2011年03月08日

思い立ったらまっすぐのアメリカ人

TVでABC Newsを観ていたら、アメリカの映画俳優ベン・アフリックがアフリカ援助をしているというニュース。ある貧困国の人たちに学校を造るという。

ベン・アフリックは『グッド・ウィル・ハンティング』にマット・デイモンと共演した役者。デイモンと比べても、演じる力量としてはかなり水が開いてしまっていて、好きな役者ではないが、「good cause」に真剣になるのは悪いことではない。

ベン・アフリックがインタビューされているのを聞くと、「思い立ったらまっすぐ」というアメリカ人気質そのままのようだが、行動力という点では、政治意識の低い日本の役者よりははるかに立派だと思う。
posted by ろじ at 00:00| パリ | TrackBack(0) | テレビ・新聞・雑誌ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月26日

中国・下放政策の悲劇

NHK、衛星放送BShiで「延安の娘〜文革・下放30年後の夏」という、とても印象深いドキュメンタリーを観た。(NHKのサイトには「文化大革命から40年、中学生で北京から農村に下放された人たちの人生」という副題)

中国文化大革命の時代の1968年に、毛沢東が、「若者たちは貧しい農民から再教育を受ける必要がある」と打ち出した“下放政策”――その政策によって、多くの若者たちが都市から農村へと送り出され、永住を強制された。最も未開の地と言われた、黄土高原が広がる延安には、400人余りが下放させられた。

下放された若者は、政策の意図に反し土地の者と関係を持ち子供を作ったりした。また、政策精神からの“逸脱”を見はるため「下放警察」が組織され、そのために生まれた悲劇もあった。

下放政策を「総括」しようとする一部の者たちの“事業”によって、その「悲劇」が蘇えさせられる。下放青年がなし、捨てていった子が、30年を経て北京に住む父親に会いに来ることになったのである。

以下は、NHKのアーカイヴから
再開〜“文革”に翻弄された父と娘〜
◆下放とは…
文化大革命の発動から2年後の1968年、毛沢東は、都市に住む中学、高校生など青少年に対し、農村に行って働くことを命じた。「若者たちは貧しい農民から再教育を受ける必要がある。」以後10年間に1600万人を超える若者が下放させられた。
この下放制度は、都市と農村の格差の撤廃という理想主義的なスローガンの影響もあり、また都市部の就職難を解決する必要性からも、次第に半強制的な性格を帯び、かつ永住を強制する措置として取り組まれていった。

◆文化大革命とは…
1966年に始まった文化大革命は、農業政策などで失敗を重ね、共産党中央での影響力を失うことを恐れた毛沢東が、劉少奇、ケ小平など実権派に対して仕掛けた権力闘争であった。革命を遂行するために毛沢東が動員をかけたのが、当時10代半ばから20代前半の若者で組織された紅衛兵であった。
紅衛兵は、反革命的だと見なした者やブルジョア分子と見なした者に対し徹底的な批判を加え、古い思想、文化、風俗、習慣を打ち破ると称して、街頭に繰り出し破壊活動を繰り返した。
下放政策の背景には、歯止めの利かなくなった紅衛兵運動にピリオドを打つ狙いもあったとも言われている。

◆舞台となった黄土高原・延安と北京・長辛店
黄土高原が広がる延安は、陝西省の北部に位置し、観光客で賑わう西安からバスで6時間あまり北へ行ったところにある。ここは、かつて毛沢東が国民党と戦う拠点を築いた「中国革命の聖地」と呼ばれている。文革時代には、およそ2万8千人の若者たちが北京などから送り込まれ、慣れない農作業に従事させられた。
一方長辛店は、北京の中心部からバスで40分ほど南西に行ったところにあり、鉄道関係の国有工場を中心に労働者によって支えられた典型的な下町である。この町から延安に400人余りが下放させられている。
http://www.nhk.or.jp/special/libraly/00/l0011/l1118s.html
 
これは映画にもなったそうだ。
『延安の娘』
http://www.en-an.com/ 
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=4316
posted by ろじ at 00:00| パリ ☁ | TrackBack(0) | テレビ・新聞・雑誌ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月07日

ウィキリークスのアサンジュ氏 逮捕

おそらく日本中のメディアで唯一、「海老蔵記者会見」に背を向けて、衛星放送CSのAsahi News Star『ニュースの深層』(上杉隆氏が司会)で、ウィキリークスの創設者 ジュリアン・アサンジュ氏の逮捕について放送していた。酔っ払い放蕩息子の記者会見をこぞって放映する日本にウンザリしているだけでなく、上杉氏がどう仕切るか興味があって、観てみた。

3分の2ほど観ただけだが、ゲストの八田真行氏(コラムニスト・翻訳家)のコメント、まるで新味がなかった。他ですでに報道されたことをでない(特に、ウィキリークスの「告発ネットワーク」の仕組み)。新聞の八田氏、英語国の新聞の「OpEdコラム」を「オーピーイーディー」と呼ぶし。

放映後、上杉氏は自身のTwitterで、「恐ろしく的確なコメントの数々の八田さん」と言っている。『ジャーナリスト崩壊』を読んだ後だけに、上杉氏にちょっとがっかりした。

ちなみに、海外と異なって、日本のメディアにはウィキリークス・バッシング傾向が強いというのは、事実のようだ。
posted by ろじ at 00:00| パリ ☁ | TrackBack(0) | テレビ・新聞・雑誌ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月13日

娘の脳死と向き合った家族

NHK教育TVで、脳死についての番組ETV特集『“さよなら”を言う前に〜わが子の“脳死”と向き合った家族〜』を観た。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2010/0613.html  

子供を持つと、これまでになかった感覚が自分の中に生まれているのに気がつく。これが親の「倫理の根っこ」というものなのだろうか。
この夫婦の運命の重さと忍耐と勇気とに、心から敬意を表す。
posted by ろじ at 00:00| パリ ☁ | TrackBack(0) | テレビ・新聞・雑誌ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月18日

TV 民衆が語る中国・文化大革命

BSで特集『民衆が語る中国・激動の時代〜文化大革命を乗り越えて〜』を観た。4回シリーズで、全部は観れなかったが、当時の人々へのインタビューによって、文革時の人々の驚き・幻想・不満、つまり実感が分かって、実に面白かった。(もとは2006年12月27日に放送)
http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10002200090612280030253/ 

最近、NHKは、現地の証言を取ってきたり、アジアの歴史をこれまでよりも広い視野で記録しようと試みているように見える。(この新年には、日本−韓国史に関する共同制作番組らしきものがあった。)そう見るのはナイーブだろうか。

以下はNHKのサイトから。
BS20周年▽BS特集「民衆が語る中国・激動の時代〜文化大革命を乗り越えて〜
1章
▽民衆が語る中国・激動の時代、4回シリーズの第1回。1966年から10年間に渡って中国全土を混迷の渦に巻き込んだ文化大革命。物語は紅衛兵の誕生とともに始まる。
-------------------------------
1966年から10年にわたって続いた文化大革命は、中国の人々を激しい嵐の渦に巻き込み、一人一人の人生を大きく変えた。その嵐の中で人々はどんな体験をし、何を思い、どう行動したのか。4回シリーズの第1回は、紅衛兵の誕生とともにたどる

2章
▽民衆が語る中国・激動の時代、第2章は1966年から始まった文化大革命・その担い手となった紅衛兵の抗争の実態を、当時様々な立場にいた人々の証言で綴る。
------------------------------
めざましい成長を続ける中国には、かつて、文化大革命という激動の時代があった。人々は、その時代をどのように過ごし、どう乗り越えてきたのか。40人以上の証言でつづるBS特集「民衆が語る中国・激動の時代」。第2回は、紅衛兵運動の矛先が権力の中枢に向かう「造反有理の嵐」をおくる。

3章
民衆が語る中国・激動の時代の第3章。文化大革命の武装闘争が収束に向かった頃、大勢の都市の若者が農村へ旅たった。そこで彼らは何を見、何を思ったのか、証言で綴った。
------------------------------
めざましい成長を続ける中国には、かつて、文化大革命という激動の時代があった。人々は、その時代をどのように過ごし、どう乗り越えてきたのか。40人以上の証言でつづるBS特集「民衆が語る中国・激動の時代」。第3回は「下放・若者大移動」をおくる。

4章
民衆が語る中国・激動の時代のシリーズ、最終回の第4章は、1966年から始まった文化大革命の幕引きの流れを作った民衆の怒りの噴出と力です。
------------------------------
めざましい成長を続ける中国には、かつて、文化大革命という激動の時代があった。人々は、その時代をどのように過ごし、どう乗り越えてきたのか。40人以上の証言でつづるBS特集「民衆が語る中国・激動の時代」。最終回は「改革開放への胎動」をおくる。
posted by ろじ at 00:00| パリ | TrackBack(0) | テレビ・新聞・雑誌ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月08日

子どもだったころ「建築家・安藤忠雄」

 NHKで、「わたしが子どもだったころ『建築家 安藤忠雄』」を観た。
 建築家人生40年を迎えた安藤忠雄。もともと独学で建築を学び、建築界のノーベル賞を受賞、世界に名前を轟かせた。子ども時代、祖母から大きな影響を受けたという。
 1941年秋、建築家・安藤忠雄は貿易商を営む家に生まれ、大阪の祖母に預けられた。貧乏でも気丈だった祖母は上方の合理精神と自立心を持っていた。忠雄が14歳の時、祖母が下宿屋を始めるために屋根裏を増築することに。家を解体する大仕事。手伝わせてもらった少年はハラハラ、ワクワクの奇妙な心持ち。見慣れた天井がはがされた時、今も脳裏に焼きついて離れない、ある光景が広がった。(番組HPより)
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2010-03-07&ch=21&eid=31572 

 この意志の塊りのような建築家のかくれた(?)生い立ちにある、傑物たる祖母からの影響。実に面白かった。安藤が置かれた環境と彼の関係や、近所の大工さんたちや家の解体が安藤に与えた影響などを、さらりと描いていて、とても好感。
posted by ろじ at 00:00| パリ | TrackBack(0) | テレビ・新聞・雑誌ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月06日

『ER』放送打ち切り

 昨夜、テレビ番組『ER』を探したが、やっていなかった。ネットの局FRANCE2サイトを見たが、予定としてやらないことは判ったが、今週だけなのかそれとももうやらないのか、まったく判らない(実にフランス的無責任)。(8月8日の日記を参照)

 ネットをサーフィンしてやっと見つけた。『ER』(フランス語名は『URGENCES』)の専用サイトに「お知らせ」として、8月末に突然打ち切りになったことが載っていた(ニュースのタイトルが「Coup de massue(こん棒の一撃=思いがけない災難)」)。しかも、翌週の9月から。理由は「200万くらいの視聴者しかいないので」だそうだ。

 200万?最後の放送は214.2万人で12.5%だったそうだ(フランスの人口は6000万くらい)。12.5%。これは少ないのか? かもしれない、しかし、毎晩のように放送している、延々と同じことを議論するトーク番組がそれ以上の視聴率があるというのか? 似たようなモノが年中放送されているが。フランス人はあんなもの観ながら、テレビの前で一緒になって議論してるって言うのか? しかも、FRANCE2ってのは公共テレビじゃないか。視聴率がそんなに優先されるのか?
http://www.urgences-la-serie.com/

 『ER』が好きな視聴者はきっとコアなファンに違いない、なら、このフランス人のこと、必ずどこかで議論しているはず、と思って探したら、あったあった。FRANCE2の中の案内サイトに「フォーラム」という議論ページがあって、「FRANCE2をボイコットしよう」などと書き込みがたくさん。このフォーラムによると、FRANCE2は『ER』のこのシーズン最後のエピソードも放送しないらしい。
http://forums.france2.fr/france2/urgences/liste_sujet-1.htm 

 こんな良い番組がなあ。そういえば、ここフランスでも、『CIS』とかのアメリカの犯罪捜査モノや明らかにそれをフランスでコピーしたものばっかりなのだよな。アメリカのポップ文化に抵抗するんじゃなかったのか? あんなありもしないチープな犯罪捜査物語のどこがいい? フランスの公共放送の質はこの程度かい?!

 同じフォーラムの書き込みによると、どうやら『ER』は何かの番組の埋め合わせ的に放送されたという。たしかに、一晩に3本のエピソードというのは、「埋め草」的な扱いである。こんなに一挙に放送したらすぐ終わっちまうじゃないか、とは思っていた。

 それにしても、こんな扱いってあるか?
 恥を知れ、公共放送FRANCE2!!
posted by ろじ at 00:00| パリ ☁ | TrackBack(0) | テレビ・新聞・雑誌ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月01日

山盛りニム・ブン

 昼飯時、近くに見つけた安いベトナム料理屋に、久しぶりに行った。

 あらー、久しぶりですねー、とおかみさんに言われて席に着いた。いやあ、ちょっと風邪ひいちまって、とお茶を濁し、「いつものニム・ブン(と言うんだっけ?)の麺を」と頼んだ。

 しばらくすると、ドンブリ山盛りのニム・ブンが出てきた。このオバサン、行くと喜んでくれるんだが、なんか盛がだんだん多くなるよ。そのうちバケツで出てくるんじゃないか……。

 喰いながら、英字新聞のインターナショナル・ヘラルド・トリビューン(23日付)を読む。ウッディ・アレンが、ペネロピ・クルーズ、スカーレット・ヨハンセンという2大美女女優を登用して新たにスペインで映画を作ったが、その時の“日記”が載っていた。おふざけの監督日誌みたいなもんだ。文章が簡潔でいい。ちょっとだけ品の良い諧謔もある。ウッディ・アレンのジョークってのは、こんな締まりのある自虐ジョークだったっけ? しかし、こんなのが紙面の一面に載るなんて、日本じゃ考えられんな。日本人は報道に関しては、みょうにマジメだから。(まあ、報道バラエティーなんてフザケタのも、幅をきかせてるが。)

 食後、近くのカフェに入る。目がクリクリとした、ちょっとペネロピ・クルーズ似のウェートレスがいた。
posted by ろじ at 23:57| パリ ☁| テレビ・新聞・雑誌ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月08日

『ER』放送!

 夜、テレビをチャンネルサーフィンしていたら、FRANCE2でなんとあのアメリカドラマ『ER』をやっている。

 もちろんフランス語。シーズン幾つ目かもわからない。登場人物もかなり替わってるし。だが、それでもかまわない。一昨年だったか、しばらくやっていて、フランス人の趣味に合わなかったのか、途中で打ち切りになったのだった。

 感動しながら観た。でも、来週は旅行に出てしまうが、どうしよう……。
 FRANCE2、偉いぞ。しかし、一晩に一挙3つのエピソードとは――。ちょっとお腹イッパイの感。
posted by ろじ at 00:00| パリ ☁ | TrackBack(0) | テレビ・新聞・雑誌ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月05日

「マーシャル・プラン」失敗の例 と日本の新聞へのグチ(追記2箇所あり)

  テレビのアルテ(ARTE)というチャンネルは、実に興味がある番組を放送するので、パリジャンにも高い評価を受けているようだ。夜、そのアルテで、アメリカの「マーシャル・プラン」が、戦後のギリシアにどういう理由で導入され、どう失敗して行ったかについての映画を放映していた。

 
 これが、「マーシャル・プラン」が“うまく行かなかった1ケース”として、実に面白かった。簡単にいくつかの要点を:

  • アメリカの「マーシャル・プラン」の基本理念は、「ある程度の富がなければ、民主主義は根付かない」というもの。
  • アメリカは、この「マーシャル・プラン」を、ギリシアにソ連から共産主義が入ってくるのを妨げるために使いたかった。当時のトルーマン大統領の『トルーマン・ドクトリン』は、「いかなる手段を使っても、共産主義化は阻止する」というものだった。
  • アメリカの「マーシャル・プラン」は、富(の再生産)をもたらしたが、同時に、生活のアメリカ化をもたらすものだった。アメリカは、「アメリカの夢=物質的生活」をもたらすものとしてこの経済政策を広めるため、映画やパンフレットでギリシア中に啓蒙を行った(例:ピアノでなく、蓄音機を。伝統的コンロでなく、アメリカ流オーブンセットを)。
  • ギリシア人、おのれの文化にプライドがあるギリシア人は、経済的には「マーシャル・プラン」を受け入れたかったが、精神的にはそれを拒否した。そして、その結果として、「マーシャル・プラン」は政治的に受け入れられなかった。
  これは、アメリカ化を経済的にはノドから手が出るほど望んでいても(当時のギリシアは、きわめて貧困だった)、その経済的理由を越えてそれを拒んだ例である。人間は、ときに、経済的理由だけではなく、感情(誇り・怒り・哀しみ)で政策を決める。ギリシアの選択は、そのみごとな例だろう

追記: 放送された記録映画によれば、アメリカの大統領トルーマンは、ソ連からギリシア共産主義が入ってくるのを警告するため、「テロリスム」という言葉を使ったのだった。自国の介入を正当化するため誰かを「テロリスト」に仕立てあげる―― あの国は、昔も今も変わっていないようだ。

 
*******************************

 日本の新聞サイトを見てるとタメ息がでる。下のような国際面のニュースのわきに、緩くてオメデタイ広告の数々
Yahooのニュースサイトなど、なんと言っていいか……。日本は平和であるなあ。“クオリティーペーパー”「朝日新聞」の例:
ETAが停戦破棄を宣言 バスク和平交渉決裂かhttp://www.asahi.com/international/update/0605/TKY200706050345.html米国でラオス政権転覆の陰謀 傭兵集め武器輸送計画http://www.asahi.com/international/update/0605/TKY200706050336.htmlタイ、クーデター以来の政党活動禁止を解除http://www.asahi.com/international/update/0605/TKY200706050415.html
  しかし、それにしても、「朝日新聞」のこの日のフランスに関するニュースが、次の二つである。たしかに、最初のは(一ヶ月前に)「リベラシオン」紙で取り上げられて話題になったが、G8サミットでのドイツとのやりとりとか、サルコジのセシリア(前)夫人が専属プレス担当官を雇うことを決め、“ファーストレディー”職を受け入れることを決めたとか、いろいろあるだろうに。ホント情けねえ。

 
  朝日のウェブサイトは、最近、トップに、見たくもないのに「コミミ口コミ」とかいうハヤリネタを出してくるし、日刊スポーツのゴシップ記事をリンクしたりしている。日刊スポーツの記事は、専門のスポーツ記事も日本語が「?」というのが多いし、それをリンクしている朝日はなにを考えてるんだろう? いくら労働力を省きたいとはいえ、朝日、チトなんとかならんのかね。

仏のサルコジ大統領「凡庸な高校生」 教師が証言http://www.asahi.com/international/update/0605/TKY200706050152.html
ナポレオンの恋文など、歴史的な手紙競売へ ロンドン
http://www.asahi.com/international/update/0605/JJT200706050001.html

追記: 最初の記事の「仏週刊紙カナール・アンシェネ紙」は、どこからも広告を取らず独立の資金(つまり購読料だけで)だけで経営してる、一本骨の通った立派な批判的ジャーナリズムだけど(だから、サルコジに目を付けられているんだが)、いわゆるカリカチュア新聞(ゴシップダブロイドではない)で、普通の新聞とは性質が違う。この記事を、あえて他のニュースを抑えて載せる朝日の理由は、なんなのだろうか。そもそも、この新聞の特派員って、自分で取材しないのか?ロイターやAFPや、フランスの新聞を訳しているだけなのか?? そんなの、日本にいたってできるんじゃないのか?

仏のサルコジ大統領「凡庸な高校生」 教師が証言

        200706051220

 フランスのサルコジ大統領は高校生の時に成績が凡庸で、卒業したとされるパリ政治学院も実は出ていなかった――。こんな調査結果を、すっぱ抜きで知られる仏週刊紙カナール・アンシェネ紙などがこのほど伝えた。


 発端は、大統領が当選を決めた5月6日夜、支持者の一人が仏リベラシオン紙の取材に応じて「(成績に例えれば)優良だ」とサルコジ氏をたたえたこと。同氏のバカロレア(大学入学資格)の試験採点を担当した教師と称する男性が、同紙への投書で「73年にパリのモリエール高校から受験した番号18917(サルコジ氏)の成績は全く凡庸だった。仏語は20点満点の7点、数学は8点。哲学は9点で、評価はBだ」と暴露した。
 

 カナール・アンシェネ紙はこれを受けて調査。大統領の経歴がエリート養成校である「パリ政治学院卒」とされていることについて、「確かにサルコジ氏は2年を学院で過ごしたが、獲物(卒業資格)を捕れなかった」と明らかにした。  

  
同紙によると、大統領の同学院卒の経歴は大統領府のホームページにも載っていたが、「卒」の部分が最近削除されたという。 

posted by ろじ at 00:00| パリ ☁| テレビ・新聞・雑誌ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月03日

生活のロボット化

独り者の男性にとって、家に帰ると、玄関で自分の好みそのままの美人ロボットが三つ指ついて「お疲れさま〜♪」とねぎらってくれ、こちらの望むことを何でもしてくれる ―― というのは夢かもしれない。

以前、このブログで、アメリカの大学MITで開発されているロボット「コグ Cog」等を紹介した。
http://dokugo.seesaa.net/article/5116736.html

その開発者の名は、ロドニー・ブルックス氏で、MITコンピューターサイエンス・人工知能研究所の所長である。そのブルックス氏にインタビューした記事が、7月29日の日経新聞に載っていた。(「未来技術を読む・2030年の世界」)

ブルックス氏は、2030年には、今はコンピューターを使ってやっているネット検索も
「検索エンジンをチップ化して脳に埋め込めばパソコンなどを持たなくても、いつでもどこでも検索ができて便利思う」
という。
「考えるだけで操作できるコンピューターもチップを脳に埋め込めば実現可能だが、倫理的に許されるのか、といった議論ができる。」
「家庭向けロボットも2030年までには普及するだろう。ただし、二歳児並みの認識力、六歳並みの手先の器用さを備えることが条件だ。家具などが置かれていても部屋の中を自由に動くことができ、冷蔵庫並みに操作が簡単なことも条件になる。」
私たちの生活の「ロボット化」に関しては、むかしは非常にラディカルで急先鋒だったブルックス氏だが、この記事では、倫理問題にも配慮して、これでも以前よりずっとマイルドに“人間的に”なった感じがする。

その“人間的な”見識は、次のひと言にも現れている。
「ロボットと人間が心を通い合わせることもある程度はできるだろう。だが、そんな必要があるのだろうか。私自身は人型ロボットではなく、掃除など作業目的がはっきりとしたロボットの普及が進むと考えている。」
ロボットが会話の相手を・・・などというのは、われわれ人間が ―― 独りで生きるのではない人間が ―― 他の「人間」と付き合うことによって、毎日簡単に手に入れられる歓びを放棄しているというのが前提だ。

そんなつまらない生活をサポートするためにロボットはあるのではない、という人間謳歌がちょっとだけ垣間見られて、小気味いい。
posted by ろじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ・新聞・雑誌ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月05日

津波で親族を亡くした女性

もっと早く書くべきだったが、以前に(去年の末)この「独語」でも紹介した、スマトラ沖大地震によるインド洋大津波での写真が、今年の「第48回 世界報道写真コンテスト」で大賞となった。
http://dokugo.seesaa.net/article/1812647.html

地震による津波で親族を亡くし、インド南部のカッダロールの浜辺に身を投げ出してその死を悲しむ女性の姿を上から写した、胸を締めつけるような写真である(アルコ・ダッタ氏(インド、ロイター社))。

写真は、World Press Photoサイトにある(「津波で親族を亡くし嘆き悲しむ女性」(2004年12月28日撮影))。
http://worldpressphoto.com/index.php?option=com_photogallery&task=view&id=211&Itemid=87&bandwidth=low

また、「世界報道写真展2005」が東京都写真美術館で開かれていて、そのホームページのトップにも載せられている。
http://www.syabi.com/schedule/details/worldpressphoto2005.html

まだご覧になっていない方は、ぜひ見てほしい。

posted by ろじ at 00:00 | TrackBack(0) | テレビ・新聞・雑誌ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月27日

『ER』慕情 ―― 日本人の『ER』観?

出張先で、アメリカのドラマ『ER』(第10シーズン)を観た。現実の重さや真剣さを描いていて、やはりすばらしい、と思った。

昨年度までは、NHKの地上波で土曜日の深夜に放映していたが、人気がなかったのであろうか、今年からは中止になってしまった。なぜなんだろうなあ、こんな良いドラマが?日本人には馴染まないんだろうか・・・・・・?

お茶の間の日本人は、人間のキレイな面・オモシロおかしい面しかテレビドラマに期待してなんだろうか?それを肯定したくなることが、実は『ER』にかんして起きていたらしい。

第6シーズンのエピソードに、カーター医師と若い女研修医ルーシー・ナイトが精神病患者に襲われて重傷を負い、ルーシーはERスタッフの懸命な処置の甲斐もなく亡くなるシーンがある。昨年度、地上波では、その放送分だけが放映されなかった

予告編では放送されたが、一週間後の放送当日は、冒頭に、真っ暗な画面に何行か「ルーシーが亡くなった」というあらすじを流し、その次の回の話を放送した。背景として、その当時は精神分裂病が「統合失調症」などという病名に呼びかえられた時期で、「統合失調症」の患者に対する偏見を助長しないようにと、家族や関係者に配慮したということらしい。

NHKに抗議電話が殺到し(抗議する日本人がいたことにはホッとする)、その経緯は新聞にも載った。

あいかわらず、「木を見て森を見ず」的な日本人の対応だが、NHKは、そうやって部分的に手を加えるをなんとも思わないのかねえ。そういうの(ストーリーの重要な展開部分を削除すること)「検閲」って言うんじゃないのか?NHKはもっと他に「配慮」すべきことがあるんじゃないのか?

そういう「重い現実」をどう処理していいかわからず、手に負えなくなったので、地上波での放送は打ち切りになったのかも知れない。
posted by ろじ at 00:00| テレビ・新聞・雑誌ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月23日

膠原病にたいする偏見と『60ミニッツ』

暑さのせいか湿気のせいかわからないが、体がひどく重くダルい。しかも、手の調子も悪く、ワンテンポ遅れて動く感じである。すこぶるストレスがたまる。

どうも、リューマチ類に関する社会の無理解もひどいものである。「痛風ですか、美味しいものばかり食べてるからですよ、ハハハ」などと、知った風なかなり無神経なことをいう人もいる。可笑しくもないし、冗談にもならない。痛風とリューマチは、まったく違う。無知を偏見に入れれば、日本社会では、こういう膠原病や内疾患にたいする偏見は甚だしいようだ。

とはいえ、今だ、ジム通いはしている・・・。

ジムでチャールズに会った。なんと、あの手紙は、効き目があったそうだ。あれ以来、アパートの隣人は静かになったんだそうである。確かに、気味が悪い手紙ではあったからなあ。
(2005年05月30日付け「チャールズの置き手紙」参照 http://dokugo.seesaa.net/article/4022317.html

四方山(よもやま)話をしていると、日本のニュースメディアの話になった。そこで、オレが「アメリカの『60ミニッツ』が懐かしいよ。あんなすばらしい報道番組は他にないね」というと、チャールズも、その番組の良さを褒め称えて「『60ミニッツ』に相当するものは、まずどこにもないね」と答えた。

この『無用独語』でも、『60ミニッツ』のすばらしさには幾度か触れてきた。報道対象の切り取り方、相手への突っ込み方など、これぞジャーナリズムというものだとおもう。日本でそれに見合うものは、『報道ステーション』で時にやる特集モノだろうか。
posted by ろじ at 00:00 | TrackBack(0) | テレビ・新聞・雑誌ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月28日

『朝まで生テレビ』と報道番組

昨夜深夜、テレビで「小泉外交の戦略と国益」と題して、大勢で最近の中国・韓国問題を議論していた。『朝まで生テレビ』である。

確かに重要な問題で、このところこの番組の常連となっている政治学者・姜尚中氏の意見にもたいへん興味があり、最後まで聴いていたかったのだが、途中でやめてしまった。

どうも司会の田原総一朗氏のリード、というより発言が気に障る。氏は、討論参加者の話が自分の意向になじまないか自分に理解できなくなると、「話が複雑すぎる」とか「複雑でなに言ってるか分からない」などと言って途中で遮ってしまうのだ。司会者というのは、相手の意見や話の中に、その場に関連のありそうなことを見つけ、議論の糸を繋いでいくものだろう。

それは単に田原氏の限界を示すだけで、仕方がないといえば言えるのだろうが、もっと嫌なのは、自分が理解できないその相手を、からかいのダシにしたり侮辱したりすることである。本人は冗談のつもりで言ってるのだろうが、そのために、そこにあったかもしれない重要な論点がボトリと落とされてしまう。じつに悪い趣味である。むしろ意識的に揶揄って討論を「ショー化」しているのだ言うかもしれないが、だとしたら、クダラナ過ぎ、愚劣なことだ。

吉本隆明氏などに、田原氏は「見識がない」と批判されるゆえんだろう。

そこで、チャンネルをTBSに回すと、アメリカCBSテレビの報道番組『60ミニッツ』をやっていた。おお、懐かしい!

今回は、アメリカの“大学ビジネス”。卒業したらいくらでも就職があるというような事実に反する誘い文句と、ほとんど足キリもないような入学試験で、多くの若者を入学させる大学が増えている。卒業しても就職はない上に、若者には高額の授業料ゆえの借金のみが残る。先日は別の番組で、今アメリカで問題になっている、修士・博士などの「インターネット学位」が取り上げられていた。インターネットで申し込みお金さえ払えば、こうした高学歴が買えるのである。私もアメリカにいたときは、頻繁にそんなメールが送られてきたものだ。もちろん違法であるが、こうしたやつらは州を越えて営業したり、カリブ諸島などの法の目の及ばないところで営業したりしているのだ。

こんなことが起こるのも、アメリカが(日本とは違った意味でだが)非常な学歴社会だからだ。ときに、よく評論家・学者で、「アメリカは自由の国で、いまでもアメリカンドリームが実現する学歴の要らない社会」などと、見てきたようにいう輩がいるが、ホントに困ったものだと思う。

閑暇休題。『60ミニッツ』、見ていて、やはり報道番組はこうでなくちゃな、と感心する。その報じている内容が全部本当に違いない、といっているのではない。その話の繋ぎ方や掘り下げ方が論理的で、観ている視聴者が抱くだろう疑問に応え、相手が真実を隠したり偽ったりする姿勢をどうやったら暴けるか、ということがよく練られていると思うのだ。これを観ると、日本の多くの報道番組の製作者は相手とグルなんじゃないか、とさえ思えてくる。さまざまな社会的制約の中で作ってるのだろうが。

アンディー・ルーニーも健在だったし。(今回は、街に置かれた“現代彫刻”のどこがいいか判らない、というアンディーらしい歯に衣着せぬ発言だった。)
posted by ろじ at 19:52 | TrackBack(0) | テレビ・新聞・雑誌ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月25日

三菱のロックフェラーセンター買収の裏側

 昨日からNHKスペシャルで、『日本の群像 ―― 再起への20年』というのが始まった。「日本の経済社会を根底から揺さぶったこの20年を、その主人公である「日本の群像」の軌跡を追うことで、今に至る再起への道筋を探る大型企画」であるという(下参照)。

 第一回は、「トップの決断〜継続か撤退か〜」と題して、1980年代後半、円高とバブルを背景に「ジャパンアズNO.1」と謳い上げられ、アメリカの企業・不動産を買収した日本企業の話。89年、ソニーがコロンビア映画を、三菱地所がロックフェラーセンターを購入した。これは、その後の、対照的な道のりを扱っている。
http://www.nhk.or.jp/special/topics/top2_0503a.html

三菱地所がロックフェラーセンターを買収した時の話は、今でも覚えている。アメリカでは、「日本企業ついにアメリカの心を買うか」というような、ひどく感情的な反応がメディアで取り上げられ、一方、日本でも、その金に物言わせるエコノミックアニマル的な行為を嘆き、または揶揄する“知識人”やメディアがいた。

今回の番組で指摘されたのは、三菱地所は、ロックフェラーセンターをまさにロックフェラー財団の言い値の超高額で買わされ、しかも、営業上のまともな権利さえも行使しなかったらしいということである。三菱が、「金に物言わせて」買いあさったというは正確ではない。買う神あれば売る神あり、なのである。

ただ、三菱地所がそんな金銭的にナイーブな態度を示す結果になったのは、その土地売買哲学の根本に、土地を買って置いておけば値は釣りあがるものだという日本では当たり前と思われていた「バブル神話」と、ロックフェラーセンターはアメリカの一等地であり、一等地を買うことは何にもましてすばらしいことだという「土地信仰」があったためだという。

こう考えると、三菱地所のやったことは、脅威というより、滑稽であると思う。

参考
『日本の群像 ―― 再起への20年』
日本をバブルに導いたプラザ合意から20年。
 このシリーズは、日本の経済社会を根底から揺さぶったこの20年を、その主人公である「日本の群像」の軌跡を追うことで、今に至る再起への道筋を探る大型企画です。

 バブル崩壊後の経済の低迷を経て、日本ではいま、再起に向けての様々な格闘が続いています。
海外企業の買収を通じてグローバル経営のあり方を問い直す大手企業会長。
「 護送船団方式」が行き詰まる中、膨大な不良債権の処理に挑んだ銀行マン。
空洞化の嵐と戦い続ける町工場の経営者。
 高度経済成長を支えた日本型システムのあり方が、グローバリズムの大波の中で問われる中、様々な「群像」が再起に向けての模索を続けています。

 内外の関係者が今にして明かすこの激動20年の軌跡。そして彼らが今なお時代と格闘し続けている現場からのルポルタージュ。
 過去と現在を一筋の線でつなぐ物語の中に、日本再生の礎を探る大型シリーズ番組です。
http://www.nhk.or.jp/special/top2.html


posted by ろじ at 00:00 | TrackBack(0) | テレビ・新聞・雑誌ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月19日

Anti Frivolous Culture

めずらしく氷雨が振っている。

最近の小説をいくつか読んできたが、どれもとても退屈で仕方がなかった。日本で流行のものを読んで、そのコメントを書くブログを立ち上げようともした。が、いわゆるカル〜い売れ筋を暇をみつけて何冊か読んだが、露骨な性描写ばかり目立つくだりや、一方の性の勝手な視点にもとづいた(だから、「他者」がかなり嘘っぽい)アンチョコなストーリーにもうウンザリしてしまって、頓挫している。

それでも、何人か気に入った味のある作家にも出会えたのは救いだった。たとえば、杉浦日向子や時実新子がそうである。杉浦日向子氏は、文章のできを喰い物のうまさでごまかそうとする、あまたある食に関する本の中でも出色であると思う。

時実新子氏の文章や歌は、こころの奥底に隠し持っている感情を、的確に暴いてくれるようなものだと思う。たとえば、
       
      十人の男を呑んで九人吐く

このちょっとショッキングな歌で、時実新子は男をたぶらかす悪女のように言われたが、じつは、十人いても全部さっぱりと吐き出して忘れてしまいたいけれどいつも一人は胸に残しておきたい女心の悲しさを詠ったものだという。しかも、その男も「ただの男」になり下がるかもしれない…。

生や性の行為にまつわるその結果を思いながら、こうした行為にともなう重い感情から、つらい自責や冷徹な自己分析につなげようとする恐ろしい視点だと思う。


さて、テレビも含めて、この軽〜イ文化にウンザリしている自分にとって、土曜日は、ホッとする一日である。NHKで『ER』をやるのだ。アメリカにいた頃は、やはりそのお笑い文化に辟易していたが、このドラマだけは買っていた。アメリカ社会のみならず人間の業(ごう)をも描こうとするこのドラマ、アメリカでも、根強い人気を誇っていて、11シーズン目を迎えている。

そこのアナタ。
人生や、ひとの生や、孤独について、たまーには考えてみたいと思うなら、
今夜12時45分、NHK総合のチャンネルをつけるのをお勧めしますよ!
posted by ろじ at 22:02 | TrackBack(0) | テレビ・新聞・雑誌ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。