2010年12月31日

矢のごとくの2010年

もう2010年が終わる。妊婦、子供の誕生であっという間だった。

思えば、一年ほど前、上さんが大きなお腹のまま、フランスから引っ越してきたのだった。引っ越しも大変だったし、出発直前に、夏のパリのインド料理屋で食べたカレーに中って食中毒になり、飛行機の中も、着いてホテル住まいをしていた時も、まったく何も食べられなかったのは、いま思えばよくサバイブしたと思う。

ホテルからアパートに行こうとした夜は、台風が来て大変な暴風雨だった。大きなスーツケースを抱え、上さんを待たせて、ずぶ濡れになりながらタクシーを止めようとしたが、止まってくれるタクシーはなかった。やっと止まってくれても、方向を言うと、つまらぬ言い訳をして去ってしまった。まさに、Welcome to Japan、いや、「Welcome to出産生活」の大変さを思い知らされたのだった。

とにかくしんどかった。無理がたたって、新居に入ってから、私は病院通いが続いた。帰国後、こちらが疲れた顔をしているのを見たある海外経験者たちは、「引っ越しって、いまは業者に頼めるからまったく楽じゃありませんか」と言った。この無神経ヤロウ、どんだけお姫様・お殿様引っ越しやってんだ、と思ったものだ。しょせん、ボンボンお嬢ちゃまを相手にしてるのが悪かったのだ。

体がボロボロの状態での生活のセッティング、出産直前の不安、出産時の苦労(皆さん、されてることでしょうが)、直後の上さんの精神不安定――新生児がしっかりと育ってくれるというのは、まさに恩恵(Blessing)、報い(Rewarding)だと思う。

2010年、年の暮れ。誰にともなく、感謝し、頭を下げる。
posted by ろじ at 00:00| パリ ☔ | TrackBack(0) | 日々のなにげない記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月30日

母子が風邪の年末

28日火曜は、パコは鼻風邪で鼻水がひどくなり、上さんはセキと熱でダウン。予定していた一時保育もキャンセルして、二人で家で寝てもらうことにした。

といっても、パコは、鼻水以外はいつものように元気なので、遊んでやらねばならない。といっても、こちらも仕事をキャンセルしているので、できれば寝てもらいたい。もちろん、簡単には寝ない。

というわけで、栄養ドリンクをかっこんで、寒空の中、パコをエルゴのベビーキャリアで抱きながら、買い物。正月飾りも買って、家に帰って、少し掃除。昼食夕食用に、上さんが好きなウドンを、巨大な鍋にたくさん作った。

外で、ちょこっと遊ばせようと思ったが、パコにはあまりに寒いので断念。夜、パコが寝てくれたのを見計らって、年賀状の残りを作成。

30日になんとか大掃除をし、正月飾りを付けたと思ったら、その後から上さんがさらに悪くなった。パコも咳を始めた。こちらも倒れてはいけないので、栄養ドリンク、ビタミン、コーヒーを飲み続けて、年末。
posted by ろじ at 00:00| パリ ☁ | TrackBack(0) | パコの成長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月26日

中国・下放政策の悲劇

NHK、衛星放送BShiで「延安の娘〜文革・下放30年後の夏」という、とても印象深いドキュメンタリーを観た。(NHKのサイトには「文化大革命から40年、中学生で北京から農村に下放された人たちの人生」という副題)

中国文化大革命の時代の1968年に、毛沢東が、「若者たちは貧しい農民から再教育を受ける必要がある」と打ち出した“下放政策”――その政策によって、多くの若者たちが都市から農村へと送り出され、永住を強制された。最も未開の地と言われた、黄土高原が広がる延安には、400人余りが下放させられた。

下放された若者は、政策の意図に反し土地の者と関係を持ち子供を作ったりした。また、政策精神からの“逸脱”を見はるため「下放警察」が組織され、そのために生まれた悲劇もあった。

下放政策を「総括」しようとする一部の者たちの“事業”によって、その「悲劇」が蘇えさせられる。下放青年がなし、捨てていった子が、30年を経て北京に住む父親に会いに来ることになったのである。

以下は、NHKのアーカイヴから
再開〜“文革”に翻弄された父と娘〜
◆下放とは…
文化大革命の発動から2年後の1968年、毛沢東は、都市に住む中学、高校生など青少年に対し、農村に行って働くことを命じた。「若者たちは貧しい農民から再教育を受ける必要がある。」以後10年間に1600万人を超える若者が下放させられた。
この下放制度は、都市と農村の格差の撤廃という理想主義的なスローガンの影響もあり、また都市部の就職難を解決する必要性からも、次第に半強制的な性格を帯び、かつ永住を強制する措置として取り組まれていった。

◆文化大革命とは…
1966年に始まった文化大革命は、農業政策などで失敗を重ね、共産党中央での影響力を失うことを恐れた毛沢東が、劉少奇、ケ小平など実権派に対して仕掛けた権力闘争であった。革命を遂行するために毛沢東が動員をかけたのが、当時10代半ばから20代前半の若者で組織された紅衛兵であった。
紅衛兵は、反革命的だと見なした者やブルジョア分子と見なした者に対し徹底的な批判を加え、古い思想、文化、風俗、習慣を打ち破ると称して、街頭に繰り出し破壊活動を繰り返した。
下放政策の背景には、歯止めの利かなくなった紅衛兵運動にピリオドを打つ狙いもあったとも言われている。

◆舞台となった黄土高原・延安と北京・長辛店
黄土高原が広がる延安は、陝西省の北部に位置し、観光客で賑わう西安からバスで6時間あまり北へ行ったところにある。ここは、かつて毛沢東が国民党と戦う拠点を築いた「中国革命の聖地」と呼ばれている。文革時代には、およそ2万8千人の若者たちが北京などから送り込まれ、慣れない農作業に従事させられた。
一方長辛店は、北京の中心部からバスで40分ほど南西に行ったところにあり、鉄道関係の国有工場を中心に労働者によって支えられた典型的な下町である。この町から延安に400人余りが下放させられている。
http://www.nhk.or.jp/special/libraly/00/l0011/l1118s.html
 
これは映画にもなったそうだ。
『延安の娘』
http://www.en-an.com/ 
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=4316
posted by ろじ at 00:00| パリ ☁ | TrackBack(0) | テレビ・新聞・雑誌ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月25日

エトボイラ

というのが、数日前、宅急便で届いた。宅配の伝票にはっきり書いてある。
へっ?なんじゃい、こら?

開けてみると、確かに箱には「エトボイラ」と。よくみると、横に「Et Voilà」と書いてある。フランス語である。フランス語なら「エ・ヴォアラ」と読むが……。

しばらく前、ある方にお祝いを贈ったので、そのお礼にギフト・カタログをいただいた。そこからひと品を選ばせていただいたのだが、確か、英語のアルファベットがついた知育玩具を注文したはずだが……。フランス語のアルファベットか? 箱には、フランス語の説明が付いていて不安になった。

ちょうどいいので、パコのクリスマスプレゼントのつもりだったのだが――。

開けてみると、英語だった。ホッ……。「くるくるアルファベット」という玩具で、横に7つ、たてに4つ並んだ三角ブロックに、一つの面にアルファベットの大文字と小文字、あとの2つにはその文字から始まるイラストが描かれている。ブロックをまわして絵合わせや文字の勉強ができるという寸法だ。http://item.rakuten.co.jp/dbms/923700

どうやらこの「エトボイラ」、タイのバンコク郊外に拠点をおく、木製玩具メーカー「サムアイ社」の日本での商標だそうだ。サムアイ社の商品には、ゴムの木が使われているそうな。
「樹液を産出できなくなったゴムの木は、かつては伐採・償却されていましたが、これらを資源として再利用し、商品を作り出すことによりサムアイ社はタイの玩具メーカーとしては初めて、タイ環境研究所からGREEN LABELの使用を認められました」。
http://item.rakuten.co.jp/grooveplan/fr9862824/ 

日本で発売されている製品も、非常に種類が多様で、わくわくするものが多いようだ。
http://item.rakuten.co.jp/grooveplan/c/0000000204/

さて、この知育玩具、パコにはまだまだ早かったようだ。ホレ、と見せると、いつものように、しゃぶれるところを唇でたんねんに確認した。ホラホラ、三角ブロックを回すんだよ、と回して見せてやると、最後の方にある、▲と●を指で触って回すばかりだった。

この世界にコトバが存在することは、パコはいつ分かるかなあ。
posted by ろじ at 00:00| パリ ☁ | TrackBack(0) | パコの成長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月24日

保育園でダンス

どうも、この子はヒョウキンな子になるのでは、という気がしている。お辞儀をさせると、首をちょこっと下げながら、腰をクイックイッとかがめる。いかにも、「へぇ、どーもどーも」という感じである。キミはオジサンですか。まだ9カ月ですよ。

まあ、親父がそう教えてるようなもんなんだが。でも、父親は、けっしてヒョウキン者ではありませんよ。私をご存知の方はわかると思うけど……?。

パコは、音楽に合わせて、やはり腰をクイックイッとやるのが好きである。

今日、保育園に一時保育で預けた。保育士さんが、みんなの前で小型オルガンで弾き始めるやいなや、パコは、立ってみんなの前に歩いて行って、腰をクイックイッとやって踊りはじめ、上機嫌で保育士さんにハイタッチしたそうな。そのあと、あの得意の引き笑いを続けていたんだそうな。

まあ、ハイタッチ教えたのは私ですが。保育士さんには、大受けだったそうですが。

まったく、どんな子になるのかね。
posted by ろじ at 00:00| パリ ☁ | TrackBack(0) | パコの成長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月23日

反応

妻が叫んだ。「見て、呼ぶと手をあげるから」という。で、立っていたパコに向かって、
「○○パコさーん」(○○は私の苗字)
と呼ぶと、呼び終わるか終らぬうちに、右手をさっと上に突き出した。

オッ、早え!

こいつ、天才じゃないか?! 運動神経もいいらしい。拍手してやると、パコも嬉しいらしく手バタキをした。何とも言えない笑顔である。が、一応チェック……
「ヤマダ太郎さーん」
パコは、また手を挙げて、嬉しそうに手バタキし、さらに両手をあげて背を向けて歩いて行った。

なんだ。ヌカ喜びだったか。
posted by ろじ at 00:00| パリ ☔ | TrackBack(0) | パコの成長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月19日

ボール

上さんが、外出の用事があって、一日中、パコの相手。パコと遊んでいる時、ビニールボールを与えてみた。一年ほど前、上さんが出産近く、「出産の時に腰の下にテニスボールを入れると楽になる」とモノの本で読んで、テニスボールを捜しに行ったものの、どこでも1個きりのものは売ってくれなくて、しかたなく買ったものだった。

いざ分娩室に入ると、そんなものは役に立たず――、いや、それどころではなかったのだが。深夜に始まり、翌日の夕方まで苦しんだ。

で、その緑色のボールをパコに与えてみた。パコは、もちろん、そんな深いわけがあるとは知らないから、つかんでペチョペチョ口で味わっている。けっこう大きなボールだが、9か月でもう持ててしまう。パコは手の指が長い。これは上さん譲り。

私は指が短くて、中学生の時、デッサンの宿題にその手を描いていったら、それを見た美術の教師は「こんな手はない」と言ってのけたっけ。絵はかなりうまい方だったが。野球のピッチャーをやっていた時は、指の長い者がうらやましかった。パコが男の子なら、キャッチボールを教えてやるのも楽しくなくもなかろうが……。

と思いにふけっていたら、パコがボールをつかんで投げようとする。おおおっ! 星飛雄馬を超えてるぞ(漢字変換、出ませんが)。これは「女大リーガー」にするしかあるまい。「大リーグ養成ギブス」はいつごろから使おうか。成長が止まってもいけないし。私自身が、昔、作ったのは、バネが怖くて厚ゴムを使ったのだった、しかし、あれは改造の余地ありだし……

年末の妄想は尽きないのであった。
posted by ろじ at 00:00| パリ | TrackBack(0) | パコの成長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月18日

クリスマス会

近くの保育園でクリスマス会があった。この4月から入るかもしれないので、パコを抱いて行ってみた。

舞台のあるちゃんとしたホールである。園長さんの挨拶のあと、幕が上がると、1歳未満の子供たちが保育士さんたちに抱かれて、歌を歌ったり、絵本を一緒に読んでもらったりするシーンを、観客は観る――たったそれだけなのである。それでも、デジカメのフラッシュがパシパシなる。

1歳〜2歳の組の出し物では、園児が虫の格好をして葉っぱの陰から這い出してくると、保育士さんの質問「好きな色は、なに色ですか?」などに答えて、話さなければならない。ある声が小さい子がいたら、観客席から
「○○ちゃん、お声が小さいよー」
と声がかかった。見ると、園児の母親らしき人が、観客席の後ろの方から熱心にビデオを回している。一人ではない。

ダメだ。ついていけん。パコ、許してくれ。
posted by ろじ at 00:00| パリ | TrackBack(0) | パコの成長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月16日

バイバイとお辞儀

さまざまな動作ができるようになって、数日前に「バイバイ」もするようになった。

とおもったら、今日、お辞儀ができた。立ったまま、腰を曲げるように、慎重に頭を下げる。2度目は、さらに深くスクワットみたいにする。ロボットみたいだが、ほめられると、両手を叩いて笑う。
posted by ろじ at 00:00| パリ | TrackBack(0) | パコの成長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月11日

ファースト・シューズ

さて、靴である。すでに上さんは900円くらいの「靴」まがいものを手に入れはしていた。だが、ベビーカーに乗った時、単に足先を寒さから保護する程度のものだったので、足首の定まっていないこの月齢の子が実際に歩くと、グラグラしてしまう。

生涯で初めてのちゃんとした靴を買わねばならない。

そこで、ネットで調べて、幼児の歩行について専門的解説の詳しいアシックス社のものを買いに行った。が、なんと、5000円もするんですよ、あなた。しかも、2〜3カ月しか履けないんですよ。

大事だから買いましたけど、使用期間を考えると、赤ん坊のものって生涯一番に高いんじゃないかしらん。実は、去年パリに行った時、パコのためにジーンズ風ズボンを買ってきたのだが(ファースト・ジーンズ!)、成長が早くて1ヶ月半くらいしか穿けなかったのだ。

このズボンも、この靴も、額に入れて飾っておくか……。
posted by ろじ at 00:00| パリ 🌁 | TrackBack(0) | パコの成長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月10日

視線

パコが人の視線を追うようになった。これって、すごい進歩なのではないかと思う。しかし、視線の動きの発達というのは実に面白い。左右は楽だが、上下の動きには赤ん坊というのはなかなかついてこれないのだ。パコも、上下はまだスムーズではない。

視線はある種の人間関係を支えるものではないかと思うのだ。
posted by ろじ at 00:00| パリ 🌁 | TrackBack(0) | パコの成長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月09日

いないいないバー

自分で顔を隠して、「いないいないバー」をするようになった。ちょうど上さんが、「いないいないバー」という絵本を買ってきてからそんな仕草が目につくようになった。動物の姿の「いないいない」する顔のところが開けられるようになっていて、開けると「バ〜」という顔が出てくるというもの。

パコ、これは、「存在」と「非存在」のあいだを行き来したり、「存在」を「非存在」で明らかにしたりする「形而上学的大問題」にコミットしてることになるんだぞ。少なくともだ、「存在」の確認のためには他者の「視覚」(視線)が必要だとする深遠なる「認識論的真理」の――。

そう言いかけると、パコは「いないいないバー」をし、背中を向けて、走って行った。
うーむ、よほど説得的だ。パコ・プラグマティズム。
posted by ろじ at 00:00| パリ 🌁 | TrackBack(0) | パコの成長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月08日

ゴッホ展

仕事が休みなので、国立新美術館でやっているゴッホ展「没後120年 ゴッホ展――こうして私はゴッホになった」を、パコを抱いて観に行く。
http://www.gogh-ten.jp/tokyo/index.html
http://www.gogh-ten.jp/tokyo/works/chapter1.html (作品解説)

こういう押しつけがましいタイトルは好きではない。ゴッホの芸術的発達がわかる展覧会という意味なのだろうが、そういうサブタイトルは、観た者自身が決めればいいことだ。流行りなのか。このタイトルに「。」とかつけたら、絶対行かないと思う。

オランダのゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館の作品を中心に、120点ほどを展示したという(没後120年にかけた?)。ただし、ミレーや他のゴッホに影響を与えた画家も絵も含んでのこと(ミレーは良いけど)。ゴッホの絵は、20点ほど?その内、メジャーなものは5点もあったか。こうした有名画家展覧会、特にゴッホ展は、たった1点か2点の作品で『ゴッホ展』(あるいは『ゴッホと○○展』)と名打つのが多すぎるなあ。いくら商売とは言え。

美術館ではベビーカーを貸してくれる。パコがよく寝てくれたので、ゆっくり観ることができた。人は多い方だったが、ゴッホ展にしては少ない方か。昔は、2時間待ちとか普通だったから。日本人の好みが多様化?――いや行動範囲が広くなって、自分でヨーロッパに、直接見に行く人が増えたからか。

展覧会は、タイトル通りゴッホの若い時からの作品に、彼に影響を与えたと思われる画家の絵を並べたもの。しかし、若い時に決定的な影響を与えた教師画家アントン・モーヴの絵はほとんどないし、後年、ゴッホのヒマワリの絵などに絶大な影響を及ぼしたモンティセッリは花の絵が欲しかったところ。(アントン・モーヴの影響については、アムステルダムのゴッホ美術館は、詳しい解説をしている。)

会場では、ゴッホの絵とそれに影響を与えたと思われる画家の絵を隣り合わせにしたり(よくあるパターン)、CGで“復元”した、アルルの「黄色い家」の屋内構造の展示があったり、この展覧会に触発されてあるシンガーソングライター(?)が書いたという「歌」のビデオがあったりと、マルチメディア時代にふさわしい(??)展示が並ぶ。雑誌のように総花的だ・・・。歴史的な絵画発展を見るにはいいか。ただ、きらびやかな作りのわりにはゴッホの絵を堪能できるかは、ちょっと疑問。

ゴッホが黄色中心に染め、自ら額も黄色に塗りあげた一枚「マルメロ・レモン・梨・葡萄」は、その色も迫力が純粋で、今見てもとても新鮮。飾っておきたい一枚。パリ(モンマルトル?)レストランの窓から外を描いたちょっと暗い絵には、誰ともわからぬ二人の人物像が。ゴッホこの時期特有の、寂しさを癒そうとする筆の加えの良い例であった。

会場を出ると土産物売り場では、絵葉書や複製に並んで、ゴッホ・クッキーやワイン、レストランでのゴッホディナーへの案内が。こういうところはますますエスカレートする。日本人にとっては、「大山詣で」で知られる日本三百名山の一つ大山の大山饅頭なみの人気なのであろうか。確かに、ゴッホは信仰の対象なのかもしれない……。
posted by ろじ at 00:00| パリ 🌁 | TrackBack(0) | 芸術・音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月07日

ウィキリークスのアサンジュ氏 逮捕

おそらく日本中のメディアで唯一、「海老蔵記者会見」に背を向けて、衛星放送CSのAsahi News Star『ニュースの深層』(上杉隆氏が司会)で、ウィキリークスの創設者 ジュリアン・アサンジュ氏の逮捕について放送していた。酔っ払い放蕩息子の記者会見をこぞって放映する日本にウンザリしているだけでなく、上杉氏がどう仕切るか興味があって、観てみた。

3分の2ほど観ただけだが、ゲストの八田真行氏(コラムニスト・翻訳家)のコメント、まるで新味がなかった。他ですでに報道されたことをでない(特に、ウィキリークスの「告発ネットワーク」の仕組み)。新聞の八田氏、英語国の新聞の「OpEdコラム」を「オーピーイーディー」と呼ぶし。

放映後、上杉氏は自身のTwitterで、「恐ろしく的確なコメントの数々の八田さん」と言っている。『ジャーナリスト崩壊』を読んだ後だけに、上杉氏にちょっとがっかりした。

ちなみに、海外と異なって、日本のメディアにはウィキリークス・バッシング傾向が強いというのは、事実のようだ。
posted by ろじ at 00:00| パリ ☁ | TrackBack(0) | テレビ・新聞・雑誌ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月05日

初めての戸外散歩

夕方、パコを近くの公園の木々の間、落ち葉の上を歩かせてみた。初めての戸外散歩である。靴を履いているが、ベビーカーに座った時の足先の防寒のような簡単な靴なので、グラグラして歩きにくそうだ。ちゃんとした靴を買ってやらねば。

ふだんと違う地面、踏みしめる葉っぱの音、上から静かに落ちてくる黄色い枯れ葉、頭上を舞うカラス、静かな風の音――すべてにとても興奮。

人生初めてだから、なにを見ても驚きなんだろう。そんな新鮮さは、私にもあったはずだ。忘れているなあ。哲学者のハンナ・アレントが  
毎朝、鳥の声が同じにしか聞こえないとしたら、それはあなた自身に問題がある
というようなことを言ってたっけ。

パコを見てると、反省させられる。
posted by ろじ at 00:00| パリ ☁ | TrackBack(0) | パコの成長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月04日

あっという間に20歩

昨日、パコは、つかまり立ちした後で、突然、上を向いて「プハ〜」と大きなため息をした。たびたび繰り返す。まるで、あぁーー、成長するってメンドイのぉ、って言ってるみたい。

パコの行動を見ていると、人間が進化の途上で何を身につけていくかよく分かる。あ、これ、テキトーな解説ですから。個体発達は類の進化を繰り返す、というのを前提にしての話ね。

土曜日だったので、上さんとパコを近くのスポーツセンターの幼児体育室に連れて行った。かなりのスペースがあって、床はフェルト張り、ぬいぐるみや運動用のマットなども置いてあって、かなり気の利いたものだ。

そこで、パコを上さんの方に向かって歩かせてみると、なんと20歩も歩いた。そして、ドテッと尻から落ちる。これぞ「トドラー(toddler=よちよち歩き)」。朝起きると元気がよくて叫び声あげたり、怪獣みたいなので、これから、「トドラ」とでも呼ぶか。

それにしても、いつの間に? ほんとに人類の進化を目撃しているようだねえ。
posted by ろじ at 00:00| パリ ☁ | TrackBack(0) | パコの成長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月02日

記者クラブと『ジャーナリズム崩壊』

 上杉隆『ジャーナリズム崩壊』が実におもしろい。筆者は最近「機密費」で論陣を張っている人。
 日本の例の悪の権化「記者クラブ」がメインテーマで、それは多くの人が口を閉ざしてきているだけに、胸がすく思い。

 しかし、それだけでなく、日本とアメリカのメディアの違い、日本の横並び新聞社の体質、NHKの(根深い)不遜体質(しっかしヒドイね、この殿様体質は)など、読ませるものも多いのだ。これまで思っていたこと、日本社会で暗に感じていたことを事例で示してくれる。

 たしかに、書かれている内容は、アメリカにいて新聞を読んでいればだれでも気づく常識的なことも多い(New York Timesの新聞の記事の書き方とか、「政治的中立」を標榜するのではなく進んで支持政党を謳う姿勢、とか)。が、それを日本のメディアの悪弊とつなげて論じることには意味がある。

 特に読ませるのは、やはり「記者クラブ」。日本社会の閉鎖性さえも象徴的に表している。

 奇妙キテレツ、時代錯誤、コッケイ、幼稚独善、唯我独尊、世界で取り残されたガラパゴス、言語道断……ありとあらゆる情けない形容詞が当てはまるこの組織をつまびらかにしてくれるのは痛快でさえある。特に、アメリカで外国メディアとして行う「大統領・独占インタビュー」を嬉々として報じる癖に、日本では、記者クラブが海外特派員の独占インタビューは許さない、という身勝手さは、強く糾弾されてしかるべきである。記者クラブが自己弁護に使う奇妙で幼稚な論理も。

 数か月前だったか、TVで「記者クラブ」についてもテーマになったシンポジウムみたいなのを観ていた時、シンポの冒頭に、突然、読売の記者が、何か意見を述べ立てて、最後に「記者クラブについてはこれで終わりにすべきだ」と言って、司会も含めて、それに賛成するみたいなコドモダマシをやっていたが、――あれは正確には何だったかな。ちゃんと書きとめておかねばいかんね。

 と思いながら上杉氏関係のサイトを見ていたら、ありました。読売の記者ではなく、座長だった。
http://diamond.jp/articles/-/1499 
 この日のフォーラムでは、原口一博大臣の発言の後、音好宏構成員、NHK、民放連(TBS、テレビ朝日、石川テレビ放送)、日本新聞協会の順にヒアリング説明が行われるはずだった。その後に出席者からの質疑応答が予定されていた。
 問題は、日本新聞協会の説明の冒頭に発生した。大久保好男新聞協会メディア開発委員会委員長(読売)の発言直前、突如、浜田純一座長がメモを読み上げたのだ。
「日本新聞協会からのメモを代読します。今回のヒアリングにおいて、個別の記者クラブ・記者会見について当新聞協会はコメントしない。記者クラブ・記者会見等についての質疑応答は一切受け付けない。このフォーラムで記者クラブ問題について議論するのは違和感を持たざるを得ない」
 自らの意見を開陳しながら、他者の意見を予め封じこめる。言論機関に身を置きながら、そして報道の自由を謳いながら、なんという厚顔な振る舞いであろうか。
・・・
<丸山構成員、羽石構成員から「記者クラブ問題についてはアジェンダから外してほしい」との趣旨の意見。上杉隆構成員「このフォーラムには国民の権利保障等、とついている。記者クラブ問題を入れないというのは、非記者クラブメディア、通信、フリーは国民に入らないということなのか。>
・・・
騒動後、記者クラブ改革の旗手とも言える原口大臣は、直接的な表現を避けながら、このようなツイートを行った。そのためだろうか、翌日、原口大臣は露骨な嫌がらせを受けはじめる。
これが、先進国と自称する国のメディアなのだ……。反吐が出る。
posted by ろじ at 00:00| パリ 🌁 | TrackBack(0) | 読書・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月01日

パリのホームレス

フランスのラジオ・ニュースのメルマガに入っているので、もちろん、フランスのニュースなどが送られてくる。

今日のは、「配達者専用の駐車スペースが、夜8時から翌朝7時までと日曜休日は解放される」というニュース。そうでなくとも、配達者専用の駐車スペースは、ずうずうしいフランス人たちに違法に停められているのが普通。そもそも駐車スペースが簡単に見つからないのが問題なんだけど。

「この寒さのために、パリ郊外でホームレスが凍死した。この冬、ホームレスの初めての死者(Ivry-sur-Seine: un SDF retrouvé mort de froid: C'est le premier décès de sans-abri connu en Ile-de-France de l'hiver.)」(France 3 Paris Ile-de-France et Centreより)
パリあたりは冬はかなり寒い。毎年、何人かが死ぬのである。それが、当り前とは言わぬが、不自然でない社会だ。もちろん、そうした人たちを助ける運動も人たちもちゃんといる。

パリに住んでいた時に、いつも歩く大通りに座っていた若い娘さんの物乞いは、今年はどうしたろうか……。小銭をあげると、奥深く青く澄んだ眼をして「メルシ」と言っていたのが忘れられぬ。
posted by ろじ at 00:00| パリ 🌁 | TrackBack(0) | 日々のなにげない記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。