2009年05月27日

クリスチャン・ロナウドという選手

 テレビで、サッカーの欧州最強チームを決める選手権チャンピオンズ・リーグ(CL)を観た。すばらしい試合だったが――。

 クリスチャン・ロナウドという選手は、なぜこれほど汚いプレーをするのだろう。あれほどの才能と体に恵まれていながら、そんなことをすることもないだろうに。彼の反則めいたプレーは、最初のうち審判のお目こぼしにあっていたが、試合が決まってくると、ついには「イエロー・カード」をもらった。しかも、ゴールライン近くまで攻めた瞬間に明らかな肘鉄を相手選手に食らわすという、アホらしいほど無意味な反則で。

 この選手は、先のW杯でも、くだらない反則が目立った。もっと良いプレーを見せてくれればすぐ一目ぼれするような才能なのに。
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2009年05月26日

ヌーディスト・ビーチ

 フランス語を練習するモニク婆さんに、「カマルグのサント・マリ・ド・ラ・メールに行って来たよ」と言ったら、
「知ってるわよ、あそこ。昔、若い頃、よく行ったのよ。あそこの隣にヌーディスト・ビーチがあるでしょう?」
と応えた。

 なんと、モニク婆さん、昔はヌーディスト・ビーチによく行ったのだそうだ。サント・マリ・ド・ラ・メールの東に広がる海岸はヌーディスト・ビーチとして名を馳せているそうな。しまった……。

 モニクさん、行ったのは学生の頃らしいが、通りで踊りのパフォーマンスなどをして日銭も稼いだらしい。おそるべし、モニク婆さん。
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2009年05月25日

サント・マリ・ド・ラ・メールへの旅

カマルグ地方の旅行から帰った。心配していた最終日のストは直接の影響はなく、アヴィニョンからの特急はちゃんと走った。が、「テクニカル上の問題」とかで1時間ほど遅れた。やはりフランス。駅構内は、ストで停まった電車の客らしき者(?)がものすごい口調で駅員にねじ込む風景があちこちに。これもやはりフランス。

今回の旅行の目的は、この24日25日にサント・マリ・ド・ラ・メールという小さな街で行われるジプシーの祭り。伝説によれば、聖母の妹マリア・ヤコブとヨハネの母マリアは、ユダヤ人に追われ、召使いのサラとともにここに流れ着きここで亡くなった。墓の後には教会が建てられ、街はサント・マリ・ド・ラ・メール(海の聖マリアたち)と名づけられた。そしていつのころからかここはジプシーたちの巡礼の地になった……。

今も、毎年、ヨーロッパ中からジプシーたちが集まって来るため、街は観光客に加えて大変な数で膨れ上がる。この巡礼の祭りが観たくて、半年前から宿を予約していたのだ。(感動した宿の若夫婦は、空いている巨大なスイートベッドルームを、予約した小さな部屋と同じで値段で貸してくれた。Bastide BlancheというB&Bで、中庭にはシャレたプール付いている。ぜひ行ってみて欲しい。)

最初の日の夕方、まず、教会での長いミサが行われる。その後、教会から黒人らしきサラの人形が出てくる。周りを囲んだ人々は、司祭の声に合わせて
「聖マリアよいつまでも(Vive les Saintes Maries)、聖サラよいつまでも(Vive Sainte Sara)」
と歌う。やがて、サラを担いだ行列は、カマルグ地方に有名な白い馬に乗った騎士団に先導されて街を練り歩き、浜辺へと向かう。そして、そこで海に入るのである。サラについて歩く人たちが一緒に歌う。
浜辺はそのクライマックスのシーンを見ようとする人で一杯になっていた(写真、真ん中のピンクのものが聖サラ)。
Saintes-Maries-de-la-Mer1

浜辺から一本入った通りには、モノを売るジプシーの一団がみごとなキャラバンを並べていた。キャラバンは住むためのものでもあるらしく、中には台所も見えた。
Saintes-Maries-de-la-Mer2
街中にもジプシーの衣装を着た人たち。そして、街の真ん中にはジプシーのマーケットが開いている。これが信じられないほど安く、シャツや半ズボンが5ユーロで買えたりする。短めの夏ズボンを2本買った。

実は、このサント・マリ・ド・ラ・メールは、あのヴァン・ゴッホが、一時逗留し、何枚かの絵を描いたことでも知られる。ゴッホはマルセイユへ行きたかったのだが、ここの南仏らしく明るいがある種の陰がある港町に引かれたのかもしれない。確かに、この町は南仏らしからぬ“陰影”を感じさせるのである。

「ゴッホ追っかけ」の私とすれば、ぜひ来てみたかったところなのだ。しかし、ゴッホの足跡が判るところはないか、と観光局で訊いてみたものの、係員は「ここにいて絵を描いたことしか分らない」と言うだけだった。

祭りのクライマックスを見て宿へ帰る途中、何気なく通った道にバス停があった。そこに見慣れた絵の写しが描かれていた。よく観ると、あのゴッホの絵である。その絵と同時に送った弟テオへの手紙も添えてある。こんなバス停に記念碑的なものを飾るとは……。嬉しくも寂しい。
と同時に、やっと出会えたゴッホの“足跡”に妙な感動を覚えたのであった。
Saintes-Maries-de-la-Mer3
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2009年05月22日

アルバム・サイト

 姉妹サイトのアルバム・サイト、しばらく手を付けられませんでしたが、いくつか写真をアップしています。よろしければご覧下さい。
 これ以後も、過去の写真をアップしてゆく予定です。
http://blindphotographer.blog49.fc2.com/
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2009年05月21日

SNCFチケット・オフィス

 こうなりゃ、SNCFのチケット・オフィス(こちらではBoutiqueブティックと呼ぶ)で訊いて、ダメそうなら時間を換えるしかない、と観念して行ってみた。

 人の良さそうなおばさんに、「実は26日にストがあると聞いたが」と切り出す。
すると、彼女は意外そうな顔つきで
「もちろん大丈夫ですよ」
「しかし、ストは前日の20時からと報道されてますが」
「それは、翌朝の運行にかかわる人たちが、すでに前の夜からしないといけないことがあるからです。大丈夫ですよ」
――というようなことを言ったらしい。いかにも大丈夫だから、心配しなくて良いという顔つきで。

 やたら早口なので、確信は持てなかったし、彼女がどれだけ自信を持って請け負っても、本当に大丈夫か怪しいもんである。ここはフランス、特にパリ、たとえ関係者だろうと、ある者が言ってもそれをそのまま信じることはできない。ほとんどの人が無責任なのだ。
しかし、まあ開き直ってやってみるしかあるまい。

 ストといえば、昔、やはりスト近くに旅行することになって、SNCFのチケット・オフィスで
「○日にストがあるんですよね」
と問い詰めるように言ったら、
「ストは、組合に認められた社会運動ですから」
だから当然です、みたいなことを、真顔で言われたことがある。日本じゃ「すみません」と頭を下げるところだ。さすがフランス人!
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2009年05月20日

一難去って、また一難

 レンタ・カーの問題だが、ほんの偶然から一台、車を見つけることが出来た。いつも使うレンタ・カー会社から送られてきたニュース・レターにあった「プジョー社」へのリンクに行って、「キャンペーン」のページから申し込んだのだ。なぜか、借りられたのはルノーの車だったが。

 ただ、商業用の小型バンしかないという。最初「ユーティリティー」と書いてあるので、「おっ、SUVじゃん」と思ったが、えらい違いだった。運転席以外は横も後部も窓がない、簡単にいうと営業用トラックである。マニュアル(こちらのレンタ・カーは普通マニュアル)で、トラックではちと不安だが、こうなったら文句も言ってられない。見つかっただけマシである。こうなったらブルドーザーだって運転するさ(そんじゃ、遅すぎるが)。

 かなり思い出に残る旅になりそうである。

 さて、ネットで調べていて別のことに気づいた。26日から、フランス国鉄がストに入るというのである。旅行は25日までだが、この国のストというのは、前日からゲリラ的に始まるのだ。25日の帰りの列車が停まることもありうる。
 一難去って、また一難。やれやれ。

 ネットでスト情報を調べたが、「26日から○○の労組がストに入る。実質的には25日の夜8時から」とある。列車は夜9時前だから、ドンピシャである。不安で、正確な情報がないかと、一晩中、調べちまったよ。まったくなあ。いくらストの権利があるって言ったって、この国の鉄道ストには、いいかんげん腹が立って、ウンザリしてきた。
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2009年05月19日

カンヌ映画祭の影響

 この週末、カマルグ地方のサント・マリ・ド・ラ・メールというところで伝統的な祭りがある。これをぜひとも見たいと思い、すでに半年以上前にB&Bを予約している。列車もすでに予約した。しかし、現地を廻るには車を借りねばならない。この機会に、アヴィニョンから、エグ・モルトに行って有名な湿地帯を見、そしてサント・マリ・ド・ラ・メールを周ろうと思っているのだ。

 レンタ・カーはいつも問題ないので、かなりのんびり構えていた。しかし、週末からネットで探しているが、まったく予約できないのだ。どこでも、どの会社でも、すべて車が出払っているという。こんなこと、ありえん……。

 そこで、現地のあるレンタカー会社に電話したら、なんと
「カンヌ映画祭があるので、この週末から来週末まで、車はすべて出払っている」
というではないか。関係者が借り切っているのである。

 カンヌ映画祭――。今日もテレビで、誰がどんな服を着て到着したただの、海沿いに特設ステージを設けて、真っ白な歯でニヤニヤしたハリウッド・スターを呼んでマヌケなインタビューなどを放映している。「こんな金と見栄のチャラチャラしたお祭りなんぞには、興味ないわい」と背を向けていたが、こんなしっぺ返しを食うとは、思わなんだ。くそっ、カンヌめ。

 さすがに、公共交通機関で周るのは辛そうだ。どうする?
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2009年05月15日

風邪

 風邪で寝込んでいる。

 ギリシアに行ってこじらせたのか、治りかけだったのに飛行機内で新しいのをもらってしまったのか。そういえば、ギリシア旅行最終日に行った革細工屋(アテネは革製品で有名なのだ)のオヤジは、ものすごい鼻水と咳をしていた。そのオヤジがどうしても飲めと入れてくれたコーヒーを、飲んだのである。

 そのせいかどうか。とにかく、鼻水どころか咳が、それも肺の奥の方から出るような重い咳をするようになった。これはヤバイと、今日、医者に行った。どんな治療をするか、ちょっと興味あった。

 医者は、テキパキと症状と経過を訊いたあとで、ここんとこ流行っている例の豚インフルの可能性は少ないだろう、アレルギーを惹き起こしているかもしれない、と結論し、口から吸引する薬を処方した。
「これを月曜まで使ってください。もしそれでも改善しなければ、今度は、抗生物質入りの吸引薬を処方しますから」
これを町の薬局で手に入れるのであるが、これがかなり安く、8ユーロくらいなのである(吸引の補助器の方が3倍もするのだが)。普通のフランス人が加入している保険を適用すれば、もっと安い。

 マイケル・ムーアが映画『Sicko』で描いたような「医療天国フランス」は、やや誇張されたイメージだそうだが、こういう社会福祉関係はアメリカなんかよりはるかに充実している(“オバマ医療保険改革”以前の話だが、アメリカは酷すぎる。完全な人権無視だ)。もちろん、その分、税金は高いんだが。
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2009年05月14日

映画『The Hours』

 TVで映画『The Hours』をやっていた。

 むかし観て感動したのを覚えてるが、この映画の意味や示唆するところは深いと思う。「自己アイデンティテー」、「自分の幸福」、「幸福のための妥協」ということから、「自分のアイデンティテーと、(自分を生かしてくれる)まわりの環境(人々)との関係」、「本当の罪とは(誰にとってのことか)」、「過去に生かされること」、「自分の中に蓄積された時間(過去)の意味」などなど、いろいろ考えるべきことがあると思う。インスピレーショナルな映画だということで、原作もシナリオも良いということになるのだろう。

 この繊細な監督はどんな人だろうかと、ちょっと調べてみたら、舞台を中心に活躍する監督なのだな('Billy Elliot'――邦題『リトル・ダンサー』――のスティーブン・ダルドリー)。セリフの扱いとか、心理的なものの余韻の生かし方とか、舞台で磨かれた感性なのだろうか。(アカデミー主演女優賞賞がジュリアン・ムーアやメリル・ストリープでなくて、ニコール・キッドマンに与えられたのも納得できないが。それは、むしろ、アカデミー賞のレベルを物語るか。)

 さて、この映画、邦題を『めぐりあう時間たち』という。このタイトルだけでも、映画の言わんとすることをかなり削ぎ落としているように思うが、日本で劇場公開時のそのキャッチ・コピーが、
たくさんの愛と驚きと時間たち、そして感動。人生はいつもミステリーに満ちている
である。

 あ然。なんというふざけたようにお手軽な解釈、小児的な謳い文句。まったく、日本のオコチャマ文化は知っていたが、真摯な作品に対してここまで敬意も欠けてるとは思わなんだ……。レベル低すぎる。
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2009年05月13日

シュティ出身のニイちゃん

 冷蔵庫が、パッキンが古くなったらしくドアが開いてしまう。修理することにした。

 で、先週、電気屋からニイちゃんが来て必要な部品を調べ、今日、また来たのだが、あいかわらずどうも言ってることが解らない。たしかにこちらのフランス語には限界があるが、言ってることがどれもほとんど理解不可能だ。

 仕事が終わって世間話をしている時にやっとその理由がわかった。彼は、北のシュティ地方出身だと言った。最近評判になった映画『シュティ地方へようこそ』にも描かれているが、この地方は方言がきつくて(しかも独特な風習が多い)フランスでも有名だ。

 なるほど。実はね、シュティにはずっと行きたかったんだが、時間がなくてね。ほら、ネットでこんなに現地情報を調べたんだがね――。

 そうやって印刷した資料を見せると、笑いながら、地図上の小さな町を指差して、「ここに生まれて、24年住んだんだよ」と言った。
「オレは毎週、帰るよ。パリやパリ人は嫌いじゃないけど、ここは人が多すぎるんだ。緑がないと生きていけないんだ」
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2009年05月12日

ギリシアの島(改)

09春ギリシア・イドラ島1

 8日から12日まで、アテネ経由で、ずっと行きたかったギリシアの小島、エギナ島、ポロス島、イドラ島で写真をたくさん撮ってきた(上の写真はイドラ島)。
白い石と青い窓と太陽の島。

 道端ですれちがう人に「ヤーサス(こんにちは)」と挨拶すると、必ず「ヤーサス」と優しく返してくれる。店でもどこでもそうである。「エフファリストー(ありがとう)」と言うと、笑顔で同じく返してくれる。

 老人がたくさんカフェに座って、陽にあたりながらコーヒーを飲んでいる。どの犬も地面に両足を投げ出して眠っていて、近くに行っても眼を覚まさない。どちらも、住み心地の良い土地柄である証拠だ。

 島は、ちょうど観光シーズンに入ったばかりというところ。島へ行くクルーズ船は日本人とスペイン人で一杯だった。

 アテネの街は数千年の歴史の遺跡で埋もれていたが、なにか当たり前すぎて感動らしい感動が無い。もちろん、長い間、見たいと願っていたものなのだが。アテネの町で雇ったガイドが、「ネオ・クラシックは奇麗でしょう」と、100年くらいの建物をやたら自慢するので、困った。そんなのなら、どこにでもあるだろう。
 夜、テント下の庶民的な食堂で飯を喰う。ケバブもビールも美味い。ジプシー(ロマの民)らしき女の子が、土地の土産を手に下げて売りに来る。殺人的なほど可愛らしい目つきをして懇願する。末おそろしや。
アテネ夜景1
アテネの夜景。「夕陽を背景にアクロポリスがきれいです」とガイドに言われて来てみたが、この時期、夕陽とアクロポリスは45度くらい方向が違う。ちっ、騙された、と思ったが、何千年という歴史の古さが街にただよっていると勝手に思い込んで、悪い気はしない。

ミケーネ遺跡1
「シュリーマンの夢」ミケーネ遺跡
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2009年05月06日

やっぱり若い演出家

 昨日のオペラ。別の日に行ったある人によると、幕後、演出家が舞台に出てくると、大ブーイングだったそうだ。この演出家は、ロシアの若い人だそうな。

 あれでは、長く人生を生きてきた老人もふくむ観客を感動させることはできまい。文学とか劇とかもっと読みましょう。いろいろ経験して、悲劇とは何か考えてみましょう。

 ちなみに、今のオペラ座の総監督はかなり人気が悪く、今年で契約が切れるのをいいことに、来年からは新しい監督を雇うそうだ。たしかに、今シーズンは、『魔笛』など野心的過ぎて観る者のことを考えてない演出家(巨大な空気マットを駆使して舞台を作ったは良いが、空気をモーターで入れる音がうるさくて、音楽どころではなかった)がいたり、演目の選択が疑問視されることが多かった。

 来シーズンの日程を見たら、確かにオイシイのが並んでいる。『ボエーム』とか、この3年で一度もやらなかったからね。
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2009年05月05日

オペラ『マクベス』

 バスティーユ・オペラ座でオペラ『マクベス』を観た。

 開演前に降ろされた幕には、グーグル・マップの地図のようなものが映されていた。開演と同時に、地図上にあった「カーソルめいたモノ」が、ある家をクリックする。と、画面はその家にズームインし、やがて界隈一帯、そしてその屋根を拡大したかと思うと、カメラはグッとその家の横にパンして、大きな窓を映し出した。そこに空間が開き、そこから家の内部が見える。そこから見える居間が、オペラの第一幕の舞台である。

 話は、あの「マクベス」が、現代のとある町の上中流家庭の一室で繰り広げられるという展開だ。登場人物は、すべて、どこかの会社に勤める上司とその部下、そしてその家族という雰囲気。マクベス夫人は、意図的なように太って美しくもない女性を起用。着ている物もカーディガンとか。古典的「マクベス」に完全に背を向ける。

 幕が換わると、どこかの広場を囲む集合住宅。どれも似たような味気ない建物。その前の広場が舞台。そこで家々から出てきた普段着の者たちが、界隈の集会か井戸端会議のような風情で歌う。

 現代風設定が悪いというのではない。「グーグル・マップ」も、「幕に開いた窓」から覗く設定も、奇抜で面白いといえばいえる。しかし、ここで行われているのはマクベスの「悲劇」ではなく、ある社内の権力争いか、町の陰湿な争いぐらいにしか見えなかった。劇的な場面で歌い手に感情のこもらない振る舞いをさせたり(マクベスが最終幕で下着一枚になってテーブル上で歌い続けるのも、いくら狂気を演じるとはいえ、なんとも痛々しい)。歌い手にやたら無理な姿勢で歌わせたり。悲劇性がまるで殺がれているように見えた。マクベス夫人の声が通らないのも、痛かった。

 なぜシェークスピアのこの悲劇が長いあいだ愛されてきたか、「悲劇」というものがどんなものか、そこにどれほどの人間の業がからみ、その結果、感情や理性が振り回されるのか――そんなことに、この演出家はまるで注意を払っていないように思った。この演出家は、経験のない若い人(テレビゲーム世代?)ではなかろうか、「悲劇」というのは実に社会的な、人間的なことなのだな……、そんなことを最終幕を観ながら考えた。

 オペラが終わってマクベス夫人が舞台に出てくると、ブーイングだった(すでに、最終幕に「幕に開いた窓」が出ただけで、ウンザリした一部からブーイングだったが)。ここまではっきりブーイングも珍しい。指揮は若いロシア人らしいが、これがキレ、情熱、強弱のメリハリに優れた指揮で、今回の唯一の収穫だった(唯一人、会場からの万雷の拍手。)
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