2007年07月17日

パリの「貸し自転車」始まる

 この15日から、パリの街中に、貸し自転車が置かれることになった。「Velib」という。「Velo(フランス語で自転車)」と「liberte(自由)」をかけたらしい。

 1ユーロ払えば30分乗ることができ、いったん返してまた借りると、その1ユーロで24時間乗り放題という。パリ中の300メートルから500メートルおきに貸し自転車ステーションが作られ、10600台が配置された。年末までには配置数はその2倍になるという。この貸し自転車ステーション、つい先日まではあちこち工事中で、ほんとうにこの期日に間に合うのかとハラハラさせられた。が、まだ一部「作業中」があるものの、なんとか間に合った。フランス人にしては上出来である。

 こう聞くと、なかなか良いシステムだが、自己本位で公共という意識が低いフランス人(それは彼らの駐車の仕方を見れば一目瞭然)、ちゃんと還したり、壊さないで使えるのだろうか。(ちなみに、借りる時は150ユーロの預かり金をとられる。盗難防止である。)

 そんなことを考えていたら、そう思うのはぼくだけではないらしい。パリの英語フリーペーパーに『TheParisTimes』というのがあるのだが、そこで「Velib」の特集をしていて、パリにいる何人かに、この新しいシステムをどう思うかインタビューしている。

 パトリシアBさん(アメリカ=フランス両国籍の60歳の女性)曰く、
うまくいくとは思わないわ。だって、フランス人は他人の持ち物を大事にしない(敬意をはらわない)し、特に、とりたてて誰のものでもない場合は、まさにそうだから」。

 よくぞ言ったパトリシアさん!!まさにその通りなんだよ、こいつらフランス人(特にパリジャン)!!

 キャサリンPさん(フランス人、29歳の女性)曰く(「Velibに乗りますか?」と訊かれて)、
パリじゃ乗らないわ。若死にしたくないから。パリの交通事情はちょっとアブナクて」。
posted by ろじ at 00:00| パリ | フランス・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月16日

ゴッホの麦畑 再訪

オーベール麦畑5.jpg

 去年、ゴッホ終焉の地オーベール・シュール・オワーズに行ったことは、以前に書いた。
10月29日 「ゴッホ終焉の地オーベール・シュール・オワーズ(下に引用)

 しかし、一番見たかった麦畑は、もうすでに刈り取られた後で見ることができなかった。ゴッホがあれほど執拗に描いた麦畑――。
 

 今年はなんとしてでも見てやろう、と意気込んでいた。しかし、あの有名な絵は8月から
9月頃に描かれたというからまだ大丈夫か、いや、早いほうがよかろう、じゃあ、この連休のあいだに一度見てくるか、とまあ、いわば余裕で出かけたまでは良かったが……。

オーベール麦畑3.jpg 着いてみてタマげた。日曜だというのに、これから麦を刈ろうとする直前である。
あと2時間遅かったら、大後悔であったろう。

 瞬く間に刈り取られていく。胸を締めつけられるような思いでしばらくそこに立って眺めた後、街へ降りて地元の食堂にお茶に入った。観光客らしき人が座っている。麦の穂を持っている人もいた。と、壁に麦畑の写真が飾ってある。
オーベール麦畑4.jpg
 ゴッホが描いたような、どんよりと曇に垂れ込められた今にも何かが起こりそうな麦畑だ。
しばらく見つめていたが、
 「これはあの麦畑なのですか?」
と店の娘さんに訊くと、そうだと言う。

 「うーん、今年も見れませんでした」
というと、娘さんは、カワイソウニと、やさしい笑顔を作った。


**************************************

ゴッホ終焉の地オーベール・シュール・オワーズ

 ゴッホがその晩年をすごし、生涯を終えた土地、オーベール・シュール・オワーズに日帰り旅行をしてきた。

 高校の時以来、弟テオらに充てた書簡を集めた『ゴッホの手紙』を愛読してきた。それは、自分の青く、安っぽい青春の苦さや苦しさを癒してくれるだけでなく、それ以上に、この世界には何かもっと純粋で、大きな大事なことがあると教えてくれるものだった。ゴッホの「純粋さ」は、いまでも人々をひきつける。その「信仰心以上の純粋さ」ゆえに、ゴッホ自身、不器用でぎこちない人生を歩み、苦しんだのだが……。

 彼の絵が好きな自分にとって、ゴッホにまつわる土地を訪れるのは、長年の夢だった。その終焉の地が、パリから電車でわずか1時間のところにあるとは、なさけないことに最近まで知らなかったのだ。

L'Oise0610 003_s.jpg 秋晴れのなか、あまりきれいとはいえない2本の郊外電車を乗り継いで行った。電車は、郊外ののどかな中流住宅地や、ややすさんだ町並みを、交互に抜けてゆく。やがて、右手に河が見えはじめる。オワーズ河だ。「オーベール・シュール・オワーズ」というのは、オワーズ河に面するオーベール村という意味である。その直後、昼ごろ、電車は音もなくAuvers-Sur-Oise駅へ滑り込む。

 ひなびた田舎である。精神をわずらったゴッホは、ここを身を落ち着けられる場所と考えた。はるか以前、弟のテオにこう書いた。

 パリは、いま秋で美しいことだろう。(パリでは)去年、毎週日曜日に、ぼくらは、できるかぎりたくさんの友達や教会を訪ね歩いたものだ。朝早く出かけそして夜遅く帰ってきた。秋の夕方、とちの木に囲まれるノートルダムは実に美しいと思う。しかし、パリには秋や教会寺院よりももっと美しいものがある。
 それは貧しい人たちだ。

 そんなゴッホがこんな寂れた静かな田舎を望んだのもうなずける。ここで、彼の絵にも残っている、あの愛情深いガッシェ医師に会ったのである。理解者を得て、また、風景の穏やかさと素晴らしい夏に夢中になって、憑かれたように、ゴッホは一日1枚半のペースで油絵を描いていった――。

 無人の駅に降り立つ。これは、かつてヴラマンクが描いた小さな駅である。改札もないゲートを出ると、道をはさんで向こうに小さなレストランが見える。ここは、かつて、コローやドービニーが出入りしたところである。それだけではない。この一帯には、セザンヌ、ピサロ、ルノワール、ヴィニョン、ギョーマン、ゴーヌット等、多くの画家が集まった。ゴッホの描いたような「数々の星々」。

AuversTown0610 003_s.jpg 右手の丘の上には、古びた教会が見える。これが、ゴッホが描いたあの教会にちがいない。この地にこうして立っていることが、信じられない。教会に行くのを我慢して、観光インフォメーション・センターを探さなければならない。フランスは、観光地といえどもどこも長い昼休みを取るので、その前に行かないと、大事な時間を無駄にしてしまうことになる。これは、先日、オンフルールに行ったときの教訓だ。

 「観光インフォメーション・オフィス」とフランス語で書かれた立て札を頼りに、ひたすら歩く。途中、ゴッホが下宿していた「ラヴー亭」のところを右に曲がる。すぐ右手に小さな博物館のようなものがあるので、そこで訊いたら、観光オフィスは道の向かいだという。

 観光オフィスは、古びてこじんまりした建物の1階であった。2階は、ドービニーは博物館である。もらった地図を頼りに、歩き始める。時間は昼時だが、まず目の前の「博物館」に戻り、「ゴッホの部屋」を見学。入り口は、「ラヴー亭」の裏側にある。つまり、このゴッホ記念館ともいえる建物は、「ラヴー亭」の2階、「ゴッホの部屋」の真下にあるのだ。

 建物に入り、みやげ物のようなところで待たされる。「ゴッホの部屋」を訪れる観光客は多い。この日も、多くのフランス人が来ていた。館の代表のような女性が、このゴッホ記念館の由来と現状を説明してくれる。まずフランス語で、そして英語で。この記念館を維持するだけでもかなりの費用がかかり、スイスの富豪が金を出してくれたおかげでやっていけるという。「土地開発の波もきてますし、われわれの目的のためにはこの土地一帯を買わなければなりません。将来どうなるかはわからず、経済状況が維持されることを願うだけです」という。

GoghsRoom0610 003_s.jpg ゴッホの部屋は、階段を最上階まで上って、緑色の扉の向こうにあった。かつて映像で見たことがあるが、やはり胸をつくものだった。わずかに光がさす屋根裏部屋。ゴッホはここで最後の65日間をすごし、自殺未遂の後、自力でこの部屋に帰ってきて苦しんだ末、亡くなった。いつまでも残してほしい部屋だが、維持が難しいため、壁のシミまでが複製である。

 その奥で、ゴッホの生涯についての説明を映画上映していた。ゴッホの絵のかたわらに、『弟テオへの手紙』からの引用がフランス語、英語、そして日本語で書いてある。日本人の観光客が多いのだろう。それぞれの絵を、ゴッホがどんな想い、情熱、苦しみ、人生への期待、希望で描いていったかが分るようになっている。あれほど苦しんだ男の生涯を、こんな風に見世物として見ることに、たしかに違和感を感じる。しかし、同時に、せめて彼の「誰にも共有されなかった純粋な想い」をこうやって共有してもらおうとする努力は嬉しくもある。

絵というのは、それ自身で一つの世界なのです。(母親への手紙)

 帰り際、チケット売り場のわきを通ると、猫がカウンターに幸せそうに寝そべって、日向ぼっこをしていた。ほほえましいその姿が、ゴッホの終焉の地を鎮ってくれる“平和”のように思いたくなった。

 記念館を出て、駅方向へ歩く。ラヴー亭の向かい側に町役場があるが、その傍らにゴッホの描いた「町役場」の絵が立っている。ゴッホは、これをモデルに描いたというわけだ。さらに、道の反対側に「ヴァン・ゴッホ公園」なるものがあり、そこには、ゴッホの同郷ザッキンの大きな彫刻が立っている。イーゼルを背負った、何かにとり憑かれたようなゴッホ。とても良い作品であると思った。その後ろには、幼稚園らしきものがある。「ヴァン・ゴッホ幼稚園」とでもいうのだろうか、子どもたちが羨ましい。

AuversEglise0610.jpg 駅の前、先ほどのレストランの隣にもゴッホの絵が立っている。ゴッホが描いた「ドービニーの庭」である。そこを曲がって坂を上ると、「ドービニー通り」があり、そこをさらに右に行くと、「教会」の前に出る。11世紀から12世紀に建てられた、落ち着いたローマ・ゴシック型の教会だ。

L'Eglise0610 004_s.jpg ――やっとここに来た。ゴッホが描いたままの姿がそこにある。朗らかな陽の下、教会の前の縁石に、多くの観光客が満足そうに座っている。中に入ると、ステンドグラスを通した虹色の光が壁を染めていた。

GoghsTomb0610 004_s.jpg 教会からさらに坂を上っていくと、畑が広がる。たぶん、ここは麦畑なのだろう。ゴッホの描いた「麦畑」が見たいと思ってきたが、麦の季節は終わっているようだ。裸の地面が果てしなく続いている。その奥に、共同墓地がある。その一角にゴッホと弟テオの墓があるのだ。墓は、この世の騒ぎを無視するように、二人並んで静かに座っていた。墓石をおおう緑のツタらしきものの真ん中に、彼らの情熱の証であるかのように、赤い花が咲いていた。

ChampBle0610 003_s.jpg 共同墓地から西に歩くと、ゴッホの有名な「カラスの舞う麦畑」の絵が立っている。そこの道の十字路で彼はその絵を描いたのだ。麦の穂はないが、くねった畦道があの絵がここで描かれたことを証言しているように思えた。その十字路のかたわら、ゴッホが見つめたと思われる方角を眺めながら、しばらく座っていた。

 帰ろうとすると、あの教会で鐘がなった。犬を連れた女性が、黙って歩いてくる。通り過ぎた犬が、ちらとこちらをふり向くと、澄んだ目が悲しそうだった。その向こうに麦畑が広がり、さらにその向こうに、ゴッホの墓がある共同墓地が見えた。
 カラスが10羽ほど、黒々と共同墓地の上を舞っていた。

posted by ろじ at 09:13| パリ | フランス・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月14日

革命記念日

14Juillet4.jpg

14Juillet2.jpg シャンゼリゼ通りにパレードを観に行った。ところが、行って陣取ったところは凱旋門近く。本来のパレードは通りをもっとずっと下ったグラン・パレ辺りでやると、後で知ったが、あとの祭り。観られたのは、凱旋門での式典を終え車に乗って(パレードへと)急いで行くサルコジと、戦車などの兵器部隊だけだった。

14Juillet1.jpgあ、それと、空を3色に染めて行く飛行隊。

 パレードが来るものと待っているあいだに、上陸部隊の車体に付いている名前などを冷やかしていたら、目の前にいたおじさんが、「それはフランス領だった都市の名前だ」と教えてくれた。このおじさん、マルセイユから革命記念日を観るためにわざわざパリに来たと言う。しかも、ほとんど毎年のように来ると言う。
 マルセイユよりパリの方が良いですか、と尋ねると、「ああ、マルセイユじゃあ、湾の上に花火が上がるが、それだけだよ」と言った。

話し方が柔らかである。やはり、パリジャンでないフランス人には、話しやすいいい人が多いのである。パリジャンは、なぜあれほどケツの穴が小さくて陰険なのだろう。

 「今夜の花火はどこでご覧になりますか?」と訊くと、「エッフェル塔の足元のシャン・ド・マルス公園に行けばいいが」と言いよどんだ後で、「まあ8時ごろに行けば良いだろうさ」。花火は10時半からである。どうするのだろう。
 「だれか女の連れでもいれば、一緒に話をしていればすぐ時間は過ぎるさ」と、隣のご婦人を見て微笑んだ。女性もにこやかに微笑み返す。この品の良いご夫人はオジさんの連れかと思ったが、そうでもないようだ。

  本当のパレードはもっと下のほうでやると教えてくれたのも、このオジさんであった。
 「行ってご覧。まだ見られるかもしれない。わしゃ、脚が悪くてダメだがね」と笑った。見ると、かたわらに補助歩行器のようなものが立てかけてある。
 14Juillet3.jpg礼を言い、「すばらしい革命記念日を」と言って別れる。


 たいへんな人ごみを掻き分け、急いで通りを下ってグラン・パレ辺りへ行ったが、パレードは終わっていて、見られたのは、行進の後、観光客と照れながら記念撮影する兵隊さんばかりであった。

 夜、花火を観たくてエッフェル塔あたりへ繰り出したが、かろうじて建物のかげに見えるだけであった。しかし、そんな花火を30分ほど見続けた。

posted by ろじ at 00:00| パリ ☔| フランス・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月13日

革命記念日前夜

14Juillet前夜祭1.jpg 明日14日は「革命記念日」だが、今日はその前夜祭。バスチーユ広場でコンサートがあるというので、好奇心で出かけた。

 どうせ人もいないだろう、と思ったのは甘かった。たいへんな人ごみである。バスチーユ広場の真ん中にある「7月革命記念柱」の真ん前に巨大な舞台がしつらえてあり、そこを中心に大群衆が集まっていた。これでは舞台が見えない人も出るから、あちこちに巨大スクリーンが置かれ同時中継されている。

 
テーマは「アフリカ」(といってもかつてのフランス植民地だけだろうが)。次々にアフリカのミュージシャンが舞台に登場するたびに、大きな拍手と歓声が湧き起こる。そしていかにもアフリカらしいパワフルな音楽。いい知れぬ感動が起こってきた。

 14Juillet前夜祭2.jpg
これが「フランス革命記念祭」だろうか。そう、フランスではもはやアフリカ人の存在を無視することはできない。社会の中のアフリカ人の多さについても、その歴史についても。フランスが“白い(白人の)フランス”だという者がいたら、それは何も知らない無知か偽善者だろう。フランスの「アイデンティー」は、内部に移民を取り込んだ上に成り立っている。一部の白人が好もうと好むまいと。そのことを、かつてフランスの新しい歌の波にことよせて書いたことがある。 
「新しいフランスを」――Diam'sの歌
http://dokugo.seesaa.net/article/44378591.html

 「フランス革命記念祭」前夜に、アフリカの歌を熱唱する――これはアフリカ人からみれば、ある意味で“勝利”?いや、“復讐”? それを、誰かに聞いてみたかった。ステージに上るミュージシャンはいろいろと話もしていたが、こうしたことは公には言わないだろう。
 


 しかしもしここで、彼らが『ラ・マルセエーズ』を歌ったらどうであろうか……そんなことを思いながら、帰路に着いた。

 14Juillet前夜祭3.jpg
 帰り道に、トゥイリー公園を覗いたら移動遊園地が開いていた。観覧車に乗ったら、エッフェル塔が点滅し、その足元で議会堂が「トリコロール(3色)」に光り輝いていた。
 遠くの町々で、一足早く花火が上がるのが、音もなく見えた。






posted by ろじ at 00:00| パリ | フランス・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月08日

パリの街に巨大花園が出現

パリ市役所前の花畑1.jpg

 パリの街の主要な建物は、ほとんどがルイ王朝風のごてごてしたモノなのだが、パリ中心部にある「パリ市役所」もその例にもれない。

 その前庭に、巨大なお花畑が出現した。「パリの街に巨大花園が出現」という謳い文句で。環境問題キャンペーンの一貫らしい(市役所内部では、パリでの「自然の多さ度」みたいな展示会をやっていた。ガラガラだったが)のだが、これから本番の夏になるという合図のようで、アピール度はなかなかである。

 パリ市役所前の花畑3.jpg飾り物がアール・ヌーボー調なのは、パリらしさをねらってるんだろう(写真のトンボに注目)。しかし、巨大なジョウロ(下の写真にジョウロ)……なんだよ、ソレ、でかけりゃイイってもんじゃないだろ。美観を考えんかい。こういうのなんかを見ると、こいつらホントに芸術的に洗練されているのか、と疑ってしまう。パリの街は、どうもこういうヌケタのが多いのだ。

 にわか作りのいい観光名所になっているし、デパート街の近くでもあるので週末の憩いの場になっていたりする。この日はあいにくの曇り空だったが、ダラダラしたいパリジャンが、ぼんやりベンチに腰かけたり、本を読んだりしていた。
posted by ろじ at 00:00| パリ ☁| フランス・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月07日

キース・ジャレット・コンサートとフランス人の情けないマナー

 サル・プレイエル劇場でのキース・ジャレットのコンサートに行った。

 キース・ジャレットは、本人の体調の問題もあり(しばらく前まで「慢性疲労症候群」で活動できなかった)、はたまた、かなり自分に厳しい音楽家でもあるので、いつ活動を止めるかしれないと感じている。そんな思いもあって、彼のコンサートを聴くチャンスがあれば、食事を切り詰めても行くことにしている。日本でも2回聴いている。

 
キース・ジャレットは観客にもかなりの緊張感を求めるのでも有名だ。2年前の日本での公演では、演奏中に観客席から携帯のベルがなったので、突然演奏をやめたそうだ。今日はどんな即興演奏をするかという期待感と同時に、観客は、このフランス人たちは、お行儀よく聴けるだろうかという不安感で待つ。

 舞台に、
ゲイリー・ピーコックdouble bass)、ジャック・ディジョネットdrums)とのトリオが現われた。キース・ジャレットはこの時期のパリが好きなのだろうか。去年も、そして確かその前も来て、パリでコンサートを何回もやっているはずだ。

 
最初、ディジョネットのドラムが突っ走りすぎている感じがした。しかし、もう20年以上も組んでいる相手だ。何か考えがあるのだろう。一方、ピーコックのバスはどれもキース・ジャレットのピアノにぴったりと寄り添いかつ存在感と品を失わず、歳を経てますます円熟したと感じられた。

 いつものように
アンコールも何曲か弾いてくれた。かなり長いアンコール曲のあと、観客が興奮して舞台袖に集まったのに感動したのか、一度引っ込んだキース・ジャレットが自ら出てきて、フランス語交じりで「ガス欠なので、ちょっと休んでまた来ます」と言った(確かに、最後の方は息絶え絶えぽかった)。観客は大喜び。

 
しかし、その後あたりから、露骨に写真を撮る観客が現われた。もちろん、「写真はいけない」と最初にわざわざ舞台に出てきた係りの者に釘を刺されていたし(普通のコンサートではそんなことはない)、演奏中や後に客席でデジカメを掲げる者がいれば、係員がすっ飛んできて注意していたのだ。何ヶ月か前のオーケストラのコンサートでも、なんと舞台裏の席、つまり指揮者の真正面からフラッシュで写真を撮る者がいて、驚き、あきれ、怒り心頭に発したものだった。

 
いろんなところでコンサートに行ったが、こんなマナーの悪い観客、パリが初めてである。観光客である可能性もあるが、これまでのコンサート経験、フランス人の自己中心さ、他人のことを考えない性格を考えると、99部フランス人だろうと思っている。

 
ハラハラしながらその曲が終わり、また拍手喝さいで、またまた観客が舞台袖に集まって拍手をする。と、その中から、露骨にフラッシュをたいて写真を撮る者が出た。ディジョネットがはっきりと写真を撮るものを係員に指差して示した。キース・ジャレットは呆れた失望を顔に表した。そして彼らは二度と戻ってこなかった。

 
写真を撮る者が出て、もうアンコールはないと悟った観客も多かったろう。ムッとした空気のまま出口へ向かって歩き出した。「この大バカフランス人め」と思ったその時、背後の席から、英語で若者が

「ファッキング・カメラなんか使うなよ。写真はダメだっていったら、ダメなんだよ。もっとアンコールが聴けるはずだったのに」

と叫んだ。
何人かが同意を示すように拍手をした。

 
フランス人のこの態度、なんとかならんか。許しがたい我がままである。コンサートでこんなに不愉快な思いさせられるのは、パリが初めて。おそらくパリジャンなのかもしれんが、その自己中心性の証だと思う。耐え難いほどだ。日本でもマナー違反はいるが、ここまで露骨ではないだろう。
国際的なヒンシュクもんだな。
posted by ろじ at 00:00| パリ ☁| 芸術・音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月04日

「フランス語の壁」法案

 時どき昼飯を喰う、近くのレストランでのこと。

 ここは、ドイツやウィーン風のソーセージ定食が安くて美味い。たが、わたしが行くと、いつもサラダ(これもなかなか旨い)とソーセージをすべて一つの皿に一緒に盛って来る。他の客はといえば、みなサラダは小さな皿に盛って出すのである。一種の“犬飯”あつかいである。まあ差別かもしれないが、ソーセージもたいへん美味いし、何より値段が手ごろな
10ユーロほどなので、あまり気にもせずよく行くのである。パリでは、昼飯でも、ちゃんとした食事ならば、14,5ユーロはあっという間にしてしまう。

 ところが、なんと今日は、二つの皿に別々に給仕してくれた。なぜだろう、と考えたら、昼飯を待ちながら読んでいた記事がこれだったのである。
Immigration : la France met en place la barrière de la langue
http://www.liberation.fr/actualite/societe/263749.FR.php 

 これは、つい先日(
627日)「リベラシォン」という新聞に載った記事。政府が、フランスに来る外国人にさらに厳しくフランス語とフランス的価値観についてのテストをしようという法案を通そうとしていることを報じている。もちろんこれは、サルコジの移民政策の一貫と見ていいだろうと思う。簡単にいうと、ある程度フランス語と「フランス(共和国)的価値観」を理解していなければ、滞在に必要な書類も金銭的補助もしませんよ、という内容。

 
つまり、フランス政府が「言葉の壁」を作ろうとしているということだ。だが、これはすでに、フランス人の言動からして驚くほどのことではない。彼らのフランス語を話すことを当然視する姿勢、フランス語ができない者にたいする態度ったら、ないからね。法規があろうがなかろうが、フランス語を話せない者にたいするジャケンな扱いは、もうすでに「壁」みたいなものだ。

 
フランス語のテストというのは、これは他のヨーロッパ諸国(たとえばドイツ)などでも行われているので驚きもしないが、問題は「フランス(共和国)的価値観」の理解度をどうテストするか、ということだろう。方法以前に、それがテストというものに適当なものかどうか。たとえば、フランスの3大スローガンの一つ「自由」をどうテストするのだろうか。「自由」というものを枠にはめることもできないだろう。思想統制になる危険もあるだろうし。危険な考え方、というよりバカじゃないかと思う。

 
この記事のことを知り合いのフランス人に言ったら、そんな法案が通されようとしていることは初耳で驚いていたし、やはり「そんなテストをしたら、フランス人の考え方を足元からすくうことになるだろう」と言った。
posted by ろじ at 00:00| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | フランス・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。