2009年07月31日

ゴッホ忌

 昨日はゴッホ忌だった。パリからも遠くないオーベール・シュル・オワーズの麦畑で拳銃自殺を図ったのが1890年7月27日。その3日後の30日に亡くなった(オーヴェール・シュル・オワーズのこと、そこにある彼と弟テオの墓のことは、このブログでもたびたび書いている)。
http://dokugo.seesaa.net/article/29791779.html
http://dokugo.seesaa.net/article/52761781.html

 この日のために、ゴッホの故郷、オランダのヌーナン町で買って来たワインを飲んだ。去年の秋、彼の故郷を訪れたのだ。ゴッホはズンデルトという小さな村で生まれた。ズンデルト村には「ゴッホ・ハウス(記念館)」があるが、ゴッホの天を突くような高価な絵は一枚も置いていない。ゴッホがどんな人間だったかを示すパネルがあるだけだ。その代わり、近くの広場には、ザッキン作のゴッホ兄弟像が立っていて胸を打つ。

 ゴッホは隣町のヌーナンで、絵画を本格的に始めたという。このヌーナンに「ファン・ゴッホ文書センター(Van Gogh Documentatiecentrum)」というのがあり、ゴッホの生涯の歴史を辿れるようになっている。もちろん、彼の絵はない。売店では、絵葉書の間にワインを並べて売っていた。その名が「サン・ゾレイユ(耳なし)」。もちろん耳を切り取ったゴッホのことを示唆しているのだが、悪い冗談だと思った。しかし、興味があって買ってみたのだった。

 ズンデルト村は、まともなホテルもない。泊まった宿兼レストラン(かつてゴッホが生まれた家なのだそうだが)は、学生寮以下のオソマツなものだった。広場の向い川には、今も教会の塔が見えるが。ただ、「ゴッホ・ハウス(記念館)」は頑張っていて、特に、そのレストランの経営者は情熱にあふれ、「ここは出来たばかりですが、将来きっともっと大きくするつもりです」と、野心的だった。ゴッホがよく歩いたという道すじは「ゴッホ・ルート」として示されている。歩いてみたが、晩秋のオランダの田園は光もあまり差さず、いかにも彼の「馬鈴薯を喰う人々」のような暗く重い空気であった。

 一方、ヌーナンは、しっかりと住宅が整備され住みやすくなった町で、ゴッホ縁の建物も残しているようであった。

 思えば、フランスでオーベール・シュル・オワーズを初めとした「ゴッホを訪ねる旅」は、この故郷訪問で完結したのだった。その後、
   ・サン・レミの療養院
   ・アルル
   ・アムステルダムのゴッホ美術館と、その郊外にあるクレラー・    ミュラー美術館
   ・ブリュッセル
   ・ズンデルトとヌーナン
とゴッホの人生を逆行する形で訪れた。それらの瞬間を思い出しながら、飲んだのであった。ちなみに、オランダはワインを産出しない。この「耳なし」ワイン、彼が憧れたプロヴァンス辺りのゴール地方のものである。
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2009年07月30日

パリの音

 ヴィム・ヴェンダースの映画に『リスボン物語』という映画がある。主人公の仕事はリスボンの街の音を収集することで、彼が行くところ、常にマイクロフォンを携えている。

 パリの街を歩く時、時どき、その映画を思い出す。パリの街の「音」は、なんとイキイキとして新鮮なのだろう、これを録音して歩いたらどうだろうか、と感動する。人々の挨拶の声、カフェの会話、笑い声、市場の売り子の掛け声、それに応える人々の息づき、人々の足音、自転車の軋み、バイクの唸り、遠くから聞こえる車のクラクション、犬の鳴き声、それを叱る飼い主の声……。
 音だけで、ひとつの街の姿を作り上げている。

 映画『リスボン物語』では、主人公のマイクを通して街を「聴く」と、街が別の命を受けたようになる。パリの街を録音して歩いたら、なにかまた新たな発見があるだろうか。
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2009年07月26日

ベルサイユ宮殿の花火

 昨夜は、ベルサイユ宮殿に花火を観に行った。

 夕方、宮殿の庭の奥にある巨大な人工池の畔で、ピクニックの夕食。ベルサイユ宮殿の広大な庭の一部は、無料で入ることができる。木々に囲まれた池には、夜の7時だというのにまだ暮れない青い空が映り、その向こうには金色に輝く宮殿が勇ましく建っている。なんという贅沢だろうか。周りの芝生には、この美しい夕べをノンビリと楽しむカップル、子ども連れの家族、若者たちのグループがある。なんと豊かな国だろうか。日本なぞ、豊かさではとうていこの国の足元にもおよばない、と思う。

 夜9時に宮殿の正門へ。行くのが遅すぎたようで、駐車場を見つけるのは至難の業だった。奇跡的にあった一台分の隙間に停め、正門から入る。庭の前は、すでに大変な行列だ。入場してみると、皆、ベルサイユ名物のフランス庭園の間を歩いている。

 9時半になると、花火が上げる一段下の庭園に入れてくれる。何週間か前に観に来たスイス人の友人夫婦が、
「いいか、花火が観たかったらできるだけ高い位置をキープするように。階段の上がいいぞ」
と忠告してくれたので、すぐさま、階段の上の方、中央に座る。ここなら噴水の向こうに全てが見渡せる。

 しかし、なかなか始まらない。それはそうなので、開始までこの「世界に誇るべきフランス庭園」をブラブラ歩いて見るものなんだそうだ。そんなことも思いつかず、エッフェル塔の花火と同じでちゃんと見たかったら良い場所をキープしなくては、と思い込んでいた。しかも、わりと早く始まると思いきや、始まったのはなんと11時過ぎであった。1時間半以上も、砂利の上に座っていたことになる。

 しかも、花火は、たった15分間の古式ゆかしき“品の良い”ベルサイユ花火であった。まあ、それなりの味はあった。Youtubeに載せた人がいるので、引用しておく。初めに上がっているのは、庭の真ん中に上がる火柱。最初の音楽は後でつけられたもののようだ。どうぞお楽しみを。
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2009年07月24日

バカロレア試験の不正?

 昨日引用した『パリジャン』紙に、一ヶ月ほど前にあったフランスの若者(とその両親)にとっての年中一大行事、バカロレア試験のことが載っていた。これは、毎年、ふだんノンビリなフランス中の話題にさえなる、大学資格試験だが、今年、受験した生徒にすでに送られた10万通の成績を見直す、というのだ。

 パリ16区(高級住宅街で知られる)に住むルイーズ某という非常に優秀な女の子が、筆記で「破滅的な5点」(20点満点)しかとれなかった。モリエールの文章に対してコメントするという課題だったそうだ。(ちなみに、彼女の口頭は「19点」、理科教育(?)(Enseignement Scientifique)は「12点」、自発的個人学習(って何だ?)(Travaux Personnels Encadres)は「14点」だった。)
「クラスでも常にトップなのに。シアンスポが目標だった娘は、この通知を受け取った時、大変な泣き崩れようでしたわ」(注:「シアンスポ」は政治学院で、フランス人の多くが目指すエリートコース)
とお母さん。

 母親は「不当」だと言い、イル・ド・フランス試験委員会に苦情の手紙を送るという。彼女だけでなく、この「普通考えられないほど低い点」を受け取った、実に多くの生徒がいたという。

 論文の採点というのは難しいものだが、フランス人の気質だ。テキトーに採点したのではないかと、どうしても思ってしまう。「セ・パ・モア、私の責任じゃない」とか言いながら。
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2009年07月23日

日食

 日食は、フランスのTVメディアはさらりとした扱いのように見える。まあ、大々的に見えたのはアジア・太平洋地区だからしかたないが。

 しかし、『パリジャン』紙に、昨日の日食の時のすばらしい写真があった。インドで、長い髭を生やし伝統的衣装を着た男性が日食観察用ゴーグルをかけている。そのミスマッチが、今の時代を映しているようだ。New York Times系の新聞には、もっと感動的な写真があった(AP Photo/Rajesh Kumar Singh)。やはりインドで、ガンジス河で湯浴みするインド女性が、日食観察用ゴーグルをかけ、同時に、両手を合わせて拝んでいるのである。偉大な自然のスペクタクルは、人々をふだん以上に敬虔な気持ちにさせるということか。
(写真は以下のサイトに。他の写真も。http://www.boston.com/bigpicture/2009/07/the_longest_solar_eclipse_of_t.html
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2009年07月22日

ツール・ド・フランスの現実

 毎夕、1時間ほど、テレビが恒例のツール・ド・フランスの模様を伝えている。カラフルなユニフォームを着たサイクリストが、沿道に人があふれた坂道を走っている。この時期、グループはフランスの南、今年も山が多い地区を走っているようだ。

 フランスに来た頃は、ツール・ド・フランスには関心がなかった。シャンゼリゼを走ると言われても、フンそんなものかね、という程度だった。しかし、フランスの実にきれいな村の家々の間や山間を走る姿は好きである。いかにもフランスの美味しいところ満載のスポーツのようで、一種“羨望”に似た気分も感じていたのだ。それに、それを応援する人たちの情熱もすばらしい。

 そこで、去年、突然、「田舎村の間をどんな風に走るんだろうか」と、実際、最終日にパリの南の村に観に行ってみたのだった。ただし、ネットで通過時間を調べて行ったものの、あいかわらずマヌケな私は、実際のサイクリストではなく、その前に広告目的で通る「キャラバン」を観に行ってしまった(「キャラバン」は沿道の人々にキャラ・グッズをあげたりする楽しい催しではあるのだが)。実際のサイクリストはキャラバンの後、2時間たってからようやくやって来るのだ。しかも、パリに帰った頃は、シャンゼリゼの競争に間に合わず、その後のウィニング・ランだけしか観られなかった。

 風光明媚な村や山間を走る姿、それを応援する人々の純粋さにもかかわらず、その運営に関しては現実はもっとシビアなものらしい。サイクリングにはドーピング薬物問題がつきまとい、フランスでも頻繁に問題が指摘される。実はツール・ド・フランスに興味がなかったのは、この“汚染”が日常化しているためだ。

 ツール・ド・フランスが通る村というのも、実は、金を払ってルートに入れてもらうそうな。毎年、委員会がフランスの中から選りすぐって……と信じていたので、これはかなり興ざめだった。さらに、つい最近知ったのだが、さらについ最近知ったのだが、このツール・ド・フランスは、アモリ家という一家が持つアモリ・スポール・オルガニザシオン(ASO)会社の独占運営、つまり私的所有物で、その採算や収支に関しては「灰色的状況」も指摘されている。
 ツール・ド・フランスは、アモリ・スポール・オルガニザシオン(ASO)の収入の70%を生み出しており、同社は、ほぼ常に20%の利益率をキープしている。アモリ・グループが2007年に上げた3900万ユーロの利益のうち、2900万ユーロはASOから得たものだ。この莫大な配当の最大の受取人が、社長のマリ=オディール・アモリである。資産総額2億2800万ユーロ、フランス長者番付166位の富豪だ。
 これは100%私有財産で、アモリ家は人目にさらさないよう心がけている。「ツール・ド・フランス社は、レースから生まれる収益のほか、ステージとなる市町村から開催料もせしめているくせに、財務諸表について1992年以降は公表も、商業裁判所文書記録課への提出も拒否している」。1998年のカナール・アンシェネ紙の報道だ(3)。その2年後、フェスティナ事件(4)の判決にあたったリール地方裁判所も、アモリ・グループが利益公表という法的義務への違反を重ねていることを強調した。この商法上の義務違反は1500ユーロの罰金、再犯なら3000ユーロの罰金に処される。つまり第5級の違警罪でしかなく、抑止効果があるとは言えない。
(ル・モンド・ディプロマティーク「ツール・ド・フランスというビッグビジネス」)
http://www.diplo.jp/articles09/0907-3.html 

posted by ろじ at 00:00| パリ ☁ | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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