2007年04月10日

谷あいの修道院の廃墟(下)

 見ると、この修道院の歴史を日本語で説明してある。日本からいらした、あるジャンセニスムの専門家の教授先生が、歴史を訳して書いて下さったのだそうだ。ありがたいことである。専門的で完璧と思われる訳で、しかもかなりの達筆であった――。

 ジャンセニスムは、イエズス会の教説が信徒の堕落を招いていると考えてイエズス会攻撃を行い、カトリックの改革を訴えていた。一方、この修道院での神学は、カトリック教会からは「背教の流布」であると見なされていた。17世紀中期から、ジャンセニスムはイエズス会とはっきりと対立して、1642年、ローマ教皇に異端宣告され、ついに、1708年には、ローマ教皇 ローマ教皇、クレメンス11世の令状によりポール・ロワイヤルの廃止が布告される。他方で、フランス国王ルイ14世は、政治的見地からジャンセニスムを弾圧し、その中心地となったポール・ロワイヤル修道院を1710年に閉鎖させた。ここにあった大きな修道院の建物は取り壊され、修道女たちは強制退去させられた。ジャンセニスムの修道女がここの敷地に眠っていたが、弾圧したルイ14世は、修道院の建物を取り壊すと同時に、命じて埋葬されていた修道女を墓から暴いたという。

Port Royal Champs4.jpg 歴史を頭に詰め込んだところで、敷地内を歩く。敷地は、当時のままかと思わせるような石塀に囲まれ、同じ石を組んで造った水路から澄んだ水が流れ出ている。敷地に残っているのは修道院教会の礎石だけで、その後ろに建っているのは、後世19世紀に建てられた小礼拝堂である(前回の大きな写真も参照)。この修道院には、数学・物理学者だったパスカルも住んだが、その胸像が小礼拝堂の傍らに立っている(小礼拝堂に向かって右側の像)。

Port Royal Champs3.jpg 上に書いたように、この修道院には詩人ラシーヌがいた。22歳時、シュルヴェーズ公のためマドレーヌ城の改築にたずさわった時、その城に住んだ。その住居と修道院との間を散策して詩想を練ったといわれているが、その散歩道が、「ラシーヌの径(みち)」として近くに残っている(前回の大きな写真で遺跡の手前に見えるのが、ラシーヌの墓)。

 小礼拝堂跡からさらに奥に入ると、「鳩小屋」と「風車小屋」がある。鳩小屋は、朽ち果ててはいるがガラス戸などが入っていて、後の時代になって使ったような形跡がある。左手の風車小屋に入ってみると、内側の壁にジャンセニスムの年表が張られていた。以前は、そこは博物館になっていて、ジャンセニスム関係の資料や建物の模型が展示されていたのだそうだ。

 鳩小屋から出て、左手を見ると頭の上に先ほど訪ねて来たポール・ロワイヤル国立博物館の裏側が見える。当たり前のことだが、二つの敷地は緩やかなスロープで繋がっていたのだ。そのスロープを、自転車を引いた若者たちが登っていく。いかにもノンビリとしている。かつてはここにも血生臭い争いがあったのだろうが、とてもそうとは思えないのどかさである。

 帰りぎわ、野原の運河(といっても今や池だが)を覗いてみると、水の中に、クレッソンがおびただしい数、生えていた。畔に踏み込んで、いくつか抜き取った。今晩のすばらしい前菜になるだろう。
posted by ろじ at 00:00| パリ 晴れ| フランス・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする