2009年03月31日

眼鏡

(過去日記)
 今月は、生涯で初めてメガネをかけた月となった。実際は、2月の末27日に作ったのだが、あのすさまじいドタバタの翻訳作業の中、生まれて初めてのメガネを試す余裕などなかったのである。

 先月、病院で精密検査をした時、診てもらった眼科の先生が
「眼鏡は? なに、してないのかね? 本を読むときはそろそろ眼鏡が必要だな。じゃあ、処方箋を書いてあげよう」
と、こっちが返事をする前に、頼みもしないのに勝手に私を「メガネ人」にしてしまった。

 「本を読むとき」というのは、老眼鏡ということである。クソ〜、子どもの頃から眼と胃だけは良かったのにのぉ。ついに御老人の仲間入りとは……。まあそれでも、できるだけシンプルなのでいいだろう――。

 メガネは、 Generale D'Optiqueというパリにあるメガネのチェーン店で作ってもらった。持って行った医者の処方箋を店で見せると、スラリとした黒人のお兄さんは、シャキシャキ手際よく必要なレンズのサンプルをセットしてこちらの目にあてた。問題は老眼の症状で近くが見えないことだけだったが、その時、ふだん遠くもぼやけている(近視?)ことを思い出した。

 それを言うと、お兄さんはさらにシャキシャキやって、遠くも良く見えるレンズを組み合わせてしまった(近視も処方箋に書いてあったようだ)。かけてみると、なんと、良く見えること!! この美しい世界、今までどれほどのことを見逃していたのかねえ、とボヤクと、店の兄さんは腹を抱えて笑った。結局、予定の額よりもかなりオーバーしたが、遠くの「世界」もしっかり見えるようになるのだ。

 二日後に取りに行った。かけた自分を鏡でみると、渋い茶銀色のフレームのせいか、落ちぶれたどこかの田舎番頭のように見える。しかし、前より人が良さそう見える――。さて、メガネをかけて街を歩く。初めてなので居心地はイマイチだが、実に良く見える。通り過ぎる人たちがこちらのこの新たな“チャーム・ポイント”を認めているような気がする。カフェに座っている美人が、こちらを見ているような気がする。この新しくダンディに生まれ変わった男を祝福している……わけないか。

 といわけで、メガネ・デビューの一日は妄想ばかりで暮れてゆくのであった。
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2009年03月30日

泣くぞいな

 時どき、フランス人のお婆さんと、カフェでフランス語会話の練習をする。話すだけでも練習になると思ってやるわけだが、会話をしてもらう代わりに、お婆さんが最近興味をもって始めた日本語をみてやる。お婆さんは、モニクさんという。モニク婆さん、むかしスペイン語の先生をやっていただけあって、独学にしては進歩が早い。「助詞の機能」や「『は』と『が』の基本的な違い」なんかも、あっという間に覚えてしまった。

 モニク婆さん、進歩が早いだけでなく、時どき、難しいのを平気で興味があるものに手を出す。本人の言によると昔はヒッピーをやっていたくらいだから、ブッ飛んだ資質をしているらしい。今日、会ったら、「この歌の意味を知りたい」と、おもむろに歌い出した。

  コヨイ、デフネカ、オガゴリオシヤ……

「へ? なんですか、そりゃ?」
「知らないですか。最近習った歌なのです」
「聞いたことあると思うけど、どんな歌詞ですか?」
「こういうんです」と、モニク婆さん、歌詞をローマ字で書いたモノを見せた。

 それを漢字に書き直すと、こんな歌詞である。

  今宵、出船か お名残惜しや
  暗い波間に 雪が散る
  船は見えねど 別れの小唄に
  沖じゃ 千鳥も 鳴くぞいな

と、ローマ字で書いたモノを、吶々と読むのだった。カフェにいる他の人は判らないとは思ったが、なんだか気恥ずかしい。
 モニク婆さんは、この「ナクゾイナ」はどういう意味かと訊くのであった。えーと、「な」は強意の助詞で……なかなか上手く説明できない。そもそも、この歌はどんな感情を謳ったものか……。

 モニク婆さん、お好みがなかなかシブい。しかし、「鳴くぞいな」、日本語なのに説明できず,まさに「わたしゃ、泣くぞいな」―― 宿題にさせてもらったのでした。
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2009年03月29日

春の宣言

 この日曜の早朝から、夏時間になった。この夏時間、夏のあいだ太陽の出ている時間を有効に活用し、省エネルギーに通じるという制度だそうだが、もともと農業従事者のために考慮されたものだという説がある。農業国のフランスとはいえ、パリに住んでいると、街が一段と活気よくなることで夏時間を痛感する。陽が長くなると、女性の洋服の袖が短くなるばかりでなく、長い夕べをカフェに座って談笑しながら楽しむ人たちもグッと増える。夜になっても一向に暗くならないので、街の人手も多くなる。

 「夏時間」の方が先週あった春分よりも、長い冬が明けた「宣言」に近いように思う。4月5月にもなると夜の10時になっても明るいから、レストランや店は閉まることなく、街は不夜城の観も呈する。ただ、これだけ街が活動的になると、「省エネルギー」とは言えなくなってくるのではなかろうか。

 日曜の今日、ブーローニュの森を歩いてみた。良い陽気に誘われて、ワイン片手にピクニックを楽しむ家族や友人同士、ジョッギングする者、犬を散歩に連れ出した老人と、人手も多かった。湖の畔は、「公に宣言された春」を謳歌する人々であふれていた。

 家のベランダの花は、雨ばかりだったこの長い冬のために、みな枯れてしまった。特に、寒さに強いはずのゼラニウムは全滅だった(一部は、昨年植えたばかりだった。下のリンクを参照)。来週にでも、街の花市場で買ってきて植え替えよう。
http://dokugo.seesaa.net/article/100145593.html
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2009年03月25日

Seesaaブログ改善は「?」

09春リュベロン・アプト2

 昨日の日記、このブログサイトSeesaaブログに新しく備わった写真機能を使って写真をアップしたのだが、前よりアップの速度はマシになったものの、ますます使いにくくなったようだ。確かに以前は、サムネイルのサイズを変えても反映されない、やっとサイズが変わったと思ったら写真がぼやけて使い物にならない、ということが始終で、使っていてフラストレーションがたまった。速度も遅いし。それを改善しようとしたのだろう。

 以前、何度か質問のメールを送ったが、返事はどれも、不具合の事実を本当に知らないか認めないような内容であったので、ウンザリして質問するのもやめてしまった。

 新しいシステムでは、エントリーの書き込み欄の下にすでにアップロードしている写真が並んで表示される。それは改善点だが、いざ写真をクリックして写真の編集画面に行き、写真を「添付」しても、それが思ったところ(あらかじめカーソルで示したところ)に挿入されず、文章の最初に貼り付けられてしまう。これでは、文章段落の片側に貼り付けるための「左回り込み指定」も「右回り込み指定」も無意味である。今回は仕方なく、(勝手に文章のトップに貼り付けられた)ソース情報をコピペした。

 タダのサイトといえばそれまでだが、他にいくらでもあるブログサイトのことを考えれば、競争に負けてるといえるだろう。――というわけで、他のサイトに、アドレスも変えて移行を考慮中です。
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2009年03月24日

リュベロン地方巡り

リュベロン平野09春1
(リュベロン平野:クリックすると拡大します)

(過去日記)
 わたしは南仏の田舎町の一角にある店に入り、そこのおかみにこっそり尋ねた。
「ブラック・トリュフを買いたいんだが……」
おかみは、じっとこちらを観ると、わかったように頷き、ゆっくりと言った。
「じゃあ、市場の向こうにあるカフェ・ド・ルーブルにお行き。この道をまっすぐ行けば、すぐ分るさ」
 カフェ・ド・ルーブルの話は聞いていた。珍味「ブラック・トリュフ」は、普通、こうしたカフェの片隅で、こっそりと現金売買がされている。あからさまな金額の提示も、もちろん領収書もない。
 カフェ・ド・ルーブルは市場の外れ、オベリスクの立つ広場の角にあった。扉を開けて中に入る。左奥に中年の男が二人、テーブルを挟んでなにやらヒソヒソ話をしている。この男たちと話をつけるのか……。

リュベロン09春アプト村1 20日から23日まで、パリを逃げ出すようにして南仏のリュベロン地方を旅してきた。リュベロン地方とは、アヴィニョンから東に広がるプロヴァンス地帯である。今では、ピーター・メールのプロヴァンスの美しさ、楽しさを謳いあげたエッセイや小説で有名なところである。美味しいワインやチーズで有名だが、ブラック・トリュフの産地としても(有名なペリゴール地方に続いて)知られている。金曜の朝にパリを出て、アヴィニョンで車を借りた。青空の広がる平野を走りぬけ、まず、メネルブという村のトリュフ・ワイン博物館(Maison de truffles et vins)に寄り、その後、最初の目的地アプト村に入った。

 上のは、そのアプトでのお話。実際は、カフェ・ド・ルーブルの中のオネエサンに、店の前でブラック・トリュフを売っているスタンドを指差されて、失望と同時に安堵したのだが。ブラック・トリュフの季節は10月から3月上旬までとされるが、幸い、まだ売っていた。確かにパリなんかで買うより信じられないほど安く、しかもモノは良かった。スタンドのおニイさんも親切で、いろんなことを教えてもらった。しばらくスタンドの近くに立って観ていると、土地の人たちが次々に来て買って行く。他の産物とかわらなく生活の一部のようだ。

 翌日、有名な土曜のアプト朝市を覗いて、その後、東に向かって出発。以下、簡単に旅程を。
リュベロン09春ボニュー村1

 リュベロン山脈をグルリと回って、小さな村々を観る。ちょうど桜とアーモンドの花の季節で、山間に現れる村はどれも桃源郷のようだ。その夜は、ボニューという山間の村に泊まった。まだ観光客はほとんどいないので、フラリと入った土産物屋のイスラム系のおニイさんも気軽に話しかけてくる。そもそもリュベロンの人たちは、とても親切なのだ。村の宿からは、リュベロン平野が見下ろせる。平野の向こうに、サド公爵の住んだという城砦をたたえるラコストの村が見える。ビールとワインを飲みながら、沈む夕陽とともに夕闇に消えて行く平野を眺めた

リュベロン09春ルーション村1 翌日は、ボニューから「美しい村」にあげられているルーションの村へ。この辺は土が赤褐色なので有名で、そのせいか、この村も実にカラフルである。そこから、一面ラベンダーの花畑で有名なセナンクの修道院へ。ひっそりと隔絶された谷あいに建つ世界遺産。ここは未だに修道院として使われているので、修道院を観るにはフランス語のツアーに参加しなくてはならない。修道女の方が手際よく説明して回ってくれる。
 その夜は、すぐ近くのゴルド泊。ここは、中空に浮かぶような石の街である。

 最終日は、朝食後、そこからもう一度メネルブに戻り、そこの「ワイン栓抜き美術館」で、ピーター・メールが「小さなルーブル美術館並リュベロン09春ゴルド村1み」と評した、ワイン栓抜きのコレクションを見る。世界中から集めた充実したコレクションで、ワイン栓抜きに表れたお国柄も見て取れる。この美術館はもともと有名なシャトーなので、もちろん帰り際、ワインを何本かとブドウの古木を使って作ったワイン栓抜きを買う。最後に、その近くのローマ時代に作られたとかいう古い橋を観て、アヴィニョンへもどった。

リュベロン09春ラコスト村1 リュベロン地方を有名にしているラベンダー(特にセナンク修道院は有名だ)が咲き乱れる6月ではなかったが、桜、アーモンド、梅、その他の花が満開で最高の季節だった。さらに、旅行中の4日とも天候に恵まれた。しかも、リュベロンはどこに行っても、人たちがとても温かい。旅行者の一時的な歓待だと判っていても、パリでは経験できない人の情、ちょっとした思いやり、心温まる世間話に触れることができる。そして、チーズもワインも、水も美味い。惚れこんでしまった。

 アヴィニョンではいくらか時間が余ったので、小さな案内バスに乗って観光。その後、列車で帰ったが、6本のワインを抱えて帰るにはパリはちょっと遠すぎた。しかし、心は南仏の温かさで一杯になった。
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2009年03月19日

大学のスト

大学スト・寸劇1

(過去日記)
いま、パリの多くの大学では、学生によるストが決行されている。政府の「大学改革案」に反対するためだが、この改革案が将来の教員や教育の質を悪化させる危険があるとして、撤回を求める大学教員・研究者と政府の話し合いや学生のストは、すでに4ヶ月近く続いている。

このところ学生たちのイキが下ることはなく、街を歩いていても、学生のデモに出くわすことが頻繁だ。今月6日には、パリ第4大学(ソルボンヌ校)では、パリ学生全協会の呼びかけに呼応して、ほとんどの授業がキャンセルになったという。

しかし、バイトをしながら大学に通い早く単位を得て卒業しようとする苦学生が、このストにために授業に出られず将来の計画の変更を余儀なくされているという。また、この「大学改革案」でまともに仕事もしない教員・研究者たちをふるいにかけること自体はむしろ良いことだろうに、それに抵抗するのはなぜなのかなど、この大学ストにたいする疑問を呈するものもいる。

さて、先週の13日、左岸5区のソルボンヌ校の前を通ったら、学生たちが集まって、なにやら寸劇めいたモノをやっていた。観客は笑いながら楽しそうに観ていた。どうやら「大学改革案」の問題を指摘するためらしいが、面白おかしくギャグにしたりいろいろな表現を使うのは、まあフランス的なのだろう。(写真をあげておく。携帯で撮ったので、かなりぼやけてしまっているが。)

大学スト・寸劇2

大学スト・寸劇3

大学スト・寸劇4
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2009年03月18日

日本の貧困な作文風土

(過去日記)
 やっと、頼まれた仕事が終わった。過去一ヶ月、ある日本語の資料を英語に訳していたのだが、その日本語が、はっきり言ってスサマジイのである。意味がほとんど取れない文章が続くのだ。かといって、「この日本語は、一体どういう意味ですか」とは、さすがにエライ先生には訊けないし、苦しく悩ましくて眠れない一ヶ月であった。

 具体的に例を挙げたところだが、実際の文章をあげるのははばかられるので、ちょっと手を加えて例示してみよう。

*「いわゆる」が好まれるのはかまわないが、使われる場所のせいで意味が不明。
 いわゆる受験競争における○○的問題において・・・。
「受験競争」にかかるのか「○○的問題」にかかるのか、これでは解らない。しかし、これはまだ楽な方である。

*次の文、読んですぐ何がどこまで修飾するか理解できるだろうか。読点でブツブツ切るため、語句のかかり具合がまるで解らないのである。
 テレビ番組の多様性を求めることによって、放送文化の独立性をあげ、よい番組を提供するためにも、製作者を養成し、視聴覚文化の多様性を進めるべきである。

*「・・・に関する」という語が多様されるのはいいが、その後に文がダラダラ続くため、修飾関係があいまい。
 広告の効果に関する社会学的根拠、地域におけるものの考え方、さまざまな情報への生活者側からの評価などの視点からアプローチする方法を体系化し、多くの議論を展開して、コンセンサスに基づく安全な消費生活の提案を行う。
「広告の効果に関する」という語句がどこまでかかるのか、門外漢にはきわめて不明瞭だ。さらに、この文は、読点であまりに多くの考えをつなげて文章を長くしているので、修飾関係はさらにあいまいだ。長い文章で主語を頻繁に換えるのも、日本語にありがちで、翻訳する時に難儀する事だと思う。

 こんな文章が続くのだが、実は、これが大学の先生の文章なのだ。学生に教える立場の。もちろん、ネット上の文章を見ても判るように、今の学生さんや若い方たちの書く文章にも、すぐに理解し難いものが多い。この「難解さ」は蔓延している。自分の文章に対する自戒も含めていうのだが、パソコンやネットのおかげでいつでも簡単に文章を書けるために、文章を書く事に対する注意力がマヒしているのだろうと思う。

 しかし、それ以上に罪があると思うのは、日本の教育では「作文」をしっかり教えることがないということだ。小学校から大学まで、そうである。むかしは、小学校や中学校で「読書感想文」なるものがあって(今もあるのだろうか)、好きでもない本を読まされて、「さあ感想を書け」と強制されたものだ。文章の書き方をちゃんと教えられることもなく。「作文教育」とはそんなものか、夏休みの日記くらいなものだったと思う。それでも、文章を直され、なぜそういう修正が入るのかを教わることは、まったくなかったと思う。その弊害か、今のネット上では、句読点どころか「」や『』の使い方も、かなりアナーキーな状態になってるように見える。

 昔の受験では、教師は国語教育の一貫として新聞の「社説」を読めと言った。わたしは、高校生の頃、受験問題の「社説」を読むたびに嫌気がしたものだ。「社説」というのは、はっきり言って論理的に美しい文章とはいえないと思う。文章には「段落」というのがありそれは意味のまとまりを構成すると習ったものだが、多くの「社説」では、一文で一段落を構成する事がザラだ。言いたいことを次から次へとつけ加えている感じがしてならない。書き手は締め切りに追われたり色んな制限があるのだろうが、それは、「良い文章」として選ぶための同情要因にもならない。あるいは、それだけ日本では「良い文章」という観念が醸成されていないのかもしれない。「社説」を読めというのは、モノを考えない教師の怠慢だと、今では思う。

 残念ながら、論理的で人が読んで判りやすい文章、読み手を説得するための文章などを書く訓練は、日本の教育システムの中にはない。そのくせ、日本の出版界で『論理的に考える』や『文章読本』や『良い文章の書き方』のようなタイトルの本が売れるのは、皮肉、いやまさに日本の貧困な作文風土を物語っていると思う。
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2009年03月15日

娘の胸元

(過去日記)
 家の近くの道沿いに、この週末、地方の特産を売るマルシェ(市場)のテントがいくつも立っていた。この時期、パリは「農業特産物サロン」「ワイン・サロン」を含め、特産市のようなものが多くなるので驚きはしないが、忙しいこの時期、気分転換に観て歩くのに楽しい。

 夕方、買い物ついでに覗いてみた。地味な田舎っぽいパンが美味しそうだったので、良さそうな一種類のパンを味見させて欲しいと頼んだ。

 テントの奥のかっぷくのよい可愛い娘さんは、一つを切り取って渡してくれたが、もう一種類の方は味見用のパンがなくなっていた。娘さんは、グルリと見渡して、すぐ後ろに積み上げられている小型のタイヤほどの巨大なパンを、ひとつ片腕でわしづかみにすると、胸のところにあててナイフで切り始めた。

 ナイフでパンを切るその手元は、はちきれんばかりに豊かな胸元の真下である。その危なさにハラハラし、ちょっと香るエロチシズムになんとなくドキドキして、パンを切っていることを一瞬忘れてしまった。

 たしか、昔、そんなアメリカ映画があったっけ。戦時中、ヨーロッパを解放に来たアメリカ軍の兵士が、ある村に立ち寄る。ある夕、食事時に、村の娘にパンを切って欲しいと頼むと、娘は田舎風のパンを胸元で切り始める。それを見ていた男は、危なっかしさに止めたい気持ちと、それを続けて欲しいという期待の混じった複雑な気持ちになり、自分が戦争にいることを一瞬忘れてしまう――。

 ずっと昔から、普段の生活の一部になっているセクシャリティー漂う一コマ。ああフランスだねえ……。
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2009年03月13日

中川氏の「もうろう会見」に思う

(過去日記)
 日本の雑誌『週刊文春』をいただいたので、休憩がてらパラパラめくっていたら、中川元財務相の写真記事が載っていた。「病院に入院していて国会にも出られないはず」なのに、選挙区地元にやって来て支持者たちに挨拶をした、という。

 例の中川氏のG7での「もうろう会見」については、二点いいたいことがある。

 中川氏の「会見」は、最初に、ここフランスの新聞リベラシォン紙のインターネット・サイトを開けたときに観た。会見の記事の横に、YouTubeに載った日本のテレビ報道の一部がリンクで上げられていたのだ。

 日本のテレビ報道であるから、もちろん日本語である。しかし、その「ろれつの回らなさ」は、フランス国民にも十分伝わったであろう。記事には、中川元財務相の写真があり、その下にはキャプションで「中川は、日本では水しか飲まないのか?」。もちろん、これは皮肉で、記事の基調は、中川氏の朦朧会見は泥酔のせいであった、というもの。氏には泥酔癖があることも指摘されている。

 驚いて日本の朝日新聞サイトを見てみたが、扱いは非常に小さかった。ましてや、「泥酔」や「酔っている」という表現は一言もない。「薬のせいだ」という中川氏の言い訳を、伝聞調ではあるものの、指摘するだけである。朝日といえども、日本の新聞記者は、自国の政府高官の恥をさらさないような“自己制御“が働いているのだろうと思った。

 しかし、時間が立つにつれて扱いがだんだん大きくなって行くように見えた。後からいろいろ読んだところでは、日本のメディアは、中川氏の“泥酔会見”が海外で問題になるにつれ、国内でも無視できなくなったという。海外の認識は、あきらかな「泥酔状態」である。あれを「クスリのせい」と言うのは、プロの医者の意見を無視するものだろう。そして、それをそのまま報道するのは、そこに、事態をはっきり言わないなんらかの意図があるとみざるをえないだろう。

 過去の環境問題やスポーツ報道を見てもわかるように、ことこれに限らないが、どうも日本のメディアは自国の政府や社会のシステムをあえて批判せず、自己検閲のようなことを平気でやる。そして、海外から指摘されてはじめて動き出すのである。

 第二点は、その後の官僚サイドの動きである。この事件後、バチカン博物館でのことといい、内輪での飲み会の件といい、報道記事に出てくるものが、内部者しか知らない内容が多いように思う。しかも、中川氏の周りには、ちゃんと氏の面倒をみる官僚か側近がいないかのようだ。

 仮に、中川氏が「強い風邪薬」を飲んでいたとしても、会見をまぢかにしてそれをやめさせる(もちろん「ちょっとだけの飲酒」も)側近はいなかったのだろうか。(そもそも、過去にあったようなだらしない格好をさらす前に、衣服をちゃんと身に着けるよう忠告申し上げる側近はいなかったのだろうか?)

 そんな中川氏へのマイナス情報がどんどん出てくる。これをみれば、論理的には、中川氏は官僚に「切られている」とみるのが妥当だろう。
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2009年03月11日

フランス風景画への道

(過去日記。仕事や用事に追われ、ブログにさける時間がありませんでした。)
 地獄のような仕事が一息つきそうなので、夕刻、ルーブル美術館に行ってツアーに参加した。ルーブルは、水曜と金曜は9時過ぎまで開いているのだ。今夜のテーマは、「フランス近代絵画に描かれた風景画」。

 フランスでは17世紀18世紀を通して、風景画は決して重要視されなかった。フランス絵画アカデミーでは、「宗教・空想画」「肖像画」「静物画」「風景画」の順にヒエラルキーが決まっていたという。セーヌ河に浮かぶシテ島にあるなんとかという館の広間の壁には古い絵が飾ってあるが、それらは壁の上からちゃんとこの4種類の絵の順番で並べられているんだそうだ。

 しかし、画家の方もさるもので、風景画に魅せられた画家は、宗教・空想画のテーマを使いながら、それを“言い訳”に素晴らしい風景画を描いたのだそうだ。確かに、ターナーも顔負けの黄色く美しい夕陽のシーンを描いた絵がある。頭の硬いアカデミーが君臨するフランスの「確固としたヒエラルキー」に対抗して、その抜け道をねらう者もいたのである。

 しかし、風景画が本当の主役になり、キャンバスにフランス人好みの光があふれるようになるためには、その後100年、本物のコローを待ち、フランス印象派を待たなければならなかった。フランスは風景画が盛んだったオランダとは違った歴史を歩んだのである。それには、フランス人の自然を軽視するメンタリティーも関係がある、とガイドは言った。

 まだ風景画が“オマケ”の時期だった18世紀最初の時期に描かれた風景画のスケッチが、ルーブル美術館の絵画ホールを繋ぐ通路に飾ってあるが、コローの筆使いを思わせるような正確で見事なものである。そだし、これらの素晴らしい風景画は、宗教・空想画の題材にしか使われなかったという。こからコローの出現までは、ほんの20年ほどである。この間に、フランスに何が起こったのだろうか?

 ツアーの間に、東の中庭を覗くと、仮設テントが光の中に浮かび上がっていた。この時期の「パリのファッション・ウィーク」を彩るショーのため、美女たちが歩く「キャット・ウォーク」なのだそうだ。
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2009年03月01日

ジプシー・サーカス

ジプシー・サーカス1

(過去日記)
 締め切りの仕事に追われてどうしようもないのだが、週に一度は息抜きを、ということで、ブーローニュの森でこの冬ずっとやっているサーカスを見てきた。

 「冬のサーカス」を観に行って以来、フランスの渋いサーカスづいてしまった。(「冬のサーカス」見物は下のページ参照。新しい写真もアップしました。)
http://dokugo.seesaa.net/article/112631622.html 
こちらは「ジプシー・サーカス」というものらしい。しかも、これ、国立サーカスなのだ。つまり、このサーカス屋さんは「国家公務員」なのだろうか。11月から4月まで、ほぼ半年間やっているそうな。普段は南の方にいるらしい。「ジプシー・サーカス」という言葉に引かれていってみる事にした。
http://www.alexis-gruss.com/ 

 ブーローニュの森に巨大なテントが張ってあった。入り口の扉をくぐると、拍子抜けするほど素朴な感じのホールがある。子どもたちが、駆け回ったり、綿アメを買ったりしているのどかな雰囲気。サーカスをやるテントの中に入ると、円形の広場を真ん中に、いかにも田舎風な味のある「サーカス小屋」が待っていた。
ジプシー・サーカス2

 「冬のサーカス」に比べると、どの芸も単純で素朴で、華やかさにかける。客も、広場に近い前の方の列を除いて、ガラガラ。こじんまりした生演奏バンドが、イキのいいジプシー音楽を連ねる。空中ブランコはないが、可愛らしいお嬢さんが綱渡りの芸をする。トラは出ないが、馬のみごとな曲芸がある(何頭いるんだと思うくらい、馬が多かった。解説によると、このサーカスは60頭の馬を持ってるんだとか)。象が出てきて、簡単な曲芸をする。たとえば、シーソーの端に調教師を立たせたまま、シーソーの反対側を足で踏んで、反動で調教師が空中に上がったのを背中で受ける。シーソーの方にトコトコ歩いてきて踏む前に、左足を、「ホレェ、この脚で、踏むからな〜」と言うように、持ち上げてみせるのが可笑しい。

 素朴で手作りの芸を観ていて、中原中也の「サーカスの歌」の一節
ゆあーん、ゆよーん、ゆぁゆよーん
を思い出した。

 派手さはないが、産業化されていない見世物が気に入った。最後に団員の紹介があったが、馬の調教をした団長さんと奥さん以外の、8人の若者たちは、皆さんご家族だそうです。あれま、家族サーカスだったんですね。ますます気に入りました。

ブーローニュの森の春1
 サーカスがはねて、外に出ると、目の前の湖の周りに多くの人が出て、日向ぼっこをしていた。お婆さんたちはベンチに座って嬉しそうだ。おじいさんたちが、ラジコン・ヨットのレースに夢中になっている。そのわきで、子どもたちも自分のヨットに興じていた。
 ――やっと、みなが待っていた春になったのだ。
posted by ろじ at 00:00| パリ | TrackBack(0) | 文化・芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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