2007年08月11日

日本の食料自給率、40%割る

実は、日本の食料自給率が低いとは思ってはいたものの、そこまで低いとは知りませんでした。これはちょっと危機的な数字ではないかと思うんですが。

日本て、目の前の新しいもの(工業製品とか衣類とか)にはすぐ飛びつくけど、こういういわば国民の“食生活のインフレ”に対する長期的な視点は、まるでないように思うなあ。なんかフワフワしていて、どうしても、パリのマドレーヌあたりのブランド街を手提げ袋をたくさん提げて歩く日本女性を連想してしまう。

(記事の最後にあるように)農業大国である(食料自給率でもある)フランスから見ると、「大丈夫かね」と思ってしまうのです。フランス女の「ファッション投資のシビアさ」「財布の紐のかたさ」については、またいずれ。

食料自給率:日本、13年ぶり40%割れ 06年度

農林水産省が10日発表した06年度の食料自給率は、カロリーベースで前年度比1ポイント低下の39%となった。40%の大台を割ったのは、コメの凶作で37%に落ちた93年度以来13年ぶりで、“平時”では初めて。世界の食料需給が逼迫(ひっぱく)する中で、政府は安定供給の方策の練り直しを迫られる。

 98〜05年度は8年連続で40%だった。06年度に低下したのは、日照不足、集中豪雨などの天候不順でてんさい、果実、いも類の生産が減ったことや、コメの消費が減ったことが原因。生産額ベースの自給率も1ポイント低下し68%だった。

 主な品目の自給率(カロリーベース)は、コメ94%、畜産物16%、油脂類4%、小麦13%、砂糖類32%、魚介類59%、野菜76%など。


 政府は食料・農業・農村基本計画で15年度に自給率を45%まで引き上げる目標を掲げている。しかし、横ばいから反転せず再び低下に向かったことで、目標達成は厳しさを増した。岡島正明総合食料局長は会見で「危機感を持っている。自給率に大きく影響を与えるコメ、飼料作物、油脂、野菜に対策を集中する必要がある」と述べた。


 主要国の自給率は▽米国128%▽フランス122%▽英国70%(いずれも03年)など。06年度も日本は先進国中最低水準だったとみられる。【位川一郎】

毎日新聞 2007年8月10日 15時14分 (最終更新時間 8月10日 19時10分)
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070810k0000e020094000c.html
(参考)
http://www.asahi.com/food/news/TKY200708100323.html

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2007年06月13日

コムスン・NOVA問題

 このブログの日記エントリーが、900を越えたんだそうだ。こんな駄文をアメリカ時代から何年も書き続けているが、そんな数になっているとは、ちょっと驚いた。1000稿になったら、何かお祝いでもやるか。その時までこれを読んでくれる読者がいるかどうか、分らないが。そこまで生き延びたお祝いとして。
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 日本のメディアによれば、
「コムスン」処分を受けたのに続いて、NOVAが営業停止を食らった。

 しかし、この2社とも、ずっとずっと以前から、大変な問題があることは知る人ぞ知るの事態だったのに、なぜ今、国は突然「処分」するのだろうか。年金問題でうけた非難がすぐ行われる参議員選挙に影響しないように、政府がいわゆる“ガス抜き”を図って(謀って)いる、と考えるのは簡単だが、それだけだろうか。しかも、グッドウィルグループ関係の「問題」が、いま、ぞろぞろと出てくるのはなぜなのだろう?

 
しかも、こんな出来事が、今ごろ(!)報じられている。

NOVA社長、国会議員連れ市長面会 解約トラブル巡り
http://www.asahi.com/national/update/0611/TKY200706110268.html 

 もっと不可解というか、腹が立つのは、メディア(特にフォローしているのは、朝日新聞)がこぞって同じように、これらの問題を報じていることである。政府が情報操作していない(?)としても、こういう不自然な出来事を「悪がついに裁かれた」みたいに報じるのは、政府側とグルになっていると思われても仕方ないんじゃないか。イラク戦争当時ブッシュを批判できなかったアメリカのメディアよりも、タチが悪い。 

 前に書いたように朝日は国際事件報道も情けないかぎりだが、こんな具合では、「権力の監視機能」「批判権力」なんて看板は掲げないほうが良いと思う。
 (追加:数日前に書いた「カナール・アンシェネ紙」は、第一紙面に「毎週水曜発行・風刺新聞」と、はっきりと表示してある。何度も言うようにこれは良い新聞だが、まず風刺新聞でない普通の新聞をフォローしてもらいたいものである。)
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2007年04月20日

腐ってるよなあ

日本のこの手の「協会」というのは……。
バスケット評議員会、流会の見通し

200704200316

http://www.asahi.com/sports/update/0420/TKY200704190404.html

3月の評議員会で06年度の補正予算案が否決された日本バスケットボール協会が22日に再度開催を予定していた評議員会が、流会になる見通しとなった。


 開催には評議員数77の3分の2以上の出席が必要だが、関係者によると、半数近くが欠席するという。反対派は昨年に日本で開催した男子世界選手権で約13億円の赤字を出した執行部の人事刷新などを求めている。


 執行部は19日までに評議員を新たに25人増やすことと、補正予算案に反対した4人を評議員として認めないことを決定。これに反対派が反発、欠席の意思を固めた模様だ。石川武専務理事は予定通り評議員会を開催する方針を示した。
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2007年04月12日

日本の床屋組合い事情(聞)

 こちらで働いていらっしゃる床屋さんに教えていただいたお話し。なにぶん事情が良く分っていないので、伝聞の記録に間違いがあるかもしれない。あらかじめ、それをお断りしておく。

 なんと、フランスと日本は理容師免許が共通なのだそうだ。車の免許もそのまま書き換え可能なので、二国間でなにか協定のようなものがあるのだろうか。もちろん、とは言っても、言葉やその他諸々の問題もあるので、日本の理髪師がパリですぐ開業できるわけではないそうだが。

 さて、日本では、理容師の組合いは、各県にいくつかあるのだそうだ。そこで、くだんの床屋さんは日本の組合いの会合に出たときに、組合いを統合することを提案したという。組合いには「理事会」なるものが付いているから、「組合いの統合」は「理事会の統合」を意味する。

 理事会を統合すれば、理事は元の数は要らなくなるので、理事を辞めるものは「理事の給料」なるものをもらえなくなる。床屋もせずに理事をやって生活している者は、食いはぐれる勘定だ。そこで、組合の統合に断固として反対するのだそうだ。

  困った人たちだが、この構図、日本の他の種類の組織・企業にも見られるのではないか。人を律するべき「長たる者」が既得権益にすがりつくのは、上(政治家)から下まで、日本の伝統かもしれない。
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2007年03月29日

日本の新聞の国際面

 パリに来て、新聞といえば、インターナショナル・ヘラルドトリビューン(IHT)紙ばかり読む。フランス語の新聞は、残念ながら歯が立たないので(情けない)、たまに目を通すくらいだ。

 この新聞IHTは、ニューヨーク・タイムズ(NYT)紙が親会社なので、ニュースがかぶることが多い。しかし、それでももともとヨーロッパにいるアメリカ人を含む英語国民を対象として生まれた新聞なので、ヨーロッパ諸国についてのニュースはカバーがしっかりしている。いやヨーロッパばかりではない。中東やアフリカについても最低限(と思う)であってもちゃんと情報を伝えている。

 そんな新聞を毎日読んで、時々インターネットで日本の新聞を読むと、日本はどんなメジャー紙でも国際面作りがとても貧弱だと思わずにはいられない。まず、発行されている紙面のページ数が、朝日新聞でもIHT紙の3分の1ほどである。

 明らかに海外のAPAFPを訳して(しかも部分だけ)いるのを読んだりすると、これで海外に駐在員・特派員を送っているメディアなのか、とため息が出る。それだけではない。自分に利害関係がないと(すぐには)取り上げない。遠くで起きた対岸の火事的な出来事ばかりでなく、近隣のアジアで起こったものでもそうらしいのである。最近は、中国やフィリピンなど、アジアでの出来事を日本での新聞のインターネット版よりも、NYT紙インターネット版で早く読むことが多い。
 

なんでも早ければいいものではないが、新聞(特にインターネット版)は、やはり速さが売り物だろう。朝日新聞のインターネット版は、それより数時間遅れていたと思う。(さらに厳密に言うと、ポスティングに「表示した時間」(数時間の遅れ)よりも、実際のアップは遅れていたと思う。)


 たとえば、328日にフィリピンで34人の人質をとってバス・ハイジャック事件が起き、10時間ほど後に人質は解放された事件がそうであった(犯人の動機は、デイケアにいる145人の貧しい子どもたちの教育環境改善を要求してのものだった)。NYT紙インターネット版は、それをほぼリアルタイムで伝えた。次の記事の日付は、両方とも28日である。最初のはロイターの配信記事だが、2番目のはマニラにいるカルロス・コンデ記者の記事である。フィリピンで事件が起きたのは世界標準時で1時、人質が解放されたのが10時間後の11時である。事件はほぼ3時間の差で、論評記事も5時間ほどの差で伝えている。 
Children Freed as Philippine Hostage Drama Ends
By REUTERS
Published: March 28, 2007
Filed at 9:14 a.m. ET (世界標準時1414
http://www.nytimes.com/reuters/news/news-philippines-hostages.html 

Children Held in Manila Bus Siege Are Release
By CARLOS H. CONDE
Published: March 28, 2007
http://www.nytimes.com/2007/03/28/world/asia/28cnd-phils.html?ref=asia
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2007年03月22日

酔いにまかせて日本のグチ

 ほぼ半徹夜の仕事が続いて、それがやっと終わった。昨夜(今朝)は、5時まで仕事をしていた。今日は、仕事がないので、昼間から酒をグビグビ飲んでいる。 

 人間、こうしてクズになります。注意しましょう。

酔いに任せて、勝手なことを。
 

時間に終われるような毎日だったが、そういうときに限って、下らないウェブサイトをのぞきたくなるのはなんなのだろうか。 ある有名作家の小説を叩くブログが気になって読んだりする。この老作家の書く文章、ボキャブラリーが貧しく、プロットはありきたりで、昔のもののリサイクルばっかだ。ウリは、不倫の成り行きと情交描写だそうだ。
 しかし、出てくる女には性の歓び以外の感情が描かれておらず、したがって、男女の会話はあっても、あっと言わせるやりとりなどない。こころの交流どころか、驚くような「異性」の発見も、深い自己反省も。昔から避けていたが、最近またちょっと読んでみて、さらに悪くなったと思った。 
 
 こんな作家が、なんで日本で売れるのか理解できない。たしかに、批判的な人も最近では増えて、ついこのあいだ出版された本はあまり売れなかったというが、それでも40万部である。一部の中年のおば様などにも人気があるというから、彼女たちはいたい何を考えているのだろう……わからん。 

 こういう作家にも編集部がついているのだろう。彼らはプロなのに、明らかにツジツマが合わないこと、日付の間違い、言葉の誤りを、なぜ指摘しないんだろう。相手が大御所の老作家ゆえ、腰が引けているのか……わからん。しかも、この作家、有名な賞の選考委員だという。彼のためにいい小説を没にされる優れた物書きもあったろう。腹が立つことである。

    この作家を叩く・持ち上げるブログというのも、よくわからない。この手のサイトをしばらく覗いていると、書き込む人たちが、みな同じような意見に同調していくのが手に取るように分る。意見が会わない人を「意見が違うなら、じゃ出て行けば」と追い出すのだ。仲良しクラブ化していくのだ。

 先日、パリに30年以上住んでいる日本人と話していた時のことだ。彼は、時々、日本の政治関係のブログを覗くことがあるが、「仲良しクラブ化」していることに驚くという。意見が違う人と話すからこそ、インターネットの価値があるのに、と言っていた。

 それも、まあ、おれの好みの話であるから、いいとして。
 その他にも、いろいろ気づいたことを。 

 20日の深夜、厚労省はタミフルの10代の服用制限を制限する通達を出したが、厚労省は、あいかわらず、服用と飛び降り・転落事故による死亡を含む異常行動の因果関係については否定的だった(22日に「否定」を撤回)。

http://www.asahi.com/special/070320/TKY200703200508.html 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070321-00000005-mai-soci 

 しかし、その「否定」の根拠とされる、横田教授を中心とする研究班の調査は、どう考えてもおかしい。研究班は、06年の冬、患者約2800人を対象に調査を実施し、服用者・非服用者で統計学的な差はなかったとした。しかし、この患者の8割が10歳未満であった。047月以来、15件の10代の異常行動が報告されていたのにである。これだけの数の異常行動を知っていながら、調査対象に半分も10代を入れないのが科学的にも基本を無視しているのは、素人でもわかる。
http://www.asahi.com/special/070320/TKY200703210225.html 

 横田教授は、タミフルの販売元中外製薬から金をもらっていることが判明した。論理的には、「なら、こんな意図的な調査は……」とは、子どもでも分りそうなものだが、いつもハイエナのようなマスコミも、このことをあまり叩いているようには見えない。「あるある」ではあんなに叩いたのに。朝日の社説なんかも、軟弱。……わからん。 

  ついでにいうと、イシハラ氏がまた都知事選に出るそうな。三選目である。あんな子どもみたいな人に票を入れた都民も、わからん。

 というわけで、また酒を注ぐ。
 人間、こうしてクズになります。注意しましょう。

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2007年02月23日

「担保する」

 こんな記事が。ちょっと長いが、最近のインターネット事情を反映して少々おもしろいので。

ウィキペディア頼み、誤答続々 米大学が試験で引用禁止
                                                                                200702230259

 米バーモント州にある名門ミドルベリー大学の史学部が、オンラインで一定の利用者が書き込んだり修正したりできる百科事典「ウィキペディア」を学生がテストやリポートで引用することを認めない措置を1月に決めた。日本史の講義をもつ同大教授がテストでの共通の間違いをたどったところ、ウィキペディア(英語版)の「島原の乱」(1637〜38)をめぐる記述にたどり着いたことが措置導入の一つのきっかけになった。

  日本史を教えるニール・ウオーターズ教授(61)は昨年12月の学期末テストで、二十数人のクラスで数人が島原の乱について「イエズス会が反乱勢力を支援した」と記述したことに気づいた。「イエズス会が九州でおおっぴらに活動できる状態になかった」と不思議に思って間違いのもとをたどったところ、ウィキペディアの「島原の乱」の項目に行き着いた。
  ウィキペディアに基づいて答案を書いたと思われる例は以前からあったという。「大変便利で、調べごとの導入に使うことに全く異存はないが、一部の学生は書いてあることをそのまま信じてしまう」と教授は言う。

 同大史学部では1月、「学生は自らの提供する情報の正確さに責任をもつべきで、ウィキペディアや同様の情報源を誤りの言い逃れにできない」として引用禁止を通知した。ドン・ワイアット学部長によると、「同様の情報源」とはウェブ上にあって多数の人間が編集することができ、記述の正確さが担保できない情報源を指すという。

 学生の多くは納得したが、「教員が知識を限定しようとしている」との不満も出た。他学部には広まっていないという。

 島原の乱をめぐる記述はニューヨーク・タイムズ紙がこの問題を取り上げた21日、修正された。

 ウィキペディアの創始者のジミー・ウェルズさん(40)は「慈善的に人間の知識を集める事業であり、ブリタニカと同様以上の質をめざして努力している。ただ、百科事典の引用は学術研究の文書には適切でないと言い続けてきた」と話す。
http://www.asahi.com/international/update/0223/002.html

 日本の新聞の外国関係の記事ってかなり恣意的、なぜ他のを差しおいてこれを取り上げるのか奇妙、ということはここでは置こう。おもしろいけど、なんでいまさら?という感じである。アメリカにいた頃から、良識のあるちゃんとした先生はウィキペディアどころか、インターネットの情報を引用現にすることを禁じていた。


 ところで、この「担保」という語、気になる。もともと法律系用語であることはわかる。(広辞苑では「債務の履行を確保するため債権者に提供されるもの。抵当権や保証の類」、大辞泉には「将来生じるかもしれない不利益に対して、それを補うことを保証すること、または保証するもの」とある。) 

 が、それ以外の「保証する」程度の意味しかないのにわざわざこの語を使うケース(特に学者・役人系)が多いような気がする。ならば単に「保証する」と言えばいいのに、ペダンティック(衒学的な)悪趣味としか思えない。わたしは、難しい言葉を無意味に使いたがるやからが大嫌いである。この語を見るたびに、いつもイラつくが、確証がほしい。

 で、調べてみたが、ネット(!)の辞書は、みな法律用語しか意味としてあげない。それらしい鍵になるのは、やはり『ウィキペディア』にあったが(笑)、これではジョークなので、他に探すと、あった。http://okwave.jp/qa2717340.html
 なんだ、やはり、(別のものでの具体的な)「保証」「確保」じゃないか(これだけでは、根拠がちょっと充分ではないが)。  

日本人、どうしてもっと判りやすい日本語使わんのかねえ。難しい語を使いたがるのは、ほんと日本人の一種の病気だな。

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2006年08月30日

最近の若者?

 家にある家具を捨てるのはもったいないし、少しでも家計のたしに、ということでネットで売りに出した。本棚の興味を示した方が、ひき取りに来た。

 来た若者、見た瞬間、一見その辺にいるイケイケおにぃさんである。これはやりにくいな、と思ったが、とても慇懃で礼儀正しい。本棚を持って行ったあと、その夕方にメールが来ていて、これも丁寧な御礼の言葉であった。

 返事に「○○さまのような礼儀正しい方に引き取っていただいて、とても気持ちが良かった。いい土産話ができました」というようなことを書いたが、とても気持ちの良い経験で、暑くて疲労困憊の毎日の中、一服の清涼剤であった。
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2006年08月28日

日本のマンガと暴力

 通訳を受け持ったアメリカ人のうち、一人の男性R氏は考古学者なのだが、まさに博覧強記とは彼のようなことを言うのだろうと思った。西洋文明について、古代から現代までの3000年以上に渡る歴史について、ことこまかに把握しているのだ。特に、宗教関係は微に入り差細に行って諳んじている。いまでもなく、ユダヤ・キリスト教文化あるいはインド=ヨーロッパ文明について、宗教は核である。

 R氏本人の言うところによると、まず司祭になることを目指して神学校に入ったが、宗教界のあまりの腐敗にウンザリして、卒業後は宗教活動を続けることを諦め、専門を考古学に換えたのだという。一時は大学でも教えたが、バカバカしくなり、辞めてしまったという。R氏の性格を考えると、内部の“政治”にウンザリしたのだろう。

 温泉街から東京へいっしょに帰るという彼と、電車の中で、話しをしていた。最初、彼は、なぜか、秘書の有能さを話題にした。どの会社や機関にも秘書がいるが、何でも知っていて有能な秘書のヘッド(元締め的存在で、たいていは年寄り)がいるところほど優れた機関だというのだ。そこから、話は日本文化について及んだ。彼は中国文化には詳しい(その後は中国へ渡って発掘調査を手伝うとのことだった)が、日本文化には通じていなかった。

 議論は、日本文化、特に、マンガの世界になぜ暴力が多く描かれているかというR氏の疑問から始まった。それにたいして、オレは、桜吹雪の唐獅子牡丹のヤクザ映画、戦争中の日本軍の(いわれるところの)「残虐行為」から、最近のマンガのヒーローが肉体は超人間的だが内面はみょうにひ弱で繊細なことを話した。R氏は、朝から晩まで働かされる日本の会社の抑圧的な仕組みを見ると、どこかでガス抜きをしなければなるまい、と言い、「しかし、それは、現代では、実際には不可能でしょう」。

 オレが、日本には昔から「ハレとケ」という一年のサイクルの見方があったと言うと、R氏はそれに大いに興味を示して、興奮しながら「それならば、そういうサイクルがなくなった現代は、どこかでその代償を求めねばならないでしょう」と指摘した。そこから、ふたりで、現代のマンガのヒーロー考を推し進めたのだった。

 日本社会という特殊な社会に必要なヒーローとは、という結論に達したので、ふたりで電車に同乗していた関係者に興奮しながら話すと、関係者たちは、この忙しいのにマンガの話か、今はもっと大事な話をしているのだ、と言下に見下したようにいった。

 R氏とオレは、半分がっかりしながら、お互いに眼を合わせた。眼と眼の会話が、こういうことに興味を示せないなんてねぇ、ゆとりがなくて残念だねえ、と語っていた。
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2006年08月26日

丸山真男と日本社会

 海外にいる日本人は、よく仲間だけでかたまったりする。そういうのは韓国人や中国人(チャイナタウンを見よ)やヨーロッパ人などにも見られるから、まあOKとしても、その日本人同士の中でさらに強烈な“分類”“住み分け”が起こる(そしてこちらがはじき出される)のに、「はぁ?」と思った経験は数知れなのである。

 それは住んでいる場所による区分だったり、行った大学によるグループ化だったり、はては持っている渡航ビザの種類による“等級づけ”だったり……。まったくなあ、個人として生きていかないと、現地の人に個人として相手にされないよ(現地の人は、たとえば同じ学校には行ってないのだから)、とロジおじさんはアメリカにいた頃、よくため息をついたものである。

 思想家、丸山真男についてのビデオを観る。丸山の言葉で印象に残ったものをいくつか。日本人の(特に海外にいる日本人の)行動の仕方について長年思ってきたことを、うまく指摘していると思った。
  1. オウム事件では、日本でしか通じない“論理”というものを見たと思う。(あの悲劇的事件はオウムという特殊なグループでしか通じない論理によって起きたともいえるが、その「自分にしか通じない論理」というのは、日本社会全体に無関係というわけではない、という意味。)
  2. 日本人は、自分のと違った分野、自分と違ったグループとは、あまり交流しない。
  3. 日本人に特有なのは、いわゆる「他者感覚のなさ」というものである。仲間とばかり話したがる。
  4. 認識というのは(周りでさまざまなことが起き続ける以上)無限に続くものだが、その無限の認識過程を断ち切るところに「決断」が生まれる。私も決断をしなくてはならない(東大の職を辞するにあたって)。

 2番目の「自分と違ったグループとは交流しない」というのは、海外の日本人によく見られる現象だと思う。海外にいるのに、すぐ「出身大学はどちらですか」と、日本の“出自”をたずねる日本人は多い。同じ大学だとホッとするらしい。仕事も同じ業種だと話が盛り上がるが、そうでないとほとんど会話が進まない男性たち。しかたなく、お互いに知っている漫画やテレビ番組の話。そして、そういう共通の話題があるときの盛り上がり。日本人社会の全体に広がる“仲良しクラブ”現象。

 そこにあるのは、「自分と違う者」との接点を求める姿勢よりも、自分と同種・同質の者を探し求める態度だと思う。仲間とばかり話したがるのはそのせいだろう。常々、日本人には、いわゆる「社交性」というものがないんじゃないかと感じているのだが、それは日本人のこういう「他人の壁」メンタリティーで説明できるかもしれない。

 こうしたことを、生涯一貫して理論的に指摘し続けた丸山の原点は、反権威・反「タコツボ化」だった。「タコツボ化」というのは、上に書いたような「仲良しクラブ」的な傾向を言う。ビデオを観て、その生涯を通じて、学生のとき受けた影響が色濃く反映しているのが分かった。
  →さらに詳しくは、「酔眼妄語」へ。
  http://blog.livedoor.jp/mougo/
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2006年08月25日

バカの壁

日本にいる間にできるだけ読書もしようと、ローヤー木村著『リコウの壁とバカの壁』というのを読んでいる。養老孟司氏の『バカの壁』に対する一種の評論である。いや、「バカの壁」というコンセプトを使って養老氏を批判する体をとりつつ、そのコンセプトで日本社会を批判するという痛快な本である。

 なにより、元になっている本とはまったく逆に、分かりやすく書かれているのがいい。養老氏の著書は、主張していることも、その不必要に難解な書き方も、かなり「いかがなものか」的なシロモノと思っていたので、この本に出会ったときは思わず喝采の声を上げた。

 『バカの壁』のような本が、なぜこんなに日本で売れたのかも理解に苦しむ。どこに問題があるかを知りたい方は、この『バカの壁・リコウの壁』が上手く説明しているので、ぜひ読んでほしい。
 
 しかし、もっと不可解なのは、その主張は矛盾・自家撞着・非論理・韜晦があふれているのに、なぜ養老氏が、人生相談や(その人間観はちょっとどうかと思うものが含まれている)、コンクールの審査員や、講演などにこれほどもてはやされるかということだ。日本のメディア界、いや社会は不思議でしかたがない。
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2006年08月21日

「耳ざわりの良い」

テレビも無くなったので、しかたなく、食事の時などにはラジオを聴いている。

甲子園の熱戦を見ることはできないが、思わぬ発見をする。NHK・AMラジオの第1放送が、ゴールデンタイムにけっこう若者向けの番組をやっていたり。たとえば、若い人の「短歌合戦」のようなものとか。(しかし、ほんとうに若い人たち、チューニング・インしてるんですかね?)

NHKのFMを聴いていたら、あるポップな曲を紹介する女の子が「とても耳ざわりの良いサウンドです」と言っていた。

「みみざわり(耳障り)」を辞書で調べると、
聞いて不愉快またはうるさく感ずるさま。
「―な音」「―なうわさ話」(大辞林 )

とある。

NHKは「素人に毛の生えたようなアナウンサーまで関知するところではない」と言うのだろうが、ますますヒドクなるなぁ、日本のことば。日本を出る前に、それが分っただけでもいいか?
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2006年07月07日

ノンキな国

昨日、珍しく早起きしたので、NHKでワールドカップ、フランス対ポルトガル戦を観てたら、お隣の国から、ミサイル発射のニュース速報。

やはりこの国の安否が気になり、ややしばらくして他のチャンネルに回した。

ところが、どのチャンネルも、プロ野球、コスメ、グルメ情報ばっか。ミサイル発射については、日テレがかろうじて報じてただけ。 まったくノンキです、この国。きっと実際にミサイルぶち込まれても、民放は、同じようにクダラヌバラエティーやってるのだと思います……。
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2006年06月27日

「批判しない」日本のメディア

日本がブラジルに負け、1次リーグを敗退したその翌日(24日)の朝日新聞朝刊の第一面に、日本代表に関する中小路徹氏の署名コラムが載った。

ポイントは、ジーコの方法論――戦術の大枠だけを示し、あとは選手個人に自分の能力を最大限に出すことを求めたやり方は、時期尚早だった、というものだ。ただし、「方向性は間違っていなかった。日本はこれまで個人能力の劣勢を、組織力を研ぎ澄ませることでカバーしようとしてきたが、それは、現実的な策ではあったが、個人能力の不足と正面から向き合わない、逃げでもあった。つまり、戦うのは選手なのだというジーコのメッセージに、チーム全体が応えなかった」という保留つきであるが。

それはいい。問題は次だ。そのコラムの中に、「決定力が課題なのに、練習でシュートを外して笑っているFW」というくだりがある。

ブラジルに惨敗して、こういう指摘が多く出ているようだ。しかし、なぜこの国では、こういう「批判」はいつもうまく行かなかった後で出てくるのであろうか。「シュートを外して笑っている」のが、「リラックスしてやっている」と評しえないものなのなら、それはいつやっても困ることだろう。なぜ、練習観戦レポートの中に書かんのか?

「試合前に意思消沈させてはいけない」などと考えているのだろうか。そもそもこの国のメディアは、負けや引き分けても激しい批判はしない(先日の柳沢のプレーについての記事を参照)。勝ったら、なおさらそんなことは考えられない。

ドイツやイタリアのサッカーメディアは違うようだ。両国とも、選手のパフォーマンスを厳しく査定する。ドイツのメディアが容赦ないのは有名である。たとえば、ドイツのDFヤンセンは、開幕直前に日本と引き分けた試合のプレーを批判され「あなたは日本に2点取られた。もうW杯での出番はないだろう」と言われた。

イタリアでは、引き分けに終わった18日のアメリカ戦の後、自国選手に対する厳しい評価が下った。2-0で勝った22日のチェコ戦でも、一部の選手は厳しく非難された。ちゃんとしたプレーができないなら、試合のための真剣な準備ができないのなら、それはダメだと言う――それが、成熟したスポーツ文化というものだ。

なんでも持ち上げるこの国のスポーツメディア、それは、自国のチームが大事な試合に負けても、会場でにこやかに記念撮影する日本サポーターの姿と重なる、と言っては言いすぎだろうか。

しかし、「地に堕ちるまでは非難しない」裏を返せば「地に堕ちたら非難しまくる」この文化、考えてみれば、あらゆる事に通じているようだ。政治でも、政治生命が傾くとそれまでの“失点”が、選挙で敗れると選挙戦中の“失態”が、尾ひれをつけて書かれる。事件を起こしたものがその翌日から袋叩きにあうのは、この国の週刊誌のお決まりのノルマである。

これは、強いもの長いものには巻かれる、という(村社会的な?)精神風土の裏返しなのだろう。権力や“選ばれし者”を批判できないメディアは、「御用メディア」とまでは言わないが、本当の事実を伝えないと言われても仕方ないだろうと思う。そんなメディアに踊らされる人々もまた……。
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2006年06月16日

独自取材による実名報道

例の秋田県藤里町の男児殺害事件、容疑者が逮捕されるはるか以前から、あちこちの週刊誌に「犯人」と特定されかねない記事が載り、実家の前には非常な数の報道陣が張り込んだ。ネット上ではその様子が流れたという。

昨日の朝日新聞に、その「犯人視報道」についての論評記事が載っていた。

朝日の質問にたいして、“過激”週刊誌の一つ、週刊現代の編集部は「独自取材で、畠山容疑者が事件にかかわっている可能性が極めて高いと判断した」と答えている。

こりゃあ、かなりの発言だな。のちのち本当でないことが分っても、その段階で「可能性が極めて高い」と判断されれば、または、冤罪でも「独自取材で」かなり怪しいと思うならば、実名報道(「彩香さんの母」というのは、実質的に実名報道である)してもいいとゆうわけなんだろう。

日本のイエロージャーナリズムは(も)その程度、と言えばそれまでなのだが、こうしたことが放置されているだけでもかなり問題だと思うが。

それにしても、これほど毎週のようにスキャンダルを暴く週刊誌、週刊誌関係者(編集者とか)がそのネタになったというのは(嫌われものの『朝日』以外)ないと思うのだが、これは、おたがい不文律でもあるのだろうか。「他人のモラルを突き上げる○○週刊誌の編集長、大不倫」とか、いいネタになると思うのだが。
注:松本サリン事件の教訓として、新聞各社、放送界は人権を考える機関を作ったらしいが、それは、形だけだったようだ。喉もと過ぎれば暑さ忘れる。

人権に関して「すぐ忘れる」のは、日本のメディアの十八番、いや、「人権」という概念そのものが、日本にはないのかもしれない。「プライバシー」をたてに情報公開を拒む政策は、そのコインの裏だと思う。
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2006年06月15日

若い娘と日本の男

アメリカの大学からの有名な学者による講演会に行った。

講演は英語で行われたこともあってか、会場はひと言も聞き逃すまいと、静寂そのものであった。講演者の声だけが流れる厳粛な雰囲気である。

30分も過ぎた頃、入り口近くで、カンカンとみょうな音がした。オレは入り口近くに座っていたので、もろにその音が聞こえる。見れば、カメラを持った女性が歩き回る音である。

胸に名札をつけているので、主催者側の写真担当らしい。ワンピースでおめかししているが、足元を見ると、ミュールというのか華やかなサンダルを履いている。講堂の床は硬質の木製である。その音であった。

このような会に、なぜそんなサンダルを履いて来なければいけないのか、いや来たがるのか。それが許されると思うプロフェッショナルじゃないメンタリティーが、ちょっとなあ。華やかに着飾って、チヤホヤされたいのだろうか。

会が終わってからも、なぜかムカムカして後味が悪かった。その後味の悪さをよく考えてみたら、若い彼女がそういう不適当な格好で来たのは、あらかじめ周りが注意をしなかったためともいえるし、いや、つまるところ、かわいく小綺麗にしてればマズイことをしてもチヤホヤしてしまう男のエライさんのせいなのだろうと、思いいたった。

以上は、オレの偏見だろうが、それでも、彼女がオバカなのは、甘えているだけでなく、甘やかしている男が回りにあふれているからではなかろうかと思うのは、日本の“男性風土”をみればあながち外れていないのではないだろうか。若い女性をめぐる、こういういかにも日本的な風景は、女性を物あつかいして痴漢行為を繰り返す日本の男たちの風景と、背中合わせでではないかとも思ったりするのである。
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2006年06月01日

本当の「危険」

 一昨日の、今の日本女性について、「効率性やコストパフォーマンスなどばかりを追求して、自己保身にあくせくする女性が多く」というひと言についての解説。

 じつは、こう思うのは、女性ばかりではない。男性もそうだ、いや、もっとヒドイんではないかと思う。特に若い方々が。

 自分は危険にさらされず、手を汚さないことが、その哲学のように見える。利益追求でも、楽しみや娯楽でも。テレビやネットは、自分が危険にさらされない娯楽のための、最高の方法だ。

 痛い目にあったり、額に汗したり、自分の立場や論理を追求したりするのは、ダサくて(死語か?)、トロくて、流行にそわない、と思っているのだろう。そんな重苦しいことを避けて、シュミレーションや疑似体験ばかりが流行る。その典型が、ディズニーランドや、行った気分の「異国情緒あふれる」レストランや場所なのだろう。安全を確保された世界で、安穏としていられるのだ。

 こうした人は、できれば「自分は危険にさらされず、手を汚さない」方が良いに決まってる、と言うのだろう。しかし、誰かほか人が(それは日本にいる別な階層の人々かもしれない、別の国の人々かもしれない)、自分たちの代わりに、本当の「危険」や「汗」にまみれていることに、気づかないのだろうか。自分たちの安全は、沖縄や別の所の人たちが「危険」を“肩代わりしてきた”からこそ、与えられていることに気づかないのだろうか。

 こういう暢気さは、見ていて耐え難いな。
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2006年05月12日

この国の性意識

この国は、大和の昔から、性的にはオオラカな国であった。伝説に聞く天の岩戸を開けさせたのは、いわゆるセクシャルダンスのおかげであった。江戸時代も、浮世絵のいわゆる「枕絵」は、人気歌舞伎役者の姿絵とならんで、引く手あまたの人気の品であった。

アメリカやヨーロッパでテレビ番組を観てきたから、性やセクシーさを題材や手段にしたものには慣れている。しかし、最近の日本の「性の解放」をみるに、いわゆる“きわどいお話”やテレビに出る女性(やニューハーフ(?))の装いをも含めて、ただ品がないだけと感じるのは自分だけだろうか。

出てくるものも、場当たり的、あるいは、笑いが取れ注目を浴びられれば脈絡がなくてもいい、というようなモノが多い気がする(そういえば、昔から、この国の映画には、唐突なベッドシーンが多かったなあ)。CMや語学講座の頻繁なガイジン登用とならんで、品のない下ネタは、日本のテレビ番組の十八番のようである。

そんなことを思っていたら、朝日新聞の「声」の欄に、7歳の女の子の投書が載っていた。
「おもしろいばんぐみのと中で、コマーシャルになると、はずかしくなることがあります。下ぎすがた女の人が出てきたり、おっぱいとかパンツとかが見えそうな女の人がうつったりします。そんなところを見ると、恥ずかしくなるし、いやな気もちがします。」
テレビ番組は、ほとんどバラエティーショー化し、バラエティーショーは(性的にもおおらかな、または、えげつない)深夜番組化している。友人のアメリカ人、リチャードは、「この国のテレビは、ほとんどバラエティーショーという芸のないタレントが驚いたり、旨い物を食ったりする番組ばかりだ」と笑ったことがある。こうした番組では、性的にもきわどい話が多いようだ。CMの“おおらかさ”の水準が上がるのも自然なことかもしれない。

その麻痺した感覚をオカシイと感じているのは、この国に来るガイジンと純粋な子供だけなのかもしれない。
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2006年05月08日

高利貸し国家?

消費者金融アイフルが営業停止になったが、こんな記事が。

違法な取り立てなどで、金融庁から業務停止処分を受けたアイフルと提携している全国82の金融機関のうち81機関が、提携ローンの新規販売や広告・宣伝などを自粛しているという。
「81金融機関、アイフルとの提携ローン自粛」(朝日新聞5月5日付)
http://www.asahi.com/business/update/0505/009.html
消費者金融は、法外に高い利子で金を貸し、いぜんは「サラ金」と呼ばれていたはず。日本の大手銀行(メガバンク)とこういう消費者金融が手を組んでいるのは、不思議で不思議でならなかった。

だって、大手銀行はほとんど利子ゼロで金を集め、その金を消費者金融に貸してもうけ、一方、その消費者金融は「グレーゾーン(灰色)金利」とやらで違法に限りなく近いことをしているのだぜ。どう考えても不健全だし、そういうシステムを許している日本政府は、許されるのだろうか。

不勉強でよくは知らないのだが、こういう例は世界に多いのだろうか。

朝日新聞には、翌日に、こんな記事も載った。
「消費者金融、曲がり角 アイフル処分で逆風強まる」
http://www.asahi.com/business/update/0506/021.html
(それにしても、この記事中、個人向け無担保ローンの平均貸出金利について、あるアナリストが「これまでのビジネスモデルでは通用しない」と指摘するのだが、こんな融資システムが「ビジネスモデル」になってしまったというのは、恐ろしいという他ないように感じる。)
また、この記事中、消費者金融と提携しているメガバンクが、お互いに情報をやり取りしているのではないかと思わせるくだりがある(下参照)。実際、「この会社、どっからこちらの個人情報を手に入れたんだろう」と思うようなダイレクトメールなどが届くのだから、これはすでに確実に進行していることなのだろう。

個人情報について、こんな管理が許されていいのだろうか?
消費者金融は、経営の安定化とメガバンク傘下という信頼性が得られる一方、企業貸し出しの低迷で個人向け取引に力を入れてきた銀行側にも、消費者金融の持つ債務者情報や個人向け無担保ローンのノウハウを手にできるメリットがある。
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2006年05月03日

見た目重視の国

日本の国際結婚率は20組に1組を切り(最近は15組に1組なんて説もある)、東京では、国際結婚はなんと10組に1組の割合だそうである。

そのせいか、最近、テレビを観ていると、やたらハーフが登場する。ものすごい数である。しかも日本語が上手い。明らかに日本生まれと思しき面々である。NHKのテレビ語学講座など、ハーフや日本語を見事に駆使するガイジンのオンパレードだ。

別に、そのことは悪いことではないし、テレビ番組が、かつてはケント・デリカットやデーブ・スペクター(まだいるのか?)だけだったタレント障壁をぶち壊して、「門戸開放」されたことは喜ばしいと思う。

しかし、ブスのハーフやガイジンを登場させるわけではないので、そこは見た目が良い者を集めている。とくに語学講座はその傾向が顕著なようだ。あんまりなので、NHK視聴拒否をしようかと思うほどだ。

自分が不細工だからネタんでると言われるのを覚悟で、しかし、大声を上げて言いたい。ちょっと、この見た目重視の傾向はヒドスギルぜ!ため息が出る。

この傾向は、みごとに国民に浸透しているようだ。先ごろ、自分の子供には「なにより見た目が大事よ」と教えているという奥様にお会いした。将来のある子供に、
    「この世は“物差し”が、たったひとつだ
と、あえて積極的に教えている、率直というか、なんというか、単純というか、はっきり言ってバカというか大トンマというか、そんな親は多いのだろうか。

この国の女たちも、男から見られることを計算して自らを装う(そして剥き出しにする)のに忙しく、そのための“産業”がおおいに幅を利かせている(化粧品のコマーシャルの、なんと多いことか!!)。アメリカにも、「美しくする=肌を剥き出しにする」という、(時に無意識な)悲しいほど露骨な美学があった。

いろんな国の女たちを見てきて、最近は、そんな風に見られることを計算しない女性たち、異性として観られることを日常の中の一種の驚きや恥ずかしさでとらえる女性たちの(過去の優れた彫刻家がその作品の中に凝縮させようとした)美意識、特にその眼を、とても美しく思うようになった。

まあ、とすると、どこかの離れ小島か田舎に行かなければなりませんね。
posted by ろじ at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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