2011年08月03日

アゴタ・クリストフ逝く

病児保育にパコは慣れたようだ。朝、仕事前に連れて行くと、さすがに愛想は良くなかったが、昨日面倒見てくれた看護師のおねえさんの膝に、自分から歩いて行って座った。病児保育に行く道々、「昨日パコの相手してくれた、若くて優しくてかわいい看護師さんが、今日も一緒にいてくれるからね」と、話しかけたのも効を奏したか?

トビヒと手足口病を併発していて、他の子に感染するといけないので、原則、長袖長ズボン、そうでないときは、手足の患部をガーゼで覆われる。しかたないとはいえ、可哀そうではある。病児保育園でも食欲がある、というのが救いだ。

帰り道、病児保育に引き取りに行く途中で大雨。駅を降りてから近くの銀行のATMで雨宿りしていたが、止まないので、意を決して向かう。病児保育の部屋に行くと、同室していた6歳くらいの男の子が、電車のおもちゃを畳一面に広げて自慢げである。パコはちょっと迷惑顔。部屋に先に着ていた老人が「お坊ちゃん、帰りましょう」と言った。どんな家庭なのか?

パコを抱えて外に出ると、雨はすでに上がり、虹が出そうな爽やかな空であった。

アゴタ・クリストフが亡くなった。予想しなかったわけではないが、ちょっとショックだった。ああ、大事な作家が死んでゆく。

彼女の文章は飾らず、本質だけを――書かねばならぬものだけを、見出し、伝えようとする。それは、むしろ詩に近いと思う。しかし、それにしても、最近は、ただ言いたいことを“語る”だけの「詩」がいかに多いことか。俳句も短歌も同じ傾向のように思える。TVでの短歌俳句ブームも拍車をかけているか?

アゴタ・クリストフの『二人の証拠』を引っ張り出して読み始めた。この本、原題は『La Preuve(証拠)』である。こういう翻訳上の変更は好きではない。訳すのが難しい慣用句でもない。翻訳者の解釈が入っているのだろうが、解釈というものはいくらでもありうるだろう。だとしたら、原作者の意を尊重して中立的にそのままで訳すべきだと思う。その含意・言外の含みは、読めばわかることだ。
posted by ろじ at 00:00| パリ | TrackBack(0) | 読書・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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