2008年04月30日

秋津温泉

 何日か前、TVで、吉田喜重の『秋津温泉』(1962)を観た。実は、知り合いのフランス人の女性が左岸の映画館で観て気に入ったと言っていたので、つい観てしまったのだ。

 いま、ポンビドー美術館で吉田喜重映画祭なるものをやっているらしいのだが、テレビで時どき集中的にやる映画特集は、どうもこうした街の映画祭や展覧会と連動しているようだ。美術館には政府が金を出しているとはいえ、ケーブル会社のような私企業と手を取り合っているのは、どういうことなのだろう。

 左岸の映画館にも、この時期、吉田喜重の作品をかけているところが多い。そういえば、先日読んだ地元のフリー日本語ペーパーでも、吉田喜重特集をしていた(ご本人が岡田茉莉子と一緒にパリに来ているらしい)。街全体でなにか一つの芸術家・映画監督を理解しようというなのだろうが、それはこの国の人文主義の伝統なのかしらん。

 さて、くだんの『秋津温泉』、よくできた作品だと思う。(現実生活での)奥さんの岡田茉莉子演ずる主人公が、とてもなめらかで存在感ある演技をしていた。構成も演技も、同時代の松竹ヌーヴェルヴァーグの大島渚の作品なんかより、ずっと気に入った。そこで、『エロス+虐殺』(1969)も観たが、これは、実験的な意欲は感じたがどうも冗長に思えた。原田大二郎、若かったけど、雰囲気は今とまるで変わらないねぇ。
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2008年04月29日

韓国人を襲う中国人――オリンピックから遠い中国

 28日の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン(IHT)』紙の第一紙面に、中国人が韓国人を襲う写真が載っていた。「襲う」というより、「飛び上がって強力なケリを入れる」というに近い状況の写真のようだった。(インターネット版では、なぜか写真が違うものになっている。)
Chinese clash with protesters at torch run in Seoul
http://www.iht.com/articles/2008/04/27/asia/torch.php

 これは、オリンピック聖火リレーが韓国のソウルに到着し、それに反対する韓国人が沿道を埋めた時の出来事のようだ。中国のオリンピック聖火は同じアジアの韓国でも完全には受け入れられなかったのだな、と改めて感慨深かった。当たり前のことではあるが。

 これは、友人へのメールにも書いたのだが、聖火リレーも含めて、中国政府・中国人らは、このオリンピックの機会を国威や自分の国を自慢することにしか使っていないように思える。今回の世界中での聖火リレーの時にみられた(フランスに対するネットでの攻撃も)全体主義的行動パターン、今回はっきりと現れたが国内では日常的にある「他人の異なる意見を認めない姿勢」、国内での情報の制限・コントロール――今回の中国人たちの行動は、図らずも、かの国がどれだけ民主主義から遠く、したがって、いかにオリンピックの理想(オリンピックがそれを本当に追求しているならだが)を実現する担い手になりえないかを示してしまったと思う。つまり、中国人たちがこのように行動すればするほど、いかにこの「祭典」の担い手にふさわしくないかを証明してしまうと思う

 友人は「中国人様には、せめて五輪旗も持っていて欲しかった」と書いてきた。たしかに、その通り。しかし、そうした中国人たちはまったくいなかったようだ。それは、上に書いたように、彼らが自国の国威を振り回すことしか頭になかったことを証言していると思う。

 ロンドンからパリを経て日本に来る頃には、「五輪聖火リレー」の催しは、残念だが、中国という政治・制度、そしてそれを担おうとする人々と、チベット解放の声(その背後に中国のこれまでの人権侵害)のあいだ闘いを繰り広げる場になってしまった。これほどのゴタゴタと社会的カオスを作り出した、IOCの痴呆風天真爛漫的独善決定主義の罪は重いと思う。
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2008年04月28日

パリ大学での日本語

 先日「パリの街でアメリカ政治談義」で書いたアメリカ人女性P、実はここパリの大学で日本語を習っていることが分かった。なんだ、じゃあ、前回もっとその話をすればよかったね、とお互いに笑ったが、彼女の目は笑っていない。授業にかなり苦労しているらしいのだ。

 で、この休み中に時間があったら勉強を見てあげるよ、と約束した。さっそくPから連絡が入り、夕方会うことになった。

 たいしたことないだろうと舐めていたが、実際、質問されて驚いた。スゲエ、2年目なのになんでこんな難しいことやってるんだ、という位にやたらレベルが高いのだ。たとえば、次の語の用法の違いを説明せよ……
接尾辞「〜にくい(難い)」「〜づらい」「〜がたい」「〜かねる」
接尾辞「さ」と「み」(例:「重み」「重さ」)
接尾辞「がち」「ぎみ」(例:「遅れがち」「遅れぎみ」)
フランスの学部は3年間で、そのあいだに「リサンス1」「リサンス2」「リサンス3」とレベルをクリアーして行くのだそうだ。その上は、マスター(修士)。2年目、つまり「リサンス2」でこれだということは、1年目で何を習っちまうのかね。アメリカのスピードとはえらい違いだ。

 しかし、質問されると同時に、クラスの先生が説明したハンドアウトを見せてもらったが、上の語句の違いを例文で示すだけで、どんな状況で使い分けるのか分析して解説していないようなのだ。ひどいのになると、みな同じフランス語訳を付けている。訊くと、日本人の先生で全部日本語で説明するのだという。

 こういう話を聞くといつも思うんだが、ネイティブだからその言葉を教えられると雇われてるケースじゃないかな。だとしたら、おお間違いだ。語学教育を舐めている。それで良いのか? マッタク嘆かわしい……、といつの間にか、説明に窮した自分を棚に上げて、Pを前に熱く弁じていたのでした。
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2008年04月27日

チューリップ狩り

ガリー・ファーム1

 パリの近郊、ベルサイユの近くに、農園があり、広大な耕作地にさまざまな野菜や果物が植わっている。自分で採り、それに応じて代金を払って持ち帰れるが、かなり安い。もちろん新鮮。去年、秋の終り頃に行ったら、リンゴとイチゴが採り放題であった。

 春もたけなわ、何かあるだろうと今日行ってみたら、野菜がほとんどない(レタスとホウレン草と巨大な葱(ポアロネギ)ぐらい)代わりに、チューリップの季節であった。チューリップというのは、実にいろいろな種類あるのだな。

 1本30サンチームで自由に切り取らせてくれる。しかも、会計では、本数は自己申告。好きだなあ、フランスのこういう大らかさ。
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2008年04月26日

全国的に春休み

 いまは、フランス全国の学校の春休み(vacances scolaires 学校休暇と呼ぶ)とかで、2週間近い休暇なのである。おかげで、夜の語学クラスもないのであるが、学校だけかと思ったら、パン屋なども休むらしい。いつも行く美味いパン屋に行ってみたら、「○月○日まで、一週間休みます」と張り紙がしてあった。

 この時期にあわせてか、会社を長期に休むフランス人もいるようだ。先日、合気道の稽古後、同僚が、「じゃあね。ボクは、これから2ヶ月休暇をとるから」と言った。
 「え? 2ヶ月? どこ行くのさ?」
 「まだ、決めてないんだ。これから探すんだ」
さすがフランス。これぞ、休暇のための休暇だな。夏の前のどこも安い時期に、早めのバカンスを取るということもあるんだろうか。

 昨日、いつも昼飯を喰う店で。飯を喰っていたら、老人のカップルが入ってきた。かなり年配で、腰が曲がっている。と、シェフがわざわざ出てきて挨拶をした。
 「いつものシェフが休暇でいないので、今日はわたしがシェフをやりますから」と笑顔で言った。
 老人たちは、一瞬、驚いた風だったが、「じゃあ、しかたないね」と言い、老婦人の方が、注文する肉や野菜の料理の仕方を細かく注意すると、やっと腰をかけた。

 長年ここの常連なのだろう。この店は比較的安く、それほどたいした店でもないが、こんな触れ合いがずっと続いているのをみるのは、美味い料理以上に心地よい。
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2008年04月25日

パリの街でアメリカ政治談義

 夜、パリ市が市の施設を利用して開いているフランス語のクラスに出ている。昼間の部もあるらしいが、昼間は用事があるし、それに夜間の方がおもしろい外国人やオトナに会えそうな気がして夜のクラスを取っている。施設は小学校を利用していて、これも、こちらの初等教育の現場を見るようで実に面白いのである。

 小学校なのに、妙に難しいフランス語の単語について、接尾辞の使い分けを示した表が張ってあったり、美術関連だろうがカンディンスキーなどの高度な抽象画を見本として飾っていたり、その美術のクラスの作品なのだろうが、野菜・果物を集めて人の“ポートレート”を描く異色な芸術家アーキンボルドをまねて描いた絵画を展示してあったりと、「ほうっ」と思うようなものを良く見かけるのだ。

 フランス語クラスの方は、参加者25人ほどのほとんどが白人で、イタリア人とスペイン人が主であるようだ。マイノリティーはわたしを含めたアジア人が二人、もう一人黒人の女性がいるだけ。参加者は、残念ながらほとんどが二十代らしい。若い人が特に嫌というわけではないが、若い子らしく私語が多いのにはまいる。特に最前列に座ったスペイン人の女の子は、先生の説明中でも平気で大声で隣の子と話す。他の生徒の発音が悪いとクスクスと笑ったりするのも、幼稚な感じがする。クラス全体が、そんなやや落ち着かない感じ。先生は白人のマダム。

 ときに、外国語を習得しようとする時いつも感じるのだが、欧米人のアクセントはかなりヘビーでもOKで、こちらのアジア風アクセントが修正されるのはナゼなんですかね?アメリカにいた時も、強烈なフランス語訛りの英語でも大丈夫――どころか「わー、セクシー」などとむしろ喜ばれていた。ここパリでも、スペイン人のフランス語、たとえば「que」を「ケ」と発音しても、いつもスルーってなんだよ。オレは何度も直されたぞ。ダブル・スタンダードだな……。

 閑話休題。さて、そのクラスにいる黒人の女性、実はアフリカ人だとばかり思っていた。で、先週たまたま帰途が同じくなったので話しかけてみたら、なんとアメリカ人で、シカゴから来たという。アメリカ人と聞いた瞬間に、フランス語を苦労して話すこたぁねえ、と英語にスイッチしてお互い話しまくった。

 まず、お互いのパリの印象を話す。彼女はもと弁護士で、すでにこの街に5年おり、フランス語を習得したら法律の資格を取るつもりだという。しかし、この都会の人種差別は厳しく、
 「もううんざり。終わったら、さっさと帰るわ」
と言った。フランスはマイノリティーの扱いについて、アメリカより30年から50年遅れていると言うのだ。「テレビをごらんなさい。黒人がどれだけ出ている?」
 そして、パリ人は自分がどれだけ偉いと思ってるのだろうか、とそのごう慢さ、不遜さを嘆いた。

 彼女は、いつもメトロに乗らずに、1区の家まで歩いて帰るのだと言った。話がおもしろく、夕方の街を私も歩くことにした。

 アメリカの差別についても話した。
「アメリカは良くなったわ。50年前に比べるとはるかに」
「そうですね。しかし、数年前まで、たとえばアメリカンフットボール・リーグのクォーターバックに何人の黒人がいたと思いますか?ほとんどが白人だった」
「あなたは、まったく、わたしの兄みたいに話すのね……」
 その他、アメリカのブッシュの“罪”について、イラク戦争について、今年の大統領選について、オバマの“可能性”についてなどなど、話題は途切れることがなかった。
「ヒラリーには大統領にはなって欲しくないし、マケインはもっとダメ……」
「でも、アメリカ人は、オバマを選ぶほど成熟したと思いますか?」
「その可能性はあるわ。オバマには勝って欲しいけど、しかし、一部の狂信的な者たちが、もしかしたら彼を……」
「そう、それは、ほんの一握りの人たちがいれば起こりうる……」

 話が熱を帯び、終わるのが惜しく、わたしもメトロの駅をいくつも横目で見やりながら歩き続けた。暮れなずんだパリの街をアメリカのことを熱心に話しながら、われわれは、5区の小学校から、サン・ルイ島を渡り、ルーブルのわきを通って1区にある彼女の家の近くまで歩いた。パリ市内を、なんと3分の1ほど歩いたのだった。
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2008年04月24日

中国からの武器、中国へ帰る(?)

 前回書いた、中国からジンバブエへ輸出された武器が南アフリカで荷卸しを拒否された話について追加。話のウラを知らないので、ナイーブな発言になると思うが、もし報道されていることが本当なら、南アフリカの労働組合は、本当に偉いと思う。荷卸しをしないということは、その賃金が手に入らないということだろう。それは、彼らの生活を考えれば、決して楽なことではないに違いない。

 自分の生活や食を犠牲にしても、同胞の生命のため、モラルのために、拒否すべきは拒否する――こういう人たちを「モラルが高い」という。

 さて、その南アフリカで荷卸しが頓挫した武器が、中国へ戻るという。
Chinese Foreign Ministry says arms shipment to Zimbabwe to return
http://www.iht.com/articles/ap/2008/04/24/asia/AS-GEN-China-Zimbabwe.php

Arms shipment meant for Zimbabwe to return to China
http://www.iht.com/articles/2008/04/24/africa/arms.php
 さすがにモラル的にも良いイメージを与えないと思ったのだろう。が、そのまま中国に帰るだろうか。悪いが、わたしは、中国の言うことをそのまま信用はしていない。極端な話、公海上でジンバブエの船に積み替えても、証拠も何も残らないだろう。

 中国の「輸出品」といえば、先ごろ、薬品のマガイモノや毒物の入った製品を輸出し死者さえ出た事件があったが(たしか、中国は否定しつづけた)、許しがたいことだ。簡単には「公式声明」を信じる気にはならないほど、中国のイメージは悪くなっている。
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2008年04月22日

中国からジンバブエへの武器輸出に対する抵抗

 数日前のインターナショナル・ヘラルド・トリビューン(IHT)紙が、中国からジンバブエへ輸出された武器が、アフリカは南アフリカの港に荷降ろしを拒否されている、と報じていた。拒否しているのは、南アフリカの政府でなく労働組合である。スポーツの祭典オリンピックを謳い上げる中国は、武器の商人なのだ(もちろん、ロシアなど「武器の商人国」は他の国々もいるが)。
http://www.iht.com/articles/2008/04/18/africa/18zimship.php 

 ジンバブエは、あのムガベの暴政で問題になっている。南アフリカ労働組合は「そこに送られた武器は人民を抑圧させるために使われる。それを憂慮する」と声明を出した。エライ!一方の南アフリカ政府は「我々は、武器であろうと中国とジンバブエ間の交易に介入はしない」という立場。

 以下は、今回の件に関する中国の声明。「武器販売に関して、常に、慎重で責任ある姿勢を持って」というのは笑わせられる。
中国とジンバブエは正常な交易関係にある。われわれは、武器販売に関して、常に、慎重で責任ある姿勢を持ってきたこと、そして、もっとも重要な原則は他国の内政には干渉しないということであると強調したい。
"China and Zimbabwe maintain normal trade relations. What we want to stress is, China has always had a prudent and responsible attitude towards arms sales, and one of the most important principles is not to interfere in the internal affairs of other countries," said the statement.
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2008年04月19日

聖火リレーの日、パリで

チベット集会@パリ五輪聖火リレー4
 読者には申し訳ないが、このブログはあいかわらず遅れ気味である。特に写真をアップするとなると、Seesaaブログは非常な時間がかかる。写真つきの記事を書きたいとなると、まとまった時間がないとできないのだ。むろん、それはダイアルアップ並みのここのネット回線の遅さのせいでもあろうが。去年、パリでは光ファイバーの話もあったが、それが広まったという話も聞かない――。

 というわけで、さて、写真つきの記事をアップするのである。日時は、翻って今月7日の出来事。パリで五輪聖火リレーが行われた、あの日のことだ。中国のやり方にウンザリしていたから最初は気にもしたくなかったが、直前になって、まあ観てもいいかという気になった。フランス人たちがどう反応するか興味があったのである。

 月曜当日は、聖火は12時半にエッフェル塔を出発し、凱旋門を回ってシャンゼリゼ通りを市庁舎の方へと降りて行く。凱旋門なら比較的近いし、観に行っても時間をとられないだろう。すこし早めに行って、オリンピックに反対する群衆の興奮状態も見ておく必要がある。で、昼飯時に抜け出し、12時ごろに凱旋門に行ってみる。さぞかし辺りには、チベット派と中国派のものすごい人込みが――。

……えーと、誰もいませんが。何ヶ所かに警官たちはいるが。しかし、なんですか、このユルサは。防弾チョッキを着ているのはいいが、あちこちで談笑なぞをしているのである。その世間話をしている男性の警官の一人に、「聖火は何時ごろ来るのか?」と訊いてみた。

 男は、質問したみすぼらしいアジア人をジロリと上から下まで眺め、「4時ごろだ」と答えた。そんなハズがない。どんなにかかったって2時ごろだろう。わたしを、きっとどちらかの派と睨んだのだ。これではラチがあかない。まだ時間はあるし、エッフェル塔まで行ってみると決める。

 エッフェル塔までは地下鉄ですぐのはずだったが、なぜか歩き出した。まあせいぜい20分、まだ時間はある。しかし、パリの道路事情、すぐ道を間違えてしまった。まあ、しかし、これからエッフェル塔まで行っても混んでいて近づけないだろう。とすれば、その近くトロカデロ公園の丘の上、シャイヨ宮から観た方がいいかもしれん――と、予定変更する。(シャイヨ宮まで歩いたのは正解であった。あとで判ったことだが、「シャイヨ宮で起きていること」のために周辺の駅は軒並み閉鎖されていたのだ。)

チベット集会@パリ五輪聖火リレー1 シャイヨ宮に近づくにつれ、警官が多くなり、あと一ブロックというところでカバンの中身をチェックされる。シャイヨ宮に出るメトロの駅「トロカデロ」は完全封鎖され、警官が壁を作って通り過ぎようとする者を厳重にチェックしている。その向こうには、フリー・チベットのカラフルな旗が見える。シャイヨ宮の広場にはその旗があふれていた。(写真の横断幕には「眼を開け」と書いてある。)

チベット集会@パリ五輪聖火リレー3 広場の入り口近くには仮設ステージが設けられ、その上でスピーチが行われている。反対側の右手の方には、さらに情熱的なグループもいるらしかった。それらにも興味はあったが、五輪聖火が出発する瞬間も観たい。時計を見ると12時半。エッフェル塔からのスタートは35分である。いそいで、広場の反対側のエッフェル塔を見おろせるテラスへ向かう。しかし、あるところまで行くとそこにはフェンスが張り巡らされ、その向こうには防弾チョッキの警官たちが間をあけて整列していた。さらに向こう、春の陽の中に、のんびりエッフェル塔が立っている。

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2008年04月18日

「わたしはニグロであり、これからもニグロのままでいる」エメ・セゼール

 今日、レストランで昼飯を喰っていた時にふと読んだ新聞が、フランス人の詩人エメ・セゼール (Aimé Fernand David Césaire)が昨日亡くなったことを告げていた。

 フランス人の詩人といういい方は、正確ではない。フランス領マルチニックニ諸島に、1913年、黒人として生まれ、その生い立ちを背景に詩を書き、ネグリチュード(黒人性)運動を牽引し、植民地主義を批判した。代表作は『帰郷ノート(原題『生まれた国に帰ることについてのノート)』、『クリストフ王の悲劇』、『植民地主義について』。
 タイトルの言葉は、彼の有名なもの。
Nègre je suis, nègre je resterai.

 そんな時に、昨夜は、オレは日本の有名人離婚のことなぞをネットでよんでいたのだ。あー、なさけねえ。

 第2次大戦後、マルティニーク島の首府フォール・ド・フランス市の市長を務めた。昨年のフランス大統領選挙中は、社会党のセゴレーヌ・ロワイヤル氏と面会した時の写真が報じられたりした。

 早速、大きく報じているリベラシオン紙を買ってきた。夕方、ニュースを観ると、ほとんどの局が多くの一般人が参加して大々的に行われた葬式の模様を伝えていた。
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2008年04月07日

春の雪

 昨夜のこと。窓のカーテンを閉めようとしたら、外にチラチラと白いものが見えた。覗いてみると、なんと雪であった。しかも、ボタン雪に近い。音もなく落ちてくる。

 なんてこったい。この春は、パリの天候は異常と感じていたが、まさか雪とは……。

   春雪に染まりし窓を息で拭(ふ)く

と、稲畑汀子(春泥にとられし靴を草で拭く)をまねて詠んでみた。
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2008年04月06日

ダラダラの日曜

 今日、月初めの日曜は美術館がタダの日。しかし、最近は体に疲れがたまっていて、そのせいか元来の物見高い好奇心も、街に観光客をわざわざ観に行くのも……と消極的なのである。

 ともかくも、どこかで何か観てみるか、そういやオランジュリー美術館のモネの絵はまだ拝んでいなかったな、と昼飯のサンドイッチを持って、美術館のあるチュイルリー公園へ。公園のベンチでサンドイッチを喰っていると、美術館とおぼしき建物の周りに長蛇の列。コラあかんわ。

 念のため美術館の入り口の係員に訊くと、「まあ1時間だね、いや45分!」と叩き売りのようなことを言う。ただ、小雨も降り出したし、四月だというのにこの寒さ。あきらめて、別の美術館に行くことにする。そういや、ロダン美術館でカミーユ・クローデル特別展がかかってたな――。

 しかし、行ってみると、クローデル展は15日からであった。チッしょうがねえ、ロダンをまた勉強していくか……、と中へ。ここはこうした日でも空いている穴場のはずだが、けっこう混んでいた。「考える人」は、正面の庭に移動され、周りに柵が立てられて近づけない。

 しかし、いつ見てもすごさに圧倒されるな。ただ比較したかったカミーユ・クローデルの作品は、特別展の前にスペインに行っているということだった。

 その後、ここも空いているはずのプティ・パレの美術館へ。ゴヤ展をやっているはずだが、着いた時にはすでに終わっていた。地下にある中世宗教美術とルネサンス工芸品を見てると、閉館がきて追い出された。

1週間前に夏時間になったので、夜7、8時になっても、空は薄明るい。明るい夕方が長く続くと、なにかウキウキしてくる。おそらくパリジャンたちも同じ気分なのだろう。夜になっても人出が絶えなかった。トワイライトの中、建物の周りに、白とピンクの桜がちらほらと咲き始めていた。
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2008年04月05日

テレビによる暴政

 週一回やっているフランス語ディスカッションのグループ、今週のテーマは「テレビによる暴政(La tyrannie télévisuelle)」(「tyrannie」には、「圧倒的な影響力」という意味もある)。この記事、「建造物フランス連盟(La Fédération Française du Bâtiment)」というかなり特殊なサイトからのもなのだが、なかなか面白かった。
http://www.constructif.fr/Site/idx_article.asp?HTML=16_rouages_Art4.htm 

 この記事によると注目すべき事実として、
*フランスの71%が必要な情報をテレビから得ていて、対して出版メディアから得る人々は26%。
*そして、こうしたテレビ派のうち1500万から2000万人が、その情報を夜7時半から8時半のあいだに観ているという。つまり、その間の放送がばく大な影響力を持っているわけだ。
*もっと重要なことは、フランスでは、4人のうち3人は情報源がそれだけだというのだ。
フランスにおけるテレビの影響力、絶大なり。しかも、テレビである以上、ビジュアルがなによりも訴える。アメリカのスポーツ・ドリンクのCMではないが、「Image is Everything!」。

 この事実にもとづく論文の主張は、テレビが登場した当時は治める者と国民の間のより確かな対話とそれにもとづく民主主義が確保されると期待されたが、半世紀たってみると、まるで違ったトンデモないことになっている、民主主義は危機にさらされている、というもの。国民は幻滅し、政治家の価値は下がり、国民の利益というものも粉々にされかかっており、言説も画一化してしまった。政治家は、とりわけ選挙中は、テレビの影響を無視できなくなった。30分間画面に出るだけで、6ヶ月の戸別訪問の代わりになってしまう。態度未決定の者に対する影響も、はなはだ大きい。テレビの使い方を知る者が選挙戦を制する。それまで長年にわたって培われてきた選挙の正統的なあり方が、テレビをどう使うかに取って代わられるようになった。民主主義をサポートするはずだったテレビが、民主主義を支配するようになってしまった……。(フランス語でもテレビを称して「ブラウン管の……(cathodique)」と言うのだと、初めて知った。)
大統領選中のロワイヤルとサルコジの対論を思い出す。

 アメリカでもこうした傾向があったけど、フランスもそこまでとは思わなかった。いや、アメリカではテレビでニュースを見る人口はもっと少ないかもしれない。日本について最近よく言われるのは、ますます新聞を読まなくなったということ(本も読まなくなったらしいが――ケータイ小説を除いて)。若いサラリーマンなどは新聞を取らない、会社に出社した直後、ネットのYahooなどのページでヘッドラインだけチェックしておわりだそうだ。日本では、その代わりフリー・ペーパーや雑誌が人気だが、日本のフリーのニュースソースは、フランスのもの(Le Matin やMetroなど)より心もとないように思う。

 さて、このディスカッションに参加していたアメリカ人、ことあるごとにテレビとインターネットを同列に議論して、そのスバラシイ影響力を論じようとする。先生が、コンピューターへのアクセスとテレビへのアクセスは話が別だと言っても聞かない。ついには、わたしが業を煮やして、いやアタマに来て発言した。アメリカではインターネットの普及率は高いかもしれないが、世界中で見ればインターネットどころかコンピューターさえない国が多いのだ、日本の老人のどれだけがインターネットの使い方、いや意味を知っていると思うか?アメリカで常識であることが世界で常識であるとは限らない……。

 このアメリカはもうけっこう老人で、それでも、アメリカでのやり方が世界でも通用すると考える典型的な観方を持っている。あまりのミゴトさに失笑してしまうんだが、「アメリカ流」、ヨーロッパにいると特にはっきり(そして滑稽に)見えてくるように思う。
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2008年04月04日

3点セットの困った風潮

 今月初めのエントリー「人種差別をするアホ野郎たち」に、追記を付けた。不覚なことに、一番言いたいことを書かなかったのだ。情けない。

 このエントリーをぜひとも書きたかった理由は、次のとおり。フランス、特にパリというと、なんとかというお店の○○がカワユイだの、どこぞのチョコレートが美味いだの、なんとかという三ツ星レストランでフレンチを喰っただの、どこのショーウインドーはキレイだのと、「楽しいこと」「美味しいもの」「キレイなもの」の3点セットばかり書いて、こういう社会に眼を開いていればすぐ飛び込んでくる“社会問題”“ネガティブなこと”になんの注意も払わないブログやニュースが多すぎると、ふだんから感じている。
(それを日本人の女性に面と向かっていわれると、オジさん、心の中でタメ息がでます。)

 べつに、良いところを書くな、汚いところだけを書けとは言わない。しかし、フランスやパリというと、なぜこの「3点セット」ばかりなのだろうか。パリを売ろうとする雑誌がそれを意図的にやっているとすれば(そうだと思うが)、それだけでもかなりの情報操作で罪は重いと思うものの、(一種のアクドイ商売として)判らなくもない。それだけでなく、そういものが、一時的に街を見る旅行者ばかりでなく住んでいる人が書くものにある、というのが理解に苦しむところなのだ。

 「パリは天国のようなところ」と自分の個人的な日記で書いてるなら、別に問題はない、かってにやってくれというところだが、ニュースで報じ、コラムで連載し、誰でもアクセスできるネットのブログに書き続けるとなれば、「問題はない」といってはいられない。「パリ」について調べて、結果的に幻想をいだく人も多くなるだろう。(どこかの都知事や渡辺何某とかいう老作家がフランス・フランス語について自分に都合のいい「思い込み」を垂れ流しているのは、ここで含まないでもないが、ここで言いたいのはもう少し大きな問題だと思っている。)

 その「きれいなところしか見ない」「書かない」メンタリティーだけでも苛立つところだが、そんなノー天気な風潮のせいでパリの正しくないイメージが固定し、時にその結果として、「パリ症候群」(雑誌のタイトルをもじって「フィガロ症候群」と呼んでいる)のようなものを生んでしまうのを苦々しく、ウンザリ思っている自分としては、無視できないと思ったのだ。

 なぜ、目の前の事実を見ないのか、と問いたい。美味いものを喰ったことがないからねたんでいるんだろう、三ツ星レストランに行ったことがないから嫉妬しているんだろうと言われてもかまわない。これだけ簡単に情報にアクセスできる時代になって、自分を「幻想パラダイスの世界」に閉じ込めているなんて――これぞ「シャングリラ症候群」?これじゃあ、“引きこもり”みたいじゃないか。
……あ、もしかしたらそういうことか?海外に住む“引きこもり”?
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2008年04月03日

2015年万国博覧会の決定の日

万博決定日?1

月曜日の朝、近くにあるコンベンション・センターのようなもののわきを通ったら、妙な集団が建物前に集まっていた。何種類かの旗を掲げている。どうやらイタリアらしい旗の集団が、これから周りを練り歩くようだ。気になったが先を急いでいたので、そのまま立ち去る。

用事先から戻っても、まだ集まっていた。好奇心で近寄って訊いてみる。イタリアでない旗を持っていた一人の男性に、フランス語で「これは何か?」と訊くと、「ノー、フレンチ」と返される。そこで英語で訊きなおすと、「エキスポが決まる」とだけ答えた。

しつこく、近くにいたちょっと可愛い民族衣装の女の子に訊くと、「今日、万国博覧会の開催国が決定されるので、トルコから応援に来てるのだ」と説明してくれた。もう一つの旗は、トルコなのだ。
「幸運を祈ってます」と礼を言う。

どうやら、イタリアとトルコのあいだで将来の万国博覧会の開催国を争っていて、この日にこのコンベンション・センターで決定されるのだろう。とはいえ周りで応援してもどうにもなるものでもないと思うが、英語でいうモラル・サポートというやつなのだろう……。

万博決定日?2――と、突然、トルコの女の子のグループが輪になって踊りだした。それをパシャパシャ写真に撮る、これもトルコから来たらしい大勢の背広姿のおじさん達。まあ、これだけの人数、このためだけでなくパリ観光も兼ねているんだろう、と邪推してしまう。

あとで調べたら、2015年の万国博覧会の決定で、イタリア開催が決まったようだ。残念、トルコ。フィガロ紙と毎日新聞の記事から。
http://www.lefigaro.fr/culture/2008/03/31/03004-20080331ARTFIG00487-milan-accueillera-l-exposition-universelle-.php
http://mainichi.jp/select/world/europe/news/
20080401k0000e030017000c.html
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2008年04月02日

反北京五輪キャンペーン

反-北京五輪キャンペーン1

これは、すでに先月2月の最初に、パリのメトロ構内で撮ったもの(早く載せればいいのに)。Tシャツの胸のところに手錠で五輪マークを模ったデザイン。顔にあたるところには「ここにあなたの顔を貼り付けて」と書いてある。

「リベラシオン」という左派の新聞のロゴが見え、リンクしているようだが、もともとは「国境なき記者団(Reporters Sans Frontieres)」が提供した広告である。中国での人権抑圧を糾弾するためである。この「手錠の五輪マーク」は、その後、頻繁に見るようになった。
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2008年04月01日

人種差別をするアホ野郎たち

フランススタジアムでの人種差別行為2

 このブログ、アップはあいかわらず遅れ気味だが、このエントリーは、何日遅れてもはしょらずに書きたいと思っていた。(エイプリルフールの日だが、冗談でもなんでもない。)

追記:その理由を、不覚にも書くのを忘れていた。フランス、パリというと、「楽しいこと」「美味しいこと」「キレイなこと」ばかり書いて、こういう社会に眼を開いていればすぐ飛び込んでくる“問題”に何の注意も払わないブログやニュースが多すぎる。そんなノー天気な風潮、時にその結果として「パリ症候群」(雑誌のタイトルをもじって言えば「フィガロ症候群」)のようなものを生んでしまう風潮を苦々しく思う自分としては、無視できないと思ったのだ。

 サッカーのスペインリーグで、黒人選手が観客から猿真似の鳴き声で揶揄されるという差別行為を受けるのは有名だが(最近ではオートレースのF1でもあったらしい)、フランスでもマイノリティーに対する人種差別は激しい。それが、まさに日曜日のパリのサッカースタジアムで起こった。

 3月29日のフランス・リーグ杯決勝は、パリ・サンジェルマン(PSG)とランスの試合となり、パリ郊外サン・ドニにあるフランス競技場でおこなわれた。試合は、PSGがランスに2−1できわどい勝利を収めた(疑問のジャッジが多くあった)が、試合の60分目に、無視できない問題が起きた。

 PSGのサポターが、共謀して人種差別的な横断幕を掲げたのだ。横断幕には「小児性愛者、失業者、近親交配の土地:シュティの地へようこそ(Pédophiles, chômeurs, consanguins: bienvenue chez les Cht'is)」と書いてあった(上の写真参照)。最近フランスで公開された『シュティの地へようこそ』というコメディ映画のタイトルをもじっている。「シュティ」とは、ランスを含むフランス北部ピカルディー地方の人々を指す俗称で、日常語としても“失業者やアル中”が多いというニュアンスがある。しかし、スタジアムに横断幕として掲げられるのは、あきらかにランスを侮辱するためである。

 恥の上塗りだと思うのは、このランスを侮辱する横断幕が下げられても、試合関係者は何もしなかったということだ。結局、試合を観戦していたサルコジ大統領が、セキュリティ担当者に指示して撤去させたが、横断幕は5分間ほど下げられたままで、テレビでも生放送された。

 翌30日、早速、ランスのクラブ会長が、PSGと当事者に対する処分を要求してプロサッカーリーグ連盟(LFP)に提訴、ランス市も被疑者不特定のまま差別行為を提訴したという。ランスのチームは、横断幕が下げられても、審判たちが何もしなかったことも重く見ている。一方、PSGのクラブ会長は、ランスチームに「公的謝罪」を伝えた。

 こういう大バカ野郎は、いつまでたってもいなくならない。フランスのサッカーなんて、レベルが低くて見たくもないが(特に、時に観るそのキーパーのレベルは、国の一次リーグとしては実にオソマツなものだ)、腹の虫はおさまらない。

 以下のは、「リベラシオン」紙とフリー紙の「メトロ」から
http://www.liberation.fr/actualite/sports/318380.FR.php
http://www.metrofrance.com/x/metro/2008/03/31/b1pFIsHaizKc/index.xml
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