2007年12月31日

静かな歳の瀬と、ニューイヤーズ・イヴ

 パリの年末は静かだ。

 クリスマスが終われば、普通の生活が待っている。それはアメリカと同じ。26日、遅くとも27日には営業が再開するようだ。せいぜいが、31日の夜にパーティーをやるだけ。その準備のためか、年末のゴホウビか、店はたいてい4時くらいに早めに閉まるようだが。

 街も静かで人通りも多くない。知り合いの話によると、今年は、パリジャンたちは旅行で外に出てしまって、パリにあふれているのは観光客ばかりだそうな。それほど景気が良いとは思えないので、ユーロが強いためではなかろうか。

 夜は、スペイン人の友人たちに招かれて一緒に食事をした。新鮮な牡蠣が手に入ったので、シャブリ片手に持って行った。しかし、貝がついてるので自分たちで開けなくてはならない。牡蠣を開けるのは生まれて初めてという彼らと、皆で大騒ぎしながら(つまり、貝の破片まで入れながら)牡蠣を取り出し、軽くワイン蒸にして喰った。

 その後は、スペイン流に、フォアグラをソーテルヌ・ワインで。体に悪いことは分っているが、しかし、美味いもんだねえ。やつら、楽しい生き方をよく知っている。

 ワインをやりながら、デザートの(かなり甘い)マサパンを喰わされて(ご本人たちは「太るから食べない」だと)いるうちに12時近くなったので、エッフェル塔足元のシャン・デ・マルス公園へ。噂ではものすごい人出のはずだと聞いていたが、“荒れている”若者はわずか。しかも、場所がよかったのか、ゆっくり見ることができた。シャンパンの瓶を持つ人もチラホラ。

 カウントダウンをしていたら、突然、エッフェル塔の左右に、花火が上がった。やけにショボイ花火である。7月14日の革命記念日にくらべると雲泥の差だ。なんでも噂では、今年の革命記念日はサルコジの最初の記念日だったので大盤振る舞いしたため、ニューイヤーズ・イヴのための金がなくなった、などと陰口をたたかれている。それもあながち嘘ではなさそうなショボサだ。

 深夜きっかりになると、エッフェル塔に、キラキラと例の「シャンパンイルミネーション」が点った。そこで、みんなで抱き合ってキスやベゼをする。

 そのままメトロでうちに帰ったが、ものすごい人であった。ただ、この日は、メトロはタダなのである。
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2007年12月28日

“ナターシャ”との別れ

 昼飯に、いつもの「ナターシャ」に行った。(11月15日の日記参照)

 ワインつきの定食のメイン・ディッシュに牛を注文したが、あまり酔いたくなかったので軽い白ワインを飲もうと、「白をお願いします」と言うと、いつもの娘さんはちょっと「そぅ?」という顔をした後、白ワインの入った巨大なビンをテーブルに置いた。金色の美しい液体が、なみなみと入っている。普通は1/4リットルのピッチャーに入って出てくるのだ。

 「食事に出されたものは必ず食べきる、飲みきる」をモットーとするわたしは、これにはちと困ったが、娘さんの善意だ、無駄にするわけにはいかん、と飲み始めた。前菜を食いながら飲み始めると、これが軽くて旨い。軽くて旨いが、もちろんワインなので、これが、また、効いてくる。

 頭がフラフラとなった頃、牛のステーキが出てきた。ステーキのつもりではなかった。また、メニューを読みそこなったのだ。「牛」と書いてあるのは判ったが、その後に何が書いてあるかは良く見なかった。いや、良く見たって、料理用語なぞ、どうせ判らないのである。しょせん、何が出るかは出てみなければ判らない――それが、わたしの外食である。

 しかも、膨大な量のフライド・ポテトが付いている。これは、普通の量ではない。「オマケ」に、いや、「特別な扱い」に違いない。さっきのワインといい……。
 これは、もしかしたら……、ナターシャが、いやそれはお上さんだった、娘さんがオレにホの字(古!)なのかもしれない。
恋してるのかもしれない。
うーん、どうしよう、これはイカン。
いくらオレでも、そんな行きずりの恋に身をまかせるわけにはイカン……
と、思っていると、コーヒーが出た。娘さんの目が見れない……。

 と、シェフのおじさんが、小さなグラスをもって来てテーブルに置き、一緒に持って来たボトルから、きれいな金色の液体を注ぎだした。グラスのふちまで並々と溢れたのは、コニャックだった。そして、隣のテーブルで空いたグラスにも、お代わりの一杯を注いだ。実は、先ほど、隣にいたロシア語を話す男二人にコニャックをサービスするのを見ていたのである。ほう、同じロシア同士のよしみか、とすると、ここの家族がロシア系というオレの推察は当たっていたわけだな――。

 「こりゃ、クリスマスのお祝いが続いてるのかい?」と、隣の男たちは驚いた。すると、シェフは、「いや、ここから引っ越すんでね。今日が、ここは最後なんですよ」と言ったのだ。なんでも、パリの反対側、13区のイタリア広場辺りに新しいレストランを開くらしい。どうやら、ここはあまり儲からないようなのだ。たしかに、こんな奥まった住宅街の真ん中では、せいぜい昼間にビジネスマンたちが来るのが関の山である。

 そうだったか……。せっかく好きになったのに残念だな。娘さんにも惚れられたのに――、とは思わなかったが、こんな感じのいい家族の経営するレストランが近所からなくなるのは、寂しくてしかたがない。たしかに、先ほどの客が「これからも、がんばって続けてね(Bonne continuation!)」と言っていたのは、これだったのだ。彼らのことはよくは知らないが、とても暖かい家族で、パリで始めて好きになったレストランだった。
 テーブルから立ち去るシェフに、グラスを掲げて、こころから「どうもありがとう」と眼で挨拶した。

 店を出るとき、娘さんに、今まで本当にありがとう、これからもがんばって、とかなんとか言いたかったが、娘さんは電話の最中であった。コートを着るのに時間をかけてモジモジしていたが、娘さんは横を向いて話している。どうも、話しかけるのは恥ずかしい――。
 あきらめて扉を押したとき、娘さんは振り返って、笑顔で「ありがとうね」と言った。

 外に出ると、吹きだした風が寒かった。
 ワインとコニャックでしたたか酔っぱらったのか、前がよく見えなかった。
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2007年12月24日

クリスマス・イヴ

通りからクリスマスソングを“サービス”朝、外で、なにやら景気よくクリスマスソングが
フランスの静かなクリスマス音楽ではない
アメリカ流の華やかな「クリスマスソング」
だんだん大きくなって、近づいて来る
ベランダから覗いたら、
男が二人、トランペットとチューバを吹いていた
スピーカーをガラガラ曳いて、バックグランド音楽つき
まわりのアパートから顔を出す住人に、
“サービス料”をせがんでいる
なん人かの通り過ぎる人が立ち止まって、小銭を渡す
いつなん時でも、稼ぎのネタになるというわけだ

ノートルダム寺院とクリスマスツリー夕方から、パリの中心街へ
ライト・スタンドの修理部品を買いに出る
(20日の日記参照。そうまだ直らない)
その足で、市庁舎まえのスケートリンクを
横目でのぞきながら、ノートルダム寺院へ
もちろん今年も、クリスマスツリーが飾られていた
(今年はやや小さめと感じたのは気のせい?)

例年なら、中に入るのにたいへんな行列だが
そのまま、すんなりと中にはいれた
おごそかな空気の中でのミサ
大ぜいの参列者、観光客のあいだを
邪魔にならないように、右の回廊を歩いていると
ちょうどミサが終わって、
参列者といっしょに、祭壇わきへと、吸い込まれた
青い聖歌隊の歌を聴きながら、堂内をまわる
ノートルダム寺院内でイヴ・ミサの前おごそかさと、悔いと、懺悔と希望とに包まれて
不思議な気分になる
無神論者を包み込むほどの大きななにかか
やみつきになりそうだ……(オイオイ)

寺院を出て、セーヌ河を渡って
左岸で、写真を撮っていると
クリスマスを大声で祝うわか者たちが、
もつれ合いながら、通り過ぎていった
空腹をおぼえて、安っぽい中華料理屋にはいる
奥で、ふたりの子どもを前に、黒人の男が
ひとり、ビールを飲んでいる
ネオンの点いた赤いサンタ帽をかぶって
苦々しげに、ビールを注いでいる

子どもたちは、7歳くらいの女の子と、その弟
まったく無表情に、おしだまって、
電子レンジで温めた中華料理を食べている
静かなテーブルに、サンタ帽の電球だけがまばたいている
男は、「さあ、もっと、食べな」と、いう
息子が「父さんは、食べないの」と、きく
男は、「ああ」とだけ言って、またビールを飲んだ

わたしが、ラーメンを食べ始めると
男が、視線をこちらに流して、
「オレは、そんなにうまくは、ハシを使えないねえ」
わたしが、「まあ、つき合いが長いとね」
そう応えると、男は笑った……

食べ終わって、出て行くまぎわ
「メリー・クリスマス」
と声をかけると、男は、
じつに久しぶりに、嬉しい気分になったように
顔を明るくして、右手を上げて、あいさつをした

神よ、メリー・クリスマスを。
子どもたちに。

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2007年12月23日

ビュシュ・ド・ノエル

 この時期、街のパン屋はどこも、ビュシュ・ド・ノエル(Bûche de Noël)を売っている。訳せば「クリスマスの薪」。薪の形をしたケーキである。

 なぜ「薪」なのか、はいくつかの説があるらしい。むかし、貧しい木こりの青年がクリスマスに恋人に何もプレゼントできないので、代わりに薪をプレゼントしたという逸話にもとづくロマンチックなバージョンとか。

 しかし、色とりどりで、それぞれの店によって、その店独自のデザインがあり、ショーケースに飾ってあるのを見るのはなかなか楽しい。一人分用の小さいのもある。なにげない小さいなパン屋が、驚くようなデザインのものを飾ってたりすることもある。こういうのを、みんな写真にとって比べたら、さぞかし美しいだろう。

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 TVのカナルプリュス局で人形を使ってやるニュース番組「ギニョル(LES GUIGNOLS)」で、サルコジと新しい恋人、カーラ・ブルーニのバカンスのことをやっていた。

 カメラマンを従えて画面に登場する二人。デズニーランド・デートも含めて、(このことでも)サルコジがメディアを操作しようとしているのは、みんな知っている。
「おいおい、いいかげんにしろ」と、カメラマンをたしなめる風情のサルコジ。隣のブルーニ女史に比べて、50センチ以上身長が小さい。(会場から、笑い声)。
 ブルーニ女史、ぬーぼーとしていて、目もボンヤリ。あきらかに、オ○ムが足りない感じ。

 フランスのメディアに、また新しい話題だな。こうして見ると、サルコジ、常時、ダブロイド的な話題を提供するのに成功している。
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2007年12月22日

ブラックユーモア?日本の自主規制

 まず、大リーグのオフシーズンのニュース。ニューヨーク・ヤンキースのチケットが大幅に値上げされた。グラウンドに近いボックス席は、250ドル(約2万8300円)と、なんと一気に100ドルもアップ。NBAのコート・サイド席のようになるのは、時間の問題か。

 これでは、子どもを連れて気軽に家族で野球観戦、なんてできないだろう
 ニューヨークでは、有名人か金持ちしかそんな席に座らないだろうな。選手に(特に、あのA-R選手)法外な給料を払うツケが来ている。いずれ、このしっぺ返しがくるんではなかろうか。

http://mainichi.jp/enta/sports/news/20071219k0000m050051000c.html

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さて、
ぶったまげたのはこの日本のニュース。 なんじゃ、こりゃ?

*「今回の件は行政処分も受けておらず、あまり悪質ではないのに『食べてはいけない』と断定するのはいかがなものか」(ジェイアール西日本コミュニケーションズ)
*「車内の広告を扱った広告会社が、表現があまりに抽象的で直接的だと判断した」(南海)
*「通常認めていない意見広告にあたる」(東急、西武)
*「見出しを見る限り、例示が少なく誇大で事実誤認を招く」(東京メトロ)
*「内容が明白な事実と確認できない」(京成)

 まったくお笑い。ふだんの週刊誌の釣り広告の「見出し」はなんなのか。それとも、日本には、12月にも、もう一つエイプリル・フールができた? 
 まことに残念だが、その「口実」も含めて、これ、本当に日本的だと思う。“自主規制”、これに極まれり。みごとな横並びで――。


マクドナルド「食べてはいけない」 中づり広告を黒塗り

「食べてはいけない」の表現はいけない?――。大手ハンバーガーチェーン、マクドナルドの批判記事を掲載した週刊誌の中づり広告が、相次いで電車・地下鉄での掲出を断られたり、黒塗りや削除されたりしていた。プライバシーや性にかかわらない見出しを多数の社が拒否するのは異例。駅のテナントに入っていることとの関連を認める社もあり、出版社は反発している。

 問題となったのは、今月10日発売の「週刊現代」12月22、29日号の広告にあった「『マクドナルド』を食べてはいけない!」の見出し。先月27日に日本マクドナルドの東京都内のフランチャイズ4店舗で、マックシェイクなどの賞味期限偽装が発覚したことに関連し、「別の店でも期限切れの野菜が使われていた」などと語る元従業員の声を記事で紹介した。

(中略)

JR西日本、阪神、南海、近鉄などでは、「食べて」の3文字が黒塗りされた。JR西日本の車内広告を扱うジェイアール西日本コミュニケーションズ(大阪市)は、「今回の件は行政処分も受けておらず、あまり悪質ではないのに『食べてはいけない』と断定するのはいかがなものか」という。南海は「車内の広告を扱った広告会社が、表現があまりに抽象的で直接的だと判断した」と述べた。

 「食べてはいけない」を削除し、同じ記事の脇の見出しを拡大したのは、東京メトロ、東急、西武。「通常認めていない意見広告にあたる」(東急、西武)、「見出しを見る限り、例示が少なく誇大で事実誤認を招く」(東京メトロ)という。掲出を見合わせたのは京成、小田急。京成は「内容が明白な事実と確認できない」と説明する。

 マクドナルドは全国のJRや私鉄の駅施設や駅前に約750店を展開する。ほとんどの鉄道会社は「駅で商品が売られていることと関係ない」と説明する。だが小田急は「駅構内のテナントにも入っており、『食べてはいけない』商品を発売している認識はない。表現変更を求めたが拒否されたため、掲出を見合わせた」と説明する。
http://www.asahi.com/life/update/1222/OSK200712210096.html
posted by ろじ at 09:37| パリ | 日本・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月21日

パバロッティ主演『ラ・ボエーム』

 夜、テレビのArteチャンネルで、パバロッティ主演のオペラ『ラ・ボエーム』を放映していた。もちろん、つい数ヶ月前に亡くなったパバロッティの追悼のためである。

 サンフランシスコ・オペラでの公演。ティツィアーノ・セヴェリーノ指揮。演出は、フランチェスカ・ザンベッロ。相手のミミ役にミレッラ・フレーニという豪華キャスト。1989年の公演というから、二人とも脂の乗りきった時期であったろう。

 パバロッティは、もちろん上手い。しかし、ミレッラ・フレーニは、口を開くと瞬時に空気が変わるかと思われるほど素晴らしい声だ。やはりこの名ソプラノもただならぬ何かを持っている、と思わせられる。

 この話、貧乏な若者たちの単なる恋物語である。だが、プッチーニの曲は、いつ何度聴いても、軽快さ、あまやかさ、官能のくすぐったさ、劇的展開と変調などなどが織り合わさって、実にうまくできていると思ってしまう。
 
 歳をとって、最近は、どうも涙腺がゆるくなった。くわえて、この素晴らしい歌い手たち。一人でテレビの前で観ていたのだが、涙がボロボロ出てしまった。昔の辛い時の思い出が……、いやいや、たんに甘っちょろく感傷的になっただけだよ。

 第1幕の舞台の背景は、ノートルダム寺院を裏から見た風景だった。そういえば、これはパリでの出来事だった。第2幕目は、舞台がカルチエ・ラタンになる。いまこうしてこの歴史的文化的舞台の目と鼻の先に住んでいる幸運を思わざるにいられない。同時に、もっと若い頃にここにいれば――、とも思ってしまう。
 (そういえば、第2幕の話は「カフェ・モミュス」のすぐ外で展開されるのだが、このカフェはまだあるのかしらん。このカフェは実在したらしく、Thomas Boys という人がちゃんとスケッチを残しているんだそうだ。)

 テレビの舞台では、マルチェッロ(ジーノ・キリコ)も声が良かった。また、最終幕で、ミミが病死する場面、ミレッラ・フレーニの熱演は、狂乱という雰囲気さえもかもし出していた。ミミは、か細いが力強い声で歌う。
 
  わたしの暗い屋根裏部屋からは、
  春の太陽を、最初に見ることができる……
  大海より大きくて深い大事なこと――
  それは、心からのあなたへの愛……
  ……私の名はミミ
  
 美しい恋におちるのは、人生でできる最高のことかもしれない。

*************************

 最後に、パバロッティが亡くなった時、ル・モンド紙の追悼記事についていたビデオ(YouTube)を挙げておく。そのときブログを書いて挙げようとしたが、時間がなくて果たせなった。最初は、1984年版の『アイーダ』、その次の『ラ・ボエーム』についての話の最初では、なんとパバロッティが父親と教会で一緒に歌っている。父親もかなりいい声だが、非常にシャイで人前で歌えなかったんだそうな……。





すばらしいお父さんのようなので、もう一つ(完全に自己満足)。
Luciano e Fernando Pavarotti in "Panis Angelicus"
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2007年12月20日

パリ市庁舎前広場の冬景色(改)

 家のトイレが、また壊れた。今度は給水システム。その直後に、居間の電気スタンドが点かなくなった。電球(ハロゲンなので棒状のもの)を換えてもダメ。分解してああだこうだ見回したあげく、指定の電球のワット数より大きい電球をつけたらヒューズが飛んだらしいと結論。日本やアメリカじゃあまりおこらないが、こっちは電圧が高いせいか、すぐダメになる。これで故障の電気スタンドは、本目だ。おかげで家中真っ暗。もうすぐクリスマスだってのに。

 
 さて、いいかげん直さないと(修理を頼んだって、この時期、いつになるか知れたものではない)、と買い物に出た。買い物ついでに街のようすを写真に撮ろうと、夕方からパリ市庁舎のある中心街へ。あいかわらず寒い。パリの冬は、これが本当なんだろう。

 
 市庁舎の前にスケートリンクができている。気が利いていて、子供用に滑り台まで付いている。リンクは、スケートが5ユーロで借りられ、一日中滑ることができるという。リンク使用はタダだ。こういうところは、フランスというのは太っ腹である。(まあ、その分、税金が高いんだけど。)

市庁舎前のエイズ啓蒙キャンペーン

 リンクの脇に、なにやら巨大な広告の板が置いてある。「AIDES

.ORG」とある。「E」のところだけ赤字になっている。「AIDS(エイズ)」とは違うのか、とよく見ると、「エイズ」と「HIV陽性」を区別し、「HIV陽性者」への差別をやめよう、というキャンペーンである。
 
 このキャンペーンの名は、英語の「
AIDS(エイズ)」とフランス語の「AIDE(助け、援助)」を合成した語だそうだ。ウェブサイトもある(英語もあり)。http://www.aides.org/ エイズ啓蒙キャンペーンの拡大写真

 広告の看板には、フランスの有名人の顔写真を使っていて、各人のわきに「もし私が
HIV陽性だったとしたら、まったく別なふうに扱われるのか」という意味のキャプションが付いている。たとえば、フランスで目下人気の若手シェフの写真には「もし私がHIV陽性だったとしたら、私をシェフとして扱ってくれるのかな?」(左から2番目)。

市庁舎前のベタンコール支持 
市庁舎の前には、2002年にコロンビアで誘拐されたフランス人ジャーナリスト、ベタンコール女史の事件に関する看板。誘拐されてからの日数が、写真の上の小さな電光掲示板で示されている。彼女はパリの「栄誉市民」と形容されていた。
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2007年12月18日

ポルト酒

 昨晩、帰ると、ドアの下に「あなたに小包が届いてます」のメモ。管理人は郵便物をドアの下に入れてくれるが、滑り込ませられないほど大きい郵便物を受け取ると、このメモを入れることになっている。

 朝、外出しようとして、そのメモのことをすっかり忘れていた。ホールの扉を開けようとして、管理人室に座っているバアさんと眼が合った。あわてて戻って、
「あ、小包のメモいただきましたけど……」
と言いかけると、バアさんが突然身をのり出して、
「私だよ、わ・た・し!(セ・モア!)」と言う。

 「へ?」
バアさん、今度は、いったいどうした?
 何のことかと思いながら、アホな顔つきで扉側までまわる。と、バアさんは続けて
「これさ。ウチのさ」
と、郵便局のビニール袋に入ったなにかを持ち上げた。
 ますます、なにがなんだか判らず、「あ〜〜」と口を開けていると(情けねえ……)、バアさんは袋から、けっこう大きなビンを取り出した。
「ウチにあるから、あんたにあげる」。

 つき出されたのを見ると、ポルト酒である。
 先日のお礼か……? けっこう古そうだ。
 急いでいたので「いま出かけるので、今夜取りに来ます。どうもありがとう」とだけ言った。バアさんは、ちょっと残念そうにしたが、やがてニコリと微笑んだ。

 夜、管理人に行くと、嬉しそうにポルトをくれた。ポルトガル産だ。
「あぁ、ポルトですね。1969年……。まちがいなく、最高の味がするのでしょうね」。
「20年ものさ」と、自慢そうにバアさんが言った。
 よく見ると「1969」というのはブランドの名前らしい。その下に、「1989年にビン詰め」と書いてある。しまった、間違えた。
 きっと、特別なものとして、自宅に長いあいだ置いていたのだろう。亡くなったダンナが大事に取っておいたものだったのかもしれない。それをくれるのか――。

 ちょっとグッときて、言葉に詰まった。クリスマスらしい、きれいな赤い飾りがついている。
「本当に、ありがとう。メリー・クリスマス(Joyeux Noel)」と微笑むと、バアさんは恥ずかしそうに微笑み返した。
 その顔を見て、ちょっと嬉しいような悲しいような、泣きたいような気分になった。


管理人バアさんのポルト酒
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2007年12月17日

寒い

Noel-Marche0712-1.jpg

 このところ急に寒くなった。日中の一番暖かいときでも、街中の温度計は「0度」を示していた。去年は暖冬で、パリの冬もこの程度か、と思ったもんだが、どうやら今年は「ホンモノのパリの冬」を経験できそうだ。

サンタ犬−シャ塔[リゼで.jpg 上の写真は、パリの西の副都心、デファンスでやっている「クリスマス市(マルシェ・ド・ノエル)」の模様。真ん中にあるのがクリスマスツリー。球体の向こうに見えるとんがり屋根のテントが、クリスマス市の屋台。ビジネス街なので、昼時は人でごった返している。
 球体に、デファンスの名物「新・凱旋門」が写っている。(写真をクリックすると、拡大します。)

 クリスマス市は、ほとんどが12月の1日から開くらしい。街中のイルミネーションもこの日から点灯される。シャンゼリゼでの恒例、イルミネーション点灯式には、毎年、有名人が呼ばれるが、今年は、『オーシャンゼリゼ』を流行らせたダニエル・ビダルが来たんだそうな。(『オー、シャンゼリゼ』は語呂がいいが、フランス語では、「シャンゼリゼで」という意味である。つまり、「オー」は英語の「at」や「in」のようなもの。)

 シャンゼリゼのイルミネーションは有名で、ニュースにもなっているだろうから、グーグれば、すぐに写真が見つかるだろう。かわりに、ここでは普通の街のクリスマス・イルミネーションを紹介しよう。シャンゼリゼに比べれば簡素だが、各通り(町内会?)がそれぞれ独自の簡単なイルミネーションを飾る。どれ一つとして同じものはないようだ。

 下のは、近所のイルミネーション。ここは大通りだが、大騒ぎせず和やかな雰囲気が漂っている。そんな静かな、フランスのクリスマスが好きである。
 
Noel-Illumi0712-1.jpg
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2007年12月16日

古い町サンリス

Senlis0712-1.jpg パリから50キロほど北に、古い町サンリスがある。「古い町」というのは基本的には「中世の町」という意味だが、7世紀から9世紀にかけて建てられたカテドラルなどの中世の建物に混じって、この街の中には、紀元3世紀頃にローマ人が築いた城壁が走っている。

 この町はもともとケルト人の都市だったが、紀元前8世紀頃に、ガリア・ローマ人によってAugustomagusと名づけられて支配されていた。紀元3世紀頃(その頃は、フランスはまだガリアと呼ばれていた)、彼らは、この町を、28の尖塔をそなえた厚さ4メートル城壁で囲った。その城壁を、いまでも街の中に見ることができる。

 その後も歴史的に中心的な役割を担った。フランスに987年に成立したカペー王は、選挙によって成立したフランス初の王朝だったが、その選挙はこのサンリスで行われたのである。

 そんな“近代王政の原点”という歴史的背景のせいSenlis0712-2.jpgか、観光地化されていないにもかかわらず、町にはプライドとゆとりとが漂っているように感じられる。肌で感じる停まったような時間の中に、「フランス王朝?ここで“生んで”やって、まあ、がんばりはったみたいやけどねえ……」というプライドとじくじたる思い、と同時に、この土地のガリアからの歴史に比べれば、そんな最近のこと大騒ぎするまでのこともなかろうに、というゆとり(?)と……。

 12世紀から13世紀にかけて、町のさらに周囲に第2の城壁を作った。それが、川沿いの散歩道にそってのどかに建っている。木立のその向こうには、ヴァロワの田園が広がっているそうだ。

 カテドラル前の広場の陽だまりの中で、ミサの前に、ボーイスカウトのような上着を着た子どもたちが、楽しそうに走り回っている。タイムスリップしたようだ。

 なにか映画に出てきても良さそうな町だな、と思っていたが、帰って調べたら、映画『髪結いの亭主』や『ダントン』のロケに使われたんだそうだ。文化大臣になったアンドレ・マルローは、62年に歴史的街の保存に関する法律を作った時、この町を最初の指定にした。

 カテドラル前に観光局の小さな事務所があって、町の見所をとても親切に教えてくれる。「見所」といっても、町と城壁ぐらいしかないのだ。ただ、ガロア時代の石仏というのは良いらしく、それを見に行ったのだが、それを収めている博物館は、工事中で閉まっていた。

 午後から行ったのだが、しかし、寒かったな。帰りぎわ、土地のパン屋に入ったら妙な形のパンを売っていたので買った。説明してくれたが分らなかった。売っていたおばさんに「これは何ですか?」と訊いたら(あいかわらず、質問は拙い幼稚園レベルである)、「これは○○というパンでね、小さく切って△△につけて、×■○▲……」とモーレツなスピードで話し始め、何がなんだか分らず、とはいえ訊いたSenlis0712-3.jpg手前、買わざるをえない気になって買ってきたのである。

 味は、まあ、普通のパンだ。写真を貼っておきます。指のようなところから、切って喰った。これがなんだかご存知の方がいらしたら、お教え下さい。
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2007年12月14日

管理人バアさんへのクリスマスつけとどけ

 クリスマスはフランスでもプレゼントの時期なのであるが、それには、ふだんお世話になっている人への“つけとどけ”のようなものも含まれるらしい。

 ところで、フランスの大型アパートの例にもれず、このアパートにも「管理人(ガーディアン)」なる人がいて、こわいバアさんが、毎日、ゴミ出し、ホールやエレベーターの掃除、そしてなにより大事なのだが、アパートにまとめて配達される郵便物を個別に仕分けして各戸に届けてくれるのだ。こういう管理人さんは、アパートの修理やアクシデントの時などに世話になるだけでなく、アパートの住人全員のつぶさな情報を把握していて、いわば“陰の黒幕”みたいなものなのである。

 ここの管理人バアさんについては、このブログでもすでに何回か書いた。
「どう訊いていいのやら……」
http://dokugo.seesaa.net/article/29180793.html
「『セ・ラ・ヴィ』」
http://dokugo.seesaa.net/article/29257385.html

 このバアさん、つい最近、連れ合いをなくしているので、時どき、土産のお菓子やお茶、もらい物のおすそ分けをあげていた。で、上の“つけとどけ”は、こうした管理人にも渡すと教わった。何を渡すかというと、たいていはお金なのだそうだ。いかほど渡せばいいんでしょう?――ある人にそう訊いたら、「まあ、一年間のお礼ですから、ひと月10ユーロってとこでしょうか」。

 ……とすると、げっ、120ユーロ!これはキビシイ、とくに物入のこの時期には、かなりキビシイ。しかし、いわば“全権”を握っている管理人である。うわさによると、管理人のキゲンを損ねると郵便物などが届かなくなったりするらしい。

 そこで、和風カレンダーを一緒にあげて100ユーロに値切る、というコソクな手段に出ることにした。しかし、カードくらいは付けねばなるまいな……。日本から持ってきた手ごろな和風カードを選んで、さて、ひと言、書こうとして――
        「あっ!」
管理人さんの名前がわからん……。

 贈るのを一日延ばし、夜、管理人室をガラス窓ごしに覗いたりしてみたが、なかなか名前なぞ見つからない。管理人室には巨大なクリスマス・ツリーが飾ってあるのだが、その周り、部屋の壁沿いに、イルミネーションのコードを何本も這わせていて、それがさかんに色とりどりに点滅している。ここはどこですか……。ちょっと眼には、安っぽいポルノショップのネオンのようでもある。まあ、元気があってよろしいです。

 そのネオン、いやイルミネーションの点滅をとおして中を覗いていたのだが、あんまりキョロキョロしていると、不審な男として捕まってしまうかもしれない。自分のアパートで「不審者」として捕まったんでは、冗談にもならないではないか。

 しかたなく「私たちの最高の管理人さま(Notre Meilleure Gardienne)」とごまかした。あとは、季節の挨拶と、「毎日してくださる親切と配慮にいつも感謝しています」と書き、「こころ温まる、幸福なクリスマスを、心からお祈りいたします、とつけ加えた。

 翌朝、ちゃんと上着を着て、管理人室に持っていった。渡しながら、「良いクリスマスを」と言ったつもりだったのに、バアさんに「え?クリスマスのなんだね?」と確認された。
 フランス語が情けないのは、あいかわらず同じである。
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2007年12月12日

『ミッチェル・レポート』は薬物問題を暴けるか?

(別の野球ブログに書いた記事から)
 
 明日、アメリカの大リーグにおける薬物問題についての調査をまとめた『ミッチェル・レポート』が発表される。

Mitchell Report to be released Thursday
Investigation into MLB steroid use will reveal names involved

 ボンズの薬物事件のせいもあり大リーグの薬物問題は関心をひいており、どの選手の名前が公表されるか注目を集めていているが、このレポートですべて明らかになるとは期待できないと思う。

 公正なレポートのようだが、実をいうと、このジョージ・ミッチェル(George Mitchell)という男は中立な立場ではない。大リーグのレッドソックスのディレクター(ボード・メンバー)であり、大リーグを中心に放送するスポーツ・テレビESPNの親会社、The Walt Disney Coのチェアマンだった。つまり、大リーグ機構の内部者というわけ。
 (追記:しかも、調査に法的強制力がないので、すべての選手が協力的だったわけではない。もちろん、仮に法的強制力があった場合でも、これまでの薬物違反で灰色(クロ?)の選手たちはすべてを語ってきたわけではないが。)

 このことについては、ヘラルド・トリビューンにじつに的を射たコラム記事が載っている。このコラムの指摘するとおり、大リーグは、1998年のマクガイヤvs.ソーサ・ホームランダービーの時の熱狂が示すとおり、薬物問題に対する認識が甘く、その後も、薬物問題に関心を示すふりをしながら、実際にイニシャティブを取ってちゃんとした対策を講じたことはなかったのだ。ボンズの薬物問題(裁判騒動?)は、その氷山の一角に過ぎないと思う。

George Vecsey: Who needs names in doping scandal
http://www.iht.com/articles/2007/12/09/sports/BARRY.php
posted by ろじ at 00:00| パリ | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月05日

アメリカ人が好きなシャトーヌフ・デュ・パプ

 シャトーヌフ・デュ・パプは、ローヌ地方南部の土地だ。“南国”プロヴァンス地方の大都市、アヴィニョンから北に位置し、そこからも遠くない。14世紀、ローマ法王は、フランス王との緊張関係の結果、アヴィニョンに住んでいた。その今も残る法王庁宮殿の大きさは、1万5000uと、尋常なサイズではない(訪れると、フランス革命の際に壊された跡が痛々しい)。
 
 しかし、法王ヨハネス22世の時、アヴィニョンの暑さを嫌い、郊外にあったローヌ川左岸の奥まった場所に別荘を建てた。そこが、「シャトーヌフ・デュ・パプ Chateauneuf du Pape (法王の新しい城)」と呼ばれた。

 名ワイン、シャトーヌフ・デュ・パプは、ここでできるワインだ。地中海性気候に恵まれ、ローヌ地方の中でも一番平均気温が高く、雨が少ない。そんな恵まれた気候に加えて、石・砂・砂利・赤土などが混じった南部でも一、二を争う硬さの土壌のおかげもあって、良質のブドウが採れる。

 そのブドウから、酸が少なめだが繊細な粒子を持ち、甘みが多いわりにアルコール度が高い、色の濃い力強いワインができる。年月がたって熟せば、ブルゴーニュのポマールっぽくなるとも言う(そんなもの飲んだことないが)。ただ、ブドウを13種類品種までいろいろ混ぜ合わせてワインを作れるので、味・香りともさまざまで多くの良いワインがあるという。

 この上質なワイン、アメリカ人が眼をつけて買いあさった歴史がある。アメリカ人のワイン評論家、ロバート・パーカーJrは、シャトーヌフ・デュ・パプを「ローヌのボルドー」と呼んで絶賛した。結果、シャトーヌフ・デュ・パプの値段を異常に吊り上げたらしい。

 何週間か前、フランス南西部にあるワイン産地のサンテ・ミリオンに行った。街に真ん中にあるワイン屋に入ると、店主が親しく話しかけてきた。かなり若そうな男だが落ち着いていて、その落ち着きの中にワインについての情熱と知識がにじみ出てくるような人だった。もとイギリス出身だが、サンテ・ミリオンが気に入って住み着いたのだという。(彼はじつに親切な男だった。話しているうちに、サンテ・ミリオンについてのデグステ(ワイン講座)をしてくれるといった。翌朝、行ってみると高価なワインを出してサンテ・ミリオンを判りやすい言葉で懇切丁寧に解説してくれ、しかも、こちらから一銭も受け取ろうとしなかった。)

 その彼に、「外国からはどこの人が多いですか」と訊くと、アメリカ人と日本人という答えが返ってきた。アメリカ人の場合は「ロバート・パーカーのせいですか」と続けて訊くと、「ええ、でもそれは、シャトーヌフ・デュ・パプの方が影響が多いでしょう。アメリカ人はボルドーも好きだが、シャトーヌフ・デュ・パプを買う多さは尋常でない」、というようなことも言ったのだった。

posted by ろじ at 21:41| パリ ☁| 食い物・飲み物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月01日

味を学ぶ

 フランスの秋はキノコの時期である。ワインと秋のキノコ、チーズの組み合わせは、とても楽しいものなのだそうだ。この秋は、市場でもキノコをあまり見ないような気がするが。

 ワインやキノコに限らず、味や香りについて上達するには、きっと、味や香りについての「記憶力」が良くないといけないのだろう。まあ、当たり前のことだが、ところが、いままで、 意識的にアタマでそう考えたことがなかった。もともと記憶力が弱いわたしにとって、味や香りというのは、
子どもの頃から、もっと肉体で覚えるものだった。

 子どものとっては、お母さんのいる台所にテクテク歩いて行くことと「美味しいもの」の味や香りが、頭の中で一緒になってるのかもしれない。しかし、わたしには、味や香りは、それ以上に運動的なもののように思う。

 わたしの記憶力は、運動や動きに関するものだと強い。たとえば、野球やバスケットボールの試合など、TVで見ていると、個々のプレーを1ゲーム分まるごと全部ほとんど覚えてしまったものである(今は、やってないので、できるかどうかわからないが)。おそらく、子どもの頃からの運動癖で野山を走り回っていたせいで、小脳が発達していて、記憶もそこを介すると強いのだろう。それに反して、試験前にただ記憶するというのは、子どもの頃からまったくダメだった。

 ワインの講座に出始めた頃、香りが一種の「運動的な感覚」として捉えられると、あるいは捉えられそうな時は、その香りの記憶もうまく行ったように思う。けっきょく、学習のポイント・コツというのは、そういう覚え方についての自分なりの傾向がしっかりしてくるということかもしれない。

 だから、もしかしたら、キノコ採りとかしたら、キノコの香りを良く覚えるのかもしれない。

 けっきょく、食ってのはそういう「環境」のこと(料理を作る側は、まさにその「環境」を造り出して、その中にいるのだ)で、テーブルに出てきたお皿、グラスを口にするだけではダメなのかもしれない。
 じゃあ、ワイン造りでも始めるか・・・・・。
posted by ろじ at 00:00| パリ ☁| 食い物・飲み物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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