2010年09月02日

外はファンシー、中身スカスカ

しばらく前から、腰が非常に痛い。持病である。

夕方、買物に行ったらあまりに痛いから、痛み止めに酒でも飲もうと通り道にあったバーに入った。ファンシーな作りのカウンターを売り物にしていて、洋酒専門でワインもあるようなので、いつか入ってやろうと思っていたのだ。

ところが、出てきたのは気が抜けて、温度も十分低くない白ワイン。客をなめる以前に、ワインをなめている。ワインを知っているが私という客をなめることもありえるだろうが、それ以前である。

こういう店に入るたびに(私の懐具合では、それが実に多い)、心の底からがっかりする。見かけはファンシーだが中身はスカスカという、いかにも典型的な日本的な店である。東京で見かけるのはこんな店ばかりだ。フランスの、見かけはボロくとも出すものにはプライドを持っているカフェとはまるで逆だ。(もちろん、観光客だけが目当ての、ハリボテおざなりレストランは別。)

カッコばっかで、愚直なこだわりも、客に出すものへのプライドもない。(残念ながら)いかにも日本的だと思う。
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2010年08月24日

改正臓器移植法の初のケース

改正臓器移植法が、今年の7月17日に施行された。これによって、(従来は必要だった)本人の書面による意思表示がなくても、家族の承諾で臓器を提供できるようになった。厳密に言うと、本人の提供意思が書面で残されていない場合、提供を口頭でも拒んでいたことがなければ、家族の承諾があれば脳死判定を受けた人の臓器を移植することが可能になった。そして、8月9日、その最初のケースが起きた(脳死下での臓器提供は87例目)。

脳死と判定された男性は、「家族に対して臓器提供をする意思があることを口頭で表明していた」(日本臓器移植ネットワーク)という。しかし、その後、それは、男性がTVを見ていた時にポロっと言った一言だったことが判明した。(朝日新聞の記事によれば「テレビ番組を見ながらの発言が決定的な根拠になったとみられる。移植ネットは発言の時期を明らかにしていない。」)
http://www.asahi.com/health/news/TKY201008100165.html 

となると、どんな場面でも、どんな片言でも――さらには家族が聞き間違ったとしても、それは「意思」として家族の証言に用いられることになるのか。

背景には、臓器移植への意識が進まない日本でなんとかしようという努力や、「推進派」(議会に働きかけた何とかいう医師先生)の努力もあるのだろうが、どうもこれは、無理筋の感がある。メディアはもっと問題にしても良いと思うが、その後、どうも突っ込んだ議論を聞かない。それどころか、次から次へと改正法のもとでの臓器移植が報道される。

改正臓器移植法に汚点を残し、失速させることになりはしないか。
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2010年08月23日

高齢者の不在

高齢老人が戸籍上はかなりの御高齢のままいるのに、実際は生きていないようだという「事件」が次から次へと出てきている。「不在」にもかかわらず、彼らの年金どころか高齢の「祝い金(正式には何というの?)」までも受領されていることも、話題になっている。

この「祝い金」制度、どうも分からない。ただカネをあげれば良いという、日本のカネばらまきサービスの匂いがする。別な種類の「サービス」、たとえば、毎年誕生日になったら、医師の往診を「プレゼントする」とかじゃいけないのだろうか(ついでに花かなにかを付けても良いだろう)。それで、健康状態も、もちろん「存命」も確認できるだろうに。

そういうのわりと基本的な発想だと思うんですけど、議論には出てるのですか?忙しくてフォローしてないんですけど。誰か教えて。
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2010年07月30日

心が貧しい日本の都会人

妻子を上さんの実家に送って行った。飛行機に乗るので、まず空港に行かねばならない。渋谷経由で行った。あらかじめネットでベビーカーで行けるかどうか、つまりエレベーターが使えるかどうか確認して行ったのだが、地下鉄からJR線を経ての道のりは、最悪であった。

まず地下から地上に出るための2つのエレベーターの前には、ものすごい行列ができている。つまり、ベビーカーでも車イスでも老人でもない普通の出勤人が、みなこのエレベーターを使おうとしているのだ。したがって、ベビーカーも車イスも老人も、この長い行列に交じって待たねばならない。健常者がエスカレータで上がれば、もっとスムーズに行けるだろうに。しかも、ベビーカーが乗るには、それ相応のスペースがなくてはならないから、混んでいるエレベーターはやり過ごさねばならなかった。

さて、エレベーター地上に出てみて驚いた。そこからJRの駅までは、交通量の多い大きな通りを2本渡らねばならないのだ。そして、JRの駅で山手線に乗るにも、エレベーターでまず3階に上がり、そして今度は2階に下りなければならない(どういう構造なんだ)。もちろん、エレベーターは普通の人達が乗るので、なかなか来ないのである。

山手線から乗り換ようとエレベーターの前で待っていた。前にやはりベビーカーの若い奥さんがいた。そこに犬を入れたケージとスーツケースを引いた女性がやって来た。エレベーターのドアが開くと、横からその女性が乗りこもうとした。ケージとスーツケースが乗れば、ベビーカーが2台乗れるわけはない。

私はそのケージの女性と、その娘らしい二人を手で止めた。
 「失礼。順番ですから」
そして、ベビーカーの若い女性にどうぞと言い、われわれもその後に乗りこんだ。
割り込んだ女性はバツが悪そうに、娘を見ながら、「エスカレータで行こうか」と言った。
エレベーターの中で、女性に私は憤慨をおさえながら言った。
「東京の人は、順番を守りませんよねえ」
若い女性は、「ありがとうございます。順番はちゃんと守ってほしいですよね」と、意外な親切にどう答えたらいいか分からないようにボソリと言った。

歩きながら、これから、こういうマナーのない大人を、できればその子供の前に叱る運動でも始めようか、と妻に冗談を言った。こういうマナーで文化が測れるなどとは言わないが、日本人の都会人のエゲツなさがよく出ていると思った。

空港の駅でエレベーターに乗ろうとすると、やはりスーツケースも持たない客でいっぱいであった。しかも、人がいっぱいで乗りこむのに躊躇していると、わきから駆けて来て、すき間に乗りこむ女性が何人かいた。イイ大人がこういうことを露骨にする先進国は、知る限り日本だけである(東京だけかもしれないが)。フランス人は、知られているようにかなり利己的だが、ベビーカーが来れば、優先して乗せるのが普通だ。

考えてみれば、この国は他人のために扉を開けてやることさえもまれだ。一度、デパートで人に開けてやったら、その後から来る者たち、若いのも立派な大人も、こちらがドアマンかなにかのように、感謝の言さえいわず平気で通り過ぎて行った。

なんと心の貧しい人たちか。そして、なんと「ヘルプが必要なもの」に無関心・無神経な街か。ことこれに限ったことではないが。つくづくがっかりした。「文明国」の看板は降ろした方がいいと思う。「バカの壁」ならぬ、「自己中の壁」。
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2010年07月20日

「外国人実習制度」を悪用する日本の会社

インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙(ニューヨーク・タイムズ紙と同じ)に、日本に「外国人実習制度」でやって来た中国人が、まともな賃金も払ってもらえないことで会社を訴える、という記事。携帯電話製造の会社で働いていたが、最初の年にはらわれた賃金は月1万5千円、無報酬の残業は700時間以上になったという。しかも、6人の中国人がソーシャル・ワーカーに現状を訴えたところ、会社をクビになったという。

記事は、老人人口が増え少子化が進む日本では、外国人の実習生が貴重な労働力になっている、とも指摘している。

しかし、それにしても、朝日新聞にこうことの「追っかけ記事」が載るのを見たことはない。日本の“恥”は載せないのか?そうだとしたら、それこそ、日本のメディアの恥だと思うが。
Japan Training Program Is Said to Exploit Workers
http://www.nytimes.com/2010/07/21/business/global/21apprentice.html?_r=1&ref=global-home
一部引用
Instead, the women say, they were subjected to 16-hour workdays assembling cellphones at below the minimum wage, with little training of any sort, all under the auspices of a government-approved “foreign trainee” program that critics call industrial Japan’s dirty secret.

Ms. Zhang says she was let go last month after her employer found that she and five compatriots had complained to a social worker about their work conditions. A Japanese lawyer is now helping the group sue their former employer, seeking back pay and damages totaling $207,000.

Critics say foreign trainees have become an exploited source of cheap labor in a country with one of the world’s most rapidly aging populations and lowest birthrates.
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2010年06月05日

これでバリアフリー?

東京の地下鉄は、エレベーターが完備し車イスでも充分動けると、誇っている。ウェブサイトをみると「バリアフリー」を鼻高々にうたっている。確かに、ほとんどがエレベーターを備えている。

しかし、騙されてはいけない。ベビーカーを押してみて、ハッキリわかった。新宿3丁目駅で、副都心線と丸ノ内線は、ベビーカーや車イスは地下鉄ホームから地上には出られるが、乗り換えができないのである。自分で行こうとすれば、エレベーターを使っていったん改札を出て、外の通路を通ったのちもう一度改札を通らなければならない。

副都心線は、最も近年にできた線だ。エレベーターを付けるカネがないのではない。使う者のことが考えられない……。必要な者への「視点」がないのである。こんな駅は例外ではない。

さらに「開いた口が」の点。車イス利用者などのために、公共交通機関をどのように使ったらエレベーターを使って自らの力でうまく移動できるか(「独立性」が高いか)を示すサイトがある。「らくらくおでかけネット」という。(サイトには国土交通省が名を連ねている。)
http://www.ecomo-rakuraku.jp/rakuraku/index/ 
これで、副都心線の新宿3丁目駅あたりの駅から日比谷線の六本木まで行く経路を調べると、なんと、山手線の外の「練馬」にいったん出て、大江戸線を使えと出るのである。それが一番「独立性」が高いのだそうだが、時間は直接向かった時の2倍かかるのである。

2倍の時間――充分「バリア」ありすぎだろうに。首都なのに、まったく、情けない国だ。
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2010年03月09日

「東京コレクション」と「パリ・コレ」の間

 この週末、TVで(NHKで!)、東京ファッションショーの模様を毎日のように放送していた。つぶさに観はしなかったけど、チャンネルを変える度に、若々しい(というより子どものような)体つきの娘さんたちが、キャットウォークを歩くのが目に入った。

 「東京ガールズコレクション2010春夏」というものらしく、新聞TV欄のタイトルによると、今年のテーマは「カワイイ」だそうな(毎年そうなのかもしれないが)。あーぁ。
http://www.asahi.com/fashion/gallery/100308girls/ 

 パリ・コレも話題になるのをパリで観たりしたが、けっして「カワイイ」という謳い文句ではなかった。パリ・コレもロンドン・コレクションも、大人の魅力をどう引き出すかがテーマで(その「引き出し方」には賛否両論あるけど)、「カワイイ」を主役にするのは聞いたことないような気がする。

 これが日本なんだよなあ。ひるがえって、日本のTV番組で、「カワイイ」「女の子」をウリにし、それだけをタダタダ前面に出しているのが、いかに多いことか。(いいおっさんを含む)男のアタマも、映画も、文化も、文化政策も、時にはイイ年をした研究者も、政治家(そんな首相がいたっけ)も……、一億総カワイイ文化――絶句。
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2009年04月23日

カメラ「口コミ」サイトの不思議

 ずっと使い続けているコンパクト・カメラが壊れたので、新しいのを買おうかと思っている。

 正確にいうと、「壊れた」のではなくて内臓電池がなくなっただけのようだ。スイッチを入れるたびに、初期画面が出て、言語選択からの設定をさせられる。どうも聞くところによると、3年くらいで内臓電池がなくなるようになっているのは、この会社の「悪しきポリシー」だそうだ。そういことなのですかね、カシオさん?

アイルランドと北アイルランドの境界 このカメラは、立ち上げてからの起動速度、シャッターを押してからの反応速度が速くて、私のような思い付きでとるタイプには格好の機種だった。しかし、「(あこぎな)この会社のは、もうけっこう」と思っているので、他のブランドをネットの「口コミ」サイトで探すことにした。(写真は、去年、北アイルランドに行く途中、高速で走る列車から撮った、アイルランドと北アイルランドの境界に立つ目印の捧。これが撮れるほどの反応速度だったのである。ツアーの他の外国人たちが驚いていた。)

 しかし、口コミサイトの掲示板というのは、不思議なものだ。カメラのお奨めを知るために、たとえば「○○はダメ、△△はちょっと……」とある機種について書き込みをする。すると、一晩もたたないうちに、「でも、○○はこういう優れたところがあります」だの「△△はお嫌いかもしれませんが、こんな良い写真が撮れます。見てください」だの、“擁護”の書き込みがされるのだ。

 不況さなかのメーカーがそこまで人を雇えるとは、ちょっと理解しがたいし、あるいは義侠心の塊のような人が多いのだろうか。だとすると日本も捨てたものではないねぇ。なかなか感動的な現象である。
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2009年04月21日

日本男性と戦後

(過去日記)
 例のフランス語の練習の時、相手のモニク婆さんが、映画の『東京ソナタ』を観た、と言った。日本の家庭は「実に面白い」、と言う。それには、フランス人から見れば不思議だ、という意味が入っているのだろう。自分はその映画を観ていないが、話によると、特に、夫である男性の振る舞い、いや、ほとんど何もしゃべらないという“行為”が「興味深い」らしい。

 戦後ある時から、日本の家庭内での男性、特に中年や年配の男性の地位の低下――日本の伝統的な地位・重要性に比べてということだが――は、甚だしいと思う。悲劇は、多くの男性がそれに気づいていない、または実感していないということだろうと思う。それは、充分、映画のテーマになるだろう……。

 そんなことを話したら、モニク婆さんは、それに戦争(第二次大戦)は関係あるだろうか、と問うた。
「さあ、終戦が日本人に与えた影響はないではないだろうけど」
「ヒロシマ?」
「いえ、『ヒロシマ』と終戦は、日本人の意識にとって、必ずしも同じものではないように思います」
「ヒロシマはもっと大きい悲劇だった?」
「ヒロシマは、その後の病気(後遺症のこと)、補償など今も悲劇として続く重要な問題ですし、核の問題という点では、現在の政治的問題の一部です。終戦は、形としては、その時、政治体制や人々の抱えていた何かが終わって、まったく別の大きな何かが始まったということでしょう。それがあまりにも一夜にして劇的に変った、というのは、日本人の精神のなにかの特徴を物語るでしょうけど」
「……」
「フランス人にとっては、『終戦』はどんなものなのかな」
「一言でいえば解放ですが、ユダヤ人への差別問題、ナチへの協力、仲間への裏切り、裏切ったものへの憎しみなどなど、つらい思い出も多い。その意味では、おおっぴらに語りにくい問題ね」
「体制へ傾くのは、どこにでもあったし、日本でも問題でした」
「フランス人も、かなり体制に傾きやすいのよ」

 このフランス人が体制迎合? もっと知りたいと思ったが、それ以上は私のフランス語では無理だった。
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2009年03月18日

日本の貧困な作文風土

(過去日記)
 やっと、頼まれた仕事が終わった。過去一ヶ月、ある日本語の資料を英語に訳していたのだが、その日本語が、はっきり言ってスサマジイのである。意味がほとんど取れない文章が続くのだ。かといって、「この日本語は、一体どういう意味ですか」とは、さすがにエライ先生には訊けないし、苦しく悩ましくて眠れない一ヶ月であった。

 具体的に例を挙げたところだが、実際の文章をあげるのははばかられるので、ちょっと手を加えて例示してみよう。

*「いわゆる」が好まれるのはかまわないが、使われる場所のせいで意味が不明。
 いわゆる受験競争における○○的問題において・・・。
「受験競争」にかかるのか「○○的問題」にかかるのか、これでは解らない。しかし、これはまだ楽な方である。

*次の文、読んですぐ何がどこまで修飾するか理解できるだろうか。読点でブツブツ切るため、語句のかかり具合がまるで解らないのである。
 テレビ番組の多様性を求めることによって、放送文化の独立性をあげ、よい番組を提供するためにも、製作者を養成し、視聴覚文化の多様性を進めるべきである。

*「・・・に関する」という語が多様されるのはいいが、その後に文がダラダラ続くため、修飾関係があいまい。
 広告の効果に関する社会学的根拠、地域におけるものの考え方、さまざまな情報への生活者側からの評価などの視点からアプローチする方法を体系化し、多くの議論を展開して、コンセンサスに基づく安全な消費生活の提案を行う。
「広告の効果に関する」という語句がどこまでかかるのか、門外漢にはきわめて不明瞭だ。さらに、この文は、読点であまりに多くの考えをつなげて文章を長くしているので、修飾関係はさらにあいまいだ。長い文章で主語を頻繁に換えるのも、日本語にありがちで、翻訳する時に難儀する事だと思う。

 こんな文章が続くのだが、実は、これが大学の先生の文章なのだ。学生に教える立場の。もちろん、ネット上の文章を見ても判るように、今の学生さんや若い方たちの書く文章にも、すぐに理解し難いものが多い。この「難解さ」は蔓延している。自分の文章に対する自戒も含めていうのだが、パソコンやネットのおかげでいつでも簡単に文章を書けるために、文章を書く事に対する注意力がマヒしているのだろうと思う。

 しかし、それ以上に罪があると思うのは、日本の教育では「作文」をしっかり教えることがないということだ。小学校から大学まで、そうである。むかしは、小学校や中学校で「読書感想文」なるものがあって(今もあるのだろうか)、好きでもない本を読まされて、「さあ感想を書け」と強制されたものだ。文章の書き方をちゃんと教えられることもなく。「作文教育」とはそんなものか、夏休みの日記くらいなものだったと思う。それでも、文章を直され、なぜそういう修正が入るのかを教わることは、まったくなかったと思う。その弊害か、今のネット上では、句読点どころか「」や『』の使い方も、かなりアナーキーな状態になってるように見える。

 昔の受験では、教師は国語教育の一貫として新聞の「社説」を読めと言った。わたしは、高校生の頃、受験問題の「社説」を読むたびに嫌気がしたものだ。「社説」というのは、はっきり言って論理的に美しい文章とはいえないと思う。文章には「段落」というのがありそれは意味のまとまりを構成すると習ったものだが、多くの「社説」では、一文で一段落を構成する事がザラだ。言いたいことを次から次へとつけ加えている感じがしてならない。書き手は締め切りに追われたり色んな制限があるのだろうが、それは、「良い文章」として選ぶための同情要因にもならない。あるいは、それだけ日本では「良い文章」という観念が醸成されていないのかもしれない。「社説」を読めというのは、モノを考えない教師の怠慢だと、今では思う。

 残念ながら、論理的で人が読んで判りやすい文章、読み手を説得するための文章などを書く訓練は、日本の教育システムの中にはない。そのくせ、日本の出版界で『論理的に考える』や『文章読本』や『良い文章の書き方』のようなタイトルの本が売れるのは、皮肉、いやまさに日本の貧困な作文風土を物語っていると思う。
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2008年09月28日

今どきの日本の“ぜいたく品”バナナ

 日本では、また、新たなダイエット法が流行っているらしい。昔、日本で粉ミルクを使っていた頃、突然スーパーの棚から粉ミルクがすべて売れきれた時は、驚き、同時にそれがメディアで有名になったダイエットのせいだと知り、日本の「流行」のグレツさに胸糞が悪くなったものだ。そのことは過去に書いた。
「買えないスキムミルク」
http://dokugo.seesaa.net/article/3204906.html

 今度はバナナだそうだ。しかも、調べて読めば読むほど、それが万人に効く効果の根拠は薄いと分って、なんとも言いようがない気分だ。去年の年初めに、テレビ番組の捏造で「流行ダイエット法」の浅はかさを学んだ、と思ったばかりなのに。

 わたしが子どもの頃は、バナナというのは一種の舶来のぜいたく品、運動会か遠足にしか食べられなかったものだが(と言っても、貧しいウチでは滅多に持って行けなかった)、それが、棚から消えて別な意味の“ぜいたく品”になってしまったらしい――と、そんなことを思っていたら、もっと判りやすい言葉で言い切ってくれたコラムを見つけた(下に引用)。「バナナに限らず異国の果物は、豊かになるにつれ、舶来のぜいたく品から日常食に変わる。日本では間食や『あいさつ代わり』を通り過ぎ、減量の具になったらしい。やせるために先を争って食べる姿は、途上国の理解を超えよう」と、よくぞ言ってくれた。

 こうして、日本では、頻繁にメディアによって“ぜいたく品”が作られ、国民は先を争って喰うのである。まわりにある食材をごく普通に喰っているフランスから見ると、ますます異常に見えてしまう。

脚本家の山田太一さんに「車中のバナナ」という短い随筆がある。列車に乗り合わせた気のいい中年男が、カバンからバナナを取り出し、近くの乗客に配る話だ。断る山田さんに、男は「食べなさいって」としつこい▼やがて一本を食べ終えた老人が「せっかくなごやかに話していたのに、あんたいけないよ」と責めてきた。山田さんは胸中を振り返りつつ、こう結ぶ。「貰(もら)って食べた人を非難する気はないが、忽(たちま)ち『なごやかになれる』人々がなんだか怖いのである」▼輸入が始まって1世紀。バナナは「あいさつ代わり」に差し出せる食べ物になった。60年代から、原産地を変えながら日本の食生活にとけ込み、リンゴやミカンをさしおいて「よく食べる果物」の首位にある▼その黄色い房が品薄だと報じられた。朝食をバナナだけにすると楽にやせられるという「朝バナナ」ダイエットが、本やテレビで紹介されたためだ。飛ぶ売れ行きのスーパーでは入荷が追いつかぬという▼バナナに限らず異国の果物は、豊かになるにつれ、舶来のぜいたく品から日常食に変わる。日本では間食や「あいさつ代わり」を通り過ぎ、減量の具になったらしい。やせるために先を争って食べる姿は、途上国の理解を超えよう▼メタボ体形から「ちょい太(ふと)」に脱した立場で言わせてもらえば、やせるなら「食べ過ぎず、動く」に尽きる。およそブームと呼ばれるもの、新聞のコラムが取り上げたら終わりが近いとか。果物売り場はきょうあたり、品薄どころか黄一色に染まっているかもしれない。(28日付『天声人語』)
http://www.asahi.com/paper/column20080928.html
 
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2008年05月03日

日本の報道

数日前に書いた中国北京五輪聖火リレーについて、補足。
先月末に五輪聖火リレーは日本にも行ったが、その時ルートになった長野県での日本の警察側の中国寄りの監視を実況中継的に報告し、その「不当な姿勢」を追及するブログ記事などがしばらくネットに流れていた。

ことは、沿道に、聖火リレーと中国北京五輪を支援する中国人グループと、中国のチベット弾圧を糾弾しチベット解放を訴えるグループが同時に集まった場所でおこったらしい。ユーチューブやブログ記事などによると、日本の警察は、チベット解放を訴えるグループのみを取り押さえようとし、抗議をしても相手にもしなかったそうである。その結果、沿道は北京五輪を支援するグループだけで埋まったようになった。

さらに悪いことに、いや恥ずべきことに、日本のメディアはほとんどどこも、こうしたことを正確に伝えずに、ただ、沿道は五輪の支援グループで「真っ赤に染まった」などと、能天気に報じていたと言うのである(知るところ、どうやらこの評価は正しいようだ)。

はっきり言っておくが、わたしはこうした日本の警察の姿勢を、いくら「両グループの衝突を避けるため」とはいえ、個人たちの主張する権利を認めるという民主主義の基本さえもわかっていない、近代民主主義国家としてとんでもなく許しがたいこと、ヘドが出るほど腹が立ち、恥ずべきことと考えている。それにもまして、日本のメディアの態度には、情けなく悲しくなる。

しかし、日本のメディアというものがこういう風に腰が抜けているのは今に始まったことではない。このブログでも何度も書いてきたことだが、日本と外国の新聞(たとえばニューヨークタイムズ紙)を比べてみれば、日本がいかに≪事なかれ主義≫であるかは、一目で判ることだ。読売や産経新聞などは朝日を「左翼新聞」などと読んでいるが、日本の全部の新聞社と政治権力の近さ・クッツキ度の点から見れば、アメリカやフランスの新聞の「左翼度」の足元にもおよばないと思う。みな、いわば“右翼”、その言葉が悪ければ「体制派」である。

今回の事件で、日本のもっともっと多くの人々が、日本のメディアの問題点に気づき、それを語るようになってくれればと思う。そうすれば、もう少し日本のメディアもマシになるのじゃないかな。
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2008年02月27日

日本人の名前観

 パリの店などで、マカロンが抹茶が入っているので「MAIKO」と名づけられてたり、生姜が入ったスムージーなので「ASIAN」と呼んだりするのを目にする。これはまあ、罪がない。

 最近の日本人の若い夫婦の考えていることは、皆目わからんと思うことしきりなのだが。その最たるものに、彼らが自分の子供につける名前というのがある。むかし「悪魔」という名前を役所が受け取るとか受け取らないとかで騒ぎになったが、あれは突出した“事件”でしかなかった。

 今はそんなレベルではないらしい。「宝冠(ティアラ)」「澄海(スカイ)」でア然としていると、
  「寿里絵都(じゅりえっと)」
  「有里羽朱(ゆりうす)」、
  「光宙(ぴかちゅう)」
  「愛人(はあと)」(男の子)
  「羽姫芽(わきが)」(女の子)
  「黄熊(ぷう)」
などというのもあるらしい。マッタクどこまで行くんだ、と思って調べてみたら、空を「アクア」、金星を「マーズ」と英語読み自体がまちがっているケースさえあるそうだ。「世界でただひとり」の思想も罪が重い(「ぴかちゅう」とか「はあと」なんて、中年になってもそんな名前で呼ばれること考えると、虐待としか思えないが……)

 これが、その場であまり深く考えずにとっさにやる行動だったらわかるが、子の名前はじっくり相談して付けるのだろうから、よほど特別な心理状態にあるのかもしれない。しかし、思うに、日本人が外国の名前を輸入する時、(たぶん)音のひびきだけに頼って“失敗”(?)するのは、個人の名前だけではない。会社ぐるみで、つまりトップの立派な大人のお墨付きでやるのは、この国ではもはや伝統だ。
日産『ローグ』は命名ミス?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080226-00000017-rps-soci
 
 外国人に笑われる商品名というと「ポカリ・スウェット」「カルピス」が有名だが、日本の企業人が(たぶん)音を優先するために、「?」な名前をつけるのは伝統になったな。これは、外国で、商品を「MAIKO」と呼ぶより罪が重いだろう。

 日本人、「国際化」とか「グローバル」とか、いまだに大好きだが、こういうところは決して「国際化」しないんだな
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2008年02月09日

憶測だらけの社説

 おおやけにする文章は憶測にもとづいてはイケナイ、というのは基本だが。そういうことは、社説のようなことでもよくされる。悲しいことに日本のメディアが犯すテキトーさの一例として書いておきたい。立て続けのスポーツネタだが。

 毎日新聞は、時にこういういわゆる“飛ばし”をやるという噂は聞いていたが、社説までするとは公器としてどうかと思うぞ。問題は、下に挙げる毎日新聞の社説だ。

 問題はこうだ。プロ野球のパウエル投手が、オリックスとソフトバンクの両球団と「二重契約」したのではないか、と騒がれている。こういうことは、まず(どんな言い訳であろうと)本人の言い分を聞いて判断するのが、話が簡単であろうし、そもそもスジであろう。が、パウエル本人がアメリカにいたこともあってか、メディアが“突っ走って”報道した。多くは、パウエルを非難するものか、パ・リーグとしてどう裁定するかを論じるというものだったと思う。

 ふたを開けてみれば、パウエルの説明も論理が通っているように見える。もちろん、パウエルが嘘をついている可能性もあるが、それを検証して書く記事と、何の検証もせずに決めつけて書く記事は違うだろう。

以下は、5日午前のパウエル本人の「釈明会見」から。
パウエルの説明によると、オリックスが1月11日に「入団合意」と発表した時は、入団するつもりだった。オリックスから「ビザ取得を早めるために」との理由で統一契約書がファクスで送られてきたため、パウエルはサインして送り返した。

 その後、オリックス側が有利になるように契約条件を変更したいとの打診が数回あった。このため、パウエルは「もはやオリックスでプレーできない」と判断し、1月20日前後に代理人を通じて、オリックスに契約交渉の決裂を通告した。その数日後にソフトバンクから獲得の意思を伝えられ、代理人を通じて正式な統一契約書にサインしたという。
毎日新聞自身の報道から)

 さて、その3日前の2月2日毎日新聞(東京朝刊)の社説の結論部分から。
社説:パウエル投手 二重契約のごね得を許すな

 かつてパウエル投手が所属したオリックスが実績の割に格安の条件で再獲得に動き、そこにソフトバンクが割り込んだというのが背景のようだ。パウエル投手の代理人がオリックスとの正式契約の発効前にソフトバンクに話を持ちかけ、より有利な契約を結んだ可能性も高い。

 選手本人やその代理人が複数球団を競わせ、より良い契約条件を引き出そうとするのは当然だろう。だが、そのために二重契約まで引き起こすようでは日本球界もなめられたものだ。今後の外国人選手との契約にも悪影響を及ぼす。連盟、コミッショナーには毅然(きぜん)とした対応を求めたい。

 選手の獲得をめぐり、フェアプレーの精神に反した舞台裏の暗闘を見せられては、せっかくの球春も興ざめというものだ。
書く論調は高いが、これはすべて憶測だろう(ついでに言うと、2行目は「というのが背景のようだ」ではなく、「というのが事実のようだ」と書くべきだろう。文脈の背景を説明してるのではなく、事実関係を説明してるのだから)。事実、毎日新聞自身が報じている上の「会見」と照らし合わせると、これが一方的な憶測だけにもとづいて書かれていることが分る。「論じる」=「論文調で書く」ことではないのにな。

 昔、高校のときに、国語の勉強に「社説を読め」とよく言われたが、どうにもウサン臭くてだめだった。こういう「押しつけ」も、そこに嗅ぎ取ったのかもしれないな。

参考までに、「パウエルの一問一答」から
Q:オリックスの統一契約書にサインした時点では、オリックス入団のつもりだったのか。
 そのつもりだった。プレーするのがうれしくて興奮していた。だがオリックスはサインした後に、契約内容をオリックス有利に変更しようとした。誠実ではないと思い、交渉決裂を通告した。
Q:ソフトバンクからの獲得意思表示は、オリックスとの交渉中だったのか。
 交渉が決裂した数日後だ。
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2007年12月22日

ブラックユーモア?日本の自主規制

 まず、大リーグのオフシーズンのニュース。ニューヨーク・ヤンキースのチケットが大幅に値上げされた。グラウンドに近いボックス席は、250ドル(約2万8300円)と、なんと一気に100ドルもアップ。NBAのコート・サイド席のようになるのは、時間の問題か。

 これでは、子どもを連れて気軽に家族で野球観戦、なんてできないだろう
 ニューヨークでは、有名人か金持ちしかそんな席に座らないだろうな。選手に(特に、あのA-R選手)法外な給料を払うツケが来ている。いずれ、このしっぺ返しがくるんではなかろうか。

http://mainichi.jp/enta/sports/news/20071219k0000m050051000c.html

*********************

さて、
ぶったまげたのはこの日本のニュース。 なんじゃ、こりゃ?

*「今回の件は行政処分も受けておらず、あまり悪質ではないのに『食べてはいけない』と断定するのはいかがなものか」(ジェイアール西日本コミュニケーションズ)
*「車内の広告を扱った広告会社が、表現があまりに抽象的で直接的だと判断した」(南海)
*「通常認めていない意見広告にあたる」(東急、西武)
*「見出しを見る限り、例示が少なく誇大で事実誤認を招く」(東京メトロ)
*「内容が明白な事実と確認できない」(京成)

 まったくお笑い。ふだんの週刊誌の釣り広告の「見出し」はなんなのか。それとも、日本には、12月にも、もう一つエイプリル・フールができた? 
 まことに残念だが、その「口実」も含めて、これ、本当に日本的だと思う。“自主規制”、これに極まれり。みごとな横並びで――。


マクドナルド「食べてはいけない」 中づり広告を黒塗り

「食べてはいけない」の表現はいけない?――。大手ハンバーガーチェーン、マクドナルドの批判記事を掲載した週刊誌の中づり広告が、相次いで電車・地下鉄での掲出を断られたり、黒塗りや削除されたりしていた。プライバシーや性にかかわらない見出しを多数の社が拒否するのは異例。駅のテナントに入っていることとの関連を認める社もあり、出版社は反発している。

 問題となったのは、今月10日発売の「週刊現代」12月22、29日号の広告にあった「『マクドナルド』を食べてはいけない!」の見出し。先月27日に日本マクドナルドの東京都内のフランチャイズ4店舗で、マックシェイクなどの賞味期限偽装が発覚したことに関連し、「別の店でも期限切れの野菜が使われていた」などと語る元従業員の声を記事で紹介した。

(中略)

JR西日本、阪神、南海、近鉄などでは、「食べて」の3文字が黒塗りされた。JR西日本の車内広告を扱うジェイアール西日本コミュニケーションズ(大阪市)は、「今回の件は行政処分も受けておらず、あまり悪質ではないのに『食べてはいけない』と断定するのはいかがなものか」という。南海は「車内の広告を扱った広告会社が、表現があまりに抽象的で直接的だと判断した」と述べた。

 「食べてはいけない」を削除し、同じ記事の脇の見出しを拡大したのは、東京メトロ、東急、西武。「通常認めていない意見広告にあたる」(東急、西武)、「見出しを見る限り、例示が少なく誇大で事実誤認を招く」(東京メトロ)という。掲出を見合わせたのは京成、小田急。京成は「内容が明白な事実と確認できない」と説明する。

 マクドナルドは全国のJRや私鉄の駅施設や駅前に約750店を展開する。ほとんどの鉄道会社は「駅で商品が売られていることと関係ない」と説明する。だが小田急は「駅構内のテナントにも入っており、『食べてはいけない』商品を発売している認識はない。表現変更を求めたが拒否されたため、掲出を見合わせた」と説明する。
http://www.asahi.com/life/update/1222/OSK200712210096.html
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2007年10月23日

変装から身を守る――忍者の伝統?

071021日本・通り魔から身を守る変装小道具.bmp


 この手の「日本社会現象」は、“変わった日本”を探しているインターナショナル・ヘラルド・トリビューンやニューヨーク・タイムズ記事の、かっこうのエサになってしまいますな。
 帰宅途中などで悪漢から身を守るためのカモフラージュになるスカートを、発明したんだそうです。どれが、カモフラージュ「自動販売機」でしょうか?なかなか分りませんよね?

In Japan, refreshing ideas for the fearful
http://www.iht.com/articles/2007/10/21/news/japan.php

スライドショーもあって、日本人としてみても「これは、ちょっと……」というのが続きます。
http://www.nytimes.com/slideshow/2007/10/20/world/
20071020_JAPAN_SLIDESHOW_index.html



まあ、危険に対するこの真剣さ〜天真爛漫さ(?)が、日本的だということなのでしょう。

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2007年10月19日

日本人の「仲良しクラブ」

昨日指摘したコラムについて追記

 このコラム(ならびに、コメントへの返事)がひどくて、オソマツで、情けなく、ひとの知性を侮辱する行為だと思うのは、その、時に使われる乱暴な表現のせいだけでなく、自分と異なる意見に対する姿勢のせいである(その書き方が独善的で偏向していることは、良心についてのかなり重要な問題だとは思うが、好みの問題でもあるので、今は措く)。このコラムニストは、自分とあまりに異なる意見の持ち主に、「出て行け」(時に、もっとひどい言い方で)と言うのである。

 こういうコラムを読んでいるとムカムカするのだが、なぜなんだろうと考えた。

 異なる意見の排除――それは、この男性に限ったことではないんだろう。それは、日本人の「仲良しクラブ」的な傾向を表しているのだろう。そんなグループは、ネット上のあちこちの掲示板にも見られる。「そんなこというなら、ここから出て行ったらどうですか?」 “民主的社会”日本の傾向……。

 民主主義が「少数意見の尊重」にあることは、重要なポイントのはずだ。この傾向は、なぜなんだろうか。日本人が異文化の人との付き合いの歴史がないことに由来するのだろうか。異なる国・文化から来た人と始めて会った時に日本人にありがちな態度――これは、また機会をあらためて書きたいテーマだ。

 このコラムニストは、イギリスに学んで博士号をもらったと「自己紹介」に書き、海外通をきどっているので、笑ってしまうんだが。
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2007年10月17日

日本の新聞が分らないワケ

 とにかく忙しくて、書く暇がないのだが(レッドソックスの試合を追う時間さえない)、一昨日の補足。

 日本の巨大新聞は、ある事件の記事を読んでも、

なにが起こっているのやら、さーっぱり分らん

ことが多い。特に、なぜそんな奇妙なことが起こったのか、成り行きに納得できることは極めて少ない。(しかもだ、日本の新聞ほど、毎日フォローしていないと情報においてゆかれるメディアもめずらしいのじゃないかな。そもそも、記事自身が、事件の5W1Hがわかるように書いてあるとは思えんのである。以前から、何回も書いているが。ヘラルド・トリビューンとかNYタイムズとかル・モンドと比べると、それはひどいものだ。たとえば、朝日新聞の記事と、NHKなどのしっかりしたニュースを比べると分る。)

 日本のニュースや社会事情関係のメディアは、先進国ではかなりユニークなものだと思うのだが、その最たるものが週刊誌ではないかと思う。いわゆる「社会のウラ事情」「政治化の本音」は、「オモテ」の巨大新聞には書かれない。のみならず、鋭い「業界批判」「政治家非難」は、週刊誌の独壇場ではないか。

 これも、「2重構造」ゆえの社会現象なのではないか。「ウラ」のことを持ち出さないことになっている「オモテ」メディアは、「ウラ」で悪いことをする業界・会社を批判することは、当然できない。できるのは、「悪事」がかなり進んで、その弊害が社会に明らかになったときなのだ。そのような批判が書けるのは、「ウラの世界」があることを公然と前提にする、週刊誌やイエロージャーナリズムだ。

 「オモテの世界」の新聞は、「ウラ」を書かないことになっているから、「ウラ」で悪事を働いた商人や政治家を批判できず、さらに「記者クラブ」なんていう許可制の情報ソースに属さねばならないから、“当局”を批判なんてできるわけはない。

 そこで、商人・政治家の「悪人」を暴いて、溜飲を下げたい読者の人気を買うためのメディア、そんな「ウラ事情」を書いてもいいメディア、すなわち週刊誌が売れることになる。

 こんな風に、新聞が「本音が書けない」なんて、そして、本当の事情を知るために、人々が週刊誌を買ったり巨大掲示板を覗かなければ行けない国なんて、他の先進国にあるのだろうか。先日、ロシアのあの政府告発をしていたジャーナリストが殺された日の追悼デモがヨーロッパ中であったが、「2重構造」をまともに正々堂々やってる先進国なんて、ロシアと日本くらいのもの??

 ただ、週刊誌が上のように、ウラを暴いてくれるだけなら大歓迎なんだが、日本の週刊誌の問題は、「実際は存在しないウラ」まで暴いたりすることなんだよな。

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2007年10月15日

日本社会の2重構造

パリはめっきり寒くなった。パリジャンは、マフラーが好きなので、夏が終わる頃には、もうマフラーやスカーフをつけ、薄手のコート(これもオシャレのポイント)をきて歩く姿が数多く見られた。
寒いだけではなく、朝8時でもかなり暗い。7時では、まだ夜中という感じである。長い冬が待っているぞ、と感じさせるのである。

と、そんなことより、いま大変気になること。
仕事の合間に日本の新聞サイトを見て、ボクシングの「内藤×亀田」の試合があったことは知っていた。そしてその試合が、かなりスサマジイことになったのも知っていた。

この無法一家に興味があるわけではない。ただ、その結果と、そんな「スサマジイ結果」に至った経緯をフォローしていて、“日本社会のヤバさ”を感じざるをえなかった。これは、知らなかったことではなく、あらためて痛感したこと。

@日本には、暴力団やヤクザに代表される“下の世界”があって、日本に、否定しようがない二重構造を作っている。時に、“下の世界”が、恐ろしいパワーで出て来て、それが上の世界を牛耳っていることが感じられる。
Aその“下の世界”をメディア(大メディア)がちゃんと論じることは、まったくと言っていいほどない。社会組織にそれらが影響していることが明らかな場合でも、誰も公には語らない。

こんな印象を持っていた時に、東京上野で、元暴力団が白昼殺害される事件が起こった。ますます、この印象を強くしたのだった。

上の@とAを論理的に詰めていくと、(TBSはもちろんのこと)大ニュースメディアたちも、政治家も、どこかで暴力団につながっているのではないか、と思えてくるが、どうやらそれはあながちはずれではないらしい。

のんきなメディア(あるいは暢気ぶるメディア)は、12回の反則の無法さを書き立てる。あるいは、以前は大毅をベタボメしていたが、一夜にして批判する側に転じた元擁護者(テリーなんとかいう輩、吐き気がする)を取り上げて、「TBS内部分裂か」などと論じる(ああ、バカくさ)。これもどうせリークで書かせたんだろうし、問題はそんなチョウチン持ちの日和見がバッコしていることよりも、もっと深いところにあるだろう。

亀田一家が例の反則のためにJBCから罰則をうけたことが、昨日発表された。
しかし、この決定は、根本的にはなにも解決していないと思う。考えられ、JBCが触れていない問題は、たくさんある。時間がないので、ここでは、簡単に箇条書きに。

 *大毅の(特に12回の)反則ばかりが強調されるが、大毅のグローブから落ちたとされる「金属片」のことは?
 *なぜ、「金属片」を拾って外に投げたレフェリーは、何も言わなかったか?(買収の可能性?)
 *そもそもそのグローブの使用を許したJBCの立場は?
 *リングが本来より狭かった、ということにJBCはなぜ触れもしないのか?
 *なぜ、今回、罰則に「ファイトマネーの没収」が含まれなかったのか? この1億近くあるとされる金は、次の試合の資金になりうるだろう。つまり、近い将来の大毅の復活があるということ?没収されるだけの金がないとすれば、それはまたなぜ?
 *これまで、亀田一家を特別扱いしてきたJBCの立場は?

などなど・・・。これらが一切触れられなかったのは、ウラで何かがあったのだろうし、そこには興行にかかわる“グループ”からの圧力があったと見るのが自然ではないのか?
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2007年09月17日

日本人の政治的発言

前回、ニューヨーク・タイムズ紙を引用して書いた「安倍首相辞任」について、もうひと言。まあ、オッサンのグチである。グチを言うのは、おっさんの習性みたいなものである。

「日本人も、『いやあ、安倍さんだからこそこんな短期間に政府の信頼を失墜させたんだねえ、さすがだねえ』とか、距離置いて皮肉ってる場合じゃない」と書いたが、どうも、最近のブログ等での発言を含めて、日本人のいわゆる知識人といわれる人たちの政治に対する姿勢には、気になることがあるのである。

上の書き込みの裏には、日本の首相がこんな「情けない振る舞い」をする背景には今の日本の政治風土があり、日本の政治風土がこんな状態になった背景にはこれまでの歴史があるだろう、その意味ではその歴史に(投票やその他の形で)かかわってきた国民にも責任はあるだろう、というゴクゴク当然の論理が念頭にある。

ところが、日本では、いわゆる評論家を除いて、自称他称の「知識人」の発言が、妙に政治から距離を置いているように、あるいはそう言うのがまずければ、妙にはすかいに構えているように見えてならないのだ。もちろん、皮肉やシニカルさも、批判の一部として重要な武器であることはある。だが、日本でされる言説の多くの「皮肉やシニカルさ」は、対象にコミットしない姿勢や、それを小ばかにした雰囲気をかもし出しているように思われる。

これはなんなんだろう? それは、わたしが、フランスという、ほとんど誰もが政治的な発言をしたがる国にいるため、(以前日本にいた時よりも)なおさら強く感じるのだろうか。この国の投票率は、ゆうに80%を越える。選挙などの政治的イベントがあれば、テレビでは文字通り朝まで議論する国である。たしかに、国民性かも知れず、日本とは比較にならないだろう。しかし、そこには、「政治は国民である自分が作っているのだ」という信念が感じられる。それはたぶん、民主主義にとって非常に大事な信念だろうと思う。

<まっすぐに怒る>ことは大事だと思うのだ。日本のこの状況とフランス国民を比較するたびに、最近亡くなった小田実氏のことを思う。以前、このブログで「小田実の怒り」という文章を書いた。そこで、
「小田実が、その睨みつけるような風貌でなぜこれほどまでに怒っているのかというのは考える価値のある問題だと思う。あるいは、なぜ彼だけ怒っているように見えるのか、というべきか。日本人は怒らない――怒らないことを、なにか「大人らしい」こととみなして、怒るべき出来事を水に流して、いや、怒るべき出来事に目をつむっている国民だと思う」
と書いた。その思いは今でも変わらない。
http://dokugo.seesaa.net/article/7760861.html

日本では古くから、「政治はお上のこと」、「難しい議論は会話になじまない」、「真剣に議論する人は、とっつきにくい」という知的雰囲気があったと思う。そうした考え方には納得できないが、それを百歩譲って認めたとしても、いまの皮肉やシニカルさはなんなのだろうか。

これは、しばらく前に、日本社会に嵐のように吹きすさんだ「軽さバンザイ」だけではないと思う。これは、某巨大掲示板などでの一部の投稿者が見せる、片足は逃げ易いところに置いておきながら、“背中を向けつつ”断片的な言説を書き込んで行くという風潮と、なにか一致するものがあるような気がする。そして、それは、いまの日本人の多くが、実際に顔を見せてモノを言う時はとても消極的だが、顔が見えないネット上になると、とたんに雄弁に、さらに攻撃的にさえなる傾向と無関係ではないのかもしれない……。

一つの例外:Yahooに「Yahoo!みんなの政治」という最近できたコーナーがある。ここでは、各政治家について、誰もが「政策」「情報公開」「政治実績」などについて評価を下すことができ、自由にコメントを書き込むことができる(誰の指図か、なんと!時どき“批判的なコメント”が削除されるようだが)。読むかぎり、真剣な国民が多いことに驚く。彼らの怒りは健全で、決して非生産的ではないと思う。


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