンクしたりしている。日刊スポーツの記事は、専門のスポーツ記事も日本語が「?」というのが多いし、それをリンクしている朝日はなにを考えてるんだろう? いくら労働力を省きたいとはいえ、朝日、チトなんとかならんのかね。

仏のサルコジ大統領「凡庸な高校生」 教師が証言http://www.asahi.com/international/update/0605/TKY200706050152.html
ナポレオンの恋文など、歴史的な手紙競売へ ロンドン
http://www.asahi.com/international/update/0605/JJT200706050001.html

追記: 最初の記事の「仏週刊紙カナール・アンシェネ紙」は、どこからも広告を取らず独立の資金(つまり購読料だけで)だけで経営してる、一本骨の通った立派な批判的ジャーナリズムだけど(だから、サルコジに目を付けられているんだが)、いわゆるカリカチュア新聞(ゴシップダブロイドではない)で、普通の新聞とは性質が違う。この記事を、あえて他のニュースを抑えて載せる朝日の理由は、なんなのだろうか。そもそも、この新聞の特派員って、自分で取材しないのか?ロイターやAFPや、フランスの新聞を訳しているだけなのか?? そんなの、日本にいたってできるんじゃないのか?

仏のサルコジ大統領「凡庸な高校生」 教師が証言

        200706051220

 フランスのサルコジ大統領は高校生の時に成績が凡庸で、卒業したとされるパリ政治学院も実は出ていなかった――。こんな調査結果を、すっぱ抜きで知られる仏週刊紙カナール・アンシェネ紙などがこのほど伝えた。


 発端は、大統領が当選を決めた5月6日夜、支持者の一人が仏リベラシオン紙の取材に応じて「(成績に例えれば)優良だ」とサルコジ氏をたたえたこと。同氏のバカロレア(大学入学資格)の試験採点を担当した教師と称する男性が、同紙への投書で「73年にパリのモリエール高校から受験した番号18917(サルコジ氏)の成績は全く凡庸だった。仏語は20点満点の7点、数学は8点。哲学は9点で、評価はBだ」と暴露した。
 

 カナール・アンシェネ紙はこれを受けて調査。大統領の経歴がエリート養成校である「パリ政治学院卒」とされていることについて、「確かにサルコジ氏は2年を学院で過ごしたが、獲物(卒業資格)を捕れなかった」と明らかにした。  

  
同紙によると、大統領の同学院卒の経歴は大統領府のホームページにも載っていたが、「卒」の部分が最近削除されたという。 

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2007年06月04日

書く方針と ケィ・ブランリー美術館

ケイ・ブランリー美術館1.jpg

 この日記は、ご覧のように一ヶ月以上遅れてアップしている。どうせ多くの人は読まないと思い、自分の周りに起きたあれこれを記録するのを、主たる目的にしている。しかし、昨日、
「どうせ、複数の記事をアップするなら、実際の日付の分も書いて、過去のも同時に書くようにすれば?ブログは、『いま』起こってることを書くのが大事なんだし。古いのばかりだと、ひとは読まなくなる」
と言われた。

 
 本当に面白い記事だったら(自分のがいつもそうだと言うわけではないが)、それは過去のでもかまわないだろうし、このブログは新聞ではないのだから「現在のこと」ばかりアップすることを大前提にする必要もないと思う。もちろん、過去に起きたことを、現在の日付で「2週間前に」とか「以前こういうことがあった」と書くことも出来る。しかし、そもそも、そうやって≪現在の日付で≫過去のことを書くことと、過去に起きたことを≪過去の日付で≫書くこととになにか違いがあるのだろうか。それに、「古いから」と読みたくない人は、毎日、新しいパリのレストランで喰ったものなぞを写真つきで載せている日記なんぞはいくらでもあるから、そういうものでも読んだ方が良いのではないだろうか。

 
 それでも、まあ、ブログの持ち味の50%が「旬であること」「現在進行形であること」にあるのは確かだ。それに、いずれアップしようとわたしが書き溜めている一ヶ月分以上の文章も事柄も、それほど大騒ぎするほど大したものでもないのも事実だ(ただ、4月中旬から5月中旬の一ヶ月間は、フランス社会にとってとても大事だったのは事実だが)。

 
 中身を充実させたものを書きたいなら、現在ほとんど死に体になってる「酔眼妄語」を使うこともできる。

 
 というわけで、(原則として)その時どきのものをアップしていき、同時に、過去に遡っても書き込むということにします。 

 さて、月の最初の日曜は、パリは美術館がタダの日である。そこで、新しくできた「非西洋美術専門」のケィ・ブランリー美術館(
musée du quai Branly)に行ってきた。ここは、つい去年(たしか、シラク大統領の肝いりで)セーヌ河沿い、エッフェル塔の足元に建てられた、アフリカ・アジア・オセアニア・アメリカ(南アメリカ中心)の民芸品類30万点を収める博物館的な美術館である。世界各地を探索した、文化人類学者レヴィ・ストロースも影響を与えたんだそうな。Jean Nouvel が設計したきわめて現代風の有機的な構造の建物も、人気の理由の一つだ。
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