ジャンセニスムは、イエズス会の教説が信徒の堕落を招いていると考えてイエズス会攻撃を行い、カトリックの改革を訴えていた。一方、この修道院での神学は、カトリック教会からは「背教の流布」であると見なされていた。17世紀中期から、ジャンセニスムはイエズス会とはっきりと対立して、1642年、ローマ教皇に異端宣告され、ついに、1708年には、ローマ教皇 ローマ教皇、クレメンス11世の令状によりポール・ロワイヤルの廃止が布告される。他方で、フランス国王ルイ14世は、政治的見地からジャンセニスムを弾圧し、その中心地となったポール・ロワイヤル修道院を1710年に閉鎖させた。ここにあった大きな修道院の建物は取り壊され、修道女たちは強制退去させられた。ジャンセニスムの修道女がここの敷地に眠っていたが、弾圧したルイ14世は、修道院の建物を取り壊すと同時に、命じて埋葬されていた修道女を墓から暴いたという。
小礼拝堂跡からさらに奥に入ると、「鳩小屋」と「風車小屋」がある。鳩小屋は、朽ち果ててはいるがガラス戸などが入っていて、後の時代になって使ったような形跡がある。左手の風車小屋に入ってみると、内側の壁にジャンセニスムの年表が張られていた。以前は、そこは博物館になっていて、ジャンセニスム関係の資料や建物の模型が展示されていたのだそうだ。
鳩小屋から出て、左手を見ると頭の上に先ほど訪ねて来たポール・ロワイヤル国立博物館の裏側が見える。当たり前のことだが、二つの敷地は緩やかなスロープで繋がっていたのだ。そのスロープを、自転車を引いた若者たちが登っていく。いかにもノンビリとしている。かつてはここにも血生臭い争いがあったのだろうが、とてもそうとは思えないのどかさである。
帰りぎわ、野原の運河(といっても今や池だが)を覗いてみると、水の中に、クレッソンがおびただしい数、生えていた。畔に踏み込んで、いくつか抜き取った。今晩のすばらしい前菜になるだろう。
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